1949
12月

日本電装を設立

トヨタ自動車の経営危機

トヨタ自動車が電装品部門を分離した理由は、1949年のトヨタ自動車の経営危機にあった。

1945年の終戦によってトヨタ自動車は「軍需向けトラック製造」の需要を失い、人員削減を伴うリストラ(1600名の解雇)を決定。この過程で各部門を分離(伝送・琺瑯・紡績)する経営再建が実施され、電装部門および電装工場(刈谷工場)はデンソーとして分離することが決まった。

日本電装を設立。トヨタ自動車刈谷北工場を継承

1949年にトヨタ自動車の自動車向け電装部品(モーター)の製造部門を分離させる形で日本電装(現デンソー)を設立した。同部門の生産拠点であった「トヨタ自動車刈谷北工場」も譲渡されて、刈谷に本社を設置した。デンソーの初代社長にはトヨタ自動車の電装品部門工場長であった林虎雄氏が就任。会社は即時の従業員数は1,445名であった。

設立直後の1951年時点におけるデンソーの生産品目は、電装品(ダイナモ・スターターなど)・冷却器(ラジエーター)・計器(メーター)などであり、電装品を中心に各種自動車部品の製造を手掛けた。特異なものとしては、1950年代には家庭向け電気洗濯機に参入していたが、販路開拓に苦戦したため撤退している。

なお、デンソーの発足時において、トヨタ自動車は日本電装の株式の大半を保有せず、関係会社・子会社といった位置づけにはされなかった。デンソーの会社発足時の実態は「不採算の電装部門の分離」であり、日本電装はトヨタ自動車から資本的にも切り捨てられた存在であった。

社名に「トヨタ」の名前が関せられずに「日本電装」となった理由も、仮にデンソーが倒産した場合に「トヨタ電装」という名前を冠していたら、トヨタ自動車にとって迷惑であるため、そのリスクヘッジとして「トヨタ」の商号を使うことが許されなかった。

トヨタから累積赤字を継承。自己資本比率5%台へ

財務面でも厳しいスタートを切った。会社設立時における資本金1500万円に対して、1.5億円の負債を抱えた状態であり、自己資本比率は5%であった。これはトヨタ自動車から設備とともに、ラジエータ部門の累積赤字1.4億円を債務(トヨタ自動車からの借入金扱い)を受け継いだことが理由であった。

証言
林虎雄(デンソー・社長)

せっかく電装に縁ができたのだから、この際、緊褌一番、電装をやってみようと決意して引受けた。さて、引き継ぎをしてみると挙母(本社)への借金が1.4億円ぐらいある。僕のハラではこの借金は無期限のあるとき払いと軽く考えていたところ、豊田社長は「この借金は電装にやったんじゃない。貸したんだから、そのことを忘れんように」と一本クギを刺され、なおその上に「社会的信用は何もないんだから、豊田の信用でやる限り豊田の信用を食い潰してもらっては困るぞ。また社名にトヨタを使うことも遠慮してもらいたい」と厳命された。

まことに厳しい言葉で花あるが、豊田社長としては当然のことであって、私たちはいま持ってその言葉が忘れることのできない励ましとなっている。そこで私は、これは容易ならぬ立場に立ったぞと思ったが、それだけにまだ決心もいよいよ強固になった。

決算
デンソーの業績
1950年12月期(単体)
売上高
4.79
億円
当期純利益
-0.01
億円
1950年3月
企業再建案を発表。473名の解雇

会社設立直後の1950年3月にはデンソーの経営が行き詰まり、人員削減を決定。従業員約1400名のうち473名を解雇する再建案を発表。残留する社員に対しても10%の賃金カットを決めるなど、人件費が経営の重荷となった。人員削減に際しては、労働組合と経営陣の対立が発生するなど、デンソーは会社設立時から前途多難なスタートを切った。

このため、デンソーの会社設立当時の評判は悪く「一番早く潰れる」「トヨタの寄生虫」といった声もあがった。デンソーとしは「潰れる」という悪評を消すために、岩月氏(当時デンソー・取締役)が「日本電装は潰れるか」という論文を執筆するなど、火消しに注力していた。

