1959年
北川自動車に資本参加
1960年
7月
マリン事業に新規参入
エンジンの製造技術を応用して、ボート・船外機に参入
1960年
4月
昌和製作所に資本参加
1961年
9月
東京証券取引所第1部に株式上場
1963年
4月
二輪車の新製品で販売不振。大幅減収に転落
新型二輪車を発売
二輪車の販売不振により業績低迷。無配転落へ
1966年
3月
ヤマハから新居工場を譲受
船舶(ボート)の製造拠点を拡充
1968年
10月
Yamaha Motor Europeを設立
1970年
11月
Yamaha Motor Brasilを設立
1971年
4月
売上高の輸出比率約70%
1973年
5月
船外機でマーキュリー社と合弁契約を締結
技術導入のためにマーキュリー社との合弁を決定
10年を経て合弁解消へ。マーキュリーがヤマハを競合認識
1974年
7月
Yamaha Indonesia Motor Manufacturingを設立
インドネシアで二輪車の現地生産を開始。ノックダウン(日本から部品輸出)により月産1万代替しえへ
1977年
1月
Yamaha Motor Corporation, U.S.Aを設立
1984年
2月
産業用ロボットに新規参入
1986年
10月
Yamaha Motor Manufacturing Corporation of Americaを設立
1986年
12月
台湾山葉機車工業を設立
1988年
3月
米フォード向け自動車エンジンの製造を開始
1992年
12月
ヤマハとの合併説を否定
1998年
1月
Yamaha Motor Vietnamを設立
1998年
4月
国内4販社を統合
2000年
3月
トヨタ自動車と業務提携を締結
2006年
5月
グローバルパーツセンターを新設
2007年
5月
Yamaha Motor Philippines を設立
2008年
6月
ヤマハマリン袋井工場を新設
2013年
四輪車への新規参入
四輪車への参入を決めるも、量産技術を確立できず2018年に中止を決定
2017年
2月
浜松ロボティスク事務所を新設
2019年
6月
新川およびアピックヤマダを買収
2021年
2月
浜北工場の閉鎖を決定
ヤマハ発動機の創業地である浜北工場を2025年1月に閉鎖することを決定。静岡県内に分散している二輪車の製造拠点を、磐田市内の本社工場に集約することで原価改善を目論む。なお、浜北工場は生産品目の移管ではなく、工場閉鎖及び土地売却を決定しており、ヤマハ発動機としては「創業工場の閉鎖」という思い切った手を打った。
2025 (c) Yutaka Sugiura, Author