| 期 | 区分 | 売上高 | 利益※ | 利益率 |
|---|---|---|---|---|
| 1988/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1989/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1990/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1991/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1992/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1993/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 116億円 | - | - |
| 1994/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 122億円 | 3億円 | 2.6% |
| 1995/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 261億円 | 7億円 | 2.6% |
| 1996/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 562億円 | 14億円 | 2.6% |
| 1997/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,220億円 | 31億円 | 2.6% |
| 1998/8 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,596億円 | 50億円 | 3.1% |
| 1999/8 | 単体 売上高 / 税引利益 | 2,592億円 | 98億円 | 3.8% |
| 2000/8 | 連結 売上高 / 税引利益 | 3,166億円 | 50億円 | 1.6% |
| 2001/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,230億円 | -563億円 | -45.8% |
| 2002/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 710億円 | -161億円 | -22.7% |
| 2003/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,241億円 | -79億円 | -6.4% |
| 2004/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,459億円 | 106億円 | 7.2% |
| 2005/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,710億円 | 194億円 | 11.3% |
| 2006/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,928億円 | 205億円 | 10.6% |
| 2007/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,118億円 | 184億円 | 8.6% |
| 2008/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,141億円 | 28億円 | 0.8% |
| 2009/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,336億円 | -10億円 | -0.3% |
| 2010/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,490億円 | 7億円 | 0.2% |
| 2011/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,490億円 | -7億円 | -0.2% |
| 2012/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,993億円 | 78億円 | 1.5% |
