ジャックスの歴史

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1954
6月

デパート信用販売株式会社を設立(北海道函館市)

函館出身の伊部政治郎氏・山根要氏・渡辺達也氏の3名は、東京における日本信販のクーポン分割払いの成功に触発され、地元の函館でも同じように信販事業での起業を決意。地元財界で力のあった函館ドックの元常務を役員として迎えることで企業としての信用を確保。地元百貨店の棒二森屋を加盟店にすることに成功し、クーポンによる分割払いに参入した。

証言
山根要氏(ジャックス・名誉会長)

1951年に日本信販が百貨店と提携して月賦販売を始めています。その新聞記事に刺激され、仲間2人(注:伊部政治郎氏・渡辺達也氏)と函館市で旗揚げしたのがデパート信用販売(ジャックスの前身)でした。百貨店と提携するには30代の若い人間では相手にしてくれません。そこで地元最大の企業だった函館ドックの元常務を口説き、初代社長に迎えました。社名に地名を入れなかったのは、いずれ函館から外に出て勝負したいという野心があったからです。地元の老舗百貨店と提携してスタートしました。

1996/1/22日経ビジネス
1957
4月

仙台支店を開設

東北地区への進出を開始。ただし進出に当たっては、百貨店の売上向上が見込まれたため、地元商店街から反発も大きかったという。なお、先発の日本信販と積み分けるため、東京進出は行わず。

1959
7月

商号を北日本信用販売株式会社に変更

百貨店法の制定を受けて、百貨店以外の加盟店開拓を本格化するため、商号から「デパート」を撤廃した推察される

1969

ソニー商事と業務資本提携

ソニー製品を販売する「ソニー商事」と提携することで、ソニーが製造するカラーテレビの分割払いの取り扱いを開始。以後、ジャックスは高額な家電の取り扱いに特色を持つ

1970

資金繰りミスにより9億円の手形決済が不能。倒産危機へ

銀行出身の役員が資金繰りを間違えたため、9億円の手形決済が不能に。取引先のソニーに決済を3ヶ月延ばしてもらい、危機を乗り越えた。

1973
4月

札幌証券取引所に株式上場

1974

大手損保と提携し、自動車ローンに新規参入

モータリゼーションの到来を受けて自動車ローンに本格参入。トヨタや日産などの国内メーカーは自社でローン事業を営んだため、ジャックスは外国輸入車・中古車に照準を絞って自動車ローンの提携店を拡大。大手自動車メーカーとの棲み分けを図った

1975
8月

本部機能を東京に移転

ジャックスは日本信販の牙城であった東京への進出を決定。1972年に東京支店を開設し、1975年には本部機能を函館から東京に移転した。この時、ジャックスの経営陣は、大口取引先であったソニーとパイオニアに相談したところ東京進出に協力する返答があったため支店開設を決定した。ジャックスは家電メーカーとの連携に強みがあり、後発の東京市場でも戦えると判断したと思われる。

1976
4月

商号を株式会社ジャックスに変更

ジャパン・クレジットの略称としてジャックスを商号に採用。従来の北日本信用販売から商号を変更することで、全国展開を企図

1976
11月

東京証券取引所第2部に株式上場

業績拡大による株式を上場。上場後の筆頭株主はソニー商事(9.3%)であることが公表された。ソニーと資本政策で利害関係を一致させることで、ソニーの主要製品(テレビ)の分割払いにおいて、ジャックスが独自のポジションを確保していたと推察される

1976
9月

創業者の伊部政治郎氏が退任。後任に河村友三氏が社長に就任

伊部氏が病気のため社長を継続できなくなったため、三菱銀行から派遣された河村友三氏がジャックスの代表取締役社長に就任

1978
9月

東京証券取引所第1部に株式上場

1980
10月

売上で業界2位→4位に転落するが財務体質を優先

1970年代を通じてオリコが急成長。これに対してジャックスは売上高競争を否定し、あくまでも自社の財務体質を優先に堅実経営を持続

証言
山根氏(ジャックス・当時副社長)

