ニフコ

の歴史

創業

1967年

創業者

小笠原敏晶

創業地

東京都

直近売上高(2026/3)

3,526億円

ニフコの長期業績と経営の転換点売上高と利益率の長期推移
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1967年の創業時に、活動地域を極東に縛る契約をITWとのあいだで結んだのか
A 小笠原敏晶氏にはプラスチック製ファスナーの技術がなく、量産品で先行する米国ITWの特許を借りる以外に新市場へ入る手立てがなかった。技術と引き換えに地域の制約を呑む取引だった。1967年2月、貿易商社・日英物産とITWの合弁で日本工業ファスナーが設立され、出資60%で日英物産が主導権を握る一方、活動地域は日本を含む極東に限られ、ITWの工業ファスナー部門の日本法人という位置づけとなった。1970年にニフコへ商号を変え、金属部品を樹脂成形品で置き換える量産需要に乗っていった。小笠原氏自身、当初の契約はITWが技術提供の対価としてロイヤリティを、日英物産が経営ノウハウ提供の対価としてマネージメント・フィーを得る仕組みだったと述べており、ニフコの業績が伸びた昭和51年末(1976年末)の契約更新でニフコに有利な条件へ改定された
Q なぜ2002年に、創業以来のITWとの提携を解消し主力品目を数百種から15種へ絞ったのか
A 極東に縛る契約のもとでは国内自動車需要の落ち込みがそのまま業績の頭打ちにつながり、海外で自力では伸びられなかった。提携を解いて地域の制約を外すことが、グローバル展開を開く唯一の道だった。2002年、ニフコはITWとの提携を完全に解消し、缶飲料向けなど非注力の品目を切り離して主力を数百種から15種へ集約した。これにより米国・欧州・中国へ自前の子会社網を広げる経路が開き、自動車内装部品への集中が定まった。東芝出身の渡辺隆治氏が前年に社長へ就いて、この整理を進めた
Q なぜ2013年に買ったドイツの欧州事業を、2024年に売って資本効率重視へ転じたのか
A 2013年に取り込んだドイツKTSを軸とする欧州事業は、フォルクスワーゲンなど独系メーカーへの納入を伸ばす狙いだったが、欧州自動車市場の構造変化で収益性が下がり、拠点を買って広げる成長が利益に結びつきにくくなっていた。2024年、ニフコはドイツ系顧客向け子会社Nifco Germany GmbHなどを独ファンドAEQUITAへ譲渡して事業を身軽にし、政策保有株を縮減した。成長投資の伸びしろが細るなか、稼いだ現金を還元へ回す方向へ転じ、総還元性向45%以上・配当80円、ROIC18〜20%を経営目標の中心に据えた

1967年〜 日米合弁ファスナーメーカーの創業と東証一部上場

  1. 1967年日英物産と米ITW社が日本工業ファスナー(現ニフコ、1970年12月改称)を資本金48000千円で設立、ITW社と技術援助契約を締結
  2. 1976年愛知県豊田市に名古屋工場を新設
  3. 1977年日英物産株式会社を吸収合併(株式の額面金額を500円から50円に変更)
  4. 1980年神奈川県相模原市に相模原工場を新設竣工
  5. 1983年台湾台北市に合弁会社、台湾扣具工業股份有限公司を設立
  6. 1986年米国オハイオ州に合弁会社、ITW-Nifco Inc.を設立
  7. 1990年英国クリーブランド州でElta Plastics Ltd.(現Nifco U.K. Ltd.)を買収

ニフコの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

小笠原敏晶氏のキャリアとITW合弁設立

1967年2月、日英物産株式会社と米国イリノイ・ツール・ワークス(ITW)社の合弁により、日本工業ファスナー株式会社(資本金48,000千円)が設立された。創業者の小笠原敏晶氏は終戦直後に22歳でロンドン大学を卒業した英語通で、貿易商社「日英物産」を立ち上げ、外貨規制下で葉タバコの取り扱いシェアを確保して業容を拡大していた。1960年にはベルクロ社から技術導入した製品を「マジックテープ」として国内販売するなど、貿易業と技術提携を組み合わせる経営を志向した。1960年代に小笠原氏は政治家を志して米国プリンストン大学ロースクールへ留学、政治家にはならなかったものの留学中にITW経営陣と知遇を得て、ITWから工業用ファスナーの日本進出案を持ちかけられた。これを受けて日英物産とITWの合弁会社として日本工業ファスナーを設立、ITWが保有するプラスチック製ファスナーの特許利用を許可された。設立時の出資比率は日英物産60%・ITW40%で小笠原氏が主導権を握ったが、ニフコの展開地域は契約上、日本を含む極東地域に限定され、ITWの工業ファスナー部門の日本法人という位置づけとなった。 [1][2]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [1]1967年2月 日英物産とITWの合弁で日本工業ファスナー株式会社を設立
    • [2]設立時資本金 48,000千円

