光通信 の歴史

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重田康光氏の起業と架空契約問題からの再建

創業 1988年
創業者 重田康光
創業地 東京都豊島区
創業 1988年2月、重田康光氏が23歳で東京・豊島区に光通信を設立した。日本電信電話
1988年2月、重田康光氏が23歳で東京・豊島区に光通信を設立した。日本電信電話の民営化で開いた通信市場に商機を見て、ホームテレホンの訪問販売と回線の販売代理から始め、1990年に複写機とファクシミリを加えた。扱う商品はすべて他社製で模倣を防ぐ手立てはなく、誰も回らない中小企業を片端から訪ねる営業の量だけが競争力だった。1994年4月に携帯電話が売り切り制へ移るとただちに端末販売へ参入し、通話料に連動するコミッションを積む収益へ転じ、単体売上高は1994年8月期の122億円から1996年8月期に562億円へ伸びた。
決断 伸びを支えた仕組みが、そのまま危機の引き金になった。携帯電話の代理店網は1999
伸びを支えた仕組みが、そのまま危機の引き金になった。携帯電話の代理店網は1999年8月期に1816店へ広がったが、加盟店へのノルマが架空契約を生み、2000年に携帯電話小売から撤退した。同じ時期のネットベンチャーへの出資も評価損に変わった。2003年には有利子負債を373億円まで圧縮し、収益源を契約後も収入が積み上がる自社商材へ移した。複写機の需要が細ると2014年から営業チャネルを資産とみなして水・保険・電力を載せ替えた。商材を入れ替えても、契約を積んで細く長く回収する収益構造だけは変えていない。
現況 本業のストック利益と、保有する上場株が生む利益の、二つで回る事業構造である。20
本業のストック利益と、保有する上場株が生む利益の、二つで回る事業構造である。2026年3月期の連結売上高は7347億円、営業利益は1166億円で、電気・ガス3195億円と通信1275億円が中心を占める。並行して本業の余剰資金を上場株の長期保有へ充当する純投資を強め、同期の営業外収益は776億円と営業利益の7割に迫った。増えた傘下企業は上場子会社を完全子会社化する資本政策で資本を集約する一方、事業は2025年3月末で連結子会社146社へ分社し、権限を委ねて意思決定を速く保っている。
競合 競争は商品ではなく、中小企業へ届く営業の網で起きる。大手が採算に合わないと見た中
競争は商品ではなく、中小企業へ届く営業の網で起きる。大手が採算に合わないと見た中小企業と個人を、販売代理店と訪問販売・コールセンターで一件ずつ獲得してきた。回線も水も保険も電力も商品は他社と同じで、差がつくのは到達の量だけである。正面から競る市場からは退き、自ら撤退した携帯電話小売は、のちに家電量販が第二の柱を買収しに来る市場になった。電力ではガス最大手のようなインフラ企業も下りてきたが、新電力が総崩れするなか債務超過に陥った新電力を顧客ごと取得し、同じ網に載せる商材を増やした。
長期業績の推移 1993〜2026年
光通信:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年8月期2026年3月期

第1章 1988年〜 電話帳530万社の資産化市外電話から携帯電話への事業転換

筆者考察y.sugiura, author

取次という商売は、何を扱うかで勝負が決まるように見えて、実際は誰に何をどう当てるかで決まる。光通信が創業からの10年で作ったのは携帯電話の販売網ではなく、商材を載せ替えられる営業の設計だった。訪問先を担当者の勘で選ばせず、電話帳を名簿に変え、相手の機器と契約の期限と反応を記録して次へ回す。そこに積まれたのは商品の知識ではなく、誰がいつ買い替えるかという順番の情報である。順番の情報は商材に縛られない。だからこそ第二電電の契約が細ったとき、光通信が失ったのは取次先であって仕組みではなく、組織を携帯電話中心へ切り替えるだけで足りた。市外電話でも複写機でも携帯電話でも、同じ名簿と同じ記録の運用が働いた。

同じ設計は、売上を積むほど現場に負荷を掛ける構造でもあった。誰を訪ねるかを絞る運用は、訪ねた結果が数字で残る運用と一体であり、数字が残れば人の序列もそれで決まる。33等級の給与表と毎月の異動は、成果で人を入れ替える装置であり、同時に成果の出ない者を残さない装置でもある。平均年齢が25.9歳にとどまったのは若い会社だったからというより、入れ替えが速かったからだと見るほうが筋が通る。そして1999年に未公開株へ向かった資金は、営業で積んだものを別の資産へ移すことに、この会社に抵抗がなかったことを示す。設計の汎用性は、商材を替える力であると同時に、事業から離れる力でもあった。

