1980年代を通じて日本政府は「電電公社の民営化」を検討し、通信事業に関して国内の独占体制を認めない方向性を表明した。このため、電話などの通信事業において、民間企業が参入する余地が生じ、電電公社(民営化後はNTTとして運営)の独占を打破する風潮が、国内の財界を中心に強まった。
民営化の風潮のもとで、通信領域での新規参入を名乗り出たのが、京セラ(稲森和夫氏・当時社長)であった。京セラは電話端末を製造しており、民営化の動向を注視しており、通信事業への参入を決めた。
ただし、通信事業には1000億円規模の資金が必要であり、リスクをも伴うことから、京セラの子会社として運営するのではなく、大手企業の寄り合い出資による経営を志向した。
1984年に第二電電企画を設立。筆頭株主は京セラ(28%出資)であり、そのほかにセコム、ウシオ電機、三菱商事、ソニーなど大手企業が出資する形で設立された。資本金は16億円であり、京セラとしての投資額は約4.5億円であったと推定される。
第二電電企画では、東京・大阪・京都・神戸を光ファイバーによる電話線を敷設して、低価格による電話通信サービスの提供を企画した。
当時は珍しかった移動体電話及び自動車電話(のちの携帯電話)に参入するため、全国各地にセルラー子会社を設立。1993年時点で国内シェア2位(21%)を確保したが、トップはNTTであった。
1990年に米モトローラ社は衛星携帯電話(国際利用可能)を実現するための「イリジウム計画」を公表。47億ドルを投資して、全世界で衛星携帯電話を普及させる計画を策定した。実現のためには、衛星の打ち上げが必要なことで、莫大なコストを伴う計画であった。1997年5月にモトローラは人工衛星を打ち上げ、サービス開始の準備を整えた。
そこでDDIは「イリジウム計画」に参画することを決定し、1993年に子会社「日本イリジウム」を設立した。同社への出資比率は、KDDIが58%、京セラ10%、ウシオ電機5%、セコム5%、三井物産5%、ソニー5%などであった。
ところが、利用料金が高額(月額基本料金50ドル)であったこと、端末の小型化が困難であったこと、そして一般的な携帯電話の普及によりイリジウム優位性は存在せず、結果として加入者獲得に苦戦した。2000年までにモトローラ社によるイリジウム計画は頓挫。KDDIの子会社であった日本イリジウムは事業停止となり、2005年1月に負債総額106億円で倒産した。
イリジウム計画の頓挫により、DDIは2000年3月期に特別損失として「イリジウムイリジウム事業整理損」を374億円計上した。
1999年2月にNTTドコモがiモードのサービス提供を開始するとともに、翌月には自動車電話のサービス提供を終了。携帯電話の実現に必要なコストが低下したことで、iモードを中心として、携帯電話が爆発的に普及するフェーズに突入した。
携帯電話の普及には、基地局への設備投資が必要であり、通信業者にとっては重い投資負担であった。このため、潤沢な資本を持つNTTドコモによる携帯電話の本格展開は、競合の携帯電話会社にとって脅威であった。
ドコモに対抗するために、NTT系以外の通信各社は単独での存続を諦め、合併による大綱を決定。2000年10月にDDIは、競合であったKDD(国際電信電話と日本高速通信が1997年に合併して発足)およびIDO(トヨタなどが出資)と合併し、2001年には商号をKDDIに変更した。
合併時点で、DDIは売上高約1.2兆円(従業員数約3000名)、KDDは売上高約4000億円(従業員数約5000名)、IDOは売上高約4000億円(従業員数約1000名)であった。
合併により、KDDIは売上高2兆円規模を確保し、携帯電話業界においてNTTドコモに次ぐ業界2位の企業となった。
KDDIにおいて、携帯電話のブランドとしては「au」を採用し、ドコモのiモードに企業連合で立ち向かう道を選択した。
2001年度にKDDIはauにおけるサービスを「CDMA」方式に統一することを決め、PDC設備の破棄を決定した。
KDDIとしては、携帯電話のうち通信速度が早いCDMAに特化し、この領域で基地局などの設備投資を遂行する狙いがあった。すなわち、通信インフラ全般への投資を撤回し、携帯電話のインフラ投資に注力する道を鮮明にした。
通信規格への投資方針の転換となるため、数百億円規模の損失が予想された。このため、KDDIは資産売却(新宿本社ビルの証券化)により1,448億円の特別利益を計上し、特別損失を相殺した。
2000年代前半を通じてKDDIは基地局への投資を推進。年間2000〜3000億円の設備投資を実施し、NTTドコモに追随した。
2002年12月にKDDIは専用の携帯電話サイトから音楽を有料でダウンロードできるサービス「着うた」の提供を開始した。背景は、3Gのインフラ整備により、音声コンテンツをダウンロードできる環境が整った点にあった。
