1943年〜 レインコート専業からバーバリー独占ライセンス取得まで
- 1943年株式会社三陽商会を設立
- 1944年社名を三陽商会製作所と改称
- 1945年本店を中央区に移転、レインコート販売へ業態転換
- 1948年社名を株式会社三陽商会に再改称
- 1949年日本ゴム工業のレインコート一手発売元として特約
- 1952年東京営業所を設置し営業主体を移転
- 1969年新宿区に本社ビル完成、総合アパレルメーカーへ進出開始
三陽商会の業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
工作機械工具からレインコートへ業種を切り替える戦中の創業
三陽商会の起点は1942年12月、創業者の吉原信之氏が東京府板橋区で「各種工業用品並びに繊維製品の製造販売」を目的として個人経営の三陽商会を開業したことに始まる。翌1943年5月、資本金5万円で株式会社三陽商会を設立し、工作機械工具の修理加工・販売を開始した。戦時下の物資統制経済のなかで、繊維製品と工業用品の両分野に取引機会を求める総合商社的な創業であった。1944年10月には社名を株式会社三陽商会製作所と改称し、豊島工場と銀座営業所を設置、戦時の軍需に対応する工作機械の供給体制を整えた。 [1][2][3][4][5]
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [1]1942年12月 創業者の吉原信之氏が東京府板橋区で個人経営の三陽商会を開業
- [2]創業者の氏名は吉原信之
- [3]1943年5月 資本金5万円で株式会社三陽商会を設立し工作機械工具の修理加工・販売を開始
- [4]設立時資本金5万円
- [5]1944年10月 社名を株式会社三陽商会製作所と改称し豊島工場と銀座営業所を設置
1945年8月の終戦直後、同社は事業の主軸を工作機械工具からレインコートへ転換した。同年10月に本店を東京都京橋区(現中央区)に移し、1948年7月には社名を株式会社三陽商会と改称、レインコート販売を本業とする姿に再編した。創業者の吉原信之氏がレインコートに着目した背景には、戦後の繊維配給制度のなかで衣料品が外貨節約と国内需要の両面で成長が見込める分野であったこと、そして日本ゴム工業株式会社(現オカモト株式会社)が国内で唯一にゴム引きレインコートを生産していたことの2つが重なっていた。 [6][7][8]
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [6]1945年(終戦後)に主軸を工作機械工具からレインコート販売へ転換、同年10月に本店を東京都京橋区(現中央区)へ移転
- [7]1948年7月 社名を株式会社三陽商会へ改称
- [8]ゴム引きレインコートを生産していた日本ゴム工業株式会社は現オカモト株式会社
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [1]1942年12月 創業者の吉原信之氏が東京府板橋区で個人経営の三陽商会を開業
- [2]創業者の氏名は吉原信之
- [3]1943年5月 資本金5万円で株式会社三陽商会を設立し工作機械工具の修理加工・販売を開始
- [4]設立時資本金5万円
- [5]1944年10月 社名を株式会社三陽商会製作所と改称し豊島工場と銀座営業所を設置
- [6]1945年(終戦後)に主軸を工作機械工具からレインコート販売へ転換、同年10月に本店を東京都京橋区(現中央区)へ移転
- [7]1948年7月 社名を株式会社三陽商会へ改称
- [8]ゴム引きレインコートを生産していた日本ゴム工業株式会社は現オカモト株式会社
日本ゴム工業との一手販売特約と百貨店ルートの開拓
1949年9月、三陽商会は日本ゴム工業株式会社と同社製レインコートの一手発売元としての特約を締結した。この契約はゴム引きレインコート(当時の日本では雨具として高い実用性を持っていた)の国内独占販売権を確保するもので、戦後復興期の衣料需要のなかで三陽商会の収益基盤を一気に押し上げた。1950年代に同社は百貨店への販売を積極的に開始し、レインコートという単品カテゴリーで「メーカー直販ではなく百貨店経由の高級衣料」というブランドポジションを築いた。これは戦後の日本で百貨店が衣料品流通の最上位チャネルとして再興する局面と重なり、三陽商会は最初から百貨店との取引を主力とする卸売型アパレル企業の原型を作った。 [9][10]
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [9]1949年9月 三陽商会が日本ゴム工業のレインコート一手発売元として特約を締結
- [10]1949年特約を機に百貨店への販売を積極的に開始(百貨店流通を主軸とするモデル)
