デンソー の歴史

更新:

創業

1949年

創業者

林虎雄

創業地

愛知県刈谷市

直近売上高(2026/3)

75,400億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1949年の設立は「独立」ではなく親会社からの「放出」に近かったのか
A 戦後の金融引き締めで経営危機に陥ったトヨタ自動車は、再建のため不採算の電装品部門を切り離す必要に迫られた。倒産しても本体のブランドへ傷がつかないよう距離を置くのが親会社の狙いであり、1949年12月に設立された日本電装には社名へ「トヨタ」を冠することが許されず、ラジエータ部門の累積赤字1.4億円を借入金として継承させられた。資本金1,500万円に対し自己資本比率5%という財務で発足し、独立というより放出に近い船出となった
Q なぜ1953年に、独立直後の零細企業がドイツのボシュ社へ株式10%とロイヤリティーを差し出してまで提携したのか
A 親会社の発注に頼るだけでは下請けの域を出ず、自前の技術と品質をもたなければ総合部品メーカーへ脱皮できなかった。そこでデンソーは1953年、ドイツのボシュ社へ株式10%とロイヤリティーを差し出す対価として、特許と技術の全面公開を受けた。製品をドイツへ送り返されること三度という品質指導に耐え、1954年のカーヒーターから1957年のカーエアコンまで4年で製品領域を広げ、1961年には機械工業で国内初のデミング賞を受賞する。外から技術を買い、自力で稼ぐ基盤を確かにした。
Q なぜ2024年に、トヨタグループの相互保有に支えられてきた戦後以来の資本構造を見直したのか
A トヨタグループの相互保有に守られた株式は持ち合いで固定され流動性が乏しく、資本コストを高め株主との対話を鈍らせていた。そこでデンソーは2024年、政策保有株を数年内にほぼゼロへ減らす方針のもと、4,500億円の自社株買いと2,000億円の株式売出しを同時に決めた。豊田自動織機株を10分割で売り、ルネサスエレクトロニクス株もロックアップ解除後に処分を判断する林新之助社長は資本コストの低減と個人株主比率の引き上げを掲げ、技術と発注で一体だった親会社からの自立を株主構成の面でも進めている

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1949年〜 トヨタからの分離独立とボッシュ提携による技術基盤の獲得

デンソーの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1949年 日本電装を設立
  2. 1950年 企業再建案を発表。473名の解雇
  3. 1950年 朝鮮特需により業績好転
  4. 1953年 東京証券取引所1部に株式上場
  5. 1953年 ロバート・ボシュとの業務資本提携——品質と製品領域を借りて築いた技術自立の土台 独立まもない日本電装は、なぜ電装品で世界最大手のボシュに株式を渡してまで技術を借りたのか
  6. 1958年 電気洗濯機から撤退
  7. 1980年 冷暖房機器(カーエアコン)の売上が急拡大

企業再建整備計画で切り出された第二会社

デンソーの源流は、1933年7月に豊田喜一郎氏が[1]自動車の国産化を目的として豊田自動織機製作所内に設けた自動車部の電装部門にある。1937年8月に自動車部がトヨタ自動車工業として分離独立[2]した際も、電装部門は刈谷町にとどまって同社の刈谷工場となった。戦後の日本では1948年まで乗用車の製造が禁じられ[3]、解禁後も各社は何の援助もなく細々と生産を続けていた。トヨタ自動車工業は1949年11月に企業再建整備計画の認可を受け[4]、12月に刈谷北工場を日本電装、中川工場の琺瑯部門を愛知琺瑯、翌1950年5月に刈谷南工場を民成紡績[5]として分離独立させた。豊田自動織機製作所の石田退三社長は財閥指定を避けて[6]豊田関係の会社を分割し、自動織機製作所以外の全社の社名を変えた。日本電装は資本金1500万円で発足し、電装工場長だった林虎雄[7]が社長に就任、ラジエータ部門から引き継いだ1.4億円の累積赤字を借入金として承継した。

    • [1]1933年7月に豊田喜一郎氏が豊田自動織機製作所内に自動車部を設置し、その一環として電装部門を設けた
    • [2]1937年8月に豊田自動織機製作所の自動車部が分離独立してトヨタ自動車工業が設立され、挙母工場へ移転した際、電装部門は刈谷町にとどまり同社の刈谷工場となった
    • [4]トヨタ自動車工業の企業再建整備計画が1949年11月に認可され、同年12月に刈谷北工場を日本電装、中川工場の琺瑯部門を愛知琺瑯として分離独立させた
    • [5]1950年5月に刈谷南工場を民成紡績として分離独立させた
    • [7]1949年12月にトヨタ自動車工業の決定整備計画に基づき資本金1500万円の第二会社日本電装が設立され、電装工場長の林虎雄氏が社長に就任した
    • [3]日本では1948年まで乗用車の製造が禁止されており、禁止令が解かれてからも長い間、何の援助もなく細々と生産を続けた
    • [6]財閥指定を受けて豊田関係の会社を分割し、自動織機製作所以外は全部社名を変えた。車体は刈谷車体、工機は刈谷工機、電装は日本電装とした

1949年に始まったドッジ・ラインの金融引き締め[8]は自動車業界を直撃した。親会社のトヨタ自動車工業も基礎物資の値上がりによるコスト高が重なって1950年に人員整理[9]へ踏み切り、2か月にわたるストライキに発展した。日本電装も設立3か月後の1950年3月に資金繰りが行き詰まり、従業員約1400名のうち473名を解雇する再建案を発表し、同年5月に3割に及ぶ人員整理を含む企業整備[10]を実施した。6月の朝鮮戦争の勃発が転機となり[11]、トヨタ自動車工業は7月以降に車両4679台の特需を受注[12]、日本電装の社業も好調に転じた。日本電装は1950年以降、老朽機械の更新と専用機械の据え付けを進め、国有賠償機械も取得[13]して設備を拡充し、電装品の生産高で全国の4割を占める[14]に至った。

