キヤノン の歴史

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沿革

1933〜2026年 1933年に吉田五郎氏と内田三郎氏が東京に開設した精機光学研究所が起源。1975年に開発したレーザープリンターを1985年からHP社へOEM供与し、事務機へ軸を移した。売上の過半をプリンティングが占め、カメラではニコンと並ぶ二大ブランドである。

沿革

1933年に吉田五郎氏と内田三郎氏が東京に開設した精機光学研究所が起源。

1975年に開発したレーザープリンターを1985年からHP社へOEM供与し、事務機へ軸を移した。売上の過半をプリンティングが占め、カメラではニコンと並ぶ二大ブランドである。

1933年〜創業期精機光学研究所によるカメラ国産化と北米輸出の本格化

  1. 精機光学研究所を発足
  2. 東京目黒に精機光学工業として創立。カメラ製造販売開始
  3. 商号をキヤノンカメラに変更
  4. キヤノンカメラと商号変更
  5. 東京証券取引所に株式上場
  6. 本社工場を新設。北米輸出を本格化
  7. 目黒精機製作所(現キヤノンプレシジョン)を設立
  8. 秩父英工舎(現キヤノン電子)を設立
  9. ニューヨーク支店開設
  10. カメラ不況により減収決算へ
  11. 事務機分野に本格参入
  12. Canon U.S.A.,Inc.を設立
キヤノン売上高1966年12月期162億円

1967年〜転換期PPC参入と電卓事業撤退による1975年の無配転落

  1. 「右手にカメラ、左手に事務機」の方針策定
  2. 普通紙複写機(PPC)分野に参入
  3. キヤノンと商号変更
  4. 半導体製造装置を発表
  5. キヤノン販売に商号変更
  6. レーザープリンターの開発に成功
  7. 無配転落。電卓事業の撤退
キヤノン売上高1976年12月期1,019億円

1977年〜安定成長期賀来龍三郎の再建とHPへのレーザープリンターOEM供与

  1. 賀来龍三郎氏が代表取締役社長に就任
  2. バブルジェット記録方式の開発に成功
  3. 大分キヤノンを設立
  4. HP社と業務協力提携を締結。LBPのOEM供与へ
  5. Canon Virginia,Inc.を設立
  6. 山路敬三氏が代表取締役社長に就任
  7. 中華人民共和国に佳能大連事務機有限公司を設立
  8. BJP「BJ-10v」の発売(BtoC向け)
  9. 御手洗肇氏が代表取締役社長に就任
キヤノン売上高1994年12月期19,333億円

1995年〜安定成長期御手洗冨士夫のセル生産と原価改善による過去最高益

  1. 御手洗冨士夫氏が代表取締役社長に就任
  2. 中華人民共和国にCanon(China)Co.,Ltd.を設立
  3. セル生産方式を導入
  4. 大分キヤノンマテリアルを設立
  5. ニューヨーク証券取引所に上場(2023年3月 上場廃止)
  6. アネルバ(現キヤノンアネルバ)の株式を取得
  7. NECマシナリー(現キヤノンマシナリー)の株式を取得
  8. 原価改善により過去最高収益へ
キヤノン売上高2008年12月期40,941億円

2009年〜リーマンショックによる本業の頭打ちとオセ・Axis買収

  1. リーマンショックで減収減益。本業が頭打ちに
  2. オセの公開買付けが成立しグループ入り(2009年11月に買収を決議)
  3. Axis Communicationsを買収発表
キヤノン売上高2015年12月期38,002億円

2016年〜東芝メディカル買収と医療機器ののれん減損1651億円

  1. 東芝メディカルを買収
  2. Redlen Technologies Inc.の株式を取得
  3. 海外機関投資家が御手洗社長の解任を支持
  4. 医療機器事業でのれん減損1651億円を計上
  5. キヤノンメディカルシステムズとの吸収分割を決定
  6. 小川一登副社長の社長COO昇格を発表(3度目の社長交代)
  7. 抱合せ株式消滅差損を個別決算で計上
キヤノン売上高2025年12月期46,247億円

系譜

前身は1933年発足の精機光学研究所。1947年にキヤノンカメラ、1969年にキヤノンへ商号変更した。2010年にオセを公開買付けで傘下に収め、2016年に東芝メディカルを買収。M&Aによる多角化で事業ポートフォリオを広げた。

系譜

前身は1933年発足の精機光学研究所。

1947年にキヤノンカメラ、1969年にキヤノンへ商号変更した。2010年にオセを公開買付けで傘下に収め、2016年に東芝メディカルを買収。M&Aによる多角化で事業ポートフォリオを広げた。

1933年 1947年 1969年 2010年 2015年2016年 2026年 精機光学研究所 1933年発足 キヤノンカメラ 1947年商号変更 キヤノン 1969年商号変更 オセ 2010年TOB成立で買収 Axis 2015年買収 東芝メディカル 2016年買収
長期業績の推移 1949〜2025年

業績

キヤノン:歴代社長と長期業績の推移売上高(億円)純利益率(%)
1970年12月期〜2025年12月期

第1章 1933年〜 精機光学研究所によるカメラ国産化と北米輸出の本格化

筆者考察y.sugiura, author

下丸子へ投じた2億円は、注文が積み上がってから設備を足す順序ではなく、工場を先に建てて製品を後から入れる順序を選んだ投資だった。資本金2000万円の10倍という規模は、当時のカメラ工場の常識を外れている。その賭けが3年で回収できたのは、高級機に絞って売上高利益率10%超を保てたからであり、快心の作が出るまで量産を自重するという御手洗毅氏の方針と表裏をなしていた。品質で選ばれる市場にとどまる限り、数量と価格の競争に引き込まれずに済む。ジャーデンマセソンとの総代理店契約もニューヨーク支店も、その前提の上に置かれた輸出の装置である。

その前提を自ら崩したのがキヤノネットだった。1万9,800円という値付けはカメラ業界の一斉の反発を招き、公正取引委員会の調査にまで及んでいる。9か月で21万台、2年半で100万台という数量は、高級機の商売とは原価の作り方が違う。注文に追われて取手用地の旧工場棟へ急ぎ組立てラインを敷いたのは、量産体制が足りないことを認めた手続きだった。同じ時期に踏み出した磁気録音装置のシンクロリーダーは850台で終わったが、そこへ投じた人員と材料の技術は消えず、電卓と複写機へ充当された。カメラで確立した輸出の装置は、カメラ以外の商品も売り込めるかを次の10年に試されることになる。

当期純利益(単体) 1949年12月期〜1966年12月期(億円)

0.056 49 0.718 51 1.42 53 3.07 55 3.77 57 2.12 59 7.32 61 9.8 62 10.5 63 6.1 64 3.5 65 3.4 66
  • 棒はすべて単体。出所は会社年鑑。
  • 同じ期間に売上高は2.05億円から162億円へ伸びている。

1933年〜産婦人科医の出資で生まれた国産高級カメラ

1933年11月、映写機技術者の吉田五郎氏と証券業の内田三郎氏が、東京麻布六本木のアパートの一室に精機光学研究所を興した。掲げた目的は精密高級35ミリカメラの研究と製作であり、当時この領域は舶来品が占めていた。資金を出したのは、内田三郎氏の妻の出産を担当した聖母病院の産婦人科部長・御手洗毅氏である。1935年に苦心の研究が実って製品化にこぎつけ、はじめ千手観音にちなむ"Kwanon"と名付けたものの、まもなく"Canon"へ改めている。聖典・規範・標準を意味する語であり、標準となる優秀なカメラをつくるという理想を託した。1936年に目黒へ工場を新設して量産へ移り、1937年8月には資本金100万円で精機光学工業株式会社へ改組した。1939年にはレンズの内製を始め、同年に日本最初のX線間接撮影装置・X線キヤノンを完成させて医療機器へも踏み出している。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [1]創立者は吉田五郎氏(技術)と内田三郎氏(営業)。内田氏は山一証券から外務員へ転じ証券の大口取引を扱っていた
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [2]1933年11月 東京麻布六本木に精機光学研究所を発足
    • [6]1937年8月 東京目黒に精機光学工業株式会社として資本金100万円で創立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]設立目的は精密高級35ミリカメラの研究と製作
    • [4]1935年 製品化に成功
    • [5]ブランド名は「Kwanon」から「Canon」へ改称。Canonは聖典・規範・標準の意
    • [7]1939年 レンズの生産開始、日本最初のX線間接撮影装置X線キヤノンを完成し医療機器へ進出
    • [8]X線キヤノンを第一歩として医療機器分野へ進出

戦時統制は、創業の商品である高級カメラを市場から締め出した。横須賀海軍病院の横倉誠次郎軍医大佐は、海軍で結核の集団検診を実現しようとしており、その要望を聞いて1940年6月にX線間接撮影カメラの設計へ入り、大佐の示した仕様をもとに同年12月に仕上げた。同じ1940年の7月には奢侈品等製造販売制限規則が出され、1台500円を超える写真機は売ることができなくなった。同じ年の12月に決まった公定価格は、キヤノン最新型で卸384円、小売480円である。1941年には月産70台から74台という最高の生産能力に届いたものの、ほとんどは軍部向けで、民間へはもう回らなかった。写真機に代わって主力の座に据えられたのが、このX線間接撮影カメラだった。1942年上半期には、国民厚生上必須の製品として軍部をはじめ各方面からの需要が多く、X線間接撮影カメラは主要製品の地位を占めるまでに育っていた。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [9]横須賀海軍病院理学的治療科長の横倉誠次郎軍医大佐の仕様により1940年6月設計着手、同年12月完成。年末に海軍型X線間接撮影装置を納入
    • [10]1940年7月 奢侈品等製造販売制限規則の公布で1台500円超の写真機が販売禁止。同年12月の公定価格でキヤノン最新型は卸384円・小売480円
    • [11]1940年7月 奢侈品等製造販売制限規則の公布で1台500円超の写真機が販売禁止。同年12月の公定価格でキヤノン最新型は卸384円・小売480円
    • [12]1941年の生産能力は月産70〜74台で最高。大部分が軍部へ納入され民間には渡らなかった
    • [13]1942年上半期の営業報告書にX線間接撮影カメラは国民厚生上必須の製品として需要が多いと記載され、同社の主要製品の地位を占めた

取締役社長に御手洗毅氏が就任したのは1942年9月で、これに先立つ同年2月、最高責任者だった内田三郎氏が公用でシンガポールへ発つにあたり、全従業員を集めた場で取締役の御手洗毅氏に後事を託していた。敗戦翌月の1945年10月には早くも生産を立て直し、翌1946年に世に出たキヤノンS型は進駐軍の将兵や日本を訪れた買い付け人から評判を得て、海外でキヤノンの名が知られるきっかけになった。産婦人科医を辞めて経営に打ち込むようになったのもこのころで、御手洗毅氏は外国製品と張り合える国産カメラを完成させることを事業の目的に掲げた。商号をキヤノンカメラ株式会社に改めたのが1947年9月、東京証券取引所に株式を上場したのが1949年5月で、これで資本市場から資金を調達できるようになった。1950年の欧米視察で御手洗毅氏は『日本商品がいかに不信用かであり、日本商品の道徳感がいかに低いかという一言に尽き、業界の覚醒を促して止まない衝動を覚えた』と述べており、Made in Japan への評価の低さを輸出の前提条件として受け止めていた。

  • 会社年鑑
    • [14]1942年9月 御手洗毅氏が取締役社長に就任
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [15]1942年2月 内田三郎氏が全従業員を集めて取締役の御手洗毅氏へ後事を託し、公用でシンガポールへ赴いた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [16]1945年10月 生産を再開
    • [17]1946年 キヤノンS型が進駐軍将兵・来日バイヤーに好評、キヤノンの名が海外に認められる
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [18]1947年9月 商号をキヤノンカメラ株式会社へ変更
    • [19]1949年5月 東京証券取引所に上場
  • 新日本経済(1950年10月20日)
    • [20]1950年の欧米視察で御手洗毅が日本商品への評価の低さを述べた
参考文献[1]-[20]
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [1]創立者は吉田五郎氏(技術)と内田三郎氏(営業)。内田氏は山一証券から外務員へ転じ証券の大口取引を扱っていた
    • [9]横須賀海軍病院理学的治療科長の横倉誠次郎軍医大佐の仕様により1940年6月設計着手、同年12月完成。年末に海軍型X線間接撮影装置を納入
    • [10]1940年7月 奢侈品等製造販売制限規則の公布で1台500円超の写真機が販売禁止。同年12月の公定価格でキヤノン最新型は卸384円・小売480円
    • [11]1940年7月 奢侈品等製造販売制限規則の公布で1台500円超の写真機が販売禁止。同年12月の公定価格でキヤノン最新型は卸384円・小売480円
    • [12]1941年の生産能力は月産70〜74台で最高。大部分が軍部へ納入され民間には渡らなかった
    • [13]1942年上半期の営業報告書にX線間接撮影カメラは国民厚生上必須の製品として需要が多いと記載され、同社の主要製品の地位を占めた
    • [15]1942年2月 内田三郎氏が全従業員を集めて取締役の御手洗毅氏へ後事を託し、公用でシンガポールへ赴いた
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [2]1933年11月 東京麻布六本木に精機光学研究所を発足
    • [6]1937年8月 東京目黒に精機光学工業株式会社として資本金100万円で創立
    • [18]1947年9月 商号をキヤノンカメラ株式会社へ変更
    • [19]1949年5月 東京証券取引所に上場
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]設立目的は精密高級35ミリカメラの研究と製作
    • [4]1935年 製品化に成功
    • [5]ブランド名は「Kwanon」から「Canon」へ改称。Canonは聖典・規範・標準の意
    • [7]1939年 レンズの生産開始、日本最初のX線間接撮影装置X線キヤノンを完成し医療機器へ進出
    • [8]X線キヤノンを第一歩として医療機器分野へ進出
    • [16]1945年10月 生産を再開
    • [17]1946年 キヤノンS型が進駐軍将兵・来日バイヤーに好評、キヤノンの名が海外に認められる
  • 会社年鑑
    • [14]1942年9月 御手洗毅氏が取締役社長に就任
  • 新日本経済(1950年10月20日)
    • [20]1950年の欧米視察で御手洗毅が日本商品への評価の低さを述べた

1951年〜下丸子工場への10倍投資が支えた輸出経営

1951年、御手洗毅氏は英国系の貿易商社ジャーデンマセソンと海外輸出総代理店契約を締結し、50万ドルの借入をあわせて本格的な輸出に着手した。同じ年の11月には東京都大田区下丸子へ本社と工場を集結させ、将来の発展に向けた基礎固めとしている。投じた額は2億円で、当時の資本金2000万円の10倍にあたり、通常の設備投資の水準を大きく超えた。あわせて東京銀座にサービスセンターを開設し、国内の顧客対応にも拠点を開設した。完成した工場は木造の町工場的存在から近代工場へ飛躍したと当時評され(ダイヤモンド 1956/10/23)、高級カメラへの特化と規模の先行投資によって品質と数量を同時に担保する生産設計が、以後の輸出経営を支える物理的な基盤となった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [21]英国系貿易商社ジャーデンマセソンと海外輸出総代理店契約を締結し本格的な輸出へ
    • [23]1951年 東京銀座にサービスセンターを開設
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [22]1951年11月 東京都大田区下丸子に本社・工場を集結
  • ダイヤモンド(1956年10月23日)
    • [24]下丸子工場は「木造の町工場的存在から、近代工場に飛躍した」と評された

高級カメラへの特化により売上高利益率は10%超を保ち、2億円の投資は3年で回収された。あわせて1952年12月に目黒精機製作所、1954年5月に秩父英工舎を設立し、部品を自社系列で賄う体制も整えている。1955年10月にはニューヨーク支店を開設して現地の販売体制を構築し、米国市場への直接の販路を得ている。1957年9月にはスイスへ欧州総代理店としてCanon Europe S.A.を置き、北米と欧州の双方を自社の販売網で押さえた。快心の作が出るまでは量産を自重するという御手洗毅氏の方針のもと、品質に確信を持てるまで輸出を急がず、準備が整った段階で量産と輸出に踏み切る手順が定着した。

  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [25]1952年12月 (株)目黒精機製作所(現キヤノンプレシジョン)を設立、1954年5月 (株)秩父英工舎(現キヤノン電子)を設立
    • [26]1955年10月 ニューヨーク支店を開設
    • [27]1957年9月 スイスに欧州総代理店としてCanon Europe S.A.を開設

カメラで積んだレンズ設計の蓄積は、カメラ以外の光学機器へも向けられた。1956年からは8ミリシネカメラのキヤノン8T、キヤノンズーム8、8ミリ用プロジェクター、テレビカメラ用レンズを相次いで発表している。1959年には焦点距離45ミリから200ミリの自社初のスタジオズームIS-I型を出し、外国製を含む他社製品に比べて性能が高かったため、国内の市場占有率は95%を超えた。1960年にはズームとフォーカスを1本の棒で動かす一軸二操作方式のIS-III型を発表し、以後の日本のズームレンズの大半がこの方式を採ることになった。同じ年に始まったカラー放送に対しても分解光学系の研究を早くから進め、各放送局の要望に応えている。1961年5月には、ズームレンズの開発が映画とテレビに果たした功績に対して日本映画技術協会賞が贈られた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [28]1956年より8ミリシネカメラ キヤノン8T・キヤノンズーム8・8ミリ用プロジェクター・テレビカメラ用レンズを発表
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [29]1959年 f=45-200mmF2.8の自社初のスタジオズームIS-I型を発売。他メーカー製品より高性能で国内市場占有率95%超
    • [30]1960年 一軸二操作方式のIS-III型(f=50-200mmF4)を発表。以降の日本のズームレンズの大半がこの方式を採用
    • [31]1960年開始のカラー放送に対し早くから分解光学系の研究を進め各放送局の要望に応えた
    • [32]1961年5月 ズームレンズの開発と一連のキヤノンズームレンズ群が映画やテレビに果たした功績に対し日本映画技術協会賞を受賞
参考文献[21]-[32]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [21]英国系貿易商社ジャーデンマセソンと海外輸出総代理店契約を締結し本格的な輸出へ
    • [23]1951年 東京銀座にサービスセンターを開設
    • [28]1956年より8ミリシネカメラ キヤノン8T・キヤノンズーム8・8ミリ用プロジェクター・テレビカメラ用レンズを発表
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [22]1951年11月 東京都大田区下丸子に本社・工場を集結
    • [25]1952年12月 (株)目黒精機製作所(現キヤノンプレシジョン)を設立、1954年5月 (株)秩父英工舎(現キヤノン電子)を設立
    • [26]1955年10月 ニューヨーク支店を開設
    • [27]1957年9月 スイスに欧州総代理店としてCanon Europe S.A.を開設
  • ダイヤモンド(1956年10月23日)
    • [24]下丸子工場は「木造の町工場的存在から、近代工場に飛躍した」と評された
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [29]1959年 f=45-200mmF2.8の自社初のスタジオズームIS-I型を発売。他メーカー製品より高性能で国内市場占有率95%超
    • [30]1960年 一軸二操作方式のIS-III型(f=50-200mmF4)を発表。以降の日本のズームレンズの大半がこの方式を採用
    • [31]1960年開始のカラー放送に対し早くから分解光学系の研究を進め各放送局の要望に応えた
    • [32]1961年5月 ズームレンズの開発と一連のキヤノンズームレンズ群が映画やテレビに果たした功績に対し日本映画技術協会賞を受賞

