シチズン時計の歴史

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1918

尚工舎時計研究所を創業

時計国産化のために、1918年に尚工舎時計研究所(現シチズン)を創業。すでにセイコー(服部時計店)が時計製造でシェアを確保しており、シチズンは後発参入となった。

1930
5月

シチズン時計株式会社を設立

1935
6月

田無工場を新設

時計量産のために、西東京市に田無工場を新設

1941
9月

日東精機を買収・工作機械に参入

時計製造における精密加工技術を社内に蓄積するため、工作機械の内製化を決定。1941年に日東精機を買収した。

当初は時計製造のための工作機械の製造に従事していたが、1961年から工作機械の外販に着手。シチズンとして工作機械の事業展開を開始し、1980年代にはCNCなどの新機種の開発を通じて工作機の事業展開を本格化した。

1941年
9月
日東精機を買収・工作機械に参入
1961年
工作機械の外販開始
1949
5月

東京証券取引所に株式上場

1954
6月

国内拠点を拡充

1950年代を通じて欧米向けの女性向け腕時計の輸出を強化。国内の生産体制を増強するために、国内子会社を通じて工場を新設

1954年
6月
本社を西新宿に移転
1959年
7月
御代田精密(株)を設立
1960年
7月
河口湖精密(株)を設立
1964年
8月
技術研究所を新設(所沢)
1964
10月

事務機の生産開始

時計製造で培った精密加工技術を応用し、多角化のために事務機(計算機)に参入。1965年に電子加算機「CA10」を発売した。1969年には電卓向けの印刷機械としてプリンター「P12」を発売し、印刷事務機へ参入

1970
2月

香港に現地生産子会社を新設

1970
6月

ブローバー社と合弁会社を設立

1975
4月

米国に現地法人を新設

1976

時計用ムーブメントの外販を決定

水晶振動子の技術革新

1970年代を通じて水晶振動子の軽量小型化が進行し、腕時計に組み込めるクーオーツ時計の時代が到来。水晶振動子の採用によって日差が最小に抑えられ、故障も抑制できることから、従来の機械式の時計を駆逐した。

クオーツの領域においては、セイコーが技術開発で先行しており、シチズンは後発に相当した。シチズンは1976年に「時計用シリンダー型音叉水晶振動子」を開発し、クオーツ時計への参入準備を整えた。

ムーブメントの外販を開始

1976年からシチズンは腕時計のムーブメントである水晶振動子(クオーツ用電子部品)の外販を開始した。時計メーカーにとってはムーブメントは心臓部分であり、外販を巡って社内で議論が紛糾したが、大量生産によるコストメリットを享受するために外販を決断した。1979年には国内におけるムーブメント量産のために、増産投資を実施した。

国内で生産されたムーブメントは香港などの時計生産国に輸出され、現地で組み立てられて製品となり、低価格な10ドルウォッチとして欧米を中心に輸出された。

世界シェアトップを確保・セイコーを凌駕

シチズンはムーブメントの大量生産によって、販売価格の抑制を達成。コスト競争力によって時計生産量を増大した。1986年度にシチズンは腕時計の生産量で世界シェア1位を確保し、長年トップであったセイコーを凌駕した。

1976年
音叉水晶振動子「CFS308/206」を開発
1976年
音叉水晶振動子「CFS145」を開発
1976年
時計用ムーブメントの外販を決定
1986年
12月
腕時計で世界シェア1位
腕時計 生産量世界シェア 1
証言
春田博(シチズン時計・社長)

80年代初めにモジュールの外販(駆動部分だけを他社に売ること)を当社が初めて本格的に始めたんです。時計屋としては清水の舞台から飛び降りるような決断でしたが、これが一つの転機となって、当社の腕時計を世界的な規模で事実上のスタンダード(標準)とすることができた。

この結果、生産の規模が増え、貴重品だった時計の値段が大幅に下がって大衆のものとなり、品質面でも「どんな環境で使われようとも、どんなに安い品であろうとも止まらない」ものになったわけです。それによって発展途上国でも時計の需要がワッと増えた。ですから標準化をできたことはシチズン時計にとってだけでなく産業史的にみても非常に良かったと思います。

1998/8/24 日経ビジネス
日経産業新聞, 1976/11/13
日経ビジネス, 1991/5/6
日経ビジネス, 1998/8/24
1981

情報機器事業部を発足

1982年にシチズン(山﨑六哉社長)は中期計画を発表。時計以外の事業の売上比率を50%に高める目標を設定し、事業展開の多角化を志向した。多角化事業としては、すでに事業が軌道にのっていた工作機械に加え、先端分野(フロッピーディスク、プリンター、液晶)を選定した。

1981年
情報機器事業部を発足
1982年
中期計画を発表・時計以外に多角化
1984年
フロッピイーディスクに参入
1984年
小型液晶テレビに参入
1985年
PC向けプリンターに参入
日経ビジネス, 1985/4/29
1989

パソコンの生産開始

多角化の一環として、1989年からパソコンの生産を開始。米国のコンパック向けにOEMとして供給

日経ビジネス, 1990/7/16
1991

半導体製造装置への参入断念

1986年にシチズンは半導体製造装置に参入するため、米パーキンエルマー社と提携。国内にパーキン・エルマー・シチズン(所沢本社)を合弁会社として発足したが、1991年に合弁会社の解散を決定した。

