ディスコ

の歴史

創業

1937年

創業者

関家三男

創業地

広島県呉市

直近売上高(2026/3)

4,369億円

ディスコの長期業績と経営の転換点売上高・利益率・経営トップ
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ砥石屋のディスコが半導体装置メーカーになれたのか
A 砥石だけを売ろうとしても、それを使いこなす切断装置が市場になければ商いにならない。関家憲一氏によれば、ディスコは1969年にジャパックスの米国販売会社と組んでシリコン切断用の合弁をサンフランシスコ郊外に設けたが、砥石を生かす機械がなく撤退した。この挫折から砥石・装置・その応用の3つを1社で抱えざるをえず、他社が容易に真似できない一貫体制を得た。社名ロゴの3本線が示す三位一体である。1970年に精密切断装置、1975年に半導体用ダイシングソーを自社開発し、砥石メーカーから装置メーカーへ移った
Q なぜ1992年の拡散炉撤退がディスコの経営を決定づけたのか
A 本業の「切る・削る・磨く」から外れた熱処理装置に手を広げた固定費が、半導体不況と重なって創業以来初の赤字を生んだ。50億円を投じた半導体拡散炉から1992年に撤退した経験が、事業領域を自ら絞る発想を関家憲一氏にもたらした。1997年に制定したDisco Valuesは投資対象を「切る・削る・磨く」の3領域に限定し、経常利益に応じて社員の経費枠が伸縮する社内通貨Willを組み込んだ。本業の外へ出ない規律を社員の行動に埋め込んだ結果、2008年のリーマン・ショックでも最終赤字を免れた
Q なぜ生成AI需要を前に海外移転せず国内へ増産投資を集めるのか
A 顧客の半導体メーカーは最先端品を量産する際、加工に最も深い知見を持つ供給者を選ぶ。ディスコは「切る・削る・磨く」に技術を絞り込み、この領域の解決力で世界シェアを得てきたため、生産を分散させるより国内に集約して技術を磨くほうが優位を保ちやすい。関家一馬社長は大田・広島・長野の国内3拠点に生産を集めたまま、生成AI向け後工程の需要増を見込み、2024年の羽田R&Dセンター新棟建替や2025年の約500億円の研究開発用不動産取得など過去最大規模の投資を国内へ向けている。

1937年〜 砲弾研磨から万年筆・ウエハー切断への転換

  1. 1937年関家三男が広島県呉で第一製砥所を個人創業
  2. 1940年有限会社第一製砥所に組織変更
  3. 1953年積算電力計磁石向け切断砥石を開発
  4. 1958年有限会社第一製砥所を株式会社に改組
  5. 1965年万年筆ペン先向け0.14mmレジノイド砥石を独自開発
  6. 1968年半導体製造向け切断砥石の開発を開始
  7. 1969年米国にDISCO ABRASIVE SYSTEMSを設立

ディスコの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

呉の軍需下請けから「切断砥石」への転換

1937年5月、広島県呉の海軍工廠で働いていた関家三男が独立し、工業用砥石を製造販売する個人商会「第一製砥所」を創業した。広島県呉は海軍の軍港として軍需工場が集積しており、主な仕事は海軍向けの砲弾を磨くための工業砥石の生産だった。関家三男自身は技術者ではなく、職人を雇って工場を運営する経営者型の創業者だったと伝えられている。後発参入で受注には苦労したとされ、終戦までは中小の下請け事業者として運営されていた。戦時経済下で軍需に支えられた小規模事業者は全国に数多く存在したが、戦後までこの事業形態が続いた点に、関家三男の経営者としての粘り強さが表れている。呉の軍需集積地帯で始まった砥石屋という出発点は、後年の半導体装置メーカーとしての姿からは想像しにくい佇まいであった。 [1][2][3]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1937年5月 関家三男が広島県呉で第一製砥所(個人営業)を創業
    • [2]創業目的は工業用砥石の製造販売(軍需向け砲弾研磨用)
    • [3]創業者は関家三男(一族・関家氏)