    • [8]日本電装はドッジ・ラインの影響を受けて企業整備を行った
    • [10]1950年5月に3割に及ぶ人員整理を含む企業整備を行い、企業の再建に努めた
    • [11]朝鮮動乱の勃発を契機として日本電装の社業は好調に転じた
    • [12]朝鮮動乱を契機に特需車の受注が相次ぎ、トヨタ自動車工業が1950年7月以降に受注した特需は車両4679台に達した
    • [13]1950年以降、老朽機械の更新と専用機械の据付け、さらに国有賠償機械の取得によって設備の拡充を図った
    • [14]設備拡充の結果、日本電装の電装品の生産高は全国の4割を占めるに至った
    • [9]1950年にトヨタ自動車工業の経営は重大な段階に至った。前年のディスインフレ政策による業界不振と基礎物資の値上りによるコスト高が原因で、人員整理を行い2か月にわたるストライキが展開された
    • [1]1933年7月に豊田喜一郎氏が豊田自動織機製作所内に自動車部を設置し、その一環として電装部門を設けた
    • [2]1937年8月に豊田自動織機製作所の自動車部が分離独立してトヨタ自動車工業が設立され、挙母工場へ移転した際、電装部門は刈谷町にとどまり同社の刈谷工場となった
    • [4]トヨタ自動車工業の企業再建整備計画が1949年11月に認可され、同年12月に刈谷北工場を日本電装、中川工場の琺瑯部門を愛知琺瑯として分離独立させた
    • [5]1950年5月に刈谷南工場を民成紡績として分離独立させた
    • [7]1949年12月にトヨタ自動車工業の決定整備計画に基づき資本金1500万円の第二会社日本電装が設立され、電装工場長の林虎雄氏が社長に就任した
    • [8]日本電装はドッジ・ラインの影響を受けて企業整備を行った
    • [10]1950年5月に3割に及ぶ人員整理を含む企業整備を行い、企業の再建に努めた
    • [11]朝鮮動乱の勃発を契機として日本電装の社業は好調に転じた
    • [12]朝鮮動乱を契機に特需車の受注が相次ぎ、トヨタ自動車工業が1950年7月以降に受注した特需は車両4679台に達した
    • [13]1950年以降、老朽機械の更新と専用機械の据付け、さらに国有賠償機械の取得によって設備の拡充を図った
    • [14]設備拡充の結果、日本電装の電装品の生産高は全国の4割を占めるに至った
    • [3]日本では1948年まで乗用車の製造が禁止されており、禁止令が解かれてからも長い間、何の援助もなく細々と生産を続けた
    • [6]財閥指定を受けて豊田関係の会社を分割し、自動織機製作所以外は全部社名を変えた。車体は刈谷車体、工機は刈谷工機、電装は日本電装とした
    • [9]1950年にトヨタ自動車工業の経営は重大な段階に至った。前年のディスインフレ政策による業界不振と基礎物資の値上りによるコスト高が原因で、人員整理を行い2か月にわたるストライキが展開された

ボッシュ提携で広げた品質管理と製品領域

日本電装は設立当初から技術面の向上について独自の研究を重ね、欧米各国の自動車工業界を数次にわたって視察[15]したうえで、1953年に世界有数の電装品メーカー[16]であるドイツのロバート・ボッシュ社と提携[17]し、株式の10%を割り当てた。1954年4月には技術習得のため技師2名をドイツへ派遣[18]し、同年8月にボッシュの技術者2名が刈谷へ着任[19]した。検査は厳しく、「作り上げた製品をドイツに送り検査を受ける[20]」ことを繰り返し、「かくすること3回もあってようやく合格する」(ダイヤモンド 1956/10/9)状態が続いた。1954年にカーヒーターの製造を始め[21]、1955年2月には噴射ポンプと点火プラグを提携品目に追加[22]し、1957年にカーエアコンへ広げた[23]。1957年に点火栓生産のため愛知電装を設立[24]し、1959年に吸収合併した。

    • [15]かねてより技術面の向上について独自の研究を重ねるとともに、数次にわたる欧米各国の自動車工業界視察の結果、ロバート・ボッシュ社との技術提携契約締結に至った
    • [18]1954年4月に技術習得のため技師2名をドイツへ派遣した
    • [19]1954年8月にボッシュ社から技術者2名が日本電装へ着任した
    • [22]1955年2月にボッシュ社との間で噴射ポンプおよび点火プラグの提携品目追加契約を結んだ
    • [16]1953年に世界的電装品メーカーである西独ロバート・ボッシュ社と技術契約を締結した
    • [21]ボッシュの技術者着任を受けてカーヒーター等の新製品の生産に成功し、1954年にカーヒーター、ワイパー、レギュレーターテスターの製造を開始した
    • [23]1957年にカーエアコンへ製品領域を広げた
    • [24]1957年に愛知電装を設立して点火栓の生産に着手し、1959年に同社を吸収合併した
  • ダイヤモンド 1956年10月9日号「ドイツの会社と提携で社格をあげた日本電装」
    • [17]ボッシュは電装品では世界一の会社であり、それと提携して品質の向上を図った
    • [20]作り上げた製品をドイツに送り検査を受け、不備の箇所を指摘されて送り返される往復を3回繰り返してようやく合格した

日本電装の販売先はトヨタ自動車工業に限らず、1956年時点でトヨタ向けは5割から6割[25]、残る4割から5割は一般の需要に応じていた[26]。系列外のメーカーへ売るには品質で納得させる必要があり、日本電装は創業直後から社内に技能者養成所を設けて技能工を自前で育て[27]、ボッシュから受け取った品質管理の手法[28]を全社の作業へ落とし込んだ。1961年には自動車部品メーカーとして初めてデミング賞を受賞[29]し、技術移転を受ける立場から自ら品質を設計する立場へ移った[30]。「ここ3〜4年のうちには『日本のデンソー』から『世界のデンソー』への飛躍[31]がなされるであろう」(ダイヤモンド 1967/9/18)という評価を受けた1967年、トヨタ自工とトヨタ自販向けは57.1%を占め[32]、日産自動車を除く各社へ軒並み供給していた[33]

