1946年
阪和商会を個人創業
北二郎ら3人兄弟で阪和商会を設立
1946年
阪和商会を個人創業
1947年
阪和興業株式会社を設立
1949年
鋼材倶楽部に加入
阪和興業は鉄鋼商品の取り扱いを拡大するために鋼材クラブに加入したが、八幡製鉄や富士製鐵といった鉄鋼メーカーの指定問屋ではなかった。それでも、北茂が中心となって学生時代の人脈をたどって営林局などの納入先を開拓。阪和興業はダム建設現場向けの鉄道用の軽レールを納入するなど、鉄鋼商社として頭角を現す。
1950年
梅田倉庫を新設(東京)
鉄鋼製品の即納体制を確立するために、大阪梅田に倉庫を新設。以後、全国各地に倉庫を建設することで、阪和興業は「即納体制の整った商社」として業界内でユニークなポジションを確保する。
1953年
入船倉庫を新設(東京)
即納体制を充実させるために、大阪に倉庫を新設
1957年
枝川倉庫を新設(東京)
即納体制を充実させるために、東京江東区に倉庫を新設
1959年
桜島倉庫を開設(大阪)
即納体制を充実させるために、大阪に倉庫を新設
1961年
船橋倉庫を開設(千葉)
即納体制を充実させるために、千葉に倉庫を新設
1963年
8月
大阪証券取引所第2部に株式上場
1963年
8月
大阪証券取引所第2部に株式上場
1970年
9月
東京証券取引所に株式上場
1974年
名古屋鉄鋼センターの新設
阪和興業の倉庫は大阪と東京に集中していたが、自動車産業の成長が著しい名古屋(愛知県)に進出
1983年
北茂が社長就任
北家の兄弟の末弟の北茂が社長に就任。本業の鉄鋼ではなく、財テクを本格化させる。
1990年
財テクで金融収支が好調
積極的な資金運用によって阪和興業は財テクにより莫大な経常利益を確保。1985年には153億円だった資本金は、わずか5年後の1990年には1414億円へと増大し、財テクの成功企業として注目された。
1994年
3月
財テク損失で巨額赤字に転落
1994年
北茂が社長退任・北修爾が社長就任
財テクによる損失の責任をとり、北茂が社長を退任。後任として北修爾が社長に就任した。
1995年
3月
財テク損失で巨額赤字に転落
1998年
任意有償の資本減少を臨時株主総会で決議
2001年
4月
阪和流通センターを地域別子会社に再編
2002年
9期ぶり復配
1994年以後、阪和興業は財テク損失の清算ために8期連続の無配に転落していたが、2002年に配当を復活した。
2009年
4月
ヨハネスブルグ支店を開設
2013年
11月
国内の小規模会社を積極的に買収
2020年
南アフリカSAMANCORで減損
阪和興業はクロム鉱石採掘およびフェロクロム生産のために投資した南アフリカの「SAMANCOR」に関する減損を273億円計上。全社で125億円の経常赤字に転落した。
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