結果

リコーの長期業績

1950年〜2024年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
23,489億円
売上高:2024/3
売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結
1.8%
利益率:2024/3
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
日本
-
8656億円
米州
-
6597億円
欧州・中東・アフリカ
-
6237億円
その他地域
-
1998億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
営業利益
2024/3 | 連結
日本
非開示
億円
米州
非開示
億円
欧州・中東・アフリカ
非開示
億円
その他地域
非開示
億円
1936
2月

理研感光紙株式会社を設立

市村清氏:保険セールスから感光紙販売へ

リコーの創業者である市村清氏は、大学卒業後に大東銀行へ就職して北京で業務に従事したが、1927年の昭和恐慌により同行が閉鎖された。そこで、地元の九州に帰郷し、富国生命の保険営業に従事するセールスマンに転身した。

当初は営業活動に苦戦し、祭祀を伴って東京への夜逃げを考えたというが、諦めかけた時に訪問した顧客(大江高等女学校の校長)で保険を成約。顧客からの紹介により、教員を中心に、九州地区における保険の販売を軌道に乗せ、保険セールスの仕事を継続するに至った。

保険セールスの過程で、1929年ごろに資産家の顧客から「理研が開発した感光紙(印刷専用紙)の営業をやらないか」と提案されて承諾。福岡市内に「理研感光紙九州総代理店」を発足して販売に従事した。

当時は印刷専用の感光紙が必需品であり、主に設計現場に対して販売された。主な販売先としては「三菱造船(長崎)、三井三池炭鉱、八幡製鐵所」といった大企業の開拓に成功した。販路を拡大するために満洲にも進出し、満洲鉄道との取引を開始するなど、市村氏は感光紙の販売で注目される存在となった。

理研本社に市村清氏が抜擢・社内無視により行き詰まり

感光紙の製造元である理研の大河内正敏氏(理研グループの創業者)は市村氏の存在を知り、理研本社の感光紙部長として抜擢。当時35歳であった市村清氏を高給で本社に迎え入れた。

ところが、理研の本社において、市村清氏は社員から無視をされた。若い年齢で外部から登用された人物が高給迎え入れられたことに対して、社内で反発(嫉妬)があったと推定される。本社では決まった業務もなく、市村清氏は暇を持て余す形となった。

そこで、市村清氏は痺れを切らして職務放棄を決定。理研の経費を使って、昼間から銀座のクラブ「サロン春」に3ヶ月間通い詰めるなど、仕事をしないでわざと遊びに興じた。この事情が明らかとなり、理研の役員会で、感光紙部門を全て市村清氏に任せる決議を実施した。それでも社内の抵抗勢力が市村氏の仕事を妨害したため、市村氏は設備をハンマーなどで破壊した。

理研から感光紙部門を分離・市村清氏が社長就任

事態が大ごとになったため、理研の大河内氏が市村清氏の処分を決定。ただし、理研の感光紙部門を会社として分離し、資本面では大河内氏などの出資し、経営面では市村清氏に一任する方針が打ち出された。

事業分離により、1936年2月に市村清氏(当時36歳)はリコー(理研感光紙)を設立し、実質的な創業者となった。したがって、リコーの創業は、理研における感光紙事業(外部人材登用)に失敗した結果として、独立発足したという複雑な創業経緯が存在する。

市村清氏の経歴(リコー創業者)
日時 経歴 備考
1900年4月 佐賀県・生まれ
1922年9月 中央大学法学部・中退 経済的な理由で退学
1922年 大東銀行・入校 北京で銀行業務に従事
1927年 大東銀行・退職 昭和恐慌による銀行閉鎖
1927年 富国徴兵保険・入社 九州地区で保険セールスに従事
1933年 理研の感光紙販売に従事 九州地区の大企業および満鉄を開拓
1933年 理研・感光紙部長 社員からの無視に苦慮
1936年2月 理研感光紙・社長 現リコーを発足
1968年12月 リコー・会長退任(逝去) 68歳で逝去
出所:私の履歴書経済人5 | 1980/8
証言
市村清(リコー・創業者)