1958年〜キヤノネットの中級機参入とシンクロリーダーの挫折

議論に決着をつけたのは、設計課員の構想による自動露出機構の試作が成功したことだった。そこへ至るまでに、会社としての方針が固まらないうちから、とにかく試作は進めてみようと技術部長が道筋を示し、開発部門が先に動いていた。発端は1958年秋で、高級機に特化してきた路線を崩すかどうかをめぐり、社内は二つに割れた。すでに高級機メーカーの地位を得ている以上、あえて中級機に参入する必要はないとする慎重派と、危うくとも中級機に打って出てカメラ全般を手がけるメーカーを目指すべきだとする推進派がぶつかり、対立は開発設計の担当者の間にも及んでいた。1960年8月、予告した新製品の発売価格を2万円未満とすると明らかにすると、業界から激しい反発が起きた。国内での発売は1961年春へ先送りし、それまでに作った分は残らず輸出に回して収めた。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [33]1958年秋からキヤノネットの開発が始まり、中級機参入の可否をめぐって社内を二分する議論。技術部長の方向づけで試作が先行し、設計課員によるEE機構の試作成功が議論に決着をつけた
    • [34]1958年秋からキヤノネットの開発が始まり、中級機参入の可否をめぐって社内を二分する議論。技術部長の方向づけで試作が先行し、設計課員によるEE機構の試作成功が議論に決着をつけた
    • [35]1958年秋からキヤノネットの開発が始まり、中級機参入の可否をめぐって社内を二分する議論。技術部長の方向づけで試作が先行し、設計課員によるEE機構の試作成功が議論に決着をつけた
    • [36]1960年8月の新製品予告で「発売価格は2万円を割る」と公表し業界が反発。国内発売を1961年春まで延期し、それまでの生産分は全部輸出向けとした
    • [37]1960年8月の新製品予告で「発売価格は2万円を割る」と公表し業界が反発。国内発売を1961年春まで延期し、それまでの生産分は全部輸出向けとした

キヤノネットの生産は下丸子工場で立ち上げたが、注文が押し寄せたため、先に取得していた茨城県取手の用地に残る旧工場棟へ組立てラインを急いで設け、そこからの最初の出荷は1961年3月となった。国内での販売はそれより前の1961年1月に始まっており、本体価格1万9,800円の同機は、明るさに合わせて絞りが自動で決まるシャッター速度優先式の自動露出機構と、45ミリF1.9のレンズを組み合わせており、売れ行きは同年11月までに21万台を上回り、1963年7月には生産の累計が100万台に達した。カメラ業界がそろって非難の声を上げた件では、のちに公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いで調査を始めたが、安値ダンピングを疑われて喚問された会社側は、原価の構成を示して嫌疑を晴らした。1960年12月期に42億7,000万円だった売上高は1963年12月期には141億円となり、3年で3倍を上回った。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [38]注文が殺到したため取得済みの茨城県取手用地内の旧工場棟に急遽組立てラインを設置。同工場からの初出荷は1961年3月
    • [39]1961年1月 キヤノネットの国内販売を開始。本体価格1万9,800円、シャッター速度優先式EE・45mmF1.9レンズ。同年11月までに21万台を突破し、1963年7月に生産累計100万台
    • [40]1961年1月 キヤノネットの国内販売を開始。本体価格1万9,800円、シャッター速度優先式EE・45mmF1.9レンズ。同年11月までに21万台を突破し、1963年7月に生産累計100万台
    • [41]カメラ業界の一斉の非難行為に公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いで調査。同社も安値ダンピングの疑いで喚問を受け、原価構成を示して疑いを解いた
  • 会社年鑑
    • [42]1960年12月期 売上高42.70億円、1963年12月期 売上高141億円

東京工業大学の星野豊教授が考え出した磁気録音装置を、シンクロリーダーの名で世に出したのは1959年5月で、紙の印刷物に目を通しながら音声を耳で確かめられる点が売り物だった。時期を同じくして参入したこの新分野では、結末が異なった。製品にすると決めてから発売までは約2年で、途中入社の人員も含めて多くの人手を新しい技術領域に振り向けたにもかかわらず、同年上期の販売は合計850台に終わり、前評判には届かなかった。13万5,000円の本体価格が割高と見られたうえ、その年の秋には他社から安い類似品も現れたうえ、東京芝浦電気と共同で開発し1960年1月に出したシートレコーダーも、販売台数が見込みに達せず、生産の打ち切りに至った。当期純利益は1963年12月期の10億5,000万円から1965年12月期の3億5,000万円へ減少した。異分野へ投じた人員と材料の技術は社内に残り、1964年10月の電子式卓上計算機の発売で事務機分野へ向け直されることになる。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [43]1959年5月 シンクロリーダーを発売。東京工業大学の星野豊教授の考案による磁気録音装置で、製品化決定から約2年で発売。同年上期の販売は850台にとどまり、本体13万5,000円の割高感と同年秋の他社の安価な類似品が不振の理由
    • [44]1959年5月 シンクロリーダーを発売。東京工業大学の星野豊教授の考案による磁気録音装置で、製品化決定から約2年で発売。同年上期の販売は850台にとどまり、本体13万5,000円の割高感と同年秋の他社の安価な類似品が不振の理由
    • [45]1959年5月 シンクロリーダーを発売。東京工業大学の星野豊教授の考案による磁気録音装置で、製品化決定から約2年で発売。同年上期の販売は850台にとどまり、本体13万5,000円の割高感と同年秋の他社の安価な類似品が不振の理由
    • [46]1960年1月 東京芝浦電気との共同開発によるシートレコーダーを発表したが期待に届かず生産打切り
  • 会社年鑑
    • [47]1963年12月期 当期純利益10.5億円、1965年12月期 当期純利益3.5億円
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [48]1964年10月 電子式卓上計算機を発売し本格的に事務機分野へ進出
参考文献[33]-[48]
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [33]1958年秋からキヤノネットの開発が始まり、中級機参入の可否をめぐって社内を二分する議論。技術部長の方向づけで試作が先行し、設計課員によるEE機構の試作成功が議論に決着をつけた
    • [34]1958年秋からキヤノネットの開発が始まり、中級機参入の可否をめぐって社内を二分する議論。技術部長の方向づけで試作が先行し、設計課員によるEE機構の試作成功が議論に決着をつけた
    • [35]1958年秋からキヤノネットの開発が始まり、中級機参入の可否をめぐって社内を二分する議論。技術部長の方向づけで試作が先行し、設計課員によるEE機構の試作成功が議論に決着をつけた
    • [36]1960年8月の新製品予告で「発売価格は2万円を割る」と公表し業界が反発。国内発売を1961年春まで延期し、それまでの生産分は全部輸出向けとした
    • [37]1960年8月の新製品予告で「発売価格は2万円を割る」と公表し業界が反発。国内発売を1961年春まで延期し、それまでの生産分は全部輸出向けとした
    • [38]注文が殺到したため取得済みの茨城県取手用地内の旧工場棟に急遽組立てラインを設置。同工場からの初出荷は1961年3月
    • [39]1961年1月 キヤノネットの国内販売を開始。本体価格1万9,800円、シャッター速度優先式EE・45mmF1.9レンズ。同年11月までに21万台を突破し、1963年7月に生産累計100万台
    • [40]1961年1月 キヤノネットの国内販売を開始。本体価格1万9,800円、シャッター速度優先式EE・45mmF1.9レンズ。同年11月までに21万台を突破し、1963年7月に生産累計100万台
    • [41]カメラ業界の一斉の非難行為に公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いで調査。同社も安値ダンピングの疑いで喚問を受け、原価構成を示して疑いを解いた
    • [43]1959年5月 シンクロリーダーを発売。東京工業大学の星野豊教授の考案による磁気録音装置で、製品化決定から約2年で発売。同年上期の販売は850台にとどまり、本体13万5,000円の割高感と同年秋の他社の安価な類似品が不振の理由
    • [44]1959年5月 シンクロリーダーを発売。東京工業大学の星野豊教授の考案による磁気録音装置で、製品化決定から約2年で発売。同年上期の販売は850台にとどまり、本体13万5,000円の割高感と同年秋の他社の安価な類似品が不振の理由
    • [45]1959年5月 シンクロリーダーを発売。東京工業大学の星野豊教授の考案による磁気録音装置で、製品化決定から約2年で発売。同年上期の販売は850台にとどまり、本体13万5,000円の割高感と同年秋の他社の安価な類似品が不振の理由
    • [46]1960年1月 東京芝浦電気との共同開発によるシートレコーダーを発表したが期待に届かず生産打切り
  • 会社年鑑
    • [42]1960年12月期 売上高42.70億円、1963年12月期 売上高141億円
    • [47]1963年12月期 当期純利益10.5億円、1965年12月期 当期純利益3.5億円
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [48]1964年10月 電子式卓上計算機を発売し本格的に事務機分野へ進出

第2章 1967年〜 PPC参入と電卓事業撤退による1975年の無配転落

筆者考察y.sugiura, author

1967年から1975年までの9年で、売上高は181億円から749億円へ4倍になった。ところが当期純利益は1970年12月期の23億6,000万円を頂点に、1975年12月期には8億2,000万円まで減少している。事務機は売上を作ったが、利益を作ったとは言い難い。電卓は年率およそ30%の値下げに追われ、部品の合理化では吸収できず、開発のモデルチェンジでしか原価を下げられない商売になっていた。複写機は独自方式を立てるまでに8年を要し、その間に部門は累積10億円の赤字を出している。号令として掲げた二本柱は、載せた二つの商品の性格がまるで違った。

それでも複写機だけが残ったのは、方式を自前で持ったからである。ゼロックスの600件を超える特許を迂回できないと判じた田中宏氏は、カメラの受光素子として研究されていた硫化カドミウムに絶縁層を重ね、帯電する働きと電荷を保つ働きを分けた。電卓は他社と同じ部品を同じように組む商売で、値下げの速さが競争の焦点になる。複写機は方式そのものが他社と違い、参入したい企業へ特許を与える側に回れた。1975年上期の1億7,177万円の損失と、転換社債の条項が確定させた無配は、右手と左手に載せた商品の違いが決算に表れた結果だった。

当期純利益(単体) 1967年12月期〜1975年12月期(億円)

6.6 67 9.7 68 17.8 69 23.6 70 12.1 71 11.8 72 17.8 73 13 74 8.2 75
  • 棒はすべて単体。出所は会社年鑑。
  • 同じ期間に売上高は181億円から749億円へ伸びている。

1967年〜事務機と光学特機の売上比率42%への急伸とキヤノンへの改称

創立30周年を迎えた1967年の年頭挨拶で、社長の御手洗毅氏は『今年において会社繁栄の基礎を築くためには、右手にカメラ、左手に事務機光学特機をふりかざし、しかも輸出を大いに伸ばしていかなければなりません』と述べた。以後この言葉は社業の進路を表すものとして社内外で繰り返し使われた。前年の1966年に事務機と光学特機の売上は全体の16.5%にとどまっていたが、電卓や複写機といった新製品が加わった1968年には22%、1969年には42%に達している。売上高そのものも1966年12月期の162億円から1969年12月期の333億円へ伸びた。1969年3月1日、カメラ専業という印象を払い、カメラと事務機の総合精密機械メーカーとして飛躍するため、商号をキヤノンカメラ株式会社からキヤノン株式会社へ改めている。3年で事業構成の4割を新しい分野が占めるに至った変化は、号令が数字を作ったというより、事務機の需要が会社の想定を超えて立ち上がったことを示している。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [49]1967年の年頭挨拶で御手洗毅社長が「右手にカメラ、左手に事務機光学特機をふりかざし、しかも輸出を大いに伸ばしていかなければなりません」と述べ、以後社業の進路を表すスローガンとして社内外で用いられた
    • [50]1967年の年頭挨拶で御手洗毅社長が「右手にカメラ、左手に事務機光学特機をふりかざし、しかも輸出を大いに伸ばしていかなければなりません」と述べ、以後社業の進路を表すスローガンとして社内外で用いられた
    • [51]事務機・光学特機部門の売上比率は1966年16.5%、1968年22%、1969年42%
  • 会社年鑑
    • [52]1966年12月期 売上高162億円、1969年12月期 売上高333億円
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [53]1969年3月1日 商号をキヤノンカメラ株式会社からキヤノン株式会社へ変更。カメラ専業のイメージを拭い、カメラと事務機の総合精密機械メーカーとして飛躍するため

多角化を本格的に広げること、需要の伸びに合わせて生産能力を増やすこと、自社製品を自社ブランドのまま自社の販路で世界へ売る輸出体制をつくること、という三つの狙いを据えたのが第2次長期経営計画で、多角化は第1次計画でまいた種を育てるものだった。期間は1968年から1972年までの5年間とされ、第1次長期経営計画が終わってから1年を空けて策定されて、5年後に社員6,000人・売上高400億円を達成することを目指した。売上高の目標は新製品の寄与と景気の持ち直しに支えられて計画3年目の1970年度に448億円となって早々と上回り、1970年12月期の決算でも経常利益53億5,000万円・当期純利益23億6,000万円と、どちらも前年を超えている。計画の枠組みは、売上の規模よりも、誰のブランドで誰の手を通じて売るかに重心を置いていた。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [54]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
    • [55]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
    • [56]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
    • [57]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
  • 会社年鑑
    • [58]1970年12月期 経常利益53.5億円、当期純利益23.6億円

電卓の最初の機種は、演算素子にトランジスターとダイオードを使ったため、机に載る型といいながら大柄だった。それが1964年5月に発表したキヤノーラ130で、テンキー式の卓上電子計算機としては世界で初めてのものだった。集積回路の技術を身につけさせるため、1967年に技術者をテキサス・インスツルメンツ社へ送った。その成果が表れたのが1968年5月のキヤノーラ163と161Sで、集積回路が全面的に使われた。同年12月に売り出したキヤノーラ1200は、12桁表示で重さは4キログラムだった。定価12万6,000円というこの機械は、同じくらいの性能の品に数十万円の値が付いていた市場を揺さぶった。この機種のために取手工場へ一貫大量生産体制を設け、設計と性能の簡略化とあわせて1桁1万円という価格帯を成立させた。1970年10月には大規模集積回路を用いた世界初の携帯機ポケトロニクを国内で発売した。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [59]1964年5月 世界初のテンキー式卓上電子計算機キヤノーラ130を発表。演算素子はトランジスターとダイオードで卓上型としては大きかった
    • [60]1964年5月 世界初のテンキー式卓上電子計算機キヤノーラ130を発表。演算素子はトランジスターとダイオードで卓上型としては大きかった
    • [61]1967年に技術者をテキサス・インスツルメンツ社へ派遣しIC技術を習得。1968年5月のキヤノーラ163・161SでICを全面採用
    • [62]1967年に技術者をテキサス・インスツルメンツ社へ派遣しIC技術を習得。1968年5月のキヤノーラ163・161SでICを全面採用
    • [63]1968年12月 12桁表示・4kgのキヤノーラ1200を定価12万6,000円で発売。同程度の性能機が数十万円だった市場に衝撃を与え、取手工場に一貫大量生産体制を設けて「1桁1万円時代」を開いた
    • [64]1968年12月 12桁表示・4kgのキヤノーラ1200を定価12万6,000円で発売。同程度の性能機が数十万円だった市場に衝撃を与え、取手工場に一貫大量生産体制を設けて「1桁1万円時代」を開いた
    • [65]1970年10月 LSIを用いた世界初の携帯型計算機キヤノン・ポケトロニクを国内で発売
参考文献[49]-[65]
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [49]1967年の年頭挨拶で御手洗毅社長が「右手にカメラ、左手に事務機光学特機をふりかざし、しかも輸出を大いに伸ばしていかなければなりません」と述べ、以後社業の進路を表すスローガンとして社内外で用いられた
    • [50]1967年の年頭挨拶で御手洗毅社長が「右手にカメラ、左手に事務機光学特機をふりかざし、しかも輸出を大いに伸ばしていかなければなりません」と述べ、以後社業の進路を表すスローガンとして社内外で用いられた
    • [51]事務機・光学特機部門の売上比率は1966年16.5%、1968年22%、1969年42%
    • [54]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
    • [55]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
    • [56]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
    • [57]1968年から1972年までを対象とする第2次長期経営計画を策定。狙いは多角化の本格展開・生産能力の拡大・自社ブランドと自社チャネルによる全世界への輸出体制の確立の三つで、5年後の目標は「6,000人社員による400億円売上げ達成」。1970年度に448億円で計画3年目に達成
    • [59]1964年5月 世界初のテンキー式卓上電子計算機キヤノーラ130を発表。演算素子はトランジスターとダイオードで卓上型としては大きかった
    • [60]1964年5月 世界初のテンキー式卓上電子計算機キヤノーラ130を発表。演算素子はトランジスターとダイオードで卓上型としては大きかった
    • [61]1967年に技術者をテキサス・インスツルメンツ社へ派遣しIC技術を習得。1968年5月のキヤノーラ163・161SでICを全面採用
    • [62]1967年に技術者をテキサス・インスツルメンツ社へ派遣しIC技術を習得。1968年5月のキヤノーラ163・161SでICを全面採用
    • [63]1968年12月 12桁表示・4kgのキヤノーラ1200を定価12万6,000円で発売。同程度の性能機が数十万円だった市場に衝撃を与え、取手工場に一貫大量生産体制を設けて「1桁1万円時代」を開いた
    • [64]1968年12月 12桁表示・4kgのキヤノーラ1200を定価12万6,000円で発売。同程度の性能機が数十万円だった市場に衝撃を与え、取手工場に一貫大量生産体制を設けて「1桁1万円時代」を開いた
    • [65]1970年10月 LSIを用いた世界初の携帯型計算機キヤノン・ポケトロニクを国内で発売
  • 会社年鑑
    • [52]1966年12月期 売上高162億円、1969年12月期 売上高333億円
    • [58]1970年12月期 経常利益53.5億円、当期純利益23.6億円
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
    • [53]1969年3月1日 商号をキヤノンカメラ株式会社からキヤノン株式会社へ変更。カメラ専業のイメージを拭い、カメラと事務機の総合精密機械メーカーとして飛躍するため