  • ダイヤモンド 1956年10月9日号「ドイツの会社と提携で社格をあげた日本電装」
    • [25]日本電装の電装品はトヨタに供給するだけでなく広く一般の需要に応じており、トヨタへの供給は5割ないし6割、残り4割ないし5割は一般の需要に応じている
    • [26]トヨタ向けを除く4割ないし5割は一般の需要に応じていた
    • [28]ボッシュは電装品では世界一の会社であり、それと提携して品質の向上を図った
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「日本電装。トヨタのワク越え“高収益の快走”」
    • [27]創業直後から社内組織として技能者養成所を設け、独自に技能工を育ててきた。この教育体制が技術水準の底上げと品質改善の人的な基礎になった
    • [29]1961年に自動車部品メーカーとして初めてデミング賞を受賞したと平野史社長が述べている
    • [30]品質管理の最高権威である1961年度デミング賞を受賞した
  • ダイヤモンド 1967年9月18日号「自動車関連40社の業績調査」
    • [31]ここ3〜4年のうちには「日本のデンソー」から「世界のデンソー」への飛躍がなされるであろうと評価された
    • [32]1967年時点で日本電装の納入の57.1%がトヨタ自工とトヨタ自販向けだった
    • [33]三菱重工業、東洋工業、ダイハツ、富士重工業、日野自動車、本田技研、鈴木自動車など日産自動車以外の会社には軒並み供給しており、その比率は30%を超えていた
    • [15]かねてより技術面の向上について独自の研究を重ねるとともに、数次にわたる欧米各国の自動車工業界視察の結果、ロバート・ボッシュ社との技術提携契約締結に至った
    • [18]1954年4月に技術習得のため技師2名をドイツへ派遣した
    • [19]1954年8月にボッシュ社から技術者2名が日本電装へ着任した
    • [22]1955年2月にボッシュ社との間で噴射ポンプおよび点火プラグの提携品目追加契約を結んだ
    • [16]1953年に世界的電装品メーカーである西独ロバート・ボッシュ社と技術契約を締結した
    • [21]ボッシュの技術者着任を受けてカーヒーター等の新製品の生産に成功し、1954年にカーヒーター、ワイパー、レギュレーターテスターの製造を開始した
    • [23]1957年にカーエアコンへ製品領域を広げた
    • [24]1957年に愛知電装を設立して点火栓の生産に着手し、1959年に同社を吸収合併した
    • [30]品質管理の最高権威である1961年度デミング賞を受賞した
  • ダイヤモンド 1956年10月9日号「ドイツの会社と提携で社格をあげた日本電装」
    • [17]ボッシュは電装品では世界一の会社であり、それと提携して品質の向上を図った
    • [20]作り上げた製品をドイツに送り検査を受け、不備の箇所を指摘されて送り返される往復を3回繰り返してようやく合格した
    • [25]日本電装の電装品はトヨタに供給するだけでなく広く一般の需要に応じており、トヨタへの供給は5割ないし6割、残り4割ないし5割は一般の需要に応じている
    • [26]トヨタ向けを除く4割ないし5割は一般の需要に応じていた
    • [28]ボッシュは電装品では世界一の会社であり、それと提携して品質の向上を図った
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「日本電装。トヨタのワク越え“高収益の快走”」
    • [27]創業直後から社内組織として技能者養成所を設け、独自に技能工を育ててきた。この教育体制が技術水準の底上げと品質改善の人的な基礎になった
    • [29]1961年に自動車部品メーカーとして初めてデミング賞を受賞したと平野史社長が述べている
  • ダイヤモンド 1967年9月18日号「自動車関連40社の業績調査」
    • [31]ここ3〜4年のうちには「日本のデンソー」から「世界のデンソー」への飛躍がなされるであろうと評価された
    • [32]1967年時点で日本電装の納入の57.1%がトヨタ自工とトヨタ自販向けだった
    • [33]三菱重工業、東洋工業、ダイハツ、富士重工業、日野自動車、本田技研、鈴木自動車など日産自動車以外の会社には軒並み供給しており、その比率は30%を超えていた

1982年〜 1兆円計画とグローバル展開、親会社との事業領域をめぐる緊張

デンソーの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1982年 売上高1兆円計画
  2. 1985年 ニッポンデンソー・アメリカを設立
  3. 1987年 豊橋製作所を新設
  4. 1992年 北米向け売上高を拡大
  5. 1993年 北米メキシコの生産拠点を拡充
  6. 1993年 2期連続減益
  7. 1999年 トヨタの支配力強化と系列見直しのなかでの自立模索 親会社トヨタの支配を受け入れるか、系列を越えて自立するか——欧米サプライヤー大再編のなかでデンソーが迫られた生き残り戦略

非自動車1000億円を掲げた売上高1兆円計画

1982年、日本電装は売上高1兆円計画を策定し[34]、エレクトロニクス、海外、カーエアコンを三本柱に掲げた[35]。利益の大半を稼ぐカーエアコンは乗用車への装着率が9割に迫り[36]、成長の余地が尽きかけていた。戸田憲吾社長は「自動車向けだけでは2ケタ成長を維持することは無理[37]であり、将来は非自動車の新分野で売り上げの1割を占めるようにしたい」(日経ビジネス 1985/1/21)と語り、1兆円のうち1000億円を非自動車で稼ぐ目標[38]を置いた。収益の実態は、売り上げの4割弱を占める冷暖房機器部門[39]が「利益の大半を稼ぎ出している」(日経ビジネス 1985/1/21)状態だった。北米では日系メーカーの現地生産が始まる中、1978年に取得したミシガン州バトルクリークの用地で1985年春の新工場着工[40]を決めた。

  • 日経ビジネス 1985年1月21日号「ケーススタディ 日本電装 1兆円企業へ第一関門は“トヨタ離れ”」
    • [34]1982年に売上高1兆円計画を策定
    • [35]1980年代中の売上高1兆円乗せを目標に、エレクトロニクス・海外・エアコンを3本柱に据えた
    • [36]乗用車のカーエアコン装着率は9割に迫り、以後は生産台数に連動して需要が決まる状態にあった
    • [37]戸田憲吾社長の発言
    • [38]戸田憲吾社長は「売り上げ1兆円のうち、1000億円は非自動車で」と目標を示した
    • [39]売上の4割弱を占める冷暖房機器部門が利益の大半を稼ぐ収益構造
    • [40]1978年にミシガン州バトルクリークの用地を取得し、1985年春の新工場着工を決めて米国での現地生産に乗り出した

1989年、トヨタは愛知県豊田市に広瀬工場を新設し[41]、電子制御装置やセンサーの生産と車載ICの研究開発に着手した。電子部品の技術とコストを自ら把握するため[42]だった。トヨタ内部には「日本電装などとの価格交渉が進めにくい[43]」という不満があり、「日本電装が巨大になりすぎたことに対するイラ立ち[44]」もつのっていた(日経産業新聞 1988/8/6)。石丸典生社長は「巷で言われているトヨタ離れなんて、とんでもない話だ[45]」(日経ビジネス 1991/8/26)と応じ、トヨタは1996年末までに部品価格を15%下げるよう全取引先に求め[46]、日本電装には20%を示した。2015年に就任した有馬浩二社長は「距離を縮めて開発しないといけない[47]」(週刊東洋経済 2015/7/24)と述べた。2020年4月、デンソーはトヨタから広瀬製作所を譲り受けた[48]

