1937年〜 砲弾研磨から万年筆・ウエハー切断への転換
- 1937年関家三男が広島県呉で第一製砥所を個人創業
- 1940年有限会社第一製砥所に組織変更
- 1953年積算電力計磁石向け切断砥石を開発
- 1958年有限会社第一製砥所を株式会社に改組
- 1965年万年筆ペン先向け0.14mmレジノイド砥石を独自開発
- 1968年半導体製造向け切断砥石の開発を開始
- 1969年米国にDISCO ABRASIVE SYSTEMSを設立
ディスコの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
呉の軍需下請けから「切断砥石」への転換
1937年5月、広島県呉の海軍工廠で働いていた関家三男が独立し、工業用砥石を製造販売する個人商会「第一製砥所」を創業した。広島県呉は海軍の軍港として軍需工場が集積しており、主な仕事は海軍向けの砲弾を磨くための工業砥石の生産だった。関家三男自身は技術者ではなく、職人を雇って工場を運営する経営者型の創業者だったと伝えられている。後発参入で受注には苦労したとされ、終戦までは中小の下請け事業者として運営されていた。戦時経済下で軍需に支えられた小規模事業者は全国に数多く存在したが、戦後までこの事業形態が続いた点に、関家三男の経営者としての粘り強さが表れている。呉の軍需集積地帯で始まった砥石屋という出発点は、後年の半導体装置メーカーとしての姿からは想像しにくい佇まいであった。 [1][2][3]
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1937年5月 関家三男が広島県呉で第一製砥所(個人営業)を創業
- [2]創業目的は工業用砥石の製造販売(軍需向け砲弾研磨用)
- [3]創業者は関家三男(一族・関家氏)
戦後、第一製砥所は積算電力計の内部に使う磁石の「切断砥石」生産に方針を変えた。従来の「磨く」砥石から「切断する」砥石へ、用途を1歩ずらした領域転換だった。1.2mm間隔で磁石を切断する技術を確立し、この分野で国内シェア100%を握った。1958年11月に有限会社から株式会社へ改組、本社を東京都港区芝に移し、軍需下請けから精密切断砥石メーカーへ業態を切り替えた。創業から約20年を経て、戦後の産業再編の中で得た「切断砥石」という足場が、次の半導体時代の技術的な前身となった。軍需向け砥石という出発点から民需の精密切断領域へ主力を移した過程で培われた極薄切削のノウハウは、後にディスコが手がける精密装置群の設計思想にも受け継がれた。 [4][5]
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [4]積算電力計磁石向けに1.2mm間隔の切断砥石技術を確立
- [5]1958年11月 有限会社第一製砥所を株式会社(第一製砥所)に改組
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1937年5月 関家三男が広島県呉で第一製砥所(個人営業)を創業
- [2]創業目的は工業用砥石の製造販売(軍需向け砲弾研磨用)
- [3]創業者は関家三男(一族・関家氏)
- [4]積算電力計磁石向けに1.2mm間隔の切断砥石技術を確立
- [5]1958年11月 有限会社第一製砥所を株式会社(第一製砥所)に改組
万年筆と半導体 ── 2つの注文が運命を決めた
1965年、パイロット社からペン先の溝を切る精密砥石を作ってほしいという依頼が来る。共同開発や開発費援助の申し出もあったが、関家憲一は自社単独での開発を選んだ。「当時、共同開発とか開発費援助のお話も、いろいろなメーカーからあったらしいのですが、それはお断りして、当社独自で開発しました」(関家憲一 商工ジャーナル 1995/06)。0.14mm(140ミクロン)という当時としては極薄のレジノイド砥石を独自完成させ、ペン先加工で国内市場をほぼ独占となる。ボールペンが普及するまでの十数年間、この事業がディスコの収益を支える柱となった。共同開発を断った判断は、技術を外部に渡さず内製で磨き続けるという、以後の同社の開発文化を示す場面でもある。 [6][7]
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [6]1965年 パイロット社の依頼でペン先の溝を切る精密砥石を開発(共同開発・開発費援助を断り自社単独開発)
- [7]0.14mm(140ミクロン)の極薄レジノイド砥石を独自開発
1968年、同社は半導体製造向け切断砥石の開発を開始する。シリコンウエハーを切断するための極薄砥石だった。1969年12月には米国にDISCO ABRASIVE SYSTEMS社を設立し、半導体メーカーが集積するシリコンバレー近傍に直販拠点を置く動きを取った。1970年9月には精密切断装置を開発・販売開始、1975年2月には半導体用ダイシングソーの販売を開始した。砥石メーカーから、砥石を搭載した精密装置メーカーへの業態転換である。1965年の万年筆向け砥石は「精密」の実績を作り、1968年からの半導体向け切断砥石は「スケール」の入口になった。2つの注文が、ディスコを別々の次元に押し上げた形である。1937年の砲弾研磨から約30年を経て、軍需・民需・ハイテクという3つの領域を縦断した経営転換が完成に近づいた。 [8][9][10][11]
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [8]1968年 半導体製造向け切断砥石(シリコンウエハー切断)の開発を開始
- [9]1969年12月 米国に DISCO ABRASIVE SYSTEMS, INC.(現DISCO HI-TEC AMERICA)を設立
