| 期 | 区分 | 売上高 | 利益※ | 利益率 |
|---|---|---|---|---|
| 1982/3 | 単体 推定売上高 / 当期純利益 | 9億円 | - | - |
| 1983/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1984/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1985/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 42億円 | 7億円 | 17.9% |
| 1986/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 60億円 | 10億円 | 17.6% |
| 1987/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 73億円 | 12億円 | 16.4% |
| 1988/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 101億円 | 15億円 | 15.6% |
| 1989/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 146億円 | 27億円 | 18.9% |
| 1990/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1991/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 262億円 | - | - |
| 1992/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1993/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1994/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1995/3 | 連結 売上高 / 税引利益 | 387億円 | 77億円 | 20.1% |
| 1996/3 | 連結 売上高 / 税引利益 | 490億円 | 112億円 | 22.8% |
| 1997/3 | 連結 売上高 / 税引利益 | 589億円 | 134億円 | 22.7% |
| 1998/3 | 連結 売上高 / 税引利益 | 709億円 | 164億円 | 23.1% |
| 1999/3 | 連結 売上高 / 税引利益 | 651億円 | 131億円 | 20.1% |
| 2000/3 | 連結 売上高 / 税引利益 | 788億円 | 193億円 | 24.4% |
| 2001/3 | 連結 売上高 / 税引利益 | 1,011億円 | 274億円 | 27.1% |
| 2002/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 2003/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 936億円 | 237億円 | 25.3% |
| 2004/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,172億円 | 352億円 | 30.0% |
| 2005/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,394億円 | 452億円 | 32.4% |
| 2006/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,582億円 | 504億円 | 31.8% |
| 2007/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,827億円 | 586億円 | 32.0% |
| 2008/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,006億円 | 632億円 | 31.5% |
| 2009/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,653億円 | 419億円 | 25.3% |
| 2010/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,361億円 | 376億円 | 27.6% |
| 2011/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,848億円 | 553億円 | 29.9% |
| 2012/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,993億円 | 581億円 | 29.1% |
| 2013/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,178億円 | 675億円 | 30.9% |
| 2014/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,650億円 | 869億円 | 32.7% |
| 2015/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,340億円 | 1,210億円 | 36.2% |
| 2016/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,792億円 | 1,371億円 | 36.1% |
| 2017/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,126億円 | 1,531億円 | 37.1% |