期末従業員数(単体) 1995年8月期〜1999年8月期(人)

489 95.8 910 96.8 1,224 97.8 911 98.8 2,120 99.8 平均年齢(時点のそろわない3点) 25.9 27.2 約26
  • 1995年11月末 25.9歳(証券アナリストジャーナル)
  • 1998年8月 27.2歳(アニュアルレポート1998)
  • 1999年10月 約26歳・丸めた値(第12期決算説明会資料)
  • 棒はすべて単体。連結の従業員数が開示されるのは2002年3月期から。
  • 棒の出所は光通信 ファクトシート(1999年10月)「従業員1人当たり指標」。

1988年〜日本電信電話の電話帳530万社を名簿に変えた営業設計

23歳で始めた取次参入

1988年2月、重田康光氏は資本金100万円で光通信を設立した。事業目的はOA機器と電話機の販売とリース、重田氏は23歳だった。電気通信事業の自由化で電話機の販売が新規参入に開かれ、重田氏はその一社で働きながら規制緩和のなかに商機を見た。弁護士の父と兄を持ち、高校のころには事業家を志していたが、巣鴨高校を出た2年間はアルバイトとパチンコに費やし、日本大学経済学部へ入ってすぐ中退した日本電信電話の民営化の報道から、通信が伸びると判断し、事業はホームテレホンの訪問販売から始め、半年後に第二電電の代理店として市外電話の回線販売に入った。1990年4月に複写機とファクシミリ、1991年11月にコンピュータと周辺機器を加え、1994年の売上高は約100億円に達した

  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 OA機器、電話機等の販売及びリースを目的として株式会社光通信を設立)
    • [1]1988年2月 株式会社光通信を設立(資本金1百万円)
    • [2]設立目的はOA機器・電話機等の販売及びリース
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [3]重田康光氏は1965年2月東京都生まれ(1997年4月時点で32歳)
    • [4]自由化されたばかりの電話機販売会社でのアルバイトを通じ、規制緩和の動きの中にビジネスチャンスを見つけた
    • [5]父の九十九氏と兄の樹男氏がともに弁護士。重田氏は高校に入るころから事業家になる自分を思い描いた
    • [6]1983年3月に巣鴨高校を卒業後、2年間アルバイトとパチンコの生活。日本大学経済学部に入学するがすぐ中退
    • [12]1994年当時の売上高は約100億円
  • 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
    • [7]日本電信電話(NTT)の民営化を報じる新聞記事を読み、これからは通信が伸びると判断した
    • [8]ホームテレホンの訪問販売から開始し、半年後に第二電電(DDI)の代理店業務を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(市外電話サービスの回線販売事業を開始)
    • [9]市外電話サービスの回線販売事業を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
    • [10]1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始)
    • [11]1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始
訪問先を絞る名簿

訪問先を担当者の勘で選ばせないため、名簿には日本電信電話の電話帳に載る約530万社を使った。営業担当は名簿に沿って電話で訪問の約束を取り、訪問先のOA機器・通信会社名・リース期限・反応を記録して次へ回した。市外電話の担当者には顧客の国際電話の利用量を記録させ、国際電話の担当者は利用の多い会社だけを回った。複写機は3年以上使い、買い換え時期に来た相手だけを訪ねた。訪問の量ではなく誰を訪ねるかを絞る設計であり、受注した相手は画面から消えて二度目の営業が生じなかった。複写機の販売は1995年1月の月間250台から、1年ほどで月間1,000台超の勢いへ伸びた。運用を支えたのは、従業員650人へ1,300台のパソコンを配った情報基盤だった

  • 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
    • [13]NTTのタウンページ掲載の約530万社を営業データベースの基礎に使用
    • [15]市外電話の営業担当に顧客の国際電話利用量のデータ化を義務づけ、国際電話の営業担当が利用の多い会社だけを対象にできる
    • [16]複写機は買い換え需要が出る3年以上使用した相手にのみ営業
    • [17]一度受注した先は瞬時にパソコン画面から消え、同じ相手への重複営業を防ぐ
    • [18]1995年1月に月間250台だった複写機の販売が、1996年初には月間1,000台を超える勢い
    • [19]従業員650人に対し1,300台のパソコンを導入、社内LANにより情報を共有化
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [14]訪問先企業のOA機器・通信会社名・リース期限・訪問時の反応をデータベース化し、営業効率を向上
成果で毎月入れ替える人事

