創業から158年。3回の決断

概要- Historical Summary -
1868年に石田旭山印刷所として創業。1943年に大日本スクリーン製造所を設立し、印刷関連機器の製造を主力とした。1975年に半導体製造装置のエッチング分野に参入し、1985年にウエハ洗浄装置の生産拠点として洛西工場を新設。1994年に電子工業向け機器が印刷関連を上回り事業構成が逆転した。2000年代に印刷事業を分割し半導体洗浄装置に経営資源を集中、2022年にウエハ洗浄装置で世界シェア首位を獲得した。
概要- Historical Summary -
1868年に石田旭山印刷所として創業。1943年に大日本スクリーン製造所を設立し、印刷関連機器の製造を主力とした。1975年に半導体製造装置のエッチング分野に参入し、1985年にウエハ洗浄装置の生産拠点として洛西工場を新設。1994年に電子工業向け機器が印刷関連を上回り事業構成が逆転した。2000年代に印刷事業を分割し半導体洗浄装置に経営資源を集中、2022年にウエハ洗浄装置で世界シェア首位を獲得した。
1868
石田旭山印刷所を個人創業
1868石田旭山印刷所を個人創業
1943
決断
大日本スクリーン製造所を設立
銅版彫刻の危機感が生んだエッチング技術の80年にわたる技術系譜
1953
堀川工場を設置(現SCREEN HDの本社)
1953堀川工場を設置(現SCREEN HDの本社)
1962
大阪証券取引所第2部に株式上場
1962大阪証券取引所第2部に株式上場
1963
カラーテレビ向けシャドーマスクの開発
1963カラーテレビ向けシャドーマスクの開発
1975
決断
半導体製造装置の開発(エッチング)
製版機器の基本技術を半導体装置に転用した低障壁の業態転換
1980
シグマグラフ2000を開発(印刷画像処理システム)
1980シグマグラフ2000を開発(印刷画像処理システム)
1985
洛西工場を新設(ウエハ洗浄装置)
1985洛西工場を新設(ウエハ洗浄装置)
1990
洗浄装置の海外販売を強化
1990洗浄装置の海外販売を強化
1992
半導体製造装置(ウエハ洗浄)WS-820Lを開発
1992半導体製造装置(ウエハ洗浄)WS-820Lを開発
1994
売上高で電子工業向け機器が、印刷関連機器を上回る
1994売上高で電子工業向け機器が、印刷関連機器を上回る
1998
多賀事業所を新設(ウエハ洗浄装置)
1998多賀事業所を新設(ウエハ洗浄装置)
1999
最終赤字転落
1999最終赤字転落
2001
決断
300mmウエハ対応の洗浄装置で量産開始
不況期の300mm対応投資が競合を脱落させ寡占構造を確定させた先行投資
2001
希望退職者を募集
2001希望退職者を募集
2002
印刷関連機器の事業分割
2002印刷関連機器の事業分割
2006
彦根事業所にCS-1を新設・FPD製造装置の量産開始
2006彦根事業所にCS-1を新設・FPD製造装置の量産開始
2009
最終赤字転落(リーマンショック)
2009最終赤字転落(リーマンショック)
2014
商号をSCREENホールディングスに変更
2014商号をSCREENホールディングスに変更
2019
彦根事業所で半導体洗浄装置の増産
2019彦根事業所で半導体洗浄装置の増産
2022
半導体洗浄装置で世界シェア1位
2022半導体洗浄装置で世界シェア1位
2024
過去最高益達成
2024過去最高益達成
業績を見る
売上SCREEN HD:売上高
単体 | 連結(単位:億円)
5,049億円
売上高:2024/3
利益SCREEN HD:売上高_当期純利益率
単体 | 連結(単位:%)
13.9%
利益率:2024/3
業績を見る
区分売上高利益利益率
1950/3単体 売上高 / 当期純利益---
1951/3単体 売上高 / 当期純利益---
1952/3単体 売上高 / 当期純利益---
1953/3単体 売上高 / 当期純利益---
1954/3単体 売上高 / 当期純利益---
1955/3単体 売上高 / 当期純利益---
1956/3単体 売上高 / 当期純利益---
1957/3単体 売上高 / 当期純利益---
1958/3単体 売上高 / 当期純利益---
1959/3単体 売上高 / 当期純利益---
1960/3単体 売上高 / 当期純利益---
1961/3単体 売上高 / 当期純利益---
1962/3単体 売上高 / 当期純利益---
1963/3単体 売上高 / 当期純利益---
1964/3単体 売上高 / 当期純利益---
1965/3単体 売上高 / 当期純利益---
1966/3単体 売上高 / 当期純利益---
1967/3単体 売上高 / 当期純利益---
1968/3単体 売上高 / 当期純利益---