戦後、第一製砥所は積算電力計の内部に使う磁石の「切断砥石」生産に方針を変えた。従来の「磨く」砥石から「切断する」砥石へ、用途を1歩ずらした領域転換だった。1.2mm間隔で磁石を切断する技術を確立し、この分野で国内シェア100%を握った。1958年11月に有限会社から株式会社へ改組、本社を東京都港区芝に移し、軍需下請けから精密切断砥石メーカーへ業態を切り替えた。創業から約20年を経て、戦後の産業再編の中で得た「切断砥石」という足場が、次の半導体時代の技術的な前身となった。軍需向け砥石という出発点から民需の精密切断領域へ主力を移した過程で培われた極薄切削のノウハウは、後にディスコが手がける精密装置群の設計思想にも受け継がれた。 [4][5]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]積算電力計磁石向けに1.2mm間隔の切断砥石技術を確立
    • [5]1958年11月 有限会社第一製砥所を株式会社(第一製砥所)に改組
  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1937年5月 関家三男が広島県呉で第一製砥所(個人営業)を創業
    • [2]創業目的は工業用砥石の製造販売(軍需向け砲弾研磨用)
    • [3]創業者は関家三男(一族・関家氏)
    • [4]積算電力計磁石向けに1.2mm間隔の切断砥石技術を確立
    • [5]1958年11月 有限会社第一製砥所を株式会社(第一製砥所)に改組

万年筆と半導体 ── 2つの注文が運命を決めた

1965年、パイロット社からペン先の溝を切る精密砥石を作ってほしいという依頼が来る。共同開発や開発費援助の申し出もあったが、関家憲一は自社単独での開発を選んだ。「当時、共同開発とか開発費援助のお話も、いろいろなメーカーからあったらしいのですが、それはお断りして、当社独自で開発しました」(関家憲一 商工ジャーナル 1995/06)。0.14mm(140ミクロン)という当時としては極薄のレジノイド砥石を独自完成させ、ペン先加工で国内市場をほぼ独占となる。ボールペンが普及するまでの十数年間、この事業がディスコの収益を支える柱となった。共同開発を断った判断は、技術を外部に渡さず内製で磨き続けるという、以後の同社の開発文化を示す場面でもある。 [6][7]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [6]1965年 パイロット社の依頼でペン先の溝を切る精密砥石を開発(共同開発・開発費援助を断り自社単独開発)
    • [7]0.14mm(140ミクロン)の極薄レジノイド砥石を独自開発

1968年、同社は半導体製造向け切断砥石の開発を開始する。シリコンウエハーを切断するための極薄砥石だった。1969年12月には米国にDISCO ABRASIVE SYSTEMS社を設立し、半導体メーカーが集積するシリコンバレー近傍に直販拠点を置く動きを取った。1970年9月には精密切断装置を開発・販売開始、1975年2月には半導体用ダイシングソーの販売を開始した。砥石メーカーから、砥石を搭載した精密装置メーカーへの業態転換である。1965年の万年筆向け砥石は「精密」の実績を作り、1968年からの半導体向け切断砥石は「スケール」の入口になった。2つの注文が、ディスコを別々の次元に押し上げた形である。1937年の砲弾研磨から約30年を経て、軍需・民需・ハイテクという3つの領域を縦断した経営転換が完成に近づいた。 [8][9][10][11]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1968年 半導体製造向け切断砥石(シリコンウエハー切断)の開発を開始
    • [9]1969年12月 米国に DISCO ABRASIVE SYSTEMS, INC.(現DISCO HI-TEC AMERICA)を設立
    • [10]1970年9月 精密切断装置を開発・販売開始
    • [11]1975年2月 半導体用ダイシングソーを開発・販売開始(精密ダイヤモンド工具へ進出)

米国拠点の設立は、関家憲一の回想では平坦な前進ではなかった。同氏は、ジャパックスの米国販売会社と組んでシリコン切断用の合弁会社をサンフランシスコ郊外に設けたものの、砥石を活かせる切断装置が存在せず撤退したと語っている。「ところがその砥石を活かせる切断用の機械がなくて、結局、撤退ということになりました」「結論から先にいいますと、ディスコは、その三つを一社でやらなければいけない羽目になったのです。で、これが強みになった」(関家憲一 商工ジャーナル 1995/06)。砥石(アブレイシブ)・装置(メカトロニクス)・応用(アプリケーション)の3つを1社で担う体制へ進んだ経験が、砥石メーカーから精密装置メーカーへの転換を決定づけたという認識であり、社名ロゴの3本線はこの三位一体を示すと同氏は説明する。米国で砥石だけを売る試みがつまずいたことが、自前の切断装置の開発へ同社を向かわせた。 [12][13]