1964年〜ゼロックスの特許網を迂回したNP方式と複写機部門の累積赤字

経営陣が電子複写機を製品にすると決め、開発と生産を担うEプロジェクトを組んだのは1964年9月である。本体だけでなく現像剤や複写用紙などの消耗品が売れる点に、この製品への期待がかかっていた。複写の方式の中で、仕上がりの質が最も高いのは電子写真方式だった。ただしその一種で、感光板にできた像を普通紙に移す間接式のゼロックス方式は、ゼロックス社が600件を超える特許で押さえており、似た製品を作ることはほぼ望めないと見られていた。最初に製品化したのは、特許導入のめどがついていた酸化亜鉛感光紙のエレクトロファックス方式で、1966年5月に70万円前後のキヤノファックス1000を売り出した。複写の速さは毎分6枚だった。ところが3か月後にリコーが毎分2枚の湿式手動給紙機BS-1を29万8,000円で出し、市場は高画質よりも低価格の簡易型へ傾いている。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [66]1964年9月 経営陣が電子複写機の製品化を決定しEプロジェクトを編成。本体のほかに現像剤や複写用紙などの消耗品も販売できる点が待望の理由
    • [67]1964年9月 経営陣が電子複写機の製品化を決定しEプロジェクトを編成。本体のほかに現像剤や複写用紙などの消耗品も販売できる点が待望の理由
    • [68]複写機の方式のうちコピーの質は電子写真方式が最も優れていた
    • [69]ゼロックス方式は普通紙へ転写する間接式で、ゼロックス社が600件以上の特許を持ち同種製品の開発はまず不可能とされた
    • [70]1966年5月 エレクトロファックス方式の全自動乾式複写機キヤノファックス1000を70万円前後で発売。毎分6枚のB4判
    • [71]発売の3か月後にリコーが毎分2枚の湿式手動給紙複写機BS-1を29万8,000円で発売し、市場は高画質より低価格の簡易型湿式EFへ向かった

普通紙複写機の自社開発は、1962年に設けられた製品研究課で田中宏氏が担った。田中宏氏はオリエンタル写真工業で複写機の開発に加わり、会社が開発事業をやめたために一度は職を離れた経歴を持つ技術者である。ゼロックスの特許を徹底的に調べた結果、小手先の迂回では製品化できないと判じ、カメラの受光素子として研究が進んでいた硫化カドミウムに目を付けた。硫化カドミウムは抵抗が低く電荷を保てないため電子写真用には見捨てられていたが、表面に絶縁性の透明フィルムを一体化すれば、帯電する働きと電荷を保つ働きを分けられる。この構成をNP(New Process)方式と呼び、まず特許の確立に努めた。実用化までの道のりは長く、複写機部門は累積で10億円の赤字を出し、社内には撤退を求める強硬な意見も出た。それでも部門は一時、全員が中央研究所へ移り、本社の費用で開発を続けている。

  • 森谷正規『技術開発の昭和史』(日本経済新聞社, 1986)
    • [72]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [73]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [74]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [75]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [76]CdSは抵抗が低く電荷を保持しにくいため電子写真用には見捨てられていたが、表面に絶縁性の透明フィルムを一体化して帯電と電荷保持の機能を分離。この方式をNP(New Process)と呼び特許の確立に努めた
    • [77]CdSは抵抗が低く電荷を保持しにくいため電子写真用には見捨てられていたが、表面に絶縁性の透明フィルムを一体化して帯電と電荷保持の機能を分離。この方式をNP(New Process)と呼び特許の確立に努めた
    • [78]エレクトロファックス機は後発で利益が上がらず、NPの開発費も嵩んで複写機部門は累積10億円の赤字。社内に撤退論が出たが、部門は一時全員が中央研究所へ移り本社の費用で開発を続行した
    • [79]エレクトロファックス機は後発で利益が上がらず、NPの開発費も嵩んで複写機部門は累積10億円の赤字。社内に撤退論が出たが、部門は一時全員が中央研究所へ移り本社の費用で開発を続行した

NP方式の第1号機であるNP-1100が市販されたのは1970年、開発に取り組み始めて8年目であった。ゼロックスの同種製品より小型で感度がよく、黒い部分の周囲だけが写るエッジ効果がない点が評価されている。複写機部門が事業の土台を固めたのは、1972年11月に世界で最初に実用化した普通紙複写機NP-L7からである。液体の現像剤を使う液乾式で、画質が高いのに原価は安く、これが新しい市場を開いた。売り方は完全保証方式で、1枚7.5円の料金の中に消耗品、交換部品、保守サービスの一切を含めた。販売先はサービス拠点を中心に半径30キロメートル以内、もしくは2時間で駆けつけられる地域に絞っている。社内で複写機を売り込む営業部隊が十分に育っていなかったので、海外で参入を望む企業には進んで特許を与え、技術料も並行して収益源にした。

  • 森谷正規『技術開発の昭和史』(日本経済新聞社, 1986)
    • [80]1970年 NP方式の第1号機NP-1100を市販。開発着手から8年目。ゼロックスの同種製品より小型で感度がよく、エッジ効果がない点が評価された
    • [81]1970年 NP方式の第1号機NP-1100を市販。開発着手から8年目。ゼロックスの同種製品より小型で感度がよく、エッジ効果がない点が評価された
    • [85]自社に複写機の営業力が育っていなかったため、PPCへの参入意欲が強い海外企業へ積極的に特許を与えて特許収入を得る方針を採った
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [82]1972年11月 世界に先がけて実用化した液乾式PPCの最初の製品NP-L7が誕生。複写機部門はこれによって初めて事業としての基盤を確立し、高画質で原価の安い複写機が新たな市場を形成した
    • [83]1972年11月 世界に先がけて実用化した液乾式PPCの最初の製品NP-L7が誕生。複写機部門はこれによって初めて事業としての基盤を確立し、高画質で原価の安い複写機が新たな市場を形成した
    • [84]複写機の販売にはTG(Total Guaranty)方式を採用。NP-1100・1200では1枚7.5円に消耗品・交換部品・保守サービスを含み、販売先はサービス拠点から半径30kmまたは2時間以内に到着できる範囲に限定
参考文献[66]-[85]
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [66]1964年9月 経営陣が電子複写機の製品化を決定しEプロジェクトを編成。本体のほかに現像剤や複写用紙などの消耗品も販売できる点が待望の理由
    • [67]1964年9月 経営陣が電子複写機の製品化を決定しEプロジェクトを編成。本体のほかに現像剤や複写用紙などの消耗品も販売できる点が待望の理由
    • [68]複写機の方式のうちコピーの質は電子写真方式が最も優れていた
    • [69]ゼロックス方式は普通紙へ転写する間接式で、ゼロックス社が600件以上の特許を持ち同種製品の開発はまず不可能とされた
    • [70]1966年5月 エレクトロファックス方式の全自動乾式複写機キヤノファックス1000を70万円前後で発売。毎分6枚のB4判
    • [71]発売の3か月後にリコーが毎分2枚の湿式手動給紙複写機BS-1を29万8,000円で発売し、市場は高画質より低価格の簡易型湿式EFへ向かった
    • [82]1972年11月 世界に先がけて実用化した液乾式PPCの最初の製品NP-L7が誕生。複写機部門はこれによって初めて事業としての基盤を確立し、高画質で原価の安い複写機が新たな市場を形成した
    • [83]1972年11月 世界に先がけて実用化した液乾式PPCの最初の製品NP-L7が誕生。複写機部門はこれによって初めて事業としての基盤を確立し、高画質で原価の安い複写機が新たな市場を形成した
    • [84]複写機の販売にはTG(Total Guaranty)方式を採用。NP-1100・1200では1枚7.5円に消耗品・交換部品・保守サービスを含み、販売先はサービス拠点から半径30kmまたは2時間以内に到着できる範囲に限定
  • 森谷正規『技術開発の昭和史』(日本経済新聞社, 1986)
    • [72]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [73]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [74]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [75]1962年 製品研究課で田中宏氏が電子写真の開発に着手。田中氏はオリエンタル写真工業で複写機開発に加わったが同社が開発を中止したため退社した経歴を持つ。ゼロックス特許を徹底調査し迂回は不可能と判断、カメラ用受光素子のCdSに着目
    • [76]CdSは抵抗が低く電荷を保持しにくいため電子写真用には見捨てられていたが、表面に絶縁性の透明フィルムを一体化して帯電と電荷保持の機能を分離。この方式をNP(New Process)と呼び特許の確立に努めた
    • [77]CdSは抵抗が低く電荷を保持しにくいため電子写真用には見捨てられていたが、表面に絶縁性の透明フィルムを一体化して帯電と電荷保持の機能を分離。この方式をNP(New Process)と呼び特許の確立に努めた
    • [78]エレクトロファックス機は後発で利益が上がらず、NPの開発費も嵩んで複写機部門は累積10億円の赤字。社内に撤退論が出たが、部門は一時全員が中央研究所へ移り本社の費用で開発を続行した
    • [79]エレクトロファックス機は後発で利益が上がらず、NPの開発費も嵩んで複写機部門は累積10億円の赤字。社内に撤退論が出たが、部門は一時全員が中央研究所へ移り本社の費用で開発を続行した
    • [80]1970年 NP方式の第1号機NP-1100を市販。開発着手から8年目。ゼロックスの同種製品より小型で感度がよく、エッジ効果がない点が評価された
    • [81]1970年 NP方式の第1号機NP-1100を市販。開発着手から8年目。ゼロックスの同種製品より小型で感度がよく、エッジ効果がない点が評価された
    • [85]自社に複写機の営業力が育っていなかったため、PPCへの参入意欲が強い海外企業へ積極的に特許を与えて特許収入を得る方針を採った

1973年〜電卓の値下げ競争が招いた在庫と上場以来初の無配

ベル・アンド・ハウエル社は1962年から10年余り北米の総代理店を務めたが、自社製品を売ることを優先し、キヤノン製品には力を割かなかった。欧州での伸びと比べると、市場として最も大きいアメリカの成績は見込みに届いていなかった。提携を解くことは1973年3月、業界の関係者を招いた場で公表された。同年7月、アメリカとカナダ向けのカメラ販売はキヤノンU.S.A.による直販に切り替わり、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、トロントには約50名の販売員が置かれた。電卓でも、同じ年までにリットン・ビジネス・システムズのモンロー社とのOEM契約を打ち切り、自社ブランドと代理店のブランドがぶつかり合う状態をなくした。第2次長期経営計画が掲げた自前の販売網は、まず北米で形になった。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [86]1973年7月 キヤノンU.S.A.がアメリカ・カナダでカメラの自主販売を開始。1962年以来10年続いたベル・アンド・ハウエル社との販売提携を解消し、同年3月に業界関係者を招いて発表。約50名のセールスマンをニューヨーク・シカゴ・ロサンゼルス・トロントへ配置
    • [87]1973年7月 キヤノンU.S.A.がアメリカ・カナダでカメラの自主販売を開始。1962年以来10年続いたベル・アンド・ハウエル社との販売提携を解消し、同年3月に業界関係者を招いて発表。約50名のセールスマンをニューヨーク・シカゴ・ロサンゼルス・トロントへ配置
    • [88]1973年7月 キヤノンU.S.A.がアメリカ・カナダでカメラの自主販売を開始。1962年以来10年続いたベル・アンド・ハウエル社との販売提携を解消し、同年3月に業界関係者を招いて発表。約50名のセールスマンをニューヨーク・シカゴ・ロサンゼルス・トロントへ配置
    • [89]電卓も1973年までにリットン・ビジネス・システムズのモンロー・インターナショナル・ディビジョンとのOEM契約を解消し直販体制へ。キヤノンブランドとの競合関係が解消された
  • 日経ビジネス 1979年5月7日号
    • [90]1979年時点で米国はキヤノンU.S.A.による直販体制、欧州は一国一代理店にまかせていた

電卓の価格は1970年代を通じて下がり続け、10年でおよそ100分の1になった。年率およそ30%の値下げは各生産現場の合理化で吸収できる幅を超えており、開発のモデルチェンジで原価を落とすほかなかった。年間の開発モデルが増えたのはそのためで、日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦の様相を呈している。1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社を含む数社にすぎない。1973年の石油危機による物価高騰と材料費・外注費・人件費の上昇も重なり、経常利益の鈍化は1974年上期に表れて、同期の利益は前年下期と同じ21億円で横ばいに終わった。1974年8月には御手洗毅氏が会長へ退き、1934年に前身の研究所へ入った副社長の前田武男氏が社長に就任している。創業以来はじめての社長交代であった。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [91]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [92]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [93]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [94]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [95]1973年の石油ショックによる物価高騰と材料費・外注費・人件費の上昇で経常利益の鈍化が1974年上期に顕在化し、同期の利益は1973年下期と同じ21億円で横ばい
  • 会社年鑑
    • [96]1974年8月 御手洗毅氏が代表取締役会長へ退き、1934年5月に前身の精機光学研究所へ入り1966年2月に副社長となった前田武男氏が社長へ就任。創業以来はじめての社長交代
    • [97]1974年8月 御手洗毅氏が代表取締役会長へ退き、1934年5月に前身の精機光学研究所へ入り1966年2月に副社長となった前田武男氏が社長へ就任。創業以来はじめての社長交代

1974年春に売り出したパンサーシリーズの電卓に不良問題が起き、電卓を中心とする在庫が急激に増えて経営を圧迫した。パーソナル計算機の需要が膨らむなかで参入の時機を逃し、製品自体も価格と技術の両方に問題を抱えていた。1975年上期の営業報告書は、これを業績悪化の最大の原因に挙げている。この期、売上高は前期より6%少ない337億8,453万円にとどまり、1億7,177万円の損失金を出して、株式上場後で初めての赤字に陥った。繰越利益を取り崩せば配当はできたものの、同年6月にロンドンで出した無担保転換社債に配当を制限する条項があり、これに触れるため配当を見送った。下期には売上高が412億円と過去最高に達し、年1割の配当に戻った。通期の着地は売上高749億円、当期純利益8億2,000万円である。1976年1月に提起された優良企業構想は、内外でどのような事態が起きても揺るがない企業を目指すもので、この無配が経営のあり方に投げかけた問いがきっかけになった。

  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [98]1974年春に売り出したパンサーシリーズ電卓の不良問題が発生し、電卓を中心とする在庫の急激な増加が経営を圧迫した
    • [99]1975年上期決算は売上高337億8,453万円(前期比6%減)・損失金1億7,177万円で上場以来初の赤字。営業報告書はパーソナル計算機への時機を得た進出ができず製品にも価格面技術面の問題があったと記載
    • [100]1975年上期決算は売上高337億8,453万円(前期比6%減)・損失金1億7,177万円で上場以来初の赤字。営業報告書はパーソナル計算機への時機を得た進出ができず製品にも価格面技術面の問題があったと記載
    • [101]配当は繰越利益の取崩しで可能だったが、1975年6月にロンドンで発行した無担保転換社債の配当制限条項に抵触するため無配とした
    • [103]1975年上期の無配を受け、内外のいかなる事態にも耐えうる企業の構築を目指す優良企業構想が1976年1月に提起された
  • 会社年鑑
    • [102]1975年下期は売上高412億円と過去最高を記録し年1割に復配。1975年12月期は通期で売上高749億円・当期純利益8.2億円
参考文献[86]-[103]
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
    • [86]1973年7月 キヤノンU.S.A.がアメリカ・カナダでカメラの自主販売を開始。1962年以来10年続いたベル・アンド・ハウエル社との販売提携を解消し、同年3月に業界関係者を招いて発表。約50名のセールスマンをニューヨーク・シカゴ・ロサンゼルス・トロントへ配置
    • [87]1973年7月 キヤノンU.S.A.がアメリカ・カナダでカメラの自主販売を開始。1962年以来10年続いたベル・アンド・ハウエル社との販売提携を解消し、同年3月に業界関係者を招いて発表。約50名のセールスマンをニューヨーク・シカゴ・ロサンゼルス・トロントへ配置
    • [88]1973年7月 キヤノンU.S.A.がアメリカ・カナダでカメラの自主販売を開始。1962年以来10年続いたベル・アンド・ハウエル社との販売提携を解消し、同年3月に業界関係者を招いて発表。約50名のセールスマンをニューヨーク・シカゴ・ロサンゼルス・トロントへ配置
    • [89]電卓も1973年までにリットン・ビジネス・システムズのモンロー・インターナショナル・ディビジョンとのOEM契約を解消し直販体制へ。キヤノンブランドとの競合関係が解消された
    • [91]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [92]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [93]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [94]1970年代に電卓は「100分の1まで価格を下げた」といわれ、年率約30%の値下げは各生産現場の能力を超え開発のモデルチェンジで実現するほかなかった。日本で数十社、欧米で数十社が参入した競争は消耗戦となり、1970年代の終わりまで国内で生き残ったのは同社のほか数社
    • [95]1973年の石油ショックによる物価高騰と材料費・外注費・人件費の上昇で経常利益の鈍化が1974年上期に顕在化し、同期の利益は1973年下期と同じ21億円で横ばい
    • [98]1974年春に売り出したパンサーシリーズ電卓の不良問題が発生し、電卓を中心とする在庫の急激な増加が経営を圧迫した
    • [99]1975年上期決算は売上高337億8,453万円(前期比6%減)・損失金1億7,177万円で上場以来初の赤字。営業報告書はパーソナル計算機への時機を得た進出ができず製品にも価格面技術面の問題があったと記載
    • [100]1975年上期決算は売上高337億8,453万円(前期比6%減)・損失金1億7,177万円で上場以来初の赤字。営業報告書はパーソナル計算機への時機を得た進出ができず製品にも価格面技術面の問題があったと記載
    • [101]配当は繰越利益の取崩しで可能だったが、1975年6月にロンドンで発行した無担保転換社債の配当制限条項に抵触するため無配とした
    • [103]1975年上期の無配を受け、内外のいかなる事態にも耐えうる企業の構築を目指す優良企業構想が1976年1月に提起された
  • 日経ビジネス 1979年5月7日号
    • [90]1979年時点で米国はキヤノンU.S.A.による直販体制、欧州は一国一代理店にまかせていた
  • 会社年鑑
    • [96]1974年8月 御手洗毅氏が代表取締役会長へ退き、1934年5月に前身の精機光学研究所へ入り1966年2月に副社長となった前田武男氏が社長へ就任。創業以来はじめての社長交代
    • [97]1974年8月 御手洗毅氏が代表取締役会長へ退き、1934年5月に前身の精機光学研究所へ入り1966年2月に副社長となった前田武男氏が社長へ就任。創業以来はじめての社長交代
    • [102]1975年下期は売上高412億円と過去最高を記録し年1割に復配。1975年12月期は通期で売上高749億円・当期純利益8.2億円

第3章 1977年〜 賀来龍三郎の再建とHPへのレーザープリンターOEM供与

1977年〜無配から社長に就任した賀来龍三郎氏の事業部制と、世界の優良企業を掲げた構想

1974年暮れ、同年8月に常務へ就任したばかりの賀来龍三郎氏は、会長の御手洗毅氏に個人用電卓からの撤退を直訴した。その年の暮れ、電卓の製品在庫は前年同期の9億4000万円から21億7000万円に膨らんでいた。無配ののち、賀来龍三郎氏は優良企業構想の立案から実施までを中心で担った。1977年5月に社長の前田武男氏が死去し、6月2日の取締役会で51歳の賀来龍三郎氏が社長に就任した。1978年1月にはカメラ・事務機・光学機器の3事業部制を本格的に敷き、国内外の販売会社を地域事業部と位置づけた。下丸子と玉川の工場には複数の事業が雑居しており、事業部長は権限を持ちながら場所の取り合いに追われていた。そこで小杉工場に光学機器、福島工場にカメラ、取手工場に事務機を振り分け、事業部ごとに工場を持たせた。

