東京建物の歴史
1896年〜東京建物の設立と割賦販売方式による不動産売買
- 安田善次郎による設立[3]
- 住宅ローンの原型となった割賦販売方式での不動産売買を開始[4]
- 横浜支店を開設[4]
- 天津・京城への外地展開[4]
- 東京株式取引所に株式を上場[4]
- 関東大震災で甚大な被害
- 関口台町分譲地で宅地分譲事業に参入[4]
- 東京建物本社ビルディング(東京建物ビルヂング)竣工[4]
- 満州興業を吸収合併[5]
- 安田ビルディングを吸収合併[6]
- 大阪営業所を開設(現関西支店)[4]
- 東京証券取引所に株式再上場[4]
- 宅地建物取引業者免許を取得[4]
- 一級建築士事務所登録[4]
- 東京不動産管理を設立[4]
- 売上高
筆者所見
東京建物は不動産会社ではなく、住宅金融の空白を埋める金融会社として生まれた。東京建物の設立の当時は公的な住宅融資も銀行の住宅ローンもなく、住宅資金は個人金融業者に依存していた[1]。創立目論見書は、月賦償却で建物を建てて住まわせ、完済後に所有権を移すことを第一の目的に掲げた[2]。金利と回収で稼ぐ以上、1901年の金融恐慌のような信用収縮は本業を直撃する。国内の貸付が縮小するたびに外地の土地へ資本を振り向けた経営は、金融業の出自に根ざしていた。
- [1]日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995年)東京建物
- [2]東京建物『70年の歩み』(東京建物株式会社, 1968年)
1957年〜新宿センタービルの竣工とマンション分譲への参入
- 旧東京建物本社ビル新館増築工事が竣工[4]
- 湯河原で別荘地分譲を開始
- 東京不動産清掃を設立(現東京ビルサービス)[4]
- 東建商事を設立(現東京建物アメニティサポート)[4]
- 「新宿ビル」竣工[6]
- 住宅地開発を開始[4]
- 区分所有ビルの先駆けとなる「横浜駅西口ビル」竣工[8]
- 新宿営業所を開設[4]
- 不動産鑑定業者登録[4]
- マンション分譲事業に参入[4]
- 川越市等で「東建富士見ハイツ」の分譲を開始
- 特定建設業許可を取得[4]
- 座間ハイツ(1,046戸)の分譲[9]
- 新宿センタービル竣工[4]
- 東建住宅サービスが営業開始[4]
- 那須高原に別荘地「那須フォレストヒルズ」を開設[10]
- 共同ビル管理を設立(現東京建物不動産投資顧問)[4]
- 大崎駅東口市街地再開発事業「大崎ニューシティ」竣工[8]
- 河口湖リゾート開発を設立(現東京建物リゾート)[4]
- 札幌営業所を開設[4]
- ホテル・レジーナ河口湖をオープン[10]
- 売上高
- 経常利益率
筆者所見
1979年の社長交代は、東京建物が土地の持ち札より情報の経路を重んじ始めた転機になった。富士銀行の副頭取だった柴田隆三氏が、生え抜きの西川英夫前社長の後を受けて社長に就任した[7]。柴田氏は情報網の整備を死命を制する条件と位置づけ、富士銀行の200以上の支店との連携を経営課題に据えた[7]。戦前からの社有地を分譲し尽くせば、次の用地と買い手は外から得るほかない。銀行の取引先を情報源に変える発想が、1980年代の分譲とリゾート開発を支えた。
- [7]日経ビジネス 1979年6月18日号「新社長登場 柴田隆三氏(東京建物)」(日経マグロウヒル社)
1990年〜SPC法の国内第1号登録とBrilliaブランドへの統一
- 米国東京建物を設立
- マンションブランド「ヴェール」シリーズを発売[8]
- 不動産特定共同事業許可を取得[4]
- 創立100周年、企業理念・シンボルマークを制定[8]
- 定期借地権付きマンション「プランヴェールEX」分譲開始[8]
- 「横浜ファーストビル」竣工[8]
- 高輪物件のSPC第1号登録[4]
- 不動産特定共同事業で国内初のパッケージ型商品を発売[8]
- 東京リアルティ・インベストメント・マネジメントを設立[4]
- イー・ステート・オンラインを設立[4]
- J-REIT「日本プライムリアルティ投資法人」が東京証券取引所に上場[8]
- 福岡支店を開設(現九州支店)[4]
- 「Brillia」へブランド統一[4]
- 名古屋支店を開設[4]
- プライムプレイスを設立[4]
- 「olinas(オリナス)」竣工[8]
- 東京建物不動産販売が東京証券取引所市場第二部に上場[11]
- 東京建物(上海)房地産咨詢有限公司を設立[4]
- 「霞が関コモンゲート」竣工[4]
- 「SMARK(スマーク)伊勢崎」開業[4]
- 「名古屋プライムセントラル」竣工[8]
筆者所見
1990年代の東京建物を動かしたのは地価の下落より、不動産を持たずに稼ぐ手法を認めた制度だった。1998年11月にSPC法の国内第1号登録を取得し、2002年にはJ-REITの日本プライムリアルティ投資法人が上場した[4][8]。所有と運用を切り分ける仕組みは、バブル後に重い保有資産の出口になった。Brilliaへのブランド統一も、量より商品の水準で売る方針で、在庫を絞る判断である。SPCに置いた大型開発の含み損は、2011年の赤字の火種となる。
- [4]有価証券報告書(2026年3月23日)
- [8]東京建物 公式サイト「沿革」(2026年10月)
2011年〜717億円の純損失と大手町タワーの竣工
- 日本パーキングを子会社化[4]
- 評価損の計上と引責辞任[12]
- 「中野セントラルパーク」竣工[4]
- 「東京スクエアガーデン」竣工[4]
- 「Brillia多摩ニュータウン」竣工[4]
- Tokyo Tatemono Asiaを設立[4]
- 大手町タワー竣工[4]
- 日本初の区本庁舎一体型高層マンション「Brillia Tower池袋」竣工[4]
- 野村均が代表取締役社長に就任[13]
- 西新サービスの株式を追加取得し連結子会社化[4]
- Hareza Tower(ハレザタワー)竣工[4]
- 東京建物八重洲ビルに本社事務所を移転[4]
- エキスパートオフィスの株式を取得(連結子会社化)[4]
- Tokyo Tatemono USを設立[4]
- 「ONE DOJIMA PROJECT」(フォーシーズンズホテル大阪・Brillia Tower堂島)が竣工[4]
- Tokyo Tatemono (Thailand)を設立[4]
- ヒューリック株式の一部を売却[14]
- 小澤克人が代表取締役社長に就任[3]
- 種橋牧夫氏が代表取締役会長を退任[14]
- WonderScapeを設立[4]
- 通期営業収益4,745億円、経常利益782億円、純利益588億円[3]
筆者所見
2011年の巨額赤字は、再開発の失敗というより、SPCの内側に預けていた損失の清算だった。2011年12月期は評価損の一括計上により純損失717億円を計上した[12]。含み損を一度に出し切ったため、その後の利益は再開発の竣工をそのまま映すようになった。2014年4月に大手町タワーが竣工し、2025年12月期の純利益は588億円となった[4][3]。持たずに稼ぐ仕組みの代償を単年度で払い終えたことが、大型再開発へ資本を集中させる路線を可能にした。
- [12]東京建物 有価証券報告書(2011年12月期・連結)(2011年12月)
- [4]有価証券報告書(2026年3月23日)
- [3]有価証券報告書