1988年〜 通信自由化と訪問販売からの起業、タウンページ営業モデルの確立
- 1988年株式会社光通信を設立
- 1988年市外電話サービスの回線販売事業を開始
- 1990年複写機・FAXの販売開始
- 1991年コンピュータ機器の販売開始
- 1994年HITSHOPの展開を開始
- 1996年株式を日本証券業協会に登録(店頭公開)
- 1998年レンタルサーバービジネスを本格化
光通信の業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
NTT民営化が生んだ販売代理の事業機会
1988年2月、日本大学を中退して4年間のアルバイト生活を経た重田康光は、23歳で光通信株式会社を設立した。1985年のNTT民営化で通信市場が自由化したのち、第二電電・日本テレコム・日本高速通信という新電電3社をはじめとする新規参入事業者が相次いだ。各社とも自前の販売網を持たず、顧客への販売チャネル確保を外部代理店に全面依存する業界構造だった。キャリアと顧客の間に立つ販売代理業に事業機会が生まれた時期、重田は通信機器の訪問販売で創業した。当初はホームテレホンの訪問販売から始め、わずか半年後の1988年7月に第二電電と代理店契約を締結し、長距離電話サービスの取次ぎへと事業領域を広げた。 [1][2]
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 株式会社光通信を設立)
- [1]1988年2月に光通信株式会社を設立した
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年7月 市外電話サービスの回線販売事業を開始)
- [2]1988年7月に第二電電と代理店契約を締結し長距離電話サービスの取次ぎへ広げた
1990年から複写機やビジネス電話などOA機器の訪問販売へ広げ、シャープ製品を取り扱った。事務機市場でリコー・キヤノン・富士ゼロックスより下位にあったシャープにとって、光通信が開拓する中小企業市場は競合大手が手薄な領域であった。直販網で劣後していたシャープとの利害が合致した取引だった。中小企業向け営業のアタックリストとして使ったのが、NTT発行の電話帳「タウンページ」に載る約530万社の企業情報である。公開情報のため参入障壁はゼロだったが、片端から電話をかけて訪問の約束を取り付け、対面で商品を売る手法を組織的に実行する企業はほかになかった。光通信は誰もが見ているのに誰も手を付けない市場を独占的に開拓した。 [3]
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
- [3]1990年から複写機・ビジネス電話などOA機器の訪問販売へ広げシャープ製品を取り扱った
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 株式会社光通信を設立)
- [1]1988年2月に光通信株式会社を設立した
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年7月 市外電話サービスの回線販売事業を開始)
- [2]1988年7月に第二電電と代理店契約を締結し長距離電話サービスの取次ぎへ広げた
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
- [3]1990年から複写機・ビジネス電話などOA機器の訪問販売へ広げシャープ製品を取り扱った
HITSHOPのFC展開が時価総額3兆円を呼ぶ熱狂
1993年後半にNTTやDDIが携帯電話をレンタル方式から売り切り方式へ転換したことで、販売チャネルを担う小売事業者に事業機会が生まれた。当時の携帯電話は加入時の保証金10万円が不要となり、端末を買い切ることで一般消費者層にも普及する条件が整った時期にあたる。1994年5月、光通信は携帯電話専門販売店「HITSHOP」の第一号店を出店し、携帯電話の販売代理へ進出した。当初は直営中心で運営した店舗網を、1998年3月からFC方式へ方針転換し、店舗拡大のペースを上げた。FCオーナーが出店費用を負担し光通信が手数料を収受する仕組みで、自社の資本負担を抑えつつ加盟店数を積み上げる戦略がはまり、短期間で全国展開を達成した。1995年からはNTTドコモやIDOの代理店契約も次々と締結し、複数キャリアの端末を扱う独立系として地位を固めた。 [4]
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年5月 東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
- [4]1994年5月に携帯電話専門販売店HITSHOP第一号店を出店した
1999年8月期末にHITSHOPは全国1816店まで店舗網を広げ、携帯電話小売の代表的なブランドになった。インターネットバブルの熱気のなか、光通信は「通信×ITの成長企業」として市場から評価された。1999年に東京証券取引所第一部に上場したのち、時価総額は一時3兆円を突破する水準まで達した。社員の平均年齢26歳という若い組織文化と、携帯電話という高成長カテゴリの販売チャネルという立ち位置が、バブル期の株式市場の期待を集めた。株価は実態以上に押し上げられた。拡大の裏側では加盟店経営の質の低下という深刻な問題が進行していたが、熱狂のなかで経営陣も投資家も気付いていなかった。 [5][6]
- 光通信 決算説明会資料
- [5]1999年8月期末にHITSHOPは全国1816店まで広がった
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年9月 当社株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
- [6]1999年に東京証券取引所第一部に上場した
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年5月 東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
- [4]1994年5月に携帯電話専門販売店HITSHOP第一号店を出店した
- 光通信 決算説明会資料
- [5]1999年8月期末にHITSHOPは全国1816店まで広がった
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年9月 当社株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
- [6]1999年に東京証券取引所第一部に上場した