2004年7月7日に横田聡氏(当時26歳)がクラスメソッド株式会社を設立。横田氏はITに知見がある講師として研修業に携わっていたが、エンジニアとともに長期的に成長することを目指して起業を決意した。社名の由来は、プログラミングにおけるClassとMethodの概念は一意であることから、社員が社内でオンリーワンな存在として活躍でいる会社になることを意図したことが由来。
東京都新宿区高田馬場4-12-7「ニューハイツ高田馬場」に本社を構えた。(同年6月に高田馬場2-14-9「明芳ビル」に移転)
資本金は300万円とし、VCなどからの出資は受けずに自己資金で運営。銀行借入を中心とした財務方針を取り、東京三菱銀行高田馬場支店とUFJ銀行多摩支店と取引を実施したと推定。
事業内容はシステムの受託開発であり、数名の知人とともに納品物の製作に従事した。創業時の利用技術は「Struts、Spring、Hibernate、Tomcat、Apache、MySQL、Flex、Ant、JUnit」など多岐に渡ったが、2005年ごろまでにニーズの強さから、JavaとAdobe Flexのプロジェクトを中心に請け負う形となった。
私はちょっと前までIT系のインストラクターをしていました。専門はJavaやWEBシステム開発、オブジェクト指向分析設計などです。毎年数百人の方のスキルアップやスキルシフトのために講義を担当していました。技術的な内容を人前でプレゼンする仕事なので、お給料は概ね良かったのですが、何か物足りたい。それは何か?「長期的な人の成長」です。IT系の研修では、2~3日使って一通りの技術を講義します。新入社員研修時には、1~3ヶ月掛けて講義や演習をします。例えば、3ヶ月も講義や演習を担当すると、受講者の方とも仲良くなり、信頼関係が出来上がります。しかし、コースが終ってしまうと受講者の方は現場に戻り、私は実際の業務を見ることはできません。私が見ることができるのは「短期的」であり、長期的な技術的・人間的成長を見守ることはできません。人の成長を見ると、自分も成長できます。できれば5年10年共に成長したい。そんなこんなで会社を作りました。
コンピテンシー評価を導入するが社内で不評。評価と昇給が連動していないこともあり、エースクラスの社員の離職が発生へ
2007年までにクラスメソッドは企業向けの業務ソフトウェアの開発受託(新規構築案件)が主流となった。当時の取引先は旭化成(業務カルテ)、ベルシステム24(営業支援システム)、大手製造メーカー(工程管理システム)などであり、大手企業からの新規開発の案件を多数受託した。
実際のシステムの具体例としては、ひまわり証券向け「Hits証券デリバティブ(株価指数先物取引・株価指数オプション取引・国債先物取引のシステム)」の構築といった難易度の高いものも含まれていた。
一方で、これらの業務システムのニーズは2008年のリーマンショックを機に減少。新規開発案件に傾斜していたクラスメソッドの経営が苦戦する遠因にもなった。
本社を高田馬場「明芳ビル」から飯田橋に本社移転。ただし、飯田橋は賃料の高いオフィスであり、固定費の増加要因となった
スタッフ数は60名以上から32名へと激減し、約半数の人員が会社から去る形に。
現在のDevelopers.IOはAWS関連の記事が大半だが、2012年ごろまではiOSに関する記事を中心に執筆
固定費削減のため、本社を飯田橋から秋葉原(岩本町)に移転。床面積は半分となり、固定費を節約する体制へ
2009年からAWS(EC2およびS3)の導入支援を開始していたが、2013年頃から導入支援事業を本格化。AWSの提供サービスのラインナップも徐々に拡大しており、導入ニーズが拡大しつつあった。
一方、当時はクラウドの黎明期であり、オンプレを信奉する風潮も強かったことから、結果としてクラスメソッドはこの領域における先発企業となった。
非上場企業であったが、財務および採用情報を発信。決算書および平均給与・有給消化率などを開示