東京瓦斯は、ガス機器の生産のために「東京瓦斯電気工業株式会社」を設立。当初はガス器具の生産が中心であったが、自動車の製造に進出して1919年に国産軍用トラック「T・G・E号」を開発。1918年に稼働した大森工場で生産を開始し、自動車メーカーとしてトラック生産に注力した。
なお、1919年は日産自動車やトヨタ自動車は存在しておらず、自動車業界では東京瓦斯電気工業は再先発の企業となった。
製造と販売は考え方が異なると考え、大久保社長(日野ヂーゼル工業)は販売部門の独立を決定。全額出資により日野ヂーゼル販売を設立し、日野ヂーゼル工業が製造する大型トラックおよび大型バスの販売を担った。分離には高額商品を販売する上で、金融機関との連携(割賦販売)が必要であり、販売会社が独立していた方が円滑に金融できるという理由もあった。
普通トラックで国内シェア35%を獲得目標とした「D号作戦」を開始し、トップシェアを確保
トラックの国内需要の低迷で最終赤字に転落し、上場後初の無配に転落。1999年内に希望退職制度を実施して300名が退職へ
北米・タイ・インドネシアでの現地生産に投資