証言
岩月取締役『日本電装はつぶれるか』

まず第一に、トヨタ自工としても、また日本電装の経営者としても、具体的にわれわれの工場を解散または閉鎖しようという考えは毛頭ないし、話題にすら出たこともない。したがって、現在このことを心配する必要は一切ない。

しからば、わが社が将来も永久につぶれないという保証があると言われるかもしれないが、このことについては軽々しくイエスともノーとも返事しかねる。強いて言えば『それは日本電装全員(重役も含めた)の心構え次第だ』ということになる。そして「最上の品質、最低の原価」の電装品を作り、業界第1位の会社となるよう、全員が協力して頑張り通す以外に道はない。こうした点に着目し、自覚して、全員総努力の実をあげることによって飲み会社も生き残れる。重役室はこの自覚のもとに最善の対策を樹立していく所存であるから、全従業員諸君もここに思いをいたして、お互いの生活拠点を守り抜く決意を持って重役室の方針に協力し、意見具申もしていってほしい。

決算
デンソーの業績
1950年12月期(単体)
売上高
4.79
億円
当期純利益
-0.01
億円
1950年5月
朝鮮特需により業績好転

1950年に勃発した朝鮮特需により自動車の需要が増加し、電装部品を手がけるデンソーの業績が好転。主にトヨタ自動車からの発注により売上を拡大した

決算
デンソーの業績
1950年12月期(単体)
売上高
4.79
億円
当期純利益
-0.01
億円
1951年
設備投資で新鋭機械を導入

生産性改善のために1.6億円の設備機械(巻線・研削・歯切盤・自動盤・計器など)の購入を決定。新鋭工作機械を海外から輸入

決算
デンソーの業績
1951年12月期(単体)
売上高
7.57
億円
当期純利益
0.72
億円
1953年1月
東証1部に株式上場

1951年の上場直後の筆頭株主上位3名の構成は「互恵会」「帝国銀行」「林虎雄(デンソー当時社長)」であり、トヨタ自動車は筆頭株主ではなかった。

1953年時点の販売先の売上構成は「トヨタ自動車向け60%」「三輪車メーカー(ダイハツ・マツダなど)向け17%」「いすゞ・オオタ向け11%」「代理店12%」(出所:証券24(12))であり、トヨタ自動車を中心としつつも三輪車メーカーを中心にトヨタ以外の自動車メーカーとの取引にも注力した。

決算
デンソーの業績
1953年12月期(単体)
売上高
16
億円
当期純利益
1.73
億円
1958年12月
電気洗濯機から撤退

販路構築に苦戦して撤退を決定。製造設備を愛知工場に譲渡し、設備の清算を完了

決算
デンソーの業績
1958年12月期(単体)
売上高
47
億円
当期純利益
3.94
億円
1961年8月
本社工場を増設(北工場竣工)

北工場(第5工場・第6工場)を新設して噴射ポンプおよびメーター計器の生産に従事。ただし本社工場は北工場の新設をもって拡張が難しくなり、これ以降の増産は西三河地区(安城・刈谷・西尾など)に工場を新設する形で対応した

完成日時 建物 生産品目
- 第1工場 スターター
- 第2工場 プレス
- 第3工場 部品
- 第4工場 ラジエーター
1961 第5工場 点火プラグ
1961 第6工場(北工場) 噴射ポンプ、メーター計器
- ダイナモ工場 -
- 工機工場 -
- その他 ダイガスト工場、型工場、フィルター工場
決算
デンソーの業績
1961年12月期(単体)
売上高
140
億円
当期純利益
12
億円
1965年7月
池田工場を新設(刈谷市)

本社近くに10万m2の土地を取得して池田工場を新設。カーヒーター、カークーラーの増産に対応した(1970年の西尾製作所の新設でカーエアコンは西尾に移設)。

完成日時 建物 生産品目
1966/07 ヒーター・クーラー工場 ヒーター・クーラー
1967/09 ラジエーター工場 ラジエーター
決算
デンソーの業績
1965年12月期(単体)
売上高
278
億円
当期純利益
12
億円
1969年7月
安城工場を新設(安城製作所)

