創業から158年。3回の決断
| 期 | 区分 | 売上高 | 利益※ | 利益率 |
|---|---|---|---|---|
| 1950/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1951/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1952/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1953/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1954/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1955/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1956/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1957/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1958/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1959/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1960/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1961/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1962/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1963/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1964/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1965/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1966/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1967/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1968/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1969/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1970/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 76億円 | 3億円 | 4.4% |
| 1971/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 93億円 | 3億円 | 3.7% |
| 1972/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 88億円 | 1億円 | 2.1% |
| 1973/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 105億円 | 3億円 | 3.1% |
| 1974/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 132億円 | 4億円 | 3.4% |
| 1975/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 135億円 | -1億円 | -1.4% |
| 1976/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 137億円 | -0億円 | -0.5% |
| 1977/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 168億円 | 6億円 | 3.9% |
| 1978/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 205億円 | 7億円 | 3.7% |
| 1979/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 258億円 | 12億円 | 4.8% |
| 1980/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 327億円 | 21億円 | 6.6% |
| 1981/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 403億円 | 26億円 | 6.6% |
| 1982/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 462億円 | 17億円 | 3.8% |
| 1983/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 563億円 | 20億円 | 3.6% |
| 1984/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 670億円 | 27億円 | 4.0% |
| 1985/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 879億円 | 43億円 | 4.9% |
| 1986/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 981億円 | 28億円 | 2.9% |
| 1987/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 887億円 | 11億円 | 1.2% |
