キヤノン の歴史

創業

1933年

創業者

吉田五郎・内田三郎・御手洗毅

創業地

東京都港区六本木

直近売上高(2025/12)

46,247億円

長期業績と転換点(1996/12〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1951年、資本金の10倍を下丸子工場へ賭けられたのか
A 御手洗毅氏は、外国品に対抗できる国産カメラを大成させることを会社の使命と公言し、量産で品質を担保するには規模の先行が不可欠と見ていた。ゆえに採算が読める前でも大口投資に踏み切れた。1951年に英ジャーデンマセソン社と5ヵ年の輸出販売契約を結び、その履行のため資本金2000万円の10倍にあたる2億円を東京大田区下丸子の本社工場へ投じた。高級カメラへの特化で売上高利益率10%超を保ち、この投資は3年で回収された。品質に自信が持てるまで量産を急がず、確信を得てから規模に賭ける運びがここで定着した。
Q なぜ1985年、レーザープリンターを自社ブランドではなく米HPへOEM供給したのか
A 賀来龍三郎氏は、自社販路をゼロから築くより、すでに世界の顧客を握る相手に売場を任せたほうが、販売コストを抑えて一気に規模を取れると判断した。1975年の無配転落で電卓事業から撤退した会社にとって、収益の実を押さえる規模の確保が優先だった。1985年に米HP社と業務協力提携を結びレーザービームプリンター(LBP)のOEM供給を開始し、ブランドの前面はパートナーへ譲った。LBPの世界シェアは1990年に70%へ達し、HP社向け販売高はのちに6000億円規模まで伸びて、無配から10年で連結売上1兆円突破を支えた。
Q なぜ2016年、過去最大の6655億円で東芝メディカルを買い、医療に賭けたのか
A カメラはスマートフォンの普及で、複合機はソフトウェアの発展で市場が成熟し、御手洗冨士夫氏は次の収益柱を社外に求めた。医療は規制が厳しく参入障壁が高い一方、画像処理という自社技術と重ねやすかった。2016年、経営危機の東芝が画像診断機器子会社を売りに出すと、富士フイルムらとの入札を制し約6655億円で取得した。東芝が年度内の買収完了という手続きの確実性を評価しキヤノンを選んだ。ただし日本・中国の市場環境悪化で計画は狂い、2024年12月期にのれん1651億円を減損し純利益は前期比4割減に沈んだ。買収で見込んだ医療の収益貢献は一度引き直された。

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1933年〜 御手洗哲学によるカメラ国産化と北米輸出モデルの確立

キヤノンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1933年 キヤノン創業——医・証券・技術の三者結合が興した国産高級カメラ 舶来品が独占していた高級小型カメラの国産化に、産婦人科医・御手洗氏毅らはどう挑んだか
  2. 1937年 東京目黒に精機光学工業として創立。カメラ製造販売開始
  3. 1947年 商号をキヤノンカメラに変更
  4. 1947年 キヤノンカメラと商号変更
  5. 1949年 東京証券取引所に株式上場
  6. 1951年 本社工場を新設。北米輸出を本格化
  7. 1964年 事務機分野に本格参入

産婦人科医の出資で生まれた国産高級カメラ

1933年11月、映写機技術者の吉田五郎氏と証券業の内田三郎氏が、東京麻布六本木のアパートの一室に精機光学研究所を興した[1]。掲げた目的は精密高級35ミリカメラの研究と製作[2]であり、当時この領域は舶来品が占めていた。資金を出したのは、内田氏の妻の出産を担当した聖母病院の産婦人科部長・御手洗毅氏である。1935年に苦心の研究が実って製品化にこぎつけ[3]、はじめ千手観音にちなむ「Kwanon」と名付けたものの、まもなく「Canon」へ改めている。聖典・規範・標準を意味する語であり、標準となる優秀なカメラをつくるという理想[4]を託した。1936年に目黒へ工場を新設して量産へ移り、1937年8月には資本金100万円で精機光学工業株式会社へ改組[5]した。1939年にはレンズの内製を始め[6]、同年に日本最初のX線間接撮影装置・X線キヤノンを完成させて医療機器へも踏み出している[7]

  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1933年11月 東京麻布六本木に精機光学研究所を発足
    • [5]1937年8月 東京目黒に精機光学工業株式会社として資本金100万円で創立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]設立目的は精密高級35ミリカメラの研究と製作
    • [3]1935年 製品化に成功
    • [4]ブランド名は「Kwanon」から「Canon」へ改称。Canonは聖典・規範・標準の意
    • [6]1939年 レンズの生産開始、日本最初のX線間接撮影装置X線キヤノンを完成し医療機器へ進出
    • [7]X線キヤノンを第一歩として医療機器分野へ進出

敗戦の翌月にあたる1945年10月、同社はいちはやく生産を再開した[8]。翌1946年に送り出したキヤノンS型は進駐軍将兵と来日バイヤーの間で好評を博し[9]、キヤノンの名が海外に認められる端緒となっている。御手洗毅氏はこの時期に産婦人科医の職を退いて経営へ専念し、外国品に対抗しうる国産カメラを大成させるという課題を事業の目的に据えた。1947年9月には商号をキヤノンカメラ株式会社へ改め[10]、1949年5月に東京証券取引所へ株式を上場して[11]資本市場からの調達路を開いた。1950年の欧米視察で御手洗氏は「日本商品がいかに不信用かであり、日本商品の道徳感がいかに低いかという一言に尽き、業界の覚醒を促して止まない衝動を覚えた」[12](新日本経済 1950/10/20)と述べており、Made in Japan への評価の低さを輸出の前提条件として受け止めていた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [8]1945年10月 生産を再開
    • [9]1946年 キヤノンS型が進駐軍将兵・来日バイヤーに好評、キヤノンの名が海外に認められる
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [10]1947年9月 商号をキヤノンカメラ株式会社へ変更
    • [11]1949年5月 東京証券取引所に上場
  • 新日本経済(1950年10月20日)
    • [12]1950年の欧米視察で御手洗毅が日本商品への評価の低さを述べた
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1933年11月 東京麻布六本木に精機光学研究所を発足
    • [5]1937年8月 東京目黒に精機光学工業株式会社として資本金100万円で創立
    • [10]1947年9月 商号をキヤノンカメラ株式会社へ変更
    • [11]1949年5月 東京証券取引所に上場
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]設立目的は精密高級35ミリカメラの研究と製作
    • [3]1935年 製品化に成功
    • [4]ブランド名は「Kwanon」から「Canon」へ改称。Canonは聖典・規範・標準の意
    • [6]1939年 レンズの生産開始、日本最初のX線間接撮影装置X線キヤノンを完成し医療機器へ進出
    • [7]X線キヤノンを第一歩として医療機器分野へ進出
    • [8]1945年10月 生産を再開
    • [9]1946年 キヤノンS型が進駐軍将兵・来日バイヤーに好評、キヤノンの名が海外に認められる
  • 新日本経済(1950年10月20日)
    • [12]1950年の欧米視察で御手洗毅が日本商品への評価の低さを述べた

