ピアニストになることを諦めた佐藤研一郎氏(ローム創業者・当時23歳)は、特技であった電子部品工作で起業を決意。地元の京都市内にて、小型抵抗器の製造を行うために「東洋電具製作所(現ローム)」を個人創業した
私はコンサートピアニストになりたかったのですが、ピアノはオーケストラの中に入れない。協奏曲で共演はできるが、オーケストラの団員にはなれない。協調性のない楽器です。その代わり、個性を持っていないと役に立たない楽器。自分には性に合っていたが、一流になれないと思ったから諦めた
京都市内の本社工場が手狭になったことを受けて、岡山県笠岡に生産子会社を設立。ロームは付加価値の高い前工程を本社工場で、単純作業の多い後工程を生産子会社で行う体制を構築
ICの普及を受けて、佐藤研一郎氏は抵抗器の需要がなくなることを危惧。巨額投資が必要となるICに参入することを宣言。当時のロームの売上高は40億円前後であり、京都の中小企業に過ぎなかった
記者の問:1967年には抵抗器の未来を見限って半導体に参入するなど、現在のロームの礎を築くことができたのは、社長の先見性に負うところが大きい。人との接触がお好きでないとすれば、どこから情報を得ているんですか。
佐藤研一郎氏:僕は雑誌とか本とか活字を読むのは大好きでしたから。ICが出現して抵抗器を駆逐する、という記事を読んで、これは大変な時代になると直感的に思いました。やがて廃れるとわかっているものに、しがみついているのはおかしい。安定した生活が続いて欲しいという願望と、変化が目前まで近づいている、という現実とは違うんですよね。多少苦しくても、乗り越えて行かなきゃならない。
佐藤研一郎氏:ところが大部分の人は、「そんなこと言ったって、実際に起こるのはもっと先だろう」なんて考えちゃう。僕は非常に素直に「あ、これは本当にICの時代が来るかもしれない。しかもそんなに遠くないぞ」と受け止めただけです。
オイルショックによる不況でロームは過剰在庫の問題に直面。倒産の危機に陥り、不渡りを回避するために佐藤研一郎氏が銀行に日参するなど、経営が危機的な状況へ
営業部門の人たちの死に物狂いの販売努力、そして毎日毎日新幹線で集金した金を抱えて本社へ走り込んできた東京営業所の人たち、不渡りを回避するために不安と疲労の極限に達しながら、誰一人不満ひとついうことなく、朝から夜中まで資金繰りに奔走してくれた経理の人たち。私は今でも昨日のように生々しく脳裏に焼き付いて離れない
ICの需要が徐々に上向くにつれて、ロームの業績も回復。海外展開を見据えて「東洋電具製作所」から「ローム」に商号を変更
技術開発への投資を開始。ただし、半導体は数世代前のカスタム品に特化し、大企業との競合を回避
記者の問:半導体の中でも超微細加工の必要な先端メモリーには参入せず、半歩遅れたプロセスで半歩進んだカスタムICを作り上げて大手と伍してきた。これも自然体の結果ですか。
佐藤研一郎氏:いちばん速く先端を走ると、やっぱり叩かれますし、先端を走っているグループからは、蹴飛ばされます。高井技術力を持った強い部品メーカーは、いっぱいあるわけですから。「うちは皆さんが皆さんが皆さんが落っことしていったものを頂いて、謙虚にいきましょう」ということです。これは生活の知恵かもしれませんし、僕の性格じゃないかと思いますね。
佐藤研一郎氏:もちろん局地戦だけなら勝てる可能性もないわけじゃない。しかし、正面からぶつかっては、まだまだ力不足なんじゃないでしょうか。自分たちの限られたマンパワー、限られた技術、限られた営業力を過信もしないし、過小評価もしない。届いもしないぶどうに跳びついた、イソップ物語の狐のような真似だけはしたくありません。
タイに製造現地子会社を設立
フィリピンに製造現地子会社を設立
マレーシアに製造現地子会社を設立
部品メーカーとしてロームは単独で値上げを決断。カスタム品が中心だったこともあり、顧客との取引中止は最小限に抑えた。この結果、ロームは利益率を改善
リストラを決意したのは、90年9月中間決算の時でした。上期の売上高は814億9900万円で当初の予想どおりだったんですが、売上高営業利益率が2%台にまで落ち込んでいました。これはおかしいということで調べさせたら、重大な社内規則違反があったんです。売り上げは伸びているのに営業利益が下がっているのは、値下げをしていたからです。(略)営業が勝手に値下げをして売っていたのですね。
そこで、その年の9月と10月の2度にわたり、「経営効率の改善を目指して」と題する通達のようなものを、社員に向けて出しました。当社が、投資を回収するのに時間がかかる商売に巨額の設備投資をしている実態を示し、使用総資本営業利益率(営業利益を総資産で割ったもの)を改善するように求めたんです。具体的には商品点数の絞り込み、採算の取れない小口注文の受注を断れと命じました。
LSI Logic Corporationから工場を買収(稼働は1995年より)。PCおよびテレビ向けのダイオードの生産拠点として活用
FY2005からFY2006にかけて、ローム浜松に約400億円を投資
FY2007に80億円を投資。以後、毎年約60億円〜130億円の投資を10年以上にわたって継続。東南アジアではタイとフィリピンの2拠点に集中投資し、韓国・中国(大連・天津)への投資は抑制
ロームとして巨額買収を決定。株式の95%を取得。ただし、直後にリーマンショックが発生し、半導体事業の拠点だった八王子工場の閉鎖を決定するなど、苦しい展開に
生産子会社ローム甘木(福岡県)を解散。正社員は解雇。10%の従業員は福岡市内のロームアポロで受け入れへ
米系投資ファンド・ブランデス・インベストメント・パートナーズ・エル・ピーがロームに対して資産圧縮を要求。ロームは要求を途絶。株主総会で自己株取得の賛成比率28%で否決へ
佐藤研一郎氏は代表権のない「名誉会長」に就任
希望退職者の募集以外に、国内子会社・海外子会社を含めて人員減へ
ラピスセミコンダクタ(旧沖電気)の工場跡地。売却先は大和ハウス。東京都八王子市東浅川町550番1および549番6