最大の成果が出る配置へ置き替えるため、人事異動は毎月行われ、営業成績しだいで平社員から統括部長級まで上がった。学歴は事実上問わず、高校卒も大学院卒も33等級の給与表の最下位から始めた。役員から降格した者も2人おり、昨日の部下が翌日に上司となる事態も起きた。企業向けの営業担当は朝8時過ぎから夜10時か11時まで働き、休日出勤も多かった。人事を貫いたのは『目標に対して最も成果の上がる組織、仕組みとは何か』という問いで、適材適所こそ最大の成果を生むという結論に立った。降格しても力を見せれば復活でき、一度の失敗で差別しない敗者復活も置いた。毎月の入れ替えを重ねて組織は一般社員・管理職・役員・社長の4階層にとどまり、1995年11月末の平均年齢は25.9歳だった

  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [20]人事異動は毎月あり、営業成績しだいで平社員からサブマネージャー・マネージャー・統括(部長級)へ昇格
    • [21]事実上学歴不問。高校卒も大学院卒も33等級ある給与表の最下位から始める
    • [22]役員から降格した者が過去2人
    • [23]昨日まで部下だった社員が翌日に上司となり、さん付けで呼ぶ事態も起きる
    • [24]企業向け携帯電話の営業担当は朝8時過ぎから夜10時か11時まで働き、休日出勤もざら
    • [25]組織が最大の成果を上げるために大事なのは何より適材適所、と重田氏が説明
    • [26]降格しても力を見せればすぐに復活でき、一度失敗しても差別しないという敗者復活の人事
  • 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
    • [27]一般社員・管理職・役員・社長の4階層しかないフラットな組織
    • [28]従業員の平均年齢は25.9歳(1995年11月末時点)
参考文献[1]-[28]
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 OA機器、電話機等の販売及びリースを目的として株式会社光通信を設立)
    • [1]1988年2月 株式会社光通信を設立(資本金1百万円)
    • [2]設立目的はOA機器・電話機等の販売及びリース
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [3]重田康光氏は1965年2月東京都生まれ(1997年4月時点で32歳)
    • [4]自由化されたばかりの電話機販売会社でのアルバイトを通じ、規制緩和の動きの中にビジネスチャンスを見つけた
    • [5]父の九十九氏と兄の樹男氏がともに弁護士。重田氏は高校に入るころから事業家になる自分を思い描いた
    • [6]1983年3月に巣鴨高校を卒業後、2年間アルバイトとパチンコの生活。日本大学経済学部に入学するがすぐ中退
    • [12]1994年当時の売上高は約100億円
    • [14]訪問先企業のOA機器・通信会社名・リース期限・訪問時の反応をデータベース化し、営業効率を向上
    • [20]人事異動は毎月あり、営業成績しだいで平社員からサブマネージャー・マネージャー・統括(部長級)へ昇格
    • [21]事実上学歴不問。高校卒も大学院卒も33等級ある給与表の最下位から始める
    • [22]役員から降格した者が過去2人
    • [23]昨日まで部下だった社員が翌日に上司となり、さん付けで呼ぶ事態も起きる
    • [24]企業向け携帯電話の営業担当は朝8時過ぎから夜10時か11時まで働き、休日出勤もざら
    • [25]組織が最大の成果を上げるために大事なのは何より適材適所、と重田氏が説明
    • [26]降格しても力を見せればすぐに復活でき、一度失敗しても差別しないという敗者復活の人事
  • 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
    • [7]日本電信電話(NTT)の民営化を報じる新聞記事を読み、これからは通信が伸びると判断した
    • [8]ホームテレホンの訪問販売から開始し、半年後に第二電電(DDI)の代理店業務を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(市外電話サービスの回線販売事業を開始)
    • [9]市外電話サービスの回線販売事業を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
    • [10]1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始)
    • [11]1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始
  • 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
    • [13]NTTのタウンページ掲載の約530万社を営業データベースの基礎に使用
    • [15]市外電話の営業担当に顧客の国際電話利用量のデータ化を義務づけ、国際電話の営業担当が利用の多い会社だけを対象にできる
    • [16]複写機は買い換え需要が出る3年以上使用した相手にのみ営業
    • [17]一度受注した先は瞬時にパソコン画面から消え、同じ相手への重複営業を防ぐ
    • [18]1995年1月に月間250台だった複写機の販売が、1996年初には月間1,000台を超える勢い
    • [19]従業員650人に対し1,300台のパソコンを導入、社内LANにより情報を共有化
    • [27]一般社員・管理職・役員・社長の4階層しかないフラットな組織
    • [28]従業員の平均年齢は25.9歳(1995年11月末時点)

