住友財閥では戦前を通じて「商社」への参入を禁じる経営方針を遂行していた。これは、第一次世界大戦(1914年〜1919年)における好景気によって、日本国内で商社が発展したものの、その後の反動不況によってその多くが経営不振に陥っており、投機的な商売を戒めるための指針であった。1920年には当時の住友財閥の総理事であった鈴木氏が「商社設立禁止宣言」を発令。住友財閥は鉱工業主体に発展しており、商業の人材に不足していることも、商社参入を禁止した理由であった。
このため、戦前における住友財閥は三井財閥の三井物産、三菱財閥の三菱商事と異なり、商社部門を持たない財閥として事業を遂行。「浮利を追わず」という経営理念に忠実な経営方針を貫いた。
1945年の終戦によって、住友商事は財閥に勤務する社員の処遇が問題になった。軍需が消滅し、外地における商売が困難になったことから、復員した社員が生活するためにも、新事業の推進が必要となった。
そこで、1945年に住友財閥は古田総理事による決断で、グループ会社である「日本建設産業」を通じて商事部門に参入。1952年には商号を「住友商事」に変更して、住友グループにおける商社部門として事業を遂行した。住友商事の初代社長には、田路舜哉氏(住友金属工業・元部長)が就任した。
住友グループとしては、かつて財閥で禁じ手とされた「商社設立禁止宣言」を撤回する意思決定であり、住友商事が業績悪化することは許されない趨勢となった。このため、住友商事の基本的な経営指針は、巨額投資などのリスクをとらず、堅実な商売として住友グループにおける販売機能であることを志向した。
住友本社が解散を決意して後、その解体作業の最初の具体策として決定した事項が、商事部門を新たに開設することであったわけだが、しかし、このことは大部分の住友職員にとっては、予想外の事態であったと思う。住友では1920年の1月、鈴木総理事の商社設立禁止宣言以来、商社を作ろうと言い出すものは全くいなくなって25年も過ぎていたのだから、この商事部門開設の発表は、住友内部で問題となったことは当然であった。
軍需産業は壊滅して、国土は焦土と化し荒廃の極に達している。国家のために献身した従業員の多数が生活の道を失おうとしている。しかも彼らは日本の復興、再建のために活躍してもらわなければならない人材である。このような開闢以来、未曾有の超非常時代に直面してもなお、鈴木宣言を破ってはならない鉄則なのであろうか。社則「営業の要旨」第2条には「時勢の変遷、理財の得失を計って営業を興廃せよ」と明示してある。
古田総理事は、日本のほとんどすべての企業が廃墟の中から、新しく立ち上げっていこうとするこの時局を見据えて、遠い将来の展望をも含めて、今後の住友の各事業の中で、商事部門の果たす役割の軽重について沈思黙考、熟慮に熟慮を重ねられたことと思う。その上で商事の開設を決断されたことは、後年、古田総理時がご自身で、「商事はおれが作ったのだ。しっかり頼むぞ」といわれた強い語調からも、当時の心境を察することができる。
終戦後の住友グループ各社のうち、鉄鋼生産に従事する住友金属工業、非鉄生産(主に銅)に従事する住友金属鉱山がそれぞれ業容を拡大し、住友商事はこれらグループ企業の販売部門としての役割を担った。この結果、住友商事の取り扱い品目は「鉄・非鉄」に傾斜する形となり、金属を取り扱う「金へん商社」として認識されるに至った。
当社はその沿革から申してもわかりますように、不動産という長期性の事業と、商事という短期回転の事業とを兼営しているわけです。したがって、この点から景気、不景気の変動にもすこぶる抵抗力があり、安定性があります。
当社は、住友系諸会社からの仕入れが40%にも達しておるわけで、これでも明らかなように、住友系諸会社との間の商取引が相当量を閉め、連系各メーカーと極めて密接な関係を保っております。
当社の行き方としては、思惑取引よりも、コミッション取引を主として、専ら堅実な経営ということをモットーとしております。
