結果

大日本印刷の長期業績

1950年〜2024年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
14,248億円
売上高:2024/3
売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結
7.7%
利益率:2024/3
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
スマートコミュニケーション
7172億円
ライフ&ヘルスケア
4722億円
エレクトロニクス
2353億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
営業利益
2024/3 | 連結
スマートコミュニケーション
261億円
ライフ&ヘルスケア
133億円
エレクトロニクス
581億円
調整額
-222億円
1876年10月
秀英舎を創業

1876年(明治9年)10月に秀英舎(現大日本印刷)を東京数寄屋橋にて創業。定期刊行物を印刷する個人事業として経営された。

1894年1月
株式会社に組織変更
1896年11月
市谷工場を新設

家内工業から脱却するために、東京市ヶ谷において市谷工場を新設。敷地面積5000坪の大規模工場として建設し、印刷物の大量生産を開始した。

1935年2月
日清印刷と合併・大日本印刷に商号変更
1949年5月
東京証券取引所に株式上場
1950年
労働争議が勃発・倒産危機

終戦後に左傾化した労働組合員(共産党員)による運動が激化。1950年には大日本印刷でも20日のストライキが勃発し、経営層と労働者の対立が深刻化した

証言
北島織衛氏(大日本印刷・社長)

実は戦後、うちには共産党員がたくさんいて、色々問題がありました。私は団交を4年間、朝から晩までやりました。世間では大日本印刷は潰れるんじゃないかと言われたし、私自身ももうダメだと思ったことが何度もあった。おそらく、従業員もそういう気持ちを持っていたと思います。印刷業は当時の共産党が狙う1つの拠点だった。おそのため有力なお得意は取られてしまったのです。

そこで、共産党から企業を守らなければならないということから、企業防衛隊を作りました。そしてレッド・パージで50何名かを解雇したけれども、新宿地区の党員が何百人か押しかけ、流血の惨事まで引き起こしたのです。あの時、従業員の中には頭を割られたりした人もいましたけれども、会社へ入れないよう防衛してくれたのです。

1951年6月
会社再建のため5ヵ年計画を策定

レッドパージにより過激化した組合員を解雇したことで労働争議を集結。1951年6月から経営再建のために「5ヵ年計画」を策定し、印刷業における設備投資を再開した。

1951年11月
国内工場の新設を積極化
1951年
11月
大崎工場を新設
1957年
8月
王子工場を新設
1967年
9月
横浜工場を新設
1972年
1月
赤羽工場を新設
1972年
12月
蕨工場を新設
1955年
北島織衛氏が社長就任

大日本印刷の社長に北島織衛氏が就任。エレクトロニクス領域(TV用シャドーマスクへの参入)の強化によって、印刷メーカーから総合メーカーへと転身し、北島氏は「中興の祖」と位置付けられた。

このため、大日本印刷では北島家が経営の支配権を握り、歴代の社長については、北島家の出身者が選ばれる体制が現在まで続いている。

1960年
エレクトロニクス製品工場を新設

印刷事業から多角化するために、エレクトロニクスの領域に参入。TV向けのシャドーマスクの生産を開始

証言
北島織衛氏(大日本印刷・社長)

われわれは、どうも出版という1本の柱だけに頼っておったのでは何と言っても基盤が脆弱で、われわれの努力以外の原因で会社の運命を左右されるとか苦しくなった利するような状態では困るので、毛利元就ではないけれども、なんとか3本くらいの柱を持って支えたいというので、同じ印刷技術を使って他の仕事を始めたわけです。

1963年1月
北海道コカ・コーラボトリングを設立

紙器印刷の事業を拡大することを目的として、コカコーラの日本展開における北海道地区のボトリングに参入。北海道コカ・コーラボトリングを設立して、北海道地区のコカコーラ製品におけるボトリング事業に参入した。

証言
北島織衛氏(大日本印刷・社長)

コカコーラから北海道をやってくれないか、という話があった。私としては、これを断るべきか、慎重に考えたのですが、断ればカドがたって、あとの仕事にも支障をきたすだろう。それなら思い切ってやって、ファミリー・メンバーになっておこう。そして、紙コップその他いろいろある印刷を一手にやろう、というふうに考えたわけです。根本は大日本印刷の受注量の拡大なのです。