1993年〜第二電電の契約減から携帯電話への主力交代

営業力ごと移した主力交代

1993年後半、光通信は第二電電・国際デジタル通信の取次とOA機器販売が中心の組織を携帯電話中心へ切り替え、社員を集中投入した。取次の対象は順に広げ、1992年12月に国際電話、1993年6月に携帯電話の回線販売事業を本格化していた。切り替えを促したのは、日本電信電話が長距離通話料金を値下げし、第二電電の料金優位が薄れて契約が激減したことだった。携帯電話の新規加入は1995年3月までの1年間で220万台に達し、1979年のサービス開始から1994年3月までの累積加入台数に匹敵した。それでも切り替えを決めた時点で、爆発的な普及を予想する声はほとんどなかった。主力の交代は売り方の交代も伴い、訪問販売から店頭販売へ軸足が移った

  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [29]DDI・IDCの加入取次やOA機器販売中心だった組織を携帯電話中心へ切り替え、社員を集中投入
    • [34]携帯電話の爆発的普及を予想する声はほとんどなかった
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化)
    • [30]1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化)
    • [31]1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化
  • 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
    • [32]1993年後半、NTTが長距離通話料金を値下げしてDDIの優位性が薄れ、契約が激減
    • [33]1995年3月までの1年間の携帯電話新規加入は220万台で、1979年のサービス開始から1994年3月までの累積加入台数に匹敵
    • [35]訪問販売から店頭販売へ軸足を移した
現場が決める出店

出店の速さを支えたのは、テナントを決める権限を現場へ置いた設計である。保証金3,000万円の物件でも中途入社1年目の社員が決め、統轄部長が現地を見て5分で決裁することもあったという。1994年4月に携帯電話機器へ売切り制が入り、光通信も端末の販売を始めていた。ツーカーセルラーとデジタルホンの2グループが参入し、販売価格は急落して加入料と通話料の値下げも相次いだ。在庫リスクと利幅の縮小が販売業者を襲い、東京デジタルホンは1次代理店を約300店から200店程度へ絞った。苦情処理の煩雑さを嫌って代理店をやめる例も多かった。撤退が続く局面で光通信は逆に踏み込み、1994年5月に新宿区で第1号店を開いて毎週1店舗の速さで出店を重ねた

  • 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
    • [36]保証金3,000万円のテナント物件でも中途入社1年目の社員が決める
    • [37]統轄部長が物件を見て5分で決裁することもある
    • [39]1994年4月に端末の売り切り制が導入され、ツーカーセルラー・デジタルホンの2グループが新規参入。販売価格は急落し、加入料や通話料の値下げも相次いだ
    • [40]売れ筋の変化による在庫リスクや価格低下による利幅の減少に販売業者がさらされた
    • [41]東京デジタルホンの1次代理店はピーク時の約300店から200店程度へ絞り込まれた
    • [42]説明や回線の契約、クレーム処理の煩雑さに嫌気がさして代理店をやめるケースも多い
    • [44]ヒットショップを始めた1994年5月以降、毎週1店舗のペースで出店
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始)
    • [38]1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
    • [43]東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店(1994年5月)
2日で決めた量販店卸の新設

1994年10月、光通信は組織を変えて卸部門を新設した。売切り制の開始から半年、価格は当初の半値の5万円前後まで下がり、さらに安く売る量販店が現れていた。同年9月初め、首都圏の営業担当が『今日、ある家電量販店が携帯電話を安売りしているのを見た』との情報を電子メールで全社員へ流した。2日後にはプロジェクトチームを組み、量販店の攻略を決めた。卸業の経験はなく、ノウハウ集めも市場調査もしなかった。販売奨励金は量が多いほど有利で、通話利用料に比例する継続手数料も積み上がり、量の確保が低価格と両立した。契約する量販店は3カ月で約70社に達し、1995年には携帯電話販売の約3分の2が量販店経由となった。1995年8月期の売上高は261億1,900万円に伸びた