1969/3単体 売上高 / 当期純利益---
1970/3単体 売上高 / 当期純利益76億円3億円4.4%
1971/3単体 売上高 / 当期純利益93億円3億円3.7%
1972/3単体 売上高 / 当期純利益88億円1億円2.1%
1973/3単体 売上高 / 当期純利益105億円3億円3.1%
1974/3単体 売上高 / 当期純利益132億円4億円3.4%
1975/3単体 売上高 / 当期純利益135億円-1億円-1.4%
1976/3単体 売上高 / 当期純利益137億円-0億円-0.5%
1977/3単体 売上高 / 当期純利益168億円6億円3.9%
1978/3単体 売上高 / 当期純利益205億円7億円3.7%
1979/3単体 売上高 / 当期純利益258億円12億円4.8%
1980/3単体 売上高 / 当期純利益327億円21億円6.6%
1981/3単体 売上高 / 当期純利益403億円26億円6.6%
1982/3単体 売上高 / 当期純利益462億円17億円3.8%
1983/3単体 売上高 / 当期純利益563億円20億円3.6%
1984/3単体 売上高 / 当期純利益670億円27億円4.0%
1985/3単体 売上高 / 当期純利益879億円43億円4.9%
1986/3単体 売上高 / 当期純利益981億円28億円2.9%
1987/3単体 売上高 / 当期純利益887億円11億円1.2%
1988/3単体 売上高 / 当期純利益906億円12億円1.3%
1989/3単体 売上高 / 当期純利益1,126億円29億円2.5%
1990/3単体 売上高 / 当期純利益1,280億円44億円3.4%
1991/3単体 売上高 / 当期純利益1,396億円50億円3.6%
1992/3単体 売上高 / 当期純利益1,415億円28億円1.9%
1993/3単体 売上高 / 当期純利益1,196億円-117億円-9.9%
1994/3単体 売上高 / 当期純利益1,217億円-148億円-12.2%
1995/3単体 売上高 / 当期純利益1,502億円-69億円-4.7%
1996/3単体 売上高 / 当期純利益1,837億円39億円2.1%
1997/3単体 売上高 / 当期純利益2,004億円62億円3.0%
1998/3単体 売上高 / 当期純利益1,936億円27億円1.4%
1999/3単体 売上高 / 当期純利益1,336億円-245億円-18.4%
2000/3連結 売上高 / 当期純利益---
2001/3連結 売上高 / 当期純利益---
2002/3連結 売上高 / 当期純利益1,742億円-189億円-10.9%
2003/3連結 売上高 / 当期純利益1,679億円-34億円-2.1%
2004/3連結 売上高 / 当期純利益1,919億円48億円2.5%
2005/3連結 売上高 / 当期純利益2,693億円144億円5.3%
2006/3連結 売上高 / 当期純利益2,465億円152億円6.1%
2007/3連結 売上高 / 当期純利益3,013億円184億円6.1%
2008/3連結 売上高 / 当期純利益2,798億円45億円1.6%
2009/3連結 売上高 / 当期純利益2,190億円-381億円-17.4%
2010/3連結 売上高 / 当期純利益1,641億円-80億円-4.9%
2011/3連結 売上高 / 当期純利益2,549億円256億円10.0%
2012/3連結 売上高 / 当期純利益2,500億円46億円1.8%
2013/3連結 売上高 / 当期純利益1,997億円-113億円-5.7%
2014/3連結 売上高 / 当期純利益2,359億円54億円2.2%
2015/3連結 売上高 / 当期純利益2,376億円121億円5.0%
2016/3連結 売上高 / 当期純利益2,596億円188億円7.2%
2017/3連結 売上高 / 当期純利益3,002億円241億円8.0%
2018/3連結 売上高 / 当期純利益3,393億円285億円8.3%
2019/3連結 売上高 / 当期純利益3,642億円180億円4.9%
2020/3連結 売上高 / 当期純利益3,232億円50億円1.5%
2021/3連結 売上高 / 当期純利益3,203億円151億円4.7%
2022/3連結 売上高 / 当期純利益4,118億円454億円11.0%
2023/3連結 売上高 / 当期純利益4,608億円574億円12.4%
2024/3連結 売上高 / 当期純利益5,049億円705億円13.9%
AI Agent 向け APILLMエージェントが企業の歴史・経営判断データを取得するためのAPI仕様書を公開しています。
1868
石田旭山印刷所を個人創業
1943
10月

