1981年に孫正義が24歳で日本ソフトバンクを設立し、パソコンソフトウェアの卸売流通から事業を開始した。1994年の株式公開を転機に企業買収とベンチャー投資へ軸足を移し、1996年にヤフー日本法人を設立してインターネット事業に参入した。2001年にADSLサービスYahoo!BBで通信事業に進出し、2006年には1.7兆円のLBOでボーダフォンを買収して携帯キャリアに参入した。2014年のアリババ上場で巨額の含み益を獲得し、2016年に英ARMを約3.3兆円で買収、2017年にサウジアラビアなどの出資を得てソフトバンク・ビジョン・ファンドを組成し、投資持株会社への転換を鮮明にした。
歴史概略
第1期: ソフトウェア流通からインターネット投資へ(1981〜2000)
日本ソフトバンクの創業とソフトウェア流通の構築
1981年9月、孫正義は24歳で日本ソフトバンクを設立した。パソコンの普及に伴いソフトウェアが急増していたが、メーカーから小売店への流通基盤が未整備であった。孫は創業期にシャープやNECなどの電機メーカーと独占的な販売契約を締結し、ソフトウェアの卸売流通網を一気に構築した。並行して専門雑誌の発行や展示会の運営で業界内の情報集積を進め、設立2年目で月商4億円に到達した。
1990年にソフトバンクへ商号変更し、1994年7月に日本証券業協会にて店頭登録(公開)を果たした。株式公開で得た資金調達力を梃子に、同年12月には米国の展示場事業コムデックスとIT出版社Ziff-Davisの買収に着手した。買収の目的は出版・展示会事業の収益よりも、シリコンバレーのベンチャー企業への情報アクセスの獲得であった。Ziff-Davisの取材網を通じて有望なベンチャーを発掘する仕組みは、のちのYahooへの出資やインターネット投資の起点となった。
ヤフー設立とインターネットバブルの頂点
1996年1月、孫正義はZiff-Davisの情報網を通じて発掘した米Yahoo!と合弁でヤフー株式会社を設立し、日本の検索エンジン市場で最先発のポジションを確保した。同年にはテレビ朝日の株式取得による衛星放送参入やトレンドマイクロの株式35%取得など、インターネットとIT分野への矢継ぎ早の投資を展開した。衛星放送はテレビ局側の拒絶で撤退を余儀なくされたが、Yahoo!への2億円の初期出資はグループ資産価値の中核に化けた。
1995年から社債発行を本格化させ、売上高を超える規模の社債調達で買収資金を自力で確保する財務手法を確立した。インターネットバブル期には米Yahoo!の株価高騰を背景にソフトバンクの時価総額は20兆円に到達したが、2000年のバブル崩壊で株価は急落した。投資先株式の売却で2078億円の売却益を確保し、負債圧縮と事業の選別を進めた。バブルのピークから崩壊を経験した過程は、のちの投資戦略の原体験となった。
第2期: ADSLと携帯キャリアへの参入(2001〜2016)
Yahoo!BBの先行投資モデル
2001年6月、ソフトバンクはADSLサービス「Yahoo!BB」でブロードバンド事業に参入した。当時の日本はISDNが主流であったが、ADSLはNTTの既存電話回線を活用して高速接続を実現できる技術であった。孫正義は街頭でのモデム無料配布など大規模なプロモーションを展開し、先行投資で顧客基盤を獲得する手法を採った。参入初年度は売上の2倍に相当する赤字を計上したが、5年目で黒字転換を達成した。
この先行投資モデルは、大量の顧客獲得を先に行い、固定費の稀釈とARPU(顧客あたり収益)の蓄積で後から回収する構造であった。2004年7月には固定通信の日本テレコムを買収して光ファイバー事業にも参入し、ADSLから固定通信全般への事業基盤を拡大した。Yahoo!BBで確立された先行投資モデルは、ボーダフォン買収後の携帯電話事業でも踏襲されることになる。
ボーダフォン買収と携帯キャリアへの参入
2006年4月、ソフトバンクは英Vodafoneの日本事業を買収して携帯電話事業に新規参入した。買収総額は約1.75兆円に上り、その資金はLBO(レバレッジド・バイアウト)スキームで調達された。買収対象企業であるボーダフォン日本法人の資産を担保としたノンリコースローンを組成し、ソフトバンク本体のバランスシートへの影響を限定しつつ巨額投資を実行する手法であった。
買収後は孫正義自ら陣頭指揮でPMI(経営統合)を推進し、ブランドをソフトバンクに統一した。2011年末からは2500億円を投じて携帯基地局を増強し、通信品質の改善を図った。2013年7月には米スプリントを1.8兆円で買収して米国市場にも進出したが、スプリントは赤字が続き2020年にTモバイルとの合併でソフトバンクの手を離れた。ARMの約3.3兆円での買収(2016年)と合わせ、通信キャリアから投資持株会社への転換を加速させた。
第3期: ビジョン・ファンドと投資持株会社への転換(2017〜現在)
ソフトバンク・ビジョン・ファンドの組成
2017年5月、ソフトバンクはサウジアラビアの政府系ファンドなどの出資を得て、運用額986億ドル(約10兆円)のソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF1)を組成した。Uber、WeWork、DiDiなど世界のテクノロジー企業に巨額出資を実行し、1社あたり数千億円規模の投資を行う運用スタイルを採った。外部資金比率はソフトバンクが自己資金中心で投資していた時代の33%から96%に上昇し、ファンド運営者としての性格が鮮明になった。
SVF1の組成により、ソフトバンクグループの業績は投資先企業の株価変動に直接連動する構造に変わった。投資先の上場や株価上昇で巨額の評価益が計上される一方、市場環境の悪化局面では大幅な評価損が発生し、純利益が期ごとに大きく振れる財務体質となった。WeWorkの経営危機による損失はファンドモデルのリスクを象徴する出来事であった。
資産売却とファンド業の模索
2020年3月、ソフトバンクは4.5兆円の資産売却と最大2.5兆円の自社株買いを公表した。アリババ株式の一部売却やARM株式の活用など、保有資産の流動化によってグループの財務安定性を確保する方針を示した。2022年にはARMのNvidiaへの売却が規制当局の承認を得られず破談となったが、ARM自体が2023年にNASDAQに上場して新たな含み益の源泉となった。
孫正義の40年にわたる経営の一貫した特徴は、自己資金だけでなく外部の資金を梃子にして投資規模を拡大し続けた点にある。創業期の財界人脈による信用供与、社債の大量発行、LBOスキーム、そしてサウジアラビアを中心とするオイルマネーの動員と、調達手法は変化しても構造は変わっていない。ソフトウェア卸売から始まった企業が投資持株会社へと変貌した軌跡は、孫正義個人の投資観とグループの資本構成が不可分に結びついた結果である。
ソフトウェア流通の空白を突いた創業構想自体は合理的だが、注目すべきは23歳の孫正義氏がシャープ副社長や野村証券社長といった財界重鎮の人脈を動員して信用力を調達した点にある。卸売業は取引先の信頼が事業基盤となるため、大森氏の招聘と1000名規模の歓迎パーティーは、事業そのものの設計と同等に重要な信用構築の装置であったと考えられる。