| 2013/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,003億円 | 168億円 | 3.3% |
| 2014/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,651億円 | 293億円 | 5.1% |
| 2015/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,625億円 | 207億円 | 3.6% |
| 2016/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 4,476億円 | 149億円 | 3.3% |
| 2017/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 4,289億円 | 361億円 | 8.4% |
| 2018/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 4,275億円 | 429億円 | 10.0% |
| 2019/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 4,843億円 | 495億円 | 10.2% |
| 2020/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 5,245億円 | 516億円 | 9.8% |
| 2021/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 5,594億円 | 546億円 | 9.7% |
| 2022/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 5,782億円 | 873億円 | 15.0% |
| 2023/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 6,439億円 | 913億円 | 14.1% |
| 2024/3 | 連結 売上収益 / (親)当期利益 | 6,019億円 | 1,222億円 | 20.3% |
2000年初頭、光通信の時価総額は3兆円を突破していた。1988年に重田康光が23歳で創業し、携帯電話販売店HIT SHOPをFC方式で1816店まで急拡大。1999年に東証一部に上場した時点で売上高2592億円、社員の平均年齢26歳。インターネットバブルの渦中にあった市場は、光通信を「通信×ITの成長企業」として評価し、株価は実態を大きく超えて膨張していた。しかし2000年、HIT SHOPの架空契約問題が発覚する。FCオーナーが過剰なノルマに追われ、携帯電話の架空契約を「寝かせ」で処理していた実態が露呈した。株価は20日連続のストップ安を記録し、8ヶ月で1/100の水準に暴落。日本のネットバブル崩壊の引き金となった。
もっとも、光通信が破綻を免れた経緯には皮肉がある――この企業を救ったのは経営者の判断力でも事業の底力でもなく、ネットバブルのさなかに取得していたソフトバンク株という、もう一つのバブルの産物であった。架空契約問題で685億円の特別損失を計上したが、バブル期に取得していたソフトバンク株の売却益800億円で相殺し、2000年8月期に50.7億円の最終利益を確保した。ネットバブルで膨張し、ネットバブルの崩壊で瀕死になった企業を、バブル期のもう一つの産物が救った。ここから光通信の再建が始まる。2000年3月末に2308億円あった有利子負債を3年で373億円に圧縮し、HIT SHOPの2600店を閉鎖して394店規模に縮小。携帯電話販売から撤退し、創業期の原点であった法人向けOA機器の訪問販売に回帰した。
こうして始まった再建を支えたのは、同時代のIT企業が競ったテクノロジーでも、MBAが説くブランド戦略でもなく、中小企業のオフィスを一軒ずつ回る泥臭い訪問営業であった。午前中にテレアポで見込み客を開拓し、午後に1日5〜6軒の訪問営業で中小企業にコピー機を売る。年間1500名を採用し、1000名以上が離職する過酷な環境の中で、タウンページ掲載の530万社をひたすら営業し続けた。コピー機販売は、1台売るごとに手数料が入り、さらに利用量に応じたストック収入が積み上がる構造を持つ。この地道な積み上げが、2004年の最終黒字転換につながった。その後も複写機から水、電力、保険へと販売商材を拡張しながら、中小企業向け営業チャネルというアセットを軸に成長を続け、2018年に時価総額1兆円を突破。2024年には過去最高益1222億円を記録した。