下丸子工場への10倍投資が支えた輸出経営

1951年、御手洗毅氏は英国系の貿易商社ジャーデンマセソンと海外輸出総代理店契約を結び[13]、50万ドルの借入をあわせて本格的な輸出へ乗り出した。同じ年の11月には東京都大田区下丸子へ本社と工場を集結させ[14]、将来の発展に向けた基礎固めとしている。投じた額は2億円で、当時の資本金2000万円の10倍にあたり、通常の設備投資の水準を大きく超えた。あわせて東京銀座にサービスセンターを開設し[15]、国内の顧客対応にも拠点を置いた。完成した工場は木造の町工場的存在から近代工場へ飛躍した[16]と当時評され(ダイヤモンド 1956/10/23)、高級カメラへの特化と規模の先行投資によって品質と数量を同時に担保する生産設計が、以後の輸出経営を支える物理的な基盤となった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [13]英国系貿易商社ジャーデンマセソンと海外輸出総代理店契約を締結し本格的な輸出へ
    • [15]1951年 東京銀座にサービスセンターを開設
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [14]1951年11月 東京都大田区下丸子に本社・工場を集結
  • ダイヤモンド(1956年10月23日)
    • [16]下丸子工場は「木造の町工場的存在から、近代工場に飛躍した」と評された

高級カメラへの特化により売上高利益率は10%超を保ち、2億円の投資は3年で回収された。あわせて1952年12月に目黒精機製作所、1954年5月に秩父英工舎を設立し[17]、部品を自社系列で賄う体制も整えている。1955年10月にはニューヨーク支店を開設して現地の販売体制を敷き[18]、米国市場への直接の販路を得ている。1957年9月にはスイスへ欧州総代理店としてCanon Europe S.A.を置き[19]、北米と欧州の双方を自社の販売網で押さえた。快心の作が出るまでは量産を自重するという御手洗毅氏の方針のもと、品質に確信を持てるまで輸出を急がず、準備が整った段階で量産と輸出に踏み切る手順が定着した。

  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [17]1952年12月 (株)目黒精機製作所(現キヤノンプレシジョン)を設立、1954年5月 (株)秩父英工舎(現キヤノン電子)を設立
    • [18]1955年10月 ニューヨーク支店を開設
    • [19]1957年9月 スイスに欧州総代理店としてCanon Europe S.A.を開設

1956年からは8ミリシネカメラのキヤノン8T、キヤノンズーム8、8ミリ用プロジェクター、テレビカメラ用レンズを相次いで発表[20]し、製品の幅を広げた。1961年にはEEカメラの先駆となるキヤノネットを送り出し、最高級機のキヤノン7型F[21]とあわせて市場の話題を集めている。1964年10月には電子式卓上計算機を発売し、本格的に事務機分野へ進出[22]した。1966年4月には米国にCanon U.S.A.,Inc.を設立して[23]現地法人による販売へ切り替えている。1968年の時点で売上構成は高級カメラ・中級カメラ・8ミリ・カメラ以外の特機がそれぞれ4分の1程度、輸出は全売上高の半分近く[24]を占めた。マスプロダクションとマスセールスの仕組みを業界に先んじて導入した会社[25]であり、特機部門ではICを用いた電子卓上計算機が伸びていた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [20]1956年より8ミリシネカメラ キヤノン8T・キヤノンズーム8・8ミリ用プロジェクター・テレビカメラ用レンズを発表
    • [21]1961年 EEカメラの先駆キヤノネットを発売、最高級機キヤノン7型Fとともに話題
    • [24]1968年時点で高級カメラ・中級カメラ・8ミリ・特機がそれぞれ約4分の1の売上構成、輸出は全売上高の半分近く
    • [25]マスプロ・マスセールのシステムを導入した先駆者。特機部門ではICの電子卓上計算機が伸長
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [22]1964年10月 電子式卓上計算機を発売し本格的に事務機分野へ進出
    • [23]1966年4月 米国にCanon U.S.A.,Inc.を設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [13]英国系貿易商社ジャーデンマセソンと海外輸出総代理店契約を締結し本格的な輸出へ
    • [15]1951年 東京銀座にサービスセンターを開設
    • [20]1956年より8ミリシネカメラ キヤノン8T・キヤノンズーム8・8ミリ用プロジェクター・テレビカメラ用レンズを発表
    • [21]1961年 EEカメラの先駆キヤノネットを発売、最高級機キヤノン7型Fとともに話題
    • [24]1968年時点で高級カメラ・中級カメラ・8ミリ・特機がそれぞれ約4分の1の売上構成、輸出は全売上高の半分近く
    • [25]マスプロ・マスセールのシステムを導入した先駆者。特機部門ではICの電子卓上計算機が伸長
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [14]1951年11月 東京都大田区下丸子に本社・工場を集結
    • [17]1952年12月 (株)目黒精機製作所(現キヤノンプレシジョン)を設立、1954年5月 (株)秩父英工舎(現キヤノン電子)を設立
    • [18]1955年10月 ニューヨーク支店を開設
    • [19]1957年9月 スイスに欧州総代理店としてCanon Europe S.A.を開設
    • [22]1964年10月 電子式卓上計算機を発売し本格的に事務機分野へ進出
    • [23]1966年4月 米国にCanon U.S.A.,Inc.を設立
  • ダイヤモンド(1956年10月23日)
    • [16]下丸子工場は「木造の町工場的存在から、近代工場に飛躍した」と評された

1967年〜 事務機への経営転換と売上高1兆円突破という飛躍

キヤノンの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1967年 「右手にカメラ、左手に事務機」の方針策定
  2. 1968年 普通紙複写機(PPC)分野に参入
  3. 1969年 キヤノンと商号変更
  4. 1970年 半導体製造装置を発表
  5. 1975年 レーザープリンターの開発に成功
  6. 1977年 賀来氏龍三郎氏の社長抜擢と事業部制による事務機集中 電卓の失敗で無配に沈んだキヤノンを、常務から抜擢された賀来氏龍三郎氏はどう立て直したか
  7. 1981年 バブルジェット記録方式の開発に成功

