江戸時代後期に、飯田新七が木綿による古着商を創業。以後、1987年まで、飯田家が同族企業として高島屋の経営を担った
明治維新によって舶来品が日本に輸入される時代が到来したことを受けて、飯田家も輸入品の取り扱いを本格化。米国のスミスベーカーとの取引を開始するなど、西洋の文化を取り入れるようになった。
横浜高島屋を設立し、横浜駅前に高島屋を新設した。なお、進出にあたっては横浜の地元鉄道会社である相模鉄道と提携し、進出先となる横浜駅前の土地を確保する。なお、2019年2期の横浜店の売上高は1325億円であり、高島屋の主要店舗の一つ
高島屋は二子玉川に日本初の本格的な郊外型ショッピングセンターを開業。自動車社会の到来を見据えて、マイカーで訪問できる新しい形の百貨店として、高島屋玉川店を開業した。なお、開発には高島屋の子会社「東神開発」が関わっており、2020年時点の現在も同社はショッピングセンター向けのデベロッパーとして高収益企業として好調な業績を維持している。
1981年に1月26日号の日経新聞は朝刊記事で「高島屋株10.4%をダイエー取得か」という憶測記事を掲載し、高島屋とダイエーとの提携のウワサが広まった。これに対して、ダイエーは高島屋の株時期取得に前向きであったが、高島屋創業家の飯田新一(高島屋・当時社長)は「株取得なんて依頼していない。そのつもりはない」という旨をコメントして対応した。なお、高島屋の社内にはダイエー提携の賛成派と反対派が存在し、熾烈な社内抗争が発生し、役員の分裂が起こる。
20年後の高島屋を支える事業として新宿への出店を決断。だが、巨額の家賃負担で低収益に悩める
名古屋駅前に高層ビルが建設されたのに合わせて、名古屋駅直結のジェイアール東海高島屋を開業。名古屋地区における百貨店の中心は「栄・矢場町」であり名古屋駅から地下鉄で5分の距離にあったが、高島屋の名古屋進出によって名古屋商圏の中心が「栄から名駅」に移動するきっかけとなる。
退職給付会計適用を中心に特別損失1107億円を計上。最終赤字に転落した
百貨店業界を取り巻く競争環境の悪化を踏まえて、高島屋はエイチツーオーリテイリング(阪急阪神百貨店)との提携を発表するものの、2010年に提携そのものを撤回した。このため、百貨店の主要企業の中で、高島屋だけが単独路線を貫く形となる。
1996年の高島屋新宿店の開業当初は年商1600億円を目標としていたが、2013年の時点での売上高は637億円に過ぎず、売上高が伸び悩む形であった。加えて、年間70億円にも及ぶ賃料負担が重くのしかかり、新宿店の経営を困難にした。このため、高島屋は新宿店の賃料負担を低下させるために、1000億円を投資して新宿店の一部式を取得する方針を決め、2017年には完全に自社保有となり賃料負担から解放される。