つまり光通信は、市場から二度「兆円企業」の値付けを受けながら、その中身がまったく異なるという稀有な軌跡を描いた企業である。最初の3兆円はFC展開の急拡大とネットバブルの熱狂が乗った数字であり、架空契約という実態の脆弱さを覆い隠していた。二度目の1兆円は、20年かけてストック型収益を積み上げた結果であり、派手さはないが営業キャッシュフローに裏付けられた数字である。同じ「兆円企業」でも、その中身はまったく異なる。市場は時に企業の実態を超えた値付けをするが、長期で見れば実力に収斂する。光通信の株価推移は、市場評価の本質がどこにあるかを映し出す事例として、教科書的ですらある。
光通信の営業モデルは、外部から見れば過酷な「人材の大量消費」に映る。2003年時点では年間1500名を採用し、1000名以上が離職していたとされる。未経験者を「固定給26万円+歩合制」で募集し、午前テレアポ・午後訪問を繰り返させ、ノルマを達成できなければ自然に脱落していく。しかし、このモデルが20年以上にわたって機能し続け、2024年に過去最高益1222億円を記録している事実は、単なるブラック企業という評価では説明できない。このモデルが成立する構造的条件がある。
まず第一の条件は、日本に530万社存在する中小企業という、誰もが知りながら大手メーカーが組織的に攻略しようとしなかった巨大な分散市場の存在である。日本の中小企業は1社あたりの売上規模が小さく、リコーやキヤノンといった大手メーカーにとっては個別に営業をかけるコストが見合わない。光通信が狙ったのは、この「誰もが存在を知りながら大手が放置していた」層だった。タウンページ530万社は参入障壁のないオープンデータだが、そこに片っ端から電話をかけて訪問する営業力を組織化した企業は他にほとんどいなかった。なお、光通信がOA機器の主要仕入先としたのは、事務機市場でリコー・キヤノン・富士ゼロックスに対し下位に位置していたシャープである。大企業向け直販網で劣後していたシャープにとっても、光通信の中小企業向け営業チャネルは大手が取りにいかない市場を開拓する販路として利害が合致していた。
次に第二の条件は、商材そのものの構造にある――光通信が扱う商品はいずれも差別化が困難であり、高度な専門知識ではなく「顧客への接触回数」が売上を左右する市場であった。光通信が扱ってきた商品――コピー機、携帯電話、ウォーターサーバー、電力、保険――はいずれも「売った後にストック収入が入る」構造であり、なおかつ商品自体の差別化が難しい。コピー機の性能差ではなく「営業マンが来て提案したかどうか」で導入が決まる市場である。高度な商品知識がなくても接触頻度と提案回数で勝負でき、未経験の若手を大量に投入しても一定の成約率が確保できる。営業力を属人的スキルではなく接触回数という量の問題に還元する構造を設計したことが、このモデルの前提条件だった。
こうして二つの条件が揃ったとき、年間1000名超という離職率はもはや組織の欠陥ではなく、営業部隊を常に最適化し続ける暗黙の選別装置として機能し始めた。歩合制の比率が高いため成果を出せない人材のコストは限定的であり、成果を出す人材だけが残るメカニズムが常時作動する。離職者が入れ替わることで組織は常に「若く、ハングリーで、既存の商慣行に染まっていない」状態が維持される。市場と商材の構造が大量採用・大量離職を許容し、離職そのものが営業組織の活力を維持する仕組みとして定着した。光通信の営業モデルが20年間機能し続けた理由は、人材を酷使したからではなく、人材の定着を前提としない組織構造を先に設計していたからである。
光通信の創業期で重要なのは、NTTのタウンページ530万社を営業リストとして活用した点にある。公開情報であり参入障壁はゼロだが、片っ端から電話をかけて訪問する営業力を組織化した企業は他にほとんどなかった。大手OA機器メーカーにとって1社あたりの売上が小さい中小企業は個別営業のコストが見合わない。この「大手が放置した分散市場」に大量の営業人員を投入する手法が、光通信のビジネスモデルの原型となった。
1988年2月、重田康光は日本大学を中退し4年間のアルバイト生活を経た後、23歳で光通信株式会社を設立した。創業の背景にあったのは、1985年のNTT民営化に始まる通信市場の自由化である。第二電電(現KDDI)をはじめとする新規事業者が相次いで市場に参入したが、各社とも自前の販売網を持たず、顧客への販売チャネルの確保を外部の代理店に依存していた。キャリアと顧客の間に立つ販売代理業に事業機会が生まれた時期に、重田は通信機器の訪問販売で起業した。
