京セラの歴史
1959年〜稲盛和夫氏の京都セラミック設立と積層パッケージの世界シェア7割
- 京都セラミックとして設立[3]
- 東京出張所を開設[3]
- 滋賀蒲生工場(現 滋賀東近江工場)を建設[3]
- IC向け基板をIBMに納入
- 稲盛和夫氏が社長に就任[4]
- 第1回中小企業研究センター賞を受賞[5]
- 米国カリフォルニア州に駐在員事務所を開設[5]
- 販売会社Kyocera International, Inc.を設立[3]
- 鹿児島工場(現 鹿児島川内工場)を新設[5]
- 積層パッケージの量産投資・世界シェア70%を確保
- 国内販売会社として京セラ商事を設立[3]
- 京都セラミックと京セラ商事を吸収合併[3]
筆者所見
京都セラミックの米国開拓は、国際化の志というより、国内で信用を得られない新興企業の迂回策だった。創業3年目から、米国の技術の本家で採用されれば日本でも売れると見込み、フェアチャイルド向けのセラミック・ヘッダーを量産した[1]。1963年と64年の渡米は受注ゼロに終わり、3度目の1965年にTIのNASA向け部品を受注した[2]。米国大手の採用実績は、国内の顧客を説得する保証書になった。海外の顧客を先に得た順序が、その後の営業の基本方針になった。
- [1]証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年「京セラの海外展開と通信事業戦略」
- [2]日経ビジネス 1973年7月9日号「稲盛和夫・京都セラミック社長 技術開発 ご用聞きに不可能はない」
1971年〜米国預託証券の発行と京セラへの商号変更
- 販売会社Kyocera Fineceramics GmbHを設立[3]
- フェアチャイルドのサンディエゴのセラミック工場を買収[8]
- 大阪証券取引所市場第二部に株式上場[3]
- 大規模集積回路用セラミック多層パッケージの開発で大河内記念生産特賞を受賞[5]
- 京都市山科区の新社屋へ本社を移転[5]
- 東京証券取引所市場第二部に株式を上場[3]
- 鹿児島国分工場を建設[3]
- 東京・大阪証券取引所の市場第1部に指定替え[5]
- 株価2,990円でソニーを抜き株価日本一[9]
- 米国預託証券を発行[3]
- 香港のKyocera (Hong Kong)が営業開始[5]
- サイバネット工業に資本参加[5]
- 鹿児島国分工場敷地内に総合研究所(現 きりしまR&Dセンター)を建設[3]
- ニューヨーク証券取引所に株式を上場[3]
- 滋賀八日市工場(現 滋賀東近江工場)を建設[3]
- サイバネット工業・クレサンベール・日本キャスト・ニューメディカルを吸収合併[3]
- 京セラに商号変更[3]
- ヤシカとの合併を発表[10]
- 鹿児島エレクトロニクスを合併[5]
- ヤシカを合併[5]
筆者所見
京都セラミックにとって株価は、評価の結果である以上に、事業拡大の資金を引き出す道具だった。上場時から時価発行を重ね、株数を抑えて手取り資金を事業拡大に充てた[6]。1976年のADRも、稲盛和夫氏が自らニューヨークで仕組みと問題点を確かめたうえで発行を決めた[7]。銀行借入より株主資本で成長を賄う方針は、高収益の部品事業だからこそ成り立った。株式市場を資金源とする発想は1980年のニューヨーク上場へ続き、米国基準の開示を長く自らに課した。
- [6]日経ビジネス 1975年12月8日「編集長インタビュー 稲盛和夫氏」
- [7]野田経済 1249号 1976年4月7日「経営に不変の原則を――京都セラミック社長 稲盛和夫氏」
1984年〜第二電電への出資とAVXの子会社化
- 稲盛財団の設立を支援[5]
- 第二電電(DDI)設立[3]
- 千葉県佐倉市にソーラーエネルギーセンターを新設[5]
- ドイツにKyocera Electronics Europe GmbHを設立[5]
- 安城欽寿氏が社長に就任[13]
- 米国にKyocera AmericaとKyocera Electronicsを設立[5]
- メキシコにKyocera Mexicanaを設立[5]
- コネクタ事業のエルコインターナショナルを子会社化[3]
