大日本印刷の歴史

Updated:
免責事項
当サイト(名称:The社史)において、品質を向上させるために、Google LLCが提供するサービス「Google Analytics」を介してGoogle LLCに対して閲覧者が保持する情報(IPアドレス・閲覧URL・閲覧遷移元URL・閲覧日時・デバイス情報)を送信しています。また、当サイトは、開発者が公開情報を取り纏めて掲載したもので、個人的な見解を述べたものであり、正確性、完全性および適時性を保証しません。また当サイトの情報によって閲覧者に生じたいかなる損害も、本サイトの開発者は一切の責任を負いません。
1876
10月

秀英舎を創業

1876年(明治9年)10月に秀英舎(現大日本印刷)を東京数寄屋橋にて創業。定期刊行物を印刷する個人事業として経営された。

1894
1月

株式会社に組織変更

1896
11月

市谷工場を新設

家内工業から脱却するために、東京市ヶ谷において市谷工場を新設。敷地面積5000坪の大規模工場として建設し、印刷物の大量生産を開始した。

1935
2月

日清印刷と合併・大日本印刷に商号変更

1949
5月

東京証券取引所に株式上場

1950

労働争議が勃発・倒産危機

終戦後に左傾化した労働組合員(共産党員)による運動が激化。1950年には大日本印刷でも20日のストライキが勃発し、経営層と労働者の対立が深刻化した

証言
北島織衛氏(大日本印刷・社長)

実は戦後、うちには共産党員がたくさんいて、色々問題がありました。私は団交を4年間、朝から晩までやりました。世間では大日本印刷は潰れるんじゃないかと言われたし、私自身ももうダメだと思ったことが何度もあった。おそらく、従業員もそういう気持ちを持っていたと思います。印刷業は当時の共産党が狙う1つの拠点だった。おそのため有力なお得意は取られてしまったのです。

そこで、共産党から企業を守らなければならないということから、企業防衛隊を作りました。そしてレッド・パージで50何名かを解雇したけれども、新宿地区の党員が何百人か押しかけ、流血の惨事まで引き起こしたのです。あの時、従業員の中には頭を割られたりした人もいましたけれども、会社へ入れないよう防衛してくれたのです。

1951
6月

会社再建のため5ヵ年計画を策定

レッドパージにより過激化した組合員を解雇したことで労働争議を集結。1951年6月から経営再建のために「5ヵ年計画」を策定し、印刷業における設備投資を再開した。

1951
11月

国内工場の新設を積極化

1951年
11月
大崎工場を新設
1957年
8月
王子工場を新設
1967年
9月
横浜工場を新設
1972年
1月
赤羽工場を新設
1972年
12月
蕨工場を新設
1955

北島織衛氏が社長就任

大日本印刷の社長に北島織衛氏が就任。エレクトロニクス領域(TV用シャドーマスクへの参入)の強化によって、印刷メーカーから総合メーカーへと転身し、北島氏は「中興の祖」と位置付けられた。

このため、大日本印刷では北島家が経営の支配権を握り、歴代の社長については、北島家の出身者が選ばれる体制が現在まで続いている。

1960

エレクトロニクス製品工場を新設

印刷事業から多角化するために、エレクトロニクスの領域に参入。TV向けのシャドーマスクの生産を開始

証言
北島織衛氏(大日本印刷・社長)

われわれは、どうも出版という1本の柱だけに頼っておったのでは何と言っても基盤が脆弱で、われわれの努力以外の原因で会社の運命を左右されるとか苦しくなった利するような状態では困るので、毛利元就ではないけれども、なんとか3本くらいの柱を持って支えたいというので、同じ印刷技術を使って他の仕事を始めたわけです。

1963
1月

北海道コカ・コーラボトリングを設立

紙器印刷の事業を拡大することを目的として、コカコーラの日本展開における北海道地区のボトリングに参入。北海道コカ・コーラボトリングを設立して、北海道地区のコカコーラ製品におけるボトリング事業に参入した。

証言
北島織衛氏(大日本印刷・社長)

コカコーラから北海道をやってくれないか、という話があった。私としては、これを断るべきか、慎重に考えたのですが、断ればカドがたって、あとの仕事にも支障をきたすだろう。それなら思い切ってやって、ファミリー・メンバーになっておこう。そして、紙コップその他いろいろある印刷を一手にやろう、というふうに考えたわけです。根本は大日本印刷の受注量の拡大なのです。

1964

リードフレームの生産開始

1966
7月

中央研究所を新設

1967

半導体フォトマスクの生産開始

1968
12月

大日本ミクロを合併(上福岡工場)

1972
12月

蕨工場を新設

1979

北島義俊氏が社長就任

証言
北島義俊氏(大日本印刷・社長)

独自の技術を開発していかなければならない。その技術も一つの分野だけでできるようなことは少なくなってきていますので、いろんな方面の技術が組み合わさった上で、新しい技術に発展していくということになると思うんです。ですから、やはりそういう研究開発部門、特に先ほど言いましたエレクトロニクスの部門と、あるいは建材の部門を伸ばしていきたい。

当社でも、いち早く自主開発を目標に、技術開発推進プロジェクトを結成して対応しております。

1985

液晶用カラーフィルターを開発

1996

リチウムイオン電池電極材を開発

1996

液晶用反射防止フィルムを開発

1999

半導体PKG高密度ビルドアップ多層基板を開発

2001
5月

21世紀ビジョンを策定

2006
7月

コニカミノルタから証明写真事業を買収

2008
8月

丸善を買収

2009
3月

ジュンク堂書店を買収

2012
1月

市谷地区の再開発を完成

2013
5月

ベトナム工場を新設

2018

北島義斉氏が社長就任

2023
1月

エリオットが大日本印刷の株式取得

2023
2月

経営基本方針を発表(資産効率改善)

2023

シミックCMOを連結子会社化

2023
12月

新光電気の株式取得を発表(TOB)

2025 (c) Yutaka Sugiura
売上
大日本印刷:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
14,248億円
売上高:2024/3
利益
大日本印刷:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
7.7%
利益率:2024/3
内容の正確性、完全性および適時性を保証しません