小笠原氏自身、後年の講演でこの合弁の内実を語っている。日英物産とITWがニフコ(日本工業ファスナー)を設立した当時の契約は、ITWが工業用プラスチック・ファスナー技術を提供する対価としてロイヤリティを、日英物産が経営ノウハウを提供する対価としてマネージメント・フィーを取る仕組みで、技術と経営の両輪を分担する体制だった。その後ニフコの業績が伸びて双方の信頼感が強まったことを受け、昭和51年末(1976年末)の契約更新でニフコに有利な条件へと改定された。 [3][4]

1970年12月に株式会社ニフコへ商号変更し、自社ブランドでのプラスチック製ファスナー製造販売を拡大させた。1960年代後半の日本は高度成長期の終盤にあり、自動車・家電・建材といった工業製品の量産化が進む過程で、金属部品をプラスチック成形品で代替する技術需要が立ち上がりつつあった。日米合弁による技術導入という出自は、後の海外展開で米国・欧州への進出を比較的早期に実行した背景に直結している。 [5]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [5]1970年12月 株式会社ニフコへ商号変更
  • ニフコ 有価証券報告書
    • [1]1967年2月 日英物産とITWの合弁で日本工業ファスナー株式会社を設立
    • [2]設立時資本金 48,000千円
    • [5]1970年12月 株式会社ニフコへ商号変更
    • [3]設立当初の契約はITWがロイヤリティ、日英物産がマネージメント・フィーを取る体制だった(小笠原敏晶社長講演)
    • [4]昭和51年末(1976年末)の契約更新でニフコに有利な条件へ改定された(小笠原敏晶社長講演)

自動車メーカーへの追随進出と国内拠点網

1969年7月に大阪市西区へ大阪営業所を新設し、関西に集積する家電メーカーへの売り込みを開始した。ニフコの受注1号は松下精工(パナソニック系列)の換気扇向け留め具で、ITW特許を活用した「プラスティリベット」として納入した。1976年12月、愛知県豊田市に名古屋工場を新設、トヨタ自動車向けの自動車用工業ファスナーを生産する体制を整えた。1969年ごろから名古屋に営業拠点を置いてトヨタ向け営業を強化していた経緯がある。1977年10月、株式の額面金額を500円から50円へ変更する目的で日英物産株式会社を吸収合併、株式上場に向けて創業者を中心とした資本関係を整理した。 [6][7][8]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [6]1969年7月 大阪市西区に大阪営業所を設置
    • [7]1976年12月 愛知県豊田市に名古屋工場を新設
    • [8]1977年10月 日英物産を吸収合併(額面500円→50円)

1978年5月の北九州営業所、1980年9月の相模原工場、1982年4月の宇都宮事業所、1984年4月の浜松出張所、1987年8月の広島事業所、1990年3月の東京支社(東京都港区)と、主要自動車メーカーの本社・主力工場立地に合わせて国内拠点を順次設けた。宇都宮事業所はホンダ向け、広島事業所はマツダ向けの取引拡大を狙った立地で、ニフコの拠点配置は日本自動車メーカーの現地体制と同じ構造で進んだ。 [9][10][11][12][13][14]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [9]1978年5月 北九州営業所を設置
    • [10]1980年9月 相模原工場を新設竣工
    • [11]1982年4月 宇都宮事業所を新設竣工
    • [12]1984年4月 浜松出張所を設置
    • [13]1987年8月 広島事業所を新設竣工
    • [14]1990年3月 東京都港区に東京支社を設置