創業当初はホームテレホンの訪問販売から事業を開始し、半年後には第二電電と代理店契約を締結した。通信キャリアが開発した商品やサービスを、キャリアに代わって最終顧客に届ける代理店モデルは、自社で商品を開発・在庫する必要がなく、販売力のみで事業を成立させられる構造を持っていた。通信機器の普及率が急速に高まる1980年代後半において、販売チャネルの数と速度が市場シェアを左右する局面が続いており、営業人員を武器とする光通信の事業モデルは市場環境と合致していた。
1990年、光通信は通信機器の販売代理に加え、複写機やビジネス電話などOA機器の訪問販売に事業を拡大した。取り扱い製品は主にシャープ製であり、事務機市場でリコー・キヤノン・富士ゼロックスに対して下位に位置していたシャープとの間で販売パートナーシップを構築した。大企業向け直販網で劣後していたシャープにとっても、光通信が開拓する中小企業市場は競合大手が手薄な領域であり、両社の利害が合致する取引関係であった。
中小企業への営業においてアタックリストとして活用したのが、NTTが発行する電話帳「タウンページ」に掲載された約530万社の企業情報であった。公開情報であるため参入障壁は存在しなかったが、掲載企業に片端から電話をかけて訪問の約束を取り付け、対面で商品を販売するという手法を組織的に実行する企業は他にほとんどなかった。光通信はこのオープンデータを営業の起点とし、大手メーカーが個別にカバーするにはコストが見合わない中小企業の分散市場を、大量の営業人員で開拓する手法を確立した。
光通信の創業期で重要なのは、NTTのタウンページ530万社を営業リストとして活用した点にある。公開情報であり参入障壁はゼロだが、片っ端から電話をかけて訪問する営業力を組織化した企業は他にほとんどなかった。大手OA機器メーカーにとって1社あたりの売上が小さい中小企業は個別営業のコストが見合わない。この「大手が放置した分散市場」に大量の営業人員を投入する手法が、光通信のビジネスモデルの原型となった。
HIT SHOPのビジネスモデルで構造的に注目すべきは、ストックコミッションの積層構造が店舗拡大の合理性を自己正当化する仕組みを持っていた点にある。1台あたり月額300円が5〜10年積み上がる構造は、契約件数の増大が将来収益を確定的に膨らませることを意味し、FC方式による急拡大を経済的に合理化した。しかしFCオーナーに課された厳しいノルマは架空契約の誘因となり、成長を加速させた同じ構造が不正の温床にもなった。
1993年後半、NTTは長距離通話料金の値下げを実施し、携帯電話の端末価格が下落したことを受けてNTTやDDIが従来のレンタル方式から売り切り方式へ転換した。端末が消費者に直接販売される仕組みに変わったことで、携帯電話キャリアとは別に販売チャネルを担う小売事業者に事業機会が生まれた。光通信はこの変化を「近い将来、ほとんどの人が使うようになる」市場の到来と捉え、従来のOA機器訪問販売から携帯電話の店舗販売へと軸足を移す方針を決めた。
1994年5月、光通信は東京・新宿に携帯電話販売店「HIT SHOP」の1号店を開業した。HIT SHOPの収益構造は、新規契約獲得時に携帯電話キャリアから受領する受付コミッション(約4.3万円)と、1台あたり月額300円が契約期間5〜10年にわたり入金されるストックコミッションの二層で構成されていた。利用者の増加がそのまま積層的な収益増に直結する構造であり、店舗数の拡大が経済合理的な成長戦略となる前提条件が整っていた。
1998年3月、光通信は店舗拡大を加速するため、従来の直営方式からフランチャイズ方式への注力を決定した。FC方式では加盟店オーナーが出店費用を負担し、光通信はフランチャイズから手数料を収受する仕組みであった。自社の資本投下を抑えながら出店速度を上げられるFC方式の採用により、携帯電話市場の急成長に合わせた店舗網の拡大が可能となった。光通信は各地域に点在するFCオーナーの資本と労力を活用し、直営では実現困難な出店ペースで全国展開を推進した。
FC方式への転換が奏功し、1998年12月にHIT SHOPの店舗数は1816店に到達した。直営店とフランチャイズを合わせた全国規模の販売チェーンが短期間で構築された背景には、1990年代後半の携帯電話加入者の急増があった。市場の拡大期に販売チャネルを先行して確保する戦略は奏功し、光通信の売上高は1999年12月期に2592億円を計上。重田康光氏は32歳で株式公開を果たし、1999年9月には東京証券取引所第一部への上場を実現した。
