松下通信工業に勤務していた内山康(当時29歳)が独立を決意し、1960年に「有限会社東京ITV研究所」を創業した。
創業時から「世の中にないものを作る」という理念を掲げていたというが、当初は松下電器向けに「X線ビデオカメラ」の受託開発を行なっていた。
下請けから脱却し、事業の本格展開のため、新規事業に参入。当時普及しつつあったビデオテープに使用する「磁気テープ」の品質を検査するための「テンションアナライザー」を開発し、検査装置事業に本格参入した。
磁気テープの幅が一定であることを計測するために、二台のカメラを用いた装置を開発した。
この結果、光学技術を各種製造装置に応用させることが、今日に至るまでレーザーテックの特色となった。
もちろん、独立したときにずっと下請けをやろうとは誰も思わないのですが、製造が得意だと結果的に下請けになってしまう場合が多い。私は特に設計開発をしてましたから、やはりなんとか自分のところのオリジナルなブランドを作りたいという気持ちは大きかったです。
光学技術を応用して、顕微鏡の関連部品を開発した。
続いて、1980年代には顕微鏡の製造に参入し、好況・不況の波が激しい検査装置事業の影響を緩和するために、安定した需要がある顕微鏡の事業を継続した
半導体製造における回路印刷(露光)に必要になる「フォトマスク」に関して、フォトマスクに欠陥がないかを判別するための検査装置「フォトマクス欠陥検査装置」を世界で初めて開発した。フォトマスク向けの検査装置が、2022年の現在に至るまでレーザーテックの主力事業に育ったため、同社の歴史におけるもっとも重要な製品開発である。
1970年代は半導体の量産工程が自動化されていく黎明期であり、フォトマスクという技術が登場した時期であった。だが、当時はフォトマスクに問題がないことを検査するためには人手が必要で、顕微鏡を覗いてマスクに描かれた回路に不良箇所がないかを調査しており、信頼性や過酷な労働が問題になっていた。
労働集約的なフォトマスクの検査工程に着目し、レーザーテックは二台のカメラを活用した「Die to Die」という検査方式を開発。フォトマスクに隣接する2つのチップをカメラで捉えて、これらの画像を比較することによって、正常かどうかを判断する技術を開発した。
この技術は、ビデオテープの検査装置に活用されたものであり、半導体向けのフォトマスク検査装置にも技術が応用された。
日本はアメリカを追い越しつつあるといわれているが、新しいタイプのLSIの発明や、LSIの製作または検査のための装置の開発に関しては、アメリカに遥かに及ばない。われわれは30名ばかりの陣容で、アメリカに先駆けてLSIフォトマスク決算検査装置を開発し、日本のLSIの品質、歩留まりの向上に大きく貢献した。アメリカにおいては、我々よりも1年ばかり遅れて同じような目的に使う検査装置が発表された。このようなLSI関係の高度の装置を、日本の方が先に開発したのは珍しいといわれている。
フォトマスク検査装置が好調で増収増益を達成。ただし、翌年からの半導体不況により減収減益となったため、この時点の業績が上場前のピークであった
1990年にレーザーテックは株式を店頭登録し、上場の準備に入った。
1991年に公表した有価証券報告書によれば、同社の従業員数は55名、売上高25億円、経常利益6.9億円であり、中小企業であった。
取締役は6名、監査役は3名で、このうち代表取締役社長(内山康)、取締役製造部長、常務監査役の3名が、松下通信工業の出身であり、レーザーテックが「松下通信工業を退職した人々」を中心に経営されていた
フォトマスク欠陥装置のパタン相互比較方式において、世界シェア70%を確保。競合のKLA社が30%を確保し、2社で市場を独占した。
1992年に創業者である内山康が社長が61歳の若さで急逝した。以後、レーザーテックは生え抜き出身の社長が歴任する体制となり、株式上場を2005年まで見送る形となった。
事業面でも1990年代を通じて経営に苦戦。日本における半導体産業の低迷によってフォトマスクの検査装置の販売も低迷し、年間数台を販売するにとどまった。
当時のレーザーテックの取引先は、ニコン(半導体製造装置)やシャープ(液晶パネルの製造)であり、日本企業が主体であたったため、日本の半導体産業の競争力低下が直撃した。
