三菱財閥(三菱合資会社)は、第一次世界大戦の勃発(1914年〜1919年)により業容を拡大したことを受けて、営業部門を「三菱商事」として分離。商社事業を別会社として展開することで、市況変動などのリスクを「三菱財閥」として背負わずに済む体制を構築した。
その後、1945年に終戦を迎え、GHQは日本国内の財閥の解体を決定。三菱財閥は解体されることが決まり、「三菱」の商号利用も一時的に禁止された。三菱商事の営業権については、元三菱商事の社員が経営する各社に分散された。
財閥解体によって分散された元三菱商事系の各社は再合同を決定。1954年7月に和光実業(1952年に三菱商事へ商号変更)・不二商事・東京貿易・東西交易の4社が合同することで、三菱商事株式会社を創立した。法人としては、旧和光実業が3社を吸収する形をとった。
1954年の合同により、三菱商事は総合商社の事業展開を本格化した。このため、同社によれば、三菱商事の創立年は「1954年」と定義されている。
1954年の三菱商事により、総合商社として取扱品目を拡充。三菱グループにおける営業部門を担いつつ、主に「鉄鋼・非鉄・機械」の分野において取扱い比率を拡大した。この点では、多くの大手商社(伊藤忠・丸紅など)が「繊維取引」に偏重するなかで、希有な商品構成であった。
鉄鋼では主に海外輸出向けの取り扱いに注力。1960年12月に三菱商事は「鉄鋼輸出部」を発足して、鉄鋼メーカーが製造した「鋼管・鋳鉄管」の輸出に注力する体制を整えた。主な輸出先は、北米と中南米であり、三菱商事の販売ネットワークを生かす形となった。
非鉄金属では、1960年代を通じて海外からの銅鉱石の輸入と、三菱化成向けのアルミニウム原料の輸入が取り扱いの主流であった。このうち、銅鉱石の輸入は、1970年代以降に三菱商事が南米の銅山権益に出資する布石となった。
機械に関しては、三菱グループ内の営業部門としての役割を担った。例えば、三菱重工業で製造されたプラント機械を、同じグループ内の三菱化成に販売するなど、三菱グループの取引に介在するのが主な役割であった。このため、三菱グループにおける機械領域の強さが、そのまま三菱商事の機械部門の取扱比率に反映されている。
ご承知のように三菱商事は昭和22年にGHQから解散を命じられ、その時点で商権とかのれんとかも全く無くなってしまったんです。文字通りゼロからのスタートだったわけで、その後諸先輩が汗を流しながらコツコツと新しい仕事を手掛けてきた結果が今の商売、商権につながっているわけです。いわば商事の成り立ちは、全て前例のないことをやってきた集積なんですよ。
ところが、29年(注:1954年)の合併後に入ってきた社員の多くはそういった事実を十分に理解していない。三菱商事だから、この種の仕事ができるのは当たり前、仕事がついてくるのは当然だという風に思い込んでいる。(略)私が前例のないことに挑戦しろと盛んに言い続けているのは、それが現在の総合商社のレゾンデートルでもあるからなんです。商社がモノを売ったり、買ったりだけで食えた時代はとっくに終わってしまった。
1968年に三菱商事は「トレーディング」から「事業投資」に舵を切るために商品本部制を導入して組織改革を実施した。そして、事業面では「ブルネイLNG」への巨額投資(投資額421億円)を決定し、事業投資に本格参入した。
1968年11月に三菱商事はブルネイにおけるLNGの共同開発に参入を決定。開発会社については、シェル45%・三菱商事45%・ブルネイ政府10%の出資比率であった。開発にあたっては、採掘などの知見が豊富なシェルが主導しつつ、三菱商事がLNGの販売を担う体制であった。
三菱商事は日本国内の大手企業(ガス・電力)との販路を構築しており、1957年から大阪ガスとLNGの輸入計画を立案するなど、良好な関係性であった。また、アラスカ産のLNGの輸入も実施しており、LNGの国内販売の知見を保有していた。このため、三菱商事はLNGの需要開拓(国内企業とのパイプ)に強みを持っていたため、ブルネイの共同PJにあたって「45%」という相応の権益を確保するに至った。
プロジェクト全体の合計投資額は2.6億ドルであり、当時の1$=360円換算で936億円に及んだ。このうち、三菱商事は45%を負担する形となり約420億円の投資を決断した。
1970年代を通じてオイルショックによる石油高騰によるLNGの価格競争力向上や、公害問題によるLNGの活用推進が進んだ結果、三菱商事が大手ガス会社・電力会社に提供するLNGのニーズが増加。LNGの販売及び価格維持が好調に推移し、ブルネイLNGの共同PJから年間約200億円の配当収入を確保した。