しかし、FC方式による急拡大は構造的なリスクを内包していた。光通信はFCオーナーに対して厳しい契約獲得ノルマを課しており、ノルマ未達の場合は光通信とのフランチャイズ契約が解除される可能性があった。店舗存続がノルマ達成に直結する構造のもとで、一部のFCオーナーや従業員は、携帯電話の架空契約を行い「寝かせ」と呼ばれる手法でノルマを見かけ上達成する不正行為に手を染めた。2000年にこの問題が表面化し、光通信は20日連続のストップ安を記録する事態に陥った。
HIT SHOPの事例は、ストック型の収益構造が急拡大の合理性を担保する一方で、拡大を支えるFCオーナーに過度な圧力を構造的に生み出す両面性を持っていたことを示している。ストックコミッションが積み上がるほど既存契約の価値が増大し、新規獲得への投資を正当化する循環が生まれる。しかし末端のFCオーナーにとっては、この成長圧力が不正の誘因となり、成長の加速装置と崩壊の導火線が同一のビジネスモデルに内在する結果となった。
HIT SHOPのビジネスモデルで構造的に注目すべきは、ストックコミッションの積層構造が店舗拡大の合理性を自己正当化する仕組みを持っていた点にある。1台あたり月額300円が5〜10年積み上がる構造は、契約件数の増大が将来収益を確定的に膨らませることを意味し、FC方式による急拡大を経済的に合理化した。しかしFCオーナーに課された厳しいノルマは架空契約の誘因となり、成長を加速させた同じ構造が不正の温床にもなった。
「携帯電話やポケットベルなどの通信機器は、近い将来、ほとんどの人が使うようになる。他社に先駆けて販売網を構築できるかが勝負を決める」
「1日中、携帯電話のことを考えて次の戦略を練らなければついていけない。全く新しい市場だから経験則は通じないし、ノウハウも自分たちが手探りで築き上げるしかない」
HIT SHOP問題で685億円の特別損失を計上した光通信が破綻を免れた経緯には構造的な皮肉がある。損失を相殺したソフトバンク株式の売却益800億円は、ネットバブル期の投資によって得られたものであった。バブルで膨張した企業をバブル崩壊が瀕死に追い込み、バブル期に取得した別の資産がその損失を穴埋めした。経営判断ではなく保有資産の偶発的な帰結が生存を左右した点で、企業の存続が常に合理的判断の産物とは限らないことを示す事例である。
HIT SHOPには携帯電話の新規契約獲得に関して厳しいノルマが課せられていた。1816店の大半を占めるフランチャイズ店舗では、ノルマ未達の場合に光通信とのFC契約が解除される恐れがあったため、営業現場では不正な手法による見かけ上の契約達成が横行した。「寝かせ」と呼ばれる手法は、実際の利用者がいない携帯電話端末を契約し、携帯電話会社が課す違約金の支払い義務が生じる6ヶ月間を倉庫で保管してやり過ごすものであった。
2000年初頭にこの架空契約の実態が露呈し、光通信の社会的信頼は急速に失墜した。重田康光社長は当初「寝かせは代理店経営者が積極的に関与する可能性はない」「我々はむしろ被害者」と主張したが、架空契約がFC店舗の広い範囲で行われていた事実は否定できなかった。光通信がFCオーナーに課したノルマの構造自体が不正を誘発した側面があり、被害者という主張は市場には受け入れられなかった。
架空契約問題の影響は業績面にも波及し、2000年を通じて光通信は業績の下方修正を繰り返した。FC店舗で上積みされていた架空契約の剥落によって実態の契約数が大幅に縮小し、ストックコミッション収入の前提が崩れた。キャリアからの信頼も毀損され、HIT SHOPの事業基盤そのものが揺らぐ事態となった。
光通信はHIT SHOPの大規模な店舗閉鎖を決断した。まず1041店舗の閉鎖に着手し、従来のFC方式から直営展開への切り戻しを進めた。最終的には直営店を含めて2600店が閉鎖され、2003年までに394店規模の「SHOP事業」として再スタートを図ることとなった。携帯電話販売チェーンとして全国展開していたHIT SHOPの大半が姿を消し、わずか数年前に構築した店舗網のほぼ全てを手放す結果となった。
大量閉店は多額の特別損失を伴った。2002年8月期には店舗閉鎖に伴う立退料として515億円を特別損失に計上した。さらに、光通信がインターネットバブル期に実行していたベンチャー投資についても、投資先企業の株価下落により103億円の投資損失引当金を計上した。HIT SHOPの閉鎖損とベンチャー投資の評価損を合わせて、光通信は特別損失として合計685億円を計上する事態に陥った。
