歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1957年、米山稔氏が新潟県越路町(現長岡市)で米山木工所として漁具用の木製浮きなどを製造していた。戦後の合成樹脂普及でこの木工製品の需要が消え、家業の収益基盤が縮んだ。稔氏はそこでバドミントンラケットへ後発参入し、1958年6月に米山製作所を設立する。当初は英米の販売店向けOEM委託で木製ラケットを量産したが、主要取引先の倒産で連鎖倒産の危機に直面し、外国銘柄での受託をやめて自社の名で売る道へ切り替えた。
決断自社の名で売ると決めた稔氏は、それを国際市場で通る形に磨いた。1961年に東京営業所を設けて自社ブランド販売を始め、1969年には台湾製の安価品に対抗してテニスへ広げた。1974年には発音しにくい「ヨネヤマ」を捨て「YONEX」を商標出願し、海外で読める名へ改める。1981年の西ドイツ進出を皮切りに、米国・英国・台湾と6年で欧米アジアの直販生産網を組み上げ、1994年に東証二部へ上場して、地方の木工所をグローバルブランドへ仕立て直した。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1957年〜1994年 木工製品の衰退からバドミントン世界ブランドへの転身
漁具用浮きからバドミントンラケット後発参入へ
ヨネックスの原点は、1946年に米山稔氏が新潟県三島郡越路町(現新潟県長岡市)で米山木工所として漁具用浮き等の木製品の製造販売を始めた家業にある[1][2]。戦後の素材革命で漁具用浮きをはじめとする木工製品の需要が合成樹脂に置き換えられ、家業の収益基盤が縮小する局面で、米山稔氏は1957年にバドミントンラケットのOEM製造への後発参入を選んだ[3]。1958年6月、株式会社米山製作所を設立し、本社所在地を越路町に置いて木製ラケットの製造販売を本格化した[4]。
創業期の主軸は英国・米国の販売会社向けOEM委託生産で、自社ブランドではなく外国販売店の銘柄で輸出する受託モデルから出発した。だが間もなく主要取引先の倒産に直面し、連鎖倒産の危機をきっかけに自社ブランド展開へ方針を変えることを決めた[5]。
自社ブランドへの転換と東京・新潟の二極体制
1961年11月、東京都台東区に東京営業所を設置して国内・輸出の販売部門を整え、自社ブランドによる販売を開始した[6]。OEM主体の受託モデルから自社ブランドへ販売主導権を移す第一歩で、創業3年目で販路の組み替えに着手した。同年12月には本社(現新潟工場)第一工場を越路町に建設し、主力生産拠点を整えた[7]。1963年4月には貿易部門を分離して株式会社ヨネヤマスポーツ(現ヨネックス海外営業部)を設立、輸出業務を強化した[8]。
1965年6月、有限会社ミノルスポーツ(現ヨネックス東京工場)を設立してシャトルコックの製造販売を開始、ラケットとシャトルの内製化を実施した[9]。1967年2月、株式会社米山製作所を株式会社ヨネヤマラケットへ商号変更、1968年9月にヨネヤマラケット東京工場を埼玉県南埼玉郡八潮町に建設してシャトルコックの製造能力を増強した[10][11]。新潟(ラケット)・埼玉(シャトル)の二工場体制を1960年代後半までに固めた。
テニス参入と「YONEX」商標による国際化
1969年1月、本社第一工場を増設してテニスラケットの製造を開始した[12]。バドミントン専業からテニスへの進出は、当時市場で広がっていた台湾製ラケットへの対抗策で、バドミントン専業のままでは台湾製の安価品に市場を奪われる懸念があった。1971年7月、東京営業所を東京都文京区(現本社所在地)へ移転して東京本店に昇格させた[13]。1974年1月、株式会社ヨネヤマラケットをヨネックススポーツ株式会社へ商号変更し、併せて「ヨネックス」(YONEX)の商標を出願した[14]。海外展開を見据えて、発音しづらいローカル名「ヨネヤマ」を国際市場で読みやすい「YONEX」に切り替える判断となった[15]。