| 2018/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,268億円 | 2,015億円 | 38.2% |
| 2019/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,870億円 | 2,261億円 | 38.5% |
| 2020/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,518億円 | 1,981億円 | 35.9% |
| 2021/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 5,381億円 | 1,972億円 | 36.6% |
| 2022/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 7,551億円 | 3,033億円 | 40.1% |
| 2023/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 9,224億円 | 3,629億円 | 39.3% |
キーエンスの創業期において最も特徴的な判断は、営業利益率20%超の祖業を利益率の差を理由に事業譲渡したことである。業績不振ではなく、センサー事業の営業利益率40%との比較で低いという理由で手放した。直販体制の採用と合わせて、創業から10年以内に「利益率の最大化」を経営の最上位基準に据える体制が確立された。2度の倒産を経た創業者が到達したこの原則が、以後50年にわたるキーエンスの高収益構造を規定している。
キーエンスの創業者である滝崎武光氏の経歴は異色である。最終学歴は尼崎工業高校卒業であり、在学中は学生運動の指導的立場にあったが、イデオロギーでは世の中は変わらないと観念し、数字で勝負できる事業家を志した。高校卒業後に外資系のプラント制御機器メーカーを経て1度目の起業に挑んだが、電子機器メーカーとして立ち上げた事業は倒産した。続く2度目の起業もメーカーの組み立て下請けとして立ち上げたものの、同様に倒産に至った。
1972年、滝崎氏は27歳で3度目の起業としてリード電機を兵庫県伊丹市にて個人創業した。祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機の製造であった。当時の切断機は大型が一般的であったが、滝崎氏は電子制御による小型化が可能と判断し、従来より小型の切断機を開発して電線メーカーへの納入に成功した。拠点が兵庫県であったことから、納入先は古河電工や住友電工など尼崎周辺に工場を持つメーカーであったと推定される。
創業期からキーエンスは顧客への直販体制を採用した。他社にない仕様の製品であるため、代理店経由では製品のメリットが顧客に伝わりにくいという判断であった。競合のオムロンが代理店経由の販売体制をとる中、キーエンスは最終ユーザーまで直接把握する営業体制で差別化を図った。この直販体制は、後にキーエンスの高収益構造を支える基盤となった。
1982年には祖業の自動線材切断機を他社に事業譲渡して撤退した。切断機事業は営業利益率20%超の収益事業であり、売上構成比も約1割を占めていた。しかし、主力に転換していたセンサー事業の営業利益率が約40%であったことから、利益率の低い事業を切り離してセンサーに経営資源を集中させた。業績不振ではなく利益率の差を理由に祖業を手放すという判断は、キーエンスの経営思想を象徴するものであった。
切断機事業の売却により、キーエンスはセンサー専業メーカーとしての方向性を明確にした。直販体制と利益率基準の事業選別という二つの原則は、創業から10年以内に確立され、以後のキーエンスの経営を一貫して規定することとなった。滝崎氏自身も「何もセンサーにこだわる必要はない。キーエンスの企業規模から考えて、今はセンサーを主力にしているだけで、仮の姿だ」と述べており、事業領域への執着よりも利益率の最大化を優先する姿勢が窺える。
2度の倒産を経験した創業者が、3度目の起業で築いた企業は、直販・高利益率・事業の取捨選択という原則に基づく経営体制を創業期から備えていた。1974年に法人化してリード電機株式会社を設立し、1986年に商号をキーエンスに変更した。創業期に確立されたこれらの経営原則は、後にキーエンスが日本有数の高収益企業に成長する土台となった。
| 年 | 出来事 |
| 1945 | 生まれ |
| 1964 | 尼崎工業高校・卒業 |
| n/a | 1社目を起業するも倒産 |
| n/a | 2社目を起業するも倒産 |
| 1972 | リード電機を個人創業(現キーエンス) |
| 1974 | リード電機株式会社・代表取締役社長 |
| 2000 | キーエンス・代表取締役会長 |
| 2015 | キーエンス・取締役名誉会長 |
キーエンスの創業期において最も特徴的な判断は、営業利益率20%超の祖業を利益率の差を理由に事業譲渡したことである。業績不振ではなく、センサー事業の営業利益率40%との比較で低いという理由で手放した。直販体制の採用と合わせて、創業から10年以内に「利益率の最大化」を経営の最上位基準に据える体制が確立された。2度の倒産を経た創業者が到達したこの原則が、以後50年にわたるキーエンスの高収益構造を規定している。
商品を通じて世の中を変えたい。常にそう思っています。今はセンサーを作っていますが、何もセンサーにこだわる必要はない。キーエンスの企業規模から考えて、今はセンサーを主力にしているだけで、仮の姿なんです。時代が移り、環境が変わったなら、事業内容だって変わって構わない。
それ以外には、理念というか、イデオロギーを強調する気はありません。というのは、私が高校に通っていた頃は学園紛争が花盛りで、私も運動を指導する立場についた。そこで「イデオロギーは結局好き嫌いの世界だ」ということを痛感しました。それがきっかけとなって、数字で勝負できる事業家を目指すようになりました。そもそもイデオロギーへのあきらめが創業のきっかけとなったんですから、経営には折り込まない方がうまくいうというのが私の持論なんです。(略)