1970年代当時はLNGの開発の黎明期であり、三菱商事は日本国内におけるLNGの取り扱い量でシェア77%(825万t)を確保。このうち、アラスカからのLNG輸入が101万t、ブルネイからのLNG輸入が526万tであり、ブルネイがLNG事業によって国内市場を独占した。
ブルネイLNGの契約満了は1992年であり、これまでの間、三菱商事はブルネイの収益によって全社利益を確保。安定収益源となったブルネイでの利益を、他の海外の事業投資の原資に回すことで、三菱商事は事業投資(主に資源分野)を加速した。
もともと商社の機能はトレーディング、つまり生産者と需要者の間に介在し、リスクは負担せずに口銭をとるというものであった。しかしすでに商社の事業はトレーディングのみではなくなった。トレーディング・アンド・ディベロップメントという言葉でなくては商社の事業内容をいいあてることができなっており、その意味で、商社の質的変化は始まっているのである。こうした動きは今後ますます大きくなっていくはずである。
それというのも、過去10年という機関をとって世界貿易の年平均増加率を算出してみると、全体としては7%の高水準にあるのに対し、日本のみは14%という高い水準にあるのである。つまり、このような高水準の貿易増加を維持するためには、天然資源の不足する日本の場合とくに、資源の開発輸入ということをクローズアップさせなければならないということである。
海外資源の開発については、商社のみが行うべきことだというのでは毛頭ないが、信用力、資金力、人材などのコンビネーションにより効率的に実施できるものにまかせることが最良の方法であるのだから、商社としては相当の役割を果たしうるし、またすでにわずかながらでも果たしているものと思う。
2011年に参画したAAS社(チリ銅山・4200億円で取得)について、銅市況の低迷を受けて、2016年3月期に2712億円の減損損失を計上。この影響で、三菱商事の全社業績について、FY2015に最終赤字1493億円(当期純損失)に転落した。
欧州の再生エネルギー事業に参入するために、三菱商事は中部電力と共同設立した「Doiamond Chubu Europe B.V.」を通じて、オランダのEneco Group N.V.の株式100%の取得を決定。三菱商事は共同出資会社に80%を出資しており、三菱商事によるEneco社の取得価格は4885億円となった。
FY2023に三菱商事は業績好調により過去最高のキャッシュフロー1.9兆円を確保した。
このため、三菱商事は借入金の必要性が減少したことや、資産圧縮によって経営効率を改善するために、有利子負債の圧縮を決定。
FY2023において、社債借入金についてキャッシュフローベースで▲9673億円、リース負債についても同▲3089億円が減少し、主に借入金の返済を通じて有利子負債を圧縮した。
2022年に三菱商事(中西勝也・2022年社長就任)は「中期経営計画2024」を策定し、事業ポートフォリオの入れ替えを表明。株主を意識した経営を遂行し、企業価値の改善が難しい子会社ないし関連会社について、保有する株式の売却を本格化した。売却を通じて資産効率を改善し、三菱商事としての企業価値の最大化を目指した。
三菱商事が投資家重視の姿勢に舵を切った契機としては、2020年8月に米国の投資会社「バークシャー・ハサウェイ」が三菱商事の株式5%を保有したことが挙げられる。2023年3月期末で三菱商事における海外投資家の比率は29.74%(うちバークシャの保有比率は6.59%)に及んだ。このため、海外の機関投資家が三菱商事の株式を保有することで、三菱商事としては株主への配慮が必要となった。
2024年に三菱商事は保有する日本KFCの全株式(35.12%)について、約400億円で売却する方針を発表。売却先は投資ファンドのカーライル・グループとなった。
2024年に三菱商事はローソンの株式について0.1%の売却を決め、保有比率を50.1%から50.0%に低下させることで連結対象から除外した。KDDIがローソンへのTOBを表明しており、経営の主導権をKDDIに譲る形となった。
わたしが2022年に社長に就任した時に、22年度から始まる3カ年の新しい経営の指針として「中期経営戦略2024」を出しました。この中で、循環型成長モデルという経営管理制度を掲げ、実践しています。
これは前任者(垣内威彦・現会長)の時代から言っていることですが、要はどのように事業ポートフォリオの入れ替えをしていくかというところに重点を置いていまして、事業を入れ替えながら、どのように成長していくかという部分がこれからの課題になるのかなと思います。