  • 商工ジャーナル(1995年6月)
    • [12]関家憲一は1969年の米国合弁(シリコン切断用・ジャパックス米国販社と)が切断装置の不在で撤退したと回想
    • [13]砥石・装置・応用の三位一体を社名ロゴの3本線が示すという関家憲一の説明
  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [6]1965年 パイロット社の依頼でペン先の溝を切る精密砥石を開発(共同開発・開発費援助を断り自社単独開発)
    • [7]0.14mm(140ミクロン)の極薄レジノイド砥石を独自開発
    • [8]1968年 半導体製造向け切断砥石(シリコンウエハー切断)の開発を開始
    • [9]1969年12月 米国に DISCO ABRASIVE SYSTEMS, INC.(現DISCO HI-TEC AMERICA)を設立
    • [10]1970年9月 精密切断装置を開発・販売開始
    • [11]1975年2月 半導体用ダイシングソーを開発・販売開始(精密ダイヤモンド工具へ進出)
  • 商工ジャーナル(1995年6月)
    • [12]関家憲一は1969年の米国合弁(シリコン切断用・ジャパックス米国販社と)が切断装置の不在で撤退したと回想
    • [13]砥石・装置・応用の三位一体を社名ロゴの3本線が示すという関家憲一の説明

「ディスコ」への商号変更と米欧アジア同時展開

1977年4月、同社は商号を「株式会社ディスコ」に変更した。「第一製砥所」という砥石屋の名前から、半導体装置メーカーとしてのブランドに切り替える節目である。ディシング(切断)とディスク(砥石)を連想させる社名で、事業の実態と顧客層に合わせた改称だった。1979年2月にはシンガポール駐在員事務所を開設し、同年9月にはHelmut Seier氏との共同出資でスイスにDISCO SEIER AGを設立する。米国・東南アジア・欧州の3地域に販売網を同時に張る体制が1970年代末には整った構図である。半導体産業そのものが日米欧で同時並行に立ち上がっていた時期であり、直販拠点を各地域に置くことで、主要顧客との距離をできるだけ短く保つ戦略が打ち出された。稼働後の微調整や消耗品供給が収益を支える構造のなかで、近接した直販網が収益を直接支えた。 [14][15][16]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1977年4月 商号を「株式会社ディスコ」に変更
    • [15]1979年2月 シンガポール駐在員事務所を開設(東南アジア販売拠点)
    • [16]1979年9月 Helmut Seier氏との共同出資でスイスにDISCO SEIER AGを設立(欧州販売拠点)

1980年1月、ディスコは精密平面研削装置を開発・販売開始する。「切る」に加えて「削る」工程も自社装置でカバーする体制の第一歩である。同じ1980年、ダイシングソーの世界シェアは約60%に達していた。テキサス・インスツルメンツ、モトローラ、フェアチャイルドといった当時の米半導体大手が主要顧客として名を連ねていた時期である。半導体前工程の中でも特にウエハー切断という工程に特化し、他社が参入しない極薄切削の技術で優位を築いていく構造は、ほぼ固まっている。ウエハー切断という地味な工程を専業メーカーが深く掘り下げることで、大手装置メーカーが手を出しにくいポジションを得た構図である。1968年の切断砥石開発から約12年、ディスコは世界トップのダイシングソーメーカーへ成長した。 [17][18][19]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1980年1月 精密平面研削装置を開発・販売開始
    • [18]1980年時点でダイシングソーの世界シェア約60%(主要顧客はTI・モトローラ・フェアチャイルド等)
    • [19]主要顧客にテキサス・インスツルメンツ、モトローラ、フェアチャイルドが含まれた
  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1977年4月 商号を「株式会社ディスコ」に変更
    • [15]1979年2月 シンガポール駐在員事務所を開設(東南アジア販売拠点)
    • [16]1979年9月 Helmut Seier氏との共同出資でスイスにDISCO SEIER AGを設立(欧州販売拠点)
    • [17]1980年1月 精密平面研削装置を開発・販売開始
    • [18]1980年時点でダイシングソーの世界シェア約60%(主要顧客はTI・モトローラ・フェアチャイルド等)
    • [19]主要顧客にテキサス・インスツルメンツ、モトローラ、フェアチャイルドが含まれた