  • Decide 1988年6(4)
    • [104]1974年暮れ 常務の賀来龍三郎氏が会長の御手洗毅氏に個人用電卓からの撤退を直訴
    • [105]1974年末 電卓の製品在庫が21億7000万円(前年同期9億4000万円)
  • 社史『キヤノン史 技術と製品の50年』(1987年)
    • [106]賀来龍三郎氏は優良企業構想の立案から実施まで中心的な役割を果たした
    • [107]1977年5月21日 前田武男社長死去、6月2日 賀来龍三郎常務が代表取締役社長に就任(51歳)
    • [108]1978年1月 カメラ・事務機・光学機器の製品別3事業部制を本格実施、販売会社を地域事業部に位置づけ
  • 日経ビジネス 1979年5月7日号
    • [109]工場の雑居で事業部制が機能せず、小杉工場に光学機器・福島工場にカメラ・取手工場に事務機を振り分けた
    • [110]工場の雑居で事業部制が機能せず、小杉工場に光学機器・福島工場にカメラ・取手工場に事務機を振り分けた

優良企業構想は、1976年からの3年間で日本の、続く3年間で世界の優良企業になる計画だった。1979年の年頭には、予定どおり後半の目標である世界の優良企業を掲げた。尺度は成長性・安定性・収益性のすべてで優れることとし、開発・生産・販売にキヤノン式の仕組みを作る委員を置いた。生産ではコストダウンの目標を初年度60億〜70億円、2年度100億円、3年度120億円とし、ほぼ達成した。販売では、独自の製品を出しても1〜2年で後発に追い抜かれることを反省点とした。賀来龍三郎氏は複写機の販売力がリコーに遠く及ばないとみて、技術で製品を差別化する方針を取った。人事では、キヤノンUSAで直販網を築いた滝川精一氏を呼び戻し、国内販売を統括するキヤノン販売の社長に充てた。

  • 日経ビジネス 1979年5月7日号
    • [111]優良企業構想は最初の3年で日本の、次の3年で世界の優良企業を目指し、1979年正月に世界の優良企業を掲げた
    • [112]優良企業構想は最初の3年で日本の、次の3年で世界の優良企業を目指し、1979年正月に世界の優良企業を掲げた
    • [113]優良企業の尺度は成長性・安定性・収益性。生産・開発・販売ごとに委員を決めてキヤノン式システム作りを始めた
    • [114]コストダウン目標は初年度60億〜70億円・2年度100億円・3年目120億円で、ほぼ達成
    • [115]独自製品も1〜2年で後発に抜かれる販売の弱さを反省点とし、複写機の販売力はリコーに遠く及ばないため技術で差別化する
    • [116]独自製品も1〜2年で後発に抜かれる販売の弱さを反省点とし、複写機の販売力はリコーに遠く及ばないため技術で差別化する
  • Decide 1988年6(4)
    • [117]賀来龍三郎氏の社長就任にあわせ、キヤノンUSA社長の滝川精一氏を呼び戻してキヤノン販売社長に据えた

1976年度の販売総額は1,019億円と初めて1,000億円を超え、その65%を輸出が占めた。米国では、キヤノンUSAのカメラ売上高が1976年に1億4000万ドルに達し、日本製カメラの約25%を占めた。欧州の生産拠点である西独のキヤノン・ギーセンは、1979年夏にアムステルダムの販売会社の管理から本社の管轄へ移った。需要の繁閑に合わせて増減産する運営を改め、手送りの工程をベルトコンベヤーに換えて3年以内に月産を倍にする計画を立てた。1981年12月期の単独売上高は2,820億円、経常利益は260億円だった。優良企業構想を掲げてから、10期連続で増収増益を重ねている。販売を直販で押さえ、工場を本社の計画に組み込み直したことが、輸出の伸びを利益に結びつけたとみられる。

  • 社史『キヤノン史 技術と製品の50年』(1987年)
    • [118]1976年度の販売総額1,019億円(初の1,000億円超)、うち輸出65%
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号
    • [119]キヤノンUSAの1976年のカメラ売上高1億4000万ドル、日本製カメラの約25%
  • 日経ビジネス 1980年3月24日号
    • [120]1979年夏 キヤノン・ギーセンをアムステルダムの管理下から本社管轄へ移し、生産の平準化とベルトコンベヤー化で3年以内の倍増を計画
    • [121]1979年夏 キヤノン・ギーセンをアムステルダムの管理下から本社管轄へ移し、生産の平準化とベルトコンベヤー化で3年以内の倍増を計画
  • 会社年鑑 1986年版
    • [122]1981年12月期 単独売上高2,820億円・経常利益260億円
  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
    • [123]優良企業構想(1976〜86年)を掲げて以後、10期連続の増収増益
参考文献[104]-[123]
  • Decide 1988年6(4)
    • [104]1974年暮れ 常務の賀来龍三郎氏が会長の御手洗毅氏に個人用電卓からの撤退を直訴
    • [105]1974年末 電卓の製品在庫が21億7000万円(前年同期9億4000万円)
    • [117]賀来龍三郎氏の社長就任にあわせ、キヤノンUSA社長の滝川精一氏を呼び戻してキヤノン販売社長に据えた
  • 社史『キヤノン史 技術と製品の50年』(1987年)
    • [106]賀来龍三郎氏は優良企業構想の立案から実施まで中心的な役割を果たした
    • [107]1977年5月21日 前田武男社長死去、6月2日 賀来龍三郎常務が代表取締役社長に就任(51歳)
    • [108]1978年1月 カメラ・事務機・光学機器の製品別3事業部制を本格実施、販売会社を地域事業部に位置づけ
    • [118]1976年度の販売総額1,019億円(初の1,000億円超)、うち輸出65%
  • 日経ビジネス 1979年5月7日号
    • [109]工場の雑居で事業部制が機能せず、小杉工場に光学機器・福島工場にカメラ・取手工場に事務機を振り分けた
    • [110]工場の雑居で事業部制が機能せず、小杉工場に光学機器・福島工場にカメラ・取手工場に事務機を振り分けた
    • [111]優良企業構想は最初の3年で日本の、次の3年で世界の優良企業を目指し、1979年正月に世界の優良企業を掲げた
    • [112]優良企業構想は最初の3年で日本の、次の3年で世界の優良企業を目指し、1979年正月に世界の優良企業を掲げた
    • [113]優良企業の尺度は成長性・安定性・収益性。生産・開発・販売ごとに委員を決めてキヤノン式システム作りを始めた
    • [114]コストダウン目標は初年度60億〜70億円・2年度100億円・3年目120億円で、ほぼ達成
    • [115]独自製品も1〜2年で後発に抜かれる販売の弱さを反省点とし、複写機の販売力はリコーに遠く及ばないため技術で差別化する
    • [116]独自製品も1〜2年で後発に抜かれる販売の弱さを反省点とし、複写機の販売力はリコーに遠く及ばないため技術で差別化する
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号
    • [119]キヤノンUSAの1976年のカメラ売上高1億4000万ドル、日本製カメラの約25%
  • 日経ビジネス 1980年3月24日号
    • [120]1979年夏 キヤノン・ギーセンをアムステルダムの管理下から本社管轄へ移し、生産の平準化とベルトコンベヤー化で3年以内の倍増を計画
    • [121]1979年夏 キヤノン・ギーセンをアムステルダムの管理下から本社管轄へ移し、生産の平準化とベルトコンベヤー化で3年以内の倍増を計画
  • 会社年鑑 1986年版
    • [122]1981年12月期 単独売上高2,820億円・経常利益260億円
  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
    • [123]優良企業構想(1976〜86年)を掲げて以後、10期連続の増収増益

1981年〜HPへ供与したレーザープリンターのエンジンと、賀来龍三郎氏の第二の創業

1970年代後半、製品技術研究所は複写機の次を担う記録技術を調べ、インクジェット方式に参入の余地があると判断した。既存のインクジェット技術は未完成とみて、研究グループを再発足させた。1977年、実験中のはんだごてがインク入りの注射針に触れ、熱でインクが噴き出す現象が見つかった。同じ年に、中央研究所の技術者だった遠藤一郎氏がこの原理を発明し、特許を出願している。熱で泡を作ってインクを押し出す方式は、ヒーターを並べてノズルを増やせるため、高速印字への道を開いた。1981年8月に「バブルジェット」と名付け、同年11月のキヤノングランドフェアで技術を展示した。量産の第1号ヘッドを積んだBJ80は1985年に生産を始め、不良を直して同年10月に再開した。

  • 社史『キヤノン史 技術と製品の50年』(1987年)
    • [124]1970年代後半 製品技術研究所がポスト複写機の記録技術を調査し、インクジェットに参入余地ありとして研究グループを再発足
    • [125]1970年代後半 製品技術研究所がポスト複写機の記録技術を調査し、インクジェットに参入余地ありとして研究グループを再発足
    • [126]はんだごてが注射針に触れて熱でインクが吐出する現象を発見し、1977年にサーマルヘッドと結びつけてノズルのマルチ化を可能にした
    • [128]はんだごてが注射針に触れて熱でインクが吐出する現象を発見し、1977年にサーマルヘッドと結びつけてノズルのマルチ化を可能にした
    • [129]1981年8月「バブルジェット」と命名、同年11月 キヤノングランドフェアで技術展示
    • [130]BJヘッド量産第1号のBJ80は1985年に生産開始、不良対策後の同年10月に再開
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [127]1977年 中央研究所の技術者 遠藤一郎氏がBJPの原理を発明し特許を出願

1979年4月に投入したレーザービームプリンターLBP-10は、価格の高さが導入先を一部の専門分野にとどめた。ワープロやパソコン向けの大きな市場に出るため、ミニコピアのカートリッジ方式を使った小型のLBP-CXを開発した。米国で他社が小型機を売り始めたと知り、事務機事業本部長の山路敬三氏は1983年4月に試作機を持って渡米した。各社を回ったこの訪問が、ヒューレット・パッカード社などのOEM先の獲得につながった。同じ1983年4月には、HP社とバブルジェットヘッドの開発協力契約も結んでいる。1984年2月発売のLBP-CXは、1986年までの出荷累計55万台のうち90%がOEMだった。パソコンから出力するソフトを自前で作れず、自社のセールスマンが直接売る方式を取れなかったためである。

  • 社史『キヤノン史 技術と製品の50年』(1987年)
    • [131]LBP-10は1979年4月発売、価格面から特殊な用途に限られた
    • [132]ワープロ・パソコン市場向けに、ミニコピアのプロセスカートリッジを使う小型乾式LBP-CXを開発
    • [133]1983年4月 山路敬三事務機事業本部長がLBP-CX試作機を持って渡米し、ヒューレット・パッカード社などOEM先を開拓
    • [134]1983年4月 山路敬三事務機事業本部長がLBP-CX試作機を持って渡米し、ヒューレット・パッカード社などOEM先を開拓
    • [135]1983年4月 ヒューレット・パッカード社とBJヘッドの開発協力契約を締結
    • [136]LBP-CXは1984年2月発売、1986年までの出荷累計55万台のうち90%がOEM
  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
    • [137]LBPはパソコンから出力するソフトを自前で開発できず、直接販売の方式が取れないためOEM中心になった

1985年秋からの円高で、1986年12月期の経常利益は前期の425億円から131億円に減少した。同年下期には営業損益が赤字になり、減配に追い込まれた。賀来龍三郎氏は、日本の強い製造業が国外へ出て、国の競争力が低下していくと見ていた。1988年1月に賀来龍三郎氏が打ち出した「第2の創業ビジョン」は、国境を越えて世界と共に栄える真のグローバル企業への転換を目標とした。市場のある地域に生産拠点を置き、製品企画から研究開発、製造、販売までを現地で一貫させる方針である。1987〜88年に玉川工場を閉鎖して大分工場へ生産を移し、電子タイプライター事業は事業部ごと米国へ移した。約18%だった海外生産比率は、2000年までに60%へ高める目標を置いた。1988年12月期の経常利益は435億円と、円高前の最高を上回った。

  • 日経ビジネス 1992年12月21日号
    • [138]円高で1986年度の経常利益が前年度425億円から131億円へ
  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
    • [139]1986年12月期 経常7割減・減配、1986年下期は営業損益が赤字
    • [141]1988年1月「第2の創業ビジョン」で真のグローバル企業を掲げ、市場のある地域に生産拠点と一貫体制を築く方針
    • [142]1988年1月「第2の創業ビジョン」で真のグローバル企業を掲げ、市場のある地域に生産拠点と一貫体制を築く方針
    • [143]1987〜88年 玉川工場を閉鎖し大分工場へ移管、電子タイプライター事業を事業部ごと米国へ移管
    • [144]海外生産比率 約18%(1989年)を2000年までに60%へ
    • [145]1988年12月期 経常利益435億円、円高前の過去最高425億円を上回る
  • Decide 1988年6(4)
    • [140]賀来龍三郎氏は日本の製造業が国外に出て空洞化し競争力が低下すると予測し、第二の創業を説いた
参考文献[124]-[145]
  • 社史『キヤノン史 技術と製品の50年』(1987年)
    • [124]1970年代後半 製品技術研究所がポスト複写機の記録技術を調査し、インクジェットに参入余地ありとして研究グループを再発足
    • [125]1970年代後半 製品技術研究所がポスト複写機の記録技術を調査し、インクジェットに参入余地ありとして研究グループを再発足
    • [126]はんだごてが注射針に触れて熱でインクが吐出する現象を発見し、1977年にサーマルヘッドと結びつけてノズルのマルチ化を可能にした
    • [128]はんだごてが注射針に触れて熱でインクが吐出する現象を発見し、1977年にサーマルヘッドと結びつけてノズルのマルチ化を可能にした
    • [129]1981年8月「バブルジェット」と命名、同年11月 キヤノングランドフェアで技術展示
    • [130]BJヘッド量産第1号のBJ80は1985年に生産開始、不良対策後の同年10月に再開
    • [131]LBP-10は1979年4月発売、価格面から特殊な用途に限られた
    • [132]ワープロ・パソコン市場向けに、ミニコピアのプロセスカートリッジを使う小型乾式LBP-CXを開発
    • [133]1983年4月 山路敬三事務機事業本部長がLBP-CX試作機を持って渡米し、ヒューレット・パッカード社などOEM先を開拓
    • [134]1983年4月 山路敬三事務機事業本部長がLBP-CX試作機を持って渡米し、ヒューレット・パッカード社などOEM先を開拓
    • [135]1983年4月 ヒューレット・パッカード社とBJヘッドの開発協力契約を締結
    • [136]LBP-CXは1984年2月発売、1986年までの出荷累計55万台のうち90%がOEM
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [127]1977年 中央研究所の技術者 遠藤一郎氏がBJPの原理を発明し特許を出願
  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
    • [137]LBPはパソコンから出力するソフトを自前で開発できず、直接販売の方式が取れないためOEM中心になった
    • [139]1986年12月期 経常7割減・減配、1986年下期は営業損益が赤字
    • [141]1988年1月「第2の創業ビジョン」で真のグローバル企業を掲げ、市場のある地域に生産拠点と一貫体制を築く方針
    • [142]1988年1月「第2の創業ビジョン」で真のグローバル企業を掲げ、市場のある地域に生産拠点と一貫体制を築く方針
    • [143]1987〜88年 玉川工場を閉鎖し大分工場へ移管、電子タイプライター事業を事業部ごと米国へ移管
    • [144]海外生産比率 約18%(1989年)を2000年までに60%へ
    • [145]1988年12月期 経常利益435億円、円高前の過去最高425億円を上回る
  • 日経ビジネス 1992年12月21日号
    • [138]円高で1986年度の経常利益が前年度425億円から131億円へ
  • Decide 1988年6(4)
    • [140]賀来龍三郎氏は日本の製造業が国外に出て空洞化し競争力が低下すると予測し、第二の創業を説いた

1989年〜山路敬三社長の大連進出と、輸出8割でも増益にしたバブルジェットプリンター

1989年3月末、11年9カ月社長を務めた賀来龍三郎氏は会長となり、山路敬三氏が社長に就任した。同年9月、中国に佳能大連事務機有限公司を設立した。賀来龍三郎氏は1989年、NIESは為替が上がりアセアンもコストが上がっていくと見ていた。11億人の人口を抱える中国はコストの上がり方が最も遅く、最終的な生産基地になるという判断である。中国の近代化を支えることは、第2の創業で掲げた世界人類との共生にもつながると位置づけた。1988年のマレーシアに続き、1989年に大連、1990年に中国・珠海とタイへ製造拠点を広げた。大連工場は、世界から回収したプリンター用カートリッジを再生する最終工程も担った。

  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
    • [146]1989年3月末 賀来龍三郎氏(在任11年9カ月)が会長となり、山路敬三氏が社長に就任
  • キヤノン 有価証券報告書(沿革)
    • [147]1989年9月 中華人民共和国に佳能大連事務機有限公司を設立
  • ビジネスリサーチ 1989年「キヤノン(株)代表取締役社長(企業研究会副会長)――賀来龍三郎」
    • [148]賀来龍三郎氏はNIES・アセアンのコスト上昇に対し、中国はコストの上がり方が最も遅く最終的な生産基地になると述べ、共生の観点からも中国を重視
    • [149]賀来龍三郎氏はNIES・アセアンのコスト上昇に対し、中国はコストの上がり方が最も遅く最終的な生産基地になると述べ、共生の観点からも中国を重視
    • [150]賀来龍三郎氏はNIES・アセアンのコスト上昇に対し、中国はコストの上がり方が最も遅く最終的な生産基地になると述べ、共生の観点からも中国を重視
  • 日経ビジネス 1992年12月21日号
    • [151]1988年マレーシア、1989年中国・大連、1990年中国・珠海とタイに製造拠点
  • ビジネスリサーチ 1992年「世界共生に貢献して前進するキヤノン――キヤノン㈱代表取締役社長 山路敬三」
    • [152]回収したカートリッジのリサイクルの最終工程を中国の大連工場で行う

1990年に発売したノート型の「BJ-10v」が、バブルジェットプリンターの需要を一気に広げた。原理の発明から10年を経ても売上が伸びず、1987年夏に副社長の田中宏氏がLBPの開発部隊をBJPに合流させた。最初から個人を狙い、1987年暮れにキャビネットに収まる大きさと7万4800円の価格を決めた。BJPの販売台数は1993年に300万台、売上は900億円に達した。1994年6月中間期の経常利益は285億円と前年同期比83%増え、この時期の輸出比率は約80%だった。1994年3月末に36%だった連結の海外生産比率は、1995年3月末に45%へ上げる計画だった。本体が普及するほどインクの需要が積み上がるため、円高の吸収を支えたのは消耗品の収益だったのだろう。