これは質の充実を追求したため、おもてにあらわれる取引量で抜かれたということなのです。現在は質の充実を心がけながら成長し、財務内容をしっかりとさせることが大切です

1980
10月

パイオニアクレジットを吸収合併

オーディオ機器を製造するパイオニアの金融子会社「パイオニアクレジット」を吸収合併。同社は優秀な財務体質だったといい、ジャックスの堅実路線を象徴する合併だった。ジャックスとしては高額なオーディオ機器の立て替え払いを拡大する目論見だったと思われる。

証言
山根要氏(ジャックス・当時副社長)

現在信販業界ではある程度スケールメリットを追求しないことには経営が難しくなっている。従って中小のクレジット会社の買収の話は多い。パイオニアクレジットの合併は、同社が経営内容が良いのにもかかわらず、我が社との合併の道を選んだことは、専門会社としての当社の内容が優れているとパイオニアさんが判断されたからだと思います。これも堅実経営の賜物です

1985

不動産投資に手を出さず堅実経営を持続

日本信販が不動産投資に手を出す中で、ジャックスは

証言
山根要氏(ジャックス・名誉会長)

大きくなるにつれて金融機関は「借りてくれ」と言ってくるようになりました。列島改造ブームの時も先のバブルの時もそうです。ゴルフ場建設、土地購入など次々に銀行から話が持ち込まれました。そうした話に同調するう役員もいましたし、若い人からは「不動産を手掛けないから売り上げで他社に遅れを取る」と突き上げられました。

しかし、我々の土俵は消費者信用産業であり、不動産金融や住宅金融は銀行の守備範囲です。我々が立てた計画を100%実行できるなら、今は焦る必要はない、と説きました。消費者信用をやっているから我々は一流なのです。列島改造ブーム時に5億円以上の土地購入はやらないと役員会で決めていました。バブル崩壊の被害も受けていません。

長年のキャリアがそうした判断に生きたと言えますが、結局は自分の在任期間だけを考えて判断を下すか、もっと先まで考えるかの違いです。次世代に失敗の責任を背負わせてはいけません。一流企業になる条件は、人事の公平さと経営者の先見性だと思います。

1996/1/22日経ビジネス
1989
4月

山根要氏が代表取締役社長に就任

山根要氏は、伊部政治郎氏とともにジャックスの実質創業者

1989
4月

国際ブランドのクレカ発行を開始

MasterCardおよびVISAによる国際ブランドのクレジットカードの発行を開始

1991
1月

JCBクレカ発行を開始

1994
11月

本部を東京都渋谷区恵比寿に移転(土地取得あり)

ジャックスは不動産投資を行わなかったものの、例外的に東京の恵比寿駅前の一等地を取得して本社ビルを竣工。バブル崩壊後の土地取得であり、それなりの含み益を確保していると推察される

1998
2月

リボ払いの利息を16.8%に引き下げ

グレーゾーン金利をいち早く問題視

1997年以降、ジャックスはクレジットカードのリボ払い(キャッシング)の金利引き下げを実施。業界がグレーゾーン金利(出資法の上限40.004%〜利息制限法の上限18.00%)と言われた30%台の利息を徴収する中で、ジャックスは1997年2月に24.36%→18%への引き下げを実施。さらに、1998年2月には18.0%から16.8%に引き下げた。

この引き下げによって、利息制限法の18.00%の上限よりも低い水準となり、キャッシングにおいてジャックスは国内で最低水準となる利息を提示することになった。衝撃的な引き下げということもあり、業界内では「利息制限法の壁を破った」と言われて注目された。

不良債権を持たないジャックスの判断

信販業界では、ジャックスが利息を引き下げる一方で、業界トップの日本信販やオリコでは、利息の引き下げを行わなかった。両社はバブル期に不動産投資を行っており、1990年代後半には不良債権を抱えていたことから、キャッシングによる高利貸しが財務体質の改善のための原資になっていた。

