京セラ の歴史

更新:

創業

1959年

創業者

稲盛和夫

創業地

京都府京都市

直近売上高(2026/3)

20,702億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ創業者が筆頭株主でない1959年の資本構成のまま、稲盛和夫氏は経営の主導権を握れたのか
A 技術はあっても信用も資本もない27歳の技術者が、京都の財界人の出資で会社を興した以上、所有では主導権を持てなかった。そこで稲盛和夫氏は、先に量産実績で稼ぎを立てて発言力を得る順序を選んだ。1959年に宮木電機の宮木男也氏ら京都財界人の出資で京都セラミックを設立したとき、稲盛氏の持株は3,500株で出資者に次ぐ第4位にとどまった。ところがブラウン管テレビ用絶縁部品「U字ケルシマ」を松下電子工業向けに月産20万本で量産し、創業翌年から黒字を出して、稼ぎが信用に転じる経営の型をこの時期に固めた
Q なぜ1966年に、京セラは国内大手ではなく米IBMの大口受注を取りにいったのか
A 国内大手電機メーカーは創業間もない京都の無名中小企業を信用せず、まともに採用しなかった。そこで稲盛和夫氏は、日本企業が技術を導入する大本の米国顧客で採用されれば、その実績を梃子に国内へ逆流させられると読んだ。従業員100名以下の段階から渡米を繰り返して米国顧客の技術要求を直接吸い上げ、1966年に米IBMからIC用アルミナ基板を大口受注した。需要の見えない段階で鹿児島に工場を建てて積層パッケージの量産に踏み切り、その焼成ノウハウが他社の真似できない参入障壁へ変わって、1983年にはICパッケージで世界シェア約7割に達した
Q なぜ2026年に、京セラは買収で事業を増やす側から不振事業を売る側へ転じたのか
A 祖業の黒字が多角化事業の慢性的な不振を支える総花経営が続き、自己資本を厚く積むほど資本効率が落ちて、前期のROEは0.7%まで低下した。谷本秀夫社長はこれを「非常にお恥ずかしい経営成績」と認め、自己資本の厚さより企業価値を上げる経営へ方針を改めた。2026年には半導体向け化学材料のケミカル事業を住友ベークライトへ約300億円で譲渡し、サザンカールソン社など計2,000億円規模の非中核事業を整理した。2027年3月期からは事業ごとにROIC目標を設けて残す事業と外す事業を選り分ける評価へ切り替え、2026年4月に経営を引き継いだ作島史朗社長がこの選別を担う

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1959年〜 信用を持たない技術者が、市場のある国へ出るまで

京セラの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1959年 京都セラミックの設立と、持株第4位の技術者が経営の実権を握るまで 所有では主導権を持てない27歳の技術者は、どの順序で発言力を手にしたか
  2. 1966年 IC向け基板をIBMに納入
  3. 1969年 販売会社Kyocera International, Inc.を設立
  4. 1969年 積層パッケージの量産投資・世界シェア70%を確保

株主順位第4位の技術者として発足した京都セラミック

1959年4月1日、稲盛和夫氏は資本金300万円をもって京都市中京区西ノ京原町101番地に本社と工場を置き[1]、ファインセラミックスの専門メーカーとして京都セラミック株式会社を設立[2]した。稲盛氏は松風工業でアルミナ磁器やフォルステライト磁器の開発にあたった技術者で、設立時は27歳[3]だった。出資の中核となったのは宮木電機の宮木男也氏ら京都の実業家で、株式の引き受けと借入の個人保証[4]を担った。創業時の筆頭株主は宮木男也氏の4,300株、稲盛氏の持株は3,500株で株主順位は第4位[5]にとどまった。稲盛氏が社長に就いたのは、量産と利益を積み上げた7年後の1966年5月[6]である。

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1959年4月 資本金300万円で京都市中京区西ノ京原町101番地に本社及び工場を設立
    • [2]ファインセラミックスの専門メーカー「京都セラミック㈱」として発足
  • 私の履歴書 稲盛和夫(日本経済新聞社, 2004)
    • [3]稲盛和夫氏は松風工業出身・設立時27歳
    • [4]出資の中核は宮木電機の宮木男也氏ら京都の実業家。株式引き受けと借入の個人保証
    • [5]創業時の筆頭株主 宮木男也氏4,300株/稲盛和夫氏3,500株で株主第4位
    • [6]稲盛和夫氏の社長就任 1966年5月

創業期の主力は、ブラウン管テレビに組み込む絶縁部品「U字ケルシマ」[7]だった。松下電子工業向けに月産20万本の量産体制[8]を早期に築き、値段も納期も引き受けてから技術を開発する受注の重ね方[9]で実績を積んでいる。初年度に300万円の利益を出したところで税負担に驚き、税金を経費と捉え直して残りを再投資へ回す資金の設計[10]に切り替えた。1962年度には売上高8,400万円、当期純利益400万円[11]を計上している。拠点も広げ、1960年4月には東京出張所を、1963年5月には滋賀蒲生工場を設けた[12]。もっともベンチャーとして始めたファインセラミックスの事業は、国内ではなかなか信用を得られなかった[13]

  • 私の履歴書 稲盛和夫(日本経済新聞社, 2004)
    • [7]創業期の主力製品はブラウン管テレビ向け絶縁部品「U字ケルシマ」
    • [8]U字ケルシマを松下電子工業向けに月産20万本で量産
    • [10]初年度に300万円の利益。税金を経費と捉え直して残りを再投資に回す資金設計へ
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号「稲盛和夫・京都セラミック社長 技術開発 ご用聞きに不可能はない」
    • [9]値段も納期も引き受けてから技術を開発する「ご用聞き」の受注
  • 会社総鑑 1963年版
    • [11]1962年度 売上高8,400万円・当期純利益400万円
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1960年4月 東京出張所開設/1963年5月 滋賀蒲生工場を建設
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [13]ベンチャーで始めたファインセラミックス事業が国内ではなかなか信用を得られなかった
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1959年4月 資本金300万円で京都市中京区西ノ京原町101番地に本社及び工場を設立
    • [2]ファインセラミックスの専門メーカー「京都セラミック㈱」として発足
    • [12]1960年4月 東京出張所開設/1963年5月 滋賀蒲生工場を建設
  • 私の履歴書 稲盛和夫(日本経済新聞社, 2004)
    • [3]稲盛和夫氏は松風工業出身・設立時27歳
    • [4]出資の中核は宮木電機の宮木男也氏ら京都の実業家。株式引き受けと借入の個人保証
    • [5]創業時の筆頭株主 宮木男也氏4,300株/稲盛和夫氏3,500株で株主第4位
    • [6]稲盛和夫氏の社長就任 1966年5月
    • [7]創業期の主力製品はブラウン管テレビ向け絶縁部品「U字ケルシマ」
    • [8]U字ケルシマを松下電子工業向けに月産20万本で量産
    • [10]初年度に300万円の利益。税金を経費と捉え直して残りを再投資に回す資金設計へ
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号「稲盛和夫・京都セラミック社長 技術開発 ご用聞きに不可能はない」
    • [9]値段も納期も引き受けてから技術を開発する「ご用聞き」の受注
  • 会社総鑑 1963年版
    • [11]1962年度 売上高8,400万円・当期純利益400万円
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [13]ベンチャーで始めたファインセラミックス事業が国内ではなかなか信用を得られなかった