1979年7月に東京証券取引所市場第2部へ上場、1984年3月には同第1部へ指定された。設立から17年で東証一部上場という比較的早いペースは、自動車メーカー向けプラスチック成形品の量産受注が60〜70年代を通じて拡大したことと、ITW技術導入による製品開発力で国内競合に対する競争優位を保ったことが背景にある。 [15][16][17]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [15]1979年7月 東京証券取引所市場第2部に上場
    • [16]1984年3月 東京証券取引所市場第1部へ指定
    • [17]設立(1967)から東証一部指定(1984)まで17年
  • ニフコ 有価証券報告書
    • [6]1969年7月 大阪市西区に大阪営業所を設置
    • [7]1976年12月 愛知県豊田市に名古屋工場を新設
    • [8]1977年10月 日英物産を吸収合併(額面500円→50円)
    • [9]1978年5月 北九州営業所を設置
    • [10]1980年9月 相模原工場を新設竣工
    • [11]1982年4月 宇都宮事業所を新設竣工
    • [12]1984年4月 浜松出張所を設置
    • [13]1987年8月 広島事業所を新設竣工
    • [14]1990年3月 東京都港区に東京支社を設置
    • [15]1979年7月 東京証券取引所市場第2部に上場
    • [16]1984年3月 東京証券取引所市場第1部へ指定
    • [17]設立(1967)から東証一部指定(1984)まで17年

海外展開と1986年のITW株式売却

1985年1月、韓国亀尾市に合弁会社Korea Industrial Fastener Corporation(現Nifco Korea Inc.)を設立、1986年11月には米国オハイオ州にITW-Nifco Inc.を合弁設立した。米国オハイオ州はホンダの米国進出先であり、日本自動車メーカーのグローバル化に合わせてニフコも海外展開を始めた。1987年7月に中国香港子会社Nifco (HK) Ltd.、1988年11月にタイ・バンコクの合弁Union Nifco Co., Ltd.と、東南アジア・中華圏への拠点設置をした。 [18][19][20][21]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [18]1985年1月 韓国亀尾市にKorea Industrial Fastener Corporation(現Nifco Korea Inc.)を合弁設立
    • [19]1986年11月 米国オハイオ州にITW-Nifco Inc.を合弁設立
    • [20]1987年7月 中国香港子会社Nifco (HK) Ltd.を設立
    • [21]1988年11月 タイ・バンコクにUnion Nifco Co., Ltd.を合弁設立

1986年、合弁パートナーのITW社は機械コングロマリットを志向するM&A資金捻出のためにニフコ株式の売却を決定し、ニフコへ売却を打診した。ニフコはITWとの資本関係を解消、ITWの保有比率は23.1%から1.8%へ低下した。同年、小笠原氏はジャパンタイムズの経営権を個人で取得し、日米貿易摩擦が深刻化するなかで英字新聞の経営に参画した。1990年7月、英国クリーブランド州でElta Plastics Ltd.(現Nifco U.K. Ltd.)を買収し、欧州初の生産拠点を獲得した。欧州自動車メーカー(フォルクスワーゲン・BMW・ダイムラー・ルノー・PSA)の現地サプライヤー認証取得を目的とした買収で、80年代後半のITW-Nifco(米国合弁)に続く現地法人化の第2弾となった。1990年2月に山形県山形市へ合弁会社・株式会社JTニフコ(現株式会社ニフコ山形)を設立、日英物産時代の取引先であったJT(日本たばこ産業)の工場閉鎖に伴う雇用継承を目的とした拠点で、地域雇用の維持と工業用ファスナー生産を組み合わせた。1991年12月には熊本県菊池郡に九州JTニフコ(現株式会社ニフコ熊本)を設立し、東北・九州の自動車生産拠点向け供給体制を整えた。 [22][23][24]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [22]1990年7月 英国でElta Plastics Ltd.(現Nifco U.K. Ltd.)を買収し欧州初の生産拠点を獲得
    • [23]1990年2月 山形県山形市に株式会社JTニフコ(現ニフコ山形)を設立
    • [24]1991年12月 熊本県菊池郡に九州JTニフコ(現ニフコ熊本)を設立
  • ニフコ 有価証券報告書
    • [18]1985年1月 韓国亀尾市にKorea Industrial Fastener Corporation(現Nifco Korea Inc.)を合弁設立
    • [19]1986年11月 米国オハイオ州にITW-Nifco Inc.を合弁設立
    • [20]1987年7月 中国香港子会社Nifco (HK) Ltd.を設立
    • [21]1988年11月 タイ・バンコクにUnion Nifco Co., Ltd.を合弁設立
    • [22]1990年7月 英国でElta Plastics Ltd.(現Nifco U.K. Ltd.)を買収し欧州初の生産拠点を獲得
    • [23]1990年2月 山形県山形市に株式会社JTニフコ(現ニフコ山形)を設立
    • [24]1991年12月 熊本県菊池郡に九州JTニフコ(現ニフコ熊本)を設立