このため、日本信販やオリコは、ジャックスの利息引き下げに追随できずに、グレーゾーン金利を継続する道を選択した。このため、日本信販とオリコの2社は2006年の改正貸金業法によってグレーゾーン金利が撤廃されると、莫大な利息返還請求に直面。企業としての存続が困難となり、メガバンクに経営支援を仰ぐ結果に終わった。

規制緩和による銀行との競争を意識

1998年の時点で銀行系カード会社に分割払いは認められておらず、信販系のクレジットカードは「銀行系カードとは違って分割できる」強みがあった。ところが、1990年代を通じた規制緩和の流れで、1998年に日本政府は銀行系のクレジットカードにも分割払いを認める方針を示しており、信販系カードと銀行系カードの棲み分けが崩れることが予想された。

そこで、ジャックスとしてはいち早くキャッシング(リボ払い)の利息を引き下げることによって、銀行系カードの分割参入に備えるという狙いがあった。

利息減収分を資金調達コストの削減でカバー

金利の引き下げによって、FY1997におけるジャックスは35億円の減収が見込まれたという。そこで、ジャックスの有利子負債(1997年3月時点で約8600億円)の一部を、より金利の低いCPの発行によって削減。リボ払いの金利引き下げ分の減収を、自社の資金調達コストを引き下げることによってカバーした。

2001

新システムを稼働。投資額約600億円

開発と運営は日本IBMに委託

2005
2月

JACCS International (U.S.A) Inc.を清算。北米事業撤退

2006
7月

JACCS International (SINGAPORE) PTE LTD.を清算。海外事業から完全撤退

2007

改正貸金業法の施行を受けてキャッシング事業を縮小

2006年の貸金業法の改正を受けて、ジャックスでは融資部門の縮小を決定。すでに金利を引き下げていたため、利息返還請求の金額はわずかであったが、事業縮小へ

2008
3月

第三者割当増資により三菱東京UFJ銀行が20%出資

改正貸金業法によって、信販会社や消費者金融企業が莫大な利息返還請求によって倒産の危機に陥る中で、既に利息を引き下げていたジャックスへの影響は軽微に抑えられた。2008年に三菱UFJ銀行が20%を出資してジャックスは持分法適用会社になったものの独立経営を持続

2010
6月

JACCS International Vietnam Finance Co.,Ltd.を設立。海外事業に再参入

ベトナムに進出。東南アジアにおける二輪車ローン事業の展開を開始。2006年に中止していた海外事業を再開した

2014
5月

PT Mitra Pinasthika Mustika Financeの株式を取得

インドネシアで二輪車販売のローン事業に従事する現地企業に出資。持分法適用会社へ

2016
5月

MMPC Auto Financial Services Corporationの株式を取得

フィリピンに進出。持分法適用会社へ

2017
5月

PT Mitra Pinasthika Mustika Financeの株式を追加取得

インドネシアでの二輪車ローンを本格展開するために、出資先の現地起業を子会社化。FY2017におけるインドネシア法人の従業員数は1497名

2019
7月

MMPC Auto Financial Services Corporationの株式を追加取得

2022
9月

ペイメント事業における後払いから撤退

2014年に参入していた後払い事業「アトディーネ」からの撤退を決定。採算の悪化が理由

2022
11月

中古車需要増による国内オートローンが好調。業績予想・配当予想を上方修正

国内の新車販売の遅れにより、中古車の需要が急騰。中古車に強みがあるジャックスのオートローンでは、クレジット事業の取扱高が増えたため、FY2022の業績予想を上方修正。従来予想との比較は「取扱高+3.9%、営業収益+14.0%、経常利益+14.7%」となった。同時に配当予想における増配(75円→85円/株)も決定

2025 (c) Yutaka Sugiura, Author
売上
ジャックス:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
1,640億円
営業収益:2022/3
利益
ジャックス:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
11.1%
利益率:2022/3
内容の正確性、完全性および適時性を保証しません