サンリオの歴史

創業年
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上場年
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従業員数
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平均年齢
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平均年収
-万円
サンリオ創業者・辻信太郎
サンリオ創業者・辻信太郎
1927年山梨県生まれ。1947年桐生高工を卒業後、山梨県庁に入庁。1960年に山梨シルクセンター(サンリオ)を設立して代表取締役社長に就任。2020年に92歳で会長に退く。
  • 歴史
  • 沿革
  • 業績
1960年

山梨シルクセンターを創設

山梨県の職員であった辻信太郎は独立を決め、山梨シルクセンターを創業した。当初は地域の特産品である絹製品を取り扱ったが売れ行きが悪く、のちに苦境を打破する為にキャラクター商品の開発に転換する。

1974年

ハローキティーを考案

本格的なキャラクタービジネスを展開する為に「ハローキティー」を考案し、映画を通じてキャラクターを普及させる作戦を実行した。

辻信太郎の回想

僕自身が早く両親を亡くしたこともあって人間の寂しさみたいなものがよくわかっていたからかもしれませんね。だけど、僕は学生時代にアルバイトをしながら、勉強して優秀な人間になるより、やさしい心を持った人間になる方がいいと考えていましたから、性格的なところにきっかけがあったんでしょうね。しかし、ビッグ・ビジネスにしてやろうというようなことはそんなに考えてなかったですね

1977/7/18日経ビジネス「編集長インタビュー・辻信太郎」
1977年

急成長企業として脚光

ハローキティーの成功により、サンリオは売上高150億円を達成してキャラクタービジネスの大成功企業として注目を集めた。

辻信太郎の回想

このビジネスは絶対にまねできないんです。この仕事はきれい、清潔でなければ成り立たない。この会社でご法度になっているのは、法律違反、脱税です。社長って地位は簡単に私服を肥やすことができるとか、あらゆる誘惑が多すぎますよね。こういう世の中だから、役員までは恋愛も自由でいいかもしれない。だけど、社長はできないねっていっているんです。とにかく、こうした清潔さを20年間、保つことができたら、まねできるかもしれませんけど。

1977/7/18日経ビジネス「編集長インタビュー・辻信太郎」
1982年

東証第2部に株式上場

ハローキティーの誕生から8年目で株式上場を果たす

1990年

サンリオビューロランド

屋内のテーマパークとして東京の多摩地区に「サンリオビューロランド」を開園

辻信太郎の回想

東京・多摩市に建設中で今年の12月に完成します。実は14年間暗いの構想をもとに造ったのです。考えに考えて。背景にはこれから一体どんな社会になるのか、という問いかけがある。日本人一人当たり所得は2万ドルを超えた。これだけ豊になると、夫婦も一緒に住まなくなる。同居は最も拘束性が強く、楽しくないから、通い妻や不倫が増える。平成は新しい時代なんです。それと同時に、休みはどんどん増えていく。今、うちの会社は年間120日ぐらい休みがある。これだってドイツに比べれば30日少ない。この休みをどう過ごすかが問題になってくる。そこで出てくるのがテーマパーク。

1990/7/30日経ビジネス「編集長インタビュー・辻信太郎」
1992年

財テク失敗で265億円損失

サンリオはバブル崩壊直後も株価が持ち直すと考えて財テクを継続したが、結果として売りのタイミングを逃して巨額の負債を抱えてしまう。1992年に265億円の経常損失を計上し、274億円の最終赤字に転落した。

1995年

265億円の最終赤字に転落

株価の下落に伴い、120億円の経常損失を計上。265億円の最終赤字に転落した。

1999年

女子高生の間でキティーがブームに

ハローキティーの絵柄の改良によって、1990年代後半に女子高生の間でハローキティが爆発的なヒット商品となり、ハローキティーブームが巻き起こった。この結果、サンリオはハローキティー商品で売上高を拡大し、売上高約1500億円に対して経常利益約180億円を計上し、キャラクタービジネスの成功企業として脚光を浴びた。

2006年

売上高2/3へ激減

ハローキティーブームの終焉によってサンリオの売上高は低迷期に突入。1999年3月期には約1500億円だった売上高は、2006年から2009年にかけて約1000億円を推移し、大幅な減収に見舞われた。

2008年

鳩山怜人が入社

元三菱商事出身の鳩山怜人が、創業家の辻邦彦(副社長)からの誘いを受けてサンリオの米国事業のCOOとして入社。業績回復のためのビジネスの転換が期待された。なお、鳩山氏はハーバード大学でMBAを取得したエリートビジネスマンとして期待される立場であった。

2008年

ライセンス事業の拡大

鳩山怜人はサンリオを再建するためにビジネスモデルの転換を率先する。従来のサンリオは商品の直販が基本であったが、鳩山怜人は商品のライセンス供与を積極化することでハローキティーというキャラクターを法人に売るBtoBに軸足をシフトさせた。

2013年

V字回復に成功

従来の直販主体からライセンス重視へのシフトによって、サンリオは利益率のV字回復に成功する。国内は依然として物販が収入大半を占めていたが、おもに米国と欧州でライセンス収入を確保して利益率の改善を成し遂げた。だが、ライセンスによる収益確保は一時的なブームに終わる。

2016年

鳩山氏が退社し、創業家の経営に回帰

サンリオの辻邦彦副社長が逝去したため、鳩山怜人は支持者を失い、欧米事業の不振が決定打となってサンリオを退職した。経営の実権を握る辻信太郎社長は、孫にあたる辻朋邦(27歳)を次期社長候補に据える。

2018年

米国と欧州で不振

アジアでは順調に業容を拡大するが、米国欧州での収益低迷をカバーできず業績不振が続いた

2020年

辻信太郎が社長退任

創業者の辻信太郎(92歳)は社長の退任を決め、後任に孫の辻朋邦(31歳)を指名。サンリオの創業社長の時代が幕を閉じたが、引き続き創業家がサンリオの経営を担う

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