創業3年目に始めた米国市場の開拓

京セラが米国市場の開拓に着手したのは創業3年目、従業員100名以下で年間売上が5,000万円から1億円の間[14]という段階だった。日本の電子機器メーカーが米国企業から技術を導入している以上、その技術の大本にあたる米国で採用されれば日本でも販売しやすくなる[15]、という読みがその理由である。創業から10年目の1968年には、サンフランシスコ南部のクーパティーノに初めての販売拠点を置いた[16]。翌1969年7月には販売会社Kyocera International, Inc.を設立し、同年10月には国内販売会社として京セラ商事を設けている[17]

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [14]創業3年目・従業員100名以下・年間売上5,000万〜1億円の段階で米国市場開拓に着手
    • [15]日本の電子機器メーカーが米国から技術導入している以上、大本の米国で採用されれば日本でも売りやすいという判断
    • [16]1968年 サンフランシスコ南部クーパティーノに初の販売拠点を設立
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1969年7月 米国に販売会社Kyocera International,Inc.を設立/同年10月 国内販売会社 京セラ商事㈱を設立

1960年代初頭の米国では、ゲルマニウム・トランジスタに代わるシリコン・トランジスタが開発され、ベル研究所の研究者が西海岸に集まっていた[18]。京セラはフェアチャイルド社にシリコン・トランジスタ用のセラミック・ヘッダーを納め[19]、米国のセラミックメーカーと競いながら日本で量産を始めた。1970年にはテキサス・インスツルメンツが集積回路を発表[20]し、これをどのパッケージに実装するかが問題になった。京セラがフェアチャイルド社と相談して決めたのは、セラミックのベースとキャップを低融点ガラスでリードフレームに接合する構造[21]で、通称サーディップと呼ばれるセラミック・パッケージの最初の形[22]がここでできた。低融点ガラスはオーエンス・イリノイス社が供給[23]している。

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [18]1960年代初頭 シリコン・トランジスタの開発とベル研究者の西海岸集結
    • [19]フェアチャイルド社へシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを納入し日本で量産
    • [20]1970年 テキサス・インスツルメンツが集積回路を発表
    • [21]サーディップ=セラミックのベースとキャップを低融点ガラスでリードフレームに接合する構造
    • [22]サーディップが現在のICセラミック・パッケージの最初のコンセプト
    • [23]低融点ガラスはオーエンス・イリノイス社が供給
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [14]創業3年目・従業員100名以下・年間売上5,000万〜1億円の段階で米国市場開拓に着手
    • [15]日本の電子機器メーカーが米国から技術導入している以上、大本の米国で採用されれば日本でも売りやすいという判断
    • [16]1968年 サンフランシスコ南部クーパティーノに初の販売拠点を設立
    • [18]1960年代初頭 シリコン・トランジスタの開発とベル研究者の西海岸集結
    • [19]フェアチャイルド社へシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを納入し日本で量産
    • [20]1970年 テキサス・インスツルメンツが集積回路を発表
    • [21]サーディップ=セラミックのベースとキャップを低融点ガラスでリードフレームに接合する構造
    • [22]サーディップが現在のICセラミック・パッケージの最初のコンセプト
    • [23]低融点ガラスはオーエンス・イリノイス社が供給
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1969年7月 米国に販売会社Kyocera International,Inc.を設立/同年10月 国内販売会社 京セラ商事㈱を設立

買わされた工場と、耐えて得た寡占

1970年、京セラは米国で半導体用セラミック・パッケージの生産を始めた[24]。当時、売上の小さな日本の部品メーカーが米国に生産拠点を置く例はほとんどなかった[25]。きっかけは、シリコンサイクルで工場の維持が難しくなったフェアチャイルド社から、サンディエゴのセラミック工場を買ってほしいと持ちかけられた[26]ことである。稲盛氏は一度は断ったものの、先方が飛行機を用意して現場を見せ[27]、改善点を指摘するとそれならば買ってほしいと重ねて求められ、顧客でもあったことから引き受けた。工場はスタートから赤字で、迎えた工場長も1年たたずに退いた[28]

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [24]1970年 米国で半導体用セラミック・パッケージの生産を開始
    • [25]売上の少ない中小の部品メーカーが海外で生産する例は当時なかった
    • [26]フェアチャイルド社からサンディエゴのセラミック工場の買い取りを打診
    • [27]一度断ったが飛行機を用意されて視察し、改善点を指摘したうえで買い取りを求められた
    • [28]買収した工場はスタートから赤字。工場長は1年もしないうちに退任

半導体産業は初期から好不況を繰り返し、注文書を受けて在庫や仕掛品を用意した後で一方的にキャンセルされる[29]ことがあった。米国の同業各社はこれを訴訟で処理し、顧客との関係を損なって撤退[30]した。京セラは日本的な商習慣のまま耐え、30年にわたって取引を続けた結果、大きなシェアを持つに至っている[31]。国内では1969年7月に鹿児島川内工場を、1972年10月に鹿児島国分工場を建設[32]し、積層パッケージを量産した。1970年10月には株式の額面を500円から50円に変更するため、1946年11月設立の会社を形式上の存続会社として京都セラミックと京セラ商事を吸収合併[33]している。

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [29]注文書・在庫・出荷スケジュール確定後の一方的キャンセルが常態
    • [30]米国の同業はキャンセルを訴訟で処理し関係が悪化して撤退
    • [31]日本的な商習慣で耐え30年続けた結果、大きなシェアに至った
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]1969年7月 鹿児島川内工場を建設/1972年10月 鹿児島国分工場を建設
    • [33]1970年10月 株式額面500円→50円の変更のため1946年11月6日設立の㈱四国食菌科学研究所を形式上の存続会社として吸収合併
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [24]1970年 米国で半導体用セラミック・パッケージの生産を開始
    • [25]売上の少ない中小の部品メーカーが海外で生産する例は当時なかった
    • [26]フェアチャイルド社からサンディエゴのセラミック工場の買い取りを打診
    • [27]一度断ったが飛行機を用意されて視察し、改善点を指摘したうえで買い取りを求められた
    • [28]買収した工場はスタートから赤字。工場長は1年もしないうちに退任
    • [29]注文書・在庫・出荷スケジュール確定後の一方的キャンセルが常態
    • [30]米国の同業はキャンセルを訴訟で処理し関係が悪化して撤退
    • [31]日本的な商習慣で耐え30年続けた結果、大きなシェアに至った
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]1969年7月 鹿児島川内工場を建設/1972年10月 鹿児島国分工場を建設
    • [33]1970年10月 株式額面500円→50円の変更のため1946年11月6日設立の㈱四国食菌科学研究所を形式上の存続会社として吸収合併

1971年〜 寡占が生んだ利益を、本業の外へ投じるまで

京セラの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1971年 販売会社Kyocera Fineceramics GmbHを設立
  2. 1971年 大阪証券取引所市場第二部に株式上場
  3. 1972年 東京証券取引所市場第二部に株式を上場
  4. 1976年 米国預託証券を発行
  5. 1982年 サイバネット工業・クレサンベール・日本キャスト・ニューメディカルを吸収合併
  6. 1982年 京セラに商号変更
  7. 1984年 第二電電(DDI)の設立と、京セラによる中心的出資 本業のセラミックと無縁の通信事業に、京セラはなぜ中心となって出資したのか——巨大NTTへの新規参入という賭け

株式の上場と、計画を立てない経営

1971年10月、京セラは大阪証券取引所市場第二部に株式を上場し、翌1972年9月には東京証券取引所市場第二部[34]にも株式を公開した。両取引所とも1974年2月に第一部へ指定されて[35]いる。売上高は1965年3月期の2.4億円[36]から、1972年3月期には65億円[37]へ伸びた。1976年2月には米国で米国預託証券を発行[38]し、1979年10月には鹿児島国分工場の敷地内に総合研究所を建設[39]している。1980年5月にはニューヨーク証券取引所へ株式を上場し、あわせて2回目の米国預託証券[40]を発行した。同年8月には滋賀八日市工場を設けた[41]