| 1988/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 906億円 | 12億円 | 1.3% |
| 1989/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,126億円 | 29億円 | 2.5% |
| 1990/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,280億円 | 44億円 | 3.4% |
| 1991/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,396億円 | 50億円 | 3.6% |
| 1992/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,415億円 | 28億円 | 1.9% |
| 1993/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,196億円 | -117億円 | -9.9% |
| 1994/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,217億円 | -148億円 | -12.2% |
| 1995/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,502億円 | -69億円 | -4.7% |
| 1996/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,837億円 | 39億円 | 2.1% |
| 1997/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 2,004億円 | 62億円 | 3.0% |
| 1998/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,936億円 | 27億円 | 1.4% |
| 1999/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 1,336億円 | -245億円 | -18.4% |
| 2000/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 2001/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 2002/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,742億円 | -189億円 | -10.9% |
| 2003/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,679億円 | -34億円 | -2.1% |
| 2004/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,919億円 | 48億円 | 2.5% |
| 2005/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,693億円 | 144億円 | 5.3% |
| 2006/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,465億円 | 152億円 | 6.1% |
| 2007/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,013億円 | 184億円 | 6.1% |
| 2008/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,798億円 | 45億円 | 1.6% |
| 2009/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,190億円 | -381億円 | -17.4% |
| 2010/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,641億円 | -80億円 | -4.9% |
| 2011/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,549億円 | 256億円 | 10.0% |
| 2012/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,500億円 | 46億円 | 1.8% |
| 2013/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,997億円 | -113億円 | -5.7% |
| 2014/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,359億円 | 54億円 | 2.2% |
| 2015/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,376億円 | 121億円 | 5.0% |
| 2016/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,596億円 | 188億円 | 7.2% |
| 2017/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,002億円 | 241億円 | 8.0% |
| 2018/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,393億円 | 285億円 | 8.3% |
| 2019/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,642億円 | 180億円 | 4.9% |
| 2020/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,232億円 | 50億円 | 1.5% |
