サントリーの歴史

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損益

サントリーの長期業績

1951年〜2022年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
29,701億円
売上高:2022/12
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結
4.5%
利益率:2022/12
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
1899年
鳥井信治郎氏が鳥井商店を個人創業

大阪市西区にて鳥井信治郎氏(当時21歳)が「鳥井商店」を個人創業して「ぶどう酒」の販売を開始した。鳥井信治郎氏は16歳の頃から「小西儀助商店(薬種問屋)」にて丁稚奉公をしており、洋酒・染料などを取り扱う経験を積んでおり、酒類の取り扱いには経験があった。

1907年4月
赤玉ポートワインを発売

スペインから輸入したポートワインに日本人好みの「甘味」を添加。サントリー創業期のヒット商品に育つ

証言
鳥井信治郎(サントリー創業者)

わたしは若い頃から洋酒をつくってきた。いくら良い品をつくっても、ただつくるばかりでは売れない。そこで新聞に広告することを始めたが、これは大いに効果があった。消費が減退したからといっては広告し、製品ができたからといっては広告した。まああれだけ広告してきたものだとおもおう。洋酒がここまで飲まれるようになった裏には、広告というものの果たした役割の大きさを見逃すことができない

1919年
赤玉ポートワインの樽詰工場を新設

大阪港区八条通の埋立地にて、赤玉ポートワインの樽詰専用工場(大阪工場)を新設

1921年
株式会社寿屋を設立

大阪府東区住吉町にて「寿屋(現・サントリー)」を設立し、個人事業から株式会社に転換。資本金は200万円

1922年
赤玉ポートワインの女性ポスターで賛否両論
1929年4月
サントリーウイスキー「白札」を発売
1930年5月
オラガビールを発売(商標権侵害で敗訴。1934年撤退)

神奈川県鶴見でカスケードビールを醸造する企業が経営不振により倒産。サントリーがこの醸造所を買収して「オラガビール」のブランドで発売してビール製造に参入した。

だが、すでにキリンビールなどの先発企業が関東市場でシェアを確保しており、オラガビールは販売に苦戦した。

加えて、サントリーはキリンビールとの訴訟問題に直面した。サントリーはキリンビールが使用したビール瓶をリサイクルして無断使用(オラがビールのラベルを上貼り)したため、商標権をめぐる訴訟問題に直面。サントリーはキリンに敗訴した。

このため、1934年1月にサントリーはビール事業からの撤退を決定。鶴見の醸造所東京麦酒に売却した。

1934年
道明寺工場を新設
1936年
山梨県内のぶどう園を買収
1937年10月
サントリーウイスキー「角瓶」を発売
1950

ウイスキーの販売再開

戦時中にウイスキーの販売を中止していたが、終戦後の1950年に販売統制が解除された。これを受けて、1950年にサントリーはウイスキーの販売(特級・1級・2級)を再開するとともに、新聞広告などへの積極的な広告宣伝を実施した。

終戦によって欧米の文化(バー)が日本に定着したことで、ウイスキーは嗜好品として日本でも受け入れられるようになった。また、サントリーは戦時中にウイスキーの在庫を確保したため、熟成された製品在庫が十分に存在している点が追い風となった。

商品政策の面では、1950年代を通じて、サントリーは高価格帯のウイスキーでは「オールド」、普及価格帯では「トリス」の販売による売上を拡大した。この結果、祖業である「ぶどう酒(赤玉ポートワイン)」の出荷量をウイスキーが凌駕する形となり、合成酒メーカーからウイスキー醸造に転換した。

業績
サントリー | 1951年11月期(単体)
売上高
46
億円
1951年
福岡支店を新設(以後、国内支店を新設)

ウイスキー販売のために支店を全国に新設。1950年代を通じて「福岡・札幌・名古屋・広島・仙台」に営業所または支店を設置した。

業績
サントリー | 1952年11月期(単体)
売上高
53
億円
1956年
PR誌「洋酒天国」を発刊開始

1950年代において、日本国内では「ウイスキー」は馴染みのない洋酒であったため、その普及を目的にPR誌「洋酒天国」を発刊。各地のバーに配布することでサントリーの知名度向上を図った。

業績
サントリー | 1957年11月期(単体)
売上高
130
億円
1958年
多摩川工場を新設

関東市場向けの瓶詰め工場として新設。トリス・赤玉のボトリングを開始

業績
サントリー | 1959年11月期(単体)
売上高
173
億円
1958年12月
ウイスキー売上高100億円を突破
1961年
佐治敬三氏が代表取締役社長に就任
1963年
商号を「寿屋」から「サントリー株式会社」に変更
1967年
サントリービール「純生」を発売
1969年
桂ビール工場を新設
1973年12月
ウイスキー国内シェア70%を突破

特級ウイスキー「オールド」の好調により、ウイスキーの国内シェア(生産量ベースと推定)で70%を突破した。競合のニッカウイスキーがシェアを落とす形となり、サントリーの独走が続いた。

1977年度時点で、サントリーの全社利益の大半をウイスキー事業が稼いでおり、その大半が「オールド」の販売によるものであった。このため、オールドの利益がサントリーの多角事業の展開(清涼飲料・ビール)の原資となった。

