住友商事

の歴史

創業

1945年

創業者

古田俊之助

創業地

大阪府大阪市

直近売上高(2026/3)

73,373億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ商社を25年禁じた住友が、1945年に自ら禁令を解いて商事会社を発足させたのか
A 終戦で軍需が消え、復員した社員の生活基盤を確保する必要に迫られたからである。鉱工業だけでは雇用を吸収しきれず、新たな事業領域の開拓が避けられなかった。住友財閥は1920年に総理事の鈴木馬左也氏が「商社設立禁止宣言」を発令し、25年にわたり商社を持たなかったが、1945年8月の終戦を受けて古田俊之助総理事がこの禁令を撤回し、同年11月に日本建設産業を商事会社として発足させた。禁じ手を破って生まれた以上、業績悪化はその判断の否定を意味するため、住友商事の経営は当初からリスク回避へ傾いた
Q なぜ1981年に植村光雄氏が掲げた「手を出さない」堅実経営が、1996年の銅地金事件で会社を救ったのか
A 禁じ手を破って生まれた以上、業績の悪化は禁令を撤回した判断そのものの否定を意味するため、堅実経営が組織的な必然になっていたからである。1981年に社長へ就いた植村光雄氏は「10年以上の長期プロジェクトには手を出さない」と明言し、三菱のブルネイLNGや三井のIJPCには参画せず利益剰余金を厚くした。1996年に非鉄金属部長の浜中泰男氏の簿外取引が発覚し、1997年3月期に銅地金関連損2,852億円を計上したが、植村時代に蓄えた自己資本がこの損失を吸収し、債務超過を免れた
Q なぜ「手を出さない」はずの住友商事が、2005年に資源投資へ踏み込み撤退まで追い込まれたのか
A 2000年代に資源価格が上昇するなか、競合商社が資源投資から最高益を上げる一方で後発の住友商事だけが出遅れる状況を経営陣が嫌い、その劣位を資源開発で覆そうとしたからである。2005年、植村光雄氏が引いた「手を出さない」境界を越え、マダガスカルのニッケル事業アンバトビーへ出資比率47.7%で参画した。だが建設費が72億ドルへ膨張し、2015年3月期に資源全般で3,103億円を減損する。2026年5月には全持分の売却による撤退を発表し、累計損失は4,000億円を超えた

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1945年〜 禁じ手を破った創業と金ヘン商社堅実経営の確立

  1. 1945年日本建設産業を発足(現・住友商事)
  2. 1956年鉄鋼取引を拡大。「金ヘン」商社へ
  3. 1962年商品本部制を導入
  4. 1963年リース事業に参入
  5. 1969年SIer・情報サービスに参入
  6. 1975年マツダ向け北米自動車販売を開始
  7. 1981年海外大型PJの参画を見送り

住友商事の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

25年封じた商社禁令を復員社員のために解いた

住友財閥は1920年、総理事の鈴木馬左也氏が「商社設立禁止宣言」を発令し、以後25年にわたり商社事業への参入を自ら封じた。三井が三井物産を、三菱が三菱商事を擁して総合商社機能を確立するなか、住友は「浮利を追わず」の祖訓を守り、商社を持たない財閥として事業を営んだ。もっとも、後に住友商事となる法人そのものは商社ではなく不動産会社を母体とする。1919年12月、大阪港北側の新港築造と沿岸土地の経営を目的に資本金3,500万円の大阪北港株式会社が設立され、初代社長には住友総本店の総理事だった鈴木馬左也氏が就いた。同社は1927年に住友合資の系列下へ入り、1944年11月には住友ビルディングを合併、長谷部竹腰建築事務所の営業も譲り受けて社名を住友土地工務へ改め、設計監理まで手がける総合不動産会社へ成長する。1945年8月の終戦で軍需が消滅し、復員した社員の生活基盤確保が急務となったため、古田俊之助総理事が長年の禁令撤回を苦渋の末に決断する。住友本社が財閥解体の指定を受けて解散すると、住友土地工務は住友系各社の販売業務を継承し、同年11月に社名を日本建設産業へ改めて商事会社として新発足、初代社長には住友金属工業の元部長・田路舜哉が就いた。不動産経営を発端とする出自は、戦後の総合商社のなかで住友商事だけが持つ特異な来歴となった。 [1][2][3][4][5][6][7][8]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1919年12月 大阪北港株式会社(資本金35百万円)として設立、不動産経営にあたる
    • [4]1944年11月 住友ビルディングを合併し社名を住友土地工務と改称(長谷部竹腰建築事務所の営業も譲受け、総合不動産会社化)
    • [5]1945年8月の終戦
    • [6]1945年 終戦で住友本社が財閥解体指定を受け解散、住友土地工務が住友系各社の販売業務を継承し商事部門へ進出
    • [7]1945年11月 社名を日本建設産業に改称し商事会社として新発足(現・住友商事)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]大阪北港の初代社長は住友総本店の総理事だった鈴木馬左也
    • [3]1927年に住友合資の系列下に入った
    • [8]不動産経営を発端とする出自が総合商社のなかで特異である点(『明治百年』の評)