電卓撤退から賀来龍三郎氏の経営改革まで

1967年、御手洗毅氏は「右手にカメラ、左手に事務機光学特機をふりかざし、しかも輸出を大いに伸ばしていかなくてはなりません」と述べ、カメラと事務機を経営の両輪に据える方針を打ち出した。1968年2月にキヤノン事務機販売株式会社を設け[26]、同年4月にはNPシステムを開発して普通紙複写機の分野へ参入している[27]。1969年3月には商号をキヤノン株式会社へ改め[28]、社名から「カメラ」の語を外した。1970年3月には半導体製造装置を発表し[29]、のちに産業機器へつながる系統も立ち上げている。1971年11月にはキヤノンカメラ販売とキヤノン事務機サービスをキヤノン事務機販売へ統合し、キヤノン販売株式会社として[30]国内の販売機能を一本化した。

  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [26]1968年2月 キヤノン事務機販売(株)を設立
    • [27]1968年 NPシステムを開発し普通紙複写機(PPC)分野へ進出
    • [28]1969年3月 キヤノン株式会社と商号変更
    • [29]1970年3月 半導体製造装置を発表
    • [30]1971年11月 キヤノンカメラ販売・キヤノン事務機サービスをキヤノン事務機販売へ合併しキヤノン販売(株)へ商号変更

普通紙複写機はゼロックスが1960年に商品化し、二十年をかけた特許網で他社の参入を阻んでいた[31]。キヤノンも当初は感光紙を使うエレクトロファックス方式を商品化していた[32]ものの、酸化亜鉛を塗るため地が白くならず、紙も厚く重かった。1962年に製品研究課を置き、課員七名のうち田中宏氏ら三人が複写機を担当して[33]ゼロックスの特許を調べ上げたが、小手先の回避では製品化が無理と判明した。そこで田中氏は、カメラの電子化のために研究していた硫化カドミウムに着目した[34]。抵抗が低く電荷を保てないため電子写真用としては見捨てられていた材料だが、表面に絶縁性の透明フィルムを一体化して電荷を保持させ、帯電と保持の機能を分離する[35]ことで欠点を利点へ転じた。二つの材料を光学的に組み合わせる技術はカメラメーカーの本領であり、この方式をNPシステムと名付けている[36]

  • 技術開発の昭和史(森谷正規, 東洋経済新報社, 1986)5章「5普通紙複写機」
    • [31]ゼロックスが1960年にPPCを商品化、20年の開発期間で完璧に近い特許網を構築
    • [32]キヤノンは当初エレクトロファックス方式(感光紙)を商品化していたが、酸化亜鉛塗布で地が白くならず厚く重い
    • [33]1962年 製品研究課を設置、課員7名のうち田中宏ら3人が複写機を担当
    • [34]田中宏が電子写真用として見捨てられていた硫化カドミウム(CdS)に着目
    • [35]絶縁性の透明フィルムを一体化して電荷を保持させ、帯電と保持の機能を分離
    • [36]CdSとフィルタを光学的に最適に組み合わせる技術はカメラメーカーの強み。新方式をNP(New Process)システムと命名

1965年に総勢二十三名のEプロジェクトが動き出した[37]が、実用化は容易ではなく、複写機部門は累積で十億円の赤字を抱えた[38]。社内には撤退を求める強硬な意見も出たものの、経営陣は長期的に有望な事業と判断し、部門を中央研究所へ移して本社の費用で開発を続けさせている[39]。第一号機のNP-1100が市販にこぎつけたのは1970年で、着手から八年目[40]であった。キヤノンは自社に複写機の営業力が育っていない事情もあり、参入意欲の強い海外企業へ積極的に特許を供与して技術料を得る道を選ぶ[41]。1977年からは複写機で技術料収入が支出を上回り、1980年以降は支出がゼロ[42]になった。特許の確立には数万ページの書類と数億円の弁護士費用を要している[43]

  • 技術開発の昭和史(森谷正規, 東洋経済新報社, 1986)5章「5普通紙複写機」
    • [37]1965年 複写機の製品開発を行うEプロジェクトが総勢23名で発足
    • [38]複写機部門は累積で十億円の赤字。社内から撤退を求める強硬な意見
    • [39]複写機部門を中央研究所へ移し本社費用で開発を継続。トップが長期的に有望と判断
    • [40]1970年 NP方式第一号機NP-1100を市販。開発着手から8年目
    • [41]自社に複写機の営業力が育っておらず、海外企業へ特許を供与して技術料収入を得る戦略
    • [42]1977年から複写機で技術料収入が支出を上回り、1980年以降は支出がゼロ
    • [43]特許確立に数万ページの関係書類と数億円の弁護士費用
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [26]1968年2月 キヤノン事務機販売(株)を設立
    • [27]1968年 NPシステムを開発し普通紙複写機(PPC)分野へ進出
    • [28]1969年3月 キヤノン株式会社と商号変更
    • [29]1970年3月 半導体製造装置を発表
    • [30]1971年11月 キヤノンカメラ販売・キヤノン事務機サービスをキヤノン事務機販売へ合併しキヤノン販売(株)へ商号変更
  • 技術開発の昭和史(森谷正規, 東洋経済新報社, 1986)5章「5普通紙複写機」
    • [31]ゼロックスが1960年にPPCを商品化、20年の開発期間で完璧に近い特許網を構築
    • [32]キヤノンは当初エレクトロファックス方式(感光紙)を商品化していたが、酸化亜鉛塗布で地が白くならず厚く重い
    • [33]1962年 製品研究課を設置、課員7名のうち田中宏ら3人が複写機を担当
    • [34]田中宏が電子写真用として見捨てられていた硫化カドミウム(CdS)に着目
    • [35]絶縁性の透明フィルムを一体化して電荷を保持させ、帯電と保持の機能を分離
    • [36]CdSとフィルタを光学的に最適に組み合わせる技術はカメラメーカーの強み。新方式をNP(New Process)システムと命名
    • [37]1965年 複写機の製品開発を行うEプロジェクトが総勢23名で発足
    • [38]複写機部門は累積で十億円の赤字。社内から撤退を求める強硬な意見
    • [39]複写機部門を中央研究所へ移し本社費用で開発を継続。トップが長期的に有望と判断
    • [40]1970年 NP方式第一号機NP-1100を市販。開発着手から8年目
    • [41]自社に複写機の営業力が育っておらず、海外企業へ特許を供与して技術料収入を得る戦略
    • [42]1977年から複写機で技術料収入が支出を上回り、1980年以降は支出がゼロ
    • [43]特許確立に数万ページの関係書類と数億円の弁護士費用

HP社OEMが開いたLBP世界シェア70%の扉

一方で電卓は1970年代の値下げ競争で採算が悪化し[44]、多角化の絞り込みの甘さに市場も疑いの目を向けた。1972年初頭の時点で同社の路線は決め手を欠く多角化と評されている[45](週刊東洋経済 1972/01/15)。1975年6月にキヤノンは無配へ転落し、電卓事業から撤退した。前田武男社長の急逝も重なるなか、1977年には常務の賀来龍三郎氏が副社長と専務を越えて社長へ就いている[46]。賀来氏は前任経営陣の甘さを公言し、事業部制を敷いてカメラ・事務機・光学の各事業に損益責任を負わせた[47]。就任直後には、事務機の総合化がキヤノンの命題であり付加価値の高い製品差別化ができるかどうかが問われる[48]、という厳しい見方も示されている(週刊東洋経済 1977/07/30)。