1980年〜 拡散炉の失敗と経営理念体系化

  1. 1980年精密平面研削装置を開発・販売開始
  2. 1980年ダイシングソー世界シェア約60%を確立
  3. 1982年独にDISCO DEUTSCHLAND GmbHを設立
  4. 1983年株式会社ディスコ技研(後のディスコエンジニアリングサービス)を設立
  5. 1984年創業者・関家三男が社長退任、関家憲一が第2代社長に就任
  6. 1989年日本証券業協会の店頭売買銘柄として株式公開
  7. 2007年台湾販売拠点としてDISCO HI-TEC TAIWANを設立

ディスコの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

同族経営の第2世代と世界シェア60%

1984年、創業者の関家三男が社長を退任し、息子の関家憲一が第2代社長、関家臣二が代表取締役副社長に就任した。創業から47年、創業家の第2世代への経営移行である。関家憲一体制は、1983年12月に本社を東京都大田区に移転して隣接地に研究開発拠点を新設するなど、開発力の強化に本腰を入れた時期として記憶されている。1984年3月には産業用ダイヤモンド工具事業へ進出し、砥石・ダイヤモンド工具・精密装置を垂直統合で扱う体制を整える。同族経営の第2世代への移行と同時に、開発機能の強化と製品ラインナップ拡充をしたこの時期は、1980年代後半に向けた成長の助走期間となった。1965年のパイロット向け砥石で自社開発を選んだ第2代社長のスタイルが、R&D投資重視として引き継がれた。 [20][21][22]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1984年(1月)創業者・関家三男が社長退任、関家憲一が第2代社長に就任(関家臣二が代表取締役副社長)
    • [21]1983年12月 本社を東京都大田区に移転し隣接地に研究開発拠点(本社工場)を新設
    • [22]1984年3月 産業用ダイヤモンド工具事業へ進出

1982年3月に独DISCO DEUTSCHLAND GmbH設立、1989年10月に日本証券業協会の店頭売買銘柄として株式公開を実施する。1980年代のディスコは世界の半導体前工程装置でニッチトップを占めつつ、資本市場にも登場した時期である。ダイシングソーといえばディスコというブランドが業界内で定着し、同族経営・非上場の中小メーカーというイメージから、専業半導体装置メーカーとして外部からも認知される段階に移行した。欧州現地法人設立と店頭公開を合わせて実施したことで、資金調達・人材確保・顧客対応の3面で経営基盤を拡充する局面となり、後の多角化と事業集中という振れ幅を生む経営環境が整えられた。資本市場での情報開示義務が課されたことは、後のDisco Values制定に向けた経営規律の面でも布石となった。 [23][24]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1982年3月 独 DISCO DEUTSCHLAND GmbH(現DISCO HI-TEC EUROPE GmbH)を設立
    • [24]1989年10月 日本証券業協会の店頭売買銘柄として株式を公開
  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1984年(1月)創業者・関家三男が社長退任、関家憲一が第2代社長に就任(関家臣二が代表取締役副社長)
    • [21]1983年12月 本社を東京都大田区に移転し隣接地に研究開発拠点(本社工場)を新設
    • [22]1984年3月 産業用ダイヤモンド工具事業へ進出
    • [23]1982年3月 独 DISCO DEUTSCHLAND GmbH(現DISCO HI-TEC EUROPE GmbH)を設立
    • [24]1989年10月 日本証券業協会の店頭売買銘柄として株式を公開