1990年〜 多角化の試行とITW提携完全解消による自動車部品集中

  1. 1990年英国クリーブランド州でElta Plastics Ltd.(現Nifco U.K. Ltd.)を買収
  2. 1996年中国上海市に子会社、上海利富高塑料制品有限公司を設立
  3. 1996年米国オハイオ州に子会社、Nifco U.S. Corporation(現Nifco America Corporation)を設立
  4. 1996年株式会社ジャパンタイムズ並びにシモンズ株式会社及びSimmons Bedding & Furniture (HK) Limitedの株式を取得し子会社化
  5. 1997年米国オハイオ州で合弁会社ITW-Nifco Inc.の株式を取得しNifco U.S. Corporationを存続会社として合併
  6. 2001年スペインのアクリプラス・グループ4社(Nifco Products Espana, S.L.U.)を買収
  7. 2001年中国広東省東莞市長安鎮に台湾扣具工業との折半出資による子会社、台扣利富高塑膠制品(東莞)有限公司を設立

ニフコの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

ジャパンタイムズ・シモンズ買収と多角化

1990年代を通じて、小笠原社長は国内自動車販売台数の低下に危機感を抱いた。ITWとの契約で極東地域以外の海外進出が困難な状況下、国内市場の低迷はそのままニフコの業績低迷を意味した。そこで小笠原氏は資本投下が少ない事業を中心に経営の多角化を選んだ。1996年7月、小笠原氏が1986年に個人取得していた英字新聞「ジャパンタイムズ」をニフコへ移管した。買収価格は約12億円で、1986年に個人で買収した金額よりも割安、小笠原氏個人としては企業価値改善に苦戦して売却損を被った。1980年代は日米貿易摩擦で英字新聞ニーズが高かったが、1990年代のバブル崩壊で日本企業のプレゼンスが低下し、欧米人の日本への関心も鈍化、ジャパンタイムズの販売も低迷していた。同月、米国高級ベッドメーカー「シモンズ」の日本法人および香港法人を約49億円で買収、国内高齢化を見据えた高級ベッド販売拡大を狙った。 [25][26]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [25]1996年7月 ジャパンタイムズを子会社化(本文は個人取得分のニフコ移管と記述)
    • [26]1996年7月 シモンズ(日本法人・香港法人)を買収・子会社化

1992年5月、日用雑貨品メーカーのレック(当時の商号はスルガ)が会社更生法の適用を申請して倒産した。同社は「小物向けフック」「醤油さし」などの日用品を生産していたが、輸入品との競合で経営状況が悪化していた。1992年8月、ニフコ社長の小笠原氏が管財人に選定され、ニフコとして再建支援を始めた。同じ樹脂製品メーカーとして経営の多角化を図る狙いで、ニフコはレックへの出資で財務支援を実施、1998年10月にはニフコ常務の大久保氏がレック社長に就任した。1999年にはロングセラー「激落くん」が発売され、2001年9月に東京地裁で更生手続終結が決定、再建を完了した。

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [25]1996年7月 ジャパンタイムズを子会社化(本文は個人取得分のニフコ移管と記述)
    • [26]1996年7月 シモンズ(日本法人・香港法人)を買収・子会社化

渡辺隆治氏の社長就任とITW提携完全解消

2001年、創業者の小笠原氏が社長を退任して会長に就任、東芝出身の渡辺隆治氏が新社長に就任した。渡辺氏は1980年代にニフコが推進していた電子部品事業の部長として、東芝から液晶事業を率いる形で転職した人物で、その抜擢はニフコにおける新事業推進者の登用を意味した。2002年、ニフコはITWとの提携を完全解消した。これに伴い、缶飲料向け結束材を手がける子会社「ニフコ・ハイコーン・リーシング」(ニフコ60%出資のITWとの合弁)の譲渡を決定、缶飲料向けなど非注力事業を縮小する一方で、提携解消で可能になった自動車部品のグローバル展開へ経営資源を投下する道を選んだ。 [27]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [27]2001年 小笠原氏が社長退任・会長就任、渡辺隆治が新社長就任(渡辺はceo資産でFY00-FY06期に代表取締役社長)

主力製品の品目は数百種類から15種類に統一する方針を決め、自動車部品集中の体制を仕上げた。FY03(2004年3月期)には子会社売却の影響で経常利益101億円に対して特別損益▲46億円(特別損失52億円・特別利益6億円)を計上、純利益は45億円から6億円へ縮小した。多角化を引き取って整理した数年間が、グローバル展開可能な自動車部品メーカーとしての出発線を引いた。

