ディスコの歴史

創業年
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上場年
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従業員数
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単体2745名
平均年齢
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単体2745名
平均年収
-万円
単体2745名
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関家三男(ディスコ創業者)
【経歴】八人兄弟姉妹の三男として生まれる。1937年第一製砥所(現ディスコ)を創業し、兄弟と共に事業経営に専念。1985年にディスコ代表取締役社長を退任。1989年逝去。【功績】「削る・磨く・切る」技術を追求し、万年筆向け砥石、半導体向けの砥石および切断装置を開発し、現座のディスコの主力事業を作りあげた。
  • 歴史
  • 沿革
  • 業績
1937年

広島県呉市にて「第一製砥所」を個人創業

広島県呉の海軍工廠に勤務していた関家三男が、地元広島県で工業用砥石の生産を開始。広島県には呉を中心に軍需工場が集積していたため、主に海軍向けの砥石生産に従事したものの、後発参入だったため受注に苦戦したと言われている。

1956年

万年筆向けレジノイド砥石を開発

大手万年筆メーカーの依頼を受けて、0.14mmのレジノイド砥石を開発。この結果、万年筆向けで業容を拡大する

1975年

半導体向けダイシングソー「DAD-2H」を開発

半導体生産の前工程ではシリコンウエハーを切断する工程が存在しており、当時はレーザーで焼き切る方式が主流であった。これに対して、ディスコは万年筆向けの砥石の技術を生かして、シリコンウエハーを切断する技術を開発。レーザーが熱によって半導体を傷つけやすいという問題を克服し、ディスコとの砥石による切断方式がデファクトスタンダードとなる。そして、ディスコは切断機械(装置)と砥石(消耗品)を手掛けることで、高収益を確保するビジネスモデルを確立する。

1977年

商号を「株式会社ディスコ」に変更

1980年

ダイシングソー世界シェア60%

1970年代を通じてIC(集積回路)が普及し、シリコンウエハーを切断する「半導体切断機」の需要が増加。ディスコはダイシングソーを、TI(テキサスインスツルメンツ)、モトローラ、フェアチャイルドなどの世界的な半導体メーカーへの納入に成功する。

1983年

本社を東京都大田区に移転

1985年

創業者・関家三男が社長退任

ディスコの創業者である関家三男が社長を退任。後任に関家憲一が代表取締役社長、関家臣二が代表取締役副社長に就任し、同族経営を継続した。

1989年

株式を店頭公開

1992年

赤字転落により賃金カットの実施

新規事業として推し進めていた「半導体拡散炉」から撤退し、50億円の損失を確定。加えて、半導体向けの需要が低迷したことから、ディスコは最終赤字に転落した。この結果、賃金カット、残業規制、早期退職制度の導入など、経費節減の施策を打ち出すなど苦しい状況に置かれた。

1997年

Disco Valuesの制定

ディスコは社内における意思統一と、事業への投資領域を明確化するために「ディスコバリューズ」を制定。事業領域を「切る・削る・磨く」という分野に絞ることを決め、それ以外の新規事業への投資をストップした。加えて、経常利益に応じて社員が使える経費をコントロールする制度を導入し、ディスコの社員一人一人が利益を意識する仕組みづくりに邁進する。

関谷憲一の発言(ディスコ・元会長)

「ディスコバリューズ」という企業としての行動規範にまとめ上げ、カードにして社員に配布したのが97年。その後も議論を重ね、昨年7月には運営理念について「経営全般」「創る」「金」「売る」など11のテーマで全203項目の指針を作り上げました。これは当社の宝ですよ。こんなことがなぜ重要なのかと不思議に思う人がいるかもしれませんが、組織の力を最大限に高めることが経営者に与えられた大きな課題です。これまで日本の経営者は「事業経営」に邁進し、定量的な事業拡大ばかりに目を奪われがちでした。しかし、土壌が豊かであれば、きれいな花が咲き良い果実がたくさん実ります。企業経営の土壌であり企業文化、すなわち「組織経営」にもっと力を注ぐべきです。

2003/7/7日経ビジネス「有訓無訓・関家憲一」
1999年

東京証券取引所第1部に株式上場

2010年

ダイシングソー世界シェア70%

1980年代から一貫してダイシングソーで高シェアを確保。売り上げの主力は、台湾・韓国・中国などのアジア地区であり、半導体産業の生産遷移の対応にも成功した

2018年

過去最高益を達成

半導体の需要増加により、2018年3月期に売上高1673億円、純利益371億円を計上。過去最高益を更新した

歴史
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業績