鉄鋼取引の偏重から脱却してするために、1962年12月に組織改革を実施して商品本部制を導入。9本部を設置することで、鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産の9つの領域で取り扱いの拡大を志向した。この組織改革を経て、住友商事は「金へん商社」から「総合商社」への転換を目指す。
1970年代までに三菱商事がブルネイLNG、三井物産がイランIJPC(のちに巨額損失を計上)のような大型事業投資を志向する中で、住友商事は海外の大型PJへの参画を見送った。
商社斜陽論など全くバカけた考え方だ。メーカーは死ぬまでメーカー。営業に力を入れれば堕落する。商社にとっての商いのチャンスは、だから今後とも、いくらでも見出していける。派手な大プロジェクトをねらう必要は全くないし、そうすべきではない。経営者としての責任を果たすためには、自分の生きている間に結果がわかる事業以外はすべきではない。だから、私は10年以上の長期プロジェクトには手を出さないことを原則にしている
1996年6月14日に住友商事は社内における「銅地金取引」の不祥事を公表。非鉄金属部長であった浜中氏が、過去10年(1987年〜1996年)にわたって、LME(ロンドン金属取引所)において住友商事を介さない簿外取引を実施し、この結果巨額損失をもたらしたことが公表した。
損失の理由は、浜中氏は銅市況の高騰を期待したロングポジションを取ったためであり、実際に期待した通りに相場は動かず損失(約2800億円)を被った。
不正取引の理由は、浜中氏による自己保身であった。浜中氏はグローバルな銅取引市場において「5%の男」として認知される業界内の著名人であり「銅取引に生涯を捧げる」(1996/6/24日経ビジネス)と公言してきたという。このため、浜中氏は銅の投機に走り、結果として住友商事に巨額損失をもたらした。
住友商事は、浜中氏について背任による刑事告発を実施。浜中泰男は逮捕(有印私文書偽造・詐欺罪で起訴)に至った。この過程で、銅相場に影響を与えないように配慮。特に英米当局(米商品崎門取引委員会および英証券投資委員会)への協力姿勢を最優先とし、事件の処理を住友商事社内の約100名体制にて遂行した。
不正取引の影響により、1997年3月期に住友商事は特別損失の「銅地金取引関連損」として2852億円を計上。同年度の当期純損失は1456億円となり最終赤字に転落した。
財務への影響も大きかったものの、住友財閥の資本合計額は7148億円(FY1996期末)であり、自己資本で損失を賄える範囲であった。資本の部合計額はFY1996期末時点で5582億円へと減少。住友商事の自己資本比率は、銅取引の巨額損失によって、13.2%(FY1995)から、10.3%(FY1996)へと減少した。
昨年6月5日に浜中(泰男被告、12月2日に有印私文書偽造、詐欺罪で起訴)君が損失を告白する前から、いろんな問い合わせが調査当局からあったわけです。それまで、そんなことになっているとは全然思っていなかった。ところが、告白で我々の想像を絶するような相場を張っていたことが分かったのです。
もちろん、我々だけで処理するわけにはいかない問題です。銅のマーケットも事件発覚前から動揺していました。ですから、英米当局にも配慮しながら、調査していたわけです。我々の前には大和銀行の事件もありましたし、一番注意しなければならないのは、国際的な信用を失うことがあっちゃいかん、ということです。6月14日発表のタイミングというのもギリギリのタイミングだったんです。もうちょっと詳細がわかってから発表したかった。
しかし、英米当局への配慮もあり、14日でいこうということになったんです。銅の場合は、マーケットがありますから、米国で発表することにしました。マーケットの秩序を壊すようなことはしませんという意思を示し、英米当局の調査には全面的に協力しますという約束をしたわけです。
住友商事はアフリカのマダガスカルで産出されるニッケルに着眼し、2005年に世界最大規模の精錬及び採掘の一貫体制による拠点の新設プロジェクトへの参画を決定。住友商事、シェリット・インターナショナル(カナダ)、韓国鉱物資源公社の3社の共同で「アンバトビー・ニッケルプロジェクト(ambatovy)」をスタートした。
