高原慶一朗氏(ユニチャーム創業者・当時30歳)が上場を目指して建材の製造販売を開始。父親の高原勇太郎氏は「森実製紙」を経営しており、愛媛県川之江市の名士であり資金面に余裕があった。
創業時は断熱・防火に付加価値をつけた建材の製造を開始したが、市場規模が20億円とわずかな点で問題に直面した
1961年に厚生省は女性向けナプキン(生理用品)について医薬部外品に指定し、生理用品における規制緩和を行った。これに伴い、生理用品が民間企業でも製造販売できるようになり、ナプキン市場が急成長を遂げた。
女性向けナプキンで再先発となったのが、女性起業家が率いるアンネ社であり、技術面では「脱脂綿ではなく吸水紙」を利用し、販売面では「積極的なマーケティング」という新機軸によって業容を拡大。1963年にはアンネが生理用ナプキンで国内シェア80%を確保し、急成長企業として脚光を浴びた。
このため、ナプキンが成長市場と判断した企業は枚挙にいとまがなく、1960年代前半の最盛期には全国で120社〜140社が参入し、1976年までに44社までに淘汰が進んだ。参入した企業にはユニチャームのようなベンチャー企業をはじめ、資生堂や山之内製薬、大正製薬といった大企業も参入しており、ナプキン市場をめぐり激戦が繰り広げられた
過去日本に多いては120社という同業他社があって、これは資生堂もカネボウもやっておりましたし、あるいは山之内製薬、エーザイ、大正製薬もみんなやっておられた。また製紙メーカーで十条キンバリーや本州製紙もやっておった。こういう過去に成長生のあった分野ですから同業同士で非常に叩き合ってきたんです。ですから、ユニチャームの企業特徴として長期に増収増益を期待できる理由は、過去15年間、このように戦ってきていい時も悪い時も、同業他社があげていないときにも当社だけは利益を上げてきだ実績。この点が強いのだと思いますね。
1963年にユニチャームは女性用生理用品に新規参入した。先発企業としてアンネが紙ナプキンを導入することでシェア80%を握っており、ユニチャームは後発参入であった。なお、高原慶一朗氏の実家は原紙生産の中小企業を経営しており、ナプキンの原料を安定調達できる点に優位性があり、経営資源を販売に割り振ることができた。
なぜ生理用品を選んで進出したかということですが、それはまず、建材の仕事で技術力、販売力格差をつけて成長するより、あの時期(昭和38年)では、第一に生理用品で品質力格差をつけてブランドを生かし、特徴を出した方が有利だと考えたからです。
第二に(生理用品)は建材のような中間商品デアはなく、最終製品として価格支配ができることでう。例えば、スタンレー電気は自動車用ランプのトップで、すばらしい企業ですが、ランプを完成品としてとらえるよりパーツとしてとらえるのが正しい。企業規模がいくら大きくてもダメで、末端商品とは、価格決定権を消費者や需要家に認めてもらい、しかも経常利益で10%以上を得られると考えたからです。
第三には、わたしの郷土は手漉き紙の産地で、その環境に育ってきたのも(生理用品を選んだ)理由です。現在も建材を10%あまり作っており、将来も有望だと思ってますが、企業の成長性、収益性、健全性の3つのモノサシで判断する時、成長性ではいいんですが、収益性が伴わず健全性を維持できない。これらのモノサシを最小限全部みたすのは、私どもが得る情報分野では生理用品しかなかったわけです。
先発のアンネは女性用ナプキンの販路について、全国の薬粧問屋を中心に流通させていた。そこで、ユニチャームでは、アンネが手薄な日用雑貨の問屋と、成長しつつあったスーパーマーケットの販路を優先的に開拓し、集客力の高い販売チャネルを開拓することで、アンネとの差別化を図った。
特にユニチャームにとって追い風となったのが、花王による問屋整理である。花王は販社を立ち上げるために、全国の問屋と取引を停止していたため、これらの問屋が新しい仕入れ先を開拓する中で、ユニチャームとの取引を決めた。この結果、ユニチャームはナプキン市場で後発参入だったが、急速に雑貨系問屋の販売チャネルを整備できた。
なお、ユニチャームは問屋向けの営業に人員を傾斜投資しており、1976年時点で全社員420名のうち約半数がセールスに従事し、全国350店の販売代理店を擁した。