  • 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
    • [45]1994年10月に組織変更して卸部門を新設
    • [46]1994年4月の売り切り制開始後、販売価格は当初の半値にあたる5万円前後まで下落。さらに安い価格で売る量販店が現れた
    • [47]1994年9月初め、首都圏担当の営業担当が量販店の携帯電話安売りを電子メールで全社員に伝えた
    • [48]2日後に社内プロジェクトチームを結成して量販店攻略を決定
    • [49]卸業については全くの素人で、ノウハウ収集も綿密な市場調査もしなかった
    • [54]1995年8月期の売上高261億1,900万円
  • 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
    • [50]キャリアの販売奨励金は販売量が多いほど有利で、顧客の通話利用料に比例する継続手数料も累積する
    • [51]量の拡大が量販店・ディスカウントストアに引けを取らない低価格を支えた
    • [53]1995年時点で携帯電話販売の約3分の2を量販店経由で販売
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [52]家電量販店への卸売り開始から3カ月で約70社と契約
参考文献[29]-[54]
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [29]DDI・IDCの加入取次やOA機器販売中心だった組織を携帯電話中心へ切り替え、社員を集中投入
    • [34]携帯電話の爆発的普及を予想する声はほとんどなかった
    • [52]家電量販店への卸売り開始から3カ月で約70社と契約
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化)
    • [30]1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化)
    • [31]1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化
  • 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
    • [32]1993年後半、NTTが長距離通話料金を値下げしてDDIの優位性が薄れ、契約が激減
    • [33]1995年3月までの1年間の携帯電話新規加入は220万台で、1979年のサービス開始から1994年3月までの累積加入台数に匹敵
    • [35]訪問販売から店頭販売へ軸足を移した
    • [36]保証金3,000万円のテナント物件でも中途入社1年目の社員が決める
    • [37]統轄部長が物件を見て5分で決裁することもある
    • [39]1994年4月に端末の売り切り制が導入され、ツーカーセルラー・デジタルホンの2グループが新規参入。販売価格は急落し、加入料や通話料の値下げも相次いだ
    • [40]売れ筋の変化による在庫リスクや価格低下による利幅の減少に販売業者がさらされた
    • [41]東京デジタルホンの1次代理店はピーク時の約300店から200店程度へ絞り込まれた
    • [42]説明や回線の契約、クレーム処理の煩雑さに嫌気がさして代理店をやめるケースも多い
    • [44]ヒットショップを始めた1994年5月以降、毎週1店舗のペースで出店
    • [50]キャリアの販売奨励金は販売量が多いほど有利で、顧客の通話利用料に比例する継続手数料も累積する
    • [51]量の拡大が量販店・ディスカウントストアに引けを取らない低価格を支えた
    • [53]1995年時点で携帯電話販売の約3分の2を量販店経由で販売
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始)
    • [38]1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
    • [43]東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店(1994年5月)
  • 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
    • [45]1994年10月に組織変更して卸部門を新設
    • [46]1994年4月の売り切り制開始後、販売価格は当初の半値にあたる5万円前後まで下落。さらに安い価格で売る量販店が現れた
    • [47]1994年9月初め、首都圏担当の営業担当が量販店の携帯電話安売りを電子メールで全社員に伝えた
    • [48]2日後に社内プロジェクトチームを結成して量販店攻略を決定
    • [49]卸業については全くの素人で、ノウハウ収集も綿密な市場調査もしなかった
    • [54]1995年8月期の売上高261億1,900万円

1995年〜二層コミッションという収益構造と、店頭公開後の売上2,592億円

収益を端末価格から切り離す二層の手数料

端末価格が下がっても収益が続く形を、キャリアからの手数料の受け取り方で作った。契約を獲得した段階の受付コミッションと、継続して受け取る変動コミッションである。変動ぶんは通話料金への比率などで算出され、費用を伴わずに長期にわたって入るため収益を安定させた。受付ぶんは仕入単価と対にして価格を決め、単価が下がっても収益がそのぶん落ちる形にはしなかった。この手数料は業界の1次代理店すべてに共通したが、当初から重要な収益モデルととらえた点が他社と違った。商材も広げ、1995年5月にビジネスホン、同年7月にPHSの取次と端末販売を始めた。携帯電話とPHSの月間販売台数は1994年9月の約4,000台から、1996年2月に6万台へ積み上がった

  • 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
    • [55]キャリアから受け取るコミッションは受付コミッションと変動コミッションの2種類
    • [56]受付コミッションはサービスを獲得した段階での一時金、変動コミッションは継続的に受け取る手数料
    • [57]変動コミッションは利用者の通話料金に対するパーセンテージなどで算出され、コストがかからず長期的に入るため収益面の安定化に寄与
    • [58]受付コミッションは仕入単価と受付コミッション単価を鑑みて価格を決めており、受付コミッションが下がるとそのぶん収益が下がる仕組みにはしていない
    • [62]携帯電話・PHSの月間販売台数は1994年9月の約4,000台から1995年11月2万台、同年12月3万4,000台、1996年1月4万4,000台、2月6万台
  • 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)
    • [59]ストックコミッションの仕組みは業界の習慣で全ての1次代理店が同じだが、当初からこれを重要な収益モデルと捉えた点が他社と違った、と重田氏が説明
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化)
    • [60]1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始)
    • [61]簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始(1995年7月)
店頭公開の信用で広げた1,500店