大日本スクリーン製造所を設立

銅版彫刻の危機感が生んだエッチング技術の80年にわたる技術系譜

石田敬三が銅版彫刻の将来を悲観してガラスエッチングに転じた技術転換は、20年の研究期間を要したが、戦後の写真製版機器、シャドーマスク、半導体製造装置という3つの事業領域への展開を可能にした。「精密な画像を化学的に加工する」という基盤技術が一貫して応用され続けた点で、祖業の危機感から生まれた技術選択が企業の80年を規定した構造を示す事例である。

背景

銅版彫刻の将来を悲観した2代目が、写真印刷用ガラススクリーンの研究に転じた技術転換

石田旭山印刷所を継承した石田敬三は、1920年代に写真の普及を見据え、従来の銅版彫刻を前提とした事業の将来を悲観した。写真印刷では画像を微細な点の大小で表現する必要があり、その核となる部材が「ガラススクリーン」であった。ガラス面に微細な平行線を引き、化学的に蝕刻(エッチング)して黒色の不透明物質を充填するという精密加工が求められたが、当時の日本にはこの技術を持つ企業が存在せず、全量を海外からの輸入に依存していた。

石田敬三はガラススクリーンの国産化に着手したが、ガラス面のエッチングに要求される精密さは既存の技術水準を大きく上回っていた。1934年に「写真製版用網目スクリーンの蝕刻法」を開発し、商工省から工業研究奨励金7000円の交付を受けて量産研究を開始した。しかし量産工程の確立は難航し、参入決定から約20年の歳月が研究開発と生産技術の確立に費やされた。

決断

1943年に株式会社化し、軍需品としてのガラススクリーン供給を開始

1943年10月、石田敬三は株式会社として大日本スクリーン製造所を設立し、自ら初代社長に就任した。戦時中は軍が広報・宣伝のために写真を活用する需要があり、国産のガラススクリーンは軍需品として供給された。従来の輸入依存体制では戦時下の調達が困難であったため、国産化の実現はこの時期の需要と合致した。

大日本スクリーン製造の創業は、印刷職人の家業が精密加工技術を軸とする製造業へと転換する起点であった。ガラスへの化学的エッチングという基盤技術は、戦後の写真製版機器、カラーテレビ向けシャドーマスク、そして半導体製造装置へと展開される技術的な系譜の出発点となった。

結果

精密エッチング技術が戦後の多角化と半導体製造装置参入の技術的原点に

石田敬三が20年かけて確立したガラスへの精密エッチング技術は、戦後の大日本スクリーンの技術展開の基盤となった。1960年代にはソニーと共同でカラーテレビ向けシャドーマスクを開発し、1970年代には半導体製造装置(ウエハ洗浄装置)への参入を果たした。いずれも「精密な画像を化学的に加工する」というエッチング技術の応用であった。

創業者の孫にあたる石田徳次郎は「当社の数々の技術は、画像を創るミクロン単位の技術を基点として、マクロな展開を遂げた」と述べている。銅版彫刻からガラスエッチングへ、そして半導体製造装置へという技術の系譜は、祖業の危機感から生まれた技術転換が、80年後の半導体洗浄装置の世界シェア首位へとつながる構造を示している。

