売上半減・廃業の危機

松浦市の平戸で順調にカメラ店を経営して年商1.5億円を達成したものの、ある事件がきっかけに島の世論が二分され、結果として売上高が半減する危機に陥った。このため、高田明社長は顧客が固定されがちな平戸ではなく、人口が多く、思想信条によって商売が左右されにくい長崎県佐世保に店を移すことを決意したという。

1986年
たかたを設立

高田明は父親が経営するカメラ店から分離する形で、長崎県松浦市に「たかた」を設立

1990年
長崎放送のラジオショッピング企画に応募

長崎放送が街の店主に「商品紹介をさせる」というラジオ番組を企画し、高田明はこの企画に応募して参加。高田明はビデオカメラをラジオ放送を通じて紹介したところ、放送時間わずか5分で10台のビデオカメラを制約。この経験から、ジャパネットたかたは通販に活路を見出す。

1991年
ラジオ通販の全国展開

ラジオ通販参入から1年で、ジャパネットたかたは全国の地方放送局でのラジオ通販を行う体制を整えた

1994年
テレビ通販に参入

ラジオ通販に続き、ジャパネットたかたはテレビ放送での通販事業に進出。深夜時間帯に30分「ジャパネットたかたテレビショッピング」という番組をスタートさせた

証言
高田明の発言

通販番組を見ている方の大半は商品の細かいスペックや操作方法にはあまり関心がない。多くのお客様の興味は『その商品が生活のどんな不便を解消し、どんな快適さをもたらすか』にあるから、番組でもそこに焦点を絞るようにしている。自分の仕事は、モノを売ることではなく、人々の生活を潤わせ、楽しくするきっかけを提供すること...(中略)...モノを買うという行為は、生活の中で生じた何らかの問題解決手段を入手する行為にほかならない。このため『その商品を買えば、どんな問題がどう解決されるのか』がクリアに提示されればされるほど、人間は購買意欲をかき立てられる。その意味で、機能説明ではなく、購入後の顧客の生活の変化を訴える方法は、通販以外にも応用できる合理的な営業技術の一つだと思う

2003/3日経ベンチャー「高田明の秘密・いま日本一モノを売る男」
2001年
自社放送スタジオを新設

CSデジタル放送の開始を前に、ジャパネットたかたは数億円を投じて自社にテレビスタジオ「ジャパネットスタジオ242」を新設。通販番組の内製化に舵を切った

2001年
CSデジタル放送での通販を開始

2000年にジャパネットたかたは郵政省から「CSデジタル放送委託業者」認可を得て、2001年からCS放送でジャパネットたかたの専用通販チャンネルでの放送を開始

2003年
高田明社長が「日本一モノを売る営業マン」として称賛を受ける

テレビ通販の拡大によりジャパネットは業容を拡大し、1994年には43億円に過ぎなかった売上高は、2003年には705億円を達成。テレビ通販番組の顔となった高田明社長は、「いま、日本で最もモノを売る営業マン」(2003/3日経ベンチャー)として称賛される。

2004年
50万件以上の顧客情報流出

2004年3月9日にジャパネット高田の顧客情報の流出が判明。営業自粛などにより100億円の見込み収入を失った。流出原因は元社員による顧客情報の外部への持ち出しであったという

2010年
6期連続増収

2000年代を通じてデジタル家電が各家庭に普及。2010年前後にはエコポイントなどにより液晶テレビなどの大型テレビが売れ、ジャパネットたかたは6期連続の増収を記録し、顧客情報流出事件からのV字回復を達成した

2010年
コールセンター業務を自社に切り替え

ジャパネットたかたは顧客満足を高めるために、従来外部委託していたコールセンター業務(福岡で1500名が従事)を自社に切り替えた

2012年
2期連続減収

大型テレビの普及が一巡したことを受けて、ジャパネットたかたの主力製品であったテレビの売上が減少。この結果、ジャパネットたかたは2011年と2012年の2期連続での減収となった

2015年
創業者の高田明が社長退任

創業者の高田明がジャパネットの社長を退任

2015年
高田旭人が社長就任

高田明の長男である高田旭人(1979生・東京大学卒業・就任時35歳)がジャパネットの社長に就任

2015年
千葉県市川に物流拠点を新設

首都圏への配送を強化するために、千葉県市川に物流拠点を新設

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