1964年
リードフレームの生産開始
1966年7月
中央研究所を新設
1967年
半導体フォトマスクの生産開始
1968年12月
大日本ミクロを合併(上福岡工場)
1972年12月
蕨工場を新設
1979年
北島義俊氏が社長就任
証言
北島義俊氏(大日本印刷・社長)

独自の技術を開発していかなければならない。その技術も一つの分野だけでできるようなことは少なくなってきていますので、いろんな方面の技術が組み合わさった上で、新しい技術に発展していくということになると思うんです。ですから、やはりそういう研究開発部門、特に先ほど言いましたエレクトロニクスの部門と、あるいは建材の部門を伸ばしていきたい。

当社でも、いち早く自主開発を目標に、技術開発推進プロジェクトを結成して対応しております。

決算
大日本印刷の業績
1980年5月期(単体)
売上高
4239
億円
当期純利益
182
億円
1985年
液晶用カラーフィルターを開発
1996年
リチウムイオン電池電極材を開発
決算
大日本印刷の業績
1997年3月期(連結)
売上高
13101
億円
当期純利益
561
億円
1996年
液晶用反射防止フィルムを開発
決算
大日本印刷の業績
1997年3月期(連結)
売上高
13101
億円
当期純利益
561
億円
1999年
半導体PKG高密度ビルドアップ多層基板を開発
決算
大日本印刷の業績
2000年3月期(連結)
売上高
12867
億円
当期純利益
390
億円
2001年5月
21世紀ビジョンを策定
決算
大日本印刷の業績
2002年3月期(連結)
売上高
13119
億円
当期純利益
150
億円
従業員数
34868
営業CF
1338
億円
投資CF
-795
億円
財務CF
-255
億円
2006年7月
コニカミノルタから証明写真事業を買収
決算
大日本印刷の業績
2007年3月期(連結)
売上高
15578
億円
当期純利益
548
億円
従業員数
37740
営業CF
1230
億円
投資CF
-1507
億円
財務CF
-425
億円
2008年8月
丸善を買収
決算
大日本印刷の業績
2009年3月期(連結)
売上高
15848
億円
当期純利益
-209
億円
従業員数
40317
営業CF
1315
億円
投資CF
-1007
億円
財務CF
-339
億円
2009年3月
ジュンク堂書店を買収
決算
大日本印刷の業績
2009年3月期(連結)
売上高
15848
億円
当期純利益
-209
億円
従業員数
40317
営業CF
1315
億円
投資CF
-1007
億円
財務CF
-339
億円
2012年1月
市谷地区の再開発を完成
決算
大日本印刷の業績
2012年3月期(連結)
売上高
15072
億円
当期純利益
-163
億円
従業員数
39986
営業CF
1086
億円
投資CF
-801
億円
財務CF
-328
億円
2013年5月
ベトナム工場を新設
決算
大日本印刷の業績
2014年3月期(連結)
売上高
14485
億円
当期純利益
256
億円
従業員数
39524
営業CF
1201
億円
投資CF
-583
億円
財務CF
-800
億円
2018年
北島義斉氏が社長就任
決算
大日本印刷の業績
2019年3月期(連結)
売上高
14015
億円
当期純利益
-356
億円
従業員数
38051
営業CF
689
億円
投資CF
-1469
億円
財務CF
-321
億円
2023年1月
エリオットが大日本印刷の株式取得
決算
大日本印刷の業績
2023年3月期(連結)
売上高
13732
億円
当期純利益
856
億円
従業員数
36246
営業CF
379
億円
投資CF
-250
億円
財務CF
-524
億円
2023年2月
経営基本方針を発表(資産効率改善)
決算
大日本印刷の業績
2023年3月期(連結)
売上高
13732
億円
当期純利益
856
億円
従業員数
36246
営業CF
379
億円
投資CF
-250
億円
財務CF
-524
億円
2023年
シミックCMOを連結子会社化
決算
大日本印刷の業績
2024年3月期(連結)
売上高
14248
億円
当期純利益
1109
億円
従業員数
36911
営業CF
725
億円
投資CF
183
億円
財務CF
-1186
億円
2023年12月
新光電気の株式取得を発表(TOB)
決算
大日本印刷の業績
2024年3月期(連結)
売上高
14248
億円
当期純利益
1109
億円
従業員数
36911
営業CF
725
億円
投資CF
183
億円
財務CF
-1186
億円
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