1946年〜 電卓による市場創造と海外展開の起点を築いた時代
カシオ計算機の業績推移:単体
- 1946年 カシオ計算機創業——三鷹の下請け町工場から世界初の小型純電気式計算機14-Aへ 下請けでは将来がないと見た長男・樫尾忠雄氏と逓信省を退いた次男ら四兄弟は、約8年がかりのリレー式計算機開発をどう世界初の小型計算機14-Aの事業化に結びつけたか
- 1957年 世界初の小型純電気式計算機「14-A」の商品化とカシオ計算機の設立 部品下請けの町工場は、なぜ7年をかけて自前の計算機開発に賭けたのか
- 1960年 東京工場が竣工
- 1965年 電子式卓上計算機発売
- 1970年 Casio,Inc.設立、東京証券取引所二部に上場
- 1972年 個人向け電卓「カシオミニ」の12,800円での発売 事務用の高級機か、一家に一台の日用品か——電卓の常識をどう壊したか
- 1974年 デジタル電子腕時計「カシオトロン」の発売と時計事業への参入 電卓競争からの逃げ道か、電子技術の必然か——なぜ時計に踏み込んだのか
樫尾4兄弟と世界初の純電気式計算機14-Aの誕生
1946年4月、樫尾忠雄ら樫尾4兄弟は東京都三鷹市に樫尾製作所を設立した。戦後復興期の町工場にすぎなかったが、1957年6月に世界初の小型純電気式計算機「14-A」を商品化し、同時にカシオ計算機株式会社を設立した。当時の計算機市場は機械式かリレー式が主流で、真空管式の部屋一室規模の電子計算機は一部にあったが、事務机の上に置ける純電気式小型機はまだ世界になかった。14-Aはリレー方式を精密に組み上げた製品で、カシオを計算機業界の主要プレーヤーへ押し上げた一台となった。戦後の物資不足のなかで小型純電気式計算機を独力で量産した事実が、町工場から全国メーカーへの飛躍を支えた。 [1][2][3]
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1946年4月 樫尾忠雄氏ら樫尾4兄弟が東京都三鷹市に樫尾製作所を創業
- [2]1957年6月 世界初の小型純電気式計算機「14-A」商品化、同月カシオ計算機株式会社を設立
- [3]当時の計算機は機械式・リレー式が主流
1960年4月に東京都東大和市の東京工場を完成させて量産体制を整え、1965年9月には電子式卓上計算機を発売した。リレー式から電子式への世代交代を自ら先導する形で、1960年代後半からの電卓戦争の主戦場に立った。樫尾忠雄は当時、技術更新の衝撃をのちに振り返っている。「1964年7月、シャープは電子式計算機を発売した。その少し前のビジネスシヨウで、私はシャープ、大井電気など数社が出品した電子式計算機を見た。そのコンパクトさ。しかも、性能はリレー式に見劣りしないという。『これはえらいことになった』。背中に冷水を浴びせられた気持ちだった」(日経新聞 私の履歴書 1991/08/23)。シャープ・キヤノン・ソニー・東芝など大手が電卓の小型化と低価格化で競り合う時代に、カシオは技術と価格の両面で攻防の中心に立った。 [4][5]
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1960年4月 東京都東大和市に東京工場完成
- [5]1965年9月 電子式卓上計算機発売
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1946年4月 樫尾忠雄氏ら樫尾4兄弟が東京都三鷹市に樫尾製作所を創業
- [2]1957年6月 世界初の小型純電気式計算機「14-A」商品化、同月カシオ計算機株式会社を設立
- [3]当時の計算機は機械式・リレー式が主流
- [4]1960年4月 東京都東大和市に東京工場完成
- [5]1965年9月 電子式卓上計算機発売
カシオミニの衝撃と電卓戦争を制した価格破壊の実現
1970年5月、カシオはニューヨーク州に米Casio, Inc.を設立して海外販売拠点を確保すると同時に、東京証券取引所二部に株式を上場した。電卓戦争が激化するなか、1972年8月に「カシオミニ」を12,800円で発売して個人向けパーソナル電卓市場を生み出した。社内外の反応は厳しく、「6ケタ表示(10万円単位までしか計算できない)のような、おもちゃみたいな電卓が作れるか」(日経ビジネス 1990/01/01)という批判を押し切る決断だった。日経ビジネスは後年、「1972年8月に発売した6ケタ電卓『カシオミニ』。当時の常識、電卓は8ケタ以上の事務所用で価格は3万円以上、を破る12,800円で個人向けに売り出したところ、わずか1年半の間に200万台を越すベストセラーとなった」(日経ビジネス 1975/04/14)と記した。同月に東証一部指定替え、10月にドイツのハンブルクに独Casio Computer GmbHを設立した。1973年3月には八王子工場も完成した。 [6][7][8][9][10][11]