- AVX Corporationを株式交換で子会社化[3]
- 米国にKyocera Industrial Ceramicsを設立[5]
- 京セラ環境憲章を制定[5]
- 任天堂など20社の出資で京都パープルサンガを設立[5]
- 横浜R&Dセンター(現 横浜事業所)を建設[3]
- 関西文化学術研究都市に中央研究所(現 けいはんなリサーチセンター)を建設[3]
- AVXがニューヨーク証券取引所に再上場[14]
- 中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyoceraを設立[15]
- 京セラコミュニケーションシステムを設立[3]
- 中国上海に製造会社Shanghai Kyocera Electronicsを設立[16]
- セラミックパッケージの素材転換に失敗
- 京セラソーラーコーポレーションを設立[16]
筆者所見
第二電電への出資は、通信への多角化というより、本体の外で事業を育てる投資の発想に立っていた。上場すれば投資が化け、失敗しても損失は出資分にとどまるという計算が前提にあった[11]。異業種の事業は、本体で管理するより外に置いて上場で価値を実現するほうが適していた。サイバネット工業とヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持株30%以下の緩やかな関係で出資先を育てる方針に転じた[12]。本体に取り込まない多角化は、本体の売上の代わりに最大の含み資産を残した。
- [11]日経ビジネス 1985年3月18日「強さの研究。京セラ 稲盛式キャピタリズム」
- [12]日経ビジネス 1988年2月15日「京セラ 川下戦略の展開はいかに」
1997年〜稲盛和夫氏の会長退任と京セラミタ・三洋電機携帯事業の買収
- 稲盛和夫氏が代表取締役会長を退任
- 京都市伏見区に本社新社屋を建設[3]
- KCCSがDDIと共同でインターネット・データセンターを開設[20]
- 三田工業が京セラミタに商号変更[21]
- 米クアルコムの端末事業承継[3]
- 京セラミタを子会社化[3]
- 京セラ経営委員会を設置[16]
- 中国東莞に複合機の製造会社Kyocera Mita Office Equipment (Dongguan)を設立[3]
- 京セラドキュメントソリューションズがプリンター事業を承継[3]
- 東芝ケミカルを株式交換方式で子会社化[3]
- 中国天津に太陽電池の製造会社Kyocera (Tianjin) Solar Energyを設立[16]
- 水晶部品事業のキンセキを株式交換方式で連結子会社化[3]
- 神戸製鋼所と医療材料事業を会社分割し日本メディカルマテリアルを設立[3]
- 三洋電機の携帯電話事業を取得(通信機器)[3]
筆者所見
稲盛和夫氏の退任後の京セラは、アメーバ経営を買収先の再建手段として社外へ持ち出した。京セラミタでは関浩二氏がアメーバ経営を導入し、経常利益を前期の約2倍に高め、更生計画を7年前倒しで終えた[17]。部門別の採算を日々問う仕組みは、原価で収益が決まる事務機でよく効いた。クアルコムの端末事業承継で得た米国の端末事業は製造を外部へ委託し、三洋電機から承継した端末事業も赤字で始まった[18][19]。価格と開発の速さで争う完成品に、原価管理だけでは届かなかった。
- [17]日経ビジネス 2002年1月28日「京セラミタ “アメーバ経営”でおっとり社風刷新」
- [18]京セラ ニュースリリース 2005年5月5日「京セラグループ移動体通信機器事業の強化について」
- [19]京セラ 決算説明会 質疑応答 2008年7月30日
2009年〜TA Triumph-Adler・オプトレックスの買収とNYSE上場廃止
- TA Triumph-Adler AGを子会社化[3]
- 米国Kyocera WirelessなどをKyocera Communicationsに統合[5]
- インドにKyocera Asia Pacific (India)を設立[5]
- 滋賀野洲事業所内に太陽電池セルの工場を竣工[5]
- ソニーモバイルディスプレイ野洲事業所のTFT液晶ディスプレイ事業を承継[5]
