1977年12月に千葉県にサイゼリヤ「市川北口店」を開業し、多店舗展開を本格化した。ただし全国展開は志向せずに、需要が多い首都圏を中心にドミナント展開を志向。サイゼリヤの評判が形成されるまでは特定地域に集中し、認知度の自然な拡大を目指した。
多店舗展開と同時に、創業者の正垣氏はイタリア料理の産業化を志向。イタリア料理では良い素材を使うことが重要と考え、イタリアなどの海外から食材を直接輸入する体制を徐々に構築した。
イタリア料理に特化することによって、まとまった仕入れを可能にしており、多種多様な料理を提供する他のファミリーレストランが追随できない独自性を持つ仕入れの体制を志向した。
1990年代を通じてサイゼリヤは全国展開を徐々に本格化。1994年までに国内100店舗体制をとり、イタリア料理店のチェーン展開を確立した。
積極展開にあたって、資金面では銀行からの借入調達を実施。投資リターン20%を基準値とし、売上年間成長率130〜150%を目標に据えた。このため、1990年代を通じてサイゼリヤは、イタリア料理店チェーンとしては唯一無二の出店スピードとなり、競合を寄せ付けなかった。
投資リターン20%を確保するために、サイゼリヤは出店コストが安い立地を選択。駅前の一等地ではなく、駅ビルの2階や地下1階など、人目につかない場所に出店することによって、家賃のコストを最小化した。この結果、多店舗展開における固定費を抑制し、1993年頃には経常利益率10%を確保するに至った。
日本の経済通念では元手(自己資本)が1/3あれば、あとの2/3は銀行が貸してくれます。そうすると銀行から借りたお金を全部投資して、その投資した金額の20%以上の経常利益が出せれば、前年対比で130〜150%の売上高伸び率になります。それは食べ物屋さんにとって決してムリな数字ではありません。
ではなぜ130〜150%の伸び率が必要かといえば、20年間で200倍になるからです。僕は40年しかビジネスをやることができないでしょうから、すると400倍になる計算です。したがって、イタリア料理の真髄を伝える拠点として、どこにお店を出せば良いのかと言ったら、投資額に対して20%以上の経常利益が出る所です。それは売上予測ができる所であり、どちらかといえば誰も手をつけたがらない立地条件が悪い場所です。なぜなら、そのほうが投資コストが安いからですね。
1995年ごろにサイゼリヤは、広告宣伝に注力せずに、仕入れなどの料理に投資をする姿勢を鮮明にした。これは、テレビでサイゼリヤが紹介された際に、一時的な行列ができたものの、客の増加によりサービスが低下し、結果として客足が減少する経験を経たことであった。
そこで、サイゼリヤはテレビ出演や、広告宣伝には注力せず、美味しいイタリア料理を低価格で提供することにこだわり、結果として顧客から支持されるまで待つ道を選択した。
このため、1997年8月期におけるサイゼリヤの販促費について、売上高(194億円)に占める広告宣伝費(0.6億円)の占める割合はわずか「0.3%」であり、広告に注力しない事業戦略を鮮明にした。それでも、1990年代後半を通じて徐々に顧客数は増加し、サイゼリヤの売上高は拡大。1998年4月にサイゼリヤは株式公開に至った。
自前の工場、農場を持つ道に進むのですが、店舗数が100店舗になった1994年、あるテレビ番組に出ました。翌日、店舗には長い行列ができサービスもおろそかになり苦情も殺到。テレビの反響がおさまると客足もぱったり来なくなりました。これを取り戻すためには“価格を据え置いて質を高めれば、きっとお客は戻ってくるはず”食材の見直しは一切宣伝しませんでしたが、その後、お客さんの口コミで上昇基調に戻すことができました。