| 2021/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,203億円 | 151億円 | 4.7% |
| 2022/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,118億円 | 454億円 | 11.0% |
| 2023/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,608億円 | 574億円 | 12.4% |
| 2024/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,049億円 | 705億円 | 13.9% |
石田敬三が銅版彫刻の将来を悲観してガラスエッチングに転じた技術転換は、20年の研究期間を要したが、戦後の写真製版機器、シャドーマスク、半導体製造装置という3つの事業領域への展開を可能にした。「精密な画像を化学的に加工する」という基盤技術が一貫して応用され続けた点で、祖業の危機感から生まれた技術選択が企業の80年を規定した構造を示す事例である。
石田旭山印刷所を継承した石田敬三は、1920年代に写真の普及を見据え、従来の銅版彫刻を前提とした事業の将来を悲観した。写真印刷では画像を微細な点の大小で表現する必要があり、その核となる部材が「ガラススクリーン」であった。ガラス面に微細な平行線を引き、化学的に蝕刻(エッチング)して黒色の不透明物質を充填するという精密加工が求められたが、当時の日本にはこの技術を持つ企業が存在せず、全量を海外からの輸入に依存していた。
石田敬三はガラススクリーンの国産化に着手したが、ガラス面のエッチングに要求される精密さは既存の技術水準を大きく上回っていた。1934年に「写真製版用網目スクリーンの蝕刻法」を開発し、商工省から工業研究奨励金7000円の交付を受けて量産研究を開始した。しかし量産工程の確立は難航し、参入決定から約20年の歳月が研究開発と生産技術の確立に費やされた。
1943年10月、石田敬三は株式会社として大日本スクリーン製造所を設立し、自ら初代社長に就任した。戦時中は軍が広報・宣伝のために写真を活用する需要があり、国産のガラススクリーンは軍需品として供給された。従来の輸入依存体制では戦時下の調達が困難であったため、国産化の実現はこの時期の需要と合致した。
大日本スクリーン製造の創業は、印刷職人の家業が精密加工技術を軸とする製造業へと転換する起点であった。ガラスへの化学的エッチングという基盤技術は、戦後の写真製版機器、カラーテレビ向けシャドーマスク、そして半導体製造装置へと展開される技術的な系譜の出発点となった。
石田敬三が20年かけて確立したガラスへの精密エッチング技術は、戦後の大日本スクリーンの技術展開の基盤となった。1960年代にはソニーと共同でカラーテレビ向けシャドーマスクを開発し、1970年代には半導体製造装置(ウエハ洗浄装置)への参入を果たした。いずれも「精密な画像を化学的に加工する」というエッチング技術の応用であった。
創業者の孫にあたる石田徳次郎は「当社の数々の技術は、画像を創るミクロン単位の技術を基点として、マクロな展開を遂げた」と述べている。銅版彫刻からガラスエッチングへ、そして半導体製造装置へという技術の系譜は、祖業の危機感から生まれた技術転換が、80年後の半導体洗浄装置の世界シェア首位へとつながる構造を示している。
石田敬三が銅版彫刻の将来を悲観してガラスエッチングに転じた技術転換は、20年の研究期間を要したが、戦後の写真製版機器、シャドーマスク、半導体製造装置という3つの事業領域への展開を可能にした。「精密な画像を化学的に加工する」という基盤技術が一貫して応用され続けた点で、祖業の危機感から生まれた技術選択が企業の80年を規定した構造を示す事例である。
ガラス面に微細な平行線を引き、蝕刻して、そこに黒色の不透明物質を充填する。この平行線が直交するように、2枚のガラスを貼り合わせたのがガラススクリーンだ。当社のレーザー光源干渉式線引機は、0.1ミクロン単位で作動し、1インチ間に2,500本以上の平行線を等間隔に引くことができる。また、ガラス面を覆う耐蝕膜上に引かれたこの微細な線を、わずかの狂いもなく化学的に蝕刻するのがケミカルエッチング技術だ。この2つの技術が、極微な画像を作り出すアートワークを可能にした。当社の数々の技術は、この画像を創るミクロン単位の技術を厳選として、マクロな展開を遂げたと言える。
大日本スクリーンが半導体製造装置に参入できた背景には、製版機器で蓄積した「位置決め・塗布・表面処理」の基本技術が半導体製造工程と本質的に共通していたという技術的連続性がある。参入障壁が相対的に低かったため、1975年のウエハ腐食機を皮切りに3年間で塗布・現像・洗浄の装置群を投入できた。製版機器の利益を半導体装置の研究開発に再投資する構造は、段階的な業態転換のモデルであった。
大日本スクリーン製造は1960年代から半導体産業との接点を持ち始めていた。1966年には半導体製造装置用の超精密縮小カメラを開発し、半導体のフォトリソグラフィ工程に必要な露光装置の一端を担った。写真製版機器の製造を通じて蓄積した「位置決め」「塗布」「表面処理」の3つの基本技術は、半導体製造装置が要求する技術要素と本質的に共通しており、大日本スクリーンにとって半導体分野への参入障壁は相対的に低かった。
石田徳次郎社長は「当社の基本技術の応用展開」として半導体製造装置への参入を位置づけ、製版機器で培ったケミカルエッチング技術と精密塗布技術を半導体製造工程に適用する方針を打ち出した。1970年代の日本では半導体産業が急成長期に入りつつあり、製造装置への需要が拡大していた。
1975年に大日本スクリーンはウエハー腐食機(ウェット式エッチング装置)を開発し、半導体業界向け事業を本格的に開始した。1977年にはEMW-322/411を製品化し、続く1978年にはスピンコータ(レジスト塗布機)SCW-421、スピンデベロッパ(レジスト現像機)SCD-421、スピンクラバ(洗浄装置)SCC-421を相次いで投入した。エッチング・塗布・現像・洗浄という半導体製造の前工程を幅広くカバーする装置ラインナップを短期間で構築した形である。
