売上
パイロットコーポレーション:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
1,261億円
売上高:2024/12
利益
パイロットコーポレーション:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
11.9%
利益率:2024/12
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1918
株式会社並木製作所を設立
1926
インキの製造販売を開始
1927
シャープペンシルの製造販売を開始
1935
12月

東京工場を新設

東京都板橋区(志村)にて「志村工場」を新設。1966年に東京工場に名称を変更

1938
商号を「パイロット萬年筆株式会社」に変更
1948
平塚工場を新設
1950
子会社で製造分担を開始
1961
ボールペンの製造を開始
1961
東京証券取引所に第2部に株式上場
1962
4月

平塚新工場の新設・設備近代化

万年筆の輸入自由化に対応

万年筆の輸入自由化に備えて、海外メーカーの輸入品に対抗するために、パイロット万年筆(和田正一郎・社長)は平塚工場の増設を実施。1956年に策定した経営計画に基づき、設備の導入および更新を実施。近代的な生産設備を導入し、万年筆の量産によるコストダウンを志向した。詳細な定義は不明だが、平塚工場における生産効率(能率)は従来比の3倍を達成したという。

萬年筆の年産720本の体制

平塚工場の設備近代化により、パイロットは万年筆の生産量で年間1200万本を達成。従来の志村工場では年産量のうち40%を担当し、平塚工場では同60%(年間720万本)を生産。パイロットにおいて平塚工場が万年筆量産の基幹工場となった。

なお、1962年時点において、平塚工場における従業員数は約1100名であり、このうち約半数が女性工員であった。これは、万年筆の組み立て工程において、人員を必要としたためであった。

証言
和田正一郎(パイロット萬年筆・社長)

平塚新工場の特色を申しますと、この工場を建てますのにつきまして、特に生産合理化の点を大いに考慮して作ったということです。生産能率向上の点で、一番重要なことは、今までの旧工場では流れ作業が部門部門で途切れていましたが、今度の工場ではそれを全部まとめたことによって、各部品から仕上がりまでが一貫流れ作業でできるようになったということです。

それから第二の点は、この工場を計画したのは約5年前ですが、その間にずいぶん技術的に進歩したという点があります。

1948年
11月
平塚工場を新設
1962年
4月
平塚工場の設備近代化
経済時代 27(11), 1962/11
1962
12月

小売店への直販重視

1962年の時点で販売高のうち約40%が小売店への直売。問屋を介さない流通機構で注目された。

日本の流通革命, 田島義博著, 日本能率協会, 1962
1968
万年筆の市場低迷で経営危機へ
1969
経営の多角化を開始
1972
米国に現地法人を新設
1978
11月

国内3工場を新設

1978年1月に戸田工場を新設。ホワイトボードの生産を開始。

1978年9月に東松山工場を新設。高級筆記具の金属部品の生産を開始。

1978年11月に伊勢崎工場を新設。ボールペンの量産を開始。

1979
4月

東京工場を売却

生産移管に伴い東京工場(東京都板橋区志村)を約20億円で売却。売却益は「伊勢崎・東松山・戸田工場」の新設のための投資に充当された。

1984

OA部門に注力

萬年筆・筆記具に代わる事業を育成するために、OA機器への注力を決定。

1987
香港系投資家が株式取得
1989
商号を株式会社パイロットに変更
1991
電子文具で貸倒れ・社長辞任
1994
欧州に現地法人を新設
1995
筆記具の開発体制を強化
1997
3月

ボールペン「G-2」を米国発売

1997年にノック式のゲルインキ型のボールペン「G-2」を米国で発売。米国では同類のボールペンは業界初の製品となり、ロングセラー製品に育った。2024年12月までの累計出荷数は46億本に到達。

1999
伊勢崎第2工場を新設
1999
4月

建材事業から撤退

多角事業である建材事業からの撤退を決定。ビル向けの「アルミ製外装パネル」の生産を中止し、事業を同業である古河アルテック(1997年に提携)に譲渡した。

1997年
5月
古河アルテックと提携
1999年
4月
建材事業から撤退
日経産業新聞:パイロット、建材事業から撤退――古河アルテックに継承, 1999/4/26
1999
伊勢崎第2工場を新設
2001
12月