  • 週刊東洋経済(1972年1月15日)
    • [44]電卓事業は1970年代の値下げ競争で採算が悪化し、多角化の絞り込みの甘さに市場も疑問を向けた
    • [45]1972年時点で「キメ手を欠く多角化路線」と評された
  • 週刊東洋経済(1977年7月30日)
    • [46]1977年 賀来龍三郎が常務から社長へ抜擢(副社長・専務を飛ばす異例の人事)
    • [48]就任直後に「事務機の総合化は、キヤノンの命題だが、その場合は、それだけ付加価値の高い、製品差別化ができるかどうか」と指摘された
  • 日経ビジネス(1983年10月31日)
    • [47]賀来龍三郎は前任経営陣の甘さを公言し、事業部制で各事業に損益責任を負わせた

複写機事業は1970年代後半から急拡大し、1982年には売上高が1000億円を超えた[49]。伸び率が一桁成長へ落ちる兆しを見て、同年にはデスクに載る小型・低価格のミニコピアを市販し、複写機のパーソナル化という市場を開いている[50]。1975年5月にはレーザープリンターの開発に成功しており[51]、1985年に米ヒューレット・パッカードと業務協力提携を結んでレーザービームプリンターをOEM供給した。自社ブランドの販路を独自に築くのではなく、販売の前面をパートナーへ譲って規模を取る選択であり、レーザービームプリンターの世界シェアは1990年に70%へ達した。HP社向けの販売高はのちに6110億円の規模まで伸びている。1981年10月に開発したバブルジェット記録方式[52]は、1990年発売の個人向けプリンター「BJ-10v」へ結実している。

  • 技術開発の昭和史(森谷正規, 東洋経済新報社, 1986)5章「5普通紙複写機」
    • [49]1982年に複写機の売上高が1000億円を突破。その少し前から伸び率が一桁成長に低下
    • [50]1982年 ミニコピアを市販しPPCのパーソナル化を開いた
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [51]1975年5月 レーザープリンターの開発に成功
    • [52]1981年10月 バブルジェット記録方式の開発に成功

生産の海外展開も並行して進み、1982年2月に大分キヤノン[53]、1985年11月に米国のCanon Virginia,Inc.[54]、1988年12月にマレーシアのCanon Opto[55]、1989年9月に中国の佳能大連事務機有限公司[56]、1990年8月にタイのCanon Hi-Techを相次いで設けている[57]。賀来氏が社長を務めた1977年からの十年[58]で、キヤノンはカメラメーカーから事務機メーカーへ主力を移し替えた。1990年には連結経常利益で国内5位の超優良企業へ成長したと報じられ[59]、売上高は1兆円を超えている(日経ビジネス 1990/01/01)。

  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [53]1982年 大分キヤノン(株)を設立
    • [54]1985年 米国にCanon Virginia,Inc.を設立
    • [55]1988年 マレーシアにCanon Opto(Malaysia)Sdn.Bhd.を設立
    • [56]1989年9月 中国に佳能大連事務機有限公司を設立
    • [57]1990年8月 タイにCanon Hi-Tech(Thailand)Ltd.を設立
  • 週刊東洋経済(1977年7月30日)
    • [58]賀来龍三郎の社長在任は1977年からの10年間
  • 日経ビジネス(1990年1月1日)
    • [59]1990年元日号が「連結経常利益で国内5位の超優良企業に成長した」と報道
  • 週刊東洋経済(1972年1月15日)
    • [44]電卓事業は1970年代の値下げ競争で採算が悪化し、多角化の絞り込みの甘さに市場も疑問を向けた
    • [45]1972年時点で「キメ手を欠く多角化路線」と評された
  • 週刊東洋経済(1977年7月30日)
    • [46]1977年 賀来龍三郎が常務から社長へ抜擢(副社長・専務を飛ばす異例の人事)
    • [48]就任直後に「事務機の総合化は、キヤノンの命題だが、その場合は、それだけ付加価値の高い、製品差別化ができるかどうか」と指摘された
    • [58]賀来龍三郎の社長在任は1977年からの10年間
  • 日経ビジネス(1983年10月31日)
    • [47]賀来龍三郎は前任経営陣の甘さを公言し、事業部制で各事業に損益責任を負わせた
  • 技術開発の昭和史(森谷正規, 東洋経済新報社, 1986)5章「5普通紙複写機」
    • [49]1982年に複写機の売上高が1000億円を突破。その少し前から伸び率が一桁成長に低下
    • [50]1982年 ミニコピアを市販しPPCのパーソナル化を開いた
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [51]1975年5月 レーザープリンターの開発に成功
    • [52]1981年10月 バブルジェット記録方式の開発に成功
    • [53]1982年 大分キヤノン(株)を設立
    • [54]1985年 米国にCanon Virginia,Inc.を設立
    • [55]1988年 マレーシアにCanon Opto(Malaysia)Sdn.Bhd.を設立
    • [56]1989年9月 中国に佳能大連事務機有限公司を設立
    • [57]1990年8月 タイにCanon Hi-Tech(Thailand)Ltd.を設立
  • 日経ビジネス(1990年1月1日)
    • [59]1990年元日号が「連結経常利益で国内5位の超優良企業に成長した」と報道

1995年〜 デジタル化対応とM&Aによる事業領域の拡張

キヤノンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1995年 御手洗氏冨士夫氏の社長就任と連結経営・自前主義への転換 消耗品で稼ぐ強いモデルの死角に、実質創業家の御手洗氏冨士夫氏はどう先手を打ったか
  2. 2010年 「自前主義」を返上した初の大型買収——蘭オセの連結子会社化 独自技術を磨き続けるか、他社の技術と販路を買うか——事務機の飽和を前に、商業印刷へ活路を求めた選択
  3. 2015年 Axis Communicationsを買収発表
  4. 2016年 東芝メディカルシステムズの6655億円買収と医療への本格参入 停滞する祖業カメラをどう越えるか——独占禁止法の事前届出を先回りした「灰色」の買収スキームをめぐる問い
  5. 2023年 取締役候補を全員男性としたキヤノンと、御手洗会長の賛成率50.59% 業績ではなく取締役会の多様性が問われたとき、株をほとんど持たない実質トップは信任されるのか——長期政権と議決権行使の潮流が衝突した株主総会
  6. 2025年 医療機器事業ののれん1651億円減損と本社一体化による立て直し 買収から8年、成長の柱に据えた医療をどう立て直すか——「各社に任せる」方針の転換をめぐって
  7. 2026年 3度目の社長交代と、御手洗氏冨士夫会長による「並走」体制 90歳のCEOはいつ世代へ引き渡すのか——小川一登氏への社長COO移譲と、なお手放されないCEO職