- [10]1970年9月 精密切断装置を開発・販売開始
- [11]1975年2月 半導体用ダイシングソーを開発・販売開始(精密ダイヤモンド工具へ進出)
米国拠点の設立は、関家憲一の回想では平坦な前進ではなかった。同氏は、ジャパックスの米国販売会社と組んでシリコン切断用の合弁会社をサンフランシスコ郊外に設けたものの、砥石を活かせる切断装置が存在せず撤退したと語っている。「ところがその砥石を活かせる切断用の機械がなくて、結局、撤退ということになりました」「結論から先にいいますと、ディスコは、その三つを一社でやらなければいけない羽目になったのです。で、これが強みになった」(関家憲一 商工ジャーナル 1995/06)。砥石(アブレイシブ)・装置(メカトロニクス)・応用(アプリケーション)の3つを1社で担う体制へ進んだ経験が、砥石メーカーから精密装置メーカーへの転換を決定づけたという認識であり、社名ロゴの3本線はこの三位一体を示すと同氏は説明する。米国で砥石だけを売る試みがつまずいたことが、自前の切断装置の開発へ同社を向かわせた。 [12][13]
- 商工ジャーナル(1995年6月)
- [12]関家憲一は1969年の米国合弁(シリコン切断用・ジャパックス米国販社と)が切断装置の不在で撤退したと回想
- [13]砥石・装置・応用の三位一体を社名ロゴの3本線が示すという関家憲一の説明
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [6]1965年 パイロット社の依頼でペン先の溝を切る精密砥石を開発(共同開発・開発費援助を断り自社単独開発)
- [7]0.14mm(140ミクロン)の極薄レジノイド砥石を独自開発
- [8]1968年 半導体製造向け切断砥石(シリコンウエハー切断)の開発を開始
- [9]1969年12月 米国に DISCO ABRASIVE SYSTEMS, INC.(現DISCO HI-TEC AMERICA)を設立
- [10]1970年9月 精密切断装置を開発・販売開始
- [11]1975年2月 半導体用ダイシングソーを開発・販売開始(精密ダイヤモンド工具へ進出)
- 商工ジャーナル(1995年6月)
- [12]関家憲一は1969年の米国合弁(シリコン切断用・ジャパックス米国販社と)が切断装置の不在で撤退したと回想
- [13]砥石・装置・応用の三位一体を社名ロゴの3本線が示すという関家憲一の説明
「ディスコ」への商号変更と米欧アジア同時展開
1977年4月、同社は商号を「株式会社ディスコ」に変更した。「第一製砥所」という砥石屋の名前から、半導体装置メーカーとしてのブランドに切り替える節目である。ディシング(切断)とディスク(砥石)を連想させる社名で、事業の実態と顧客層に合わせた改称だった。1979年2月にはシンガポール駐在員事務所を開設し、同年9月にはHelmut Seier氏との共同出資でスイスにDISCO SEIER AGを設立する。米国・東南アジア・欧州の3地域に販売網を同時に張る体制が1970年代末には整った構図である。半導体産業そのものが日米欧で同時並行に立ち上がっていた時期であり、直販拠点を各地域に置くことで、主要顧客との距離をできるだけ短く保つ戦略が打ち出された。稼働後の微調整や消耗品供給が収益を支える構造のなかで、近接した直販網が収益を直接支えた。 [14][15][16]
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [14]1977年4月 商号を「株式会社ディスコ」に変更
- [15]1979年2月 シンガポール駐在員事務所を開設(東南アジア販売拠点)
- [16]1979年9月 Helmut Seier氏との共同出資でスイスにDISCO SEIER AGを設立(欧州販売拠点)
1980年1月、ディスコは精密平面研削装置を開発・販売開始する。「切る」に加えて「削る」工程も自社装置でカバーする体制の第一歩である。同じ1980年、ダイシングソーの世界シェアは約60%に達していた。テキサス・インスツルメンツ、モトローラ、フェアチャイルドといった当時の米半導体大手が主要顧客として名を連ねていた時期である。半導体前工程の中でも特にウエハー切断という工程に特化し、他社が参入しない極薄切削の技術で優位を築いていく構造は、ほぼ固まっている。ウエハー切断という地味な工程を専業メーカーが深く掘り下げることで、大手装置メーカーが手を出しにくいポジションを得た構図である。1968年の切断砥石開発から約12年、ディスコは世界トップのダイシングソーメーカーへ成長した。 [17][18][19]
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [17]1980年1月 精密平面研削装置を開発・販売開始
- [18]1980年時点でダイシングソーの世界シェア約60%(主要顧客はTI・モトローラ・フェアチャイルド等)
- [19]主要顧客にテキサス・インスツルメンツ、モトローラ、フェアチャイルドが含まれた
- ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
- [14]1977年4月 商号を「株式会社ディスコ」に変更
- [15]1979年2月 シンガポール駐在員事務所を開設(東南アジア販売拠点)
- [16]1979年9月 Helmut Seier氏との共同出資でスイスにDISCO SEIER AGを設立(欧州販売拠点)
- [17]1980年1月 精密平面研削装置を開発・販売開始
- [18]1980年時点でダイシングソーの世界シェア約60%(主要顧客はTI・モトローラ・フェアチャイルド等)
- [19]主要顧客にテキサス・インスツルメンツ、モトローラ、フェアチャイルドが含まれた