  • 日経ビジネス 1991年8月26日号「飛躍の条件 日本電装 親会社トヨタも競争相手 電子技術の優位保つ開発力」
    • [41]1989年にトヨタが広瀬工場(愛知県豊田市)を新設し、電子制御装置・センサーの生産、ICの研究開発と試作に乗り出した
    • [42]トヨタ東富士研究所の井上恵太取締役は「内製を始めたのは車の性能を左右する電子部品の技術、コストを把握するためだ」と述べた
    • [45]石丸典生社長の発言
  • 日経産業新聞 1988年8月6日「トヨタ・モトローラ提携、部品摩擦回避へ先手」
    • [43]日経産業新聞の記事本文(トヨタ首脳の不満)
    • [44]日経産業新聞の記事本文(トヨタ側のいら立ち)
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号「ケーススタディー 日本電装 拡販路線へ大転換」
    • [46]トヨタは全部品メーカーに1996年末までの15%値下げを求め、日本電装に示した数字は20%だった
  • 週刊東洋経済 2015年7月24日号「この人に聞く 有馬浩二 デンソー社長 トヨタとは距離を縮める」
    • [47]有馬浩二社長の発言
  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [48]2020年4月 トヨタ自動車から主要な電子部品事業(広瀬製作所)を譲り受けた
  • 日経ビジネス 1985年1月21日号「ケーススタディ 日本電装 1兆円企業へ第一関門は“トヨタ離れ”」
    • [34]1982年に売上高1兆円計画を策定
    • [35]1980年代中の売上高1兆円乗せを目標に、エレクトロニクス・海外・エアコンを3本柱に据えた
    • [36]乗用車のカーエアコン装着率は9割に迫り、以後は生産台数に連動して需要が決まる状態にあった
    • [37]戸田憲吾社長の発言
    • [38]戸田憲吾社長は「売り上げ1兆円のうち、1000億円は非自動車で」と目標を示した
    • [39]売上の4割弱を占める冷暖房機器部門が利益の大半を稼ぐ収益構造
    • [40]1978年にミシガン州バトルクリークの用地を取得し、1985年春の新工場着工を決めて米国での現地生産に乗り出した
  • 日経ビジネス 1991年8月26日号「飛躍の条件 日本電装 親会社トヨタも競争相手 電子技術の優位保つ開発力」
    • [41]1989年にトヨタが広瀬工場(愛知県豊田市)を新設し、電子制御装置・センサーの生産、ICの研究開発と試作に乗り出した
    • [42]トヨタ東富士研究所の井上恵太取締役は「内製を始めたのは車の性能を左右する電子部品の技術、コストを把握するためだ」と述べた
    • [45]石丸典生社長の発言
  • 日経産業新聞 1988年8月6日「トヨタ・モトローラ提携、部品摩擦回避へ先手」
    • [43]日経産業新聞の記事本文(トヨタ首脳の不満)
    • [44]日経産業新聞の記事本文(トヨタ側のいら立ち)
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号「ケーススタディー 日本電装 拡販路線へ大転換」
    • [46]トヨタは全部品メーカーに1996年末までの15%値下げを求め、日本電装に示した数字は20%だった
  • 週刊東洋経済 2015年7月24日号「この人に聞く 有馬浩二 デンソー社長 トヨタとは距離を縮める」
    • [47]有馬浩二社長の発言
  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [48]2020年4月 トヨタ自動車から主要な電子部品事業(広瀬製作所)を譲り受けた

西三河から世界へ広げた生産拠点網

1960年代以降、日本電装は刈谷本社工場の拡張余地が尽きたため[49]、隣接する西三河地区に製作所を順次開設した。1965年に池田工場[50]、1967年に安城製作所[51]、1970年に西尾製作所[52]、1974年に高棚製作所[53]と、愛知県内に量産拠点を新設してカーエアコンや電装品の増産に応じた。カーエアコンの開発を担った石丸氏[54]は、この事業をのちに世界シェア4分の1まで育てた。カーエアコンは「自動車を上回る成長商品[55]」であり、「装着率の伸びの分だけ、トヨタ自工より電装の成長力が高くても当然」(日経ビジネス 1979/12/3)と評された。カーエアコンを含む冷暖房機器の売上高は1975年度に770億円と電装品の741億円を上回り[56]、1980年度には2024億円へ達して電装品1532億円[57]との差を広げた。

  • 企業の歴史 明治百年(1968)
    • [49]1968年8月の安城工場第二期完成で本社工場・池田工場から電装品部門を全面移転し、生産能力を引き上げた
    • [50]1965年 本社工場隣接地に池田工場を新設
  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [51]1967年7月 安城市に安城製作所を建設
    • [52]1970年8月 西尾市に西尾製作所を建設
    • [53]1974年6月 安城市に高棚製作所を建設
  • 日経ビジネス 1992年8月24日号「21世紀への100人 石丸典生[日本電装社長]」
    • [54]石丸典生氏はカーエアコンの技術を育て、冷暖房事業を世界の4分の1のシェアを占めるまでに拡大した
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「日本電装。トヨタのワク越え“高収益の快走”」
    • [55]日経ビジネスの記事本文
  • 日本電装35年史
    • [56]1975年度の冷暖房機器770億円が電装品741億円を上回った
    • [57]1980年度の冷暖房機器2024億円・電装品1532億円

海外展開は1971年の米国法人設立に始まり[58]、1985年のニッポンデンソー・アメリカ[59]、1993年のメキシコ現地生産へ広がった。1993年12月の『日経産業新聞』は「色あせる『超優良』岐路に立つ日本電装[60]」(日経産業新聞 1993/12/20)と見出しを立てた。岡部弘社長は1996年10月に社名を日本電装からデンソーへ改めて[61]「日本」を外した。GMからデルファイ、フォードからビステオンが分かれて[62]部品会社が独立していく中で、岡部社長は「もう系列なんていうことを言っている時期ではない[63]」(日経ビジネス 1998/1/19)と語った。2003年に中国統括会社[64]、2007年にタイのアジア統括会社を設けた[65]深谷紘一社長は「世界の一部地域でのデンソー[66]」でしかないと述べ、三河の発想から抜け出すと掲げた(週刊東洋経済 2003/9/27)。2008年のトヨタグループ向け売上比率は49%[67]だった。