解散に至った理由は、エルマー社が得意とした露光装置(ステッパー)の領域において、日本企業(ニコンおよびキヤノン)がシェアを拡大したことにあった。1989年にパーキン・エルマー社は半導体製造装置の事業売却を決定し、合弁会社における製造装置の事業継続が困難に陥った。

証言
春田博(シチズン時計・専務)

当社としても技術ノウハウを活かせる分野として半導体製造装置をとらえており、チャンスがあれば乗り出したいと考えていました。また、ハイテク分野の強化で、時計メーカーから精密技術のシチズンという企業イメージに転換したい希望を持っていました。そこへ、この分野では(当時)世界最大規模の企業からの打診ですから、大いに検討に値しました。

事前の調査は十分したつもりです。米国の専門調査会社に依頼し、パ社の実力を調べ、日本の半導体製造装置メーカーからも情報を収集しました。

80年代後半、米国の半導体製造装置メーカーは雪崩を打ったように総崩れしてしまい、代わって日本企業がものすごい勢いでシェアを伸ばしていった。そしてあっという間に日本企業の独占状態になってしまった。しかし、調査の時点では、確かに米国メーカーの競争力低下が目立ってきてはいたが、今日のような姿を予想することはできませんでした。

1991/11/25 日経ビジネス
日経ビジネス, 1991/11/25
1991

小型液晶パネルの増産投資

1992

HP社とHDD装置で提携

1995
1月

山田栄一氏が逝去

シチズンで約35年にわたって社長を歴任した山田栄一氏(社長歴任:1946年〜1981年)が逝去

2001
3月

本社を西東京市田無に移転

2005
5月

グループ5社を完全子会社化

2007
3月

電子デバイス事業の選択と集中

電子デバイス事業の縮小

2007年にシチズンは中期経営計画を策定。電子デバイス事業について「選択と集中」を掲げ、不採算事業から撤退と、注力事業への投資を決定した。電子デバイス事業は「カメラモジュール部品・小型液晶パネル・フロッピーディスク・液晶バックライト・音響・HDD向けサブルトレート」など幅広く事業を展開しており、収益事業に絞り込むことを意図した。

以後、2000年代から2010年代を通じて、シチズンは多角化事業の主軸であった「電子デバイス事業」について段階的な縮小を実施。2012年3月期には電子デバイス事業を「デバイス事業」に再編し、自動車部品事業をデバイス事業に組み込む措置で、売上の目減りを防止した。

携帯電話カメラ部品・小型液晶パネルから撤退

2007年3月に携帯電話向けカメラ部品および小型液晶パネルからの撤退を決定。段階的に生産設備の縮小を実施した。

2015年には液晶生産の子会社だった「シチズンセイミツ八戸」について会社清算を決定。同社は青森県八戸において、小型液晶パネルの生産に従事していたが、工場閉鎖と子会社清算を決定した。工場跡地については多摩精機が取得し、同社のジャイロ部品の生産拠点として転用された。

電子デバイス事業で減損計上

2009年に電子デバイス事業のうち、不採算3事業から撤退。2009年3月期に特別損失58億円を計上し、シチズンHDは258億円の最終赤字に転落した。特別損失のうち、減損損失の内訳は主に国内および中国における清算設備・有休資産における減損計上が中心であった。

2007年
3月
カメラ・液晶部品から撤退
2009年
3月
不採算3事業から撤退
日経XTEXH:シチズン時計が中期経営計画を策定,CMOSや液晶パネルから撤退, 2007/3/23
日経新聞, 2007/3/24
日経産業新聞, 2009/2/12
日系企業活動情報, 2012/5/17
2007
5月

シチズンHD株式会社に商号変更

2008
1月

Bulova Companyを買収

米国の老舗腕時計メーカーであるブローバー社(Bulova Company・1911年から時計製造を開始)を288億円で買収。Bulovaのブランド取得により、時計のグローバル販売の拡大を意図した。

2008
10月

ミヤノを買収(TOB)

工作機械メーカーのミヤノ(2004年に東証2部へ株式上場・福島県に本社)に対してTOBにより買収

2012
4月

Prothor HDを買収

機械式腕時計の部品メーカー(機械式ムーブメントの星座王開発)であるProthoe Holding S.A.を59億円で買収

2013
6月

希望退職者を募集

日経産業新聞, 2013/6/24
2015
2月

中国広州工場を解散

2012年にシチズンHDは中国広州の現地法人で運営する時計工場について、工場閉鎖および会社解散を決定。従業員約1000名を即日解雇した。

日経新聞:シチズン、中国工場1000人一斉解雇の衝撃, 2015/2/23
2016
10月

シチズン時計に商号変更

2013年から開始した中期経営計画「シチズングローバルプラン2018」を通じて、事業ポートフォリオにおいて時計事業に注力した。このため、時計事業への注力に最適化した組織体制を志向し、2007年に採用した「持株会社」から「時計事業を営む事業持株会社」への移行を決定。2016年に商号をシチズンHDからシチズン時計に変更した。

2020
7月

子会社で希望退職者を募集

時計の販売不振を受けて、シチズン時計マニュファクチャリング(所沢市本社)において希望退職者550名の募集を発表。632名が応募して退職した。

日経MJ, 2020/11/25
2023
2月

自社株買いを実施

2025 (c) Yutaka Sugiura
売上
シチズン時計:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
3,128億円
売上高:2024/3
利益
シチズン時計:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
7.3%
利益率:2024/3
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