1996年2月、光通信は株式を日本証券業協会へ登録し、店頭公開に踏み切った。売切り制の導入から2年半で販売店は全国に約300店を数え、1998年8月には540店へ広げる計画だった。売上高の約8割は携帯電話とPHSの販売で、残りは企業向けの加入取次とOA機器が支えた。公開時の社長として31歳の重田氏は最年少記録を更新し、翌期に1,000億円企業となった32歳も史上最年少だった約300店から1,500店へ出店を積み増す速さを支えたのは、公開で得た信用だった。売上高は1995年8月期の261億円から1996年8月期に560億円、1997年8月期は1,022億8,000万円の見込みへ伸び、1999年5月には携帯電話の販売店舗が全国で1,500店に達して、株式は東京証券取引所市場第一部へ上場した

  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録)
    • [63]1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録(店頭公開は2月27日)
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [64]売り切り制導入から2年半で「HIT SHOP」を全国に約300店展開し、1998年8月には540店へ拡大する計画
    • [65]携帯電話・PHSの販売が売上高の約8割。ほかにDDI・IDCの加入取次、コピー機などOA機器の販売
    • [67]31歳で店頭公開、32歳で1,000億円企業はいずれも史上最年少
    • [68]1997年8月期の売上高見込みは1,022億8,000万円。前期560億円、前々期261億円
  • 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
    • [66]1996年2月の株式店頭公開時、31歳の重田社長が公開時の社長最年少記録を更新
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗)
    • [69]1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
    • [70]光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場
取次の資金を未公開株へ回した出資

1999年8月期の有価証券報告書には、クレイフィッシュへの8億2,865万円のほか24社の国内ネットベンチャーへの出資が並んだ。1998年9月にレンタルサーバー事業を本格化しており、通信の取次以外へ収益源を広げる動きは前年から始まっていた。1999年8月期の売上高は2,592億円、当期純利益は98億8,000万円だった。株式を公開した1996年8月期の560億円から3年で4倍を超えた。同じ年に株価は大幅に値上がりし、その背景にはインターネットと携帯電話への投資家の期待の高さがあった回線の取次で積んだ資金を未公開株へ向ける構えが、次の10年の損益を大きく揺らす起点となった。

  • 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)
    • [71]1999年8月期の有価証券報告書に基づく国内ネットベンチャー投資はクレイフィッシュ8億2,865万円ほか24社
    • [75]1999年の株価大幅上昇について、インターネットや携帯電話への投資家の期待が高いためと重田氏が説明
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化)
    • [72]1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化
  • 光通信 会社年鑑(1999年8月期・単体業績)
    • [73]1999年8月期 売上高2,592億円・当期純利益98億8,000万円(単体)
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [74]1996年8月期の売上高は560億円
参考文献[55]-[75]
  • 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
    • [55]キャリアから受け取るコミッションは受付コミッションと変動コミッションの2種類
    • [56]受付コミッションはサービスを獲得した段階での一時金、変動コミッションは継続的に受け取る手数料
    • [57]変動コミッションは利用者の通話料金に対するパーセンテージなどで算出され、コストがかからず長期的に入るため収益面の安定化に寄与
    • [58]受付コミッションは仕入単価と受付コミッション単価を鑑みて価格を決めており、受付コミッションが下がるとそのぶん収益が下がる仕組みにはしていない
    • [62]携帯電話・PHSの月間販売台数は1994年9月の約4,000台から1995年11月2万台、同年12月3万4,000台、1996年1月4万4,000台、2月6万台
  • 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)
    • [59]ストックコミッションの仕組みは業界の習慣で全ての1次代理店が同じだが、当初からこれを重要な収益モデルと捉えた点が他社と違った、と重田氏が説明
    • [71]1999年8月期の有価証券報告書に基づく国内ネットベンチャー投資はクレイフィッシュ8億2,865万円ほか24社
    • [75]1999年の株価大幅上昇について、インターネットや携帯電話への投資家の期待が高いためと重田氏が説明
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化)
    • [60]1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始)
    • [61]簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始(1995年7月)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録)
    • [63]1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録(店頭公開は2月27日)
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
    • [64]売り切り制導入から2年半で「HIT SHOP」を全国に約300店展開し、1998年8月には540店へ拡大する計画
    • [65]携帯電話・PHSの販売が売上高の約8割。ほかにDDI・IDCの加入取次、コピー機などOA機器の販売
    • [67]31歳で店頭公開、32歳で1,000億円企業はいずれも史上最年少
    • [68]1997年8月期の売上高見込みは1,022億8,000万円。前期560億円、前々期261億円
    • [74]1996年8月期の売上高は560億円
  • 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
    • [66]1996年2月の株式店頭公開時、31歳の重田社長が公開時の社長最年少記録を更新
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗)
    • [69]1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
    • [70]光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化)
    • [72]1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化
  • 光通信 会社年鑑(1999年8月期・単体業績)
    • [73]1999年8月期 売上高2,592億円・当期純利益98億8,000万円(単体)