銅版彫刻の危機感が生んだエッチング技術の80年にわたる技術系譜

石田敬三が銅版彫刻の将来を悲観してガラスエッチングに転じた技術転換は、20年の研究期間を要したが、戦後の写真製版機器、シャドーマスク、半導体製造装置という3つの事業領域への展開を可能にした。「精密な画像を化学的に加工する」という基盤技術が一貫して応用され続けた点で、祖業の危機感から生まれた技術選択が企業の80年を規定した構造を示す事例である。

証言石田徳次郎(大日本スクリーン製造・社長)

ガラス面に微細な平行線を引き、蝕刻して、そこに黒色の不透明物質を充填する。この平行線が直交するように、2枚のガラスを貼り合わせたのがガラススクリーンだ。当社のレーザー光源干渉式線引機は、0.1ミクロン単位で作動し、1インチ間に2,500本以上の平行線を等間隔に引くことができる。また、ガラス面を覆う耐蝕膜上に引かれたこの微細な線を、わずかの狂いもなく化学的に蝕刻するのがケミカルエッチング技術だ。この2つの技術が、極微な画像を作り出すアートワークを可能にした。当社の数々の技術は、この画像を創るミクロン単位の技術を厳選として、マクロな展開を遂げたと言える。

年表大日本スクリーン製造所を設立に関する出来事
19345月写真製版用網目スクリーンの蝕刻法を開発(=写真製版用ガラススクリーンの国産化)
1935商工省が工業研究奨励金を交付
補助金7000
194310月大日本スクリーン製造所を設立
1953
堀川工場を設置(現SCREEN HDの本社)
1962
大阪証券取引所第2部に株式上場
1963
カラーテレビ向けシャドーマスクの開発
1975

半導体製造装置の開発(エッチング)

1975/3期(単体)売上高 135億円当期純利益 -1億円
製版機器の基本技術を半導体装置に転用した低障壁の業態転換

大日本スクリーンが半導体製造装置に参入できた背景には、製版機器で蓄積した「位置決め・塗布・表面処理」の基本技術が半導体製造工程と本質的に共通していたという技術的連続性がある。参入障壁が相対的に低かったため、1975年のウエハ腐食機を皮切りに3年間で塗布・現像・洗浄の装置群を投入できた。製版機器の利益を半導体装置の研究開発に再投資する構造は、段階的な業態転換のモデルであった。

背景

製版機器の基本技術「位置決め・塗布・表面処理」を半導体製造装置に転用

大日本スクリーン製造は1960年代から半導体産業との接点を持ち始めていた。1966年には半導体製造装置用の超精密縮小カメラを開発し、半導体のフォトリソグラフィ工程に必要な露光装置の一端を担った。写真製版機器の製造を通じて蓄積した「位置決め」「塗布」「表面処理」の3つの基本技術は、半導体製造装置が要求する技術要素と本質的に共通しており、大日本スクリーンにとって半導体分野への参入障壁は相対的に低かった。

石田徳次郎社長は「当社の基本技術の応用展開」として半導体製造装置への参入を位置づけ、製版機器で培ったケミカルエッチング技術と精密塗布技術を半導体製造工程に適用する方針を打ち出した。1970年代の日本では半導体産業が急成長期に入りつつあり、製造装置への需要が拡大していた。

決断

ウエハ腐食機を皮切りに、塗布・現像・洗浄の装置群を相次いで開発

1975年に大日本スクリーンはウエハー腐食機(ウェット式エッチング装置)を開発し、半導体業界向け事業を本格的に開始した。1977年にはEMW-322/411を製品化し、続く1978年にはスピンコータ(レジスト塗布機)SCW-421、スピンデベロッパ(レジスト現像機)SCD-421、スピンクラバ(洗浄装置)SCC-421を相次いで投入した。エッチング・塗布・現像・洗浄という半導体製造の前工程を幅広くカバーする装置ラインナップを短期間で構築した形である。

