1981年〜 ソフトウェア流通からインターネット投資への転身
ソフトバンクグループの業績推移
- 1981年 日本ソフトバンクの創業とパソコンソフト卸売事業の立ち上げ 特許売却で得た資金を元手に、孫正義氏はソフト流通の空白と財界の信用をどう結び合わせたか
- 1982年 月刊「Oh! PC」・月刊「Oh! MZ」を創刊
- 1983年 大森康彦氏が社長に就任
- 1986年 孫正義氏が社長に復帰
- 1996年 米ヤフーとの合弁によるヤフー株式会社の設立 社員数名のベンチャーへの2億円——孫正義氏はなぜ情報網で見つけた無名の検索会社に賭け、それをグループ最大級の含み資産に変えたのか
- 1997年 相次ぐ買収と「拡大路線」への懸念 売上を超える借金を抱えて買い続ける——市場が財務体力を疑うなか、孫正義氏はなぜ「買収はやり続ける」と言い切ったのか
- 2000年 ネットバブル崩壊下の資産圧縮と日債銀買収 時価総額20兆円のピークから一転——孫正義氏はなぜ株を売って負債を圧縮しながら、批判のなかで破綻銀行を買ったのか
ソフト流通の空白を埋めた創業と出版事業への参入
1981年9月、24歳の孫正義氏[1]は東京都千代田区四番町に日本ソフトバンクを設立[2]し、パーソナルコンピューター用パッケージソフトの流通業を始めた。創業の地は福岡市[3]である。当時はパソコンの普及でソフトの種類が増える一方、メーカーから小売店へ商品を届ける卸機能を担う事業者がほとんど存在せず、利用者は複数のマイコンショップを探し回らねば[4]目当てのソフトに辿り着けなかった。孫氏は書店で本を買うようにソフトを届ける中間流通[5]として事業を設計し、資本が小さく成長性が高いという条件で数業種に絞り、社員を雇って市場と技術を1年半調べたうえで[6]創業に踏み切った。翌1982年5月には月刊「Oh! PC」と月刊「Oh! MZ」を創刊[7]し、出版事業へ参入している。
- ソフトバンク 略歴:孫正義(公式)
- [1]創業者 孫正義・設立時24歳
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [2]1981年9月 日本ソフトバンク設立(東京都千代田区四番町)・パッケージソフト流通業を開始
- [7]1982年5月 月刊「Oh! PC」「Oh! MZ」創刊・出版事業に参入
- ソフトバンク(ソフトバンクG)の歴史
- [3]創業の地 福岡市
- 近代中小企業(1983年6月)
- [4]ソフト卸売機能の不在(利用者は複数のマイコンショップを探し回る状態)
- [5]書店で本を買うようにソフトを届ける卸売としての事業設計
- 日経ビジネス(1987年1月19日)
- [6]資本が小さく成長性が高い等の条件で数業種を選び市場と技術を1年半調査
創業資金は、米国留学中に開発した自動翻訳機の特許で得た1億円[8]であった。ソフトは担保にならないため創業時の流通業へ融資する銀行はなく、シャープの佐々木正氏らの個人保証でようやく実行に至っている[9]。経営経験の不足を補うため、1983年には日本警備保障出身の大森康彦氏を社長に迎え、孫氏は会長へ退いた[10]。売上高は2期の23億円から3期45億円、4期75億円[11]と伸び、5期にあたる1985年12月期には115億円へ達している[12]。設立翌年に創刊した「Oh! PC」も成功し、出版が卸売と並ぶ事業の柱に育った[13]。孫氏は1986年に社長へ復帰[14]している。
- 日経ビジネス(1987年1月19日)
- [8]電訳機の特許で得た1億円を元手に創業
- [10]1983年 日本警備保障出身の大森康彦を社長に迎え孫正義は会長へ
- [13]設立翌年創刊の「Oh! PC」が成功し出版が卸売と並ぶ柱に
- [14]1986年 孫正義が社長へ復帰
- 日経ビジネス(1995年2月13日)
- [9]ソフトは担保にならず融資が付かず、シャープの佐々木正らの個人保証で融資が実行された
- 知識 2(3)(51)
- [11]創業期売上高 2期23億円・3期45億円・4期75億円
- [12]5期(1985年12月期)売上高115億円
- ソフトバンク 略歴:孫正義(公式)
- [1]創業者 孫正義・設立時24歳
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [2]1981年9月 日本ソフトバンク設立(東京都千代田区四番町)・パッケージソフト流通業を開始
- [7]1982年5月 月刊「Oh! PC」「Oh! MZ」創刊・出版事業に参入
- ソフトバンク(ソフトバンクG)の歴史
- [3]創業の地 福岡市
- 近代中小企業(1983年6月)
- [4]ソフト卸売機能の不在(利用者は複数のマイコンショップを探し回る状態)
- [5]書店で本を買うようにソフトを届ける卸売としての事業設計
- 日経ビジネス(1987年1月19日)
- [6]資本が小さく成長性が高い等の条件で数業種を選び市場と技術を1年半調査
- [8]電訳機の特許で得た1億円を元手に創業