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]1971年10月 大阪証券取引所市場第二部に上場/1972年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [35]大阪・東京とも1974年2月に第一部へ指定
    • [38]1976年2月 米国で米国預託証券を発行
    • [39]1979年10月 鹿児島国分工場敷地内に総合研究所(現 きりしまR&Dセンター)を建設
    • [40]1980年5月 ニューヨーク証券取引所に株式を上場、米国で2回目の米国預託証券を発行
    • [41]1980年8月 滋賀八日市工場を建設
  • 会社総鑑 1963年版
    • [36]1965年3月期 売上高2.4億円
  • 証券 1972年10月号(24巻10号・通巻283号)「京都セラミツク株式会社」
    • [37]1972年3月期 売上高65億円

量産と海外展開を支えた管理の仕組みが、のちにアメーバ経営と呼ばれる小集団の独立採算制[42]である。各事業を細分化して時間当たりの採算を管理し[43]、アメーバの一人ひとりが仕入れから値決め、店仕舞いの勘定までを担う小さな経営者[44]として動く。稲盛氏はこの仕組みを敷く一方で、社長を務める間は中長期の経営計画を持たず、年次計画だけを置いた[45]。「今日1日最善を尽くして生きれば、明日は見えてくる。今月1カ月精一杯生きれば、来月は予測がつく」という考え方であり、計画を立てても自分たちの意思とは無関係の景気変動で狂いが出る[47]と見ていたためである。 [46]

  • 週刊東洋経済 2022年12月3日号「トップに直撃 京セラ 社長 谷本秀夫」
    • [42]従業員を小集団に分け集団ごとに独立採算で運営する「アメーバ経営」
  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
    • [43]各事業を細分化して時間当たりの採算を管理する
    • [44]アメーバの一人ひとりが自分で仕入れ、値段を決め、店仕舞いして勘定する小さな経営者
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [45]社長在任中は中長期の経営計画はなく年次計画だけがあった
    • [46]稲盛和夫氏「今日1日最善を尽くして生きれば、明日は見えてくる。今月1カ月精一杯生きれば、来月は予測がつく」
    • [47]中長期計画を作っても自分達の意思とは無関係の景気変動で狂いが出る
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]1971年10月 大阪証券取引所市場第二部に上場/1972年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [35]大阪・東京とも1974年2月に第一部へ指定
    • [38]1976年2月 米国で米国預託証券を発行
    • [39]1979年10月 鹿児島国分工場敷地内に総合研究所(現 きりしまR&Dセンター)を建設
    • [40]1980年5月 ニューヨーク証券取引所に株式を上場、米国で2回目の米国預託証券を発行
    • [41]1980年8月 滋賀八日市工場を建設
  • 会社総鑑 1963年版
    • [36]1965年3月期 売上高2.4億円
  • 証券 1972年10月号(24巻10号・通巻283号)「京都セラミツク株式会社」
    • [37]1972年3月期 売上高65億円
  • 週刊東洋経済 2022年12月3日号「トップに直撃 京セラ 社長 谷本秀夫」
    • [42]従業員を小集団に分け集団ごとに独立採算で運営する「アメーバ経営」
  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
    • [43]各事業を細分化して時間当たりの採算を管理する
    • [44]アメーバの一人ひとりが自分で仕入れ、値段を決め、店仕舞いして勘定する小さな経営者
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [45]社長在任中は中長期の経営計画はなく年次計画だけがあった
    • [46]稲盛和夫氏「今日1日最善を尽くして生きれば、明日は見えてくる。今月1カ月精一杯生きれば、来月は予測がつく」
    • [47]中長期計画を作っても自分達の意思とは無関係の景気変動で狂いが出る

4社合併による社名変更と、広がった製品の幅

1982年10月、京セラはサイバネット工業、クレサンベール、日本キャスト、ニューメディカルの4社を吸収合併し、あわせて社名を京セラ株式会社へ改めた[48]。翌1983年にはカメラメーカーのヤシカを合併し、コンタックスブランドの高級カメラ[49]を手がけるようになった。稲盛氏は買収の判断にあたり、その動機は善なりやとまず自らに問い、天の時、地の利、人の和という三つの要素が揃っているか[50]を考えてから決めたと語っている。技術的にも資金的にも一見無謀と思えることでも、この要素を確かめたうえで判断した[51]という。

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [48]1982年10月 サイバネット工業㈱・㈱クレサンベール・日本キャスト㈱・㈱ニューメディカルの4社を吸収合併し同時に京セラ㈱へ社名変更
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [49]ヤシカ合併とコンタックスブランドの高級カメラ
    • [50]稲盛和夫氏の判断基準=動機は善なりやを自らに問い、天の時・地の利・人の和の3要素を確かめる
    • [51]技術的・資金的に一見無謀と思えることでも先の要素を考えてから判断した

半導体用のセラミック・パッケージを最大の事業とし[52]ながら、京セラは製品の幅を広げた。エレクトロニクス向けのセラミック部品と電子部品、液晶表示装置やファクシミリ用の電子デバイス[53]、一般産業用のセラミック構造材料と切削工具を並べ、人工関節や人工歯根といったバイオセラム、太陽光から直接電気を起こす太陽電池、再結晶宝石のクレサンベール[54]も手がけている。1989年8月にはコネクタ事業のエルコインターナショナルを連結子会社化[55]し、1990年1月には米国で3回目の米国預託証券を発行[56]した。1982年に買収したサイバネット工業の工場群が、のちに通信機器の製造を担った[57]

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [52]京セラの事業で一番大きなものは半導体用のセラミック・パッケージ
    • [53]エレクトロニクス向けセラミック部品・電子部品・液晶表示装置・ファクシミリ用電子デバイス
    • [54]バイオセラム(人工関節・人工歯根)・太陽電池・再結晶宝石クレサンベール
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [55]1989年8月 コネクタ事業の㈱エルコインターナショナルを連結子会社化
    • [56]1990年1月 米国で3回目の米国預託証券を発行
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [57]通信機器を製造したのは1982年に買収したサイバネット工業の工場群
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [48]1982年10月 サイバネット工業㈱・㈱クレサンベール・日本キャスト㈱・㈱ニューメディカルの4社を吸収合併し同時に京セラ㈱へ社名変更
    • [55]1989年8月 コネクタ事業の㈱エルコインターナショナルを連結子会社化
    • [56]1990年1月 米国で3回目の米国預託証券を発行
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [49]ヤシカ合併とコンタックスブランドの高級カメラ
    • [50]稲盛和夫氏の判断基準=動機は善なりやを自らに問い、天の時・地の利・人の和の3要素を確かめる
    • [51]技術的・資金的に一見無謀と思えることでも先の要素を考えてから判断した
    • [52]京セラの事業で一番大きなものは半導体用のセラミック・パッケージ
    • [53]エレクトロニクス向けセラミック部品・電子部品・液晶表示装置・ファクシミリ用電子デバイス
    • [54]バイオセラム(人工関節・人工歯根)・太陽電池・再結晶宝石クレサンベール
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [57]通信機器を製造したのは1982年に買収したサイバネット工業の工場群