  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [153]1990年 ノート型「BJ-10V」の発売でBJP市場が拡大
    • [154]1987年夏 田中宏副社長がLBPの開発部隊をBJPの部隊に合流させた
    • [155]1987年暮れ「キャビネットに収納できる大きさ」と価格7万4800円を決定、個人ユーザーを狙う
    • [156]BJPの販売台数 1993年300万台、売上900億円
    • [157]1994年6月中間期 経常利益285億円(前年同期比83%増)、輸出比率約80%
  • 日経ビジネス 1994年7月11日号
    • [158]連結の海外生産比率 36%(1994年3月末)を1995年3月末に45%へ引き上げる計画

1993年3月、創業者の御手洗毅氏の長男である御手洗肇氏が社長に就任した。就任した1993年は円高が1300億円の減益要因となり、利益が半減した。同年7月には1ドル100円を想定した「CR100」を始め、10%程度だった部品の海外調達比率を2倍にする目標を置いた。国内の既存工場は生産品目を入れ替えて残し、解雇につながる閉鎖はしない方針を取った。1994年12月期の経常利益は44%増え、円高の影響は650億円にとどまった。1995年3月、御手洗肇氏は国内の空洞化を防ぎながらドル建ての国際価格に対応する方針を示した『空洞化を防ぎ、なおかつ、グローバル対応ができることを身をもって示したいと思います。』。このとき経営を率いていたのは、御手洗肇氏と田中宏・御手洗冨士夫の両副社長の3人だった。御手洗肇氏は1995年8月、社長在任のまま死去した。

  • 日経ビジネス 1995年3月13日号
    • [159]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [160]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [163]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [164]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [165]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [161]1993年7月「CR100」を開始し部品の海外調達比率10%程度を2倍へ。国内工場の空洞化は避け、生産品目を入れ替えて解雇につながる閉鎖はしない
    • [162]1993年7月「CR100」を開始し部品の海外調達比率10%程度を2倍へ。国内工場の空洞化は避け、生産品目を入れ替えて解雇につながる閉鎖はしない
  • キヤノン 有価証券報告書【役員の状況】
    • [166]1995年8月 御手洗肇氏が社長在職のまま死去
参考文献[146]-[166]
  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
    • [146]1989年3月末 賀来龍三郎氏(在任11年9カ月)が会長となり、山路敬三氏が社長に就任
  • キヤノン 有価証券報告書(沿革)
    • [147]1989年9月 中華人民共和国に佳能大連事務機有限公司を設立
  • ビジネスリサーチ 1989年「キヤノン(株)代表取締役社長(企業研究会副会長)――賀来龍三郎」
    • [148]賀来龍三郎氏はNIES・アセアンのコスト上昇に対し、中国はコストの上がり方が最も遅く最終的な生産基地になると述べ、共生の観点からも中国を重視
    • [149]賀来龍三郎氏はNIES・アセアンのコスト上昇に対し、中国はコストの上がり方が最も遅く最終的な生産基地になると述べ、共生の観点からも中国を重視
    • [150]賀来龍三郎氏はNIES・アセアンのコスト上昇に対し、中国はコストの上がり方が最も遅く最終的な生産基地になると述べ、共生の観点からも中国を重視
  • 日経ビジネス 1992年12月21日号
    • [151]1988年マレーシア、1989年中国・大連、1990年中国・珠海とタイに製造拠点
  • ビジネスリサーチ 1992年「世界共生に貢献して前進するキヤノン――キヤノン㈱代表取締役社長 山路敬三」
    • [152]回収したカートリッジのリサイクルの最終工程を中国の大連工場で行う
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [153]1990年 ノート型「BJ-10V」の発売でBJP市場が拡大
    • [154]1987年夏 田中宏副社長がLBPの開発部隊をBJPの部隊に合流させた
    • [155]1987年暮れ「キャビネットに収納できる大きさ」と価格7万4800円を決定、個人ユーザーを狙う
    • [156]BJPの販売台数 1993年300万台、売上900億円
    • [157]1994年6月中間期 経常利益285億円(前年同期比83%増)、輸出比率約80%
    • [161]1993年7月「CR100」を開始し部品の海外調達比率10%程度を2倍へ。国内工場の空洞化は避け、生産品目を入れ替えて解雇につながる閉鎖はしない
    • [162]1993年7月「CR100」を開始し部品の海外調達比率10%程度を2倍へ。国内工場の空洞化は避け、生産品目を入れ替えて解雇につながる閉鎖はしない
  • 日経ビジネス 1994年7月11日号
    • [158]連結の海外生産比率 36%(1994年3月末)を1995年3月末に45%へ引き上げる計画
  • 日経ビジネス 1995年3月13日号
    • [159]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [160]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [163]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [164]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
    • [165]1993年3月 御手洗肇氏が社長就任。1993年は円高が1300億円の減益要因で利益半減、1994年12月期は経常44%増で円高影響650億円。経営は御手洗肇氏と田中・御手洗冨士夫両副社長の3人
  • キヤノン 有価証券報告書【役員の状況】
    • [166]1995年8月 御手洗肇氏が社長在職のまま死去

第4章 1995年〜 御手洗冨士夫のセル生産と原価改善による過去最高益

1995年〜急逝した御手洗肇氏から継いだ御手洗冨士夫氏の連結経営と、タイプライター・パソコンからの撤退

1995年、社長の御手洗肇氏が在任中に死去し、副社長の御手洗冨士夫氏が後任の社長に就任した。御手洗冨士夫氏は1989年に23年の米国駐在を終えて帰任していた。帰任後は管理部門の責任者として赤字事業の問題を指摘したが、当時の序列は5番目で提案は通らなかった。社長就任時の借入金は8400億円に達し、事業部制の行き過ぎが投資の無駄と赤字事業の拡大を生んでいた。御手洗冨士夫氏は短期の目標を財務の立て直しに置き、米国で学んだ連結とキャッシュフローで損益を見る方式を全社に持ち込んだ。同じ1995年には、分散していた複写機とプリンターの技術者約1300人を、1996年3月開設の富士裾野リサーチパークへ集約すると決めた。

  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [167]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [169]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [170]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [168]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
    • [171]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
    • [172]1996年3月新設の富士裾野リサーチパークに、事業所に分散していた複写機・レーザープリンターなどの技術系社員約1300人を集結させると決定(総投資約1000億円)

御手洗冨士夫氏は会社の目的を利益の追求と定め、事業はその手段と位置づけた。そのうえで不採算の事業から大小7つを一度に撤退し、年間260億円を超えていた赤字を損益から外した。撤退は損益が堅調だった1996年から1997年に終え、タイプライターやパソコンが対象に入った。パソコンから撤退した理由は、東芝・NEC・富士通がLSIを自社で作るのに対し、キヤノンは購入部品を組み立てるだけだった点にある。基幹技術を自前で持たない事業は続けないという基準だった。ただしパソコンの技術者は社内に残し、デジタル複写機の心臓部にあたるコントローラーの開発に充てた。撤退後はデジタルカメラなどの新事業を立ち上げ、国内の雇用を維持した。

  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [173]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [174]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [176]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [177]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [178]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [175]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った
    • [179]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った

1996年、キヤノンは5年を1期とする中長期の経営計画「グローバル優良企業グループ構想」を始めた。全体最適と利益優先を判断の基準に置き、第1期は事業の選択と集中、財務体質の強化に充てた。1998年8月時点で、連結業績は4期連続の増収増益と2期連続の最高益更新を記録していた。第1期を終えた2000年12月期の連結売上高は2兆6964億円、当期純利益は1340億円だった。構想前の1995年12月期の連結当期純利益は550億円だった。御手洗冨士夫氏は2002年の年次報告書で、第1期を『The management reformation strategies we introduced in 1996 under Phase I of the Excellent Global Corporation Plan placed Canon firmly on the path to profitability.』(訳:1996年に構想の第1期として導入した経営改革が、キヤノンを収益の軌道に確実に乗せた)と総括した。事業を先に絞ったため、構想は規模の目標ではなく利益の目標として機能したとみられる。

  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [180]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
    • [181]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
    • [182]1998年8月時点で4期連続の増収増益、2期連続の最高益更新
  • 有価証券報告書(2000年12月期)
    • [183]2000年12月期 連結売上高26964億円、当期純利益1340億円
  • 証券調査
    • [184]1995年12月期 連結当期純利益550億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [185]2002年の年次報告書で御手洗冨士夫氏が、1996年導入の第1期の改革が収益の軌道を築いたと総括
参考文献[167]-[185]
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [167]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [169]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [170]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [173]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [174]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [176]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [177]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [178]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [168]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
    • [171]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
    • [172]1996年3月新設の富士裾野リサーチパークに、事業所に分散していた複写機・レーザープリンターなどの技術系社員約1300人を集結させると決定(総投資約1000億円)
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [175]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った
    • [179]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [180]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
    • [181]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
    • [182]1998年8月時点で4期連続の増収増益、2期連続の最高益更新
  • 有価証券報告書(2000年12月期)
    • [183]2000年12月期 連結売上高26964億円、当期純利益1340億円
  • 証券調査
    • [184]1995年12月期 連結当期純利益550億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [185]2002年の年次報告書で御手洗冨士夫氏が、1996年導入の第1期の改革が収益の軌道を築いたと総括

1998年〜ベルトコンベヤーをやめたセル生産と、ニューヨーク証券取引所への上場

キヤノンは1997年から生産ラインのベルトコンベヤーを外し、少人数で製品を組み上げるセル生産を全面的に取り入れた。御手洗冨士夫氏が調べると、年間50億円のコストダウンは外注先への値下げ要請に依存し、工場自身の改善は進んでいなかった。指導にはトヨタ生産方式を広めたPEC産業教育センター所長の山田日登志氏を招いた。複写機工場では仕掛品が20日分から7〜8日分に減り、完成品の在庫は2か月分から半減した。生産性は中級機で4割、高級機で3割改善した。御手洗冨士夫氏は全社の切り替えについて、『Our Groupwide shift to cell production, which was completed in 2002, eliminated more than 20 kilometers of conveyor belt and dozens of automated storage systems, freeing large volumes of internal and external floor space.』(訳:2002年に完了したグループ全体のセル生産への移行で、20kmを超えるベルトコンベヤーと数十の自動倉庫を撤去し、社内外の広い床面積を空けた)と記した。

  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [186]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [188]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [189]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [190]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [187]年間50億円のコストダウンは外注先から値切るだけで工場自身の努力がなかったため、ベルトコンベヤーをやめてセル生産とジャスト・イン・タイムを導入した
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [191]グループ全体のセル生産への移行は2002年に完了し、20km超のベルトコンベヤーと数十の自動倉庫を撤去した

在庫の圧縮は、借入金の返済と研究開発の原資を同時に生んだ。仕掛品と部品の在庫が減って工場の運転資金は3分の1以下となり、千数百億円の資金が浮いた。1998年12月末から1999年10月末にかけて在庫は600億円減り、円高で減収減益の年でも現金は増えた。有利子負債は1992年12月期に8218億円あり、2001年9月末の2.8倍の水準だった。一方で2000年12月期の研究開発費は売上高の7%にあたる1945億円、設備投資は1709億円を維持した。御手洗冨士夫氏は、次の収益源が育つまでの間を財務体質を整えたまま耐えることを、キャッシュフロー経営の目的に置いた。キヤノンは2002年の年次報告書で『By reducing our dependency on debt, we have freed sufficient capital to invest in new technology development without relying on debt financing.』(訳:借入への依存を減らしたことで、借入に頼らずに新技術の開発へ投資できる資本を確保した)と記した。

  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [192]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
    • [193]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [194]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
    • [197]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [195]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
    • [196]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [198]借入依存を減らし、借入に頼らず新技術開発へ投資する資本を確保した

2000年9月、キヤノンはニューヨーク証券取引所に上場した。キヤノンは連結財務諸表を米国会計基準で作成しており、開示の基準はすでに米国の投資家と揃っていた。1999年時点で連結売上高に占める日本国内の比率は27%程度で、キヤノン製品に限れば20%を下回っていた。従業員約8万人のうち半数以上が日本人以外だった。御手洗冨士夫氏は、米国人の6割がキヤノンを米国の会社と認識しているという調査結果も挙げていた。御手洗冨士夫氏は同じ時期、日本・米国・欧州に本社を置く3本社制を構想し、米欧の本社代表を日本本社の役員に加える考えを示していた。売上と人員の過半を海外に置く会社として、株主の構成も米国の市場へ開く必要があると判断したのだろう。

  • 有価証券報告書(第101期)
    • [199]平成12年(2000年)9月 ニューヨーク証券取引所に上場
    • [200]米国会計基準によって連結財務諸表を作成している
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [201]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [202]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [203]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [204]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
参考文献[186]-[204]
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [186]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [188]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [189]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [190]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [195]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
    • [196]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [187]年間50億円のコストダウンは外注先から値切るだけで工場自身の努力がなかったため、ベルトコンベヤーをやめてセル生産とジャスト・イン・タイムを導入した
    • [192]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
    • [193]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [191]グループ全体のセル生産への移行は2002年に完了し、20km超のベルトコンベヤーと数十の自動倉庫を撤去した
    • [198]借入依存を減らし、借入に頼らず新技術開発へ投資する資本を確保した
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [194]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
    • [197]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
    • [201]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [202]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [203]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [204]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
  • 有価証券報告書(第101期)
    • [199]平成12年(2000年)9月 ニューヨーク証券取引所に上場
    • [200]米国会計基準によって連結財務諸表を作成している

2002年〜特許網で守った自前主義と、アネルバ買収のあとに達成した営業利益7566億円

2001年からの構想第2期で、キヤノンは基幹部品とデバイスの自社開発を主要戦略に置き、年次報告書に『Developing key components and devices in-house is a primary strategy under Phase II of the Excellent Global Corporation Plan』(訳:基幹部品とデバイスの自社開発は、グローバル優良企業グループ構想第2期の主要戦略である)と記した。御手洗冨士夫氏は米国の販売会社で、決め手のないパソコンやカムコーダーの販売に苦労した経験から、基幹部品の内製を重んじた。デジタル一眼レフの光センサーは、1999年にNKKから工場を取得し、三菱電機から技術を導入して自社で作った。電子写真のエンジンに関する米国の特許登録件数は、1998年の178件から2002年には270件に増え、競合各社を上回った。2005年には米国特許の取得件数で民間2位となり、14年続けて上位3社に入った。

  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [205]基幹部品とデバイスの自社開発を構想第2期の主要戦略と位置づけた
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [206]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
    • [207]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
  • 日経ビジネス 2003年6月2日号
    • [208]電子写真エンジン分野の米国登録特許件数はキヤノンが1998年178件→2002年270件で、競合5社3グループを上回る
  • CANON ANNUAL REPORT 2005
    • [209]2005年の米国特許取得件数で民間2位、14年連続で上位3位以内

2005年9月30日、キヤノンは真空薄膜技術を持つアネルバの全株式を取得して子会社とし、10月1日にキヤノンアネルバへ改称した。狙いは、製品の差別化に欠かせないと判断した製造装置を自社で持ち、新たなディスプレー事業にも備えることにあった。重点はSEDパネルを低コストで量産する生産技術と設備に置いた。同じ年には大阪証券取引所第2部に上場していたNECマシナリーの株式も取得した。自動化機械の設計・製造技術を持つ同社は、キヤノンマシナリーとしてグループに加わった。キヤノンは2005年に生産自動化の特別委員会を設け、人手に依存しない生産方式の確立を目標に掲げた。2006年からの構想第3期は、国際競争力を保つ新しい生産システムの確立を5つの重点戦略の一つとした。

  • CANON ANNUAL REPORT 2005
    • [210]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [211]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [212]第3期の重点としてSEDの低コスト生産技術と設備の開発を最優先し、アネルバの高真空薄膜技術の寄与を見込んだ
    • [213]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [214]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
    • [215]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [216]構想第3期の5つの重点戦略の一つに、国際競争力を保つ新しい生産システムの確立

2006年5月、御手洗冨士夫氏は日本経団連の会長に就任し、キヤノンでは会長兼CEOに移った。後任の社長兼COOには内田恒二氏が就任し、構想第3期の目標達成を新体制で進めることになった。2007年12月期の連結営業利益は7566億7300万円、売上高は4兆4813億円だった。内田恒二氏は2008年の目標について、『we are confident that Canon will achieve sales and profit growth for a ninth consecutive year.』(訳:キヤノンは9期連続の増収増益を達成できると確信している)と記した。しかし2008年10月27日、米国の金融機関の破綻に端を発した世界的な株安と円高を受け、通期の見通しを引き下げた。修正後の見通しは売上高4兆2500億円、営業利益5800億円だった。経営の分担を分けた直後に外部環境が急変し、第3期の成長の前提が崩れたと推察される。

  • CANON ANNUAL REPORT 2006
    • [217]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
    • [218]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
  • 有価証券報告書(2007年12月期)
    • [219]2007年12月期 連結営業利益756,673百万円、売上高4,481,346百万円
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [220]2008年に9期連続の増収増益を達成できると確信していると社長が記した
  • 決算短信 2008年10月27日(2008年第3四半期連結決算)
    • [221]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正
    • [222]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正
参考文献[205]-[222]
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [205]基幹部品とデバイスの自社開発を構想第2期の主要戦略と位置づけた
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [206]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
    • [207]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
  • 日経ビジネス 2003年6月2日号
    • [208]電子写真エンジン分野の米国登録特許件数はキヤノンが1998年178件→2002年270件で、競合5社3グループを上回る
  • CANON ANNUAL REPORT 2005
    • [209]2005年の米国特許取得件数で民間2位、14年連続で上位3位以内
    • [210]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [211]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [212]第3期の重点としてSEDの低コスト生産技術と設備の開発を最優先し、アネルバの高真空薄膜技術の寄与を見込んだ
    • [213]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [214]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
    • [215]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [216]構想第3期の5つの重点戦略の一つに、国際競争力を保つ新しい生産システムの確立
    • [220]2008年に9期連続の増収増益を達成できると確信していると社長が記した
  • CANON ANNUAL REPORT 2006
    • [217]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
    • [218]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
  • 有価証券報告書(2007年12月期)
    • [219]2007年12月期 連結営業利益756,673百万円、売上高4,481,346百万円
  • 決算短信 2008年10月27日(2008年第3四半期連結決算)
    • [221]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正
    • [222]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正

第5章 2009年〜 リーマンショックによる本業の頭打ちとオセ・Axis買収

2009年〜金融危機で減少した売上と、オランダのオセの公開買付け

2008年秋の予想修正のあと、2009年12月期の連結売上高は3兆2092億円となり、前期の4兆941億円から減少した。営業利益は4961億円から2171億円へ減少した。年報は減少率を売上高で21.6%、営業利益で56.2%と示し、世界景気の後退と円高を要因に挙げた。キヤノンは在庫の圧縮で現金収支を確保し、健全な財務を保った。そのうえで年報は『Canon, aiming to become one of the world’s top 100 companies, views 2010 as the first year in a new era of growth.』(訳:世界の上位100社入りを目指すキヤノンは、2010年を新たな成長の元年と位置づける)と記した。社長の内田恒二氏は、2010年がフェーズIIIの最終年にあたると記し、既存の主力事業すべてで世界首位を固める方針を示した。