1949年8月、まだ日本建設産業の時代に大阪・東京の両証券取引所へ株式を上場し、戦後復興期の資金調達基盤を早く整えた。1950年7月には設計監理部門を日建設計工務として分離独立させ、商事活動への専念を鮮明にする。1952年6月に社名を住友商事へ改めると、住友金属工業や住友金属鉱山などグループ各社の販売機能を担う役割上、取扱品目は鉄鋼と非鉄金属に傾斜し、業界では「金ヘン商社」と呼ばれた。1962年12月には商品本部制を導入して9本部体制を整え、鉄鋼偏重からの脱却を図る。資本金は1956年12月の10億円から1967年6月の105億円まで積み増され、1967年度の事業構成は金属52%、機械17%、物資燃料12%、化学品9%、食品8%、不動産その他2%とバランスが取れ始めた。繊維部門の強化やサミットストアなど消費部門への進出にも乗り出し、同年度の取扱高は約7,900億円に達する。東京神田の住友商事ビルが3年で手狭になるほど取扱規模が拡大した(読売新聞 1967/02/08)が、金属が事業の過半を占める構造は長く続く。 [9][10][11][12][13][14][15][16][17][18]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1949年8月 大阪・東京の両証券取引所に株式を上場(当時は日本建設産業)
    • [10]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立(現・日建設計)
    • [11]1952年(6月)社名を住友商事株式会社と改称
    • [12]鉄鋼・非鉄に傾斜し業界で「金ヘン商社」と呼ばれた
    • [13]1962年12月 商品本部制を導入し9本部を設置(鉄鋼偏重からの脱却・総合商社化)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [14]資本金が1956年12月の10億円から1967年6月の105億円へ段階的に増資された
    • [15]1967年度の事業構成は金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
    • [16]繊維部門の強化、サミットストアなど消費部門進出、千葉共同サイロ建設に着手
    • [17]1967年度の取扱高は約7,900億円
  • 読売新聞(1967年2月8日)
    • [18]1967年に東京神田の住友商事ビルが3年で手狭になるほど取扱規模が拡大(読売新聞 1967/02/08)
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1919年12月 大阪北港株式会社(資本金35百万円)として設立、不動産経営にあたる
    • [4]1944年11月 住友ビルディングを合併し社名を住友土地工務と改称(長谷部竹腰建築事務所の営業も譲受け、総合不動産会社化)
    • [5]1945年8月の終戦
    • [6]1945年 終戦で住友本社が財閥解体指定を受け解散、住友土地工務が住友系各社の販売業務を継承し商事部門へ進出
    • [7]1945年11月 社名を日本建設産業に改称し商事会社として新発足(現・住友商事)
    • [9]1949年8月 大阪・東京の両証券取引所に株式を上場(当時は日本建設産業)
    • [10]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立(現・日建設計)
    • [11]1952年(6月)社名を住友商事株式会社と改称
    • [12]鉄鋼・非鉄に傾斜し業界で「金ヘン商社」と呼ばれた
    • [13]1962年12月 商品本部制を導入し9本部を設置(鉄鋼偏重からの脱却・総合商社化)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]大阪北港の初代社長は住友総本店の総理事だった鈴木馬左也
    • [3]1927年に住友合資の系列下に入った
    • [8]不動産経営を発端とする出自が総合商社のなかで特異である点(『明治百年』の評)
    • [14]資本金が1956年12月の10億円から1967年6月の105億円へ段階的に増資された
    • [15]1967年度の事業構成は金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
    • [16]繊維部門の強化、サミットストアなど消費部門進出、千葉共同サイロ建設に着手
    • [17]1967年度の取扱高は約7,900億円
  • 読売新聞(1967年2月8日)
    • [18]1967年に東京神田の住友商事ビルが3年で手狭になるほど取扱規模が拡大(読売新聞 1967/02/08)