私の不満はもう一度爆発し、いきなり装置をハンマーで叩き壊してしまった。すると空気が八方へ吹き出して始末におえない。めちゃくちゃである。懐古でもなんでもしろ、また「サロン春」通いだ、と私も腹を決めた。(略)

大河内先生に、私はまもなく呼びつけられた。いよいよ終わりかなと思って行ってみると、しようのないやつだ、という顔をして所長は意外にもさらにいい条件を出してくれたのである。

「感光紙部門を独立の会社にして君に任せる。好きなところへ事務所を移してやってくれたまえ」

私は今度は本当に感激した。昭和11年の春、36歳の時だった。(略)昭和11年2月に発足した理研感光紙株式会社は、資本金35万円、うち払い込み15万円、残り20万円は大河内流の知能資本と称するものでかなり負担は重かった。事務所は東京日比谷の美松に置き、私が代表取締役であった。

さんざんいじめぬかれたあとだけに、敵愾心を伴って、仕事に対する投資が日のようにわきあがった。

1938年3月
商号を理研光学工業株式会社に変更
1949年5月
東京証券取引所に株式上場
1950年
二眼レフ「リコーづレックス」を発売
1954年4月
大森工場を新設(カメラ)
1955年
複写機の生産を本格化
1961年5月
池田事業所を新設(感光紙)
決算
リコーの業績
1962年3月期(単体)
売上高
105
億円
当期純利益
11
億円
1962年
高野精密の経営再建を決定(リコーエレメックス)
決算
リコーの業績
1963年3月期(単体)
売上高
117
億円
当期純利益
12
億円
1962年12月
米RICOH OF AMERICA INC.を設立
1962年
12月
米RICOH OF AMERICA INC.を設立
1973年
1月
米RICOH ELECTRONICS INC.を設立
決算
リコーの業績
1963年3月期(単体)
売上高
117
億円
当期純利益
12
億円
1963年4月
商号を株式会社リコーに変更
決算
リコーの業績
1964年3月期(単体)
売上高
135
億円
当期純利益
9.4
億円
1965年9月
複写機「電子リコピー」を開発
決算
リコーの業績
1966年3月期(単体)
売上高
125
億円
当期純利益
-7.4
億円
1965年
無配転落
決算
リコーの業績
1966年3月期(単体)
売上高
125
億円
当期純利益
-7.4
億円
1967年4月
東北リコー株式会社を設立
1967年
4月
東北リコー株式会社を設立
2003年
4月
東北リコー株式会社を完全子会社化
決算
リコーの業績
1968年3月期(単体)
売上高
217
億円
当期純利益
5.6
億円
1968年12月
創業者の市村清氏が逝去

リコー創業者の市村清氏が68歳にて逝去。葬儀は東京築地本願寺で行われ、財界人など7000名が参列した。

決算
リコーの業績
1969年3月期(単体)
売上高
338
億円
当期純利益
25
億円
1971年5月
厚木事業所を新設
決算
リコーの業績
1972年3月期(単体)
売上高
674
億円
当期純利益
27
億円
1981年3月
池田事業所に電子技術開発センターを新設

LSIの量産工場を新設。事業所開設当初は、任天堂のファミコン向けに半導体を供給し、稼働率を維持

決算
リコーの業績
1981年3月期(単体)
売上高
2533
億円
当期純利益
110
億円
1982年5月
福井事業所を新設
決算
リコーの業績
1983年3月期(単体)
売上高
3262
億円
当期純利益
62
億円
1985年10月
複写機器製造工場を新設(御殿場)
1986年4月
横浜仲町台事業所を新設(研究開発)
1991年1月
中国での現地生産を開始
1995年3月
米国OA機器販売会社を買収
1995年
3月
米SAVIN社を買収
1995年
9月
米GESTENER社を買収
1997年
3月
RICOH SILICON VALLEY, INC.を設立
2001年
1月
米LANIER社を買収
決算
リコーの業績
1995年3月期(連結)
売上高
10202
億円
当期純利益
185
億円
2004年10月
日立プリンティングソリューションズを買収
決算
リコーの業績
2005年3月期(連結)
売上高
18974
億円
当期純利益
831
億円
従業員数
75097
営業CF
1291
億円
投資CF
-960
億円
財務CF
-564
億円
2007年1月
Danka Business Systemを買収
証言