この時期の大日本スクリーンは洗浄装置に特化しておらず、半導体製造に関わる多様な装置を展開する戦略をとっていた。プリント配線板製造装置の共同開発(エルナー社)も含め、半導体関連の広い領域に布石を打つ段階であった。

結果

FY1978から研究開発費と設備投資を大幅に拡大し、半導体装置事業を加速

FY1978を境に大日本スクリーンは半導体製造装置への投資を本格化させた。設備投資額はFY1977の12億円からFY1980の51億円へと4倍以上に増加し、減価償却を上回る積極投資を継続した。研究開発費も売上高の3%台から5%台へと引き上げられ、FY1983には38億円に達した。技術者の大量採用にも着手し、従業員数は1977年の1223名から1983年の1783名へと拡大した。

売上高はFY1972の105億円からFY1983の670億円へと6倍以上に成長し、経常利益も65.6億円を計上した。ただしこの時期の業績拡大には写真製版機器における「スキャナグラフ」のヒットも寄与しており、半導体製造装置単独での業績貢献が本格化するのは1980年代半ば以降と推定される。製版機器で稼いだ利益を半導体装置の研究開発に再投資するという、段階的な業態転換の構造であった。

1975/3期(単体)売上高 135億円当期純利益 -1億円
製版機器の基本技術を半導体装置に転用した低障壁の業態転換

大日本スクリーンが半導体製造装置に参入できた背景には、製版機器で蓄積した「位置決め・塗布・表面処理」の基本技術が半導体製造工程と本質的に共通していたという技術的連続性がある。参入障壁が相対的に低かったため、1975年のウエハ腐食機を皮切りに3年間で塗布・現像・洗浄の装置群を投入できた。製版機器の利益を半導体装置の研究開発に再投資する構造は、段階的な業態転換のモデルであった。

年表半導体製造装置の開発(エッチング)に関する出来事
1977ウエハー腐食機 EMW-322/411を開発
1977全自動プリント配線板製造装置を共同開発(エルナー社)
1980
シグマグラフ2000を開発(印刷画像処理システム)
1985
洛西工場を新設(ウエハ洗浄装置)
1990
洗浄装置の海外販売を強化
1992
半導体製造装置(ウエハ洗浄)WS-820Lを開発
1994
売上高で電子工業向け機器が、印刷関連機器を上回る
1998
多賀事業所を新設(ウエハ洗浄装置)
1999
最終赤字転落
2001
3月

300mmウエハ対応の洗浄装置で量産開始

不況期の300mm対応投資が競合を脱落させ寡占構造を確定させた先行投資

1990年代の洗浄装置市場はシェア10%前後の中堅企業が群雄割拠していたが、300mmウエハへの移行に伴う開発費と設備投資の高騰が参入障壁として機能し、量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみであった。石田明社長が不況期にも投資を継続した判断は、短期的には赤字転落を招いたが、競合の脱落により洗浄装置市場の寡占構造を自社に有利な形で確定させる結果となった。

背景

シェア10%前後の企業が群雄割拠する洗浄装置市場に、東京エレクトロンが新規参入

1990年代初頭の半導体洗浄装置市場は、大日本スクリーン(シェア22%)を筆頭に、カイジョー(11%)、スガイ(12%)、三協エンジニアリング(11%)、島田理化工業(10%)といった中堅企業がシェア10%前後で群雄割拠する市場であった。各社は懇意の半導体メーカーに装置を納入するという商慣習のもとで共存していたが、ウエハの大口径化に伴い開発費が高騰し、中堅企業にとっては投資負担が重くなりつつあった。

1993年には半導体製造装置大手の東京エレクトロンが洗浄装置市場に参入し、シェアを急速に拡大した。東京エレクトロンのシェアは1991年の0%から1993年に3%、1996年には16%に達した。大手装置メーカーの参入は市場の競争構造を根本から変え、中堅企業の淘汰が進行する局面に入った。洗浄装置市場の規模は1987年の100億円から1996年の838億円へと急拡大していたが、その成長の果実を取れる企業は絞り込まれつつあった。