20年続いた「10年以上は手を出さない」の逆説

1981年の社長就任にあたり植村光雄氏は「派手な大プロジェクトをねらう必要は全くないし、そうすべきではない。10年以上の長期プロジェクトには手を出さないことを原則にしている」(住友商事社史)と明言した。三菱商事がブルネイLNGへ、三井物産が後に巨額損失を招くイランIJPCへそれぞれ投じるなか、住友商事だけは海外プロジェクトへの参画を一貫して見送り続ける。この手堅さは1981年3月期に売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅を急追し、経常利益率0.38%で業界1位に立つ業績へ結実した(日経ビジネス 1981/11/16)。もっとも社内では、三菱のブルネイ成功を見て「もっと積極的にやっていればよかった」と反省するグループと、三井のIJPC失敗を見て「慎重な方針は正しかった」と現状を肯定するグループに役員が二分される状況もあった。競合各社がリスク顕在化に翻弄される間に堅実な業績を維持する独特の成長構造が、1970年代から1990年代初頭まで約20年にわたり成立した。 [19][20][21]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1981年(1月)住友商事が海外大型PJの参画を見送った(三菱はブルネイLNG、三井はイランIJPC)
  • 日経ビジネス(1981年11月16日)
    • [20]1981年3月期に売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅を急追、経常利益率0.38%で業界1位に立った
    • [21]住商役員が三菱ブルネイの成功に学ぶ反省型と三井IJPCの失敗に学ぶ現実肯定型の2タイプに分かれた

並行して1963年にリース事業、1969年に情報サービス事業へ参入し、1975年にはマツダ向け北米自動車販売を開始、1976年には住友金属工業と共同でサウジ向けシームレスパイプに投資するなど、金属以外の事業領域も拡充する。住友金属の石油パイプは石油採掘ブームの到来で各国から引き合いが殺到し、現地側が住友商事の誠実さを評価して取引を広げたとも伝えられた(産業と経済 1976/06)。1995年にはケーブルテレビ事業にも参入した。リスクを取らない選択が競合との差別化を生む構造が成立した時代で、競合他社が長期プロジェクトの不透明性に翻弄される間、住友商事は慎重な方針を貫くことで相対的な優位を確保する。堅実路線によって蓄積された資本の厚みは、のちに訪れる銅地金事件での衝撃吸収に不可欠な役割を果たした。 [22][23][24][25][26][27]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1963年(2月)リース事業に参入
    • [24]1969年(10月)SIer・情報サービスに参入(住商コンピューターサービス設立=現SCSK)
    • [25]1975年 マツダ向け北米自動車販売を開始
    • [26]1976年(5月)住友金属と共同でサウジ向けシームレスパイプに投資
    • [27]1995年(1月)ケーブルテレビ事業に参入(ジュピターテレコム設立=現JCOM)
  • 産業と経済(1976年6月)
    • [23]住友金属の石油パイプは石油採掘ブームで各国から引き合いが殺到し、現地側が住友商事の誠実さを評価した
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1981年(1月)住友商事が海外大型PJの参画を見送った(三菱はブルネイLNG、三井はイランIJPC)
    • [22]1963年(2月)リース事業に参入
    • [24]1969年(10月)SIer・情報サービスに参入(住商コンピューターサービス設立=現SCSK)
    • [25]1975年 マツダ向け北米自動車販売を開始
    • [26]1976年(5月)住友金属と共同でサウジ向けシームレスパイプに投資
    • [27]1995年(1月)ケーブルテレビ事業に参入(ジュピターテレコム設立=現JCOM)
  • 日経ビジネス(1981年11月16日)
    • [20]1981年3月期に売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅を急追、経常利益率0.38%で業界1位に立った
    • [21]住商役員が三菱ブルネイの成功に学ぶ反省型と三井IJPCの失敗に学ぶ現実肯定型の2タイプに分かれた
  • 産業と経済(1976年6月)
    • [23]住友金属の石油パイプは石油採掘ブームで各国から引き合いが殺到し、現地側が住友商事の誠実さを評価した