しかし光通信が財務的な破綻を免れたのは、経営判断よりも保有資産の帰結による部分が大きい。損失補填のために光通信が選択したのは、バブル期に取得していたソフトバンク株式の売却であった。2000年8月期に投資有価証券売却益として800億円を計上し、HIT SHOPおよびベンチャー投資の損失685億円を相殺した。この結果、2000年8月期に光通信は50.7億円の当期純利益を確保し、赤字転落と破綻を回避した。
HIT SHOP問題を契機として、光通信は財務体質の抜本的な改善に着手した。2000年3月末時点で2308億円に達していた有利子負債は、社債の償還と借入金の返済によって2003年3月末までに373億円に圧縮された。店舗閉鎖に伴うキャッシュフローの改善分と、ソフトバンク株売却で得た資金が負債圧縮の原資となり、3年間で約1900億円の有利子負債を削減する急速な財務再建が実現した。
株価の暴落は光通信に甚大な打撃を与えた。2000年初頭に時価総額3兆円を突破していた光通信の株価は、架空契約問題の発覚後に20日連続のストップ安を記録し、約8ヶ月間で1/100の水準にまで暴落した。この株価崩壊は光通信一社にとどまらず、日本国内におけるインターネットバブル崩壊の引き金として位置づけられている。
HIT SHOP問題を経て、光通信は携帯電話の店舗販売から事実上撤退し、創業期の原点であった法人向けOA機器の訪問販売への回帰を選択した。2600店の閉鎖と394店への縮小は、FC方式による急拡大モデルの放棄を意味しており、光通信のビジネスモデルは店舗型の小売事業から営業人員による訪問販売へと構造的に転換した。この方針転換が、2003年以降の複写機営業強化と営業職の大量採用へとつながっていく。
HIT SHOP問題で685億円の特別損失を計上した光通信が破綻を免れた経緯には構造的な皮肉がある。損失を相殺したソフトバンク株式の売却益800億円は、ネットバブル期の投資によって得られたものであった。バブルで膨張した企業をバブル崩壊が瀕死に追い込み、バブル期に取得した別の資産がその損失を穴埋めした。経営判断ではなく保有資産の偶発的な帰結が生存を左右した点で、企業の存続が常に合理的判断の産物とは限らないことを示す事例である。
寝かせは少なくとも代理店経営者が積極的に関与する可能性はない。多数の従業員がいる中で、寝かせをいかに防ぐかということです。審査は(セルラー電話などの)携帯電話会社が行い、我々は利用者から通話料金を回収していないので、どれが寝かせか本当はわからない。我々が携帯電話会社に払った寝かせの罰金を傘下の代理店から回収できる保証もない。
我々はむしろ被害者です。確かに、改善すべき点もあります。僕ら自身の戦略が少しでもシェアを上げようという仕組みなので、その点で行き過ぎがあるかもしれない。販売会社の宿命ともいえますが・・・。
光通信の営業モデルの本質は、商品差別化が困難な複写機市場において、営業を高度なスキルではなく接触回数の問題に還元した組織設計にある。タウンページ530万社へのテレアポとデータ蓄積、午後の訪問営業という標準化されたサイクルにより、未経験者でも一定の成約率を確保できる仕組みを構築した。年間1500名採用・1000名超離職という数字は、歩合制で成果を出せない人材のコストを限定し、残存者で営業力を維持する選別機構として作動した。
HIT SHOP問題による経営危機を経て、光通信は法人営業への原点回帰を決断した。携帯電話の店舗販売で余剰となった人員を、法人向け複写機の営業部門に振り向ける方針を定めた。複写機事業は販売時の手数料に加え、コピー使用量に応じたストック型の手数料収入が継続的に発生する収益構造を持っており、販売後もキャッシュフローが積み上がるビジネスモデルが事業再建の軸として選択された理由であった。
光通信の複写機事業におけるメーカーとの関係も、事業転換を支えた要因であった。1990年から光通信はシャープとOA機器販売で取引関係にあり、引き続きシャープ製品を中心に取り扱った。事務機市場でリコー・キヤノン・富士ゼロックスに対して下位に位置していたシャープにとっても、大手が直販で手薄な中小企業市場を光通信の営業力で開拓できる点は利害が一致した。メーカーから仕入れた製品を営業力で中小企業に販売する代理店モデルが光通信のビジネスの根幹となった。
光通信の法人事業は、大量の営業人員を採用して中小企業経営者への接触回数を最大化する手法に特化した。顧客リストとして活用したのは、NTTが発行するタウンページに掲載された約530万社の企業情報であった。公開情報であるため参入障壁はなかったが、掲載企業に片端から電話をかけて面会約束を取り付け、訪問営業で成約につなげるという手法を組織的に実行する競合は他にほとんど存在しなかった。