1978年7月に大阪市天王寺区へ大阪出張所(現大阪支店)を設置、1981年7月には西ドイツに現地法人YONEX SPORTS GmbH(販売会社)を設立して欧州市場への直接展開の起点を打った[16][17]。1982年7月、ヨネックススポーツ株式会社をヨネックス株式会社へ商号変更し、同時にゴルフ事業へ進出して新素材のゴルフクラブを発売した[18]。海外展開に備えてブランドと社名を「ヨネックス」に統一する判断で、バドミントン・テニスに続く第3事業としてゴルフを加えた格好となった。1983年2月にヨネックス東京工場でストリングの製造を開始、1983年8月にはアメリカに現地法人YONEX AMERICA INC.を設立して米国市場へ直接参入した[19][20]。1987年3月にイギリスへYONEX U.K. LIMITEDを設立、同年7月に台湾へ生産会社YONEX TAIWAN CO., LTD.を設立し、欧米・アジアの直販生産網を6年間で組み上げた[21]。
1990年4月、本社を東京都文京区湯島3丁目23番13号へ移転、ヨネックス東京工場とヨネックス貿易の2社を吸収合併、創業32年で東京本社と新潟生産拠点の二極構造を固めた[22]。1994年2月、東京証券取引所市場第二部へ上場、創業から36年で資本市場へのデビューを果たした[23]。1957年に新潟・越路町で漁具用浮きから始めた家業が、バドミントン専業からテニス・ゴルフへの多角化と欧米アジアの直販生産網構築を経て、上場企業として資本市場と接続する局面に到達した。
1995年〜2022年 創業家3代の承継・ゴルフ場の減損とコロナ禍
米山稔氏から弟・宏作氏への第一次承継
1997年、創業者・米山稔氏(当時72歳)は弟・米山宏作氏へ社長を譲り、創業38年で第一次世代承継を行った[24][25]。米山宏作氏は1997年から2007年までの10年間を社長として率い、上場直後の事業基盤拡充と海外子会社網の整備を実施した[26]。1996年1月にはアメリカに現地法人YONEX CORPORATION U.S.A.を設立して旧YONEX CORPORATIONの業務を継承、北米市場の体制を再編した[27]。1996年7月にはヨネックス寺泊カントリークラブが営業を開始し、1989年4月設立のヨネックス開発が新潟県内で取り組んできたゴルフ場運営事業が実現に至った[28]。
だがバブル崩壊によるゴルフ需要の減退で寺泊カントリークラブは想定した稼働を確保できず、その後のスポーツ事業評価で減損を計上した。1994年2月の上場直後からスキー・ゴルフのスポーツ需要が低迷する局面が続き、FY05(2006年3月期)の連結売上高344億円・経常利益16億円・純損失52億円と上場後初の純損失を計上した。海外子会社の事業再評価による特別損失が響き、米山宏作社長の在任末期に構造改革を実施した。創業者・稔氏が1980年代に欧米アジアの直販生産網構築と並行して1989年に着手したゴルフ場事業が、弟・宏作氏の代でバブル崩壊の余波を受けて減損対象に転じた格好となる。
米山勉氏(第3代)・林田草樹氏(第4代)の20年と物流再編
2007年、米山宏作氏(第2代社長)から創業者・米山稔氏の長男・米山勉氏(第3代社長)への承継が実施された[29]。米山勉氏は2007年から2015年までの8年間を社長として率い、リーマンショック後の市場回復期の経営を担った[30]。連結売上高はFY06(2007年3月期)354億円からFY13(2014年3月期)432億円へ8期で1.2倍に拡大し、FY07からFY13にかけて回復軌道を維持した。2010年7月には中国にYONEX GOLF CHINA CO.,LTD.を設立して中国直販拠点を置いた[31]。2010年12月にはアメリカ現地法人YONEX CORPORATION U.S.A.をYONEX CORPORATIONへ社名変更、2011年8月にはカナダ現地法人YONEX CANADA LIMITEDを清算してYONEX CORPORATIONへ業務を集約した[32]。
