1959年に富士機械製造として愛知県内で創業。得意とする単能機では1960年代に国内シェア65%確保し、主にトヨタ向けの工作機械メーカーとして成長した。だが、オイルショックを契機に業績が悪化。新規事業に注力し、1978年には電子部品実装用のチップマウンター事業に参入。当初は苦戦したが、米国市場を中心に実績を積み、1998年には世界シェア30%を達成した。以降、NXTシリーズなどの主力製品でグローバル企業と取引を拡大し、電子部品実装分野で地位を確立。2000年代以降は中国など海外展開も強化し、2018年には社名をFUJIに変更。近年は半導体製造装置の買収や新工場建設を進め、2024年には中期経営計画を策定し、グロースを志向中。
FUJIがチップマウンター市場で高いシェアを維持できた背景には、徹底した顧客密着とニッチ市場の深掘りがある。もともと国内では松下電器が優位だったが、FUJIは海外輸出を志向。装置の性能だけでなく、現場の課題や使いやすさに寄り添うことで、信頼を獲得した。特に1980年代の画像認識や高速装着など、顧客の声を反映した独自技術の積み重ねが差別化に繋がった。また、標準化された量産品ではなく、柔軟なカスタマイズに対応できる設計思想が、顧客から支持された。この結果、主要顧客から継続受注を受け、チップマウンターでシェアを確保するに至った。
FUJI(旧・富士機械製造)の創業者は坂上守氏であり、単能機などの工作機械の開発に従事して上場に導いたものの、1960年代の経営危機により銀行管理下に置かれた。その後、1980年代以降のチップマウンターでの業容拡大を主導したのが、当時、貿易部長であった小原正雄氏(2004年に社長就任)である。小原氏はチップマウンターで海外市場の開拓を従事し、グローバルな輸出企業としてFUJIの業態転換を主導した。
FUJIの本社・主力工場がある愛知県知立市は、西三河地区であり、トヨタ自動車のお膝元に位置する。創業当初、FUJI(旧・富士機械製造)は単能機やNC旋盤などの工作機械を主力とし、自動車部品加工向けに製品を供給していた。知立市を拠点とする体制は、トヨタ系サプライヤーとの取引が深かった時代の名残であり、その後の実装機事業への転換後も、本社として維持されている。
富士機械製造株式会社を設立
名古屋市中川区昭和橋通りにて設立。創業当初は旋盤の製造に従事し、主にベアリング向けの単能機の開発に注力した。単能機は、通常の自動旋盤よりも扱いやすく、生産効率を高めるため、生産現場で重宝された。
知立市に工場新設
1961年3月に愛知県知立市に工場を新設し、同年6月に本社機構を名古屋市内から移転。
単能機で国内シェア1位
1964年時点で富士機械製造は工作機械のうち、単能機の市場において、国内シェアトップ(65%)を確保した。
名古屋証券取引所第2部に株式上場
豊田事業所を新設(旧藤岡工場)
海外に販売現地法人を設立
自動組立機を開発
1973年のオイルショックによって設備投資が低迷すると、工作機械メーカーであった富士機械製造も打撃を受けた。そこで、富士機械製造は、自動車業界に依存しない経営体質をつくるために新規事業への投資を開始した。
チップマウンターに新規参入
手作業による電子部品の実装が当たり前だった中、富士機械製造はチップマウンターの開発に成功。1981年には自動装着機の実用化にも成功する。ただし、大手半導体メーカーがチップマウンターを内製化していることが多く、富士機械製造のチップマウンターは販売当初から順調に売れたわけではなかった。そこで、日本国内ではなく、米国の半導体企業向けにチップマウンターを売り出すことで活路を見出す。
岡崎工場を新設
生産体制の変更
工作機械の生産を豊田事業所に集約し、本社工場はチップマウンターの生産に注力
チップマウンターで世界シェア30%を確保
1998年時点で富士機械製造の取引先は、モトローラ、インテル、ノキア、コンパックなど、世界的な半導体メーカーを抱えていた。
モジュール型高速多機能装着機NXTを開発
中国に現地法人を設立
商号を株式会社FUJIに変更
会社設立60周年を受けて、グローバル展開を明確化するために社名変更を決定。2018年4月に富士機械製造からFUJIに商号を変更した。
今回の「株式会社FUJI」への社名変更は、創業 60 周年の節目に重なると同時に、社名とブランド名の統一を通して、グローバルブランドFUJIのさらなる成長に繋げたいと考えています。コーポレートメッセージ「innovative spirit」の下、革新的な技術と価値の創造へ挑戦する姿勢を大切にし、FUJIは新たな決意と共に生まれ変わっていきます。なお、同日付けにて、一部拠点の名称を変更します