住友商事の歴史
創業期
1945年〜日本建設産業としての商社発足と住友商事への改称
- 大阪北港を設立[1]
- 住友財閥が商社設立禁止を宣言[2][3]
- 住友合資の系列下に移行[4]
- 住友ビルディングを合併[1]
- 住友土地工務に商号変更[1]
- 長谷部竹腰建築事務所の営業を譲受[1]
- 古田俊之助の商社禁令撤回[1]
- 日本建設産業に商号変更[1]
- 営業部を開設[2][3]
- 田路舜哉氏が社長に就任[2][3]
- 在籍人員が720名に増加[2][5]
- 大阪・東京の両証券取引所に上場[1]
- 繊維部を開設[2][6]
- 設計監理部門を日建設計工務として分離[1]
- 定款の事業目的を変更し貿易商事会社として取扱品目を明確化[7]
- Nikken New York Inc.を設立[1]
- 住友商事に商号変更[2][3]
- 海外店舗が15店に到達[2][6]
- 津田久氏が社長に就任[8]
- 資本金を10億円に増資[9]
- 商品本部制を導入[1]
- 東西興業を設立[10]
- 資本金を105億円に増資[4]
- 住商コンピューターサービスを設立[1]
- 相互貿易を合併[1]
- 大阪本社・東京本社の二本社制に移行[1]
安定成長期
1973年〜10年超の長期案件を避ける方針と経常利益率業界1位
- マツダ向けの自動車販売を開始[4]
- 住商エレクトロニクスを設立[8]
- 住友金属工業と共同でシームレスパイプに投資[11]
- 植村光雄氏が社長に就任[12]
- 英文社名を SUMITOMO CORPORATION に変更[8]
- 営業部門制を導入[1]
- 4,000万株の公募を実施[13]
- 10年超の案件を避ける原則[14]
- 住商オートリースを設立[8]
- 経常利益率0.38%で業界1位[13]
- 1981年3月期の売上高が27.0%増となり丸紅を急追[13]
- 部門別売上構成比で機械・電機が鉄鋼を上回る[13]
- 伊藤正氏が社長に就任[8]
- 住商リースが大阪証券取引所市場第二部に上場[8]
- SEC方式の連結決算を導入[15]
- 1987年3月期の売上高が12兆923億円となり業界2位[15]
不祥事
1988年〜総合事業会社構想と銅地金の簿外取引事件
成熟期
1998年〜9事業部門28本部への再編とジュピターテレコムの買収
- 情報産業部門を新設[10]
- 中期経営計画「改革パッケージ」を開始[18]
- 住友商事北海道を設立[1]
- 9事業部門28本部の体制に再編[1]
- 本店を移転[1]
- 情報セキュリティ委員会を設立[19]
- 住友商事東北を設立[1]
- 住商オートリースを株式交換で完全子会社化[8]
- アンバトビーニッケル事業への参画を決定[20]
- 住友商事九州を設立[1]
- ジュピターTVの第三者割当増資を引き受け出資比率が50%超[21]
- ジュピターテレコムの争奪
- 新産業・機能推進事業部門を新設[22]
- ウジミナス鉱山の権益30%を取得[20]
- 住商情報システムとCSKが統合しSCSKが発足[8]
- タイトオイル開発事業に参画[20]
- 国内ブロック制を廃止[1]
低迷期
2015年〜3103億円の減損と5大商社で唯一の最終赤字
- アンバトビーの巨額減損[20]
- コーポレート部門のグループ制を廃止[1]
- 国内担当役員を設置し関西・中部の地域担当役員を廃止[1]
- 本店を移転[1]
- エネルギーイノベーション・イニシアチブを新設[1]
- プライム市場に移行[1]
- アンバトビー事業の減損が累計2660億円に到達[8]
- エリオットの株式取得
- 営業部門を戦略ビジネスユニットに再編[1]
- 中期経営計画2024-2026を公表[8]
- アンバトビー事業で投資有価証券評価損を計上[23]
- ティーガイアの非公開化に協力する契約を締結[23]
- 監査等委員会設置会社へ移行
- 自己株式を取得
- Van Phong Power持分の一部譲渡を決定[23]
- マーケット・フォースの株主提案を定時株主総会で否決[23]
- エア・リース・コーポレーションの共同買収に参画[8]
- SCSKの完全子会社化を決定[8]
- 繰延税金資産を新たに計上[23]
- アンバトビー事業の全出資持分の譲渡を決定[24]