1988年〜 銅事件の衝撃から総合事業会社構想への歩み

  1. 1988年総合事業会社構想を発表
  2. 1995年ケーブルテレビ事業に参入
  3. 1996年銅地金不正取引が発覚(不祥事)
  4. 2001年「9事業部門・28本部」に体制変更

住友商事の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

ミスター・カッパー1人が10年続けた簿外取引

1996年6月、住友商事の非鉄金属部長だった浜中泰男氏が1987年から約10年にわたりLME(ロンドン金属取引所)で簿外取引を続け、約2,800億円規模の損失を発生させていた事実が公表された。浜中泰男氏は世界の銅取引量の5%を動かすと言われ、業界では「ミスター・カッパー」と呼ばれた著名トレーダーだった。その属人的な収益貢献が社内の内部統制を形骸化させ、「浮利を追わず」を標榜した組織でたった一人のトレーダーが10年間も簿外取引を続けられた事実は、リスク管理体制の盲点を露呈する。銅取引で突出した収益を上げていた部門だからこそ、社内の監視の目が届きにくくなるという構造的な問題が浮き彫りになった。 [28][29]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1996年6月 銅地金不正取引(簿外取引)が公表された
    • [29]銅地金事件の損失は約2,800億円規模

1997年3月期には特別損失「銅地金取引関連損」2,852億円を一括計上し、当期純損失は1,456億円に達した。宮原賢次社長は英米両当局(米CFTC・英証券投資委員会)への全面協力を最優先課題に掲げる。大和銀行の海外不祥事が米国当局との関係悪化を招いた前例を踏まえ、国際的な信用維持を事件対応の最重要目標に据えた判断だった。自己資本比率は13.2%から10.3%へ低下したが、債務超過という最悪の事態には至らない。長年の堅実経営で積み上げた自己資本がバッファーとして働き、植村時代のリスク回避路線で蓄えた余剰が銅事件を乗り切る最後の砦となった。皮肉にも、慎重経営の遺産が暴走した属人的トレーダーの損失を吸収した格好である。

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1996年6月 銅地金不正取引(簿外取引)が公表された
    • [29]銅地金事件の損失は約2,800億円規模

トレーディングから事業投資へ主力を移す構想

1988年、住友商事は「総合事業会社構想」を発表し、従来のトレーディング業務に加えて事業投資を本格推進する方針を発表した。事業会社への資本参加とハンズオン経営で企業価値向上を図る新たなモデルへの転換宣言で、トレーディングの手数料収入に依存する従来型の商社経営からの脱却を志向する。1991年には中期事業計画「戦略95」を策定して事業投資の具体化に着手し、1995年にはケーブルテレビ事業に参入するなど新たな収益軸の開拓を行った。2001年には「9事業部門・28本部」への組織再編を実施し、事業投資を主軸とする総合商社への構造転換が動き出す。事件後の再建過程と事業投資軸への転換が同時並行で進んだ結果、商社機能そのものの定義が組織内部で更新された。 [30][31][32][33]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1988年 総合事業会社構想を発表(事業投資を推進)
    • [31]1991年 中期事業計画「戦略95」を策定
    • [32]1995年 ケーブルテレビ事業に参入
    • [33]2001年 「9事業部門・28本部」への組織再編を実施