第2章 2000-2004 (気が向いたら執筆します!) HIT SHOPの架空契約問題と負債圧縮、複写機営業の強化と黒字転換

第3章 2005-2017 (気が向いたら執筆します!) 保険取次と自社商材への転換、エフティグループ・ウォーターダイレクトの買収と電力参入

第4章 2018-2026 (気が向いたら執筆します!) 時価総額1兆円とシック・HDの完全子会社化、HTBエナジー買収と過去最高益

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歴史年表 1988〜2024年

光通信の沿革1988〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1988〜1999年通信自由化に乗った販売代理と、携帯電話が開いた急拡大重田康光通信自由化を機とした創業と、後の主力となる販売手法の設計

1988年2月、重田康光氏が資本金100万円で光通信を設立した経営判断。設立の目的はOA機器・電話機等の販売及びリースで、半年後の7月には市外電話サービスの回線販売事業を始めている。NTT民営化に始まる通信自由化が生んだ回線取次という商機に、猛烈な訪問営業と徹底した実力主義人事を組み合わせた営業モデルを、創業時から設計思想として組み込んだ。

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★★★
重田康光市外電話サービスの回線販売事業に参入
重田康光複写機・FAXの販売開始
重田康光コンピュータ機器の販売開始
重田康光国際電話サービス回線販売事業を本格化
重田康光携帯電話サービス回線販売事業に参入
重田康光携帯電話の売切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立

携帯電話がレンタルから売切り制へ移った1994年4月、光通信は携帯電話機器の販売を開始し、翌5月に東京都新宿区へ携帯電話販売ショップHITSHOPの第1号店を開店した。直営店とチェーン加盟店の二本立てで店舗網を拡大し、1995年7月時点で直営22店・加盟28店、同年12月末には加盟店を含め全国79店舗となった。 1997年4月には全国約300店、1998年8月に500店、1999年5月には1,500店へ達する。端末の利ざやではなく、契約者の通話料金に連動して継続的に入るコミッションを収益源に据えた経営判断である。

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★★★
重田康光ビジネスホンの販売を本格化
重田康光簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次・端末販売を開始
重田康光株式を日本証券業協会に登録(店頭公開)
重田康光レンタルサーバービジネスを本格化
重田康光ネットバブル期に膨らんだベンチャー投資と、その後始末に追われた経営の混乱

携帯電話小売の急成長で潤沢な資金と高い株価を得た光通信は、1999年3月にクレイフィッシュを子会社化し、翌2000年3月に東京証券取引所マザーズへ上場させた。ネットバブルが崩れると出資先の価値は急速に痩せ、2000年8月期には投資損失引当金103億円を計上している。 本業のHITSHOP架空契約問題と同じ時期に投資も行き詰まり、2001年3月、重田康光社長は私財100億円を拠出して収拾を図った。

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★★★
重田康光東京証券取引所市場第一部に株式上場
2000〜2004年HIT SHOPの架空契約問題と負債圧縮、複写機営業の強化と黒字転換重田康光契約実態のない売上計上の露見を受けた携帯電話小売からの撤退

2000年3月、携帯電話専門店HIT SHOPのフランチャイズ店で架空契約「寝かせ」が発覚した。前年9月に東京証券取引所市場第一部へ上場したばかりの光通信の株価は20日連続のストップ安を記録し、国内のネットバブル崩壊の引き金となった。1999年5月に全国1,500店まで膨らんだ店舗網は不採算店のリストラで削られ、2003年3月には470店へ縮小する。売上高は2000年8月期の3,166億円を頂点に、7か月間の変則決算となった2002年3月期には710億円まで減少した。