PJの遂行会社に対して、住友商事は47.7%、シェリット12.0%、韓国鉱物資源商社40.3%がそれぞれ出資し、住友商事がリードする形となった。住友商事による投資額は非開示だが、推定2600億円以上の投資を実行したと思われる。このため、住友商事としてはリスクをとった事業投資を決断した。
プロジェクト全体の投資額について、当初は37億ドル(借入金を含む)を想定したが、見積もり通りには進まず、実際には72億ドルと2倍に高騰したという。
2012年よりアンバトビーにおいて、ニッケル採掘及び精錬の生産を開始した。
2016年に住友商事は、マダガスカルニッケル事業において770億円の減損計上を発表。プランド設備の不具合や、ニッケル市況の下落を理由とした。以後、住友商事はアンバトビープロジェクト(マダガスカルニッケル事業)において、継続的に減損計上に至る。
ブラジルの鉄鉱石(ウジミナス鉱山)の権益取得を決定。運営会社の30%の株式を約1700億円で取得した。
2011年に住商情報システムとCSKが経営統合してSCSKを発足。経営難に陥ったCSKを住商情報システムが救済する形の統合であり、統合後も住友商事が筆頭株主であり続けた。経営統合後の2012年3月末時点で、住友商事はSCSKの株式48%を保有。
原油価格高騰により、シェールガス・タイトオイルで採算が取れることを見込み、住友商事は米テキサス州におけるタイトオイルプロジェクト(生産物:原油6割、NGL*2割、天然ガス2割)への参画を決定。Devon社から既存検疫30%を13.65億ドル(推定約1100億円)で取得した。
2015年3月に住友商事は業績予想の下方修正を発表し、当初予定の100億円の黒字から、850億円の最終赤字に転落する見込みを公表した。赤字転落の要因は投資損失であり、主に海外のシェールオイルなどの開発事業における採算悪化(資源価格の全般的な下落)であった。
主な減損の内訳は、米国タイトオイル開発PJ(テキサス州)で1992億円、ブラジル鉄鉱石事業で623億円、米国シェールガス事業で311億円などであった。いずれも資源価格の下落によって、販売価格が下落し、プロジェクトの採算が悪化したことによる。
この結果、2015年3月期に住友商事は731億円の最終赤字を計上し、減損損失として3103億円を計上した。
マダガスカルにおけるニッケル事業の低迷が持続。2020年にはコロナウイルスにより操業が全面停止し、PJ会社の収益4.1億円に対して、当期損失2430億円という厳しい状況に陥った。
2020年7月にはパートナーであったシェリットが経営不振に陥り、住友商事はアンバトビーのPJ会社の株式をシェリットから追加取得した。
その後、稼働を再開したものの業績は好転せず、2021年3月期に減損損失848億円を計上、2024年3月期にも同じく約890億円の減損を計上した。この結果、FY2015からFY2023にかけて、住友商事はマダガスカルニッケル事業関連で、推定合計2660億円の減損計上に至った。
2023年3月末時点で住友商事は、アンバトビー(マダガスカルニッケル事業)について、帳簿価額ベースで約1231億円(持分法投資)を保有。FY2023に追加の減損890億円の計上を公表しており、FY2024に残存する減損リスクは約300億円と推定される。
住友商事がリスク回避的な商社である根本的な理由は、戦後の会社発足時に「商社設立禁止」の掟を、ある種打ち破ったことにある。それゆえ、絶対に失敗してはならない会社であり、リスク回避的な経営判断を志向。このため、高度経済成長期において「丸紅のロッキード事件」「三井物産のIJPC」「伊藤忠の東亜石油」といった巨額損失や不祥事に競合が巻き込まれる中で、住友商事は相対的な優位性を発揮した。いわば、ほとんどの商社がリスク選好的で自滅しやすいという中で、住友商事は意図的に自滅を避ける(=目立つことは何もしない)ことで、業界首位に浮上する戦略をとったともいえる。