- [10]1983年 日本警備保障出身の大森康彦を社長に迎え孫正義は会長へ
- [13]設立翌年創刊の「Oh! PC」が成功し出版が卸売と並ぶ柱に
- [14]1986年 孫正義が社長へ復帰
- 日経ビジネス(1995年2月13日)
- [9]ソフトは担保にならず融資が付かず、シャープの佐々木正らの個人保証で融資が実行された
- 知識 2(3)(51)
- [11]創業期売上高 2期23億円・3期45億円・4期75億円
- [12]5期(1985年12月期)売上高115億円
株式公開と買収による情報網の獲得
1990年7月に商号をソフトバンクへ改め[15]、1994年7月には株式を日本証券業協会へ登録[16]して株式公開に至った。公開で得た資金調達力を梃子に、同年12月から米国の展示会事業コムデックスと、シリコンバレーのIT出版社ジフ・デービスの買収[17]へ動いている。買収資金は社債でまかない、1995年2月の第1回無担保普通社債100億円[18]を皮切りに、1996年11月までに12本・合計2,200億円を発行した[19]。相次ぐ大型買収を借入で重ねた結果、有利子負債は売上高を超える規模へ膨らんでいる[20]。1998年1月には東京証券取引所市場第一部へ上場した[21]。
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [15]1990年7月 商号を「ソフトバンク株式会社」へ変更
- [16]1994年7月 株式を日本証券業協会に登録(株式公開)
- [21]1998年1月 東京証券取引所市場第一部へ上場
- 日経ビジネス(1996年8月26日)
- [17]1994年12月 米コムデックス(展示会)とジフ・デービス(IT出版)の買収
- [20]相次ぐ買収を社債による借入で重ねた結果、有利子負債が売上高を超える規模へ
- ソフトバンクFactBook(1998)
- [18]1995年2月27日 第1回無担保普通社債100億円(利率3.70%)
- [19]1995年2月〜1996年11月に無担保普通社債12本・合計2,200億円を発行
1996年1月11日、ソフトバンクは米ヤフーとの合弁で資本金2億円のヤフー株式会社を設立[22]した。出資比率はソフトバンクが60%にあたる1億2,000万円[23]、Yahoo Corporationが40%にあたる8,000万円で、代表取締役社長には孫正義氏自身が就いている[24]。事業内容は日本国内における日本語対応の情報検索サービスの提供とミラー・サイトの運営[25]で、ブランドと技術を米ヤフーから借り、資本と経営をソフトバンクが握る変則的な合弁であった。同年4月には米ヤフー本体へ約100億円を追加出資し、創業者を上回る筆頭株主となった。当時の米ヤフーは社員5〜6名、月商数千万円のベンチャーにすぎない。
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [22]1996年1月 ヤフー株式会社(現LINEヤフー)設立
- ソフトバンク「米国ヤフー社との合弁会社設立に関する件」(1996年1月11日)
- [23]出資比率 ソフトバンク60%(1.2億円)・Yahoo Corporation 40%(0.8億円)
- [24]ヤフー株式会社の代表取締役社長に孫正義が就任
- [25]事業内容は日本語対応の情報検索サービス提供とミラー・サイト運営
連続買収に対しては財務体力の消耗を懸念する声が市場から上がり、1996年8月には相次ぐ買収に体力がもつのかという疑問[26]が投げかけられた。孫正義氏は「心配ない」と応じ、買収は「高い買物ではない」、「浮利は追っていない」と反論している[27]。1997年秋には買収した企業の業績悪化が表面化し、孫流の拡大路線に暗雲が差した[28]。孫氏個人の会社を用いた買収スキームにも批判が集まったが、孫氏は「影の部分にも自分の責任はある」と述べつつ、買収は続けると明言した[29]。同年11月の時点でも財務の工夫で当面を乗り切った状態で、買収先の業績悪化により予断を許さなかった[30]。
- 日経ビジネス(1996年8月26日)
- [26]1996年8月 相次ぐ買収への財務不安が指摘された
- [27]孫正義の反論「心配ない」「高い買物ではない」「浮利は追っていない」
- 日経ビジネス(1997年10月13日)
- [28]1997年秋 買収企業の業績悪化で拡大路線に暗雲
- [29]孫個人の会社を用いた買収スキームへの批判と「影の部分にも自分の責任はある」・買収継続の明言
- 日経ビジネス(1997年11月17日)
- [30]1997年11月 財務の工夫で当面を乗り切るも買収企業の業績悪化で予断を許さず
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [15]1990年7月 商号を「ソフトバンク株式会社」へ変更
- [16]1994年7月 株式を日本証券業協会に登録(株式公開)
- [21]1998年1月 東京証券取引所市場第一部へ上場