証言
『サントリーの経営』(1978)

「あまりにウイスキー依存体質、とくにオールド依存体質になっているのではないか」こういう不安が、首脳陣ばかりか、中堅社員の間からも漏れてくる。これは不安というより、むしろ強すぎる反省から来ていると言えるかもしれない。(略)

サントリーはわが国の特級ウイスキーの分野では90%近いシェアを持つが、実にその70%はオールドが占めている。サントリーの全体の売り上げで見てもオールドは44%に達し、利益の大半はオールドが稼ぎ出す。まさにサントリーはウイスキーでもち、ウイスキーはオールドで持つと言って良い。

1973年
白州蒸溜所を新設
1976年3月
決算を外部公開

サントリーは非企業であったが、1976年3月期より決算を公開。佐治敬三社長が、競争の厳しい酒類業界においては「開かれた経営」を遂行する必要があると考えたためであった。

業績
サントリー | 1976年3月期(単体)
売上高
3521
億円
経常利益
249
億円
1979年
医薬品事業部を新設(創薬に新規参入)
1981年
サントリー「ウーロン茶」を発売
1982年
利根川ビール工場を新設
1982年
サントリービールのブランド変更
1985年12月
22年ぶりの減収。ウイスキー部門が落ち込み

1980年代に日本国内では「焼酎」が社会現象を巻き起こすブームとなり、ウイスキーの需要が低迷。洋酒部門が主力であったサントリーは影響を受け、1985年12月期に22年ぶりの減益決算となった。

特に、サントリーのウイスキーの主力であった「オールド」の販売が低迷。全盛期には売上高2000億円を確保していたが、1985年頃には約半減(1000億円以下)に落ち込んだという(1986/5 Decide)。

焼酎ブームについて、サントリーの佐治敬三社長は「ダサい文化」にやられたとして、自らの失策を嘆いた。

証言

世はまさに、焼酎時代。オールドは1割5分も落ちるなど、ウイスキーの売り上げがめっきり減って、さすがのサントリー王国も揺れている。街に宣伝広告削減のウワサもあるが、無駄な広告は止めようということで、額は減らしていないとか。ウイスキー離れの背景について佐治敬三社長は「東京のダサい文化にしてやられた」と面白い指摘をしている。(略)「東京はダサいとこだと思うんです。ダサい文化が焼酎を支えている。とこどがダサい文化には、ダサい文化としての非常なエネルギーがあるわけです。ぼくは東京の文化とエネルギーの源はダ埼玉にあるとさえ思っている。我々のウイスキーが、ダ埼玉のダサいところへアピールしえていなかった」

業績
サントリー | 1986年3月期(単体)
売上高
7674
億円
経常利益
228
億円
1986年3月
ビール部門で初の黒字化?

日経新聞(1986/5/24)の報道によれば、1986年3月期決算でサントリーはビール部門の黒字化を公表。ただし、サントリーHDはビール事業の黒字化は2008年度と主張しており、真祖は不明

業績
サントリー | 1986年3月期(単体)
売上高
7674
億円
経常利益
228
億円
1987年10月
サントリーフーズで自販機10万台設置計画を公表

清涼飲料の販売拡大のために自販機販路への投資を積極化。1987年時点で6万台の自販機を、3年後までに10万台(+4万台)に増加させる計画を公表した。

サントリーによる自販機の設置は1995年までに全国22万台体制となり、清涼飲料の販路拡大を後押しした。

業績
サントリー | 1988年3月期(単体)
売上高
7799
億円
経常利益
474
億円
1988年5月
佐治敬三社長が失言。サントリー広告自粛へ

佐治社長がTBSの討論番組において遷都を議論する中で「仙台遷都などアホなこと」「東北は熊襲の産地」の旨を発言。東北を中心に視聴者の怒りを買い、サントリー製品の取り扱いを停止する飲食店も出た。このため、サントリーは謝罪文を掲載したうえで広告宣伝を一時的に自粛するなど、社長の失言によって業務上の損失を被った。(出所:1988/5とうほく財界)。

業績
サントリー | 1989年12月期(単体)
売上高
6309
億円
経常利益
113
億円
1989年
サントリーウイスキー「響」を発売
1989年
ビール「モルツ・スーパープレミアム」を発売
1990年
鳥井信一郎氏が社長就任(3代目)

創業家から鳥井信一郎氏(当時52歳)がサントリーの社長に就任。

業績
サントリー | 1990年12月期(単体)
売上高
7964
億円
経常利益
143
億円
1992年
榛名工場を新設(清涼飲料水)
1992年
「サントリー天然水」を発売
1996年
健康食品「セサミンE」を発売
1997年10月
ペプシコ社と業務提携で合意
1998年
清涼飲料「なっちゃん オレンジ」を発売
1999年
サントリー高砂工場を新設
1999年
健康食品事業部を新設
2001年
佐治信忠氏が社長就任(4代目)
2001年
リプトン社と共同事業で合意