  • キヤノン 有価証券報告書 2009年12月期
    • [223]2009年12月期の連結売上高3兆2092億円(2008年12月期4兆941億円)
    • [224]2009年12月期の連結営業利益2171億円(2008年12月期4961億円)
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [225]2009年は世界景気後退で減収減益。売上高21.6%減、営業利益56.2%減。円は対ドルで年平均10円上昇
    • [226]在庫圧縮などで健全な財務を維持し、2010年を新たな成長の元年と位置づけた
    • [227]在庫圧縮などで健全な財務を維持し、2010年を新たな成長の元年と位置づけた
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「MESSAGE FROM THE PRESIDENT」
    • [228]社長の内田恒二氏が、2010年はフェーズIIIの最終年であり、現行主力事業すべてで圧倒的世界No.1を目指すと記した

2009年11月16日、キヤノンはオランダのオセを連結子会社にする契約の締結を取締役会で決議した。狙いは、フェーズIIIの重要戦略である主力事業での世界首位を、プリンティング全般で実現することだった。キヤノンは2006年に独自技術で商業印刷市場へ参入していた。オセは売上の約4割を米国で上げ、業務用大判プリンターで欧米の高いシェアを持っていた。お知らせは製品の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網を効果に挙げた。日米欧の三極で進める国際多角化の第一歩とも位置づけた。買付価格は1株8.6ユーロで、11月13日の終値に70%を上乗せした。社長の内田恒二氏は年報で『We are also working to expand our commercial printing business through the merger with Océ N.V. as well as the Company’s digital production systems and large-format inkjet printers.』(訳:オセとの統合と、自社のデジタル印刷システムや大判インクジェットプリンターで、商業印刷事業の拡大にも取り組む)と記した。

  • キヤノン お知らせ 2009年11月16日「キヤノンによるOce N.V.の連結子会社化について」
    • [229]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [230]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [232]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [233]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [234]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [235]買付価格1株8.6ユーロ。2009年11月13日の終値に対し70%のプレミアム。資金は自己資金
  • プレスリリース 2009年11月16日(オセの公開買付け)
    • [231]キヤノンは2006年に独自技術で商業印刷市場へ参入していた
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「MESSAGE FROM THE PRESIDENT」
    • [236]内田恒二氏が、オセとの統合などで商業印刷事業を拡大すると記した

2010年3月4日、キヤノンはオセ株式を取得して子会社にすることを取締役会で決議した。取得は3652万160株、3億1400万ユーロで、所有割合は28.3%から71.3%に上がる計画だった。同年6月28日には、装置子会社のキヤノンマシナリーとトッキを株式交換で完全子会社にする契約を結んだ。キヤノンマシナリーについては、新興国の人件費上昇に備えて自動化・無人化の生産を急ぐことを理由に挙げた。トッキについては、有機ELと太陽電池の製造装置を産業機器事業の成長に欠かせない事業とみた。内田恒二氏は2009年の年報で、次世代の領域に知能化生産ロボットを挙げていた。オセで事務機の外の販路を得て、装置子会社で生産の効率と産業機器を固める二正面の手当てだったとみられる。

  • プレスリリース 2010年3月4日(オセ公開買付けの結果)
    • [237]2010年3月4日の取締役会でオセ株式の取得と子会社化を決議。36,520,160株を314百万ユーロで取得し、所有割合は28.3%から71.3%へ
    • [238]2010年3月4日の取締役会でオセ株式の取得と子会社化を決議。36,520,160株を314百万ユーロで取得し、所有割合は28.3%から71.3%へ
  • プレスリリース 2010年6月28日(キヤノンマシナリーの株式交換)
    • [239]2010年6月28日、キヤノンマシナリーを株式交換で完全子会社にする契約を締結。理由は新興国の人件費上昇に備えた自動化・無人化生産の早期展開と産業機器事業の強化
    • [240]2010年6月28日、キヤノンマシナリーを株式交換で完全子会社にする契約を締結。理由は新興国の人件費上昇に備えた自動化・無人化生産の早期展開と産業機器事業の強化
  • プレスリリース 2010年6月28日(トッキの株式交換)
    • [241]2010年6月28日、トッキを株式交換で完全子会社にする契約を締結。有機EL・太陽電池製造装置を産業機器事業の将来の成長に不可欠とした
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「MESSAGE FROM THE PRESIDENT」
    • [242]内田恒二氏が次世代の領域として医療画像、知能化生産ロボット、ディスプレイを挙げた
参考文献[223]-[242]
  • キヤノン 有価証券報告書 2009年12月期
    • [223]2009年12月期の連結売上高3兆2092億円(2008年12月期4兆941億円)
    • [224]2009年12月期の連結営業利益2171億円(2008年12月期4961億円)
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [225]2009年は世界景気後退で減収減益。売上高21.6%減、営業利益56.2%減。円は対ドルで年平均10円上昇
    • [226]在庫圧縮などで健全な財務を維持し、2010年を新たな成長の元年と位置づけた
    • [227]在庫圧縮などで健全な財務を維持し、2010年を新たな成長の元年と位置づけた
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「MESSAGE FROM THE PRESIDENT」
    • [228]社長の内田恒二氏が、2010年はフェーズIIIの最終年であり、現行主力事業すべてで圧倒的世界No.1を目指すと記した
    • [236]内田恒二氏が、オセとの統合などで商業印刷事業を拡大すると記した
    • [242]内田恒二氏が次世代の領域として医療画像、知能化生産ロボット、ディスプレイを挙げた
  • キヤノン お知らせ 2009年11月16日「キヤノンによるOce N.V.の連結子会社化について」
    • [229]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [230]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [232]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [233]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [234]2009年11月16日の取締役会でオセ連結子会社化の契約締結を決議。目的は現行主力事業の圧倒的世界No.1をプリンティング全般で実現すること。オセは売上の約4割が米国、業務用大判で欧米の高シェア。効果は製品・技術の補完、研究開発力、30以上の国の販売・サービス網。三極での国際多角化の第一歩
    • [235]買付価格1株8.6ユーロ。2009年11月13日の終値に対し70%のプレミアム。資金は自己資金
  • プレスリリース 2009年11月16日(オセの公開買付け)
    • [231]キヤノンは2006年に独自技術で商業印刷市場へ参入していた
  • プレスリリース 2010年3月4日(オセ公開買付けの結果)
    • [237]2010年3月4日の取締役会でオセ株式の取得と子会社化を決議。36,520,160株を314百万ユーロで取得し、所有割合は28.3%から71.3%へ
    • [238]2010年3月4日の取締役会でオセ株式の取得と子会社化を決議。36,520,160株を314百万ユーロで取得し、所有割合は28.3%から71.3%へ
  • プレスリリース 2010年6月28日(キヤノンマシナリーの株式交換)
    • [239]2010年6月28日、キヤノンマシナリーを株式交換で完全子会社にする契約を締結。理由は新興国の人件費上昇に備えた自動化・無人化生産の早期展開と産業機器事業の強化
    • [240]2010年6月28日、キヤノンマシナリーを株式交換で完全子会社にする契約を締結。理由は新興国の人件費上昇に備えた自動化・無人化生産の早期展開と産業機器事業の強化
  • プレスリリース 2010年6月28日(トッキの株式交換)
    • [241]2010年6月28日、トッキを株式交換で完全子会社にする契約を締結。有機EL・太陽電池製造装置を産業機器事業の将来の成長に不可欠とした

2011年〜フェーズIVの5カ年計画と、御手洗冨士夫氏の社長復帰

2011年、キヤノンは5カ年計画「グローバル優良企業グループ構想」のフェーズIVを始めた。目標は2015年に連結売上高5兆円以上、営業利益率20%以上、当期純利益率10%以上だった。起点の2010年12月期の売上高は3兆7069億円だった。会長の御手洗冨士夫氏は年報のインタビューで、フェーズIIIは2008年の金融危機で事業規模が縮んだと振り返った。そのうえで既存製品を他分野へ展開し、医療と産業機器を新事業として育てる方針を示した。多角化を日本の外でも進めるため、米欧にも本社機能を置く三極本社体制を掲げ、その要にオセを置いた。御手洗冨士夫氏は『In Phase IV, we plan to complete the Three Regional Headquarters management system through the promotion of further M&A.』(訳:フェーズIVでは、さらなるM&Aを進めて三極本社体制を完成させる)とも記した。

  • CANON ANNUAL REPORT 2011「INTERVIEW WITH THE CEO」
    • [243]2011年にフェーズIV(2011–2015年)を開始。2015年の目標は連結売上高5兆円以上、営業利益率20%以上、当期純利益率10%以上
    • [244]2011年にフェーズIV(2011–2015年)を開始。2015年の目標は連結売上高5兆円以上、営業利益率20%以上、当期純利益率10%以上
    • [246]フェーズIIIは2008年の金融危機で事業規模が縮小した。フェーズIVでは既存製品の他分野への展開と医療・産業機器の新事業育成を進める
    • [247]フェーズIIIは2008年の金融危機で事業規模が縮小した。フェーズIVでは既存製品の他分野への展開と医療・産業機器の新事業育成を進める
    • [248]国際多角化のため米欧にも本社機能を置く三極本社体制を掲げ、オセを要と位置づけ、さらなるM&Aで完成させるとした
    • [249]国際多角化のため米欧にも本社機能を置く三極本社体制を掲げ、オセを要と位置づけ、さらなるM&Aで完成させるとした
  • キヤノン 有価証券報告書 2010年12月期
    • [245]2010年12月期の連結売上高3兆7069億円

2011年11月9日、子会社のキヤノンマーケティングジャパンは、JASDAQ上場の昭和情報機器への公開買付けを決めた。昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンター「SXシリーズ」を主力とし、競争力のある製品を持つ提携先を必要としていた。キヤノンマーケティングジャパンは2010年11月から、昭和情報機器とオセのオフィス向けプリンターの販売で提携していた。公開買付けは、印刷会社を中心とする商業印刷の顧客に、オセ製品を含めて接近する狙いを掲げた。買付けは12月20日に終わった。キヤノンとオセの共同開発製品は、2011年3月と9月に発売されていた。オセについては2013年に完全子会社にし、高速印刷システムで商業印刷と包装印刷の市場に参入した。

  • プレスリリース 2011年11月9日(子会社による公開買付けの開始)
    • [250]2011年11月9日、キヤノンマーケティングジャパンが昭和情報機器(JASDAQ)の株式と新株予約権の公開買付けを決議
    • [251]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
    • [252]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
    • [253]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
    • [255]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
  • プレスリリース 2011年12月21日(子会社による公開買付けの結果)
    • [254]昭和情報機器への公開買付けは2011年11月10日に始まり、12月20日に完了した
  • CANON ANNUAL REPORT 2015「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [256]オセを2013年に完全子会社とし、高速印刷システムで商業印刷・包装印刷の市場へ参入した

2012年1月30日、キヤノンは代表取締役の異動を取締役会で内定した。3月29日付で会長CEOの御手洗冨士夫氏が会長兼社長CEOに就任し、社長COOの内田恒二氏は相談役に就任した。リリースは異動の理由を『To promote steady advancement towards achieving the Company’s goals in Phase IV of the Excellent Global Corporation Plan (2011 – 2015) amid the challenging business environment.』(訳:厳しい事業環境のもとで、フェーズIVの目標達成へ着実に前進するため)とした。連結売上高は2011年12月期に3兆5574億円、2012年12月期に3兆4797億円と2年続けて減少した。御手洗冨士夫氏は2012年の年報で、世界景気の減速と歴史的な円高を業績低下の要因に挙げた。同じ年報で、レーザープリンターとデジタルカメラの世界首位は保ったと記した。計画2年目で5兆円の目標から遠ざかったため、会長が執行も兼ねて改革を急ぐ体制に改めたと推察される。

  • プレスリリース 2012年1月30日(代表取締役の異動)
    • [257]2012年1月30日の取締役会で代表取締役の異動を内定。3月29日付で御手洗冨士夫氏(会長CEO)が会長兼社長CEO、内田恒二氏(社長COO)が相談役。理由はフェーズIVの目標達成へ着実に前進するため
    • [258]2012年1月30日の取締役会で代表取締役の異動を内定。3月29日付で御手洗冨士夫氏(会長CEO)が会長兼社長CEO、内田恒二氏(社長COO)が相談役。理由はフェーズIVの目標達成へ着実に前進するため
    • [259]2012年1月30日の取締役会で代表取締役の異動を内定。3月29日付で御手洗冨士夫氏(会長CEO)が会長兼社長CEO、内田恒二氏(社長COO)が相談役。理由はフェーズIVの目標達成へ着実に前進するため
  • キヤノン 有価証券報告書 2012年12月期
    • [260]連結売上高 2011年12月期3兆5574億円、2012年12月期3兆4797億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2012「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [261]2012年は世界景気の減速と歴史的な円高で業績が低下したが、レーザープリンターとデジタルカメラで世界首位を維持した
    • [262]2012年は世界景気の減速と歴史的な円高で業績が低下したが、レーザープリンターとデジタルカメラで世界首位を維持した
参考文献[243]-[262]
  • CANON ANNUAL REPORT 2011「INTERVIEW WITH THE CEO」
    • [243]2011年にフェーズIV(2011–2015年)を開始。2015年の目標は連結売上高5兆円以上、営業利益率20%以上、当期純利益率10%以上
    • [244]2011年にフェーズIV(2011–2015年)を開始。2015年の目標は連結売上高5兆円以上、営業利益率20%以上、当期純利益率10%以上
    • [246]フェーズIIIは2008年の金融危機で事業規模が縮小した。フェーズIVでは既存製品の他分野への展開と医療・産業機器の新事業育成を進める
    • [247]フェーズIIIは2008年の金融危機で事業規模が縮小した。フェーズIVでは既存製品の他分野への展開と医療・産業機器の新事業育成を進める
    • [248]国際多角化のため米欧にも本社機能を置く三極本社体制を掲げ、オセを要と位置づけ、さらなるM&Aで完成させるとした
    • [249]国際多角化のため米欧にも本社機能を置く三極本社体制を掲げ、オセを要と位置づけ、さらなるM&Aで完成させるとした
  • キヤノン 有価証券報告書 2010年12月期
    • [245]2010年12月期の連結売上高3兆7069億円
  • プレスリリース 2011年11月9日(子会社による公開買付けの開始)
    • [250]2011年11月9日、キヤノンマーケティングジャパンが昭和情報機器(JASDAQ)の株式と新株予約権の公開買付けを決議
    • [251]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
    • [252]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
    • [253]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
    • [255]昭和情報機器は連続帳票の漢字プリンターSXシリーズが主力で、競争力ある製品を持つ提携先を要していた。2010年11月からオセのオフィス向けプリンター販売で提携。狙いは印刷会社を中心とする商業印刷の顧客への接近。キヤノンとオセの共同開発製品は2011年3月と9月に発売
  • プレスリリース 2011年12月21日(子会社による公開買付けの結果)
    • [254]昭和情報機器への公開買付けは2011年11月10日に始まり、12月20日に完了した
  • CANON ANNUAL REPORT 2015「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [256]オセを2013年に完全子会社とし、高速印刷システムで商業印刷・包装印刷の市場へ参入した
  • プレスリリース 2012年1月30日(代表取締役の異動)
    • [257]2012年1月30日の取締役会で代表取締役の異動を内定。3月29日付で御手洗冨士夫氏(会長CEO)が会長兼社長CEO、内田恒二氏(社長COO)が相談役。理由はフェーズIVの目標達成へ着実に前進するため
    • [258]2012年1月30日の取締役会で代表取締役の異動を内定。3月29日付で御手洗冨士夫氏(会長CEO)が会長兼社長CEO、内田恒二氏(社長COO)が相談役。理由はフェーズIVの目標達成へ着実に前進するため
    • [259]2012年1月30日の取締役会で代表取締役の異動を内定。3月29日付で御手洗冨士夫氏(会長CEO)が会長兼社長CEO、内田恒二氏(社長COO)が相談役。理由はフェーズIVの目標達成へ着実に前進するため
  • キヤノン 有価証券報告書 2012年12月期
    • [260]連結売上高 2011年12月期3兆5574億円、2012年12月期3兆4797億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2012「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [261]2012年は世界景気の減速と歴史的な円高で業績が低下したが、レーザープリンターとデジタルカメラで世界首位を維持した
    • [262]2012年は世界景気の減速と歴史的な円高で業績が低下したが、レーザープリンターとデジタルカメラで世界首位を維持した

2013年〜スマートフォンにシェアを侵食されたデジタルカメラと、スウェーデンのアクシスの買収

2013年12月期の連結売上高は3兆7313億円、2014年12月期は3兆7272億円だった。3年ぶりの増収増益は、大幅な円安の効果によるものだった。同じ年報で、スマートフォンの普及によりコンパクトデジタルカメラの販売台数が減ったと記した。2014年の売上高はほぼ横ばいで、キヤノンは売上より利益を重んじる方針のもと、売上総利益率を49.9%に上げた。コンパクトカメラでは操作性と画質を磨いてスマートフォンのカメラとの差を広げ、携帯機器との連携も高める方針を取った。事務機とカメラの2事業だけでは、2015年に売上高5兆円を達成する見通しが立たなくなっていたのだろう。

  • キヤノン 有価証券報告書 2014年12月期
    • [263]連結売上高 2013年12月期3兆7313億円、2014年12月期3兆7272億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2013「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [264]2013年は円安に支えられ3年ぶりの増収増益。スマートフォン普及でコンパクトデジタルカメラの販売台数が減少した
    • [265]2013年は円安に支えられ3年ぶりの増収増益。スマートフォン普及でコンパクトデジタルカメラの販売台数が減少した
  • CANON ANNUAL REPORT 2014「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [266]2014年は売上より利益を重視する方針のもと、売上高はほぼ前年並み、売上総利益率は1.7ポイント改善して49.9%
  • CANON ANNUAL REPORT 2014(事業の概況)
    • [267]コンパクトカメラは操作性・画質などを高めてスマートフォンのカメラと差別化し、携帯機器との親和性も高める

2015年2月10日、キヤノンはスウェーデンのアクシスの全株式を対象とする公開買付けを取締役会で決議した。お知らせは、フェーズIVの重要戦略「グローバル多角化による新たな事業の獲得」を背景に挙げた。映像監視システムの市場は拡大を続けており、キヤノンはネットワーク監視カメラを成長の原動力となる新規事業と位置づけた。アクシスは1984年創業のネットワークビデオの首位企業で、世界に7万5000社の販売パートナーを抱えていた。買付価格は1株340スウェーデンクローネ、総額は約3337億円で、自己資金を充当する計画だった。キヤノンは同じ分野で、マイルストーン・システムズもグループに加えていた。