  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [58]1971年3月 米国にニッポンデンソー・オブ・ロスアンゼルスを設立(初の海外現地法人)
    • [59]1985年12月 米国にニッポンデンソー・アメリカを設立
    • [61]1996年10月 株式会社デンソーに商号変更
    • [64]2003年2月 中国の統括会社として電装(中国)投資有限公司を設立
    • [65]2007年2月 タイにアジアの統括会社デンソー・インターナショナル・アジアを設立
  • 日経産業新聞 1993年12月20日「色あせる"超優良" 岐路に立つ日本電装」
    • [60]日経産業新聞の見出し
  • 日経ビジネス 1998年1月19日号「編集長インタビュー 岡部弘氏[デンソー社長] もう系列などという時期ではない」
    • [62]GMからデルファイ(1995年)、フォードからビステオン(1997年)が分離し、部品会社の独立が相次いだ
    • [63]岡部弘社長の発言
  • 週刊東洋経済 2003年9月27日号「[KeyPerson]深谷紘一 デンソー社長 日本以外、トヨタ以外でも成長するために「三河の発想」から抜け出し 真のグローバル企業を目指したい」
    • [66]深谷紘一社長は当時のデンソーを「世界の一部地域でのデンソー」でしかないとし、三河の発想から抜け出すと述べた
  • 週刊東洋経済 2008年7月5日号「このひとに5つの質問 加藤宣明 デンソー社長」
    • [67]2008年時点のトヨタグループ向け売上比率は49%
  • 企業の歴史 明治百年(1968)
    • [49]1968年8月の安城工場第二期完成で本社工場・池田工場から電装品部門を全面移転し、生産能力を引き上げた
    • [50]1965年 本社工場隣接地に池田工場を新設
  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [51]1967年7月 安城市に安城製作所を建設
    • [52]1970年8月 西尾市に西尾製作所を建設
    • [53]1974年6月 安城市に高棚製作所を建設
    • [58]1971年3月 米国にニッポンデンソー・オブ・ロスアンゼルスを設立(初の海外現地法人)
    • [59]1985年12月 米国にニッポンデンソー・アメリカを設立
    • [61]1996年10月 株式会社デンソーに商号変更
    • [64]2003年2月 中国の統括会社として電装(中国)投資有限公司を設立
    • [65]2007年2月 タイにアジアの統括会社デンソー・インターナショナル・アジアを設立
  • 日経ビジネス 1992年8月24日号「21世紀への100人 石丸典生[日本電装社長]」
    • [54]石丸典生氏はカーエアコンの技術を育て、冷暖房事業を世界の4分の1のシェアを占めるまでに拡大した
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「日本電装。トヨタのワク越え“高収益の快走”」
    • [55]日経ビジネスの記事本文
  • 日本電装35年史
    • [56]1975年度の冷暖房機器770億円が電装品741億円を上回った
    • [57]1980年度の冷暖房機器2024億円・電装品1532億円
  • 日経産業新聞 1993年12月20日「色あせる"超優良" 岐路に立つ日本電装」
    • [60]日経産業新聞の見出し
  • 日経ビジネス 1998年1月19日号「編集長インタビュー 岡部弘氏[デンソー社長] もう系列などという時期ではない」
    • [62]GMからデルファイ(1995年)、フォードからビステオン(1997年)が分離し、部品会社の独立が相次いだ
    • [63]岡部弘社長の発言
  • 週刊東洋経済 2003年9月27日号「[KeyPerson]深谷紘一 デンソー社長 日本以外、トヨタ以外でも成長するために「三河の発想」から抜け出し 真のグローバル企業を目指したい」
    • [66]深谷紘一社長は当時のデンソーを「世界の一部地域でのデンソー」でしかないとし、三河の発想から抜け出すと述べた
  • 週刊東洋経済 2008年7月5日号「このひとに5つの質問 加藤宣明 デンソー社長」
    • [67]2008年時点のトヨタグループ向け売上比率は49%

2017年〜 電動化への転換と品質課題、2030年長期方針の策定

デンソーの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2017年 デンソーグループ2030年長期方針・2025年長期構想を策定
  2. 2017年 富士通テンを買収
  3. 2020年 燃料ポンプの樹脂製インペラ不具合に伴うグループ横断の大規模リコールと品質費用の計上 単価数千円の一部品の欠陥が数百万台の回収へ広がるとき、有馬浩二氏はTier1の品質責任にどう向き合ったか
  4. 2020年 トヨタ自動車から広瀬製作所を譲受
  5. 2023年 トヨタグループ向けが売上収益の49%

2030年長期方針が定めた電動化への重点投資

経済産業省などは約3万点ある自動車部品のうち約4割にあたる約1万1000点がEV化で不要になる[68]と試算し、内燃機関向けの比率が高い部品会社ほど株式市場の評価を下げた(週刊東洋経済 2017/10/21)。デンソーは2017年10月31日に「デンソーグループ2030年長期方針」[69]と「デンソーグループ2025年長期構想」を定め、電動化・自動運転・コネクティッド・非自動車事業の4分野に注力し、2025年度に売上収益7兆円、営業利益率10%[70]を掲げた。電動化を担当する篠原幸弘常務役員[71]は「電動化で必要な熱マネジメントも含め車両全体のシステムを提案できるのはデンソーくらいだ」と述べ、プリウスで積んだハイブリッド車の基幹部品と制御技術はEVでも使えると見ていた(週刊東洋経済 2017/10/21)。2017年11月に富士通テン[72]の出資比率を10%から51%へ引き上げ、既保有持分を含む取得対価は205億円[73]だった。

  • 週刊東洋経済 2017年10月21日号「【第1特集 EVショック】PART1 ガソリン車に吹く逆風 エンジンが消える未来 部品会社は生き残れるか」
    • [68]経済産業省などは約3万点ある自動車部品の約4割にあたる約1万1000点がEV化で不要になると試算した
    • [71]デンソーで電動化を担当する篠原幸弘常務役員が、車両全体のシステムを提案できるのはデンソーくらいだと語った
    • [69]デンソーは2017年10月に「デンソーグループ2030年長期方針」を策定し、その実現の道筋として「デンソーグループ2025年長期構想」を策定した
    • [70]電動化・先進安全/自動運転・コネクティッド・非車載事業を注力4分野とし、2025年度に売上収益7兆円・営業利益率10%を目標とした
  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [72]2017年11月に富士通テン株式会社(現デンソーテン)を買収し連結子会社とした
    • [73]富士通テンの取得対価の合計は20,538百万円(現金による取得対価16,511百万円+既保有持分の公正価値4,027百万円)