第二電電の設立と、携帯電話への賭け

1984年6月、京セラは第二電電企画を設立した[58]。稲盛氏が発起人となり、日本の長距離電話が高く一般の利用者が苦しんでいるとして、料金を下げることを設立の動機[59]に置いている。国鉄系の企業は新幹線沿いに、道路公団を中心とする企業は高速道路沿いに光ファイバーを引いた[60]のに対し、京セラにはそうしたインフラが何も無かった。第二電電は山の頂から頂へパラボラアンテナを設置し、その間をマイクロウェーブで結んで東名阪の長距離回線を建設[61]し、他社と同じ時期に開業へこぎつけた。巨大なNTTに対抗することについては、ドンキホーテではないかと言われた[62]という。

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [58]1984年6月 第二電電企画㈱(現 KDDI㈱)を設立
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [59]日本の長距離電話は高く一般大衆が苦しんでいるので安くしたいという動機
    • [60]国鉄系は新幹線沿い、道路公団系は高速道路沿いに光ファイバーを敷設。京セラにインフラは無かった
    • [61]山頂間にパラボラアンテナを設置しマイクロウェーブで東名阪の長距離回線を建設、同時期に開業
    • [62]巨大NTTへの対抗はドンキホーテではないかと言われた

稲盛氏は第二電電の設立当時から、自動車電話が携帯電話になると見ていた[63]。シリコンバレーの半導体産業のただ中で仕事をしてきたため集積回路の集積度が幾何級数的に上がることを知っており[64]、5年ほどで車のトランクに積む送受信機が小さな端末に収まる[65]と判断したためである。第二電電はまだ営業も始めておらず社内は反対したが、稲盛氏は参入を決めた[66]。東京と名古屋を争った相手には最も有利な市場を譲り、京セラは北海道から南は九州、沖縄まで8社のセルラー会社[67]を置いている。1981年当時の日本の市場はNTTの独占で、台数13万台、普及率0.1%[68]にとどまっていた。

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [63]第二電電設立当時から自動車電話が携帯電話になると確信
    • [64]集積回路の集積度が幾何級数的に上がることを知っていた
    • [65]5年後には車のトランクの送受信機が小さな端末に収まると判断
    • [66]第二電電は営業開始前で社内は皆反対だったが参入を決めた
    • [67]東京・名古屋の市場を相手に譲り、北海道から九州・沖縄まで8社のセルラー会社を設置
    • [68]1981年当時の日本の携帯電話市場はNTT独占・13万台・普及率0.1%
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [58]1984年6月 第二電電企画㈱(現 KDDI㈱)を設立
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [59]日本の長距離電話は高く一般大衆が苦しんでいるので安くしたいという動機
    • [60]国鉄系は新幹線沿い、道路公団系は高速道路沿いに光ファイバーを敷設。京セラにインフラは無かった
    • [61]山頂間にパラボラアンテナを設置しマイクロウェーブで東名阪の長距離回線を建設、同時期に開業
    • [62]巨大NTTへの対抗はドンキホーテではないかと言われた
    • [63]第二電電設立当時から自動車電話が携帯電話になると確信
    • [64]集積回路の集積度が幾何級数的に上がることを知っていた
    • [65]5年後には車のトランクの送受信機が小さな端末に収まると判断
    • [66]第二電電は営業開始前で社内は皆反対だったが参入を決めた
    • [67]東京・名古屋の市場を相手に譲り、北海道から九州・沖縄まで8社のセルラー会社を設置
    • [68]1981年当時の日本の携帯電話市場はNTT独占・13万台・普及率0.1%

1985年〜 通信が本体を変え、祖業が足元から崩れるまで

京セラの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1989年 コネクタ事業のエルコインターナショナルを子会社化
  2. 1990年 AVX Corporationを株式交換で子会社化
  3. 1995年 中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyoceraを設立
  4. 1996年 セラミックパッケージの素材転換に失敗
  5. 1997年 稲盛和夫氏が代表取締役会長を退任

AVXの買収と、株式交換という選択

1990年1月、京セラは米国のセラミックコンデンサーメーカーAVXを株式交換方式で連結子会社化[69]した。AVXを率いるバトラー氏は、京セラがフェアチャイルド社にセラミック・ヘッダーを納めていた当時、東海岸のフレンチタウン社の社長として同じ製品を競っていた[70]相手である。稲盛氏は二十数年ぶりに訪ね、買収を申し入れた[71]。株価が16ドルから20ドルの間を動いていたのに対して5割増しの30ドルを提示し[72]、のちに先方の求めで32ドルへ引き上げ[73]ている。交換比率は京セラのADR82ドルに対しAVX32ドルとしたが、クロージング直前にADRが74ドルまで下がり[74]、先方の求めに応じて現値で交換した。買収額は5億8,000万ドル[75]である。

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [69]1990年1月 AVX Corporationを株式交換方式により連結子会社化
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [70]AVXのバトラー氏は旧フレンチタウン社長で、フェアチャイルド向けセラミック・ヘッダーの競合だった
    • [71]稲盛和夫氏が二十数年ぶりにAVX本社を訪ね買収を申し入れた
    • [72]AVX株価は過去4年16〜20ドル。5割増しの30ドルを提示し、のちに32ドルへ
    • [73]先方の求めで32ドルへ引き上げ
    • [74]交換比率は京セラADR82ドル対AVX32ドル。クロージング直前にADRが74ドルへ下落し現値で交換
    • [75]1990年の株式交換による買収額 5億8,000万ドル

買収前の1989年度に4億1,200万ドルだったAVXの売上高は、1995年3月期には9億8,800万ドル[76]へ伸びた。税引前利益も2,000万ドルから1億1,000万ドルへ増えて[77]いる。1995年8月、京セラはAVXをニューヨーク証券取引所へ再上場[78]させた。主幹事のメリルリンチが提示した26ドルに対し、稲盛氏は50セント安い25ドル50セントで上場させ、株価は数週間で32ドル[79]まで上がっている。京セラは持株の一部を放出して265億円の売却益を得て、あわせて1,460億円の含み益[80]を計上した。

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [76]AVX売上高 1989年度4億1,200万ドル→1995年3月期9億8,800万ドル
    • [77]AVX税引前利益 2,000万ドル→1億1,000万ドル
    • [79]主幹事メリルリンチの提示26ドルに対し25ドル50セントで上場、数週間で約32ドルへ
    • [80]持株一部放出で売却益265億円・含み益1,460億円
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [78]1995年8月 AVXをニューヨーク証券取引所に再上場
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [69]1990年1月 AVX Corporationを株式交換方式により連結子会社化
    • [78]1995年8月 AVXをニューヨーク証券取引所に再上場
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [70]AVXのバトラー氏は旧フレンチタウン社長で、フェアチャイルド向けセラミック・ヘッダーの競合だった
    • [71]稲盛和夫氏が二十数年ぶりにAVX本社を訪ね買収を申し入れた
    • [72]AVX株価は過去4年16〜20ドル。5割増しの30ドルを提示し、のちに32ドルへ
    • [73]先方の求めで32ドルへ引き上げ
    • [74]交換比率は京セラADR82ドル対AVX32ドル。クロージング直前にADRが74ドルへ下落し現値で交換
    • [75]1990年の株式交換による買収額 5億8,000万ドル
    • [76]AVX売上高 1989年度4億1,200万ドル→1995年3月期9億8,800万ドル
    • [77]AVX税引前利益 2,000万ドル→1億1,000万ドル
    • [79]主幹事メリルリンチの提示26ドルに対し25ドル50セントで上場、数週間で約32ドルへ
    • [80]持株一部放出で売却益265億円・含み益1,460億円