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [27]2001年 小笠原氏が社長退任・会長就任、渡辺隆治が新社長就任(渡辺はceo資産でFY00-FY06期に代表取締役社長)

100%子会社化と中国・東欧・インドへの拠点拡大

2001年4月、スペインのアクリプラス・グループ4社(Nifco Products Espana, S.L.U.)を買収、2002年6月に台湾合弁(台湾扣具工業)を完全子会社化、2002年7月にタイ・チョンブリ県へ子会社Nifco (Thailand) Co., Ltd.を設立した。合弁解消による完全子会社化と新規子会社設立の組み合わせで、グローバル拠点網を「合弁・現地パートナー型」から「100%子会社・直接運営型」へ転換した。1996年3月に中国上海市へ上海利富高塑料制品有限公司、1996年4月に米国オハイオ州へNifco U.S. Corporation(現Nifco America Corporation)、1997年12月にITW-Nifco Inc.の株式を取得して米国合弁を完全子会社化、北米・中国の体制を組み上げた。 [28][29][30][31][32][33]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [28]2001年4月 スペインのアクリプラス・グループ4社(Nifco Products Espana)を買収
    • [29]2002年6月 台湾扣具工業を完全子会社化
    • [30]2002年7月 タイ・チョンブリ県にNifco (Thailand) Co., Ltd.を設立
    • [31]1996年3月 中国上海市に上海利富高塑料制品有限公司を設立
    • [32]1996年4月 米国オハイオ州にNifco U.S. Corporation(現Nifco America Corporation)を設立
    • [33]1997年12月 ITW-Nifco Inc.株式取得で米国合弁を完全子会社化

2004年11月の中国北京市・通州区子会社、2005年1月のベトナム・タイニン省(Kifco Vietnam Ltd.)、2006年2月のポーランド・シフィドニツァ市子会社、2007年3月の米国ケンタッキー州子会社、2007年6月のドイツ・エシュボルン市子会社(Nifco Deutschland GmbH、後のNifco KTS GmbH)と、2000年代半ばに東欧・北米南部・東南アジアへの拠点拡大が続いた。2010年代に入ると、2010年11月の中国湖北省鄂州市、2011年1月の中国江蘇省張家港市、2011年6月の中国江蘇省塩城市と中国の沿海部から内陸部へ展開し、2010年6月のグルガオン市、2010年7月のチェンナイ市でインド進出を果たした。2011年5月にインドネシア・ジャカルタ市にPT.Nifco Indonesiaを設立、2012年7月にメキシコ・イラプアト市にNifco Central Mexico S.de R.L.de C.V.を設立し、新興国・中南米の自動車生産拠点向け供給網を組み上げた。連結業績はFY02(2003年3月期)売上高1,091億円・経常利益85億円から、FY07(2008年3月期)売上高1,416億円・経常利益151億円までほぼ毎年拡大した後、リーマンショックの影響でFY09(2010年3月期)売上高1,075億円・経常利益81億円まで縮小、2010年代前半は欧州債務危機・タイ洪水・東日本大震災の事業環境悪化要因のなかでもグローバル拠点網による地域分散効果でFY12(2013年3月期)売上高1,399億円・経常利益109億円と緩やかな回復をした。 [34][35][36][37][38][39][40][41]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [34]2004年11月 中国北京市通州区子会社を設立
    • [35]2005年1月 ベトナム・タイニン省にKifco Vietnam Ltd.を設立
    • [36]2006年2月 ポーランド・シフィドニツァ市子会社を設立
    • [37]2007年3月 米国ケンタッキー州子会社を設立
    • [38]2007年6月 ドイツ・エシュボルン市にNifco Deutschland GmbHを設立
    • [39]2010年6月 インド・グルガオン市、7月チェンナイ市でインド進出
    • [40]2011年5月 インドネシア・ジャカルタにPT.Nifco Indonesiaを設立
    • [41]2012年7月 メキシコ・イラプアトにNifco Central Mexicoを設立
  • ニフコ 有価証券報告書
    • [28]2001年4月 スペインのアクリプラス・グループ4社(Nifco Products Espana)を買収
    • [29]2002年6月 台湾扣具工業を完全子会社化
    • [30]2002年7月 タイ・チョンブリ県にNifco (Thailand) Co., Ltd.を設立
    • [31]1996年3月 中国上海市に上海利富高塑料制品有限公司を設立
    • [32]1996年4月 米国オハイオ州にNifco U.S. Corporation(現Nifco America Corporation)を設立
    • [33]1997年12月 ITW-Nifco Inc.株式取得で米国合弁を完全子会社化
    • [34]2004年11月 中国北京市通州区子会社を設立
    • [35]2005年1月 ベトナム・タイニン省にKifco Vietnam Ltd.を設立
    • [36]2006年2月 ポーランド・シフィドニツァ市子会社を設立
    • [37]2007年3月 米国ケンタッキー州子会社を設立
    • [38]2007年6月 ドイツ・エシュボルン市にNifco Deutschland GmbHを設立
    • [39]2010年6月 インド・グルガオン市、7月チェンナイ市でインド進出
    • [40]2011年5月 インドネシア・ジャカルタにPT.Nifco Indonesiaを設立
    • [41]2012年7月 メキシコ・イラプアトにNifco Central Mexicoを設立

