1945年〜 商社を持たない財閥が不動産会社から商社を興すまで
住友商事の業績推移:単体
- 1945年 25年続いた商社設立禁止の撤回と、不動産会社を母体とした商事部門の開設 職を失う社員を抱えるか、祖訓を守るか——住友が自ら封じた商社をどう解禁したか
- 1945年 日本建設産業に商号変更
- 1946年 営業部を開設
- 1947年 田路舜哉氏が社長に就任
- 1952年 住友商事に商号変更
- 1962年 商品本部制を導入
- 1969年 住商コンピューターサービスを設立
25年の禁令を解いた復員社員の受け皿づくり
住友財閥は1920年、総理事の鈴木馬左也氏が商社設立禁止を宣言[1]し、以後25年にわたり商社事業への参入を自ら封じた。三井が三井物産を、三菱が三菱商事を擁して総合商社機能を確立する[2]なかで、住友は商社を持たない財閥として事業を営んだ。のちに住友商事となる法人の母体も商社ではなく、1919年12月に大阪北港地帯の埋立と港湾修築を目的として設立された資本金3,500万円の大阪北港株式会社[3]である。同社は1927年に住友合資の系列下へ入り[4]、1944年11月に住友ビルディングを合併して社名を住友土地工務へ改め[5]、翌12月には長谷部竹腰建築事務所の営業を譲り受けて、不動産経営と土木建築の設計監理を営む総合不動産会社[6]となった。
- 住友商事社史
- [1]1920年 総理事 鈴木馬左也 商社設立禁止を宣言
- [2]三井は三井物産・三菱は三菱商事を擁するなか住友は商社を持たない財閥
- [4]1927年 住友合資の系列下へ編入
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [3]1919年12月 大阪北港株式会社 設立/資本金3,500万円・大阪北港地帯の埋立と港湾修築
- [5]1944年11月 住友ビルディングを合併し住友土地工務へ改称
- [6]1944年12月 長谷部竹腰建築事務所の営業を譲受し総合不動産会社となる
1945年8月の終戦で軍需が消滅し、復員した社員の受け皿確保が急務となったため、古田俊之助総理事が禁令の撤回を決断した[7]。同年11月、住友土地工務は社名を日本建設産業へ改め[8]、住友連系各社をはじめ各業界の大手生産会社の製品を扱う商事会社として新発足した。定款の事業目的には土木建築用資材その他各種製品の販売を加えている[9]。社長を兼務していた住友本社常務理事の北澤敬二郎氏が辞任し、後任には竹腰健造専務が就いた[10]。商事部門を主宰する人選では、住友本社の経理部と人事部が全職員から3人の候補を挙げ、住友金属工業取締役伸銅所副所長の田路舜哉氏に決まった[11]。田路氏は12月11日に常務取締役へ就任し、3週間後の1946年1月1日付で営業部を開設[12]できるよう組織と人事を整えた。
- 住友商事社史
- [7]古田俊之助総理事 商社設立禁令の撤回を決断
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [8]1945年11月 日本建設産業へ改称し商事会社として新発足
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商事部門の開設準備」
- [9]定款の事業目的に土木建築用資材その他各種製品の販売を追加
- [10]北澤敬二郎の社長辞任と竹腰健造専務の社長就任
- [11]商事部門の主宰者を全住友職員の3候補から選定/住友金属工業取締役伸銅所副所長 田路舜哉に決定
- [12]1945年12月11日 田路舜哉が常務取締役就任/1946年1月1日 営業部開設
本店は大阪[13]に置いた。1945年末の在籍人員は270名だったが、1948年末までに住友本社と連系各社から復員・引揚者を含む350名が転入し、合計720名[14]となった。転入者の内訳は住友本社159人、住友金属工業106人、住友電気工業32人[15]が上位を占めた。営業部が最初に手がけたのは、爆撃で埋没した住友金属工業伸銅所のアルミニウム板やジュラルミン板、枕崎台風の高潮で水没した住友電気工業の電線類[16]を掘り出し、洗浄と手直しを施して売る仕事だった。1947年1月に公職追放令が財界へ及ぶと、戦時中に常務取締役以上だった竹腰社長ら3名が該当し、3月27日の取締役会で田路氏が第2代社長[17]に選ばれた。
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商事部門の開設準備」
- [13]本店は大阪に設置
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商社活動の開始」
- [14]1945年末の在籍270名/1948年末までに転入350名・合計720名
- [15]転入者内訳 住友本社159人・住友金属工業106人・住友電気工業32人
- [16]営業部の初仕事は被爆・水没した金属材と電線類の回収と再販
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
- [17]1947年1月 公職追放令の財界拡大/同年3月27日 田路舜哉が第2代社長に就任
- 住友商事社史
- [1]1920年 総理事 鈴木馬左也 商社設立禁止を宣言
- [2]三井は三井物産・三菱は三菱商事を擁するなか住友は商社を持たない財閥
- [4]1927年 住友合資の系列下へ編入
- [7]古田俊之助総理事 商社設立禁令の撤回を決断
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [3]1919年12月 大阪北港株式会社 設立/資本金3,500万円・大阪北港地帯の埋立と港湾修築
- [5]1944年11月 住友ビルディングを合併し住友土地工務へ改称
- [6]1944年12月 長谷部竹腰建築事務所の営業を譲受し総合不動産会社となる