デジタル化への対応と海外売上八割の構造

1995年9月、創業者の甥にあたる御手洗冨士夫氏が代表取締役社長へ就いた[60]。1961年に中央大学法学部を出てキヤノンカメラへ入り、1966年からCanon U.S.A.へ出向して[61]米国で二十年以上を過ごした経歴を持つ。就任時の連結売上高は2兆0858億円、純利益は550億円[62]だった。御手洗氏は事業部ごとの採算から、子会社を含む連結全体の利益とキャッシュフローを物差しにする経営へ改め[63]、採算の見えにくい事業からの撤退と研究開発の集約を進めた。技術と販路を自社で抱える自前主義を掲げ、処遇も年功から実力主義へ寄せている。

  • 週刊東洋経済(2003年12月27日)
    • [60]1995年9月 御手洗冨士夫が代表取締役社長に就任。創業者御手洗毅の甥
    • [61]1961年3月 中央大学法学部卒、同年キヤノンカメラ入社、1966年 Canon U.S.A.へ出向
    • [62]1995年の連結売上高2兆0858億円・純利益550億円
    • [63]事業部ごとの採算から連結全体の利益とキャッシュフローを物差しにする経営へ転換

就任後にまず手を入れたのは生産部門で、約四年のうちに五十四工場すべてのベルトコンベヤーを廃し、セル方式へ切り替え[64]ている。仕掛品が人の手に触れられない滞留時間は経理数字上で二十三日から五日へ縮み、部品在庫は三日程度から五、六時間になった[65]。仕掛品と部品在庫の圧縮で工場の運転資金は三分の一となり、およそ2000億円が浮いた計算[66]になる。廃棄したベルトコンベヤーは約二万メートルにのぼり、五十四工場で72万平方メートルが空いて[67]、契約していた外部倉庫は三十七か所から十二か所へ減り年間30億円のコストが下がった[68]。1995年に約62%だった原価率は2003年に50%まで下がっている[69]。御手洗氏はこの過程を「説得あるのみ」と語り、最初に導入した長浜工場の成功例を各工場長へ説いて回った[70](週刊東洋経済 2003/12/27)。

  • 週刊東洋経済(2003年12月27日)
    • [64]約4年で54工場すべてのベルトコンベヤーを廃止しセル方式へ転換
    • [65]仕掛品の滞留は23日から5日へ、部品在庫は3日程度から5〜6時間へ
    • [66]工場の運転資金は3分の1、約2000億円が浮いた
    • [67]ベルトコンベヤー約2万メートルを廃棄、54工場で72万平方メートルが空き、外部倉庫37か所→12か所で年30億円のコストダウン
    • [68]外部倉庫を37か所から12か所へ減らし年間30億円のコストダウン
    • [69]原価率は1995年の約62%から2003年に50%へ低下
    • [70]御手洗冨士夫は「説得あるのみ」と述べ、長浜工場の成功例を各工場長へ説いた

1990年代後半からデジタルカメラの普及が本格化してフィルムからの移行が加速するなか、キヤノンはEOSシリーズでデジタル一眼レフの先頭集団を走り、映像事業の収益基盤を保っている。2000年代には海外売上高比率が80%へ達し、事務機と映像の二本柱でグローバルに展開する体制が整った。2000年9月にはニューヨーク証券取引所へ上場している[71](2023年3月に上場廃止)。生産は国内を軸に据えつつ、1997年3月に中国のCanon(China)[72]、2001年4月にベトナムのCanon Vietnam、同年9月に佳能(蘇州)を設けて[73]アジアの拠点も広げ、為替と地政の変動に対する耐性を高めた。

  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [71]2000年9月 ニューヨーク証券取引所に上場(2023年3月上場廃止)
    • [72]1997年3月 中国にCanon(China)Co.,Ltd.を設立
    • [73]2001年 ベトナムにCanon Vietnam Co.,Ltd.と佳能(蘇州)有限公司を設立
  • 週刊東洋経済(2003年12月27日)
    • [60]1995年9月 御手洗冨士夫が代表取締役社長に就任。創業者御手洗毅の甥
    • [61]1961年3月 中央大学法学部卒、同年キヤノンカメラ入社、1966年 Canon U.S.A.へ出向
    • [62]1995年の連結売上高2兆0858億円・純利益550億円
    • [63]事業部ごとの採算から連結全体の利益とキャッシュフローを物差しにする経営へ転換
    • [64]約4年で54工場すべてのベルトコンベヤーを廃止しセル方式へ転換
    • [65]仕掛品の滞留は23日から5日へ、部品在庫は3日程度から5〜6時間へ
    • [66]工場の運転資金は3分の1、約2000億円が浮いた
    • [67]ベルトコンベヤー約2万メートルを廃棄、54工場で72万平方メートルが空き、外部倉庫37か所→12か所で年30億円のコストダウン
    • [68]外部倉庫を37か所から12か所へ減らし年間30億円のコストダウン
    • [69]原価率は1995年の約62%から2003年に50%へ低下
    • [70]御手洗冨士夫は「説得あるのみ」と述べ、長浜工場の成功例を各工場長へ説いた
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [71]2000年9月 ニューヨーク証券取引所に上場(2023年3月上場廃止)
    • [72]1997年3月 中国にCanon(China)Co.,Ltd.を設立
    • [73]2001年 ベトナムにCanon Vietnam Co.,Ltd.と佳能(蘇州)有限公司を設立

医療とネットワークカメラへのM&A拡張という賭け

連結売上高は2007年12月期に4兆4813億円、営業利益7566億円まで伸びた[74]が、リーマン・ショックを挟んだ2009年12月期には3兆2092億円、営業利益2170億円へ落ち込んだ[75]。先進国のオフィス複合機は普及が一巡し、買い替えの周期も延びて[76]いた。2009年11月、キヤノンはオランダの印刷機大手オセを株式公開買付けで連結子会社化[77]すると発表した。1株8.6ユーロ、総額約7億3000万ユーロで、当時としては過去最大の買収[78]であった。オセは商業印刷で欧州最大級の地位を占め、文書・産業用の印刷システムや高速大判印刷に強く[79]、キヤノンの複写機や大判プリンターと重ならない。自社開発を貫いてきた会社が、他社の技術と販路を買う側へ回った[80]転換にあたる。