2013年〜 ドイツKTS買収と「資本効率重視」への変革(2013〜現在)

  1. 2013年ドイツのKTS社及びそのグループ会社を買収
  2. 2013年神奈川県横須賀市にニフコ技術開発センターを新設竣工

ニフコの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

KTS買収による欧州事業の拡大と収益の段差

2013年3月、神奈川県横須賀市にニフコ技術開発センターを新設し、R&D機能を本社近傍に集約した。2013年4月にはドイツのKTS社およびそのグループ会社を買収し、欧州自動車メーカー向けの製品ポートフォリオを拡張した。KTS買収は、フォルクスワーゲン・BMW・ダイムラーといった独系自動車メーカーへの納入規模を倍増させる戦略的買収で、ニフコの欧州事業を拡大した。 [42][43]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [42]2013年3月 神奈川県横須賀市にニフコ技術開発センターを新設
    • [43]2013年4月 ドイツKTS社およびグループ会社を買収

KTS買収の効果は連結業績に直接表れた。FY13(2014年3月期)売上高1,852億円から、FY14(2015年3月期)売上高2,254億円・営業利益210億円・経常利益206億円・親会社株主に帰属する当期純利益129億円へ22%増収、営業利益が初めて200億円台に乗った。FY15(2016年3月期)には売上高2,657億円・営業利益276億円・親会社株主に帰属する当期純利益177億円と、買収後2年で売上高が1.4倍規模へ拡大した。

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [42]2013年3月 神奈川県横須賀市にニフコ技術開発センターを新設
    • [43]2013年4月 ドイツKTS社およびグループ会社を買収

山本利行氏から柴尾雅春氏への代替わり

2016年、創業者の小笠原敏晶氏が逝去した。2017年6月、ニフコは非注力事業としてジャパンタイムズを国内PR会社のニューズ・ツー・ユーホールディングスへ売却し、1986年から数えて31年保有した多角化遺産の整理を仕上げた。2012年に代表取締役社長へ就任した山本利行氏は、KTS買収(2013年)・グローバル24拠点体制の構築・自動車プラスチック部品サプライヤーとしての高収益化を9年間で成し遂げた後、2020年6月に代表取締役会長兼CEOへ移行、柴尾雅春氏が代表取締役社長COOへ就任した。2022年6月には柴尾氏が代表取締役社長兼CEOへ昇格、山本氏は取締役会長として残り、2023年6月に退任した。この2年がかりの段階移行は、世襲色のない指名委員会機能を通じた計画的承継の手順を示した。 [44][45][46]

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [44]2012年 山本利行が代表取締役社長へ就任
    • [45]2020年6月 山本が代表取締役会長兼CEOへ移行、柴尾雅春が代表取締役社長COOへ就任
    • [46]2022年6月 柴尾が代表取締役社長兼CEOへ昇格、2023年6月 山本が取締役会長を退任

連結業績はFY16(2017年3月期)売上高2,594億円・営業利益298億円から、FY18(2019年3月期)売上高2,889億円・営業利益288億円までほぼ横ばいで推移した後、コロナ禍のFY19(2020年3月期)売上高2,880億円・営業利益297億円、FY20(2021年3月期)売上高2,561億円・営業利益277億円へ減収した。FY20の売上高はコロナ前FY18から11%減ったが、固定費管理で営業利益率10.8%を維持し、コロナ前のFY18営業利益率10.6%を上回る収益体質を示した。