2015年、米山勉氏(第3代社長)から非創業家の林田草樹氏(第4代社長)への承継が実施された[33]。創業家3代(稔氏・宏作氏・勉氏)連続承継から外部出身の社長への切り替えで、創業家集中経営に外部視点を入れる人事となった。林田草樹氏は2015年から2022年までの7年間を社長として率い、2014年11月の全国物流拠点を東西2拠点へ統合する東・西日本物流センター設置で物流網の集約効率化を実施した[34]。連結売上高はFY14(2015年3月期)476億円からFY19(2020年3月期)620億円へ5期で1.30倍に拡大し、営業利益はFY16(2017年3月期)41億円・利益率6.8%を到達点として復元した。2016年3月期以降は世界的プレーヤーとの契約締結を通じて広告宣伝費へ積極投資し、契約選手の活躍を起点にブランド認知を広げた。
コロナショックとアリサ・ヨネヤマへの3代目回帰
2019年6月に新潟生産本部を「新潟工場」へ改称した[35]。2019年12月、林田草樹社長は東洋造機株式会社(現ヨネックス精機株式会社)の発行済株式を追加取得して完全子会社化、ラケット製造に必要な金型技術を内製化した[36]。だが2020年3月以降のコロナショックでスポーツ大会の中止や活動自粛が直撃し、FY20(2021年3月期)の連結売上高は516億円と前期比16.8%減、営業利益10億円・利益率2.0%まで沈み込んだ。創業以来、国際大会と契約選手の活躍を需要喚起の起点とするスポーツ用品メーカーの脆弱性が露呈した時期である。
2021年12月にはテニスボール製造会社BRIDGESTONE TECNIFIBRE CO.,LTD.(現YONEX TECNIFIBRE CO.,LTD.)の株式を取得して子会社化、テニスボール事業への参入を果たした[37]。2022年6月、林田草樹氏(第4代社長)から米山有沙(アリサ・ヨネヤマ)氏(第5代社長、創業者・米山稔氏の孫)への承継が行われ、当時アリサ氏は34歳で、創業家3代目への回帰と若年女性CEOの就任が国内上場企業として注目を集めた[38]。米国Berkeley卒のアリサ氏は、就任時点で北米・インドへの注力を表明した[39]。
2022年〜現在年 グローバル成長戦略(GGS)と過去最高売上1,383億円(2022〜現在)
過去最高1,383億円の裏に残る東アジア偏重
アリサ・ヨネヤマ氏(第5代社長)の就任直後のFY21(2022年3月期)は連結売上高745億円(前期比44.4%増)・営業利益67億円(前期比6.5倍)と、コロナ前水準を回復した。続くFY22(2023年3月期)は売上高1,070億円・営業利益101億円、FY23(2024年3月期)は1,164億円・営業利益116億円、FY24(2025年3月期)は1,383億円・営業利益142億円と、就任後4期連続で過去最高売上高を更新した。コロナ底のFY20売上高516億円から3年でほぼ2.7倍に拡大している。
反転を後押ししたのは、2024年のパリ五輪をはじめとする国際大会と、バドミントン・テニス両競技でのヨネックス契約選手の好成績である[40]。大会の再開とトップ選手の活躍がスポーツ市場を活性化させ、ヨネックスのラケット・シャトル・ストリングへの需要を押し上げた。創業以来、国際大会と契約選手の活躍を需要喚起の起点とするヨネックスの収益構造は、コロナ禍では大会中止が売上を押し下げ、回復期には大会再開と選手の活躍が増収を牽引した。同じ収益構造が、需要環境しだいで売上を両方向へ動かした3年である。