携帯電話の音質の観点からメロディーだけを30秒間にわたって再生でき、1曲あたりの単価は80〜100円(通信料を含めると+100円前後)に設定した。主なニーズは電話着信音や、目覚ましによる利用であった。このため、KDDIは着うたの提供によって、端末契約数の増加、通信回線利用料の増加などの相乗効果が見込めた。
サービス開始時点で、安室奈美恵、平井堅などのアーティストの楽曲を提供。人気楽曲を提供するために、SMEなどの大手レコード会社5社(SME・エイベックス・ビクター・東芝EMI・ユニバーサルミュージック・KDDI)が20%ずつ均等出資して「レーベルモバイル」を2001年に設立(のちに商号をレコチョクに変更)。楽曲の利権関係を整理し、2003年9月までに5,000曲の配信体制を整えた。
また、ハードウェアの面では、音声ダウンロードが可能なインフラ設備(3G)に加えて、携帯端末メーカーとの協力が不可欠であった。KDDIは3Gによる配信でダウンロードスピードを担保しつつ、日立やカシオなどの端末メーカーにいは着うた対応機種の開発を要請した。
携帯電話で手軽に人気楽曲のメロディーが聴けるサービスとして人気を集め、2003年8月時点の楽曲ダウンロード数は700万件に達した。KDDIは楽曲ダウンロードに必要な通信による収益を、相応に確保したと推定される。
顧客にとって「着うた」はKDDIを新規契約する1つの理由となり、2003年度においてKDDIは「au」の契約純増数で、ドコモを抑えて国内トップに躍り出る1つの要因となった。
そもそもコンテンツの開発は「餅は餅屋」なので、我々が全て自社で開発するのは不可能に近いわけです。着うたの成功は、コンテンツ事業者の皆さんに喜んで開発してもらえる環境づくりが功奏したと思います。
開発過程で問題になったのは、大容量データを運ぶ仕組みと料金設定でした。幸いなことに1xを始めたばかりで、お客さんに不満がない速度でダウンロードできそうだし、料金も割引サービスを使えば1曲あたり70〜80円程度で済む。データを携帯電話の外に持ち出せない仕組みなので、DRM(デジタル権利管理)の環境もある。こうして、誰もが利益を得られる環境を作ったのが大きかったんでしょう。
2003年度にKDDIは携帯電話サービス「au」において、年間契約純増数でNTTドコモを抑えて国内トップを達成した。3Gインフラを前提とした「着うた」のヒットなどにより、契約数が増加した。
ただし、携帯電話のシェア(契約数の累積知)においては依然としてNTTドコモがトップであり、KDDIは2番手であった。純増数トップシェアを確保したが、累積シェアへの貢献は+2%に留まり、依然として厳しいシェア競争が続いた。
うちが昨年度の純増シェアで49%を取りましたけど、累積シェアは約2%しか変わっていません。だから容易じゃないですよ。今まで我々が弱かったのも事実ですが、1社が50%以上のシェアを持っている市場は日本と韓国くらいです。auは確かに伸びていますけれど、やはり今までの日本市場が、どこかおかしかったんでしょうね。
利用休止となった旧800Mhzの設備について特別損失の計上を決定。 設備の減損として805億円、固定資産の除却費用として227億円をそれぞれ計上し、累計1032億円の特別損失を800MHz関連で計上した。
ミャンマーにおけるSMIカードの販売を開始。販売網を確保するために現地機関と提携した。販売開始から7ヶ月で800万枚のSIMカードを配布
2010年代を通じてソフトバンクがiPhoneの取り扱いを開始したことにより、従来式の携帯電話に最適化したKDDIやドコモは戦略転換を余儀なくされた。
それまでは、端末・決済(キャリア決済)・通信費用(月額徴収)といった重要機能をKDDIなどの携帯電話会社が掌握していたが、iPhoneなどのスマートフォンの普及により「端末・決済」という収益源を手放す可能性が濃厚になったことを意味した。このため、KDDIとしては、通信によるサービス提供を継続しつつも、他の収益源を確保することが喫緊の課題となった。
2015年ごろからKDDIは、携帯電話に限らない事業展開を志向し、金融・保険などの付帯サービスへの進出を志向。2016年には中期経営計画において「au経済圏の最大化」を戦略目標として公表した。
KDDIはこれまで培ってきた会員基盤を活用し、サービス提供企業に対する「送客」の役割を担うことで、手数料収入を確保することを目論んだ。
KDDIの前身である第二電電企画は、大手企業の寄合い的な出資により設立された。この経緯から、強烈なトップが事業経営を担うというよりは、官僚的な(出向扱いとなった)マネージャーが牛耳る組織体制が形成された感がある。この気風が現在にも引き継がれ、現在のKDDIの組織風土は「主導権をめぐる争いがあり、人事は複雑怪奇を極めるのだろう」と勘ぐってしまう。トップダウン的なソフトバンクとは、まるで対照的な組織だが、似たような事業を展開して、業容を拡大してきた点で面白さもある。