  • ニフコ 有価証券報告書
    • [44]2012年 山本利行が代表取締役社長へ就任
    • [45]2020年6月 山本が代表取締役会長兼CEOへ移行、柴尾雅春が代表取締役社長COOへ就任
    • [46]2022年6月 柴尾が代表取締役社長兼CEOへ昇格、2023年6月 山本が取締役会長を退任

資本効率重視へ転じた自動車部品専業メーカーの到達点

FY21(2022年3月期)売上高2,838億円・営業利益305億円から、自動車生産の正常化と為替円安でFY22(2023年3月期)売上高3,218億円・営業利益344億円・経常利益378億円が過去最高を更新した。FY23(2024年3月期)は売上高3,716億円・営業利益439億円とさらに増益したが、ドイツ系ビジネス子会社譲渡に伴う特別損失(KTWアメリカ減損・ニフコ重慶清算損等)で親会社株主に帰属する当期純利益は183億円へ減益した。2013年4月に買収したドイツKTSはフォルクスワーゲン・BMW・ダイムラーへの納入規模拡大に寄与した一方、欧州自動車市場の構造変化と収益性低下を受けて、10年あまりで保有方針を見直した。

FY24(2025年3月期)には売上高3,530億円・営業利益492億円・営業利益率13.9%・経常利益521億円・親会社株主に帰属する当期純利益448億円という過去最高利益を達成した。ドイツ事業売却による減収を、変動費抑制と政策保有株売却益・税効果といった一過性要因で吸収し、利益率改善と最高利益を同時に実現した。FY25中計(FY25-FY27)では売上高3,690億円・営業利益534億円・ROE12〜14%・ROIC18〜20%・総還元性向45%以上を目標に掲げ、自動車部品サプライヤーから資本効率を重視する経営への転換を表明した。1967年の合弁設立時にITW契約で極東地域に縛られた出自から、2002年の提携完全解消で品目を15種へ絞った専業化、2013年のKTS買収による欧州取り込みを経て、2024年のドイツ事業売却を経て資本効率を経営目標の中心に据える段階へ到達した。 [47][48]

  • ニフコ FY25決算概要(2025年5月)
    • [47]FY25中計(FY25-FY27)売上高3,690億円・営業利益534億円・ROE12〜14%・ROIC18〜20%・総還元性向45%以上
  • ニフコ 有価証券報告書
    • [48]2002年の提携完全解消で品目を15種へ絞り、2013年KTS買収、2024年ドイツ事業売却という沿革整理

自動車部品集中の体制を保ったまま高ROIC化を達成できるかが、柴尾雅春社長体制の中期的な評価軸となる。ニフコの連結売上は自動車生産台数と1台あたり搭載金額の積で決まり、EV化で部品点数構造が変わり生産台数も中長期で縮小に向かうなか、内装プラスチック部品の高機能化(センサー一体化・軽量化・意匠性向上)と、EV向けバッテリーマウント周辺部品・先進運転支援システム周辺部品といった新領域への展開で1台あたり搭載金額を伸ばせるかが利益額の維持を左右する。FY24の営業利益率13.9%はドイツ事業売却と一過性要因で押し上げた水準であり、これを構造的に保てるかが直近の課題として残る。配当は5円増配の80円とし、創業家系財団・信託銀行・外資ファンドの3層からなる株主構成と整合した還元強化を継続する方針を示した。 [49]

  • ニフコ FY25決算概要(2025年5月)
    • [49]FY25配当は5円増配の80円
  • ニフコ FY25決算概要(2025年5月)
    • [47]FY25中計(FY25-FY27)売上高3,690億円・営業利益534億円・ROE12〜14%・ROIC18〜20%・総還元性向45%以上
    • [49]FY25配当は5円増配の80円
  • ニフコ 有価証券報告書
    • [48]2002年の提携完全解消で品目を15種へ絞り、2013年KTS買収、2024年ドイツ事業売却という沿革整理