本社以外では初となる量産工場として新設。不二越の旧安城工場の跡地を取得して活用。電装品(オルターネーター、スターター)の事業部を移設して量産を開始

完成日時 建物 生産品目
1967/09(1期工事) 第1工場 電装品(レギュレーター、オルタネータ、スターター等)
1968/11(2期工事) 第2工場 電装品
1969/02(2期工事) 第3工場 電装品
1973/12(新工場) 211工場 電装品
決算
デンソーの業績
1969年12月期(単体)
売上高
775
億円
当期純利益
35
億円
1970年9月
西尾製作所を新設(エアコン増産)

カーエアコン・カーヒーター・噴射ポンプの量産拠点として新設

完成日時 建物 生産品目
1970/08(1期工事) 401工場 ヒーター
1971/05(1期工事) 402工場 クーラー
1971/05(2期工事) 405工場 ウォッシャー、ワイパー等
1971/05(2期工事) 407工場 噴射ポンプ等
1971/04(3期工事) 404工場 バスクーラー等
1972/11(3期工事) 406工場 コンプレッサー等
1973/10(3期工事) 403工場 排気関係製品
1973/08 西尾教育センター -
決算
デンソーの業績
1970年12月期(単体)
売上高
928
億円
当期純利益
42
億円
1974年6月
高棚製作所を新設(安城市)

メーター計器の量産拠点として新設

完成日時 建物 生産品目
1974/06 501工場 メーター計器など
1974/06 502工場 メーター計器など
決算
デンソーの業績
1974年12月期(単体)
売上高
2053
億円
当期純利益
45
億円
1980年12月
冷暖房機器(カーエアコン)の売上が急拡大

電装品の売上1532億円(対全社売上構成比29.6%)に対して、冷暖房機器の売上2024億円(同構成比39.1%)を達成。冷暖房機器(≒カーエアコン・カーヒーター)が全社製品でNo.1の売上高を確保する製品に育つ

決算
デンソーの業績
1980年12月期(単体)
売上高
5173
億円
当期純利益
245
億円
1980年12月
エレクトロニクス本部を発足
1982

売上高1兆円計画

デンソーは売上高1兆円計画を策定。「トヨタ以外の顧客開拓」「海外進出」「エレクトロニクス分野」の3つの方針を掲げた。

販売面では、トヨタ自動車に偏重していた取引体系を見直し、部品関係では日立との結びつきが強かった日産自動車など、トヨタ以外の自動車メーカーとの取引の模索を本格化した。

海外進出では、トヨタ自動車のアメリカ・ケンタッキー工場の稼働に合わせて、デンソーも北米での部品の現地生産を開始した。

エレクトロニクス分野では大規模な投資を決定するものの、トヨタ自動車は急成長するデンソーを警戒。トヨタ自動車は自社で広瀬工場(ICの製造)を1989年に新設することでデンソーを牽制した。

なお、広瀬工場に関しては、2020年にトヨタは電子部品事業の集約を目指して広瀬工場をデンソーに譲渡しており、トヨタは「自らの判断が正しくなかった」ことを認める形となった。

決算
デンソーの業績
1982年12月期(単体)
売上高
6078
億円
当期純利益
263
億円
1982年4月
大安製作所を新設(三重県いなべ市)
1985年12月
ニッポンデンソー・アメリカを設立

トヨタ自動車のケンタッキー工場の新設を受けて、デンソーも北米現地法人を設立。現地生産の拠点を整備

設立年 法人名 出資比率 従業員数 取扱品目
1971/03 Nippondenso Los Angeles Inc. 80% 333名 エアコン
1984/11 Nippondenso Manufacturing USA Inc. 100% 1296名 エアコン、ラジエータ
1985/12 Nippondenso America Inc. 100% 290名 電装品、エアコン
1988/07 Nippondenso Tenessee Inc. 100% 146名 電装品、メーター
1989/01 Michigan Automotive Compressor Inc. 50% 394名 コンプレッサー
1989/09 Purodenso Co. 50% 249名 フィルター
1989/11 AFPS Corp. 50% 201名 噴射ポンプ
出所:投資月報45(7) | 1994/7
決算
デンソーの業績
1985年12月期(単体)
売上高
9088
億円
当期純利益
413
億円
1987年2月
豊橋製作所を新設(愛知県豊橋市)
1987年2月
阿久比製作所を新設(愛知県知多郡)
1987年2月
幸田製作所を新設(愛知県知多郡)
1992年12月
北米向け売上高を拡大
1993年7月
北九州製作所を新設(北九州市)
1993年
北米メキシコの生産拠点を拡充

