1970年5月
本社を東京五反田に移転

秋葉原から「五反田TOCビル6階」に移転

決算
サンリオの業績
1970年7月期(単体)
売上高
11
億円
1973年4月
商号を株式会社サンリオに変更
1982年4月
東京証券取引所第2部に株式上場
1990年12月
サンリオピューロランドを開園

屋内のテーマパークとして東京の多摩地区に「サンリオピューロランド」を開園した

決算
サンリオの業績
1991年3月期(連結)
売上高
1241
億円
当期純利益
-56.5
億円
1991年3月
株式投資に失敗。8期連続の最終赤字へ

サンリオはバブル崩壊直後も株価が持ち直すと考えて財テクを継続したが、結果として売りのタイミングを逃して巨額の負債を抱えてしまう。

この結果、1991年3月期から1998年3月期の8期連続で最終赤字に転落し、この期間の最終赤字の累計額は1010億円に及んだ。

決算
サンリオの業績
1991年3月期(連結)
売上高
1241
億円
当期純利益
-56.5
億円
1998年3月
自己資本比率3%。債務超過寸前へ

1990年代を通じて財テクの失敗による損失と、キャラクタービジネスの不振により業績が低迷。1998年3月期にサンリオの自己資本比率は3%に低下し、債務超過寸前の危機に陥った

決算
サンリオの業績
1998年3月期(連結)
売上高
1453
億円
当期純利益
-180
億円
1999年3月
高校生の間でハローキティがブーム。大幅増収へ

サンリオではハローキティのデザインの変更を実施。これが高校生(女性)の間で支持され、1998年から2000年にかけて「ハローキティブーム」が到来した。この結果、サンリオは売上高を急拡大し、自己資本比率の改善に成功した。

ただし、ハローキティのブームが一時的だったこともあり、2000年をピークに売上が徐々に低迷。2000年代を通じてサンリオの業績は安定せず、経営の安定化に課題が残った。

決算
サンリオの業績
1999年3月期(連結)
売上高
1501
億円
当期純利益
51
億円
2009年5月
海外成長戦略を公表

ライセンス事業によるグローバル展開を志向するが、展開先でも「一過性のブーム」に悩まされる

2008年
5月
鳩山玲人氏が入社
2009年
5月
海外成長戦略を公表
2010年
1月
事業戦略統括本部を新設
2015年
3月
北米事業で大幅減収
決算
サンリオの業績
2010年3月期(連結)
売上高
738
億円
当期純利益
44
億円
2016年
鳩山玲人氏が退社し、辻家による経営に回帰

2013年にサンリオの辻邦彦副社長(創業者・辻信太郎氏の息子)が在任中に急性。急性心不全が原因で、61歳であった。鳩山玲人氏は、後ろ盾を失うとともに、欧米事業の不振が決定打となって、2016年にサンリオを退職した。

邦彦副社長の逝去を受けて、経営の実権を握る辻信太郎社長は、孫にあたる辻朋邦氏(当時27歳)を次期社長候補に据えた。

決算
サンリオの業績
2017年3月期(連結)
売上高
626
億円
当期純利益
65
億円
2018年
米国と欧州で不振

アジアでは順調に業容を拡大するが、米国欧州での収益低迷をカバーできず業績不振が続いた

決算
サンリオの業績
2019年3月期(連結)
売上高
591
億円
当期純利益
39
億円
2020年7月
辻朋邦氏が代表取締役社長に就任

創業者の辻信太郎氏(92歳)は社長の退任を決め、後任に孫の辻朋邦氏(31歳)を指名した。2022年に辻信太郎氏はサンリオの役職を退任し、祖父から孫への世代交代を完了。

2022年7月の定時株主総会で辻信太郎氏は、退任演説をするとともにラジオ体操を披露した。なお、辻信太郎氏に対しては創業者功労金3億円の支払いが決議されたが、株主による賛成比率が82.09%という低い水準となった。

2020年
7月
辻朋邦氏が代表取締役社長に就任
2022年
3月
辻信太郎氏に対して功労金を支給(特損計上へ)
創業者功労金 -3 億円
2022年
6月
辻信太郎が会長職を退任
2022年
6月
株主総会を経て功労金の支給を決定
決議の賛成比率 82.09 %
決算
サンリオの業績
2021年3月期(連結)
売上高
410
億円
当期純利益
-39.6
億円
2023年3月
物販とテーマパークの需要回復。大幅増収へ

国内店舗とテーマパーク(ピューロランド)の需要が戻ったことで、国内事業を中心に大幅増収を達成

決算
サンリオの業績
2023年3月期(連結)
売上高
726
億円
当期純利益
82
億円
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