キヤノンの歴史
沿革
1933年に吉田五郎氏と内田三郎氏が東京に開設した精機光学研究所が起源。
1975年に開発したレーザープリンターを1985年からHP社へOEM供与し、事務機へ軸を移した。売上の過半をプリンティングが占め、カメラではニコンと並ぶ二大ブランドである。
創業期
1933年〜精機光学研究所によるカメラ国産化と北米輸出の本格化
- 精機光学研究所の発足[1]
- 35mmフォーカルプレーンシャッターカメラ「ハンザキヤノン」を発売[2]
- 東京目黒に精機光学工業として創立。カメラ製造販売開始[1]
- 戦後初のカメラ新製品「キヤノンS II」を発売[2]
- 商号をキヤノンカメラに変更[2]
- キヤノンカメラと商号変更[1]
- 東京証券取引所に株式上場[1]
- 本社工場を新設。北米輸出を本格化
- スピードライト同調35mmカメラ「IVSb」を発売[2]
- 目黒精機製作所(現キヤノンプレシジョン)を設立[1]
- 秩父英工舎(現キヤノン電子)を設立[1]
- ニューヨーク支店開設[1]
- スイスに欧州総代理店としてCanon Europe S.A.を開設[1]
- カメラ不況により減収決算へ
- ドキュマット社と提携。マイクロ機器分野に参入[2]
- 初の一眼レフカメラ「キヤノンフレックス」を発売[2]
- 「キヤノネット」を発売。EEカメラブームを起こす[2]
- 三栄産業(現キヤノン化成)に出資[1]
- テンキー式電卓「キヤノーラ130」を発売[2]
- 事務機分野に本格参入[1]
- Canon U.S.A.,Inc.を設立[1]
転換期
1967年〜PPC参入と電卓事業撤退による1975年の無配転落
- 「右手にカメラ、左手に事務機」の方針策定[2]
- キヤノンアムステルダムN.V.(現キヤノンヨーロッパN.V.)を設立[2]
- キヤノン事務機販売を設立[1]
- 普通紙複写機(PPC)分野に参入[3]
- 中央研究所を目黒に開設[2]
- カメラの生産工場として福島キヤノンを設立[2]
- キヤノンと商号変更[1]
- 日本以外で初の生産拠点として台湾キヤノンを設立[2]
- 国産初の普通紙複写機「NP-1100」を発売[2]
- 半導体製造装置を発表[1]
- 一眼レフカメラ「キヤノンF-1」とFDレンズを発売[2]
- キヤノン販売に商号変更[1]
- ナスダックに米国預託証券を登録[4]
- Physotec GmbH(現Canon Giessen GmbH)に出資[1]
- 日本初のフルカラー普通紙複写機を発表[2]
- 前田武男氏が代表取締役社長に就任[2]
- レーザープリンターの開発に成功[1]
- 無配転落。電卓事業の撤退[3]
- 第一次優良企業構想を開始[2]
- ファクシミリ事業に参入[2]
安定成長期
1977年〜賀来龍三郎氏の再建とHPへのレーザープリンターOEM供与
- 無配転落と事業部制の導入[3]
- 豪州にCanon Australiaを設立[1]
- 半導体レーザー内蔵の「LBP-10」を発売[2]
- シンガポールにCanon Singaporeを設立[1]
- キヤノン販売とコピアの共同出資でコピア販売を設立[1]
- バブルジェット記録方式の開発に成功[1]
- カートリッジ方式複写機「ミニコピアPC-10/PC-20」を発売[2]
- オランダにCanon Europa N.V.を設立[1]
- 大分キヤノンを設立[5]
- フランスにCanon Bretagneを設立[1]
- キヤノン・コンポーネンツを設立[1]
- HP社と業務協力提携を締結。LBPのOEM供与へ
- キヤノン販売が日本タイプライターに出資[1]
- Canon Virginia,Inc.を設立[5]
- 長浜キヤノンを設立[1]
- 山路敬三氏が代表取締役社長に就任[6]
- 中華人民共和国に佳能大連事務機有限公司を設立[1]
- BJP「BJ-10v」の発売(BtoC向け)
- 中国に佳能珠海有限公司を設立[7]