取引先である米ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)からの要請を受けて、メキシコでの現地生産に着手

決算
デンソーの業績
1993年12月期(連結)
売上高
14246
億円
当期純利益
272
億円
1993年12月
2期連続減益

円高の進行による輸出の採算悪化や、日米貿易摩擦(自動車)によってトヨタ自動車などの各社で業績低迷。部品メーカーであるデンソーの業績も悪化

決算
デンソーの業績
1993年12月期(連結)
売上高
14246
億円
当期純利益
272
億円
1996年10月
社名をデンソーに変更

グローバル展開を見据えて、社名を日本電装から「デンソー」に変更した。

決算
デンソーの業績
1997年3月期(連結)
売上高
16249
億円
当期純利益
713
億円
1998年9月
善明製作所を新設(愛知県西尾市)
2003年2月
電装(中国)投資有限公司を設立

中国現地法人の統括会社として設立

決算
デンソーの業績
2003年3月期(連結)
売上高
23327
億円
当期純利益
1110
億円
2004年
デンソースピリットを制定

海外ではグローバル化により米州・欧州・豪州・アジアにおいて拠点が増加し、売上成長の牽引役となった。国内では「ケイレツ」に対する独占禁止法の観点からの批判が強まった。そこで、デンソーは改めて企業が目指す方向を定義することを決め、全社員が拠り所とすべき精神を明文化した「デンソースピリット」を策定した。

決算
デンソーの業績
2005年3月期(連結)
売上高
27999
億円
当期純利益
1326
億円
2007年2月
デンソー・インターナショナル・アジアを設立

アジアの統括会社としてタイに設立

決算
デンソーの業績
2007年3月期(連結)
売上高
36097
億円
当期純利益
2051
億円
2017年
長期経営ビジョン2030を策定

自動車のEV化という潮流に対して危機感を抱いた有馬社長は、この流れに乗り遅れないために「長期ビジョン2030」を策定した。

2019年からの投資計画では、成長が望めない内燃機関に対する投資を抑制する代わりに、成長が望める電駆動分野(インバータ・MG・電池電源など)への重点的な投資を決定するなど、事業構造の変革を進めている。

ただし、2020年の時点でデンソーの売上収益の約50%をトヨタ自動車向けに依存しており、トヨタの電動化の成否が、デンソーの業績の浮沈を左右する構造は変化していない。

決算
デンソーの業績
2018年3月期(連結)
売上高
51082
億円
当期純利益
3434
億円
2017年11月
富士通テンを買収

カーナビやカーオーディオを手がける富士通テン(1973年にトヨタ自動車が資本参加)を買収。取得対価は205億円。経営は赤字が続いていたが、カーナビなどのソフトウェア技術の習得を目論む。デンソーとしては自動運転の研究開発の強化が狙いであった

決算
デンソーの業績
2018年3月期(連結)
売上高
51082
億円
当期純利益
3434
億円
2020年4月
トヨタ自動車から広瀬製作所を譲受

車載向け半導体製造拠点を取得

決算
デンソーの業績
2021年3月期(連結)
売上高
49367
億円
当期純利益
1480
億円
2021年3月
燃料ポンプのリコール問題。2148億円の引当金計上へ

2019年にデンソーの「燃料ポンプ」について、トヨタ自動車がリコールを届出。これを受けてデンソーはリコールを決定。対象は国内322万台。2021年3月末時点で製品保証引当金2148億円を計上しており、燃料ポンプの単価(完成車メーカー向け販売)は2000円/個に対して、リコール費用は6万円/個に及んだ。

決算
デンソーの業績
2021年3月期(連結)
売上高
49367
億円
当期純利益
1480
億円
2023年3月
売上対比50%をトヨタに依存

一貫してデンソーはトヨタグループ向け売上比率が50%で推移。売上拡大は主にトヨタ向けの売上拡大に起因しており、売上依存の構造は15年以上にわたり変化せず

決算
デンソーの業績
2023年3月期(連結)
売上高
64013
億円
当期純利益
3478
億円
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