- [8]1945年11月 日本建設産業へ改称し商事会社として新発足
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商事部門の開設準備」
- [9]定款の事業目的に土木建築用資材その他各種製品の販売を追加
- [10]北澤敬二郎の社長辞任と竹腰健造専務の社長就任
- [11]商事部門の主宰者を全住友職員の3候補から選定/住友金属工業取締役伸銅所副所長 田路舜哉に決定
- [12]1945年12月11日 田路舜哉が常務取締役就任/1946年1月1日 営業部開設
- [13]本店は大阪に設置
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商社活動の開始」
- [14]1945年末の在籍270名/1948年末までに転入350名・合計720名
- [15]転入者内訳 住友本社159人・住友金属工業106人・住友電気工業32人
- [16]営業部の初仕事は被爆・水没した金属材と電線類の回収と再販
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
- [17]1947年1月 公職追放令の財界拡大/同年3月27日 田路舜哉が第2代社長に就任
上場と改称を経て固まった金ヘン商社の形
1949年8月、日本建設産業の名のまま大阪・東京の両証券取引所[18]へ株式を上場した。1950年7月には土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立させ[19]、不動産会社としての出自を切り離している。1952年3月に米国へNikken New York Inc.を設立[20]して海外拠点を置き、同年6月には社名を住友商事へ改め[21]た。住友金属工業や住友金属鉱山などグループ各社の販売機能を担う役割から取扱品目は鉄鋼と非鉄金属に傾き、業界では「金ヘン商社」と呼ばれた[22]。田路舜哉氏は1932年から6年間、住友上海洋行の支配人を務めており、発足時の役員のなかで唯一の商事経験者[23]だった。
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [18]1949年8月 大阪・東京両証券取引所へ上場
- [19]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立
- [20]1952年3月 米国にNikken New York Inc.を設立
- [21]1952年6月 社名を住友商事へ変更
- 住友商事社史
- [22]グループ各社の販売機能を担い鉄鋼・非鉄に傾斜/「金ヘン商社」の呼称
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
- [23]田路舜哉 1932年から6年間 住友上海洋行支配人/役員中で唯一の商事経験者
1962年12月には大阪・東京の営業部門を一体として商品本部制を導入し、鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産の9本部[24]を設置した。資本金は1956年12月の10億円から1967年6月の105億円まで積み増され[25]、1967年度の事業構成は金属52%、機械17%、物資燃料12%、化学品9%、食品8%、不動産その他2%[26]となった。繊維部門の強化やサミットストアなど消費部門への進出にも乗り出し、同年度の取扱高は約7,900億円に達した。東京神田の住友商事ビルは3年で手狭になるほど取扱規模が膨らんだ。1970年8月には相互貿易を合併[28]している。 [27]
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [24]1962年12月 商品本部制を導入し9本部(鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産)を設置
- [28]1970年8月 相互貿易を合併
- 読売新聞(1967年2月8日)
- [25]資本金 1956年12月10億円→1967年6月105億円
- [26]1967年度事業構成 金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
- [27]1967年度取扱高 約7,900億円/東京神田の住友商事ビルが3年で手狭に
- 住友商事 有価証券報告書【沿革】
- [18]1949年8月 大阪・東京両証券取引所へ上場
- [19]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立
- [20]1952年3月 米国にNikken New York Inc.を設立
- [21]1952年6月 社名を住友商事へ変更
- [24]1962年12月 商品本部制を導入し9本部(鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産)を設置
- [28]1970年8月 相互貿易を合併
- 住友商事社史
- [22]グループ各社の販売機能を担い鉄鋼・非鉄に傾斜/「金ヘン商社」の呼称
- 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
- [23]田路舜哉 1932年から6年間 住友上海洋行支配人/役員中で唯一の商事経験者
- 読売新聞(1967年2月8日)
- [25]資本金 1956年12月10億円→1967年6月105億円
- [26]1967年度事業構成 金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
- [27]1967年度取扱高 約7,900億円/東京神田の住友商事ビルが3年で手狭に