ニフコの沿革1967〜2013年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日英物産と米ITW社が日本工業ファスナー(現ニフコ、1970年12月改称)を資本金48000千円で設立、ITW社と技術援助契約を締結★★★
大阪市西区に大阪営業所を設置
愛知県豊田市に名古屋工場を新設★★
日英物産株式会社を吸収合併(株式の額面金額を500円から50円に変更)★★
福岡県京都郡に北九州営業所を設置
東京証券取引所市場第2部に上場
神奈川県相模原市に相模原工場を新設竣工★★
栃木県河内郡に宇都宮事業所を新設竣工
大阪営業所を大阪府吹田市に移転
台湾台北市に合弁会社、台湾扣具工業股份有限公司を設立★★
東京証券取引所市場第1部に指定★★
静岡県浜松市に浜松出張所(現浜松営業所)を設置
韓国亀尾市に合弁会社、Korea Industrial Fastener Corporation(現Nifco Korea Inc.)を設立★★
米国オハイオ州に合弁会社、ITW-Nifco Inc.を設立★★★
中国香港に子会社、Nifco (HK) Ltd.を設立
広島市安佐南区に広島事業所(現広島営業所)を新設竣工
タイのバンコク市に合弁会社、Union Nifco Co., Ltd.を設立★★
山形県山形市に合弁会社、株式会社JTニフコ(現株式会社ニフコ山形)を設立
東京都港区に東京支社を設置
英国クリーブランド州でElta Plastics Ltd.(現Nifco U.K. Ltd.)を買収★★★
マレーシアのセランゴール州に合弁会社、Nifco (Malaysia) SDN BHD.を設立
熊本県菊池郡に合弁会社、株式会社九州JTニフコ(現株式会社ニフコ熊本)を設立
シンガポールに子会社、Nifco (Singapore) Pte. Ltd.を設立
中国上海市に子会社、上海利富高塑料制品有限公司を設立★★
米国オハイオ州に子会社、Nifco U.S. Corporation(現Nifco America Corporation)を設立★★
株式会社ジャパンタイムズ並びにシモンズ株式会社及びSimmons Bedding & Furniture (HK) Limitedの株式を取得し子会社化★★
米国オハイオ州で合弁会社ITW-Nifco Inc.の株式を取得しNifco U.S. Corporationを存続会社として合併★★
九州営業所を北九州市小倉北区に移転
渡辺隆治スペインのアクリプラス・グループ4社(Nifco Products Espana, S.L.U.)を買収★★★
渡辺隆治中国広東省東莞市長安鎮に台湾扣具工業との折半出資による子会社、台扣利富高塑膠制品(東莞)有限公司を設立★★
渡辺隆治中国広東省東莞市石龍鎮に子会社、東莞利富高塑料制品有限公司を設立
渡辺隆治台湾の合弁会社である台湾扣具工業股份有限公司の株式を買増しして子会社化
渡辺隆治タイのチョンブリ県に子会社、Nifco (Thailand) Co., Ltd.を設立
渡辺隆治中国北京市通州区に子会社、北京利富高塑料制品有限公司を設立
渡辺隆治ベトナムのタイニン省に子会社、Kifco Vietnam Ltd.(現Nifco Vietnam Ltd.)を設立★★
渡辺隆治合弁会社である株式会社JTニフコ及び株式会社九州JTニフコの株式を買増しして子会社化
渡辺隆治ポーランドのシフィドニツァ市に子会社、Nifco Poland Sp.z o.o.を設立★★
小野寺優米国ケンタッキー州に子会社Nifco North America Inc.を設立
小野寺優ドイツのエシュボルン市に子会社、Nifco Deutschland GmbH(Nifco KTS GmbH)を設立
小野寺優タイの合弁会社であるUnion Nifco Co., Ltd.の株式を買い増しして子会社化
小野寺優米国アラバマ州に子会社、Nifco Korea USA Inc.を設立
小野寺優インドのグルガオン市に子会社、Nifco India Private Ltd.を設立★★
小野寺優インドのチェンナイ市に子会社、Nifco South India Manufacturing Private Ltd.を設立
小野寺優中国湖北省鄂州市に子会社、利富高(湖北)精密樹脂制品有限公司を設立
小野寺優ポーランドのジョルィ市に子会社、Nifco Korea Poland Sp.z o.o.を設立
山本利行中国江蘇省張家港市に子会社、利富高(江蘇)精密樹脂制品有限公司を設立
山本利行インドネシアのジャカルタ市に子会社、PT.Nifco Indonesiaを設立
山本利行中国江蘇省塩城市に子会社、利富高(塩城)精密樹脂制品有限公司を設立
山本利行メキシコのイラプアト市に子会社、Nifco Central Mexico S.de R.L.de C.V.を設立
山本利行神奈川県横須賀市にニフコ技術開発センターを新設竣工★★
山本利行ドイツのKTS社及びそのグループ会社を買収★★★
出典・参考

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