この時期の大日本スクリーンは洗浄装置に特化しておらず、半導体製造に関わる多様な装置を展開する戦略をとっていた。プリント配線板製造装置の共同開発(エルナー社)も含め、半導体関連の広い領域に布石を打つ段階であった。
FY1978を境に大日本スクリーンは半導体製造装置への投資を本格化させた。設備投資額はFY1977の12億円からFY1980の51億円へと4倍以上に増加し、減価償却を上回る積極投資を継続した。研究開発費も売上高の3%台から5%台へと引き上げられ、FY1983には38億円に達した。技術者の大量採用にも着手し、従業員数は1977年の1223名から1983年の1783名へと拡大した。
売上高はFY1972の105億円からFY1983の670億円へと6倍以上に成長し、経常利益も65.6億円を計上した。ただしこの時期の業績拡大には写真製版機器における「スキャナグラフ」のヒットも寄与しており、半導体製造装置単独での業績貢献が本格化するのは1980年代半ば以降と推定される。製版機器で稼いだ利益を半導体装置の研究開発に再投資するという、段階的な業態転換の構造であった。
大日本スクリーンが半導体製造装置に参入できた背景には、製版機器で蓄積した「位置決め・塗布・表面処理」の基本技術が半導体製造工程と本質的に共通していたという技術的連続性がある。参入障壁が相対的に低かったため、1975年のウエハ腐食機を皮切りに3年間で塗布・現像・洗浄の装置群を投入できた。製版機器の利益を半導体装置の研究開発に再投資する構造は、段階的な業態転換のモデルであった。
1990年代の洗浄装置市場はシェア10%前後の中堅企業が群雄割拠していたが、300mmウエハへの移行に伴う開発費と設備投資の高騰が参入障壁として機能し、量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみであった。石田明社長が不況期にも投資を継続した判断は、短期的には赤字転落を招いたが、競合の脱落により洗浄装置市場の寡占構造を自社に有利な形で確定させる結果となった。
1990年代初頭の半導体洗浄装置市場は、大日本スクリーン(シェア22%)を筆頭に、カイジョー(11%)、スガイ(12%)、三協エンジニアリング(11%)、島田理化工業(10%)といった中堅企業がシェア10%前後で群雄割拠する市場であった。各社は懇意の半導体メーカーに装置を納入するという商慣習のもとで共存していたが、ウエハの大口径化に伴い開発費が高騰し、中堅企業にとっては投資負担が重くなりつつあった。
1993年には半導体製造装置大手の東京エレクトロンが洗浄装置市場に参入し、シェアを急速に拡大した。東京エレクトロンのシェアは1991年の0%から1993年に3%、1996年には16%に達した。大手装置メーカーの参入は市場の競争構造を根本から変え、中堅企業の淘汰が進行する局面に入った。洗浄装置市場の規模は1987年の100億円から1996年の838億円へと急拡大していたが、その成長の果実を取れる企業は絞り込まれつつあった。
大日本スクリーンにとって、洗浄装置は祖業の製版機器に代わる収益の柱として位置づけられていた。FY1994には電子工業向け機器の売上が印刷関連機器を上回り、業態転換の転換点を迎えていた。ここで洗浄装置のシェアを維持・拡大できなければ、企業としての成長基盤を失うリスクがあった。
石田明社長(創業家出身、在任1989〜2005年)は、半導体メーカーがウエハサイズを200mmから300mm(12インチ)へ大型化することを不可避と判断した。1995年に石田社長は「ウエハーサイズを現在の8インチから12インチへ大型化するビジョンを持っている。12インチは2000年ごろには生産開始となる情勢だが、97〜98年には製造装置の供給を開始しなければこの分野で業界をリードできない」(証券アナリストジャーナル 33(7))と述べ、業界に先駆けた対応を宣言した。
大日本スクリーンは1997年にバッチ式洗浄装置「FC-3000」を発表し、300mmウエハ対応機種を市場に投入した。同時にFY1997には設備投資額184億円(連結)を計上して滋賀県に多賀事業所を新設し、300mm対応の量産体制を構築した。資金調達にあたっては転換社債を相次いで発行し、FY1996に150億円、FY1997に1.8億スイスフランを調達した。
しかし1998年にシリコンサイクルが不況期に入り、大日本スクリーンはFY1998に営業赤字131億円、最終赤字245億円を計上した。石田社長は「売上の見通しが大変厳しい中、300ミリウエハーをはじめとする次世代半導体への対応など、将来の核となる技術に対する研究開発投資や、先端技術に対応した増産体制のための費用負担は避け難い」として不況期にも投資を継続する方針を示した。
300mmウエハ対応の洗浄装置を量産するための新工場を建設できたのは、洗浄装置メーカーの中で大日本スクリーンのみであった。中堅企業は開発費の高騰と設備投資の負担に耐えきれず、300mm対応への移行に追随できなかった。ウエハの大口径化という技術転換が、事実上の参入障壁として機能し、群雄割拠の市場構造から寡占構造への転換を促した。
2001年3月に大日本スクリーンは彦根事業所にFab.FC-1(現S-1)を新設し、300mm対応洗浄装置の本格量産を開始した。2006年にはFab.FC-2(現S-2)を増設し、半導体メーカーの投資拡大に対応した。2000年代を通じて大日本スクリーンは洗浄装置におけるシェアを着実に拡大し、2022年時点ではバッチ式洗浄装置で世界シェア48%(1位)、枚葉式洗浄装置で世界シェア33%(1位)を確保するに至った。
不況期の巨額投資は短期的にはFY1998の赤字転落と希望退職142名の募集という痛みを伴ったが、300mmウエハ時代の到来とともに投資は回収された。石田社長が「業界をリードできない」と危機感を持って先行投資に踏み切った判断は、結果的に洗浄装置市場の競争構造を大日本スクリーンに有利な形で確定させた。
1990年代の洗浄装置市場はシェア10%前後の中堅企業が群雄割拠していたが、300mmウエハへの移行に伴う開発費と設備投資の高騰が参入障壁として機能し、量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみであった。石田明社長が不況期にも投資を継続した判断は、短期的には赤字転落を招いたが、競合の脱落により洗浄装置市場の寡占構造を自社に有利な形で確定させる結果となった。