1971年にユニチャームは生理用ナプキンでアンネをシェアで凌駕して、国内トップシェアを確保。1976年には東京証券取引所第2部に株式上場を果たし注目を集めた。
(当社は)業界地位が第1位なんですが、シェアの絶対値がいくらであるかより相対的地位が重要でしょう。具体的に1位と2位以下との差が、どの程度開いているかということで、販売力、広告宣伝力、技術格差、コスト面などの差が、ここに表れる。当社は42%のシェアですが、2位〜6位をあわせても39%ぐらいです。
他社より、品質、コスト面で優れているのは、常に現状に満足せず、より高い目標を掲げてやってきた結果だと確信しています。ただ、販売面は(まだ十分な状況とは言い切れず)同業他社より圧倒的に強い販路を持つよう努力を続ける必要がある。
1980年前後に高吸水性樹脂が実用化されるという技術革新によって、おむつや生理用品の素材が「吸水紙」から「吸水性樹脂」に変化した。これらの樹脂は化学メーカーによって製造され、P&Gは日本触媒から高吸水性樹脂を購入することで、紙おむつ事業に参入。1980年ごろまでに国内シェア約70%を確保し、シェア2位のピジョン(シェア9.4%)を圧倒した。
ベビー用紙おむつの国内における市場規模は、1981年度の180億円に対して、1987年度には1280億円へと急拡大した。このため、急成長する市場に対して、P&Gの他、ユニチャーム、花王、資生堂といった大企業も参入を検討した。
1980年前後にユニチャームを取り巻く競争環境が激化。生理用ナプキンでは花王が本格参入したことでシェアを落とし、1980年度決算でユニチャームは減収減益を計上した。そこで、ユニチャームは社内に危機感を抱かせるために、新規分野として「ベビー用紙おむつ」への参入を決定した。当時はP&Gがすでに90%のシェアを確保していたため、社内で反対論が噴出したが、ユニチャームの高原社長は参入を決定した。
創業以来、増収増益を続けてきたが1980年に初の減収減益を喫した。2年前に花王が生理用市場に参入、魅力的な商品を立て続けに発売した。一気に攻め込まれシェアは低下した。減益はライバル登場でなく、非は我にあるのは明らかだった。社内の風土改善が必要と痛感し、再びナンバーワン商品を作る決意をする。生理用品の開発で培った不織布や吸収体の技術を武器に視野に入れたのが、紙おむつ。減益決算の3年前、巨大企業、米P&Gが日本で紙おむつ市場に参入するやたちまちシェア90%を奪う大躍進を遂げていた。
「お前バカか」。社外からは今度は本当にバカ呼ばわりされた。子供が横綱に挑むようなもので、勝ち目はない。社内は生理用品で守りをか耐える慎重論ばかり。しかし、生理用品は市場の飽和が目に見えていた。女性の数、利用シーンからは市場創造の余地は限られる。紙おむつ市場は誕生したてだ。経常利益が前年比度6割減の10億円、設備投資に30億円。会社が潰れると参入に反対する役員や幹部らは次々に発言した。こっちはやると腹に決めているから、そんな意見は聞きたくない。「反対するヤツは出てけ」と怒鳴り、利雄らやく員数人と視察団のメンバーが残った。
ユニチャームは高吸水性樹脂を三洋化成から購入し、P&Gと取引している日本触媒を選択しなかった。このため、おむつ業界では「ユニチャーム・三洋化成」と「P&G・日本触媒」という2つの陣営が競争を繰り広げることになった。なお、紙おむつに後発参入した花王は、高吸水性樹脂の内製化を選択し、1983年に参入するとともに30%超のシェアを確保するなど、市場は乱戦模様を呈した。
ユニチャームの優位性は、おむつの立体裁断のための製造装置を内製化したことにあった。おむつをラインで生産する際は、直線方向の加工は容易なものの、曲線による加工が難しく立体的な裁断は高度な技術が必要であった。
おむつの製造装置は「瑞光」や「PCMC」が市場を独占しており、ユニチャーム、花王、P&Gに装置を供給していたが、ユニチャームは自社開発した機械も併せて導入。製品開発のスピードを向上させることで、P&Gとの戦いに挑んだ。