- タイにCanon Hi-Tech(Thailand)を設立[1]
- 御手洗肇氏が代表取締役社長に就任[8]
安定成長期
1995年〜御手洗冨士夫氏のセル生産と原価改善による過去最高益
- キャッシュフロー重視の経営
- 富士裾野リサーチパークを開設[2]
- 「グローバル優良企業グループ構想」を開始[2]
- 複写機の生産拠点として中国に天津キヤノンを設立[2]
- 中華人民共和国にCanon(China)Co.,Ltd.を設立[1]
- セル生産方式を導入
- 大分キヤノンマテリアルを設立[1]
- ニューヨーク証券取引所に上場(2023年3月 上場廃止)[1]
- インクジェットプリンターの生産拠点としてキヤノンベトナムを設立[2]
- 英国にCanon Europe Ltd.を設立[1]
- デジタルAF一眼レフカメラ「EOS-1Ds」を発売[2]
- 上野キヤノンマテリアルを分社化[1]
- キヤノンアプテックスとコピアが合併してキヤノンファインテックが発足[2]
- 福島キヤノンを分社化[1]
- アネルバ(現キヤノンアネルバ)の株式を取得[1]
- NECマシナリー(現キヤノンマシナリー)の株式を取得[5]
- 原価改善により過去最高収益へ
- 1株を1.5株に株式分割[1]
- トッキ(現キヤノントッキ)を連結子会社化[2]
- キヤノンマーケティングジャパンがアルゴ21の株式を取得[1]
- 長崎キヤノンを設立[1]
- ヒューレット・パッカードとソリューション分野で業務提携[2]
- 欧州の本社機能をCanon Europe Ltd.に集約[1]
- リーマンショックで減収減益。本業が頭打ちに
- OPTOPOL Technology(現Canon Ophthalmic Technologies)の株式を取得[1]
- 蘭オセの連結子会社化
- 医療用ITのメディアンテクノロジーズ社と提携[2]
- 「グローバル優良企業グループ構想」フェーズIVを開始[2]
- ブラジルにキヤノンインダストリアデマナウスを設立[2]
- 御手洗冨士夫氏が代表取締役会長兼社長CEOに就任[2]
- キヤノンソリューションズアメリカを設立[2]
- キヤノンヨーロッパがマイルストーンシステムズを完全子会社化[2]
- Molecular Imprints(現Canon Nanotechnologies)の株式を取得[1]
- キヤノンUSAがキヤノンバイオメディカルを設立[2]
- Axis Communicationsを買収発表
- Axis ABの株式を取得[1]
- 御手洗冨士夫氏が会長CEO、真栄田雅也氏が社長COOに就任[2]
- 東芝との株式等譲渡契約を締結。取得価額約6,655億円[9]
- 東芝メディカルの買収[1]
- 宮崎ダイシンキヤノン(現宮崎キヤノン)を完全子会社化[2]
- 東芝医用ファイナンス(現キヤノンメディカルファイナンス)の株式を取得[1]
- 映像解析ソフトウエアのブリーフカムを完全子会社化[2]
- 東芝メディカルシステムズがキヤノンメディカルシステムズに商号変更[2]
- 御手洗冨士夫氏が代表取締役会長兼社長CEOに就任[2]
- オセがキヤノンプロダクションプリンティングに商号変更[2]
- Redlen Technologies Inc.の株式を取得[1]
- キヤノンプロダクションプリンティングが英国のイーデール社を完全子会社化[2]
- 米国にキヤノンヘルスケアUSAを設立[2]
- 全員男性の取締役会と賛成率低下
- キヤノンメディカルシステムズがミナリスメディカルの株式を取得[1]
- ハイデルベルグと枚葉インクジェット印刷機販売で業務提携[2]
- フラッグシップ機「EOS R1」を発売[2]
- キヤノンマーケティングジャパンがプリマジェストの株式を取得[1]
- キヤノンメディカルの減損
- キヤノンメディカルシステムズとの吸収分割を決定[10]
- 小川一登氏が社長就任
- 抱合せ株式消滅差損を個別決算で計上[10]