通信機器が本体の最大部門になるまで

セルラー8社は当初3年間は赤字だったが、4年目から黒字へ転じ、1995年3月期には経常利益410億円[81]を計上した。第二電電単体の売上高は同期3,778億円で、営業利益は数回の通話料金値下げを経てなお359億円[82]である。京セラ本体でも通信機器が最大の部門になり、10年前に480億円程度だった販売額は1,200億円を超えた[83]。1995年時点の稲盛グループは子会社74社と関連会社10社を抱え、海外の製造拠点は13カ国32工場、従業員は約3万9,000人でその半数が外国人[84]だった。グループ全体の売上高は1兆1,000億円[85]に達している。

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [81]セルラー8社は当初3年赤字・4年目以降黒字、1995年3月期の経常利益410億円
    • [82]第二電電単体 1995年3月期 売上3,778億円・営業利益359億円
    • [84]1995年時点 子会社74社・関連会社10社・海外13カ国32工場・従業員約3万9,000人(半数が外国人)
    • [85]1995年3月期の稲盛グループ売上高 1兆1,000億円
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [83]通信機器の販売額 10年前480億円程度→1,200億円超で最大部門に

1995年7月、第二電電の陣営は東京と札幌でPHSを開業[86]した。札幌が順調だったのに対し、首都圏では基地局の設置にトラブル[87]が生じている。市内の通話料は公衆電話より少し高い程度で月額基本料も安く[88]、稲盛氏は21世紀初頭に国内だけで5,000万台に達する[89]と見ていた。国内の研究開発と生産の拠点も広げ、1995年3月に横浜R&Dセンターを建設[90]し、同年には京都府相楽郡の関西文化学術研究都市に中央研究所を、中国東莞に製造会社を設けて[91]いる。1998年8月には京都市伏見区に本社新社屋を建て[92]、山科の五階建て本社から移った[93]

  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [86]1995年7月 東京・札幌でPHSを開業
    • [87]札幌は順調、首都圏は基地局設置でトラブル
    • [88]PHSの市内通話料は公衆電話より少し高い程度・月額基本料も安い
    • [89]21世紀初頭に国内の携帯電話・PHSは5,000万台になると予想
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [90]1995年3月 横浜R&Dセンターを建設
    • [91]関西文化学術研究都市に中央研究所(現 けいはんなリサーチセンター)、中国東莞に製造会社を設立
    • [92]1998年8月 京都市伏見区に本社新社屋を建設
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [93]1998年8月中旬 山科の五階建て本社から京都一の高層ビルへ移転
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
    • [81]セルラー8社は当初3年赤字・4年目以降黒字、1995年3月期の経常利益410億円
    • [82]第二電電単体 1995年3月期 売上3,778億円・営業利益359億円
    • [84]1995年時点 子会社74社・関連会社10社・海外13カ国32工場・従業員約3万9,000人(半数が外国人)
    • [85]1995年3月期の稲盛グループ売上高 1兆1,000億円
    • [86]1995年7月 東京・札幌でPHSを開業
    • [87]札幌は順調、首都圏は基地局設置でトラブル
    • [88]PHSの市内通話料は公衆電話より少し高い程度・月額基本料も安い
    • [89]21世紀初頭に国内の携帯電話・PHSは5,000万台になると予想
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [83]通信機器の販売額 10年前480億円程度→1,200億円超で最大部門に
    • [93]1998年8月中旬 山科の五階建て本社から京都一の高層ビルへ移転
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [90]1995年3月 横浜R&Dセンターを建設
    • [91]関西文化学術研究都市に中央研究所(現 けいはんなリサーチセンター)、中国東莞に製造会社を設立
    • [92]1998年8月 京都市伏見区に本社新社屋を建設

祖業の崩れと、稲盛和夫氏の会長退任

1997年6月、MPU最大手のインテルが半導体パッケージをプラスチック製へ全面的に切り替えた[94]。京セラの創業事業であるICパッケージは1,000億円超を売り上げる主力[95]でパソコンの普及も享受していたが、この切り替えで推定250億円の売上を丸ごと失って[96]いる。京セラは樹脂化製品への本格参入を発表し、英国企業と提携して樹脂技術を導入したうえで、鹿児島の主力工場に新ライン[97]を立ち上げた。それでもインテルへの再納入のめどは立たなかった[98]。同じ1997年、稲盛氏は代表取締役会長を退き、取締役名誉会長となっている[99]

  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [94]1997年6月 MPU最大手インテルがプラスチック製パッケージへ全面切り換え
    • [95]ICパッケージは1,000億円超を売り上げる主力部門
    • [96]インテルの樹脂化で推定250億円の売上を喪失
    • [97]樹脂化製品の本格参入を発表・英国社と提携して樹脂技術導入・鹿児島の主力工場に新ライン
    • [98]インテルへの再納入のメドは立っていない
  • 週刊東洋経済 1997年11月29日号「[ザ・トーク]稲盛和夫・京セラ取締役名誉会長/佐藤安弘・キリンビール社長」
    • [99]1997年11月時点で稲盛和夫氏は京セラ取締役名誉会長

1998年、複写機メーカーの三田工業が2,000億円超の負債を抱えて会社更生法の適用を申請[100]し、10年間で合計370億円に及ぶ粉飾決算[101]が明るみに出た。京セラは支援を表明し、稲盛氏はこれを人助けと説明[102]している。伊藤謙介社長は「三田工業の支援は社会に対していいことと判断した」[103]と述べ、「ただ、戦略というのではない」[104]と語った。同年10月末の京セラの時価総額は9,458億円で、1年前のピークからほぼ半値[105]に沈んでいる。前期のフリーキャッシュフローは900億円近いマイナスで、1,600億円に及ぶ投融資の肥大化[106]がその原因だった。

  • 週刊東洋経済 1998年8月22日号「三田工業 倒産、粉飾も発覚 京セラ・稲盛氏の支援表明の真意はどこに?」
    • [100]三田工業は負債2,000億円超で会社更生法の適用を申請
    • [101]10年間で合計370億円の粉飾決算
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [102]京セラが支援表明。稲盛和夫名誉会長は「人助け」と説明
    • [103]伊藤謙介社長「三田工業の支援は社会に対していいことと判断した」
    • [104]伊藤謙介社長「ただ、戦略というのではない」
    • [105]1998年10月末の時価総額9,458億円=1年前のピークからほぼ半値
    • [106]前期フリーキャッシュフローは900億円近いマイナス。原因は1,600億円に及ぶ投融資の肥大化
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
    • [94]1997年6月 MPU最大手インテルがプラスチック製パッケージへ全面切り換え
    • [95]ICパッケージは1,000億円超を売り上げる主力部門
    • [96]インテルの樹脂化で推定250億円の売上を喪失
    • [97]樹脂化製品の本格参入を発表・英国社と提携して樹脂技術導入・鹿児島の主力工場に新ライン
    • [98]インテルへの再納入のメドは立っていない
    • [102]京セラが支援表明。稲盛和夫名誉会長は「人助け」と説明
    • [103]伊藤謙介社長「三田工業の支援は社会に対していいことと判断した」
    • [104]伊藤謙介社長「ただ、戦略というのではない」
    • [105]1998年10月末の時価総額9,458億円=1年前のピークからほぼ半値
    • [106]前期フリーキャッシュフローは900億円近いマイナス。原因は1,600億円に及ぶ投融資の肥大化
  • 週刊東洋経済 1997年11月29日号「[ザ・トーク]稲盛和夫・京セラ取締役名誉会長/佐藤安弘・キリンビール社長」
    • [99]1997年11月時点で稲盛和夫氏は京セラ取締役名誉会長
  • 週刊東洋経済 1998年8月22日号「三田工業 倒産、粉飾も発覚 京セラ・稲盛氏の支援表明の真意はどこに?」
    • [100]三田工業は負債2,000億円超で会社更生法の適用を申請
    • [101]10年間で合計370億円の粉飾決算

