1933年に豊田自動織機の自動車部として豊田喜一郎が創業し、1937年にトヨタ自動車工業として独立。戦後の経営危機では人員削減と工販分離で再建し、かんばん方式で生産革新の世界標準を築いた。カローラで国内シェア首位を確立し、1986年のケンタッキー単独工場を皮切りに北米現地生産を本格化。1997年のプリウス発売でハイブリッド技術を先導し、2024年3月期に売上高45兆円・純利益約5兆円を計上する世界最大級の自動車メーカーに成長した。
歴史概略
第1期: 織機から自動車へ——創業と戦後再建(1933〜1965)
豊田喜一郎の創業と量産体制の構築
豊田自動織機の豊田喜一郎は、1929年の織機特許売却益を研究資金に充て、約3年間にわたり工場の片隅で極秘に自動車開発を進めた。1933年9月に自動車部を設置し、米国製シボレーの分解調査から本格的な開発に着手。取締役会の承認は翌年に事後的に得る形で事業を既成事実化した。1935年にA1型試作乗用車とG1型トラックを完成させ、1937年8月にトヨタ自動車工業として独立した。
1938年に挙母町(現豊田市)に本社工場を竣工してトラック量産を開始。戦後は1949年のドッジ不況で資金繰りが逼迫し、1,600名の希望退職と工販分離による再建を余儀なくされた。創業者・喜一郎は人員整理の責任を負い退任。住友銀行の融資拒否は外部借入に依存しない財務体質の動機となり、朝鮮特需が合理化の成果を一気に顕在化させた。
デンソーの分離とかんばん方式の確立
1949年12月、再建整備法に基づき電装工場など3工場を分離。日本電装(現デンソー)は「トヨタ」の商号使用を禁じられる厳しい条件で出発したが、ボッシュとの技術提携を経てグループ中核企業に成長した。この意図せざる分業が、完成車メーカーと高度専門部品メーカーの分業体制を先取りする結果となった。
1950年代から大野耐一が中心となり、人員整理の経験から「増員なき増産」を追求。職人芸を排して作業を標準化し、ジャストインタイムとかんばん方式を1963年に全社展開した。1955年にクラウン、1958年に米国トヨタの営業を開始し、1959年には元町工場を着工11ヶ月で竣工させて月産1万台体制を確立した。
第2期: カローラから北米現地生産へ(1966〜1996)
カローラと国内シェア首位の確立
1966年9月、カローラ専用の高岡工場を竣工し、1工場1車種という量産集中体制を構築した。新開発のK型エンジン(1,077cc)を搭載し「プラス100ccの余裕」を訴求、大衆が現実に手を伸ばせる乗用車を本格量産した。需要の急拡大に対して投資を前倒しで連動させ、1967年に第2組立工場、1968年に三好工場と輸出専用船を整備した。
日産がプリンス自動車との合併でシェア36%を目指したのに対し、トヨタはカローラの量産で対抗。競争の質を「販売力」から「設備投資の規模と速度」に転換し、国内シェア首位を確立した。1970年代にはオイルショック下で270億円のコストダウンを実施し、創意工夫の提案件数は年間38万件に達した。
NUMMI合弁と北米単独進出
1980年代初頭、日米貿易摩擦が激化するなか、1984年にGMと合弁会社NUMMIをカリフォルニア州に設立した。生産管理・労使関係のノウハウを蓄積する実地検証の場として活用し、北米での製造事業が成立する手応えを得た。1985年に全米29州から公募した結果、ケンタッキー州を選定。1986年1月にTMMを設立し単独現地生産を開始した。
1988年にTMM第1工場が竣工し年産20万台のカムリ生産体制を確立。全従業員を自動車未経験者から新規採用し、日本製と同等の品質を絶対条件とした。1989年には北米で高級車ブランド「レクサス」を発売し、大衆車メーカーのイメージ脱却を図った。1982年のトヨタ自工・自販の合併を経て、グローバル経営の体制を整えた。
第3期: ハイブリッドと世界最大級メーカーへの成長(1997〜現在)
プリウスと電動化戦略
1997年10月、世界初の量産ハイブリッド乗用車「プリウス」を発売した。1968年のガスタービン研究に始まる電動化技術の蓄積があり、1993年のG21プロジェクトで燃費2倍の目標が設定されたことで、ハイブリッドシステムの採用が技術的に不可避となった。2003年の第2世代でTHSIIを採用し、プリウスは実験的車種からグローバル商品に転換した。
2002年に中国で現地生産を本格化し、2005年に欧州統括会社TMEを発足。リーマンショックの2009年3月期には4,369億円の最終赤字に転落したが、原価改善3,400億円と設備投資36%削減を実行する一方、環境・安全分野の研究開発費は温存した。2014年に燃料電池車「ミライ」を発売し、電動化の選択肢を拡大した。
カンパニー制と電池供給体制の構築
2016年3月にカンパニー制に移行し、車種・技術領域ごとに経営単位を再編した。販売台数1,000万台規模の組織で意思決定の速度を回復させるため、企画から生産までを製品軸で一体運営する体制を構築。分権化と全社最適のバランスを運用しながら調整する前提の組織実験であった。
2020年4月にパナソニックと合弁でPPES(プライムプラネットエナジー&ソリューションズ)を設立し、車載用角形電池事業を統合。さらに2024年にはハイブリッド車向け電池のPEVEを完全子会社化し、PPESとPEVEの二元体制で電池供給リスクを分散した。2024年3月期の業績は売上高45兆953億円・純利益4兆9,449億円であり、電動化と生産革新を両輪に世界最大級の自動車メーカーとしての地位を維持している。
後の慎重な企業風土とは対照的に、トヨタの創業は取締役会の承認を事後に回す既成事実化で進められた。原資は織機特許の英国企業への売却益であり、喜一郎は約3年にわたり工場の片隅で極秘に研究を続けた。社内の反発を抑えられたのは創業家の株式支配と社長・利三郎の全面的な資金投入による。自動車部門は分離前に全売上の3割超を占めるまで拡大しており、意思決定の速度が統治構造によって規定される構図を示す事例である。