  • キヤノン お知らせ 2015年2月10日「キヤノンによるアクシス社株式に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」
    • [268]2015年2月10日の取締役会でアクシス全株式への公開買付けを決議。背景はフェーズIVの重要戦略「グローバル多角化による新たな事業の獲得」。映像監視市場の成長を受け、ネットワーク監視カメラを成長の原動力となる新規事業と位置づけた
    • [269]2015年2月10日の取締役会でアクシス全株式への公開買付けを決議。背景はフェーズIVの重要戦略「グローバル多角化による新たな事業の獲得」。映像監視市場の成長を受け、ネットワーク監視カメラを成長の原動力となる新規事業と位置づけた
    • [270]2015年2月10日の取締役会でアクシス全株式への公開買付けを決議。背景はフェーズIVの重要戦略「グローバル多角化による新たな事業の獲得」。映像監視市場の成長を受け、ネットワーク監視カメラを成長の原動力となる新規事業と位置づけた
    • [271]アクシスは1984年創業、ネットワークビデオソリューションのグローバルリーダーで、世界に75,000社のシステムインテグレーター等のパートナーを持つ
    • [272]買付価格1株340スウェーデンクローネ、総額約236億スウェーデンクローネ(約3,337億円)。資金は自己資金
  • CANON ANNUAL REPORT 2015「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [273]ネットワークカメラシステムの分野でマイルストーン・システムズとアクシスをグループに迎えた

フェーズIVの最終年の2015年12月期、連結売上高は3兆8002億円で、5兆円の目標を下回った。年報は、欧州の債務危機や新興国の減速を受け、規模拡大の方針を改めて財務体質の強化を優先したと記した。一方でキヤノンは、既存事業の横展開とM&Aで新しい事業を加えた。M&Aの対象は商業印刷、ネットワークカメラ、ナノインプリントの3分野だった。年報は『In these ways, Canon has initiated a shift from B2C to B2B, adding new business segments to such maturing core businesses as cameras and office equipment.』(訳:こうしてキヤノンは、カメラや事務機という成熟した主力事業に新たな事業を加え、B2CからB2Bへの転換に着手した)と総括した。新規事業が売上高に占める比率は、2014年の約10%から2015年に13%へ上がった。既存事業に大きな成長は見込めず、その利益で新規事業を立ち上げることが次の計画の前提となった。

  • キヤノン 有価証券報告書 2015年12月期
    • [274]2015年12月期の連結売上高3兆8002億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2015「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [275]フェーズIV期間に欧州債務危機や新興国減速に直面し、当初の規模拡大の方針を改めて財務体質の強化に注力。既存事業の横展開とM&Aで新たな成長事業を獲得した
    • [276]フェーズIV期間に欧州債務危機や新興国減速に直面し、当初の規模拡大の方針を改めて財務体質の強化に注力。既存事業の横展開とM&Aで新たな成長事業を獲得した
    • [277]M&Aは商業印刷(オセ)、ネットワークカメラ(マイルストーン・アクシス)、ナノインプリント(モレキュラー・インプリンツ)の3分野。B2CからB2Bへの転換に着手したと総括
    • [278]M&Aは商業印刷(オセ)、ネットワークカメラ(マイルストーン・アクシス)、ナノインプリント(モレキュラー・インプリンツ)の3分野。B2CからB2Bへの転換に着手したと総括
  • キヤノン 2016年 決算説明会 質疑応答「A1. キヤノンは今年から新たな五カ年計画をスタートさせている」
    • [279]新規事業が全体に占める割合は2014年約10%、2015年13%。既存事業は収益源だが大きな成長は期待できず、その利益で新規事業を立ち上げることが重要とした
    • [280]新規事業が全体に占める割合は2014年約10%、2015年13%。既存事業は収益源だが大きな成長は期待できず、その利益で新規事業を立ち上げることが重要とした
参考文献[263]-[280]
  • キヤノン 有価証券報告書 2014年12月期
    • [263]連結売上高 2013年12月期3兆7313億円、2014年12月期3兆7272億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2013「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [264]2013年は円安に支えられ3年ぶりの増収増益。スマートフォン普及でコンパクトデジタルカメラの販売台数が減少した
    • [265]2013年は円安に支えられ3年ぶりの増収増益。スマートフォン普及でコンパクトデジタルカメラの販売台数が減少した
  • CANON ANNUAL REPORT 2014「TO OUR STOCKHOLDERS」
    • [266]2014年は売上より利益を重視する方針のもと、売上高はほぼ前年並み、売上総利益率は1.7ポイント改善して49.9%
  • CANON ANNUAL REPORT 2014(事業の概況)
    • [267]コンパクトカメラは操作性・画質などを高めてスマートフォンのカメラと差別化し、携帯機器との親和性も高める
  • キヤノン お知らせ 2015年2月10日「キヤノンによるアクシス社株式に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」
    • [268]2015年2月10日の取締役会でアクシス全株式への公開買付けを決議。背景はフェーズIVの重要戦略「グローバル多角化による新たな事業の獲得」。映像監視市場の成長を受け、ネットワーク監視カメラを成長の原動力となる新規事業と位置づけた
    • [269]2015年2月10日の取締役会でアクシス全株式への公開買付けを決議。背景はフェーズIVの重要戦略「グローバル多角化による新たな事業の獲得」。映像監視市場の成長を受け、ネットワーク監視カメラを成長の原動力となる新規事業と位置づけた
    • [270]2015年2月10日の取締役会でアクシス全株式への公開買付けを決議。背景はフェーズIVの重要戦略「グローバル多角化による新たな事業の獲得」。映像監視市場の成長を受け、ネットワーク監視カメラを成長の原動力となる新規事業と位置づけた
    • [271]アクシスは1984年創業、ネットワークビデオソリューションのグローバルリーダーで、世界に75,000社のシステムインテグレーター等のパートナーを持つ
    • [272]買付価格1株340スウェーデンクローネ、総額約236億スウェーデンクローネ(約3,337億円)。資金は自己資金
  • CANON ANNUAL REPORT 2015「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [273]ネットワークカメラシステムの分野でマイルストーン・システムズとアクシスをグループに迎えた
    • [275]フェーズIV期間に欧州債務危機や新興国減速に直面し、当初の規模拡大の方針を改めて財務体質の強化に注力。既存事業の横展開とM&Aで新たな成長事業を獲得した
    • [276]フェーズIV期間に欧州債務危機や新興国減速に直面し、当初の規模拡大の方針を改めて財務体質の強化に注力。既存事業の横展開とM&Aで新たな成長事業を獲得した
    • [277]M&Aは商業印刷(オセ)、ネットワークカメラ(マイルストーン・アクシス)、ナノインプリント(モレキュラー・インプリンツ)の3分野。B2CからB2Bへの転換に着手したと総括
    • [278]M&Aは商業印刷(オセ)、ネットワークカメラ(マイルストーン・アクシス)、ナノインプリント(モレキュラー・インプリンツ)の3分野。B2CからB2Bへの転換に着手したと総括
  • キヤノン 有価証券報告書 2015年12月期
    • [274]2015年12月期の連結売上高3兆8002億円
  • キヤノン 2016年 決算説明会 質疑応答「A1. キヤノンは今年から新たな五カ年計画をスタートさせている」
    • [279]新規事業が全体に占める割合は2014年約10%、2015年13%。既存事業は収益源だが大きな成長は期待できず、その利益で新規事業を立ち上げることが重要とした
    • [280]新規事業が全体に占める割合は2014年約10%、2015年13%。既存事業は収益源だが大きな成長は期待できず、その利益で新規事業を立ち上げることが重要とした

第6章 2016年〜 東芝メディカル買収と医療機器ののれん減損1651億円

2016年〜6655億円で取得した東芝メディカルと、真栄田雅也社長の新事業

2016年3月17日、キヤノンは東芝から東芝メディカルシステムズの全株式を約6,655億円で取得する契約を結んだ。取得の理由には、同年に始めたフェーズVの新規事業の強化拡大のなかで、ヘルスケアを次世代の収益源の一つに育てることを掲げた。東芝メディカルシステムズはCTで国内首位にあり、X線・MRI・超音波・核医学まで製品群を揃えていた。キヤノンはそれまでX線画像診断機器用センサーを供給する取引先にとどまっていた。競争法当局の承認がそろった2016年12月19日、キヤノンは株式の取得を決議して子会社とした。会長CEOの御手洗冨士夫氏は2026年の統合報告書で、大型の買収は時間を買う手段だったと振り返っている。

  • キヤノン お知らせ 2016年3月17日「東芝メディカルシステムズ株式会社の株式取得(子会社化)に関するお知らせ」
    • [281]2016年3月17日 東芝との株式等譲渡契約を締結、取得株式134,980,000株・取得価額約6,655億円・議決権所有割合100%
    • [282]取得の理由 フェーズVの「新規事業の強化拡大と将来事業の創出」で「安心・安全」領域のヘルスケア事業を次世代の柱の一つに育てる
    • [283]TMSCはCTで日本首位、X線診断・MRI・超音波・核医学までの製品群を持つ
    • [284]取得前のキヤノンとTMSCの関係は資本・人的関係なし、取引はX線画像診断機器用センサーの供給のみ
  • キヤノン プレスリリース 2016年12月19日「Notice Concerning Acquisition of Toshiba Medical Systems Corporation Shares and Making it a Subsidiary」
    • [285]2016年12月19日 競争法当局のクリアランス取得を受け、取締役会でTMSC株式の取得と子会社化を決議
  • CANON INTEGRATED REPORT 2026「Message from the CEO」
    • [286]御手洗冨士夫氏がカメラ・事務機の需要減に対し、大型M&Aで時間を買って4本柱へ事業ポートフォリオを転換したと総括

2016年3月30日の総会後、専務取締役でイメージコミュニケーション事業本部長の真栄田雅也氏が社長COOに就任した。御手洗冨士夫氏は社長の兼務を解き、会長CEOとして残った。この交代は同年1月27日に、経営体制の一層の強化を理由として発表されていた。7月の決算説明会で会社側は、事務機とカメラの2016年見通しを前年比約10%の減収、新規事業を11%の増収と示した。新規事業の売上比率は2015年の13%から2016年に15%程度へ上がる見通しだった。既存事業の役割について、会社側は『既存事業は収益源であり、大きな成長は期待できないが、その生み出す利益をもとに如何に新規事業を立ち上げるか、という観点で重要である』と答えた。カメラ事業を率いた真栄田雅也氏に既存事業の執行を任せ、御手洗冨士夫氏が買収を含む事業の組み替えを担う分担だったと推察される。

  • キヤノン プレスリリース 2016年1月27日「Notice Concerning Change of Representative Directors」
    • [287]2016年1月27日発表 3月30日付で真栄田雅也氏(専務取締役・イメージコミュニケーション事業本部長)が代表取締役社長COO、御手洗冨士夫氏が代表取締役会長CEO。理由は経営体制の一層の強化
    • [288]2016年1月27日発表 3月30日付で真栄田雅也氏(専務取締役・イメージコミュニケーション事業本部長)が代表取締役社長COO、御手洗冨士夫氏が代表取締役会長CEO。理由は経営体制の一層の強化
    • [289]2016年1月27日発表 3月30日付で真栄田雅也氏(専務取締役・イメージコミュニケーション事業本部長)が代表取締役社長COO、御手洗冨士夫氏が代表取締役会長CEO。理由は経営体制の一層の強化
  • キヤノン 2016年第2四半期 決算説明会 質疑応答
    • [290]2016年の既存事業見通しは前年比約10%減収、新規事業は+11%。新規事業比率は2014年約10%・2015年13%・2016年見通し15%程度
    • [291]2016年の既存事業見通しは前年比約10%減収、新規事業は+11%。新規事業比率は2014年約10%・2015年13%・2016年見通し15%程度
    • [292]2016年の既存事業見通しは前年比約10%減収、新規事業は+11%。新規事業比率は2014年約10%・2015年13%・2016年見通し15%程度

買収後の医療は、2019年の実績で前回計画を下回った。2017年7月、欧州委員会は東芝メディカルシステムズ買収の手続きについて異議告知書を出した。2017年12月期の決算説明会で、会社側は見解の提出期限が延び、進展はないと説明した。同じ説明会で、医療は2020年に売上高6,000億円・営業利益率10%以上を目標とした。施策には画像処理技術による共同開発、販売網の統合、生産技術と調達力の活用を挙げた。未達の主な理由は、日本の消費増税後の反動が想定を上回ったことだった。会社側は2019年後半に投入したCTとMRIの高付加価値機で製品構成を改善し、サービス収入も増やすとした。

  • キヤノン 2019年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [293]2019年の医療の実績が前回計画未達。主因は日本の消費増税の反動、2020年は2019年後半投入のCT・MRI高付加価値機で製品構成を改善
    • [298]2019年の医療の実績が前回計画未達。主因は日本の消費増税の反動、2020年は2019年後半投入のCT・MRI高付加価値機で製品構成を改善
    • [299]2019年の医療の実績が前回計画未達。主因は日本の消費増税の反動、2020年は2019年後半投入のCT・MRI高付加価値機で製品構成を改善
  • キヤノン 2017年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [294]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達
    • [295]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達
    • [296]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達
    • [297]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達
参考文献[281]-[299]
  • キヤノン お知らせ 2016年3月17日「東芝メディカルシステムズ株式会社の株式取得(子会社化)に関するお知らせ」
    • [281]2016年3月17日 東芝との株式等譲渡契約を締結、取得株式134,980,000株・取得価額約6,655億円・議決権所有割合100%
    • [282]取得の理由 フェーズVの「新規事業の強化拡大と将来事業の創出」で「安心・安全」領域のヘルスケア事業を次世代の柱の一つに育てる
    • [283]TMSCはCTで日本首位、X線診断・MRI・超音波・核医学までの製品群を持つ
    • [284]取得前のキヤノンとTMSCの関係は資本・人的関係なし、取引はX線画像診断機器用センサーの供給のみ
  • キヤノン プレスリリース 2016年12月19日「Notice Concerning Acquisition of Toshiba Medical Systems Corporation Shares and Making it a Subsidiary」
    • [285]2016年12月19日 競争法当局のクリアランス取得を受け、取締役会でTMSC株式の取得と子会社化を決議
  • CANON INTEGRATED REPORT 2026「Message from the CEO」
    • [286]御手洗冨士夫氏がカメラ・事務機の需要減に対し、大型M&Aで時間を買って4本柱へ事業ポートフォリオを転換したと総括
  • キヤノン プレスリリース 2016年1月27日「Notice Concerning Change of Representative Directors」
    • [287]2016年1月27日発表 3月30日付で真栄田雅也氏(専務取締役・イメージコミュニケーション事業本部長)が代表取締役社長COO、御手洗冨士夫氏が代表取締役会長CEO。理由は経営体制の一層の強化
    • [288]2016年1月27日発表 3月30日付で真栄田雅也氏(専務取締役・イメージコミュニケーション事業本部長)が代表取締役社長COO、御手洗冨士夫氏が代表取締役会長CEO。理由は経営体制の一層の強化
    • [289]2016年1月27日発表 3月30日付で真栄田雅也氏(専務取締役・イメージコミュニケーション事業本部長)が代表取締役社長COO、御手洗冨士夫氏が代表取締役会長CEO。理由は経営体制の一層の強化
  • キヤノン 2016年第2四半期 決算説明会 質疑応答
    • [290]2016年の既存事業見通しは前年比約10%減収、新規事業は+11%。新規事業比率は2014年約10%・2015年13%・2016年見通し15%程度
    • [291]2016年の既存事業見通しは前年比約10%減収、新規事業は+11%。新規事業比率は2014年約10%・2015年13%・2016年見通し15%程度
    • [292]2016年の既存事業見通しは前年比約10%減収、新規事業は+11%。新規事業比率は2014年約10%・2015年13%・2016年見通し15%程度
  • キヤノン 2019年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [293]2019年の医療の実績が前回計画未達。主因は日本の消費増税の反動、2020年は2019年後半投入のCT・MRI高付加価値機で製品構成を改善
    • [298]2019年の医療の実績が前回計画未達。主因は日本の消費増税の反動、2020年は2019年後半投入のCT・MRI高付加価値機で製品構成を改善
    • [299]2019年の医療の実績が前回計画未達。主因は日本の消費増税の反動、2020年は2019年後半投入のCT・MRI高付加価値機で製品構成を改善
  • キヤノン 2017年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [294]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達
    • [295]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達
    • [296]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達
    • [297]2017年7月 欧州委員会が異議告知書、見解提出の期限延期で進展なし。医療は2020年に売上6,000億円・営業利益率10%以上が目標、施策は共同開発・販売網統合・生産技術・調達

2020年〜3度目の社長に就任した御手洗冨士夫氏と、中間配当40円への減配

2020年5月1日、社長COOの真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役と取締役を辞任した。同日の取締役会は、会長CEOの御手洗冨士夫氏が社長を兼務すると決議した。御手洗冨士夫氏は1995年、2012年に続き、3度目の社長就任となった。真栄田雅也氏は代表権を離れ、技術最高顧問に就任した。社長を兼ねた御手洗冨士夫氏は、この時点で84歳だった。年報2020は、フェーズVの成果として2016年にキヤノンメディカルシステムズを迎え、医療へ本格参入したことを挙げた。同じ年報は、感染拡大と世界的な景気後退の下で5年間を終えたと記した。感染拡大で先行きの読めない時期に後任を選び直すより、経営経験の長い会長が執行を兼ねる方を選んだとみられる。

  • キヤノン お知らせ 2020年5月1日「代表取締役の異動に関するお知らせ」
    • [300]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [301]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [302]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [303]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [304]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
  • CANON ANNUAL REPORT 2020「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [305]フェーズVで2016年にキヤノンメディカルシステムズ(旧東芝メディカルシステムズ)を迎え医療へ本格参入、期間中に世界的景気後退とCOVID-19
    • [306]フェーズVで2016年にキヤノンメディカルシステムズ(旧東芝メディカルシステムズ)を迎え医療へ本格参入、期間中に世界的景気後退とCOVID-19

2020年7月、キヤノンは中間配当を前年の1株80円から40円に引き下げた。キヤノンはそれまで減配しない方針をとってきた。会社側は、中長期の業績とキャッシュフローで配当を決める方針に変更はないとした。そのうえで新型コロナウイルスを経験のないリスクと位置づけ、『今回、この難局を乗り切るために、キャッシュフローを最優先に考え、減配を決定した』と説明した。期末配当は感染の収束状況と業績を見て決めるとして、この時点では未定とした。同じ説明会で、前年の約300億円に続き約150億円の追加の構造改革を示した。投資キャッシュフローは成長に向けたM&Aの枠を確保し、年初の2,100億円から2,350億円に増やした。2020年12月期の親会社株主に帰属する当期純利益は833億円で、前期の1,249億円から減少した。