決算
リコーの業績
2007年3月期(連結)
売上高
20689
億円
当期純利益
1117
億円
従業員数
81939
営業CF
1672
億円
投資CF
-1154
億円
財務CF
92
億円
2007年6月
IBMと共同出資会社ISC社の営業開始
決算
リコーの業績
2008年3月期(連結)
売上高
22199
億円
当期純利益
1064
億円
従業員数
83456
営業CF
1943
億円
投資CF
-1983
億円
財務CF
-721
億円
2008年5月
タイRICOH MANUFACTURING (THAILAND)を設立
決算
リコーの業績
2009年3月期(連結)
売上高
20916
億円
当期純利益
65
億円
従業員数
108477
営業CF
874
億円
投資CF
-2831
億円
財務CF
2959
億円
2008年8月
リコーエレメックスを完全子会社化
決算
リコーの業績
2009年3月期(連結)
売上高
20916
億円
当期純利益
65
億円
従業員数
108477
営業CF
874
億円
投資CF
-2831
億円
財務CF
2959
億円
2008年10月
米IKON Office Solutionsを買収

複写機のグローバル販売を推進するために、米国のIKON Office Solutions(独立系の事務機販売会社)の株式100%を取得して買収。買収価格(買収対価)は1705億円であり、リコーは「のれん1432億円」「無形固定資産555億円」を計上した。

2008年
10月
米IKON Office Solutionsを買収
2018年
3月
IKON社関連で減損計上
決算
リコーの業績
2009年3月期(連結)
売上高
20916
億円
当期純利益
65
億円
従業員数
108477
営業CF
874
億円
投資CF
-2831
億円
財務CF
2959
億円
2010年7月
国内販売会社7社を合併・リコージャパンを設立
決算
リコーの業績
2011年3月期(連結)
売上高
19413
億円
当期純利益
186
億円
従業員数
109014
営業CF
1286
億円
投資CF
-919
億円
財務CF
-929
億円
2011年10月
HOYAからペンタックス事業を買収
決算
リコーの業績
2012年3月期(連結)
売上高
19034
億円
当期純利益
-445
億円
従業員数
109241
営業CF
112
億円
投資CF
-1124
億円
財務CF
878
億円
2017年11月
中国にRICOH MANUFACTURING (CHINA)を設立
決算
リコーの業績
2018年3月期(連結)
売上高
20633
億円
当期利益
-1180
億円
従業員数
97878
営業CF
1102
億円
投資CF
-810
億円
財務CF
64
億円
2018年3月
非注力事業から撤退
2018年
3月
リコー電子デバイスを日清紡HDに譲渡
2018年
8月
リコーロジスティックスをSBS HDに譲渡
2020年
4月
リコーリースの株式20%をみずほリースに譲渡
決算
リコーの業績
2018年3月期(連結)
売上高
20633
億円
当期利益
-1180
億円
従業員数
97878
営業CF
1102
億円
投資CF
-810
億円
財務CF
64
億円
2018年3月
のれん減損で赤字転落

北米事業の不振により、過去に買収した2社(IKONおよびmindSHIFT)を中心に1759億円の減損損失(のれん等の減損)を計上。減損額の大半が2008年に約1700億円で買収したIKON社に関連する資産であった。この結果、2018年3月期にリコーは最終赤字1180億円に転落した。

減損に至った理由は、IKONについてはデジタル化の進展による商業プリントの販売不振、mindSHIFTについてもクラウドサービスの台頭による競争激化により、キャッシュフローが想定よりも下回ったためであった。

決算
リコーの業績
2018年3月期(連結)
売上高
20633
億円
当期利益
-1180
億円
従業員数
97878
営業CF
1102
億円
投資CF
-810
億円
財務CF
64
億円
2022年9月
PFUを買収(業務用スキャナ)
決算
リコーの業績
2023年3月期(連結)
売上高
21341
億円
当期利益
543
億円
従業員数
81107
営業CF
667
億円
投資CF
-1339
億円
財務CF
354
億円
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