株式会社光通信を設立
重田康光(光通信・創業者)(当時23歳)は日本大学を中退後、4年間のアルバイト生活に終止符を打って「光通信株式会社」を設立。NTTが民営化されたことに着目し「ホームテレホン」の訪問販売を開始。創業から半年後には第二電電(現KDDI)と提携し、代理店業務をスタートした。
1990年からは複写機・ビジネス電話などのOA機器の訪問販売に従事。NTTが発刊する電話帳「タウンページ」に掲載された企業情報(530万社)をデータとして活用し、主に中小企業向けの訪問販売におけるアタックリストとして活用したという(投資月報1996/7)。
HITSHOPの展開を開始
携帯電話販売店HITSHOPの展開を開始
1993年後半にNTTは長距離通話の値下げを実施。携帯電話の端末価格の下落を受けて、NTTやDDIが携帯電話をレンタル方式から売り切り方式に転換した。
そこで、光通信は増大する需要を見越して、従来の訪問販売を縮小し、携帯電話の販売店舗を開業して「HIT SHOP」の展開をスタートさせた。1994年5月に東京新宿において「HITSHOP1号店」を開業した。
ビジネスの仕組みは「ストックコミッション」と呼ばれる携帯電話会社から入金される手数料(1台あたり毎月300円・契約期間は5〜10年)が中心であった。携帯電話の利用者が増加すればするほど、ストック収入が増加する仕組みであった。
また、新規契約の獲得時には、携帯電話のキャリアから約4.3万円を「受付コミッション」として受領し、新規獲得時の収益として計上した。
直営からFCに転換
1998年3月から光通信はHITSHOPの店舗数を拡大するために、従来の直営店方式ではなく、フランチャイズへの注力を決定。光通信は各地域に点在するフランチャイズから手数料を確保した。
この結果、1998年12月にHITSHOPの店舗数は1,816店を達成し、急速に店舗数を拡大した。
「携帯電話やポケットベルなどの通信機器は、近い将来、ほとんどの人が使うようになる。他社に先駆けて販売網を構築できるかが勝負を決める」
「1日中、携帯電話のことを考えて次の戦略を練らなければついていけない。全く新しい市場だから経験則は通じないし、ノウハウも自分たちが手探りで築き上げるしかない」
株式を店頭公開
携帯電話の急速な普及により、1995年8月期に光通信は売上高230億円を達成。重田康光は32歳にて株式公開を果たし、史上最年少の株式上場(公開)として注目を浴びた。
東京証券取引所第一部に株式上場
1999年12月期に光通信は売上高2592億円を計上。社員の平均年齢26歳という急成長企業として、東京証券取引所第1部に株式上場した。
株主名称 | 保有比率 | 備考 |
有限会社光パワー | 48.06% | 重田家の資産管理会社(推定) |
重田康光 | 21.34% | 光通信の創業者 |
カンサイマック | 2.47% | - |
東京設備 | 1.27% | - |
モルガン・スタンレー | 1.19% | - |
東洋信託銀行 | 0.71% |
光通信は、企業価値の最大化を目指しています。変化対応型スピード経営をモットーに、フラットな組織、権限以上、実力主義、そして30歳前後の役員と平均年齢26歳の若さで、21世紀の情報通信・インターネット産業の発展に貢献したいと考えています。
HIT SHOP問題(架空契約)
ノルマによる押し込み販売
HIT SHOPには厳しいノルマが課せられたため、一部の社員が架空契約によってノルマを達成したかに見せる「寝かせ(携帯電話会社に契約違約金を払う義務がある6ヶ月間をやり過ごすために倉庫で保管する方法)」を実行していたころが露呈した。HITSHOPの大半はフランチャイズであり、ノルマを達成できない場合、光通信との契約が解除される恐れがあった。このため、営業現場では会社存続のための不正が横行したという。
当初、光通信の重田社長は「我々はむしろ被害者」と主張していたが、光通信の社会的信頼は失墜。架空取引の露呈によって、2000年を通じて光通信は業績の下方修正を余儀なくされた。
ネットバブル崩壊の引き金
2000年初頭までの光通信は、インターネットバブルによって時価総額3兆円を突破するなど高騰していたものの、HIT SHOP問題の露呈によって20日連続のストップ安を記録。株価は8ヶ月間に1/100の水準に暴落した。この結果、光通信は日本国内におけるインターネットバブル崩壊の引き金となった。
代理店契約を解消・直営店に回帰
光通信はHIT SHOPの1041店舗の閉鎖を決断し、従来のFC契約から直営展開に切り戻す方針を決定した。最終的には直営店と合わせて2600店が減少し、2003年までに394店規模で「SHOP事業」として再スタートを図った。
このため、2002年8月期に大量閉店にによる立退料として515億円を特別損失として計上。また、光通信が行なっていたベンチャー投資に関しても株価下落による損失計上を決定し、投資損失引当金繰入額として103億円を損失計上した。これらの損失の結果、光通信は特別損失として合計685億円を計上した。
ソフトバンクの株式売却で損失補填
損失補填のために、光通信は保有するソフトバンクの株式売却を決定。2000年8月期に投資有価証券売却益として800億円を計上し、HIT SHOPおよびベンチャー投資の損失を相殺した。この結果、2000年8月期に光通信は50.7億円の当期純利益を確保した。