2011年には住商情報システムと経営難に陥っていたCSKを統合し、新会社SCSKを発足させた。住友商事はSCSK株式の48%を保有する筆頭株主となり、情報サービス分野の事業基盤を拡充する。トレーディング商社から事業投資中心の「総合事業会社」への転換は、銅地金事件後の経営再建と並行して進み、その先にある2000年代後半の資源投資の決断へつながる。投資先の企業価値向上に経営の重心を置く姿勢がこの時期を通じて全社に浸透し、のちに訪れる第二の路線転換の土台となった。SCSK自体の資産価値も2020年代に入って再評価される伏線となり、2025年の完全子会社化決定にも結びつく。 [34][35]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2011年 住商情報システムとCSKを統合しSCSKを発足
    • [35]住友商事はSCSK株式の48%を保有する筆頭株主となった
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1988年 総合事業会社構想を発表(事業投資を推進)
    • [31]1991年 中期事業計画「戦略95」を策定
    • [32]1995年 ケーブルテレビ事業に参入
    • [33]2001年 「9事業部門・28本部」への組織再編を実施
    • [34]2011年 住商情報システムとCSKを統合しSCSKを発足
    • [35]住友商事はSCSK株式の48%を保有する筆頭株主となった

2005年〜 資源投資の膨張と3103億円減損が生む路線転換

  1. 2005年マダガスカルのニッケルPJに参画決定
  2. 2010年ジュピターテレコム(J:COM)をTOBで取得し筆頭株主に
  3. 2010年ブラジル・ウジミナス鉱山の権益取得
  4. 2011年住商情報システムとCSKが経営統合・SCSKを発足
  5. 2012年米テキサス州でタイトオイルPJに参画
  6. 2015年投資損失で最終赤字に転落

住友商事の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

「手を出さない」境界線を越えた資源投資

2005年、住友商事はマダガスカルのニッケル採掘プロジェクト「アンバトビー」に出資比率47.7%で参画を決めた。シェリット・インターナショナル(カナダ)および韓国鉱物資源公社との3社共同事業で、住友商事の推定投資額は2,600億円超にのぼる。プロジェクト全体の投資規模は当初37億ドルを見込んだが、建設段階でコストが膨張し、最終的に72億ドルと当初計画の約2倍に達した。植村時代のリスク回避路線からの転換を示す案件で、後発商社としての劣位を資源分野への踏み込みで逆転しようとする経営判断が社内で通った格好だった。1976年にサウジ向けシームレスパイプに着手した延長線上で資源開発案件への踏み込みを強めた動きでもあった。 [36][37]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2005年(10月)マダガスカルのニッケルPJ(アンバトビー)への参画を決定
    • [37]1976年にサウジ向けシームレスパイプに着手

2010年にはブラジル・ウジミナス鉱山の権益30%を約1,700億円で取得し、2012年には米テキサス州のタイトオイルプロジェクトに約1,100億円(13.65億ドル)を投じてDevon Energyから権益30%を取得する。いずれも植村光雄氏がかつて明言した「10年以上の長期プロジェクトには手を出さない」(住友商事社史)という基準に該当する投資で、植村時代に引かれた境界線を経営陣が次々と踏み越えた時期だった。転換の背景には2000年代を通じた資源価格の上昇と、競合商社が資源投資で過去最高益を上げていた市場環境がある。住友商事だけが蚊帳の外に置かれた状況を経営陣が強く嫌った事情も指摘される。慎重の代名詞だった会社が資源投資の上位プレーヤーへと立ち位置を変えた時期である。 [38][39]

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2010年 ブラジル・ウジミナス鉱山の権益30%を約1,700億円で取得
    • [39]2012年 米テキサス州タイトオイルPJで約1,100億円(13.65億ドル)を投じDevon Energyから権益30%を取得
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2005年(10月)マダガスカルのニッケルPJ(アンバトビー)への参画を決定
    • [37]1976年にサウジ向けシームレスパイプに着手
    • [38]2010年 ブラジル・ウジミナス鉱山の権益30%を約1,700億円で取得
    • [39]2012年 米テキサス州タイトオイルPJで約1,100億円(13.65億ドル)を投じDevon Energyから権益30%を取得