  • キヤノン 有価証券報告書(連結・米国会計基準)
    • [74]2007年12月期 連結売上高4兆4813億円・営業利益7566億円
    • [75]2009年12月期 連結売上高3兆2092億円・営業利益2170億円へ落ち込み
  • 週刊東洋経済(2017年4月22日)
    • [76]先進国のオフィス複合機は2000年代後半に普及が一巡し買い替え周期も延伸
  • キヤノン(2009年11月16日)「キヤノンによる蘭・オセ社の連結子会社化について」
    • [77]2009年11月 オランダのオセをTOBで連結子会社化すると発表
    • [78]1株8.6ユーロ・総額約7億3000万ユーロ(約1000億円)で当時過去最大の買収
    • [79]オセは商業印刷で欧州最大級。文書・産業用印刷システムや高速大判デジタルプリントに強く製品が補完しあう
    • [80]自社開発を貫いてきたキヤノンが他社の技術と販路を買う選択へ転じた

オセは2010年3月に子会社となり、以後の買収が続いた[81]。2014年4月に米モレキュラーインプリントを取得して[82]半導体のナノインプリント技術を得て、同年7月にはデンマークのマイルストーンシステムズを迎えて手薄だった映像管理ソフトを補っている[83]。2015年4月にはスウェーデンのアクシスを約3000億円で取得し[84]、ネットワークカメラで当時の世界首位を手に入れた。2016年12月には東芝メディカルシステムズを6655億円で買収し、医療機器へ本格参入[85]している。同社は米GE、独シーメンス、蘭フィリップスに次ぐ世界第4位の画像診断装置メーカーで、CTでは日本首位・世界3位[86]を占めていた。社内ではこれら産業機器・商業印刷機・ネットワークカメラ・医療機器を「4本柱」と呼び[87]、2010年からの買収資金は総額1兆円を超えた[88]

  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [81]2010年 Océ N.V.の株式を取得
    • [82]2014年4月 Molecular Imprints, Inc.の株式を取得、同年7月にMilestone Group A/Sの株式を取得
  • 週刊東洋経済(2017年4月22日)
    • [83]マイルストーンシステムズ買収で苦手だったソフトウエアを拡充
    • [84]2015年 アクシスを約3000億円で買収し当時のトップベンダーを取得
    • [86]東芝メディカルは米GE・独シーメンス・蘭フィリップスに次ぐ世界第4位の画像診断装置メーカー。CTは日本1位・世界3位
    • [87]社内で産業機器・商業印刷機・ネットワークカメラ・医療機器を「4本柱」と呼称
    • [88]2010年以降の新規事業への買収資金は総額1兆円超
  • 日本経済新聞(2016年3月17日)「キヤノン、東芝メディカル買収を発表 6655億円」
    • [85]2016年12月 東芝メディカルシステムズを6655億円で買収し医療機器へ本格参入

買収を重ねた理由を、御手洗氏は「カメラも事務機も成長力を失ってしまった。ポートフォリオを変えていかなければならない」と語り、自分たちの技術を発展させて新産業を生み出すような悠長なやり方では勝負にならない[90]と述べている(週刊東洋経済 2017/04/22)。事務機の部門売上高は2007年に3兆円目前まで伸びたのち2兆円を割り込み、部門営業利益率も2006年の22.3%から半分以下[91]へ下がっていた。収益性の高い一眼レフの出荷台数は2012年をピークにほぼ半減[92]している。一方でアクシスと東芝メディカルの年間営業利益はいずれも100億円程度にとどまり[93]、3000億円と6655億円という買収額との差は大きかった。多額ののれんを抱えた買収であり、想定どおりの収益が上がらなければ減損[94]を迫られる構図でもあった。 [89]

  • 週刊東洋経済(2017年4月22日)
    • [89]御手洗冨士夫「カメラも事務機も成長力を失ってしまった。ポートフォリオを変えていかなければならない」
    • [90]御手洗冨士夫が自前技術による新産業創出を「悠長なことを言っていては勝負にならない」と述べた
    • [91]事務機の部門売上高は2007年に3兆円目前まで伸びたが2兆円割れ、部門営業利益率は2006年の22.3%から半分以下へ
    • [92]一眼レフの出荷台数は2012年のピークからほぼ半減
    • [93]アクシスと東芝メディカルの年間営業利益はいずれも100億円程度
    • [94]多額ののれんを計上した買収であり想定どおりの収益が上がらなければ減損リスクがあると指摘されていた
  • キヤノン 有価証券報告書(連結・米国会計基準)
    • [74]2007年12月期 連結売上高4兆4813億円・営業利益7566億円
    • [75]2009年12月期 連結売上高3兆2092億円・営業利益2170億円へ落ち込み
  • 週刊東洋経済(2017年4月22日)
    • [76]先進国のオフィス複合機は2000年代後半に普及が一巡し買い替え周期も延伸
    • [83]マイルストーンシステムズ買収で苦手だったソフトウエアを拡充
    • [84]2015年 アクシスを約3000億円で買収し当時のトップベンダーを取得
    • [86]東芝メディカルは米GE・独シーメンス・蘭フィリップスに次ぐ世界第4位の画像診断装置メーカー。CTは日本1位・世界3位
    • [87]社内で産業機器・商業印刷機・ネットワークカメラ・医療機器を「4本柱」と呼称
    • [88]2010年以降の新規事業への買収資金は総額1兆円超
    • [89]御手洗冨士夫「カメラも事務機も成長力を失ってしまった。ポートフォリオを変えていかなければならない」
    • [90]御手洗冨士夫が自前技術による新産業創出を「悠長なことを言っていては勝負にならない」と述べた
    • [91]事務機の部門売上高は2007年に3兆円目前まで伸びたが2兆円割れ、部門営業利益率は2006年の22.3%から半分以下へ
    • [92]一眼レフの出荷台数は2012年のピークからほぼ半減
    • [93]アクシスと東芝メディカルの年間営業利益はいずれも100億円程度
    • [94]多額ののれんを計上した買収であり想定どおりの収益が上がらなければ減損リスクがあると指摘されていた
  • キヤノン(2009年11月16日)「キヤノンによる蘭・オセ社の連結子会社化について」
    • [77]2009年11月 オランダのオセをTOBで連結子会社化すると発表
    • [78]1株8.6ユーロ・総額約7億3000万ユーロ(約1000億円)で当時過去最大の買収
    • [79]オセは商業印刷で欧州最大級。文書・産業用印刷システムや高速大判デジタルプリントに強く製品が補完しあう
    • [80]自社開発を貫いてきたキヤノンが他社の技術と販路を買う選択へ転じた
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [81]2010年 Océ N.V.の株式を取得
    • [82]2014年4月 Molecular Imprints, Inc.の株式を取得、同年7月にMilestone Group A/Sの株式を取得
  • 日本経済新聞(2016年3月17日)「キヤノン、東芝メディカル買収を発表 6655億円」
    • [85]2016年12月 東芝メディカルシステムズを6655億円で買収し医療機器へ本格参入