寝かせは少なくとも代理店経営者が積極的に関与する可能性はない。多数の従業員がいる中で、寝かせをいかに防ぐかということです。審査は(セルラー電話などの)携帯電話会社が行い、我々は利用者から通話料金を回収していないので、どれが寝かせか本当はわからない。我々が携帯電話会社に払った寝かせの罰金を傘下の代理店から回収できる保証もない。
我々はむしろ被害者です。確かに、改善すべき点もあります。僕ら自身の戦略が少しでもシェアを上げようという仕組みなので、その点で行き過ぎがあるかもしれない。販売会社の宿命ともいえますが・・・。
有利子負債の圧縮開始
財務体質の悪化
HITSHOP問題を受けて、光通信は業績が低迷したことにより財務状況が悪化。借入および社債に依存していたため、有利子負債の圧縮が急務となった。
3カ年で約2000億円の有利子負債を圧縮
2000年3月末時点で2308億円に及んだ有利子負債(社債・借入)について、2003年3月末までに373億円に圧縮。財務体質の改善を図った。
複写機の営業強化・営業職を大量採用
OA機器の販売に注力
光通信は経営再建のため、法人営業への原点回帰を決断。中小企業向けに複写機の販売に注力する方針を決め、余剰となっていた携帯電話販売(SHOP事業)の人員を、複写機営業(法人事業)に振り向けた。複写機のビジネスでは、販売後も複写使用量に応じたストック収入や、消耗品の収入が確保可能であり、キャッシュポイントが多数存在する点が、複写機営業を強化した理由であった。
なお、1990年から光通信はシャープとOA機器販売で契約関係にあり、引き続きシャープのOA機器を中心に取り扱った。
このため、光通信のビジネスは、シャープなどのOA機器メーカーから製品を仕入れ、顧客に対して販売する、営業代行のビジネスを志向。光通信は大量の営業人員を採用することで、顧客ターゲットである中小企業の経営者に対する売り込みを強化した。
電話および訪問営業の強化
光通信では営業マンによる販売先への営業活動を重視。午前中は見込み客に対する電話営業を実施し、コピー機の販売や、コピー機の稼働情報・リース情報などを収集。午後は顧客に対する訪問営業を実施してコピー機の販売に従事した。午後の顧客訪問では、1日あたり5〜6軒の顧客を訪問したと言われている。
年間1300名を採用・1000名以上が離職
営業の強化にあたって、光通信では大量採用による営業人員の確保を実施。2003年時点において、年間1500名の社員を大量採用することで人員を確保した。2008年時点における中途採用の概要は、中途採用において「法人向け企画提案営業」の職種を募集。首都圏においては「固定給26万円以上+歩合制」として「未経験者歓迎」「何でもチャレンジしたい、元気のある人待ってます」の採用要件で募集していた。
しかし、過酷な営業により離職者は年間1000名以上(2003/9/1日経ビジネス)に及んだという。この点に関して、光通信としては、大量採用によって離職者を補填する道を選択。この結果、光通信は営業が厳しく、離職者が多い会社として注目されるようになった。
光通信の営業マンの朝は、まずはNTTから購入した中小企業の電話番号に片っ端から電話をかけることから始まる。営業マンが手にしているのは、担当する地域ごとに約3000社の電話番号をインプットした情報端末。それを見ながら、とにかく電話をかけまくる。電話をかけて呼び出す相手はもちろん、相手先の経営者である。
ただ電話する目的は、コピー機を売り込むことだけではない。その会社にまだコピー機の需要がなければ、すぐに電話を切られるだけだ。実は電話は情報収集の手段でもある。「コピー機の種類は」「リースか自社保有か」「1日のコピー枚数は」・・・。こうした情報を5〜6分で聞き取り、蓄積していく。即座に電話を切られることも少なくはないが、それでもデータは現在約700万社分。リース切れ時期などがわかれば、売り込むタイミングも計れる。販売効率は確実に向上する。
営業マンは午前中の電話を終えて午後は営業に針し回る。その数は1日あたり5〜6軒と意外に少ないが「面会の約束が取れたら5割程度は契約に結びつく」(山田敏広取締役)というから、データ活用の効果は大だ。
クレイフィッシュを買収
最終黒字に転換
光通信はOA機器の販売拡大によって収益のV字回復に成功。光通信は、コピー機を販売する度に販売手数料に加えて、コピー機の利用に応じた手数料が収入となることから、ストック型のビジネスであり、業績の回復に寄与した。
本社を池袋に移転
ウェブクルー社を買収
保険代理店およびネット比較サイトを運営するウェブクルー社を買収。取得対価は139億円
ウォーターダイレクトを買収(TOB)
光通信はウォーターサーバーの販売に参入するため、ウォーターダイレクト社(東証2部上場)に対してTOBによる買収を決定。2014年3月時点のウォーターダイレクト社の概況は、売上高87億円・当期純利益2.4億円・従業員数140名・自己資本比率32.9%であった。
販売品目の構成変更
複写機の販売低迷
2010年代後半から光通信では法人事業において、販売品目の拡大を指向した。これは従来の主力であった複写機について、デジタル化の浸透によって需要が低迷しつつあり、これに代わる商品の販売を強化することが狙いであった。
水・電力・システムなど多方面のサービスを売り込み
複写機の代替となる商品は「水(ウォーターサーバー)・新規事業(電力・E-PARKシステム)」などであり、引き続き中小企業向けへの営業を継続した。
時価総額1兆円突破
光通信は中小企業向けのテレアポによる営業力により、OA機器・携帯電話・ウォーターサーバーを継続販売することにより、安定したコミッションを確保するビジネスモデルを確立。この結果、各事業の収益性高まり、2018年に時価総額1兆円を突破する。