2000年〜 完成品への賭けと、多角化が止まらない構造の清算

京セラの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2000年 米クアルコムの携帯電話端末事業の承継と、6期連続赤字 部品メーカーがなぜ完成品の世界市場へ出たのか——第二電電以来の端末事業を一気に広げる賭けと、その帰結
  2. 2000年 京セラミタを子会社化
  3. 2002年 東芝ケミカルを株式交換方式で子会社化
  4. 2008年 三洋電機の携帯電話事業を取得(通信機器)
  5. 2009年 TA Triumph-Adler AGを子会社化
  6. 2011年 デンマークUnimerco Group A/Sを子会社化
  7. 2025年 中期経営計画の取り下げと、非中核事業の整理 創業以来初めて立てた中期計画をなぜ2年で下ろしたのか——ROE0.7%と株主の圧力が迫った多角化の清算

京都初の1兆円企業と、1万人の削減

2000年2月、京セラは米国クアルコムの携帯電話端末事業を承継[107]し、キョウセラ・ワイヤレス・コーポレーションを設けた[108]。クアルコムはCDMA方式の技術開発とライセンス供与を収入源としており、譲り受けた端末製造部門は売上1,000億円程度ながらほとんど利益を上げていなかった[109]。同年4月には、破綻した三田工業を全額減資のうえ京セラミタとして完全子会社化[110]している。西口泰夫社長は1999年6月の就任時に2002年3月期の連結売上高1兆円を公約[111]したが、2001年3月期の予想が1兆2,000億円となり、目標は1年前倒し[112]で達成される見通しとなった。

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [107]2000年2月 米国Qualcomm,Inc.の携帯電話端末事業を承継
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「京セラ ケータイ・情報機器で加速 京都初1兆円企業の誕生」
    • [108]承継先はキョウセラ・ワイヤレス・コーポレーション(KWC)
    • [109]クアルコムの端末製造部門は売上約1,000億円で利益はほとんど出ていなかった
    • [110]2000年4月 京セラミタ㈱に出資し連結子会社化(全額減資のうえ100%子会社化)
    • [111]西口泰夫社長は1999年6月の就任時に2002年3月期の連結売上高1兆円を公約
    • [112]2001年3月期の予想連結売上高1兆2,000億円で目標を1年前倒しで達成

2001年、電子部品の需要が急減し、京セラはグループ従業員の約2割にあたる1万人規模の人員削減[113]に踏み切った。削減の大半は前期までに急膨張した海外工場の要員で、AVXは前年夏に約2万1,000人いた従業員を7月には約1万3,500人まで[114]絞っている。国内では正社員に手をつけず、外注の内製化とパート半減、派遣契約の非更新で対応[115]した。KWCも買収時に約4,000人の従業員と税引前損失約45億円を抱えており、2,000人まで削って[116]いる。中国生産は前期の240億円程度から、2年後をめどに1,050億円規模へ[117]広げる方針を採った。

  • 週刊東洋経済 2001年9月15日号「電子部品1万人リストラでわかった優等生・京セラの“底力”」
    • [113]2001年 グループ従業員の約2割・1万人規模の人員削減
    • [114]AVXの従業員は前年夏の約2万1,000人から7月に約1万3,500人へ
    • [115]国内は正社員に手をつけず外注の内製化・パート半減・派遣契約の非更新で対応
    • [116]KWCは買収時に約4,000人・税引前損失約45億円。2,000人まで削減
    • [117]中国生産を前期240億円程度から2年後に1,050億円規模へ拡大
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [107]2000年2月 米国Qualcomm,Inc.の携帯電話端末事業を承継
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「京セラ ケータイ・情報機器で加速 京都初1兆円企業の誕生」
    • [108]承継先はキョウセラ・ワイヤレス・コーポレーション(KWC)
    • [109]クアルコムの端末製造部門は売上約1,000億円で利益はほとんど出ていなかった
    • [110]2000年4月 京セラミタ㈱に出資し連結子会社化(全額減資のうえ100%子会社化)
    • [111]西口泰夫社長は1999年6月の就任時に2002年3月期の連結売上高1兆円を公約
    • [112]2001年3月期の予想連結売上高1兆2,000億円で目標を1年前倒しで達成
  • 週刊東洋経済 2001年9月15日号「電子部品1万人リストラでわかった優等生・京セラの“底力”」
    • [113]2001年 グループ従業員の約2割・1万人規模の人員削減
    • [114]AVXの従業員は前年夏の約2万1,000人から7月に約1万3,500人へ
    • [115]国内は正社員に手をつけず外注の内製化・パート半減・派遣契約の非更新で対応
    • [116]KWCは買収時に約4,000人・税引前損失約45億円。2,000人まで削減
    • [117]中国生産を前期240億円程度から2年後に1,050億円規模へ拡大

創業者の退任と、多角化が止まらなかった仕組み

2005年6月、1959年の創業以来京セラを率いてきた稲盛氏が取締役を退任し、CEO・CFO・COOの3人を頂く集団指導体制へ移った[118]。京セラは売上高税引前利益率を経営基準に置いており、稲盛氏は「税引き前で10%の利益率が上がらないようでは経営のうちに入らない。高収益というなら最低15%は必要だ」と公言してきた。稲盛氏が社長と会長の座にあった1990年代後半までは15%前後がほぼ常態だったが、ITバブル崩壊以降は10%割れ[120]が当たり前になっている。2005年9月中間期は8.5%で、株式売却益を除けば7.2%[121]まで下がった。 [119]

  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
    • [118]2005年6月 稲盛和夫氏が取締役を退任しCEO・CFO・COOの集団指導体制へ移行
    • [119]稲盛和夫氏「税引き前で10%の利益率が上がらないようでは経営のうちに入らない。高収益というなら最低15%は必要だ」
    • [120]1990年代後半までは税引前利益率15%前後が常態、ITバブル崩壊以降は10%割れ
    • [121]2005年9月中間期の売上高税引前利益率8.5%(株式売却益を除けば7.2%)

京セラの買収路線には、従業員の物心両面の幸福を追求するという経営理念による縛り[122]があった。この理念を貫くために人員削減は基本的に認められず、一つの事業が失敗するとその人員の受け皿を確保するために次の買収へ乗り出さざるをえなくなる[123]。救済にもとづく合併の第1号はトランシーバー製造のサイバネット工業であり、本業と関連の薄い分野にもあえて進出[124]した。後発で参入した分野が多いため業界での位置は低く、セラミックコンデンサーは村田製作所、TDK、太陽誘電に次ぐ国内4位[125]、水晶関連製品はエプソントヨコム、日本電波工業に次ぐ3位[126]にとどまっている。

  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
    • [122]買収路線には「従業員の物心両面の幸福を追求する」という経営理念の縛りがある
    • [123]理念を貫くため人員削減は基本的に御法度。事業が失敗すると人員の受け皿確保のため次の買収に乗り出さざるをえない
    • [124]救済合併の第1号はトランシーバー製造のサイバネット工業。本業と関連の薄い分野にも進出
    • [125]セラミックコンデンサーは村田製作所・TDK・太陽誘電に次ぐ国内4位
    • [126]水晶関連製品はエプソントヨコム・日本電波工業に次ぐ3位