長期政権への株主の視線と、医療事業の減損

御手洗氏は1981年から取締役を務め[95]、社長・会長・CEOを行き来しながら経営の中心にあり続けた。2023年3月30日の定時株主総会では、その取締役再任への賛成率が50.59%[96]にとどまっている。2021年まで約90%だった賛成率は2022年に75.28%へ下がり[97]、この年さらに落ちて可決の水準をわずかに上回る薄氷の再任となった。社外を含めて取締役5名が全員男性で、議決権行使助言会社のISSが女性取締役の不在を理由に反対を推奨し[98]、海外機関投資家が反対へ回っている。確認できた反対理由はいずれも取締役会の多様性の欠如[99]であった。業績は堅調で、2022年12月期は5年ぶりに売上高が4兆円を超え[100]、4兆314億円を計上していた[101]。翌2024年に初の女性社外取締役を迎えると、賛成率は90.86%へ戻し[102]ている。

  • 週刊東洋経済(2023年5月13日)
    • [95]御手洗冨士夫は1981年から取締役を務める
    • [96]2023年3月30日の定時株主総会で御手洗冨士夫の取締役再任への賛成率が50.59%
    • [97]賛成率は2021年まで約90%、2022年に75.28%へ低下
    • [98]社外を含む取締役5名が全員男性。ISSが女性取締役の不在を理由に反対を推奨
    • [99]海外機関投資家の反対理由はいずれも取締役会の多様性の欠如
    • [100]2022年12月期は5年ぶりに売上高4兆円超
  • キヤノン 有価証券報告書(連結・米国会計基準)
    • [101]2022年12月期 連結売上高4兆314億円
  • 日本経済新聞(2024年3月29日)「キヤノン、全取締役の賛成率9割超 28日総会で」
    • [102]2024年に初の女性社外取締役を登用し賛成率は90.86%へ回復

2025年1月30日、キヤノンは2024年12月期決算で医療機器子会社を中心にのれんの減損損失1651億円を計上[103]したと発表した。売上高は4兆5098億円と過去最高を更新しながら、純利益は前期の2645億円から1600億円へ4割減り、4期ぶりの減益[104]となっている。買収後の医療機器事業は売上こそ5000億円超へ伸びた一方、営業利益率は4〜5%で頭打ちとなっていた[105]。円安と原材料高で国内医療機関の経営環境が悪化し、成長を見込んだ中国市場も急速に減速したため[106]、将来計画を保守的に見直した結果、事業価値が帳簿価額を下回った。キヤノンは2024年2月にメディカル事業革新委員会を置き、買収先の経営を各社に委ねてきた方針を転換して[107]、研究開発と本社機能を東京都大田区へ集約している[108]

  • 日本経済新聞(2025年1月30日)「キヤノン40%減益 「旧東芝」医療機器1651億円減損」
    • [103]2025年1月30日 2024年12月期決算で医療機器子会社を中心にのれん減損損失1651億円を計上
    • [104]2024年12月期 売上高4兆5098億円で過去最高、純利益は前期2645億円から1600億円へ約40%減で4期ぶりの減益
  • 週刊東洋経済 2025年4月5日号「キヤノンが巨額減損計上 買収した医療機器にメス」
    • [105]医療機器事業は売上5000億円超へ伸びたが営業利益率は4〜5%で頭打ち
    • [106]円安・原材料高による国内医療機関の環境悪化と中国市場の急失速で将来計画を保守的に見直し、事業価値が帳簿価額を下回った
    • [107]2024年2月 メディカル事業革新委員会を設置し、買収先の経営を各社に任せる方針を転換
    • [108]研究開発と本社機能を東京都大田区へ集約

2026年1月29日、キヤノンは小川一登取締役副社長を社長COOへ昇格させる人事を発表[109]した。御手洗氏は社長職を譲る一方、会長CEOとしてグループ全体の指揮を執り続ける[110]。小川氏の社長就任は3月27日の定時株主総会後で、御手洗氏が社長交代の会見に臨むのは2006年、2016年に続く三度目[111]となった。小川氏は1981年入社の海外営業畑で、シンガポール・香港・中国・カナダなど約三十年の海外駐在を経て[112]、キヤノンUSA社長として感染症下からの回復を支えた。取締役在任44年・経営トップ約30年という御手洗氏の長期政権に対し、CFOやCTOも70代から80代という経営中枢の高齢化[113]を含めて世代交代を求める声が出ていた。2025年12月期の連結売上高は4兆6247億円、純利益は3320億円[114]で、減損を計上した前期から回復している。

  • 週刊東洋経済(2026年2月14日)
    • [109]2026年1月29日 小川一登取締役副社長の社長COO昇格を発表
    • [111]小川一登の社長就任は3月27日の定時株主総会後。御手洗の社長交代会見は2006年・2016年に次ぐ3度目
    • [112]小川一登は1981年入社の海外営業畑。シンガポール・香港・中国・カナダなど約30年の海外駐在を経てキヤノンUSA社長
    • [113]取締役在任44年・経営トップ約30年。CFOやCTOも70〜80代で経営中枢の高齢化に世代交代を求める声
  • 日本経済新聞(2025年9月21日)「キヤノン、小川一登副社長が社長COOに 御手洗冨士夫氏は会長CEO」
    • [110]御手洗冨士夫は社長職を譲り会長CEOとしてグループ全体の指揮を継続
  • キヤノン 有価証券報告書(2025年12月期・連結)
    • [114]2025年12月期 連結売上高4兆6247億円・純利益3320億円
  • 週刊東洋経済(2023年5月13日)
    • [95]御手洗冨士夫は1981年から取締役を務める
    • [96]2023年3月30日の定時株主総会で御手洗冨士夫の取締役再任への賛成率が50.59%
    • [97]賛成率は2021年まで約90%、2022年に75.28%へ低下
    • [98]社外を含む取締役5名が全員男性。ISSが女性取締役の不在を理由に反対を推奨
    • [99]海外機関投資家の反対理由はいずれも取締役会の多様性の欠如
    • [100]2022年12月期は5年ぶりに売上高4兆円超
  • キヤノン 有価証券報告書(連結・米国会計基準)
    • [101]2022年12月期 連結売上高4兆314億円
  • 日本経済新聞(2024年3月29日)「キヤノン、全取締役の賛成率9割超 28日総会で」
    • [102]2024年に初の女性社外取締役を登用し賛成率は90.86%へ回復
  • 日本経済新聞(2025年1月30日)「キヤノン40%減益 「旧東芝」医療機器1651億円減損」
    • [103]2025年1月30日 2024年12月期決算で医療機器子会社を中心にのれん減損損失1651億円を計上
    • [104]2024年12月期 売上高4兆5098億円で過去最高、純利益は前期2645億円から1600億円へ約40%減で4期ぶりの減益
  • 週刊東洋経済 2025年4月5日号「キヤノンが巨額減損計上 買収した医療機器にメス」
    • [105]医療機器事業は売上5000億円超へ伸びたが営業利益率は4〜5%で頭打ち
    • [106]円安・原材料高による国内医療機関の環境悪化と中国市場の急失速で将来計画を保守的に見直し、事業価値が帳簿価額を下回った
    • [107]2024年2月 メディカル事業革新委員会を設置し、買収先の経営を各社に任せる方針を転換
    • [108]研究開発と本社機能を東京都大田区へ集約
  • 週刊東洋経済(2026年2月14日)
    • [109]2026年1月29日 小川一登取締役副社長の社長COO昇格を発表
    • [111]小川一登の社長就任は3月27日の定時株主総会後。御手洗の社長交代会見は2006年・2016年に次ぐ3度目
    • [112]小川一登は1981年入社の海外営業畑。シンガポール・香港・中国・カナダなど約30年の海外駐在を経てキヤノンUSA社長
    • [113]取締役在任44年・経営トップ約30年。CFOやCTOも70〜80代で経営中枢の高齢化に世代交代を求める声
  • 日本経済新聞(2025年9月21日)「キヤノン、小川一登副社長が社長COOに 御手洗冨士夫氏は会長CEO」
    • [110]御手洗冨士夫は社長職を譲り会長CEOとしてグループ全体の指揮を継続
  • キヤノン 有価証券報告書(2025年12月期・連結)
    • [114]2025年12月期 連結売上高4兆6247億円・純利益3320億円