拡散炉の50億円 ── 多角化の失敗が残したもの

1992年、ディスコは新規事業として進めていた「半導体拡散炉」から撤退し、50億円の損失を確定した。拡散炉は半導体ウエハーに不純物を拡散させる熱処理装置であり、ダイシングソーとは工程も顧客構成も異なる領域である。半導体需要の低迷と重なってディスコは最終赤字に転落し、賃金カット・残業規制・早期退職制度の導入という創業以来初の本格的な経費削減策に踏み込んだ。「切る・削る・磨く」という同社の中核技術とは異なる領域に広げたことが、需要悪化時に重い固定費として跳ね返った形である。創業以来55年、初めて本業の周辺に出て損失を抱えた経験は、以後の同社経営思想を決定づける転機となり、後に関家一馬が繰り返し引用する経営教訓の源泉ともなった。 [25]

  • 商工ジャーナル(1995年6月)
    • [25]1992年 半導体拡散炉事業から撤退、50億円の損失を確定(半導体需要低迷と重なり最終赤字転落)

この失敗が、ディスコの経営思想を決定的に変えた。1997年、同社は「Disco Values」を制定する。事業領域を「切る・削る・磨く」の3つに限定し、それ以外の新規事業への投資を停止するという経営憲法である。同時に、社内通貨「Will」制度を導入し、経常利益に応じて社員が使える経費の枠を変動させる仕組みを組み込んだ。利益が出れば各部門・各社員の経費権限が拡大し、利益が縮めば権限も縮む構造である。1992年の拡散炉撤退で学んだ、本業以外に広げた固定費が会社を追い詰めるという教訓を、社員一人一人のインセンティブに直接埋め込む装置として設計された仕組みだった。事業領域の制約と金銭的インセンティブを組み合わせ、経営の方向性と社員の行動原理を同期させることを目指した。

Disco Valuesは一度に固まったものではない。関家憲一は、急成長の過程で経営幹部の価値観がばらばらになり、幹部間に意識のずれが生じていたと振り返り、1996年から外部の研究機関の助言を得て経営トップと若手幹部10人程度のチームで価値観を一から議論し直したと語っている。その成果を行動規範としてカードにまとめ社員へ配ったのが1997年、さらに議論を重ねて2002年7月には「経営全般」「創る」「金」「売る」など11テーマ・全203項目の指針へ広げた。狙いは組織の体質づくりにあった。「土壌が豊かであれば、きれいな花が咲き良い果実がたくさん実ります。企業経営の土壌である企業文化、すなわち『組織経営』にもっと力を注ぐべきです」(関家憲一 日経ビジネス 2003/07/07)。拡散炉の撤退で問われた「どんな事業をなすべきか」という判断基準の欠落を、価値観の明文化で埋める試みだった。 [26][27][28]

  • 日経ビジネス(2003年7月7日号)
    • [26]1996年から外部研究機関の助言で経営トップと若手幹部10人程度のチームが価値観を議論、1997年に行動規範をカード配布
    • [27]2002年7月に「経営全般」「創る」「金」「売る」など11テーマ・全203項目の指針へ拡張
    • [28]事業の量的拡大より組織文化(組織経営)を重んじる思想(関家憲一の発言)
  • 商工ジャーナル(1995年6月)
    • [25]1992年 半導体拡散炉事業から撤退、50億円の損失を確定(半導体需要低迷と重なり最終赤字転落)
  • 日経ビジネス(2003年7月7日号)
    • [26]1996年から外部研究機関の助言で経営トップと若手幹部10人程度のチームが価値観を議論、1997年に行動規範をカード配布
    • [27]2002年7月に「経営全般」「創る」「金」「売る」など11テーマ・全203項目の指針へ拡張
    • [28]事業の量的拡大より組織文化(組織経営)を重んじる思想(関家憲一の発言)

東証一部上場と2000年代の製品刷新

1999年12月、ディスコは東京証券取引所市場第一部に株式を上場する。1989年の店頭公開から10年での一部昇格だった。2002年8月には精密切断装置「レーザソー」を開発・販売開始し、砥石式ダイシングソーの次世代としてレーザー切断へ対応した。2003年11月には全自動グラインダ/ポリッシャ装置を開発・販売開始し、「磨く」工程の自動化装置を揃える。1997年の「切る・削る・磨く」に絞った宣言を、装置ラインナップとして具現化していく期間だった。拡散炉撤退の教訓を経営憲法に組み込んだ時期から約5年、事業領域を制約しながら、その内部では製品深化が進んでいたことを示す動きだった。レーザー切断と全自動化という2つの軸は、同社製品群の中心を占める重要な技術基盤となる。 [29][30][31]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]1999年12月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
    • [30]2002年8月 精密切断装置「レーザソー」を開発・販売開始
    • [31]2003年11月 全自動グラインダ/ポリッシャ装置を開発・販売開始