競争軸はコストダウンの技術から、ソフトウェアやサービスを含むプラットフォーム提供力[74]へ移った(日本経済新聞 2016/8/11)。有馬社長は「ソフトでできないものがあれば、自前だけでなく外の力も借りていく[75]」と述べ、電子プラットフォームの構築を掲げた(週刊東洋経済 2018/1/27)。2020年4月には車載半導体を開発するミライズ テクノロジーズがデンソー51%出資[76]で発足した。インバータとモータージェネレータの設計・製造を共通化し、EVには大電流化したパワー半導体、HVには昇圧機能[77]を入れた。機能を抜き差しして動力系の構成の振れに対応する設計を「デンソー流マルチパスウェイ」と呼ぶ[78](デンソー 決算説明会 2024/10/31)。有馬社長は2019年9月、「変われなければ破綻する」と語った[79](日本経済新聞 2019/9/11)。

  • 日本経済新聞 2016年8月11日朝刊「デンソー、2030年に備え」
    • [74]自動運転時代は加工やコストダウンの技術だけでなくソフトウエアやサービスを含むプラットフォームを提供できるかが勝負を分けるようになった
  • 週刊東洋経済 2018年1月27日号「トップに直撃 デンソー 社長 有馬浩二 Q.電動化や自動運転の波にどう対応していきますか」
    • [75]有馬浩二社長は、ソフトでできないものがあれば自前だけでなく外の力も借りていくと述べ、電子プラットフォームを作り上げる方針を示した
  • 週刊東洋経済 2020年10月24日号「【特集 半導体狂騒曲】第1部 日本勢は生き残れるか 次世代車向け半導体開発で合弁 トヨタ・デンソーが総力戦」
    • [76]次世代車載半導体を研究開発するミライズ テクノロジーズが2020年4月に始動。出資比率はデンソー51%、トヨタ49%
  • デンソー 2025年3月期第2四半期 決算説明会 質疑応答要旨(2024年10月31日)
    • [77]インバータやモータージェネレータの設計や製造の共通化を図り、電気自動車であれば大電流化してパワー半導体を入れ、ハイブリッド車であれば昇圧機能を入れる
    • [78]機能の抜き差しで対応するためどのパワトレミックスがきても対応できる、というのがデンソー流マルチパスウェイの考え方である
    • [79]有馬浩二社長は2019年9月、変われなければ破綻すると発信した
  • 週刊東洋経済 2017年10月21日号「【第1特集 EVショック】PART1 ガソリン車に吹く逆風 エンジンが消える未来 部品会社は生き残れるか」
    • [68]経済産業省などは約3万点ある自動車部品の約4割にあたる約1万1000点がEV化で不要になると試算した
    • [71]デンソーで電動化を担当する篠原幸弘常務役員が、車両全体のシステムを提案できるのはデンソーくらいだと語った
    • [69]デンソーは2017年10月に「デンソーグループ2030年長期方針」を策定し、その実現の道筋として「デンソーグループ2025年長期構想」を策定した
    • [70]電動化・先進安全/自動運転・コネクティッド・非車載事業を注力4分野とし、2025年度に売上収益7兆円・営業利益率10%を目標とした
  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [72]2017年11月に富士通テン株式会社(現デンソーテン)を買収し連結子会社とした
    • [73]富士通テンの取得対価の合計は20,538百万円(現金による取得対価16,511百万円+既保有持分の公正価値4,027百万円)
  • 日本経済新聞 2016年8月11日朝刊「デンソー、2030年に備え」
    • [74]自動運転時代は加工やコストダウンの技術だけでなくソフトウエアやサービスを含むプラットフォームを提供できるかが勝負を分けるようになった
  • 週刊東洋経済 2018年1月27日号「トップに直撃 デンソー 社長 有馬浩二 Q.電動化や自動運転の波にどう対応していきますか」
    • [75]有馬浩二社長は、ソフトでできないものがあれば自前だけでなく外の力も借りていくと述べ、電子プラットフォームを作り上げる方針を示した
  • 週刊東洋経済 2020年10月24日号「【特集 半導体狂騒曲】第1部 日本勢は生き残れるか 次世代車向け半導体開発で合弁 トヨタ・デンソーが総力戦」
    • [76]次世代車載半導体を研究開発するミライズ テクノロジーズが2020年4月に始動。出資比率はデンソー51%、トヨタ49%
  • デンソー 2025年3月期第2四半期 決算説明会 質疑応答要旨(2024年10月31日)
    • [77]インバータやモータージェネレータの設計や製造の共通化を図り、電気自動車であれば大電流化してパワー半導体を入れ、ハイブリッド車であれば昇圧機能を入れる
    • [78]機能の抜き差しで対応するためどのパワトレミックスがきても対応できる、というのがデンソー流マルチパスウェイの考え方である
    • [79]有馬浩二社長は2019年9月、変われなければ破綻すると発信した

燃料ポンプリコールが突きつけた品質の試練

2020年3月、デンソー製燃料ポンプの不具合でトヨタ自動車が北米を中心に世界で約322万台のリコール[80]を届け出た。部品単価は数千円にとどまる一方[81]、交換費用はそれをはるかに上回った。連結の製品保証引当金は2020年3月末に2543億円、2021年3月末に2304億円[82]を計上した。2024年2月には品質引当金1518億円を追加計上[83]し、2024年3月期の営業利益予想を4950億円へ引き下げた[84]。デンソーは決算説明会で、「品質のデンソー」を掲げてきたがこれが揺らいでいる自覚を強く持つとし、原点に立ち戻って信頼と信用を取り戻す[85]ことを第一に置くと説明した(デンソー 2024年3月期第3四半期決算説明会 2024/2/8)。

