1959年に稲盛和夫が京都市に京都セラミックを設立し、松風工業時代に培ったセラミック技術を基盤に電子部品メーカーとして出発した。創業3年目から米国市場を開拓し、1966年にIBMからIC用基板を受注して半導体パッケージ市場に参入。需要が不透明な段階で鹿児島に量産工場を先行建設し、世界シェア約70%を確保した。買収による多角化で事務機器・通信機器に事業を拡大したが、セラミックの素材転換で苦戦し、祖業の黒字で多角化事業を支える構造が形成された。
歴史概略
第1期: セラミック技術者の起業と半導体パッケージへの参入(1959〜1971)
京都の財界人に支えられた創業
1959年4月、松風工業でアルミナ磁器やフォルステライト磁器の開発に従事していた稲盛和夫は27歳で独立し、京都セラミック(現京セラ)を設立した。設立時の資本金は300万円であり、宮木電機の創業家が稲盛の「情熱」を評価してシード出資を行った。筆頭株主は宮木男也(4300株)であり、稲盛和夫(3500株)は4位にとどまった。稲盛が株式上場までに株式を買い戻して筆頭株主に転じた経緯は、技術者から経営者への転身過程で資本の主導権を回復していく過程でもあった。
創業期の主力製品はブラウン管テレビ向け絶縁部品「U字ケルシマ」であり、松下電器への月産20万本の量産を実現した。1963年には売上高8400万円・営業利益1190万円を計上し、従業員は129名に達した。創業翌年から黒字を確保する高収益体質は、以後の京セラを特徴づけるものとなった。
IBM受注と積層パッケージによる世界シェア70%
国内の大手電機メーカーから十分な信用を得られなかった京セラは、創業3年目から米国市場の開拓に着手した。稲盛は「日本の電子機器メーカーが米国企業から技術導入している以上、その大本で採用されれば日本でも販売しやすい」と考え、従業員100名以下の段階から渡米を重ねた。1966年にIBMからIC用アルミナ基板の受注に至り、半導体パッケージ市場への本格参入を果たした。
1969年には鹿児島県川内に新工場を建設し、セラミック積層パッケージの量産体制を構築した。稲盛自身が「ギャンブルに近い」と認識する需要不透明な段階での先行投資であった。1971年には国分にも工場を新設し、高度な焼成技術を量産工程に落とし込むことで他社の追随を困難にした。売上高は65億円(FY1971)から503億円(FY1978)へ急拡大し、1983年にはICパッケージで世界シェア約70%を確保した。
第2期: 多角化と素材転換の壁(1971〜2008)
買収による多角化と利益率の低下
1971年の株式上場後、京セラは買収を通じた多角化を本格化させた。1982年以降、光学精密機器(カメラ)や電子機器(通信・事務機)への進出を進め、1984年には第二電電企画(現KDDI)の設立時に出資して通信事業にも参画した。1990年には米AVX社を連結子会社化し、電子部品事業の海外基盤を強化した。
しかし多角化は利益率の低下を伴った。1994年時点でセラミック関連製品が400〜600億円の事業利益を確保する一方、光学精密機器は赤字、電子機器は100億円未満の利益にとどまった。祖業のセラミック関連製品の黒字が多角化事業の不振を支える構造が形成された。稲盛は中長期経営計画を策定せず「今日一日最善を尽くす」方針で経営したが、1985年に会長に退いた後は経営計画に基づく運営に移行した。
セラミックから樹脂への素材転換の苦戦
1990年代を通じて半導体パッケージの主流素材がセラミックから樹脂製へと転換した。競合のイビデンはいち早く樹脂製パッケージを開発し、1996年にインテルとの取引を開始した。セラミック中心の京セラは樹脂への転換で後れをとり、CPU向けパッケージのシェアをイビデンなどに奪われた。世界シェア70%を誇った祖業の競争優位が、素材のパラダイム転換によって侵食された。
2008年4月には経営危機の三洋電機から携帯電話事業を約500億円で取得し、アメーバ経営によるコスト改善で黒字化を図った。しかしスマートフォンの急速な普及で従来型携帯電話の市場が消滅し、コスト管理の精緻化では対応できない技術パラダイムの転換に直面した。アメーバ経営は既存市場の採算改善には有効であったが、市場構造の根本的変化に対しては無力であることが露呈した。
第3期: 事業再構築とグローバル展開(2008〜現在)
電子部品とドキュメントソリューションの二本柱
2010年代以降の京セラは、電子部品事業とドキュメントソリューション事業を軸に事業を再構築した。中国での現地生産は1995年に開始し、2004年には綾部工場で電子部品の増産体制を整備した。2011年にはベトナムでの現地生産も開始し、アジアを中心としたグローバル生産体制を拡充した。
2020年にはドイツのOPTIMAL SYSTEMS社を144億円で買収し、欧州におけるドキュメントソリューション事業を強化した。2021年には米Soraa Laser Diode社を買収して光デバイス分野にも進出するなど、事業ポートフォリオの拡充を継続している。ただしFY2024は電子部品の販売不調で減収減益となり、半導体市況と世界経済の動向に業績が左右される構造は変わっていない。
稲盛和夫の経営哲学とその影響
京セラは稲盛和夫の経営哲学、とりわけアメーバ経営で広く知られる。各部門を独立採算の小集団に分割し、部門間で社内取引を行うことで全社員にコスト意識を浸透させる手法である。三洋電機の携帯電話事業など外部からの事業取得においてもアメーバ経営の導入が再建の柱として位置づけられた。
一方、稲盛が1997年に会長を退任した後の京セラは、創業者個人の判断力に代わる組織的な経営体制の構築が課題となった。2019年には空圧・電動工具でグローバル展開を進めるなど事業領域の拡大を続けているが、セラミックパッケージで世界を制した時代の集中度と収益性は、多角化の進展とともに薄まっている。創業者が「戦略なき経営」で築いた企業を、経営計画と組織力でいかに発展させるかが、京セラの現在の課題である。
京セラは稲盛和夫が創業した企業であるが、設立時の資本構成では宮木電機の関係者が上位株主を占め、稲盛は4位であった。技術者としての情熱を評価されて京都財界からシード資金を調達したこの構造は、創業者が必ずしも資本面で支配権を持たない起業の一形態である。稲盛が株式上場までに株式を買い戻して筆頭株主に転じた経緯は、技術者から経営者への転身過程で資本面の主導権を回復していく過程でもあった。