買収による事業の追加は稲盛氏の退任後も続き、2009年1月にドイツのプリンター・複合機販売会社[127]TA Triumph-Adlerを、2011年7月にデンマークの機械工具メーカーUnimerco Groupを連結子会社化[128]し、同年8月にはベトナムでも製造会社を設けて[129]いる。2012年2月には液晶ディスプレイのオプトレックス[130]、2015年9月にはパワー半導体の日本インターを傘下に収めた[131]。2017年8月には米国の空圧工具メーカーSenco Holdings[132]を、2021年1月にはGaN製レーザーを手がける米国のSoraa Laser Diode[133]を連結子会社化している。2017年には谷本秀夫社長が就任した[134]

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [127]2009年1月 ドイツのプリンター・複合機販売会社TA Triumph-Adler AGを連結子会社化
    • [128]2011年7月 デンマークの機械工具製造販売会社Unimerco Group A/Sを連結子会社化
    • [129]2011年8月 ベトナムに製造会社Kyocera Vietnam Co.,Ltd.を設立
    • [130]2012年2月 液晶ディスプレイ専業のオプトレックス㈱を連結子会社化
    • [131]2015年9月 パワー半導体メーカーの日本インター㈱を連結子会社化
    • [132]2017年8月 米国の空圧工具メーカーSenco Holdings,Inc.を連結子会社化
    • [133]2021年1月 GaN製レーザー製品の米国Soraa Laser Diode,Inc.を連結子会社化
  • 週刊東洋経済 2022年12月3日号「トップに直撃 京セラ 社長 谷本秀夫」
    • [134]谷本秀夫氏は2017年に京セラ社長へ就任
  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
    • [118]2005年6月 稲盛和夫氏が取締役を退任しCEO・CFO・COOの集団指導体制へ移行
    • [119]稲盛和夫氏「税引き前で10%の利益率が上がらないようでは経営のうちに入らない。高収益というなら最低15%は必要だ」
    • [120]1990年代後半までは税引前利益率15%前後が常態、ITバブル崩壊以降は10%割れ
    • [121]2005年9月中間期の売上高税引前利益率8.5%(株式売却益を除けば7.2%)
    • [122]買収路線には「従業員の物心両面の幸福を追求する」という経営理念の縛りがある
    • [123]理念を貫くため人員削減は基本的に御法度。事業が失敗すると人員の受け皿確保のため次の買収に乗り出さざるをえない
    • [124]救済合併の第1号はトランシーバー製造のサイバネット工業。本業と関連の薄い分野にも進出
    • [125]セラミックコンデンサーは村田製作所・TDK・太陽誘電に次ぐ国内4位
    • [126]水晶関連製品はエプソントヨコム・日本電波工業に次ぐ3位
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [127]2009年1月 ドイツのプリンター・複合機販売会社TA Triumph-Adler AGを連結子会社化
    • [128]2011年7月 デンマークの機械工具製造販売会社Unimerco Group A/Sを連結子会社化
    • [129]2011年8月 ベトナムに製造会社Kyocera Vietnam Co.,Ltd.を設立
    • [130]2012年2月 液晶ディスプレイ専業のオプトレックス㈱を連結子会社化
    • [131]2015年9月 パワー半導体メーカーの日本インター㈱を連結子会社化
    • [132]2017年8月 米国の空圧工具メーカーSenco Holdings,Inc.を連結子会社化
    • [133]2021年1月 GaN製レーザー製品の米国Soraa Laser Diode,Inc.を連結子会社化
  • 週刊東洋経済 2022年12月3日号「トップに直撃 京セラ 社長 谷本秀夫」
    • [134]谷本秀夫氏は2017年に京セラ社長へ就任

初の中期経営計画と、株主からの圧力

2008年4月、京セラは三洋電機の携帯電話端末事業を承継[135]した。KWCは設立以来黒字になったことがなく[136]、2005年9月中間期までに6期連続の赤字[137]を計上している。米国での携帯端末の世界シェアは2005年7〜9月期で1.0%の12位[138]にとどまり、カメラ事業は2005年春に実質撤退、資本参加してきたゲーム機大手のタイトーも同年に全株を手放した[139]谷本秀夫社長は後年、「私が若かった頃は、アメーバ経営を一生懸命やれば稲盛が先行投資を全部決めてくれていたが、稲盛が一線から退いたあとは、投資が少し弱くなった」[140]と振り返っている。

  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [135]2008年4月 三洋電機㈱の携帯電話端末事業等を承継
  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
    • [136]KWCは設立以来黒字になったことがなく6期連続赤字
    • [137]KWCは6期連続赤字
    • [138]京セラの携帯端末の世界シェアは2005年7〜9月期で1.0%の12位
    • [139]2005年春 カメラ事業から実質撤退/同年 タイトー全株を売却
  • 週刊東洋経済 2022年12月3日号「トップに直撃 京セラ 社長 谷本秀夫」
    • [140]谷本秀夫社長「私が若かった頃は、アメーバ経営を一生懸命やれば稲盛が先行投資を全部決めてくれていたが、稲盛が一線から退いたあとは、投資が少し弱くなった」

2023年、京セラは経営の原点に立ち返るとして創業以来初となる中期経営計画[141]を発表し、2026年3月期に売上高2.5兆円、税引前利益3,500億円、ROE7.0%以上[142]という目標を掲げた。しかし2025年3月期の売上高は2兆144億円、営業利益は前期比7割減の272億円[143]、純利益は76%減の240億円にとどまり、ROEは0.7%[144]まで落ちている。半導体有機パッケージはAIデータセンター向けの需要を取り込めず、工場の稼働率低下で430億円の減損損失[145]を計上した。2025年2月、京セラは中期経営計画を取り下げ、ノンコア事業からの撤退とKDDI株の一部売却を柱とする構造改革[146]を打ち出している。

  • 週刊東洋経済 2025年7月19日号「「アメーバ経営から逸脱」と批判 京セラにオアシスが「圧」」
    • [141]2023年 創業以来初の中期経営計画を発表(「経営の原点に立ち返る」)
    • [142]中計目標=2026年3月期に売上高2.5兆円・税引前利益3,500億円・ROE7.0%以上
    • [144]2025年3月期 純利益240億円(前期比76%減)・ROE0.7%
    • [145]半導体有機パッケージはAIデータセンター向け需要を取り込めず、稼働率低下で430億円の減損損失
    • [146]2025年2月 中期経営計画を取り下げ、ノンコア事業撤退・KDDI株一部売却を柱とする構造改革を発表
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [143]2025年3月期 売上高2兆144億円・営業利益272億円(前期比約7割減)

香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントは2025年5月15日にキャンペーンサイトを公開[147]し、120ページを超える調査資料で競合に大きく劣後していると指摘して7つの戦略提言[148]を打ち出した。6月26日の定時株主総会では5議案すべてが可決されたものの、山口悟郎会長と谷本秀夫社長の取締役再任への賛成率は約63%と約69%[149]にとどまり、取締役の任期を2年から1年へ改める定款変更[150]も決議されている。谷本秀夫社長は前期のROE0.7%を「非常にお恥ずかしい経営成績」と認めた[151]。2026年には半導体向け化学材料のケミカル事業を住友ベークライトへ約300億円で譲渡[152]し、サザンカールソンなど計2,000億円規模の非中核事業を整理[153]している。2027年3月期からは事業ごとにROIC目標を設けて残す事業と外す事業を選り分ける評価へ切り替え[154]、2026年4月に作島史朗氏が社長を引き継いだ[155]