紅茶飲料「リプトン」を国内で発売

業績
サントリー | 2001年12月期(連結)
売上高
14343
億円
経常利益
501
億円
2001年
サントリー昆山ビール工場を新設

ビールの中国現地生産を開始

業績
サントリー | 2001年12月期(連結)
売上高
14343
億円
経常利益
501
億円
2003年
ビール「ザ・プレミアム・モルツ」を発売
2003年
熊本工場を新設

ビールおよび清涼飲料の生産を開始

業績
サントリー | 2003年12月期(連結)
売上高
13198
億円
経常利益
562
億円
2004年
サントリー緑茶「伊右衛門」を発売
2007年
神奈川綾瀬工場を新設

サントリービバレッジプロダクツ株式会社の工場として新設。食品製造を開始

業績
サントリー | 2007年12月期(連結)
売上高
14948
億円
経常利益
758
億円
2008年
奥大山ブナの森工場を新設
2008
12月

ビール事業で初の黒字化(参入以来45年連続赤字)

1963年に参入したビール事業について、サントリーHDは2008年度に黒字化を達成したと発表(営業利益30億円)。すなわち、45年にわたり赤字が続き、46年目で黒字転換した。

黒字転換の原動力は「プレミアムモルツ」「金麦」の販売好調や、競合のサッポロビールの経営不振による競争の緩和であった。これにより、2009年にサントリーHDは国内ビール市場においてシェア12.4%を確保し、それまで3位だったサッポロHDを抜き第3位に浮上した。

ただし、サントリーのビール事業の売上高は推定2000億円前後に対して営業利益30億円であり、2022年にはビール事業を運営する子会社「サントリービール」は営業赤字転落した。このため、サントリーのビール事業は黒字化を果たしたものの、依然として低収益であり、資本効率の悪い事業であり続けている。

業績
サントリー | 2008年12月期(連結)
売上高
15130
億円
経常利益
792
億円
2009年
サントリーチューハイ「ほろよい」を発売
2009年
オランジーナ・シュウェップスを買収

フランス飲料大手メーカーのオランジーナ社の買収を決定。買収価格は約3000億円

業績
サントリー | 2009年12月期(連結)
売上高
15507
億円
経常利益
818
億円
営業CF
1027
億円
投資CF
-3889
億円
財務CF
2436
億円
2009年12月
国内市場の低迷

2000年代を通じてサントリーは飲料部門でのヒット商品(伊右衛門など)の開発、ビール事業の黒字化を達成したものの、全社の国内売上高は低迷した。日本国内の人口が低迷する中で市場が伸び悩み、ヒット商品を生み出しても限られた市場でのシェア争いに巻き込まれることや、絶え間ざる競合製品の出現により、サントリーは国内事業を伸ばすのが難しい事態に直面した。

業績
サントリー | 2009年12月期(連結)
売上高
15507
億円
経常利益
818
億円
営業CF
1027
億円
投資CF
-3889
億円
財務CF
2436
億円
2010年
白州工場を新設

サントリー天然水南アルプス株式会社の工場として新設

業績
サントリー | 2010年12月期(連結)
売上高
17423
億円
経常利益
1008
億円
営業CF
1394
億円
投資CF
-282
億円
財務CF
-606
億円
2010年2月
キリンHDとサントリーHDの経営統合を計画(破断)
2011年
サントリー食品インターナショナルを設立

サントリーの清涼飲料部門を「サントリー食品インターナショナル」として分離

業績
サントリー | 2011年12月期(連結)
売上高
18027
億円
経常利益
1090
億円
営業CF
1430
億円
投資CF
-797
億円
財務CF
669
億円
2013年7月
サントリー食品インターナショナルの株式上場

サントリーHD傘下の子会社「サントリー食品インターナショナル」の株式を上場。株式上場により約3900億円を資本調達

業績
サントリー | 2013年12月期(連結)
売上高
20402
億円
経常利益
1205
億円
営業CF
1665
億円
投資CF
-2154
億円
財務CF
2321
億円
2013年
グラクソ・スミスクラインの飲料部門を買収

英国グラクソ・スミスクラインの飲料部門の買収を決定。買収価格は約2100億円であった。

サントリーHDは飲料事業において、欧州を中心に買収による売り上げを確保

業績
サントリー | 2013年12月期(連結)
売上高
20402
億円
経常利益
1205
億円
営業CF
1665
億円
投資CF
-2154
億円
財務CF
2321
億円
2014年
新浪剛史氏が代表取締役社長に就任(5代目)
2021年12月
サントリービールが営業赤字に転落

2014年にサントリーはビール事業について100%子会社「サントリービール株式会社」として分離。だが、ビール事業の売上高は低迷が続き、利益面でもFY2016〜22にかけて5年連続の減益(営業利益ベース)となった。2021年12月期には営業赤字に転落した。

ビール事業のコスト構造は、販管費が重い点で利益の創出が難しくなっている。売上高に占める販管費の比率は、約20%〜24%で推移しており、ビール各社の競合と対抗するためのマーケティング・販売促進によって低収益体質に陥っている。

業績
サントリー | 2021年12月期(連結)
売上高
25592
億円
(親)当期利益
1139
億円
営業CF
2807
億円
投資CF
-1525
億円
財務CF
-1783
億円
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