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [6]1970年5月 ニューヨーク州に現地販売会社Casio,Inc.を設立
- [7]1972年8月 「カシオミニ」を発売しパーソナル電卓の市場を確立
- [9]1972年8月 東京証券取引所第一部に指定替え
- [10]1972年10月 ハンブルグに現地販売会社Casio Computer Co.,GmbH Deutschlandを設立
- [11]1973年3月 八王子工場(現・八王子技術センター)完成
- 日経ビジネス(1975年4月14日)
- [8]カシオミニ発売価格 12,800円
樫尾忠雄は当時の戦略意図をこう説明している。「当社は新しいものをつくれば売れるということではなく、どうすればより社会に寄与できるか、つまり一般の利用者が何を望んでいるか、どのような商品がより多くの人々に使ってもらえるか、ということを前提にしてきた」(証券アナリストジャーナル 1972/10)。「当社は、なんとか需要を開拓したい。必要としている人々に製品を届けるのがメーカーの使命であると考え、家庭向け商品の開発に取り組んできた」(同)。同業他社からは「5万円以下の電卓を市販するなんて、まったくメチャクチャですわ」(実業往来 1971/09)との反発もあった。日経ビジネスはのちに「安値電卓でつかんだ傷だらけの王座」(日経ビジネス 1975/04/14)と評し、価格政策の王道を実践して減益も受け入れた実態を伝えた。
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [6]1970年5月 ニューヨーク州に現地販売会社Casio,Inc.を設立
- [7]1972年8月 「カシオミニ」を発売しパーソナル電卓の市場を確立
- [9]1972年8月 東京証券取引所第一部に指定替え
- [10]1972年10月 ハンブルグに現地販売会社Casio Computer Co.,GmbH Deutschlandを設立
- [11]1973年3月 八王子工場(現・八王子技術センター)完成
- 日経ビジネス(1975年4月14日)
- [8]カシオミニ発売価格 12,800円
時計事業への越境とLSIカスタム化の選択
カシオミニの成功は、会社を需要創造型のオンリーワン商品路線に決定づけた。1974年5月、電子腕時計を発売して時計事業に参入した。参入理由について樫尾忠雄はこう語っている。「当社のデジタル電子腕時計への進出について、電卓競争が厳しく、経営の多角化を余儀なくされたとお考えの向きもあると思う。しかし、事実は電子の応用技術の開発が、この事業化に乗り出すきっかけとなったのである」(証券アナリストジャーナル 1976/03)。月刊経済には懸念が示され、「今回、同社がデジタル表示式の全電子ウオッチに進出したということは一つの賭けでもある。時計業界進出によってつなぎの資金をつけることはできるが、これに失敗すれば、銀行なり、商社の管理下に置かれることになる」(月刊経済 1975/01)と書かれた。
技術基盤の選択でも分岐があった。日経ビジネスは「電卓の主要部分はトランジスタからIC、LSIへと目まぐるしく変わった。LSIの時代が来た時、電卓メーカーには一つの選択が待っていた。LSIメーカーの作る標準品を使うか、特注品(カスタムメード)を発注するかである。多くのメーカーはスタンダードLSIの価格の安さに魅せられスタンダードを選んだ。カスタムを選択したのは世界の電卓メーカーの中で、カシオ計算機、シャープ、これにTIの3社だった」(日経ビジネス 1979/10/08)と伝えた。標準品ではなく特注LSIを選んだ判断が、後の時計・楽器・電子辞書への技術展開を支えた。1975年9月にはロンドンにCasio Electronics、1979年7月には香港Casio Computer (HK)と山形カシオを相次いで設立し、羽村技術センターを同年完成した。開発・生産・販売の三位一体で国際展開の基盤が整い、G-SHOCKやカシオトーンへつながる成長路線の土台が据わった。 [12][13]
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [12]1975年9月 ロンドンに現地販売会社Casio Electronics Co.Ltd.を設立
- [13]1979年7月 東京都羽村市に羽村技術センター完成(本文は「同年完成」=1979年)
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [12]1975年9月 ロンドンに現地販売会社Casio Electronics Co.Ltd.を設立
- [13]1979年7月 東京都羽村市に羽村技術センター完成(本文は「同年完成」=1979年)