1949年〜 トヨタからの分離独立とボシュ提携による技術基盤の獲得
- 1949年日本電装を設立
- 1950年企業再建案を発表。473名の解雇
- 1950年朝鮮特需により業績好転
- 1951年設備投資で新鋭機械を導入
- 1953年ロバートボシュと業務資本提携を締結
- 1958年電気洗濯機から撤退
- 1971年米国に初の海外現地法人を設立
デンソーの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
不採算部門切り離しとして始まった独立の構図
1937年にトヨタ自動車工業が設立された際、電装品と冷却器の部門は刈谷市にとどまって生産を続け、トヨタ自動車工業の電装工場として日本電装の前身となった。1949年12月、トヨタ自動車は終戦後の経営危機に伴う事業再編の一環として電装品部門を分離し、初代社長に電装品部門工場長の林虎雄を据えて日本電装を設立した。資本金は1500万円ながらラジエータ部門から引き継いだ累積赤字1.4億円を借入金として継承したため、自己資本比率は5%という低水準の財務状態で発足した。豊田社長は林に「この借金は電装にやったんじゃない、貸したんだから忘れるな」と釘を刺したうえで社名に「トヨタ」を冠することを許さず、万一の倒産時にトヨタ本体のブランドに傷がつかないようリスク遮断を徹底した。不採算部門を切り離して身軽になる親会社の論理が濃厚に滲む独立だった。 [1][2][3][4][5]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [1]1937年のトヨタ自動車工業設立時、電装品と冷却器部門は刈谷市にとどまって生産を継続し、トヨタ自動車工業電装工場が日本電装の前身となった
- デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [2]1949年12月 トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)から分離独立し、日本電装株式会社を設立
- [3]設立時の資本金は1,500万円
- 日本電装のあゆみ
- [4]設立時に継承した赤字(借入金)は1.4億円
- [5]豊田喜一郎氏から林虎雄氏への発言「この借金は電装にやったんじゃない、貸したんだから忘れるな」は出所付き引用に同文で記録
設立3か月後の1950年3月には資金繰りが行き詰まり、従業員約1400名のうち473名を解雇する再建案を発表して労使対立に直面した。残留者にも10%の賃金カットを実施し、「一番早く潰れる」という市場の評判に対し岩月取締役が「日本電装は潰れるか」という論文を書いて火消しに走るほど追い込まれた。同年6月の朝鮮戦争勃発が転機となり、軍用車両需要の急増でトヨタからの発注が膨らんで生産が活況を呈し、1951年には新鋭工作機械の輸入に1.6億円を投じる余力まで生まれた。外部要因に救われる形だが、デンソーはここで最初の生存ゲームを勝ち抜いて自動車部品メーカーとしての足がかりを得た。 [6]
- 日本電装のあゆみ
- [6]1950年3月 従業員約1400名のうち473名を解雇する企業再建案を発表(労使対立も発生)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [1]1937年のトヨタ自動車工業設立時、電装品と冷却器部門は刈谷市にとどまって生産を継続し、トヨタ自動車工業電装工場が日本電装の前身となった
- デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [2]1949年12月 トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)から分離独立し、日本電装株式会社を設立
- [3]設立時の資本金は1,500万円
- 日本電装のあゆみ
- [4]設立時に継承した赤字(借入金)は1.4億円
- [5]豊田喜一郎氏から林虎雄氏への発言「この借金は電装にやったんじゃない、貸したんだから忘れるな」は出所付き引用に同文で記録
- [6]1950年3月 従業員約1400名のうち473名を解雇する企業再建案を発表(労使対立も発生)
ボシュ提携で獲得した品質管理と製品領域の拡充
1953年5月、デンソーはドイツのロバート・ボシュ社と業務資本提携を締結し、ボシュに株式10%を割り当てた上で配当連動型ロイヤリティーを支払う対価としてボシュの特許使用権と技術の全面公開を獲得した。1956年の『ダイヤモンド』は提携直後の品質対応を「作り上げた製品をドイツに送り検査を受ける。不備の箇所を指摘して送り返されてくる。作り直してまた送る。また、送り返される。かくすること3回もあってようやく合格する」(ダイヤモンド 1956/10/9)と記録している。この提携を起点に1954年のカーヒーター、1955年の噴射ポンプ、1956年のスパークプラグ、1957年のカーエアコンとわずか4年で電装品以外の新製品領域へ参入し、電装品専業の零細企業から総合自動車部品メーカーへ脱皮する基盤を得た。1957年には点火栓生産のため愛知電装を設立し、1959年に吸収合併して本体へ統合した。 [7][8]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [7]1957年(昭和32年)点火栓の生産に着手するため愛知電装を設立
- デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [8]1959年7月 愛知電装株式会社を吸収合併
ボシュから取り込んだ品質管理ノウハウは製品領域の拡充と並ぶ重要な成果となり、1956年には品質管理室を新設して「良い品、低コスト」の社内標語を制定した。全社を挙げた品質改善と費用節減が積み上がり、1961年には機械工業領域で国内初のデミング賞を受賞して技術移転を受ける立場から自ら品質を設計できる立場へと進化する。『ダイヤモンド』は1967年時点の評価を「ここ3〜4年のうちには『日本のデンソー』から『世界のデンソー』への飛躍がなされるであろう」(ダイヤモンド 1967/9/18)と記した。ボシュは2012年の全株売却で資本関係を解消するまで約60年間デンソー株式を保有し続け、株式10%と配当連動ロイヤリティーという対価設計の合理性を結果として示した。 [9]
- デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [9]1961年11月 デミング賞を受賞(有報【沿革】「品質管理の最高権威であるデミング賞を受賞」)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [7]1957年(昭和32年)点火栓の生産に着手するため愛知電装を設立
- デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [8]1959年7月 愛知電装株式会社を吸収合併
- [9]1961年11月 デミング賞を受賞(有報【沿革】「品質管理の最高権威であるデミング賞を受賞」)