  • キヤノン 2020年12月期 第2四半期 決算説明会 質疑応答
    • [307]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [308]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [309]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [310]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [311]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [312]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [313]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
  • キヤノン 有価証券報告書
    • [314]親会社株主に帰属する当期純利益 2019年12月期1,249億円、2020年12月期833億円(連結・米国基準)

2021年、キヤノンはフェーズVIを始め、生産性の向上と新規事業の創出で事業ポートフォリオの転換を加速すると定めた。前提はフェーズVの結果で、商業印刷・ネットワークカメラ・医療・産業機器の売上比率は2015年の9%から2020年に28%へ上がった。2022年1月の決算説明会で会社側は、借入金の返済を終える時期を2023年と見込んだ。完済後は配当性向50%を目途とする考えで、『従って、25年の利益ベースでは、減配前の水準まで戻せることになる』とした。期初の決算短信に配当予想を載せた理由は、投資家の声を反映したためと説明した。買収で増えた借入金を返し終えてから還元を厚くする順序を、配当予想の開示で先に示したと考えられる。

  • CANON ANNUAL REPORT 2021「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [315]2021年 フェーズVI開始、基本方針は生産性向上と新事業創出によるポートフォリオ転換の加速
  • CANON ANNUAL REPORT 2020「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [316]新規4事業(商業印刷・ネットワークカメラ・医療・産業機器)の売上比率 2015年9%→2020年28%
  • キヤノン 2021年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [317]2023年までに借入金完済の見通し、完済後は配当性向50%を目途。期初の決算短信に配当予想を載せたのは投資家の声の反映
    • [318]2023年までに借入金完済の見通し、完済後は配当性向50%を目途。期初の決算短信に配当予想を載せたのは投資家の声の反映
    • [319]2023年までに借入金完済の見通し、完済後は配当性向50%を目途。期初の決算短信に配当予想を載せたのは投資家の声の反映
参考文献[300]-[319]
  • キヤノン お知らせ 2020年5月1日「代表取締役の異動に関するお知らせ」
    • [300]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [301]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [302]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [303]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
    • [304]2020年5月1日 真栄田雅也氏が健康上の理由で代表取締役・取締役を辞任し技術最高顧問へ、御手洗冨士夫氏(1935年9月23日生)が代表取締役会長兼社長CEO。社長歴は1995年9月・2012年3月
  • CANON ANNUAL REPORT 2020「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [305]フェーズVで2016年にキヤノンメディカルシステムズ(旧東芝メディカルシステムズ)を迎え医療へ本格参入、期間中に世界的景気後退とCOVID-19
    • [306]フェーズVで2016年にキヤノンメディカルシステムズ(旧東芝メディカルシステムズ)を迎え医療へ本格参入、期間中に世界的景気後退とCOVID-19
    • [316]新規4事業(商業印刷・ネットワークカメラ・医療・産業機器)の売上比率 2015年9%→2020年28%
  • キヤノン 2020年12月期 第2四半期 決算説明会 質疑応答
    • [307]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [308]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [309]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [310]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [311]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [312]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
    • [313]2020年第2四半期 中間配当を前年80円から40円に減配。配当方針は不変、COVID-19を未経験のリスクとしキャッシュフロー最優先、期末は未定。2019年約300億円に続き約150億円の追加構造改革。投資CFはM&A枠を確保し年初2,100億円から2,350億円へ
  • キヤノン 有価証券報告書
    • [314]親会社株主に帰属する当期純利益 2019年12月期1,249億円、2020年12月期833億円(連結・米国基準)
  • CANON ANNUAL REPORT 2021「TO OUR SHAREHOLDERS」
    • [315]2021年 フェーズVI開始、基本方針は生産性向上と新事業創出によるポートフォリオ転換の加速
  • キヤノン 2021年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [317]2023年までに借入金完済の見通し、完済後は配当性向50%を目途。期初の決算短信に配当予想を載せたのは投資家の声の反映
    • [318]2023年までに借入金完済の見通し、完済後は配当性向50%を目途。期初の決算短信に配当予想を載せたのは投資家の声の反映
    • [319]2023年までに借入金完済の見通し、完済後は配当性向50%を目途。期初の決算短信に配当予想を載せたのは投資家の声の反映

2023年〜賛成率50.59%まで低下した御手洗冨士夫氏の再任と、医療機器ののれん減損1651億円

2023年3月30日の第122期定時株主総会で、御手洗冨士夫氏の取締役再任への賛成率は50.59%だった。賛成は3,757,240個、反対は3,655,508個で、差は約10万個にとどまった。同時に選任された田中稔三氏ら4名の賛成率は77.32%から92.31%の範囲にあった。1935年生まれの御手洗冨士夫氏は、総会の時点で87歳だった。キヤノンが女性を執行役員に登用したのは2015年だった。翌2024年、キヤノンは女性の取締役を選任し、取締役を5名から10名に増やした。選任された取締役5名に女性がいない構成に対し、取締役会の多様性を重んじる機関投資家が反対票を投じたのだろう。

  • キヤノン 臨時報告書 2023年4月3日(第122期定時株主総会の議決権行使結果)
    • [320]第122期定時株主総会(2023年3月30日)第2号議案 御手洗冨士夫氏 賛成3,757,240個・反対3,655,508個・賛成率50.59%、他の4名は77.32〜92.31%
    • [321]第122期定時株主総会(2023年3月30日)第2号議案 御手洗冨士夫氏 賛成3,757,240個・反対3,655,508個・賛成率50.59%、他の4名は77.32〜92.31%
    • [322]第122期定時株主総会(2023年3月30日)第2号議案 御手洗冨士夫氏 賛成3,757,240個・反対3,655,508個・賛成率50.59%、他の4名は77.32〜92.31%
  • キヤノン お知らせ 2020年5月1日「代表取締役の異動に関するお知らせ」
    • [323]御手洗冨士夫氏 1935年9月23日生
  • CANON INTEGRATED REPORT 2024「Change in Corporate Governance Structure」
    • [324]2015年 女性の執行役員を登用、2024年 女性取締役を選任し取締役を5名から10名に増員
    • [325]2015年 女性の執行役員を登用、2024年 女性取締役を選任し取締役を5名から10名に増員

2025年1月30日、キヤノンは2024年12月期に医療事業ののれんの減損損失1,651億円を計上したと公表した。理由には地政学的リスクによる事業の縮小、中国の景気低迷、国内医療機関の経営悪化を挙げた。保守的な販売予測で将来計画を見直すと、事業価値が帳簿価額を下回った。1年前の決算説明会で会社側は、買収後の4年で売上を1,000億円伸ばしたと説明していた。一方で人件費の増加とロシア・中国の販売不振から、利益は想定を下回ったとした。2024年2月には生産・調達・物流を見直すメディカル事業革新委員会を設けた。減損後の説明会では、先進国2%・新興国7%程度の成長を前提に計画を見直したとし、『達成可能な保守的な販売前提のもと見直しており、追加的な減損リスクはないと考えている』と答えた。

  • キヤノン お知らせ 2025年1月30日「2024年12月期通期連結業績予想と実績値の差異並びに減損損失の計上および2024/2025年12月期の配当と自己株式取得に係る事項の決定に関するお知らせ」
    • [326]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
    • [327]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
    • [328]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
    • [331]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
  • キヤノン 2023年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [329]買収後は直近4年で売上を1,000億円伸ばしたが、人件費増とロシア・中国の販売が計画を下回り利益は想定に及ばず、生産・調達・物流・管理の最適化へ委員会を設置
    • [330]買収後は直近4年で売上を1,000億円伸ばしたが、人件費増とロシア・中国の販売が計画を下回り利益は想定に及ばず、生産・調達・物流・管理の最適化へ委員会を設置
  • キヤノン 2024年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [332]減損テストの医療の将来計画は先進国2%・米国と新興国7%程度の売上成長を前提

2026年1月の2025年12月期決算説明会で、キヤノンは小川一登氏を新社長に選んだ理由を説明した。小川一登氏は海外の主要販売会社で30年以上を過ごし、キヤノンU.S.A.社長とキヤノン中国副社長を務めた。会社側は、小川一登氏がフェーズVIIの策定に深く関わり、実行の中心を担うと位置づけた。御手洗冨士夫氏は社長の兼務を解き、会長CEOとなった。統合報告書2026には、自らの役割を『I will focus on overseeing the Group as a whole and formulating strategy, while entrusting the execution of operations to Mr. Ogawa.』(訳:私はグループ全体の統括と戦略の策定に注力し、業務執行は小川一登氏に委ねる)と記した。フェーズVIIの説明会では、医療は前半に構造改革で収益力を回復させ、後半にCTと超音波の新製品で売上を拡大する計画を示した。

  • キヤノン 2025年12月期 決算説明会 質疑応答要旨(FY 2025 Analyst Meeting Q&A Session Summary)
    • [333]新社長に小川一登氏。選任理由は海外主要販売会社で30年超、キヤノンU.S.A.社長・キヤノン中国副社長の実績。フェーズVIIの策定に深く関与し実行の中心を担う
    • [334]新社長に小川一登氏。選任理由は海外主要販売会社で30年超、キヤノンU.S.A.社長・キヤノン中国副社長の実績。フェーズVIIの策定に深く関与し実行の中心を担う
    • [335]新社長に小川一登氏。選任理由は海外主要販売会社で30年超、キヤノンU.S.A.社長・キヤノン中国副社長の実績。フェーズVIIの策定に深く関与し実行の中心を担う
  • CANON INTEGRATED REPORT 2026「Message from the CEO」
    • [336]フェーズVII入りに合わせ小川一登氏が社長COO、御手洗冨士夫氏は会長CEOとしてグループ統括と戦略策定に注力
    • [337]フェーズVII入りに合わせ小川一登氏が社長COO、御手洗冨士夫氏は会長CEOとしてグループ統括と戦略策定に注力
  • キヤノン グローバル優良企業グループ構想フェーズVII説明会【QA要約】
    • [338]医療はフェーズVII前半に構造改革で収益力を回復・改善、後半にCT・超音波を中心とした新製品で売上拡大
参考文献[320]-[338]
  • キヤノン 臨時報告書 2023年4月3日(第122期定時株主総会の議決権行使結果)
    • [320]第122期定時株主総会(2023年3月30日)第2号議案 御手洗冨士夫氏 賛成3,757,240個・反対3,655,508個・賛成率50.59%、他の4名は77.32〜92.31%
    • [321]第122期定時株主総会(2023年3月30日)第2号議案 御手洗冨士夫氏 賛成3,757,240個・反対3,655,508個・賛成率50.59%、他の4名は77.32〜92.31%
    • [322]第122期定時株主総会(2023年3月30日)第2号議案 御手洗冨士夫氏 賛成3,757,240個・反対3,655,508個・賛成率50.59%、他の4名は77.32〜92.31%
  • キヤノン お知らせ 2020年5月1日「代表取締役の異動に関するお知らせ」
    • [323]御手洗冨士夫氏 1935年9月23日生
  • CANON INTEGRATED REPORT 2024「Change in Corporate Governance Structure」
    • [324]2015年 女性の執行役員を登用、2024年 女性取締役を選任し取締役を5名から10名に増員
    • [325]2015年 女性の執行役員を登用、2024年 女性取締役を選任し取締役を5名から10名に増員
  • キヤノン お知らせ 2025年1月30日「2024年12月期通期連結業績予想と実績値の差異並びに減損損失の計上および2024/2025年12月期の配当と自己株式取得に係る事項の決定に関するお知らせ」
    • [326]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
    • [327]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
    • [328]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
    • [331]2024年12月期 メディカル事業ののれん減損損失1,651億円。要因は地政学的リスクによる縮小・中国の景気低迷・国内医療機関の経営悪化、保守的な販売予測で事業価値が帳簿価額を下回った。2024年2月にメディカル事業革新委員会を設置
  • キヤノン 2023年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [329]買収後は直近4年で売上を1,000億円伸ばしたが、人件費増とロシア・中国の販売が計画を下回り利益は想定に及ばず、生産・調達・物流・管理の最適化へ委員会を設置
    • [330]買収後は直近4年で売上を1,000億円伸ばしたが、人件費増とロシア・中国の販売が計画を下回り利益は想定に及ばず、生産・調達・物流・管理の最適化へ委員会を設置
  • キヤノン 2024年12月期 決算説明会 質疑応答
    • [332]減損テストの医療の将来計画は先進国2%・米国と新興国7%程度の売上成長を前提
  • キヤノン 2025年12月期 決算説明会 質疑応答要旨(FY 2025 Analyst Meeting Q&A Session Summary)
    • [333]新社長に小川一登氏。選任理由は海外主要販売会社で30年超、キヤノンU.S.A.社長・キヤノン中国副社長の実績。フェーズVIIの策定に深く関与し実行の中心を担う
    • [334]新社長に小川一登氏。選任理由は海外主要販売会社で30年超、キヤノンU.S.A.社長・キヤノン中国副社長の実績。フェーズVIIの策定に深く関与し実行の中心を担う
    • [335]新社長に小川一登氏。選任理由は海外主要販売会社で30年超、キヤノンU.S.A.社長・キヤノン中国副社長の実績。フェーズVIIの策定に深く関与し実行の中心を担う
  • CANON INTEGRATED REPORT 2026「Message from the CEO」
    • [336]フェーズVII入りに合わせ小川一登氏が社長COO、御手洗冨士夫氏は会長CEOとしてグループ統括と戦略策定に注力
    • [337]フェーズVII入りに合わせ小川一登氏が社長COO、御手洗冨士夫氏は会長CEOとしてグループ統括と戦略策定に注力
  • キヤノン グローバル優良企業グループ構想フェーズVII説明会【QA要約】
    • [338]医療はフェーズVII前半に構造改革で収益力を回復・改善、後半にCT・超音波を中心とした新製品で売上拡大

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出典・参考 80件
出典・参考
  • 有価証券報告書(2000年12月期)
  • 有価証券報告書(2007年12月期)
  • 決算短信 2008年10月27日(2008年第3四半期連結決算)
  • キヤノン 有価証券報告書 2009年12月期
  • プレスリリース 2009年11月16日(オセの公開買付け)
  • プレスリリース 2010年3月4日(オセ公開買付けの結果)
  • プレスリリース 2010年6月28日(キヤノンマシナリーの株式交換)
  • プレスリリース 2010年6月28日(トッキの株式交換)
  • キヤノン 有価証券報告書 2010年12月期
  • プレスリリース 2011年11月9日(子会社による公開買付けの開始)
  • プレスリリース 2011年12月21日(子会社による公開買付けの結果)
  • プレスリリース 2012年1月30日(代表取締役の異動)
  • キヤノン 有価証券報告書 2012年12月期
  • キヤノン 有価証券報告書 2014年12月期
  • キヤノン 有価証券報告書 2015年12月期
  • キヤノン 2016年 決算説明会 質疑応答「A1. キヤノンは今年から新たな五カ年計画をスタートさせている」
  • キヤノン プレスリリース 2016年12月19日「Notice Concerning Acquisition of Toshiba Medical Systems Corporation Shares and Making it a Subsidiary」
  • キヤノン プレスリリース 2016年1月27日「Notice Concerning Change of Representative Directors」
  • キヤノン 2016年第2四半期 決算説明会 質疑応答
  • キヤノン 2017年12月期 決算説明会 質疑応答
  • キヤノン 2019年12月期 決算説明会 質疑応答
  • キヤノン 2020年12月期 第2四半期 決算説明会 質疑応答
  • キヤノン 2021年12月期 決算説明会 質疑応答
  • キヤノン 2023年12月期 決算説明会 質疑応答
  • キヤノン 2024年12月期 決算説明会 質疑応答
  • キヤノン 有価証券報告書 第125期(2025年12月期)【沿革】
  • キヤノン 2025年12月期 決算説明会 質疑応答要旨(FY 2025 Analyst Meeting Q&A Session Summary)
  • キヤノン 有価証券報告書(沿革)
  • キヤノン 有価証券報告書【役員の状況】
  • 有価証券報告書(第101期)
  • キヤノン 有価証券報告書
  • 社史『キヤノン史 技術と製品の50年』(1987年)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 会社年鑑 1986年版
  • キヤノン史 : 技術と製品の50年(キヤノン史編集委員会編, 1987)
  • 会社年鑑
  • ダイヤモンド(1956年10月23日)
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号
  • 日経ビジネス 1979年5月7日号
  • 日経ビジネス 1980年3月24日号
  • 日経ビジネス 1989年5月8日号
  • 日経ビジネス 1992年12月21日号
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
  • 日経ビジネス 1994年7月11日号
  • 日経ビジネス 1995年3月13日号
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
  • 日経ビジネス 2003年6月2日号
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
  • 森谷正規『技術開発の昭和史』(日本経済新聞社, 1986)
  • 新日本経済(1950年10月20日)
  • Decide 1988年6(4)
  • ビジネスリサーチ 1989年「キヤノン(株)代表取締役社長(企業研究会副会長)――賀来龍三郎」
  • ビジネスリサーチ 1992年「世界共生に貢献して前進するキヤノン――キヤノン㈱代表取締役社長 山路敬三」
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
  • CANON ANNUAL REPORT 2005
  • CANON ANNUAL REPORT 2006
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「TO OUR STOCKHOLDERS」
  • CANON ANNUAL REPORT 2009「MESSAGE FROM THE PRESIDENT」
  • キヤノン お知らせ 2009年11月16日「キヤノンによるOce N.V.の連結子会社化について」
  • CANON ANNUAL REPORT 2011「INTERVIEW WITH THE CEO」
  • CANON ANNUAL REPORT 2012「TO OUR STOCKHOLDERS」
  • CANON ANNUAL REPORT 2013「TO OUR STOCKHOLDERS」
  • CANON ANNUAL REPORT 2014「TO OUR STOCKHOLDERS」
  • CANON ANNUAL REPORT 2014(事業の概況)
  • CANON ANNUAL REPORT 2015「TO OUR SHAREHOLDERS」
  • キヤノン お知らせ 2015年2月10日「キヤノンによるアクシス社株式に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」
  • キヤノン お知らせ 2016年3月17日「東芝メディカルシステムズ株式会社の株式取得(子会社化)に関するお知らせ」
  • キヤノン お知らせ 2020年5月1日「代表取締役の異動に関するお知らせ」
  • CANON ANNUAL REPORT 2020「TO OUR SHAREHOLDERS」
  • CANON ANNUAL REPORT 2021「TO OUR SHAREHOLDERS」
  • キヤノン 臨時報告書 2023年4月3日(第122期定時株主総会の議決権行使結果)
  • CANON INTEGRATED REPORT 2024「Change in Corporate Governance Structure」
  • キヤノン お知らせ 2025年1月30日「2024年12月期通期連結業績予想と実績値の差異並びに減損損失の計上および2024/2025年12月期の配当と自己株式取得に係る事項の決定に関するお知らせ」
  • CANON INTEGRATED REPORT 2026「Message from the CEO」
  • 証券調査
  • キヤノン グローバル優良企業グループ構想フェーズVII説明会【QA要約】

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