富永光行
靴のマルトミ・元設立、代表取締役社長
社長就任 1973年2月
生年月日 —
学歴 —
出自 —
- 出自
- 富永光行氏は1927年に岐阜県で生まれ、1942年に浄心国民学校高等科を出た。尋常小学校を卒業してすぐ丁稚奉公に入ったため上級の学校へは進まず、戦後は復員してサラリーマンとして働いた。学歴で処遇の決まる企業社会に見切りをつけて脱サラし、配給制の解除後も供給の足りなかった靴を商材に選ぶ。1950年11月1日、名古屋でヤミ市から丸富靴店を始めた。革靴が1足3000円と一人前のサラリーマンの月給に並ぶ時代に、靴工場を回って1足600円で作らせ、1000円で売った。
- 抜擢
- 富永氏は前任者を持たない創業社長である。1957年、完成したばかりの名古屋駅地下街に第1号店を開き、栄などの繁華街と合わせた4店がいずれも当たって売上高で名古屋一の靴屋になった。1965年に従業員の不正が発覚すると4店の従業員を全員解雇し、募り直した店員に商売のやり方を教え込んで新しい店の店長に据え、1975年までの10年間で100店を増やしている。1973年2月、株式会社靴のマルトミを設立して代表取締役社長に就いた。
- 施策
- 店舗数が100店に達した1975年から、富永氏は5年かけて都心の60店を閉じ郊外へ80店を出す立地の入れ替えに踏み切った。1979年には岐阜に靴流通センターの1号店を出している。1987年3月には直営店を、粗利益の75%をオーナーへ渡す販売委託店へ切り替え、1店当たりの経常利益を131万円から282万円へ増やして、1990年1月の名古屋証券取引所第2部上場につないだ。1994年2月には不採算180店の一括閉鎖を発表し、役員報酬と賞与を1年間全額返上した。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時(FY99)1,211億円
変化-
就任前-
退任時-
変化-
- 日経ビジネス 1994年3月14日号「富永光行氏[靴のマルトミ社長]軌跡 後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」
- 日経ビジネス 1989年6月5日号「靴のマルトミ直営店を独立採算に切り替え、「ヤル気」引き出す」
- 国立国会図書館サーチ 書誌詳細(富永光行 著『商売は「機を見るに敏」なり : 一坪半の靴屋から日本一のチェーンを築くまで』ダイヤモンド社、1995年、著者標目「トミナガ, ミツユキ, 1927-」)