2004年11月には本社・R&Dセンターを東京都大田区大森北に新設・移転した。FY05(2006年3月期)の売上は689億円、営業利益139億円(営業利益率20.2%)と、中堅半導体装置メーカーとして安定した収益構造を示していた。1992年の赤字転落から約15年、1997年のDisco Values制定から約10年を経て、事業集中と社内通貨の組み合わせが実際の業績に反映され始める時期である。2007年3月期には売上862億円、営業利益195億円と規模拡大も続き、次の成長段階への助走となった。リーマン・ショック前夜の好調な半導体装置市場のなかで、ディスコはすでに20%超の営業利益率を実現する状態にあり、後の40%台という収益水準への伏線は、この時期から描かれ始めていた。事業集中とWill制度の組み合わせが、市況拡大期にはスケールメリットとして働く構造がここで確認できる。 [32]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]2004年11月 本社・R&Dセンターを東京都大田区大森北に新設・移転
  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]1999年12月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
    • [30]2002年8月 精密切断装置「レーザソー」を開発・販売開始
    • [31]2003年11月 全自動グラインダ/ポリッシャ装置を開発・販売開始
    • [32]2004年11月 本社・R&Dセンターを東京都大田区大森北に新設・移転

2008年〜 リーマン・ショック後の自律経営と生成AI時代への助走

  1. 2008年関家一馬が第3代社長(実質)に就任
  2. 2010年長野県茅野市に茅野工場A棟を建設
  3. 2010年ダイシングソー世界シェア約70%まで拡大
  4. 2010年広島事業所の桑畑工場A棟を建設
  5. 2012年本社・広島事業所でISO22301(事業継続マネジメント)取得
  6. 2018年長野事業所を開設
  7. 2022年羽田R&Dセンターを開設

ディスコの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

関家一馬の登場とリーマン・ショック直撃

2008年、関家憲一から関家一馬へ社長がバトンタッチされた。第3代の同族経営者である。就任直後のFY08(2009年3月期)、世界金融危機で半導体装置業界は需要蒸発に直面し、ディスコの売上は前年の916億円から531億円へ約42%減、営業利益は0.8億円まで縮んだ。しかし最終赤字には陥らず、1997年のDisco Values以来の固定費コントロールが危機局面で働いた形である。1992年の拡散炉撤退による赤字転落と比べると、同じ外部ショックでも会社の反応が明らかに変わっていたことを、この決算数字が示している。社内通貨Will制度の下で、利益が縮めば経費権限も自動的に縮むという仕組みが働き、現場が自発的にコスト抑制へ動く体制が動いた結果と言える。拡散炉の失敗から得た経営教訓を制度に落とし込んだ効果が、ここで目に見える形で現れた。 [33]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [33]2008年(6月・実質)関家憲一から関家一馬へ社長交代(第3代の同族経営者)

FY09(2010年3月期)には売上617億円・営業利益46億円に回復し、FY10には売上997億円・営業利益159億円と早期に成長軌道に戻った。関家一馬の基本方針は明快で、市場の動きに出荷を合わせる柔軟性を備えつつ、営業利益率を引き上げて財務的バッファーを持つ経営に注力してきたと後年に語っている。半導体市況の振れ幅が大きいことを前提に、出荷のフレキシビリティと高営業利益率の両立を経営の設計思想として掲げた格好である。固定設備型の半導体装置メーカーにとって、受注変動を吸収する柔軟性と高営業利益率を両立する発想は当時としては珍しく、Will制度と事業集中の組み合わせがその基盤として働いた。設計思想を明示した関家一馬のスタンスは、同社の次の10年を決める出発点ともなった。

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [33]2008年(6月・実質)関家憲一から関家一馬へ社長交代(第3代の同族経営者)