  • 日本経済新聞 2020年4月24日「デンソーの20年3月期、純利益7割減 新型コロナも影響」
    • [80]2020年3月にトヨタ自動車がデンソー製燃料ポンプの不具合で北米を中心に世界で約322万台をリコール(米国での最初の届出は2020年1月)
    • [81]燃料ポンプの部品単価は数千円にとどまる一方、交換費用は部品単価をはるかに上回った
  • デンソー 有価証券報告書 第98期(2021年3月期)注記17「引当金」
    • [82]連結の製品保証引当金は2020年3月31日残高254,342百万円、2021年3月31日残高230,496百万円
  • Car Watch 2024年2月2日「デンソー、2024年3月期第3四半期決算」
    • [83]2024年2月に品質引当金1518億円を追加計上し、2024年3月期の営業利益予想を4950億円へ引き下げた
    • [84]2024年3月期の営業利益予想を4950億円へ下方修正
  • デンソー 2024年3月期第3四半期 決算説明会 質疑応答要旨(2024年2月8日)
    • [85]「品質のデンソー」が揺らいでいる自覚を持ち、原点に立ち戻って信頼と信用を取り戻すことを第一に置くと説明した

2023年末から2024年初頭にかけてダイハツ工業と豊田自動織機の認証不正[86]が表面化した。デンソーはダイハツ工業向けの出荷停止で、第4四半期の約170億円を含む約190億円の売上減[87]を織り込んだ。経営陣はトヨタグループビジョンを「極めて厳粛に受け止めています」[88]と述べ、「意識」「知識」「風土」の三つで品質を立て直す[89]と説明した(デンソー 2024年3月期第3四半期決算説明会 2024/2/8)。燃料ポンプモジュール事業を愛三工業へ[90]、点火プラグなど2事業を日本特殊陶業へ譲渡する一方、電動化関連の2030年度売上高を2022年度比約2.8倍の1.7兆円[91]へ引き上げ、半導体に5000億円を投じる計画[92]を掲げた(週刊東洋経済 2024/1/6)。2024年3月に林新之助社長がCEOを兼ねた[93]。2023年3月期のトヨタグループ向け売上収益は3兆1588億円[94]で、連結売上収益6兆4013億円の49%を占めた。

  • 週刊東洋経済 2024年3月9日号「ヤバイ会社烈伝 第44回 トヨタ自動車」
    • [86]2023年末から2024年初頭にダイハツ工業・豊田自動織機の認証不正が表面化
  • デンソー 2024年3月期第3四半期 決算説明会 質疑応答要旨(2024年2月8日)
    • [87]ダイハツ工業向け出荷停止で12月に売上20億円減、第4四半期に約170億円減の合計約190億円を織り込んだ
    • [88]経営陣はトヨタグループビジョンを「極めて厳粛に受け止めています」と述べた
    • [89]品質の立て直しを「意識」「知識」「風土」の三つで進めると説明した
  • 週刊東洋経済 2024年1月6日号「【第1特集 EVシフト 絶頂と絶望】PART3」
    • [90]燃料ポンプモジュール事業を愛三工業へ、点火プラグなど2事業を日本特殊陶業へ譲渡
    • [91]電動化関連の2030年度売上高を2022年度比約2.8倍の1.7兆円へ
    • [92]半導体に2030年までに5000億円を投じる計画
  • 日本経済新聞 2024年3月11日「デンソー、林社長がCEOに 経営責任を集中」
    • [93]2024年3月に林新之助社長がCEOを兼務した
  • デンソー 有価証券報告書 第100期(2023年3月期)注記「セグメント情報(主要な顧客に関する情報)」
    • [94]2023年3月期のトヨタグループ向け売上収益3,158,814百万円は連結売上収益6,401,320百万円の49.3%(比率は連結売上収益との除算による)
  • 日本経済新聞 2020年4月24日「デンソーの20年3月期、純利益7割減 新型コロナも影響」
    • [80]2020年3月にトヨタ自動車がデンソー製燃料ポンプの不具合で北米を中心に世界で約322万台をリコール(米国での最初の届出は2020年1月)
    • [81]燃料ポンプの部品単価は数千円にとどまる一方、交換費用は部品単価をはるかに上回った
  • デンソー 有価証券報告書 第98期(2021年3月期)注記17「引当金」
    • [82]連結の製品保証引当金は2020年3月31日残高254,342百万円、2021年3月31日残高230,496百万円
  • Car Watch 2024年2月2日「デンソー、2024年3月期第3四半期決算」
    • [83]2024年2月に品質引当金1518億円を追加計上し、2024年3月期の営業利益予想を4950億円へ引き下げた
    • [84]2024年3月期の営業利益予想を4950億円へ下方修正
  • デンソー 2024年3月期第3四半期 決算説明会 質疑応答要旨(2024年2月8日)
    • [85]「品質のデンソー」が揺らいでいる自覚を持ち、原点に立ち戻って信頼と信用を取り戻すことを第一に置くと説明した
    • [87]ダイハツ工業向け出荷停止で12月に売上20億円減、第4四半期に約170億円減の合計約190億円を織り込んだ
    • [88]経営陣はトヨタグループビジョンを「極めて厳粛に受け止めています」と述べた
    • [89]品質の立て直しを「意識」「知識」「風土」の三つで進めると説明した
  • 週刊東洋経済 2024年3月9日号「ヤバイ会社烈伝 第44回 トヨタ自動車」
    • [86]2023年末から2024年初頭にダイハツ工業・豊田自動織機の認証不正が表面化
  • 週刊東洋経済 2024年1月6日号「【第1特集 EVシフト 絶頂と絶望】PART3」
    • [90]燃料ポンプモジュール事業を愛三工業へ、点火プラグなど2事業を日本特殊陶業へ譲渡
    • [91]電動化関連の2030年度売上高を2022年度比約2.8倍の1.7兆円へ
    • [92]半導体に2030年までに5000億円を投じる計画
  • 日本経済新聞 2024年3月11日「デンソー、林社長がCEOに 経営責任を集中」
    • [93]2024年3月に林新之助社長がCEOを兼務した
  • デンソー 有価証券報告書 第100期(2023年3月期)注記「セグメント情報(主要な顧客に関する情報)」
    • [94]2023年3月期のトヨタグループ向け売上収益3,158,814百万円は連結売上収益6,401,320百万円の49.3%(比率は連結売上収益との除算による)

