太平洋セメントの歴史

Updated:
免責事項
当サイト(名称:The社史)において、品質を向上させるために、Google LLCが提供するサービス「Google Analytics」を介してGoogle LLCに対して閲覧者が保持する情報(IPアドレス・閲覧URL・閲覧遷移元URL・閲覧日時・デバイス情報)を送信しています。また、当サイトは、開発者が公開情報を取り纏めて掲載したもので、個人的な見解を述べたものであり、正確性、完全性および適時性を保証しません。また当サイトの情報によって閲覧者に生じたいかなる損害も、本サイトの開発者は一切の責任を負いません。
1994
10月

小野田セメントと秩父セメントが合併・秩父小野田を発足

セメント業界の再編・設備過剰問題

1970年代のオイルショック以降、セメントの価格下落が進行して大手各社の業績が悪化。1980年代には過剰生産を抑えるために業界内で設備廃棄などが進行したが、それでも設備余剰の解消には至らなかった。

大手メーカーでも1社あたりのシェアは20%前後であり、同様の規模の企業が群雄割拠して値下げをすることによって、価格競争に拍車がかかる市場構造も問題となった。これは、セメント原料である石灰石の採掘が日本全国で可能であり、結果として各産地にセメント企業が工場を設置したことが理由であった。

このため、セメント価格の安定化をめざし、1990年代には大手セメント会社による業界再編が本格化した。

秩父小野田株式会社の発足

セメント業界大手であった秩父セメント(栗原隆・当時社長)と小野田セメント(今村一輔・当時社長)は、1992年から合併に関する協議を開始。翌1993年11月に合併を公表して、1994年10月に秩父小野田を設立した。合併比率は、秩父セメント「1」に対して、小野田セメント「2.1」に決定され、小野田セメントに有利な合併となった。

秩父小野田の発足により、日本国内におけるセメントの販売シェアが24%となり、それまで業界トップだった日本セメントを抜いて国内1位となった。

1992年
小野田セメントと秩父セメントが合併協議を開始
1993年
11月
小野田セメントと秩父セメントが合併を対外発表
1994年
10月
秩父小野田を発足
セメント販売シェア 1
1996
4月

秩父第1工場を閉鎖(旧秩父セメント)

1998
10月

秩父小野田と日本セメントが合併・太平洋セメントを発足

1997年10月2日に秩父小野田と日本セメントは合併計画を対外的に公表。翌1998年10月に秩父小野田と日本セメントが合併して「太平洋セメント」を発足した。日本セメントとは競合関係であったが、供給過剰によるセメント市況の下落に耐えられず合併を決定した。

合併後のシェアは約40%(旧秩父小野田のシェア22.6%・旧日本セメントのシェア16.7%。ヤノレポート(1015))となり、売上高約1兆円の国内トップのセメントメーカーが誕生した。

太平洋セメントの発足により、国内セメント業界における企業合併・再編は一巡。1990年代を通じて「日本セメント・秩父セメント・小野田セメント」の大手3社が統合する形となった。

証言
日経ビジネス

これまで両社はライバルとして国内でシェアを争ってきた。今回の合併話をまとめた秩父小野田の今村一輔会長(旧小野田セメント)と木村・日本セメント社長は、20年前には同じ時期に東京支店長を務め、「この野郎、と腹を立てたことは1度や2度ではなかった」(今村会長)というほどの間柄。その両者が手を結ぶまでに、日本のセメント業界は追いつめられている。

1997/10/13 日経ビジネス
2001
3月

最終赤字に転落

2003
3月

国内子会社2社を解散(三河小野田・北九州小野田)

2004
3月

香春工場を閉鎖

2009
3月

最終赤字に転落

2010
3月

最終赤字に転落(2期連続)

2010
4月

土佐工場を閉鎖

2010
9月

早期退職者を募集

2015
6月

米Martin Marietta社のセメント工場を買収

2017
2月

糸崎工場を閉鎖

2022
6月

米Martin Marietta社のセメント工場を買収(2回目)

2025 (c) Yutaka Sugiura, Author
売上
太平洋セメント:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
8,862億円
売上高:2024/3
利益
太平洋セメント:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
4.8%
利益率:2024/3
内容の正確性、完全性および適時性を保証しません