  • 週刊東洋経済 2025年7月19日号「「アメーバ経営から逸脱」と批判 京セラにオアシスが「圧」」
    • [147]2025年5月15日 オアシス・マネジメントがキャンペーンサイトを公開
    • [148]調査資料は120ページ超。「競合に大きく劣後」と指摘し7つの戦略提言
    • [149]2025年6月26日の定時株主総会で5議案可決。山口悟郎会長の再任賛成率約63%・谷本秀夫社長約69%
    • [150]取締役の任期を2年から1年へ変更する定款変更を決議
  • 京セラ 2026年3月期第3四半期決算説明・経営改革プロジェクト進捗報告(2026年2月3日)
    • [151]谷本秀夫社長が前期ROE0.7%を「非常にお恥ずかしい経営成績」と認め経営改革の出発点とした
    • [154]2027年3月期からROICを基準とする事業評価を開始
    • [155]2026年4月 作島史朗氏が社長へ就任
  • 日本経済新聞「京セラ、「総花経営」脱却へ稼げる事業に資源集中 新社長に作島史朗氏」(2026年2月2日, 日本経済新聞社)
    • [152]2026年 ケミカル事業を住友ベークライトへ約300億円で譲渡
    • [153]サザンカールソン社など計2,000億円規模の非中核事業を整理
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
    • [135]2008年4月 三洋電機㈱の携帯電話端末事業等を承継
  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
    • [136]KWCは設立以来黒字になったことがなく6期連続赤字
    • [137]KWCは6期連続赤字
    • [138]京セラの携帯端末の世界シェアは2005年7〜9月期で1.0%の12位
    • [139]2005年春 カメラ事業から実質撤退/同年 タイトー全株を売却
  • 週刊東洋経済 2022年12月3日号「トップに直撃 京セラ 社長 谷本秀夫」
    • [140]谷本秀夫社長「私が若かった頃は、アメーバ経営を一生懸命やれば稲盛が先行投資を全部決めてくれていたが、稲盛が一線から退いたあとは、投資が少し弱くなった」
  • 週刊東洋経済 2025年7月19日号「「アメーバ経営から逸脱」と批判 京セラにオアシスが「圧」」
    • [141]2023年 創業以来初の中期経営計画を発表(「経営の原点に立ち返る」)
    • [142]中計目標=2026年3月期に売上高2.5兆円・税引前利益3,500億円・ROE7.0%以上
    • [144]2025年3月期 純利益240億円(前期比76%減)・ROE0.7%
    • [145]半導体有機パッケージはAIデータセンター向け需要を取り込めず、稼働率低下で430億円の減損損失
    • [146]2025年2月 中期経営計画を取り下げ、ノンコア事業撤退・KDDI株一部売却を柱とする構造改革を発表
    • [147]2025年5月15日 オアシス・マネジメントがキャンペーンサイトを公開
    • [148]調査資料は120ページ超。「競合に大きく劣後」と指摘し7つの戦略提言
    • [149]2025年6月26日の定時株主総会で5議案可決。山口悟郎会長の再任賛成率約63%・谷本秀夫社長約69%
    • [150]取締役の任期を2年から1年へ変更する定款変更を決議
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [143]2025年3月期 売上高2兆144億円・営業利益272億円(前期比約7割減)
  • 京セラ 2026年3月期第3四半期決算説明・経営改革プロジェクト進捗報告(2026年2月3日)
    • [151]谷本秀夫社長が前期ROE0.7%を「非常にお恥ずかしい経営成績」と認め経営改革の出発点とした
    • [154]2027年3月期からROICを基準とする事業評価を開始
    • [155]2026年4月 作島史朗氏が社長へ就任
  • 日本経済新聞「京セラ、「総花経営」脱却へ稼げる事業に資源集中 新社長に作島史朗氏」(2026年2月2日, 日本経済新聞社)
    • [152]2026年 ケミカル事業を住友ベークライトへ約300億円で譲渡
    • [153]サザンカールソン社など計2,000億円規模の非中核事業を整理

京セラの沿革1959〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
京都セラミックの設立と、持株第4位の技術者が経営の実権を握るまで所有では主導権を持てない27歳の技術者は、どの順序で発言力を手にしたか 詳細を読む★★★
IC向け基板をIBMに納入★★
販売会社Kyocera International, Inc.を設立
積層パッケージの量産投資・世界シェア70%を確保★★
販売会社Kyocera Fineceramics GmbHを設立
大阪証券取引所市場第二部に株式上場
東京証券取引所市場第二部に株式を上場
米国預託証券を発行
サイバネット工業・クレサンベール・日本キャスト・ニューメディカルを吸収合併★★
京セラに商号変更
第二電電(DDI)の設立と、京セラによる中心的出資本業のセラミックと無縁の通信事業に、京セラはなぜ中心となって出資したのか——巨大NTTへの新規参入という賭け 詳細を読む★★★
コネクタ事業のエルコインターナショナルを子会社化
AVX Corporationを株式交換で子会社化★★
中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyoceraを設立
セラミックパッケージの素材転換に失敗★★
稲盛和夫氏が代表取締役会長を退任
米クアルコムの携帯電話端末事業の承継と、6期連続赤字部品メーカーがなぜ完成品の世界市場へ出たのか——第二電電以来の端末事業を一気に広げる賭けと、その帰結 詳細を読む★★
京セラミタを子会社化
東芝ケミカルを株式交換方式で子会社化
川村誠三洋電機の携帯電話事業を取得(通信機器)★★
久芳徹夫TA Triumph-Adler AGを子会社化
久芳徹夫デンマークUnimerco Group A/Sを子会社化
久芳徹夫Kyocera Vietnam Management Co., Ltd.を設立
久芳徹夫液晶ディスプレイのオプトレックスを子会社化
谷本秀夫ニューヨーク証券取引所を上場廃止
谷本秀夫空圧・電動工具でグローバル展開
谷本秀夫AVX Corporationの非支配持分を全取得し完全子会社化
谷本秀夫減収減益・電子部品で販売不調へ
作島史朗中期経営計画の取り下げと、非中核事業の整理創業以来初めて立てた中期計画をなぜ2年で下ろしたのか——ROE0.7%と株主の圧力が迫った多角化の清算 詳細を読む★★★
作島史朗トッパンNECサーキットソリューションズを子会社化
作島史朗米 Senco と Fastener Topco を子会社化
出典・参考
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
  • 私の履歴書 稲盛和夫(日本経済新聞社, 2004)
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号「稲盛和夫・京都セラミック社長 技術開発 ご用聞きに不可能はない」
  • 会社総鑑 1963年版
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
  • 証券 1972年10月号(24巻10号・通巻283号)「京都セラミツク株式会社」
  • 週刊東洋経済 2022年12月3日号「トップに直撃 京セラ 社長 谷本秀夫」
  • 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
  • 週刊東洋経済 1998年11月14日号「企業変調!? 「次」が見えない京セラ」
  • 週刊東洋経済 1997年11月29日号「[ザ・トーク]稲盛和夫・京セラ取締役名誉会長/佐藤安弘・キリンビール社長」
  • 週刊東洋経済 1998年8月22日号「三田工業 倒産、粉飾も発覚 京セラ・稲盛氏の支援表明の真意はどこに?」
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「京セラ ケータイ・情報機器で加速 京都初1兆円企業の誕生」
  • 週刊東洋経済 2001年9月15日号「電子部品1万人リストラでわかった優等生・京セラの“底力”」
  • 週刊東洋経済 2025年7月19日号「「アメーバ経営から逸脱」と批判 京セラにオアシスが「圧」」
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 京セラ 2026年3月期第3四半期決算説明・経営改革プロジェクト進捗報告(2026年2月3日)
  • 日本経済新聞「京セラ、「総花経営」脱却へ稼げる事業に資源集中 新社長に作島史朗氏」(2026年2月2日, 日本経済新聞社)

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