株式移転によりパイロットグループHDを発足

子会社と本社における重複投資を解消するために、グループで持ち株会社としてパイロットホールディングスを発足。

2003
商号をパイロットコーポレーションに変更
2006
11月

子会社の生産縮小

子会社パイロットプレシジョンにおいて神奈川県内の2工場(本社工場および豊田工場)の閉鎖を決定。海外の低価格品との競争激化により、生産縮小を実施

日経産業新聞:パイロット、拠点集約で効率化、製造子会社を統合, 2006/11/28
2007

消せるペン「フリクション」を発売

温度で色変化するメタモインキを開発

1975年にパイロットは温度によって着色が変化する特殊インキ「メタモインキ」を開発して特許を取得。現在の「消せるボールペン」の基本技術の開発に成功した。ただし開発当初における温度の変化レンジが「摂氏数度」と小さく筆記具には向かなかった。このため、お風呂向けのおもちゃ(温水につけると柄が変化うする)や、ロンドンオリンピックにおけるチケットの偽造防止などに、限定的な用途において利用されていた。

メタモインキによる「消えるボールペン」の開発に着手

長らくメタモインキによる筆記具への開発は進展しなかったが、2001年にパイロットはメタモインキを使用した筆記具の開発に着手。消せるボールペンをの実用化を目指して、すでに開発されていたメタモインキの技術改良に着手した。

技術的には、メタモインキをボールペンで利用するための「マイクロカプセル」の開発に注力した。メタモインキは粒子を小さくする必要があり、さらにマイクロカプセルにおいて「ロイコ染料・顕色剤・変色温度調整剤」の3つの成分を混合する点に技術的な困難さが存在したという。

2002年までにパイロットの開発陣は、マイクロカプセルの小型化(直径2-3ミクロン)に成功。加えて、メタモインキについても研究開発が進み、色が変化する温度帯を「摂氏65度〜マイナス20度」という広い範囲で実現。この結果、常温で色が変化することを回避でき、消せるボールペンをメタモインキによって実用化できる見込みができた。

消せるボールペン「フリクション」をグローバルで発売

2006年にパイロットは欧州において消せるボールペン「フリクション」を発売したところ、爆発的なヒットを記録。これを受けて、2007年には日本国内でも「フリクション」を発売した。

フリクションは画期的なボールペンとして、グローバルで販売を拡大。パイロットにおけるロングセラー製品に育った。2024年12月までにパイロットは「フリクション」のシリーズにおいて、累計47億本を出荷した。

1975年
メタモインキの特許取得(温度で色変化)
2001年
メタモインキを使用した筆記具の開発を開始
2001年
筆記具「イリュージョン」を発売
2005年
メタモインキの性能改善(温度変化の幅を拡大)
2006年
消せるペン「フリクション」を欧州発売
2007年
消せるペン「フリクション」を国内発売
パイロット:もっと知りたい!フリクション
2008
パイロットプレシジョンを吸収合併
2009
10月

湘南開発センターを設置

国内の開発拠点を、神奈川県平塚(旧平塚工場)に集約。湘南開発センターを新設。商品企画を行う開発部と、生産技術部の連携を強化

2009年
6月
平塚工場の建て替えを発表
投資予定定額 49 億円
2009年
10月
湘南開発センターを設置
2023
1月

マークスグループHDを買収

2023年1月にマークスグループHD(東京都世田谷区・本社)の株式69.7%を取得。同社が手掛ける「ノート・手帳」などの筆記具以外の文具の拡充が目的。買収価格(取得原価)は9.3億円であり、のれん1.3億円を計上。

2023
9月

パイロットインキのみよし工場を稼働

子会社のパイロットインキにおいて、愛知県みよし市に「みよし工場」を新設。約56億円を投資

2024
10月

蛍光ペン「KIRENA」を発売

1秒で乾く速乾性のインキを使用した蛍光ペン「KIRENA」を国内で発売

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