1945年〜 禁じ手を破った創業と金ヘン商社堅実経営の確立
- 1945年日本建設産業を発足(現・住友商事)
- 1956年鉄鋼取引を拡大。「金ヘン」商社へ
- 1962年商品本部制を導入
- 1963年リース事業に参入
- 1969年SIer・情報サービスに参入
- 1975年マツダ向け北米自動車販売を開始
- 1981年海外大型PJの参画を見送り
住友商事の業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
25年封じた商社禁令を復員社員のために解いた
住友財閥は1920年、総理事の鈴木馬左也氏が「商社設立禁止宣言」を発令し、以後25年にわたり商社事業への参入を自ら封じた。三井が三井物産を、三菱が三菱商事を擁して総合商社機能を確立するなか、住友は「浮利を追わず」の祖訓を守り、商社を持たない財閥として事業を営んだ。もっとも、後に住友商事となる法人そのものは商社ではなく不動産会社を母体とする。1919年12月、大阪港北側の新港築造と沿岸土地の経営を目的に資本金3,500万円の大阪北港株式会社が設立され、初代社長には住友総本店の総理事だった鈴木馬左也氏が就いた。同社は1927年に住友合資の系列下へ入り、1944年11月には住友ビルディングを合併、長谷部竹腰建築事務所の営業も譲り受けて社名を住友土地工務へ改め、設計監理まで手がける総合不動産会社へ成長する。1945年8月の終戦で軍需が消滅し、復員した社員の生活基盤確保が急務となったため、古田俊之助総理事が長年の禁令撤回を苦渋の末に決断する。住友本社が財閥解体の指定を受けて解散すると、住友土地工務は住友系各社の販売業務を継承し、同年11月に社名を日本建設産業へ改めて商事会社として新発足、初代社長には住友金属工業の元部長・田路舜哉が就いた。不動産経営を発端とする出自は、戦後の総合商社のなかで住友商事だけが持つ特異な来歴となった。 [1][2][3][4][5][6][7][8]
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [1]1919年12月 大阪北港株式会社(資本金35百万円)として設立、不動産経営にあたる
- [4]1944年11月 住友ビルディングを合併し社名を住友土地工務と改称(長谷部竹腰建築事務所の営業も譲受け、総合不動産会社化)
- [5]1945年8月の終戦
- [6]1945年 終戦で住友本社が財閥解体指定を受け解散、住友土地工務が住友系各社の販売業務を継承し商事部門へ進出
- [7]1945年11月 社名を日本建設産業に改称し商事会社として新発足(現・住友商事)
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [2]大阪北港の初代社長は住友総本店の総理事だった鈴木馬左也
- [3]1927年に住友合資の系列下に入った
- [8]不動産経営を発端とする出自が総合商社のなかで特異である点(『明治百年』の評)
1949年8月、まだ日本建設産業の時代に大阪・東京の両証券取引所へ株式を上場し、戦後復興期の資金調達基盤を早く整えた。1950年7月には設計監理部門を日建設計工務として分離独立させ、商事活動への専念を鮮明にする。1952年6月に社名を住友商事へ改めると、住友金属工業や住友金属鉱山などグループ各社の販売機能を担う役割上、取扱品目は鉄鋼と非鉄金属に傾斜し、業界では「金ヘン商社」と呼ばれた。1962年12月には商品本部制を導入して9本部体制を整え、鉄鋼偏重からの脱却を図る。資本金は1956年12月の10億円から1967年6月の105億円まで積み増され、1967年度の事業構成は金属52%、機械17%、物資燃料12%、化学品9%、食品8%、不動産その他2%とバランスが取れ始めた。繊維部門の強化やサミットストアなど消費部門への進出にも乗り出し、同年度の取扱高は約7,900億円に達する。東京神田の住友商事ビルが3年で手狭になるほど取扱規模が拡大した(読売新聞 1967/02/08)が、金属が事業の過半を占める構造は長く続く。 [9][10][11][12][13][14][15][16][17][18]
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [9]1949年8月 大阪・東京の両証券取引所に株式を上場(当時は日本建設産業)
- [10]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立(現・日建設計)
- [11]1952年(6月)社名を住友商事株式会社と改称
- [12]鉄鋼・非鉄に傾斜し業界で「金ヘン商社」と呼ばれた
- [13]1962年12月 商品本部制を導入し9本部を設置(鉄鋼偏重からの脱却・総合商社化)
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [14]資本金が1956年12月の10億円から1967年6月の105億円へ段階的に増資された
- [15]1967年度の事業構成は金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
- [16]繊維部門の強化、サミットストアなど消費部門進出、千葉共同サイロ建設に着手
- [17]1967年度の取扱高は約7,900億円
- 読売新聞(1967年2月8日)
- [18]1967年に東京神田の住友商事ビルが3年で手狭になるほど取扱規模が拡大(読売新聞 1967/02/08)
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [1]1919年12月 大阪北港株式会社(資本金35百万円)として設立、不動産経営にあたる
- [4]1944年11月 住友ビルディングを合併し社名を住友土地工務と改称(長谷部竹腰建築事務所の営業も譲受け、総合不動産会社化)
- [5]1945年8月の終戦
- [6]1945年 終戦で住友本社が財閥解体指定を受け解散、住友土地工務が住友系各社の販売業務を継承し商事部門へ進出
- [7]1945年11月 社名を日本建設産業に改称し商事会社として新発足(現・住友商事)