1982年にユニチャームは紙おむつのシェア30%を確保し、P&Gの牙城を崩した。P&Gは明石工場における紙おむつの増産体制の構築に遅れ、おむつ戦争の序盤戦でシェアを落とした。その後、P&Gはマーケティングや新製品への投資で対応するなど、1980年代から1990年台にかけてユニチャームとP&Gが熾烈なシェア争いをおこなった。
また、P&Gはユニチャームを封じるために、ユニチャームに牙城であった生理用品に1986年に参入。生理用品と紙おむつの2つの製品を投入することで、ユニチャームを潰しにかかっている。
ユニチャームはP&Gとの競争を繰り広げつつも、ベビー用紙おむつの市場が拡大したことで業容を拡大した。
ユニチャームが中国に進出したのは1995年であり、当初は「生理用品」の現地生産を行っていた。当時の中国は所得水準が低く、紙おむつの需要が少なかったため、紙おむつの現地生産は行われない時期は続いていた。
その後、2000年代を通じて中国経済が高度成長を迎えると、中国における所得水準が増加。これによって従来は嗜好品であった「紙おむつ」の市場が形成されることが予想された。
2010年にユニチャームは、中国市場に注力する方針を決定。従来は「生理用品」の現地生産を行っていたが、新たに「紙おむつ」についても現地生産を開始した。
2010年以降、ユニチャームは中国における「紙おむつ・生理用品」でシェアを確保するために、設備投資を本格化した。ユニチャームとしては、現地生産体制を構築することでシェアを確保する狙いがあったと推察される。
具体的な投資金額は非開示であるが、ユニチャームの中国統括会社における総資産は、FY2010からFY2013の4年間にかけて約700億円増加しており、中国に対して年100億円以上の規模の投資を実施したと推定される。
設備投資の内訳は、中国における工場の新設であった。2009年時点でユニチャームは中国・上海で「第1工場」及び「第2工場」を稼働していたが、FY2014までに「第3工場(上海)」「第4工場(天津)」「第5工場(揚州)」を新たに新設稼働した。工場への投資額は非開示だが、第4工場(天津)では累計100億円を新設にあたって投資をしており、1工場の新設で100億円規模の投資を実施したと推定される。
| 計画期間 | 投資予定額 | 投資対象 |
| 2010/12-2011/12 | 75.5億円 | 既存工場への設備投資 |
| 2011/12-2012/12 | 75.0億円 | 既存工場への設備投資 |
| 2011/6-2011/12 | 34.8億円 | 第4工場の新設 |
| 2011/12-2012/12 | 70.4億円 | 第4工場の新設 |
ユニ・チャームが中国に進出してきたのは1995年。生産は1996年に開始しました。生産を開始したのは、上海市青浦園区にある工場です。当初はナプキンから生産を初めました。お蔭様で中国市場でのビジネスは順調に拡大しており、2010年には紙オムツの生産も開始するなど、中国市場での幅広い需要に応えられるよう、ラインナップも拡大しています。
上海では、現在第3工場まで規模を拡大しました。年々拡大する中国市場への製品供給を上海工場で一手に引き受け、ここまで規模を拡大しましたが、そろそろ限界に達しました。そこで、第2の拠点を設けようという展開になり、この天津という地を選びました。
当初は設備投資の拡大とともに売上を拡大。FY2016には中国現地法人において売上高が1338億円・経常利益108億円を計上し、高収益を達成するなど、事業展開は順調に見えた。
しかし、現地メーカーとの競争の激化により、FY2016を最後に売上成長は低迷した。加えて、2010年代に新設した設備の減価償却が重くのしかかったことで、利益率も低迷した。
そこで、2019年12月期にユニチャームは中国事業で機械設備について減損損失119億円を計上。償却負担を軽くすることで、経常利益率を改善した。ただし、依然として中国市場では競争が激しく、売上成長には至らなかった。2021年時点で、紙おむつでは中国の現地企業が数百社ほど競争する市場構造であった(出所:ユニチャーム・決算説明会質問FY2021/1Q)。
