そごうの歴史
沿革
1830年に初代十合伊兵衛氏が大坂・坐摩神社前で始めた古手商「大和屋」が起源。
1962年に社長となった水島廣雄氏が、1967年の千葉そごうから一店ごとに別会社を立てて全国へ展開した。1992年に百貨店の売上高首位に立ったが、2000年に民事再生法を申請し、2009年に西武百貨店と合併した。
創業期
1830年〜古手商「大和屋」の開業と十合呉服店への改称
- 古手商「大和屋」を開業[1]
- 大和屋が近隣からの出火で類焼[1]
- 大和屋が近隣からの出火で再び類焼[1]
- 心斎橋筋に店舗を新設[2]
- 十合呉服店に商号変更[1]
- 京都支店を設置[3]
- 十合呉服店が京都仕入店を函谷鉾町に移転[1]
- 十合呉服店が心斎橋店を現在地に移転[1]
売上高
- 売上高
そごう売上高—
成長期
1897年〜株式会社化と子供百貨部・神戸三宮店の開設
- 合名会社に改組[1]
- 神戸支店を設置[3]
- 株式組織に改組[3]
- 母体の合名会社十合呉服店を吸収合併[1]
- 大阪本店に子供百貨部を新設[2]
- 神戸支店を三宮の新店舗へ移転[4]
売上高
- 売上高
そごう売上高—
1935年〜十合家の株式売却とそごう東京店の開店
- 創業家の十合家が保有株式を売却[5]
- 心斎橋本店の新館が完成[2]
- 本店6階以上の食堂・売場の一部を焼失[3]
- 本店商事部出張所を設置[1]
- 京都支店を閉鎖[1]
- そごうに商号変更[6]
- 心斎橋本館が進駐軍に接収[3]
- 難波店・梅田店を開設[3]
- 資本金を4400万円に増資[3]
- 大阪証券取引所に上場[6]
- 十合ビルディングを吸収合併[1]
- 心斎橋本店が営業を再開[3]
- 板谷宮吉氏が社長に就任[1]
- 読売会館への東京店出店を決定[5]
- 神戸店を増設[2]
- 東京店を開店[1]
- 水島廣雄氏が副社長に就任[5]
- 当期純損失を計上[7]
売上高当期純利益率
- 売上高
- 当期純利益率
そごう1961年2月期売上高150億円売上高当期純利益率0.6%
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 1954年 | 板谷宮吉 | 社長 |
安定成長期
1962年〜水島廣雄の社長就任と別会社方式による多店舗化
- 水島廣雄氏が社長に就任[8]
- 「グレーターそごう計画」を策定[5]
- 企業合理化の方針を発表[2]
- 神戸店を増築改造[2]
- 千葉そごうを開業[1]
- 柏そごうを開業
- 広島そごうを開業[4]
- 黒崎そごうを開業[5]
- 船橋そごうを開業[5]
- 「ダブルそごう」計画を開始[5]
- 有利子負債と債務保証の合計が約1200億円に到達[5]
- 「トリプルそごう」構想へ拡大[5]
- 横浜そごうを開業[4]
- 大宮そごうを開業[4]
再建期
1991年〜1兆7270億円の借入金と民事再生法の適用申請
- 借入依存の多店舗展開[8]
- 阪神・淡路大震災で神戸店が倒壊[9]
- 水島廣雄氏が社長を引責退任
- 山田恭一氏が社長に就任[9]
- 金融機関からの借入金が1兆7270億円に到達[9]
- 2年間で従業員2450人を削減する再建計画を策定[9]
- 長銀債権放棄の頓挫と民事再生[10]
- 西武との合併構想[11]
- 西武百貨店と業務提携[11]
- そごうグループ9法人が合併[12]
- 民事再生手続が終結
- 西武百貨店と経営統合[12]
- セブン&アイ・HDとの経営統合を発表[13]
- セブン&アイ傘下入り[4]
- 西武百貨店と合併しそごう・西武が発足[4]
- 米フォートレスへの売却