キヤノンの沿革1933〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
キヤノン創業——医・証券・技術の三者結合が興した国産高級カメラ舶来品が独占していた高級小型カメラの国産化に、産婦人科医・御手洗氏毅らはどう挑んだか 詳細を読む★★★
東京目黒に精機光学工業として創立。カメラ製造販売開始
商号をキヤノンカメラに変更
キヤノンカメラと商号変更
東京証券取引所に株式上場
本社工場を新設。北米輸出を本格化
目黒精機製作所(現キヤノンプレシジョン)を設立
秩父英工舎(現キヤノン電子)を設立
ニューヨーク支店開設
カメラ不況により減収決算へ
事務機分野に本格参入★★
Canon U.S.A.,Inc.を設立
「右手にカメラ、左手に事務機」の方針策定
普通紙複写機(PPC)分野に参入★★
キヤノンと商号変更
半導体製造装置を発表★★
キヤノン販売に商号変更
レーザープリンターの開発に成功★★
無配転落。電卓事業の撤退
賀来氏龍三郎氏の社長抜擢と事業部制による事務機集中電卓の失敗で無配に沈んだキヤノンを、常務から抜擢された賀来氏龍三郎氏はどう立て直したか 詳細を読む★★★
バブルジェット記録方式の開発に成功★★
大分キヤノンを設立
HP社と業務協力提携を締結。LBPのOEM供与へ
Canon Virginia,Inc.を設立
中華人民共和国に佳能大連事務機有限公司を設立
BJP「BJ-10v」の発売(BtoC向け)
御手洗冨士夫御手洗氏冨士夫氏の社長就任と連結経営・自前主義への転換消耗品で稼ぐ強いモデルの死角に、実質創業家の御手洗氏冨士夫氏はどう先手を打ったか 詳細を読む★★★
御手洗冨士夫中華人民共和国にCanon(China)Co.,Ltd.を設立
御手洗冨士夫セル生産方式を導入
御手洗冨士夫大分キヤノンマテリアルを設立
御手洗冨士夫ニューヨーク証券取引所に上場(2023年3月 上場廃止)
御手洗冨士夫アネルバ(現キヤノンアネルバ)の株式を取得
御手洗冨士夫NECマシナリー(現キヤノンマシナリー)の株式を取得
御手洗冨士夫原価改善により過去最高収益へ
御手洗冨士夫リーマンショックで減収減益。本業が頭打ちに
御手洗冨士夫「自前主義」を返上した初の大型買収——蘭オセの連結子会社化独自技術を磨き続けるか、他社の技術と販路を買うか——事務機の飽和を前に、商業印刷へ活路を求めた選択 詳細を読む★★★
御手洗冨士夫Axis Communicationsを買収発表★★
御手洗冨士夫東芝メディカルシステムズの6655億円買収と医療への本格参入停滞する祖業カメラをどう越えるか——独占禁止法の事前届出を先回りした「灰色」の買収スキームをめぐる問い 詳細を読む★★★
御手洗冨士夫Redlen Technologies Inc.の株式を取得
御手洗冨士夫取締役候補を全員男性としたキヤノンと、御手洗会長の賛成率50.59%業績ではなく取締役会の多様性が問われたとき、株をほとんど持たない実質トップは信任されるのか——長期政権と議決権行使の潮流が衝突した株主総会 詳細を読む★★★
御手洗冨士夫医療機器事業ののれん1651億円減損と本社一体化による立て直し買収から8年、成長の柱に据えた医療をどう立て直すか——「各社に任せる」方針の転換をめぐって 詳細を読む★★★
3度目の社長交代と、御手洗氏冨士夫会長による「並走」体制90歳のCEOはいつ世代へ引き渡すのか——小川一登氏への社長COO移譲と、なお手放されないCEO職 詳細を読む★★★
出典・参考
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 新日本経済(1950年10月20日)
  • ダイヤモンド(1956年10月23日)
  • 技術開発の昭和史(森谷正規, 東洋経済新報社, 1986)5章「5普通紙複写機」
  • 週刊東洋経済(1972年1月15日)
  • 週刊東洋経済(1977年7月30日)
  • 日経ビジネス(1983年10月31日)
  • 日経ビジネス(1990年1月1日)
  • 週刊東洋経済(2003年12月27日)
  • キヤノン 有価証券報告書(連結・米国会計基準)
  • 週刊東洋経済(2017年4月22日)
  • キヤノン(2009年11月16日)「キヤノンによる蘭・オセ社の連結子会社化について」
  • 日本経済新聞(2016年3月17日)「キヤノン、東芝メディカル買収を発表 6655億円」
  • 週刊東洋経済(2023年5月13日)
  • 日本経済新聞(2024年3月29日)「キヤノン、全取締役の賛成率9割超 28日総会で」
  • 日本経済新聞(2025年1月30日)「キヤノン40%減益 「旧東芝」医療機器1651億円減損」
  • 週刊東洋経済 2025年4月5日号「キヤノンが巨額減損計上 買収した医療機器にメス」
  • 週刊東洋経済(2026年2月14日)
  • 日本経済新聞(2025年9月21日)「キヤノン、小川一登副社長が社長COOに 御手洗冨士夫氏は会長CEO」
  • キヤノン 有価証券報告書(2025年12月期・連結)

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