- [22]1996年1月 ヤフー株式会社(現LINEヤフー)設立
- 日経ビジネス(1996年8月26日)
- [17]1994年12月 米コムデックス(展示会)とジフ・デービス(IT出版)の買収
- [20]相次ぐ買収を社債による借入で重ねた結果、有利子負債が売上高を超える規模へ
- [26]1996年8月 相次ぐ買収への財務不安が指摘された
- [27]孫正義の反論「心配ない」「高い買物ではない」「浮利は追っていない」
- ソフトバンクFactBook(1998)
- [18]1995年2月27日 第1回無担保普通社債100億円(利率3.70%)
- [19]1995年2月〜1996年11月に無担保普通社債12本・合計2,200億円を発行
- ソフトバンク「米国ヤフー社との合弁会社設立に関する件」(1996年1月11日)
- [23]出資比率 ソフトバンク60%(1.2億円)・Yahoo Corporation 40%(0.8億円)
- [24]ヤフー株式会社の代表取締役社長に孫正義が就任
- [25]事業内容は日本語対応の情報検索サービス提供とミラー・サイト運営
- 日経ビジネス(1997年10月13日)
- [28]1997年秋 買収企業の業績悪化で拡大路線に暗雲
- [29]孫個人の会社を用いた買収スキームへの批判と「影の部分にも自分の責任はある」・買収継続の明言
- 日経ビジネス(1997年11月17日)
- [30]1997年11月 財務の工夫で当面を乗り切るも買収企業の業績悪化で予断を許さず
インターネットバブルの膨張と、崩壊下の資産圧縮
1999年10月、ソフトバンクは純粋持株会社へ移行し[31]、事業会社の株式を保有して統括する形へ組織を改めた。2000年2月にはAlibaba.com Corporationへ出資して関連会社とし[32]、のちにグループ最大級の含み資産となる持分を得ている。インターネットバブルのピークでは、米ヤフー株価の高騰によりソフトバンクの時価総額は一時20兆円へ達した。株式の評価額の大半はヤフー関連の含み益に支えられ[33]、事業から生まれる利益との落差が大きかった。1994年の株式公開から6年足らずで、ソフトウェアの卸売業者は世界有数の時価総額を持つ投資会社へ姿を変えている[34]。
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [31]1999年10月 純粋持株会社へ移行
- [32]2000年2月 Alibaba.com Corporation(現アリババ)に出資し関連会社化
- [34]ソフトウェア卸売から出発した企業が世界有数の時価総額を持つ投資会社へ変貌
- 日経ビジネス(2000年3月6日)
- [33]時価総額の大半が米ヤフー関連の含み益に支えられていた
2000年春からの株価下落で、投資先の多くが経営危機に陥った[35]。ソフトバンクは値上がりした投資先株式を選別して売却し、その利益で有利子負債を圧縮しながら1990年代に買い集めた資産を整理している[36]。並行して、破綻・国有化され公的資金で処理されていた日本債券信用銀行の買収に踏み切った[37]。投資会社を中心とするグループが銀行を保有する形には、系列企業へ融資を集中させる機関銀行化への懸念が当初から指摘されている[38]。2000年9月には日債銀の本間社長が自殺し、買収後のソフトバンクへ逆風が吹いた[39]。
- 日経ビジネス(2000年3月6日)
- [35]2000年春からのネットバブル崩壊で投資先の多くが経営危機に陥った
- [37]2000年 破綻・国有化された日本債券信用銀行を買収
- [38]投資会社中心のグループによる銀行保有に「機関銀行化」の懸念が当初から指摘された
- 日経ビジネス(2000年10月2日)
- [36]投資先株式を選別売却し有利子負債の圧縮と1990年代の買収資産の整理を並行
- [39]2000年 日債銀の本間社長が自殺し買収後のソフトバンクに逆風
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [31]1999年10月 純粋持株会社へ移行
- [32]2000年2月 Alibaba.com Corporation(現アリババ)に出資し関連会社化
- [34]ソフトウェア卸売から出発した企業が世界有数の時価総額を持つ投資会社へ変貌
- 日経ビジネス(2000年3月6日)
- [33]時価総額の大半が米ヤフー関連の含み益に支えられていた
- [35]2000年春からのネットバブル崩壊で投資先の多くが経営危機に陥った
- [37]2000年 破綻・国有化された日本債券信用銀行を買収
- [38]投資会社中心のグループによる銀行保有に「機関銀行化」の懸念が当初から指摘された
- 日経ビジネス(2000年10月2日)
- [36]投資先株式を選別売却し有利子負債の圧縮と1990年代の買収資産の整理を並行
- [39]2000年 日債銀の本間社長が自殺し買収後のソフトバンクに逆風