- デンマークUnimerco Group A/Sを子会社化[3]
- Kyocera Vietnam Management Co., Ltd.を設立[3]
- 液晶ディスプレイのオプトレックスを子会社化[3]
- インドに切削工具の製造を行うKyocera CTC Precision Toolsを設立[5]
- プリント配線板のトッパンNECサーキットソリューションズを連結子会社化[3]
- 京セラサーキットソリューションズを京セラSLCテクノロジーに統合[3]
- パワー半導体メーカーの日本インターを連結子会社化[3]
- 京セラサーキットソリューションズと京セラケミカルを吸収合併[3]
- 日本インターを吸収合併[3]
- 京セラメディカル・京セラクリスタルデバイス・京セラコネクタプロダクツを吸収合併[3]
- 米国の空圧工具メーカーSenco Holdingsを連結子会社化[3]
- リョービの電動工具事業を承継した京セラインダストリアルツールズを連結子会社化[3]
- ニューヨーク証券取引所を上場廃止[3]
- 京セラディスプレイと京セラオプテックを吸収合併[3]
- 空圧・電動工具でグローバル展開
- 横浜みなとみらい21地区にみなとみらいリサーチセンターを設立[3]
- 米国の空圧・電動工具販売会社の持株会社Fastener Topcoを連結子会社化[3]
筆者所見
2010年代の京セラは、出資先を外で育てるかつての方針を改め、子会社を本体へ吸収する集権へ転じた。久芳徹夫氏は社長就任後にM&Aを毎年実施したが、過去10年の売上はほぼ横ばいで、案件も小型だった[22]。2016年以降は投資余力の乏しい子会社を相次いで吸収合併し、子会社任せから京セラ主導へ切り替えた[23]。買収の積み重ねでは規模は伸びず、本体の資本で投資を決める体制が必要だった。その集権の延長に、2020年のAVXの完全子会社化がある。
- [22]京セラ 2012年3月期 第2四半期 決算説明会 主な質疑応答 2011年10月28日
- [23]京セラ 2016年3月期 第3四半期 決算カンファレンスコール 主な質疑応答 2016年1月29日
2020年〜AVXの完全子会社化と中期経営計画の取り下げ
- AVX Corporationの非支配持分を全取得し完全子会社化[3]
- 京セラコミュニケーションシステムが京セラソーラーコーポレーションを吸収合併[26]
- 光学部品メーカーの昭和オプトロニクスを連結子会社化[3]
- GaN製レーザー製品の米国Soraa Laser Diodeを連結子会社化[3]
- ケミカル製品のUL認証不正
- 東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場に移行[3]
- 鹿児島国分工場敷地内に3部門を集約したきりしまR&Dセンターを建設[3]
- 減収減益・電子部品で販売不調へ
- 滋賀蒲生工場と滋賀八日市工場を統合し滋賀東近江工場に名称変更[3]
- KDDI株売却と計画撤回[15]
- トッパンNECサーキットソリューションズを子会社化[15]
- 米 Senco と Fastener Topco を子会社化[15]
- KDDI株式の売却益を計上[27]
- モニタリングボードへの移行
- 作島史朗氏が社長に就任[28]
- KDDI株式の売却益を計上[27]
- オアシス・マネジメントの株主提案を定時株主総会で否決[27]
筆者所見
構造改革を支える原資は、40年前の第二電電への出資だった。政策保有株式の簿価の9割以上をKDDI株式が占め、京セラは2年間で計5000億円規模の売却を決めた[24][25]。本業の半導体部品で減損と増産投資の停止を迫られるなか、通信への出資が改革の資金を賄う。外で育てた事業の果実を本業の立て直しに充てる構図は、グレーター京セラ構想の帰結と言える。監査等委員会設置会社への移行は、その資金の使途を取締役会が監督する体制を整える措置になった。
- [24]京セラ 質疑応答 2023年5月16日(2023年3月期通期 決算説明会)
- [25]京セラ 決算説明会 2025年2月3日(2025年3月期第3四半期)