世界シェア70%と国内生産拠点の拡充

2010年頃、ダイシングソーの世界シェアは約70%まで拡大した。1980年代の60%からの漸増である。台湾TSMC、韓国サムスン電子、中国半導体各社へと半導体生産の重心が移る中、ディスコはアジア顧客への対応で地歩を固めた。2010年6月に長野県茅野市に茅野工場A棟、2012年1月に広島事業所の呉工場C棟、2015年1月に桑畑工場A棟Bゾーンと、国内生産拠点の増築が続いた。海外に生産を移さず、国内の主力3拠点(大田区本社・広島事業所・茅野工場)で生産する体制を維持した点も同社の特徴である。地政学リスクと品質管理の両面から国内生産に拘る選択は、グローバル展開を進める競合他社と対照的で、創業地である呉から派生した広島事業所を今も生産の一翼として維持する点に、同社の歴史的な連続性が表れている。 [34][35][36]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2010年頃 ダイシングソーの世界シェア約70%まで拡大(1980年代の約60%からの漸増)
    • [35]2010年6月 茅野工場A棟(長野県茅野市)建設
    • [36]2012年1月 広島事業所の呉工場C棟建設、2015年1月 桑畑工場A棟Bゾーン建設

2018年4月には長野事業所を新たに開設し、茅野工場を包含する広域拠点として再編した。2019年1月・2021年1月・2021年8月と、広島と長野の両事業所で棟を追加する動きが順次続く。FY17(2018年3月期)の売上は1,674億円・営業利益510億円・純利益372億円で、当時の過去最高益を更新した水準である。FY20(2021年3月期)には売上1,829億円・営業利益531億円・純利益391億円に達する。リーマン・ショックのFY08からちょうど10年強で、売上は3倍超、営業利益は約70倍(1992年赤字時との比較ではさらに大きい)に拡大した計算となった。1997年のDisco Valuesで決めた事業集中と、関家一馬の下で強化された柔軟性路線が、半導体前工程向けダイシングソー・グラインダ市場の拡大を全面的に取り込んだ成果として業績に現れた時期である。事業集中と国内生産を維持しながら成長を描くモデルが、ここで確立された。 [37][38]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2018年4月 長野事業所を開設(茅野工場を包含する広域拠点として再編)
    • [38]2019年1月(桑畑A棟Cゾーン)・2021年1月(茅野B棟)・2021年8月(桑畑A棟Dゾーン)に棟を追加
  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2010年頃 ダイシングソーの世界シェア約70%まで拡大(1980年代の約60%からの漸増)
    • [35]2010年6月 茅野工場A棟(長野県茅野市)建設
    • [36]2012年1月 広島事業所の呉工場C棟建設、2015年1月 桑畑工場A棟Bゾーン建設
    • [37]2018年4月 長野事業所を開設(茅野工場を包含する広域拠点として再編)
    • [38]2019年1月(桑畑A棟Cゾーン)・2021年1月(茅野B棟)・2021年8月(桑畑A棟Dゾーン)に棟を追加

羽田R&Dとプライム市場 ── 生成AI前夜の助走

2022年3月、ディスコは羽田R&Dセンターを開設した。首都圏でのR&D機能を本社・大田区以外にも確保する動きである。同年4月に東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場に移行し、同時にFY21(2022年3月期)は売上2,537億円・営業利益915億円・純利益662億円を記録した。営業利益率は36.1%に達しており、1997年のDisco Values制定時には想像もできなかった収益性に到達している。事業領域を「切る・削る・磨く」に絞る経営憲法が、25年後に歴史的な収益水準を生んだ結果である。拡散炉の失敗から学んだ「制約を自ら課す」経営設計が、四半世紀後に半導体業界の構造変化を受けて初めて具現化された時期と言える。プライム市場への移行は同時にガバナンス面での対外的な節目ともなった。 [39][40]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]2022年3月 羽田R&Dセンターを開設
    • [40]2022年4月 東証の市場区分見直しにより第一部からプライム市場へ移行