光通信は営業活動を「午前中のテレアポ、午後の訪問営業」という型に標準化した。午前中は見込み客に対して電話営業を実施し、コピー機の販売を持ちかけるとともに、対象企業のコピー機の機種・リース期間・1日のコピー枚数といった稼働情報を5〜6分で収集した。蓄積されたデータはリース切れ時期の把握に活用され、最適なタイミングでの売り込みが可能となった。データベースの情報量は約700万社分に達し、営業効率の向上を支える基盤となった。
午後は1日あたり5〜6軒の訪問営業に充てられた。訪問件数自体は多くないが、午前のテレアポで面会の約束を取り付けた見込み客を訪問するため成約率は高く、「面会の約束が取れたら5割程度は契約に結びつく」とされた。電話による情報収集と訪問営業を組み合わせた仕組みが販売効率を支えた。商品の技術的な差別化が難しい複写機市場において、光通信は営業力を属人的なスキルではなく接触回数とデータ活用という組織的な仕組みに還元した。
2003年6月には代表取締役2名体制を敷いて経営再建を本格化し、法人向けOA機器営業を事業の中核に位置づけた。光通信の営業モデルの特徴は、高度な商品知識を必要としない点にあった。複写機の性能差ではなく「営業マンが訪問して提案したかどうか」で導入が決まる市場であるため、未経験の若手を投入しても一定の成約率が確保できた。この構造が、大量採用を前提とした営業体制の基盤となった。
営業体制の強化にあたり、光通信は大量採用を前提とした人員確保を実施した。2003年時点で年間1500名の社員を採用し、中小企業向け営業の人員を拡充した。中途採用では「法人向け企画提案営業」の職種で「未経験者歓迎」「固定給26万円以上+歩合制」の条件を提示し、営業経験を問わない採用方針を取った。「何でもチャレンジしたい、元気のある人待ってます」という採用メッセージは、スキルよりも行動量を重視する光通信の営業文化を反映していた。
しかし、過酷な営業環境により離職者は年間1000名以上に及んだ。歩合制の比率が高い報酬体系のもとで成果を上げられない人材は経済的に維持が難しくなり、自然に脱落していく構造であった。光通信はこの離職を補填するために大量採用を継続する道を選択した。結果として、年間1500名を採用して1000名超が離職するという高い人員入替が常態化し、光通信は「営業が厳しく離職者が多い会社」として広く知られるようになった。
この大量採用・大量離職の循環は、光通信の営業組織を常に「若く、行動力があり、既存の商慣行に染まっていない」状態に維持する機能を果たした。2004年3月には最終黒字に転換し、OA機器の販売拡大による収益の回復が実現した。コピー機1台の販売ごとに手数料とストック収入が積み上がる構造は、営業人員の量的投入に比例して収益が拡大する仕組みであり、この地道な積み上げが経営再建の原動力となった。
光通信の営業モデルの本質は、商品差別化が困難な複写機市場において、営業を高度なスキルではなく接触回数の問題に還元した組織設計にある。タウンページ530万社へのテレアポとデータ蓄積、午後の訪問営業という標準化されたサイクルにより、未経験者でも一定の成約率を確保できる仕組みを構築した。年間1500名採用・1000名超離職という数字は、歩合制で成果を出せない人材のコストを限定し、残存者で営業力を維持する選別機構として作動した。
光通信の営業マンの朝は、まずはNTTから購入した中小企業の電話番号に片っ端から電話をかけることから始まる。営業マンが手にしているのは、担当する地域ごとに約3000社の電話番号をインプットした情報端末。それを見ながら、とにかく電話をかけまくる。電話をかけて呼び出す相手はもちろん、相手先の経営者である。
ただ電話する目的は、コピー機を売り込むことだけではない。その会社にまだコピー機の需要がなければ、すぐに電話を切られるだけだ。実は電話は情報収集の手段でもある。「コピー機の種類は」「リースか自社保有か」「1日のコピー枚数は」・・・。こうした情報を5〜6分で聞き取り、蓄積していく。即座に電話を切られることも少なくはないが、それでもデータは現在約700万社分。リース切れ時期などがわかれば、売り込むタイミングも計れる。販売効率は確実に向上する。
営業マンは午前中の電話を終えて午後は営業に走り回る。その数は1日あたり5〜6軒と意外に少ないが「面会の約束が取れたら5割程度は契約に結びつく」(山田敏広取締役)というから、データ活用の効果は大だ。