大日本スクリーンにとって、洗浄装置は祖業の製版機器に代わる収益の柱として位置づけられていた。FY1994には電子工業向け機器の売上が印刷関連機器を上回り、業態転換の転換点を迎えていた。ここで洗浄装置のシェアを維持・拡大できなければ、企業としての成長基盤を失うリスクがあった。

決断

石田明社長が300mmウエハ対応を不可避と判断し、不況期に巨額投資を断行

石田明社長(創業家出身、在任1989〜2005年)は、半導体メーカーがウエハサイズを200mmから300mm(12インチ)へ大型化することを不可避と判断した。1995年に石田社長は「ウエハーサイズを現在の8インチから12インチへ大型化するビジョンを持っている。12インチは2000年ごろには生産開始となる情勢だが、97〜98年には製造装置の供給を開始しなければこの分野で業界をリードできない」(証券アナリストジャーナル 33(7))と述べ、業界に先駆けた対応を宣言した。

大日本スクリーンは1997年にバッチ式洗浄装置「FC-3000」を発表し、300mmウエハ対応機種を市場に投入した。同時にFY1997には設備投資額184億円(連結)を計上して滋賀県に多賀事業所を新設し、300mm対応の量産体制を構築した。資金調達にあたっては転換社債を相次いで発行し、FY1996に150億円、FY1997に1.8億スイスフランを調達した。

しかし1998年にシリコンサイクルが不況期に入り、大日本スクリーンはFY1998に営業赤字131億円、最終赤字245億円を計上した。石田社長は「売上の見通しが大変厳しい中、300ミリウエハーをはじめとする次世代半導体への対応など、将来の核となる技術に対する研究開発投資や、先端技術に対応した増産体制のための費用負担は避け難い」として不況期にも投資を継続する方針を示した。

結果

300mm対応の量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみ、競合の脱落でシェアを確立

300mmウエハ対応の洗浄装置を量産するための新工場を建設できたのは、洗浄装置メーカーの中で大日本スクリーンのみであった。中堅企業は開発費の高騰と設備投資の負担に耐えきれず、300mm対応への移行に追随できなかった。ウエハの大口径化という技術転換が、事実上の参入障壁として機能し、群雄割拠の市場構造から寡占構造への転換を促した。

2001年3月に大日本スクリーンは彦根事業所にFab.FC-1(現S-1)を新設し、300mm対応洗浄装置の本格量産を開始した。2006年にはFab.FC-2(現S-2)を増設し、半導体メーカーの投資拡大に対応した。2000年代を通じて大日本スクリーンは洗浄装置におけるシェアを着実に拡大し、2022年時点ではバッチ式洗浄装置で世界シェア48%(1位)、枚葉式洗浄装置で世界シェア33%(1位)を確保するに至った。

不況期の巨額投資は短期的にはFY1998の赤字転落と希望退職142名の募集という痛みを伴ったが、300mmウエハ時代の到来とともに投資は回収された。石田社長が「業界をリードできない」と危機感を持って先行投資に踏み切った判断は、結果的に洗浄装置市場の競争構造を大日本スクリーンに有利な形で確定させた。

不況期の300mm対応投資が競合を脱落させ寡占構造を確定させた先行投資

1990年代の洗浄装置市場はシェア10%前後の中堅企業が群雄割拠していたが、300mmウエハへの移行に伴う開発費と設備投資の高騰が参入障壁として機能し、量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみであった。石田明社長が不況期にも投資を継続した判断は、短期的には赤字転落を招いたが、競合の脱落により洗浄装置市場の寡占構造を自社に有利な形で確定させる結果となった。

年表300mmウエハ対応の洗浄装置で量産開始に関する出来事
1997300mmウエハ対応「FC-3000」を発表
20013月彦根事業所にFab.FC-1を新設(現S-1)
200611月彦根事業所にFab.FC-2を新設(現S-2)
2001
希望退職者を募集
2002
印刷関連機器の事業分割
2006
彦根事業所にCS-1を新設・FPD製造装置の量産開始
2009
最終赤字転落(リーマンショック)
2014
商号をSCREENホールディングスに変更
2019
彦根事業所で半導体洗浄装置の増産
2022
半導体洗浄装置で世界シェア1位
2024
過去最高益達成