デンソーの沿革1949〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
林虎雄日本電装を設立★★
林虎雄企業再建案を発表。473名の解雇★★
林虎雄朝鮮特需により業績好転
林虎雄東京証券取引所1部に株式上場
林虎雄ロバート・ボシュとの業務資本提携——品質と製品領域を借りて築いた技術自立の土台独立まもない日本電装は、なぜ電装品で世界最大手のボシュに株式を渡してまで技術を借りたのか 詳細を読む★★★
林虎雄電気洗濯機から撤退★★
林虎雄本社工場を増設(北工場竣工)
林虎雄池田工場を新設(刈谷市)
岩月達夫安城工場を新設(安城製作所)
岩月達夫西尾製作所を新設(エアコン増産)
岩月達夫初の海外子会社を設立
白井武明子会社を設立
白井武明欧州子会社を設立
白井武明高棚製作所を新設(安城市)
平野史冷暖房機器(カーエアコン)の売上が急拡大★★
平野史エレクトロニクス本部を発足
戸田憲吾売上高1兆円計画
戸田憲吾ニッポンデンソー・アメリカを設立
田中太郎豊橋製作所を新設
石丸典生北米向け売上高を拡大
石丸典生北米メキシコの生産拠点を拡充
石丸典生2期連続減益
岡部弘社名をデンソーに変更
岡部弘善明製作所を新設
岡部弘トヨタの支配力強化と系列見直しのなかでの自立模索親会社トヨタの支配を受け入れるか、系列を越えて自立するか——欧米サプライヤー大再編のなかでデンソーが迫られた生き残り戦略 詳細を読む★★★
深谷紘一電装投資有限公司を設立
深谷紘一デンソースピリットを制定
深谷紘一デンソー・インターナショナル・アジアを設立
加藤宣明大阪証券取引所を上場廃止
有馬浩二デンソーグループ2030年長期方針・2025年長期構想を策定
有馬浩二富士通テンを買収★★
有馬浩二燃料ポンプの樹脂製インペラ不具合に伴うグループ横断の大規模リコールと品質費用の計上単価数千円の一部品の欠陥が数百万台の回収へ広がるとき、有馬浩二氏はTier1の品質責任にどう向き合ったか 詳細を読む★★★
有馬浩二トヨタ自動車から広瀬製作所を譲受★★
林新之助トヨタグループ向けが売上収益の49%
林新之助スパークプラグ・排気ガスセンサー事業の日本特殊陶業への譲渡——電動化集中に向けた内燃機関成熟事業の切り離し70年前にボシュから借りて始めたスパークプラグを、なぜ電動化のいま手放すのか——内燃機関の成熟事業の切り離しをめぐる選択 詳細を読む★★★
林新之助パワー半導体の垂直統合をめざしたローム買収提案とその取り下げ全株取得による内製化か、買収によらない協業か——車載パワー半導体の垂直統合をめぐる賭け 詳細を読む★★★
出典・参考
  • 会社銀行八十年史(1955)
  • 証券アナリストジャーナル 1969年第7巻第3号「自動車業界とトヨタ自動車工業」
  • 私の履歴書 経済人3(石田退三, 1980)
  • 企業の歴史 明治百年(1968)
  • ダイヤモンド 1956年10月9日号「ドイツの会社と提携で社格をあげた日本電装」
  • 日経ビジネス 1979年12月3日号「日本電装。トヨタのワク越え“高収益の快走”」
  • ダイヤモンド 1967年9月18日号「自動車関連40社の業績調査」
  • 日経ビジネス 1985年1月21日号「ケーススタディ 日本電装 1兆円企業へ第一関門は“トヨタ離れ”」
  • 日経ビジネス 1991年8月26日号「飛躍の条件 日本電装 親会社トヨタも競争相手 電子技術の優位保つ開発力」
  • 日経産業新聞 1988年8月6日「トヨタ・モトローラ提携、部品摩擦回避へ先手」
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号「ケーススタディー 日本電装 拡販路線へ大転換」
  • 週刊東洋経済 2015年7月24日号「この人に聞く 有馬浩二 デンソー社長 トヨタとは距離を縮める」
  • デンソー 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1992年8月24日号「21世紀への100人 石丸典生[日本電装社長]」
  • 日本電装35年史
  • 日経産業新聞 1993年12月20日「色あせる"超優良" 岐路に立つ日本電装」
  • 日経ビジネス 1998年1月19日号「編集長インタビュー 岡部弘氏[デンソー社長] もう系列などという時期ではない」
  • 週刊東洋経済 2003年9月27日号「[KeyPerson]深谷紘一 デンソー社長 日本以外、トヨタ以外でも成長するために「三河の発想」から抜け出し 真のグローバル企業を目指したい」
  • 週刊東洋経済 2008年7月5日号「このひとに5つの質問 加藤宣明 デンソー社長」
  • 週刊東洋経済 2017年10月21日号「【第1特集 EVショック】PART1 ガソリン車に吹く逆風 エンジンが消える未来 部品会社は生き残れるか」
  • デンソー 有価証券報告書 第97期(2019年3月期)【従業員の状況】対処すべき課題
  • デンソー 有価証券報告書 第95期(2018年3月期)注記6「企業結合」
  • 日本経済新聞 2016年8月11日朝刊「デンソー、2030年に備え」
  • 週刊東洋経済 2018年1月27日号「トップに直撃 デンソー 社長 有馬浩二 Q.電動化や自動運転の波にどう対応していきますか」
  • 週刊東洋経済 2020年10月24日号「【特集 半導体狂騒曲】第1部 日本勢は生き残れるか 次世代車向け半導体開発で合弁 トヨタ・デンソーが総力戦」
  • デンソー 2025年3月期第2四半期 決算説明会 質疑応答要旨(2024年10月31日)
  • 日本経済新聞 2019年9月11日「「変われなければ破綻」デンソー有馬社長の覚悟」
  • 日本経済新聞 2020年4月24日「デンソーの20年3月期、純利益7割減 新型コロナも影響」
  • デンソー 有価証券報告書 第98期(2021年3月期)注記17「引当金」
  • Car Watch 2024年2月2日「デンソー、2024年3月期第3四半期決算」
  • デンソー 2024年3月期第3四半期 決算説明会 質疑応答要旨(2024年2月8日)
  • 週刊東洋経済 2024年3月9日号「ヤバイ会社烈伝 第44回 トヨタ自動車」
  • 週刊東洋経済 2024年1月6日号「【第1特集 EVシフト 絶頂と絶望】PART3」
  • 日本経済新聞 2024年3月11日「デンソー、林社長がCEOに 経営責任を集中」
  • デンソー 有価証券報告書 第100期(2023年3月期)注記「セグメント情報(主要な顧客に関する情報)」

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