フォトマスク検査装置の販売台数が減少。前年度比で売上高が約30%減少して営業赤字に転落したことに加え、内山元社長の逝去による役員退職慰労金5.2億円の特別損失を計上。この結果、6.7億円の最終赤字に転落
衰退する日本の半導体産業と訣別するために、2000年代を通じてレーザーテックはグローバル展開を本格化した。2002年には韓国ソウル、2006年には台湾に支社を設立した。
半導体の製造国として台頭しつつあった「台湾・韓国」を中心としたアジアでの営業を強化した結果、2007年までに群創光電(台湾)やLG(韓国)といった現地の半導体メーカーへの装置納入に成功。この結果、2003年から2007年にかけてレーザーテックは増収を達成した
岡林理氏がレーザーテックの社長に就任し、半導体関連装置を重視する方針を打ち出した。以後、2022年の現在に至るまで、岡林氏がレーザーテックの社長を歴任している。
リーマンショックによって半導体企業の設備投資がストップし、レーザーテックの業績も悪化した。この結果、2009年にレーザーテックは最終赤字に転落した。
2011年にレーザーテックは、官民共同による「EUV露光基盤開発センター」から、EUV(極端紫外線)に対応したマスクブランクスの検査装置の開発を依頼されたことを受けて、EUV向けの検査装置の開発を決定した。
半導体業界では回路の微細化が進行するにつれて、従来のアルゴン・フッ素による光源(ArF)では、7ナノよりも狭い回路描画に技術的な限界があったことから、新しい光源としてEUVが注目されつつあった。ただし、2011年の時点で、EUVには技術的に解決すべき問題が山積しており、莫大な研究開発投資が必要なことも予想され、将来の半導体製造装置の主流技術になる保証はなかった。
このように、将来が不確定な状況において、レーザーテックはEUVに対応したマスクブランクスの検査装置の開発を決断した。なお、決断を下した内林社長は、成功する確信はなかったものの、競合会社が開発に参入していない状況をチャンスと捉えて、あえてリスクを伴った開発の決断を下した。
以後、レーザーテックは2010年代を通じて研究開発費を投じて開発を推進。2012年度から2021年度までの10年間でレーザーテックは研究開発費を累計229億円投資し、EUV向けのマスクブランクス・マスクの検査装置の開発で独走した。
大企業は固定費がかさむため、大きな市場でないと参入しにくい。ペイしない規模の市場には挑戦すらできない。一方、われわれのような中小企業は少人数の開発グループで機動力を高め、小さい市場やペイするか未知数の市場にも挑戦できる。EUVはたまたま成功したが、何年か前は本当に成功するかわからなかった。そこをわれわれは狙った。
数年の研究期間を経て、レーザーテックはEUV向けのマスクブランクスの検査装置を、世界で初めて開発に成功した。
この結果、2010年代後半以降にレーザーテックは、TSMC(台湾) 、Samsung(韓国)、Intel(米国)の各社を顧客に抱えて、半導体メーカーのサプライヤーとして重要な地位を占めるに至った。
半導体業界ではコンピューターの世の中への普及に伴って、チップの需要が増大したことから、2010年代後半に半導体製造工場への莫大な投資を開始。これを受けて、微細化に対応するために半導体製造装置にEUV光源を採用したことから、レーザーテックのEUV向けマスクの検査装置(1台数十億円とも言われる)の販売も急激に拡大した。
2017年度のレーザーテックの売上高は173億円であったが、EUVの普及を受けて、2021年度に売上高702億円を達成し、急成長企業として注目を浴びた。
EUV向けは競合会社が開発に成功しておらず、レーザーテックが世界シェア100%を確保しており、高収益も確保した。
この結果、高収益かつ急成長企業としてレーザーテックは注目を集め、ブラックロックなどの海外の機関投資家も株式を買い集めた結果、2022年には時価総額が2兆円を突破した。
ただし、レーザーテックの業績は顧客の半導体製造装置の購入動向(=半導体製造への設備投資)に依存しており、TSMC、Samsung、Intelによる半導体への投資が、今後下火になった場合、レーザーテックの業績に打撃となる可能性もある。