屋内のテーマパークとして東京の多摩地区に「サンリオピューロランド」を開園した
サンリオはバブル崩壊直後も株価が持ち直すと考えて財テクを継続したが、結果として売りのタイミングを逃して巨額の負債を抱えてしまう。
この結果、1991年3月期から1998年3月期の8期連続で最終赤字に転落し、この期間の最終赤字の累計額は1010億円に及んだ。
1990年代を通じて財テクの失敗による損失と、キャラクタービジネスの不振により業績が低迷。1998年3月期にサンリオの自己資本比率は3%に低下し、債務超過寸前の危機に陥った
サンリオではハローキティのデザインの変更を実施。これが高校生(女性)の間で支持され、1998年から2000年にかけて「ハローキティブーム」が到来した。この結果、サンリオは売上高を急拡大し、自己資本比率の改善に成功した。
ただし、ハローキティのブームが一時的だったこともあり、2000年をピークに売上が徐々に低迷。2000年代を通じてサンリオの業績は安定せず、経営の安定化に課題が残った。
ライセンス事業によるグローバル展開を志向するが、展開先でも「一過性のブーム」に悩まされる
2013年にサンリオの辻邦彦副社長(創業者・辻信太郎氏の息子)が在任中に急性。急性心不全が原因で、61歳であった。鳩山玲人氏は、後ろ盾を失うとともに、欧米事業の不振が決定打となって、2016年にサンリオを退職した。
邦彦副社長の逝去を受けて、経営の実権を握る辻信太郎社長は、孫にあたる辻朋邦氏(当時27歳)を次期社長候補に据えた。
アジアでは順調に業容を拡大するが、米国欧州での収益低迷をカバーできず業績不振が続いた
創業者の辻信太郎氏(92歳)は社長の退任を決め、後任に孫の辻朋邦氏(31歳)を指名した。2022年に辻信太郎氏はサンリオの役職を退任し、祖父から孫への世代交代を完了。
2022年7月の定時株主総会で辻信太郎氏は、退任演説をするとともにラジオ体操を披露した。なお、辻信太郎氏に対しては創業者功労金3億円の支払いが決議されたが、株主による賛成比率が82.09%という低い水準となった。