このため、2022年時点でユニチャームの有価証券報告書は、中国事業について「ローカル企業の台頭や少子高齢化が進む」と記載し、厳しい現状を認識するに至った。なお、ユニチャームは中国事業について売上成長ではなく、プレミアム価格帯の製品の販売を強化することで、収益を持続する方針に転換している。
| FY | 売上高 | 経常利益 | 総資産 |
| FY2010 | 454 | 59 | 302 |
| FY2011 | 572 | 65 | 372 |
| FY2012 | 732 | 74 | 508 |
| FY2013 | 1088 | 99 | 1019 |
| 2014/12(変) | 1177 | 110 | 1106 |
| FY2015 | 1338 | 108 | 1057 |
| FY2016 | 1088 | 95 | 1019 |
| FY2017 | 1077 | 56 | 1051 |
| FY2018 | 1039 | 81 | 1008 |
| FY2019 | 1023 | 101 | 1065 |
| FY2020 | 1066 | 180 | 1004 |
| FY2021 | 1274 | 205 | 1022 |
| FY2022 | 1245 | 151 | 882 |
中国事業全体での利益率で最も下振れリスクがあるのはベビー用紙おむつだと思っています。ただし、ベビー用紙おむつについては先ほどもご説明したように、売上を追わず、中国国産のプレミアムタイプの商品が消費者から非常に高い評価を得ています。原価率も低く、利益率についても日本からの輸入商品や、中国の国内で製造しているスタンダードタイプのマミーポコブランドよりも相対的に高く、消費者の引きも良いので、ユニ・チャームの方針としても、売上の規模を追わず、中国国産のプレミアムタイプに特化し、シフトしていきます。マーケットシェアについては、ピークからかなり下がっていますが、ブランド価値を重視してやっていきます。フェミニンケアについては、極めて好調な状況です。新製品の計画もありますので、この好調さをしっかり維持することができれば、大幅に中国事業の計画からブレて、マージンが下がるようなリスクは考えにくいと思っています。
ベトナムで衛生用品を展開
米国でペット用品を展開
ミャンマーで衛生用品を展開
中国事業が不振。機械装置で13億円の減損を計上
2018年9月にユニチャームはDSG Limitedを599億円で買収したことを事後公表した。DSG社は東南アジア(タイ・マレーシア・インドネシア)において紙おむつを展開する現地企業であり、ブランドとして「BabyLove」や「Fitti」を取り揃えていた。展開地域ではそれなりのシェアを確保していたという。
DGS社の2017年度の売上高は279億円、純利益は8.2億円であった。買収価格599億円に対して、純利益ベースのPERは73倍。ここまで買収価格が高騰した経緯は不明だが、一般論として競合メーカーとの競り合いになった可能性もある。
ユニチャームとしては売上拡大とともに利益率の改善を前提とした買収を狙ったと推定される。PMIの担当は中井忠氏(ユニチャーム執行役員)であった。
2022年12月期にユニチャームは関係会社株式評価損失を特別損失として計上した。このうち、434億円がDSG社に関する株式評価損であり、損失計上後のDSG社の株式価値は79億円となった。すなわち、DSG社の買収は4年を経て失敗が確定した。
DSG社の個別業績は非開示だが、売上拡大に苦戦したことや、もともと低収益である体質の展開に失敗したもの推察される。
なお、PMIを担当した中井忠氏は、2023年1月にユニチャームの常務執行役員から専務執行役員に昇進しており、この経緯や意図は不明である。
| 地域 | FY2020 | FY2021 | FY2022 |
| インドネシア | ▲3% | +9% | +12% |
| タイ | +3% | +6% | +1% |
現地メーカーとの競争が激化して収益性が悪化。中国事業の機械設備で119億円の減損損失を計上
タイ、インドネシアにおける事業の不調により、434億円の評価損を計上。DSG社の買収は失敗へ