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★★★
重田康光有利子負債の圧縮開始★★
重田康光決算期を8月から3月に変更
重田康光保険取次販売事業を本格化★★
玉村剛史社債償還危機下の有利子負債圧縮と収益源の入れ替え

ITバブル崩壊で携帯電話販売が失速した光通信は、2002年から2003年にかけて不採算店舗を整理し、収益源を携帯電話の受付コミッションからOA機器などの自社商材へ組み替えた。2003年3月、携帯電話販売ショップは不採算店舗のリストラで全国470店舗まで縮み、代わって複写機を売る法人事業の営業所が全国22ヶ所に立った。この期の連結売上高は124,105百万円、経常利益は3,403百万円、当期純損益は7,922百万円の赤字である。

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★★★
玉村剛史代表取締役2名体制を採用
玉村剛史重田康光氏が会長に就任
玉村剛史最終黒字に転換
2005〜2017年保険取次と自社商材への転換、エフティグループ・ウォーターダイレクトの買収と電力参入玉村剛史自社商材の販売を本格化
玉村剛史本社を池袋に移転
玉村剛史エフティグループを子会社化★★
玉村剛史ウェブクルー社を買収
玉村剛史中小企業向け営業チャネルに水・保険・電力を載せ替える多品目化

2014年12月から2015年2月にかけて、光通信は保険比較サイトのウェブクルーと宅配水のウォーターダイレクトを相次いで子会社化した。ウェブクルーは公開買付けで議決権90.87%を得て、取得原価13,920百万円に対し10,353百万円ののれんが生じた。ウォーターダイレクトは2015年2月に子会社化し、宅配水事業に配分されたのれんはIFRS移行日で1,960百万円だった。連結子会社は前期末の134社から174社へ増え、総資産はのれんの計上等により前期末比54,536百万円増の393,352百万円となった。

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★★★
玉村剛史販売品目の構成変更
玉村剛史電力事業に新規参入
玉村剛史監査等委員会設置会社へ移行
2018〜2026年時価総額1兆円とシック・HDの完全子会社化、HTBエナジー買収と過去最高益玉村剛史本業で積み上げたストック利益の、上場株の長期保有への振り向け

2019年3月期、光通信が持つ株式は、純投資目的が452銘柄・1,771億円、純投資目的以外が225銘柄・17億円となった。純投資はすべて上場株で、前期の372銘柄・1,088億円から一年で積み増している。純投資目的以外はすべて非上場株で、上場株は1銘柄も残っていない。 同じ期に、フルキャストホールディングス485万株(114億円)、パシフィックネット26万株(2億円)、日本テレホン31万株(1億円)の3銘柄を、保有目的を純投資目的以外から純投資目的へ変えている。上場株を持つ理由は利益を得ることだ、という整理が数字の上で完結した期にあたる。

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★★★
玉村剛史アクトコールを子会社化
和田英明和田英明氏が代表取締役社長に就任、玉村剛史氏は取締役副会長へ★★
和田英明さくら損害保険が損害保険免許を取得
和田英明上場子会社を完全子会社化してグループに取り込む資本政策

2022年1月18日、光通信は完全子会社のHCMAアルファを通じて、議決権の51.85%を持つ東証マザーズ上場のシック・ホールディングスへ公開買付けを行うと決めた。1株730円で買い付け、応募は10,760,299株に達して株券等所有割合は95.42%となり、同社は2022年4月12日に上場廃止となった。

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★★★
和田英明東京証券取引所一部からプライム市場へ移行
和田英明電力取引価格が高騰し新電力が退くなかで電力小売を買い増した判断

2022年、光通信の子会社HBDが、電力事業を営むHTBエナジーを取得した。電力取引価格の高騰で採算が崩れ、事業から退く会社が相次ぐなか、光通信は電力を買い増す側に回った。支払った対価は引き受けた純資産を下回り、2023年3月期に割安購入益3,327百万円がその他の収益に立っている。同じ期、電力小売の中核である子会社ハルエネは売上高114,988百万円に対して当期純損失5,151百万円を出し、純資産は5,819百万円のマイナスだった。

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★★★
和田英明報酬委員会・投資監査委員会を新設
和田英明過去最高益
出典・参考 20件
出典・参考
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 OA機器、電話機等の販売及びリースを目的として株式会社光通信を設立)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(市外電話サービスの回線販売事業を開始)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
  • 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化)
  • 光通信 会社年鑑(1999年8月期・単体業績)
  • 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
  • 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
  • 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
  • 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
  • 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)

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