- [9]1949年8月 大阪・東京の両証券取引所に株式を上場(当時は日本建設産業)
- [10]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立(現・日建設計)
- [11]1952年(6月)社名を住友商事株式会社と改称
- [12]鉄鋼・非鉄に傾斜し業界で「金ヘン商社」と呼ばれた
- [13]1962年12月 商品本部制を導入し9本部を設置(鉄鋼偏重からの脱却・総合商社化)
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [2]大阪北港の初代社長は住友総本店の総理事だった鈴木馬左也
- [3]1927年に住友合資の系列下に入った
- [8]不動産経営を発端とする出自が総合商社のなかで特異である点(『明治百年』の評)
- [14]資本金が1956年12月の10億円から1967年6月の105億円へ段階的に増資された
- [15]1967年度の事業構成は金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
- [16]繊維部門の強化、サミットストアなど消費部門進出、千葉共同サイロ建設に着手
- [17]1967年度の取扱高は約7,900億円
- 読売新聞(1967年2月8日)
- [18]1967年に東京神田の住友商事ビルが3年で手狭になるほど取扱規模が拡大(読売新聞 1967/02/08)
20年続いた「10年以上は手を出さない」の逆説
1981年の社長就任にあたり植村光雄氏は「派手な大プロジェクトをねらう必要は全くないし、そうすべきではない。10年以上の長期プロジェクトには手を出さないことを原則にしている」(住友商事社史)と明言した。三菱商事がブルネイLNGへ、三井物産が後に巨額損失を招くイランIJPCへそれぞれ投じるなか、住友商事だけは海外プロジェクトへの参画を一貫して見送り続ける。この手堅さは1981年3月期に売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅を急追し、経常利益率0.38%で業界1位に立つ業績へ結実した(日経ビジネス 1981/11/16)。もっとも社内では、三菱のブルネイ成功を見て「もっと積極的にやっていればよかった」と反省するグループと、三井のIJPC失敗を見て「慎重な方針は正しかった」と現状を肯定するグループに役員が二分される状況もあった。競合各社がリスク顕在化に翻弄される間に堅実な業績を維持する独特の成長構造が、1970年代から1990年代初頭まで約20年にわたり成立した。 [19][20][21]
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [19]1981年(1月)住友商事が海外大型PJの参画を見送った(三菱はブルネイLNG、三井はイランIJPC)
- 日経ビジネス(1981年11月16日)
- [20]1981年3月期に売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅を急追、経常利益率0.38%で業界1位に立った
- [21]住商役員が三菱ブルネイの成功に学ぶ反省型と三井IJPCの失敗に学ぶ現実肯定型の2タイプに分かれた
並行して1963年にリース事業、1969年に情報サービス事業へ参入し、1975年にはマツダ向け北米自動車販売を開始、1976年には住友金属工業と共同でサウジ向けシームレスパイプに投資するなど、金属以外の事業領域も拡充する。住友金属の石油パイプは石油採掘ブームの到来で各国から引き合いが殺到し、現地側が住友商事の誠実さを評価して取引を広げたとも伝えられた(産業と経済 1976/06)。1995年にはケーブルテレビ事業にも参入した。リスクを取らない選択が競合との差別化を生む構造が成立した時代で、競合他社が長期プロジェクトの不透明性に翻弄される間、住友商事は慎重な方針を貫くことで相対的な優位を確保する。堅実路線によって蓄積された資本の厚みは、のちに訪れる銅地金事件での衝撃吸収に不可欠な役割を果たした。 [22][23][24][25][26][27]
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [22]1963年(2月)リース事業に参入
- [24]1969年(10月)SIer・情報サービスに参入(住商コンピューターサービス設立=現SCSK)
- [25]1975年 マツダ向け北米自動車販売を開始
- [26]1976年(5月)住友金属と共同でサウジ向けシームレスパイプに投資
- [27]1995年(1月)ケーブルテレビ事業に参入(ジュピターテレコム設立=現JCOM)
- 産業と経済(1976年6月)
- [23]住友金属の石油パイプは石油採掘ブームで各国から引き合いが殺到し、現地側が住友商事の誠実さを評価した
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [19]1981年(1月)住友商事が海外大型PJの参画を見送った(三菱はブルネイLNG、三井はイランIJPC)
- [22]1963年(2月)リース事業に参入
- [24]1969年(10月)SIer・情報サービスに参入(住商コンピューターサービス設立=現SCSK)
- [25]1975年 マツダ向け北米自動車販売を開始
- [26]1976年(5月)住友金属と共同でサウジ向けシームレスパイプに投資
- [27]1995年(1月)ケーブルテレビ事業に参入(ジュピターテレコム設立=現JCOM)
- 日経ビジネス(1981年11月16日)
- [20]1981年3月期に売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅を急追、経常利益率0.38%で業界1位に立った
- [21]住商役員が三菱ブルネイの成功に学ぶ反省型と三井IJPCの失敗に学ぶ現実肯定型の2タイプに分かれた
- 産業と経済(1976年6月)
- [23]住友金属の石油パイプは石油採掘ブームで各国から引き合いが殺到し、現地側が住友商事の誠実さを評価した