このディスコは半導体前工程ニッチトップ・高収益構造・国内集中生産という3点セットで知られていた。関家一馬は独特の社内経営思想を明示的に語るようになり、テレビ東京「カンブリア宮殿」(2012年3月)以降の複数メディアでWill制度・自律経営が取り上げられる機会が増えた。ユニークな組織運営は外部から観察されるほどになり、1997年のDisco Values制定以来の経営実験が、外部の評価を得る段階まで成熟していた。生成AIブームという外部環境の追い風を受け止める準備が、内部体制の面でも整っていた時期である。1937年の創業から85年を経たディスコは、歴史上最も好調な市場環境へ進入する直前の局面にあった。砥石屋から世界の半導体前工程装置ニッチトップへと辿り着いた変遷の、さらに次の段階が始まろうとしていた。 [41][42]

  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [41]1937年の創業から2022年で85年(砥石屋から半導体前工程装置ニッチトップへ)
    • [42]関家一馬がWill制度・自律経営を語り、テレビ東京「カンブリア宮殿」(2012年3月)以降に複数メディアで取り上げられた
  • ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]2022年3月 羽田R&Dセンターを開設
    • [40]2022年4月 東証の市場区分見直しにより第一部からプライム市場へ移行
    • [41]1937年の創業から2022年で85年(砥石屋から半導体前工程装置ニッチトップへ)
    • [42]関家一馬がWill制度・自律経営を語り、テレビ東京「カンブリア宮殿」(2012年3月)以降に複数メディアで取り上げられた

ディスコの沿革1937〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
関家三男が広島県呉で第一製砥所を個人創業★★★
有限会社第一製砥所に組織変更★★
積算電力計磁石向け切断砥石を開発★★
有限会社第一製砥所を株式会社に改組★★
万年筆ペン先向け0.14mmレジノイド砥石を独自開発★★
半導体製造向け切断砥石の開発を開始★★
米国にDISCO ABRASIVE SYSTEMSを設立★★★
精密切断装置を開発・販売開始★★
半導体用ダイシングソーを開発・販売開始★★
商号を株式会社ディスコに変更★★
シンガポール駐在員事務所を開設★★
スイスにDISCO SEIER AGを共同出資で設立★★
精密平面研削装置を開発・販売開始★★
ダイシングソー世界シェア約60%を確立★★
独にDISCO DEUTSCHLAND GmbHを設立★★
株式会社ディスコ技研(後のディスコエンジニアリングサービス)を設立★★
本社を東京都大田区に移転★★
創業者・関家三男が社長退任、関家憲一が第2代社長に就任★★★
産業用ダイヤモンド工具事業へ進出★★
日本証券業協会の店頭売買銘柄として株式公開★★★
DISCO HI-TEC EUROPE GmbHを100%子会社化、欧州本社をスイスから独に移転★★
半導体拡散炉事業から撤退、50億円の損失を確定★★
賃金カット・残業規制・早期退職制度を導入★★
精密ダイヤ製造部門でISO9002を取得
PS事業部でISO9001を取得
中国サービス拠点として上海駐在員事務所を開設★★
「Disco Values」を制定★★
広島事業所(呉・桑畑)でISO14001を取得
東京証券取引所市場第一部に上場
溝呂木斉精密切断装置としてレーザソーを開発・販売★★
溝呂木斉全自動グラインダ/ポリッシャ装置を開発・販売★★
溝呂木斉本社・R&Dセンターを東京都大田区大森北に新設・移転
溝呂木斉ディスコエンジニアリングサービスを吸収合併★★
溝呂木斉株式会社ダイイチコンポーネンツを設立
溝呂木斉台湾販売拠点としてDISCO HI-TEC TAIWANを設立★★★
関家一馬関家一馬が第3代社長(実質)に就任★★
関家一馬広島事業所の桑畑工場A棟を建設
関家一馬ダイシングソー世界シェア約70%まで拡大★★
関家一馬長野県茅野市に茅野工場A棟を建設★★
関家一馬本社・広島事業所でISO22301(事業継続マネジメント)取得★★
関家一馬DISCO HI-TEC Singapore One-Stop Solution Centerを建設
関家一馬長野事業所を開設★★
関家一馬羽田R&Dセンターを開設★★
関家一馬東証プライム市場へ移行
関家一馬羽田R&Dセンター新棟の建替を決定★★
関家一馬研究開発用不動産を約500億円で取得★★
関家一馬広島事業所に新工場の建築を決定★★
出典・参考

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