一方で地域構成には偏りが残る。FY24の地域別売上はアジア49.2%・日本42.0%・米州5.0%・欧州他3.8%で、アジアと日本に9割が集中する。アリサ・ヨネヤマ社長が就任時点で表明した北米・インドへの注力は、米州5.0%・欧州他3.8%という小さな現状からどこまで上積みできるかにかかる。米国Berkeley卒で2022年に34歳で就任した同社長は、創業者・米山稔氏の孫にあたる3代目で、就任会見でも北米とインドを成長余地の大きい市場として挙げた[41]。米州・欧州で契約選手とブランド認知を広げ、東アジア偏重を中期で是正できるかが、アリサ・ヨネヤマ社長の次の課題となる。
海外分散ではなく新潟集約を選んだGGS投資の回収
アリサ・ヨネヤマ社長は就任以降、グローバル成長戦略(GGS)の名称で中期方針を公表した。GGSの目標は4点に整理される。第一に地域構成(東アジア中心から東南アジア・インド等への分散)、第二にものづくり(高性能・高品質な製品による顧客起点の製品開発)、第三にグローバルIT基盤の整備、第四に人材のグローバル化である[42]。「事業規模が拡大し、お客様もグローバルに拡大」(FY24決算説明資料)したとの現状認識のもとで、ヨネックスは海外生産への分散ではなく、新潟県長岡市の生産拠点を中心とした設備投資を選んだ[43]。
投資の中身は新潟・長岡への集約である。2024年7月、長岡工場の隣接地に研究開発施設「Yonex Performance Innovation Center」を開設し、各拠点に分かれていた研究開発機能を一カ所へ集めた[44]。あわせてテニスラケット新工場(新潟県長岡市、2025年春完成予定)を着工し、テニス事業の生産能力を増強した[45]。FY24(2025年3月期)の投資活動キャッシュフローは△57.6億円で、研究開発施設・テニスラケット新工場・増産と維持更新の設備投資に充てた。バドミントンに次ぐ第2の柱であるテニスの生産を新潟へ取り込み、量産と研究開発を同じ地に集める狙いである。
1957年の創業から68年にわたり、ヨネックスは創業地の越路町(現長岡市)に主力生産拠点を置いてきた[46]。海外への生産分散ではなく新潟へ研究・開発・量産機能を集めるGGSの設備計画は、この長期方針を継いだ選択である。品質を起点にブランド競争力を保つ設計だが、テニス増産と研究開発集約への数年がかりの投資が利益率としてどれだけ回収できるかは、FY25(2026年3月期)以降の業績で確かめられる。海外分散ではなく新潟集約を選んだ判断の成否が、過去最高益を更新したアリサ・ヨネヤマ社長の次の収益課題となる。
創業者個人株から財団・海外投資家へ移る株主基盤
株主還元では、DOE(株主資本配当率)3%程度を目安とした中長期の安定配当を維持している[47]。FY24(2025年3月期)の年間配当金は前期16円から22円へ増配し、FY25(2026年3月期)予想は24円と、業績拡大に応じて増配を続けた[48]。売上高がFY20の516億円からFY24の1,383億円へ拡大するなかでも、利益額に連動した一括還元ではなく、株主資本に対する一定率を据える方針を選んでいる。過去最高益の更新が一過性の市場回復に支えられている面を踏まえ、配当水準を業績の振れから切り離す設計である。
創業家の保有構造も変わった。創業者・米山稔氏(2019年逝去)の個人保有分は、公益財団法人ヨネックススポーツ振興財団(11.06%・筆頭株主)と公益財団法人新潟県スポーツ振興米山稔財団(4.66%)へ移管が進んだ[49]。創業者個人が握っていた株式が、スポーツ振興を担う公益財団へ移った形である。一方で外国法人等の保有比率はFY23(2024年3月期)20.58%からFY24(2025年3月期)26.96%へ上昇し、海外機関投資家の組み入れが拡大した。創業家・財団と海外投資家という二つの株主層が並ぶ構造へ移っている。