1952年7月、同社は東京都千代田区に東京営業所を設置して営業活動の主体を中央区から移し、1962年4月には本店を千代田区へ移転、同年5月には千代田区に本社ビルを新築した。1969年2月には東京都新宿区に本社ビルを完成させ本店を移転、この前後から「総合アパレルメーカーへの進出」を本格化させた。1971年7月に株式を東京証券取引所市場第二部へ上場、1977年6月には東京証券取引所市場第一部に指定替えとなり、レインコート専業から始まった卸売型アパレル企業として資本市場での地位を確立した。 [11][12][13][14][15]
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [11]1952年7月 東京都千代田区に東京営業所を設置し営業活動の主体を移転
- [12]1962年4月 本店を東京都千代田区へ移転、同年5月 千代田区に本社ビルを新築
- [13]1969年2月 東京都新宿区に本社ビルを完成・本店移転、この前後から総合アパレルメーカーへの進出を本格化
- [14]1971年7月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [15]1977年6月 東京証券取引所市場第一部に指定替え
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [9]1949年9月 三陽商会が日本ゴム工業のレインコート一手発売元として特約を締結
- [10]1949年特約を機に百貨店への販売を積極的に開始(百貨店流通を主軸とするモデル)
- [11]1952年7月 東京都千代田区に東京営業所を設置し営業活動の主体を移転
- [12]1962年4月 本店を東京都千代田区へ移転、同年5月 千代田区に本社ビルを新築
- [13]1969年2月 東京都新宿区に本社ビルを完成・本店移転、この前後から総合アパレルメーカーへの進出を本格化
- [14]1971年7月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [15]1977年6月 東京証券取引所市場第一部に指定替え
バーバリー独占ライセンスという経営判断
1965年、三陽商会は英国の高級ブランド「バーバリー」と日本国内での独占ライセンス契約を締結した。バーバリーは英国王室御用達のレインコートメーカーで、ガバジン素材のトレンチコートで世界的な評価を確立していた。三陽商会にとってこのライセンス取得は、レインコート専業の事業基盤と英国高級ブランドの組み合わせという、創業以来の事業領域に最も整合する戦略的判断であった。同時に、自社開発ブランドを育てる代わりに海外ブランドのライセンス権を取りに行く意思決定でもあり、ここから半世紀の経営路線が事実上決まった。 [16][17]
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [16]1965年 英国の高級ブランド「バーバリー」と日本国内での独占ライセンス契約を締結
- [17]ライセンス対象は英国の高級ブランド「バーバリー」
1970年代以降、三陽商会はバーバリーのトレンチコート・スーツ・小物を百貨店ルートで展開し、日本国内における「バーバリー=三陽商会」というブランド認知を作り上げた。バーバリーは英国本体では地味な伝統ブランドにとどまっていたが、三陽商会のライセンス運営により日本市場では百貨店紳士服売場の中核に位置するハイステータスブランドへと育った。1996年4月のミラノ現地法人サンヨーショウカイミラノ設立、同年5月の香港現地法人三陽商會香港有限公司設立、1998年2月の台湾現地法人國際三陽股份有限公司設立、1999年10月のニューヨーク現地法人サンヨーショウカイニューヨーク設立と、海外拠点の整備もバーバリー含む取扱ブランドの調達・物流体制の整備を兼ねていた。 [18][19][20][21]
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [18]1996年4月 ミラノ現地法人サンヨーショウカイミラノを設立
- [19]1996年5月 香港現地法人三陽商會香港有限公司を設立
- [20]1998年2月 台湾現地法人國際三陽股份有限公司を設立
- [21]1999年10月 ニューヨーク現地法人サンヨーショウカイニューヨークを設立
- 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
- [16]1965年 英国の高級ブランド「バーバリー」と日本国内での独占ライセンス契約を締結
- [17]ライセンス対象は英国の高級ブランド「バーバリー」
- [18]1996年4月 ミラノ現地法人サンヨーショウカイミラノを設立
- [19]1996年5月 香港現地法人三陽商會香港有限公司を設立
- [20]1998年2月 台湾現地法人國際三陽股份有限公司を設立
- [21]1999年10月 ニューヨーク現地法人サンヨーショウカイニューヨークを設立