3103億円減損で裏付けた植村路線の合理性

2014年後半から本格化した資源価格の下落が住友商事の資源ポートフォリオを直撃した。2015年3月期には米国タイトオイル事業で1,992億円、ブラジル鉄鉱石事業で623億円、米国シェールガス事業で311億円、合計3,103億円の減損を一括計上し、最終赤字731億円に転落する。この減損額は1996年の銅地金事件で計上した2,852億円を上回り、同社史上最大の財務的打撃となった。リスク回避路線を自ら破棄してから10年足らずで突きつけられた帰結で、植村時代の禁欲的な経営原則が備えていた戦略的合理性を皮肉にも裏付ける形となる。資源価格の変動リスクを甘く見た代償は、後発参入だからこそ必要だった慎重さを経営が手放した代償が、残損として可視化された。 [40]

  • 住友商事アニュアルレポート(FY2014)
    • [40]2015年3月期 米国タイトオイル1,992億円・ブラジル鉄鉱石623億円・米国シェールガス311億円を含む合計3,103億円の減損を一括計上

アンバトビー事業は2012年の操業開始後も設備不具合とニッケル市況の長期低迷が重なり、FY2015からFY2023にかけて累計約2,660億円の減損を計上した。2020年にはコロナ禍で操業が一時全面停止し、パートナーのシェリットが経営不振に陥ったため住友商事がプロジェクト会社株式の追加取得を迫られる。投資額とほぼ同等の累計減損に達したこの事業は、路線転換後の最大の損失案件となった。「浮利を追わず」の理念のもとで長年蓄積した財務バッファーが路線転換後わずか10年ほどで毀損される結果を招き、路線の大転換には代償が伴うという教訓が突きつけられた。 [41][42]

  • 住友商事 有価証券報告書
    • [41]アンバトビー事業のFY2015〜FY2023の累計減損は約2,660億円
    • [42]2020年にコロナ禍で操業が一時全面停止し、パートナーのシェリット経営不振で住友商事がPJ会社株式の追加取得を迫られた
  • 住友商事アニュアルレポート(FY2014)
    • [40]2015年3月期 米国タイトオイル1,992億円・ブラジル鉄鉱石623億円・米国シェールガス311億円を含む合計3,103億円の減損を一括計上
  • 住友商事 有価証券報告書
    • [41]アンバトビー事業のFY2015〜FY2023の累計減損は約2,660億円
    • [42]2020年にコロナ禍で操業が一時全面停止し、パートナーのシェリット経営不振で住友商事がPJ会社株式の追加取得を迫られた

住友商事の沿革1945〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本建設産業を発足(現・住友商事)★★★
鉄鋼取引を拡大。「金ヘン」商社へ★★
商品本部制を導入★★
リース事業に参入
SIer・情報サービスに参入
マツダ向け北米自動車販売を開始
住友金属と共同でサウジ向けシームレスパイプに投資
海外大型PJの参画を見送り★★
自動車向けリース事業に参入
総合事業会社構想を発表★★
岡素之ケーブルテレビ事業に参入
岡素之銅地金不正取引が発覚(不祥事)★★★
岡素之「9事業部門・28本部」に体制変更
岡素之マダガスカルのニッケルPJに参画決定★★★
加藤進ジュピターテレコム(J:COM)をTOBで取得し筆頭株主に★★★
加藤進ブラジル・ウジミナス鉱山の権益取得★★
中村邦晴住商情報システムとCSKが経営統合・SCSKを発足★★
中村邦晴米テキサス州でタイトオイルPJに参画★★
中村邦晴投資損失で最終赤字に転落★★
上野真吾マダガスカルのニッケル事業で減損計上★★
上野真吾エリオット・マネジメントが住友商事の株式を少数保有(5%未満)
上野真吾新中期経営計画2024-2026を公表
出典・参考
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 読売新聞(1967年2月8日)
  • 日経ビジネス(1981年11月16日)
  • 産業と経済(1976年6月)
  • 住友商事アニュアルレポート(FY2014)
  • 住友商事 有価証券報告書

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