最近は理念を前面に押し出すのが流行なのか、経営者同士の集まりでも「これからは団子より花でっせ」というような人がいるんですが、そうなっては事業家とは言えません。事業家の第一の条件は、総資産をうまく使って高い利益を上げることです。利益が上がらない、すなわち社員に対して付加価値の低い仕事しか与えられないのは、事業家として最悪です。
キーエンスは業容を縮小する2つの決断をしたことがある。一つは、82年に創業時の事業である自動線材切断機の製造・販売権をそっくり他社に売却したことだ。この機械は電線の切断に使う電線メーカー向けの商品。別に不採算事業だったというわけではない。営業利益率20%の立派な収益事業だった。売り上げに占める割合も約1割あった。にもかかわらず、あっさりと手放したのだ。(略)
滝崎社長の頭の中には、明快な方針があった。「切断機は営業利益率40%のFAセンサーに比べると利益率が低い。商品内容も異なるので開発にも無駄が生じる。FAセンサーの仕事が増えているのだから、そちらに特化した方が収益力は強まる」
大きな特徴は直販体制をとっていて、商社、代理店制度をとっていないということである。これは創業当初からで、なぜそうしたかというと、他社にない製品なので、商社、代理店を通じてPRすると、当社製品の価値がうまく顧客に伝わらないと考えたためである。代理店にはユーザーの事情で伝票を通すこともあるが、実際の商談はすべて当社が行なっており、最終ユーザーまで把握している。
キーエンスのセンサー事業は、トヨタ自動車のプレス加工における金型保護という具体的な課題から始まった。標準品への特化によるコスト抑制と、顧客の費用対効果を基準とした価格設定の組み合わせが、高い営業利益率の源泉となった。数億円の金型破損を防ぐセンサーに対して8万5千円の価格設定が成立する構造は、原価積み上げではなく導入効果に基づく値付けの典型である。この価格構造の原型が1970年代に形成された。
1970年代初頭、トヨタ自動車をはじめとする自動車メーカーはプレス加工において深刻な問題を抱えていた。板金の自動供給装置で二重送りが発生すると、数億円規模の高額な金型が破損する事故が繰り返されていた。当時も検知装置は存在したが動作が不安定であり、生産現場では金型保護が慢性的な課題となっていた。
この課題を知った滝崎武光氏は、交流磁界を応用した磁気センサによって板金の二重送りを検知する装置を開発した。1973年4月にトヨタ自動車への納入に成功し、約1年後にはトヨタの工場指定を獲得した。これを皮切りに日産自動車、三菱自工、本田技研など主要自動車メーカーへの納入が拡大し、キーエンスのセンサー事業の基盤が形成された。
センサー事業の拡大にあたって、キーエンスは二つの重要な方針を採った。第一に、受注生産(カスタム品)を行わず、カタログの標準品に特化したことである。カスタム品に対応すれば設計・生産コストが増加するため、汎用的な標準品を企画開発し、製品原価を抑制する方式を選んだ。1975年時点で金属2枚送り検出器の単価は85,000円であった。
第二に、価格設定を原価ベースではなく、顧客にとっての費用対効果を基準に据えたことである。センサーは設置しなくても生産ラインは止まらないが、異常検知によって歩留まりが向上し、数億円規模の金型破損を未然に防ぐことができる。この導入効果に対する対価として価格を設定したことで、原価に対して高い利益率を確保する構造が生まれた。
トヨタ自動車との取引が軌道に乗ったことを受けて、1974年5月に滝崎氏はリード電機を株式会社化した。法人化の直接的な理由はトヨタとの取引に法人口座が必要であったためと推察される。設立地は尼崎市であり、1977年時点で池田と東大阪に工場2拠点を運営していた。1970年代を通じて、金属片の検知を中心とした異常検知センサの製品群を年間1〜2製品のペースで拡充した。
交流磁界センサへの参入は、キーエンスの事業の方向性を決定づけた。生産現場の課題を解決するセンサーを標準品として開発し、付加価値ベースで価格を設定し、直販体制で顧客に届ける。このビジネスモデルの原型が1970年代に確立されたことで、キーエンスは後に祖業の切断機事業を売却し、センサー専業メーカーへの転換を完了することとなった。
| 製品名 | 機能 | 用途(推定) |
| 微小位検出スイッチ | 金属物体の極小位置を検知 | - |
| 金属板2枚送り検出器 | 無接触で検知。2枚送り時に信号を発火 | 自動車工場など |
| D.F DETECTOR | 金属の組成変化を検知 | 鉄鋼メーカー |
| 金属片通過確認スイッチ | 微小金属片を検知 | 金属加工メーカー |
| 継目検出器 | 穴の有無を検出 | - |
キーエンスのセンサー事業は、トヨタ自動車のプレス加工における金型保護という具体的な課題から始まった。標準品への特化によるコスト抑制と、顧客の費用対効果を基準とした価格設定の組み合わせが、高い営業利益率の源泉となった。数億円の金型破損を防ぐセンサーに対して8万5千円の価格設定が成立する構造は、原価積み上げではなく導入効果に基づく値付けの典型である。この価格構造の原型が1970年代に形成された。
48年(注:1973年)、現在のFA用センサーの専門メーカーとなるきっかけになる製品を開発した。そのセンサーは、プレス加工における金属板の自動供給装置の送りミス検出に使用されるものである。プレス加工の多いのが自動車産業で、この自動車産業の金型の保護に使用されるセンサーを開発した。自動車は、ボディーをはじめ金属加工のいろいろな部品がプレス加工されてできている。これらの金型は、相当高価なもので数億円するものもある。その当時、それらの金型を保護するものがあるにはあったが、非常に不安定なもので、時折、金型を壊すことがあったので、プレス加工工程では問題になっていた。その時、当社が開発した磁気応用センサーが非常に安定して確認できるということで採用されたのである。(略)
これが自動車関係、特にトヨタ自動車に採用され、約1年後に工場指定となり、トヨタ自動車の主力工場で使用されるようになった。これを皮切りに、日産自動車、三菱自工、本田技研、その他自動車メーカー、オートバイ・メーカーなどに多数採用されるようになった。(略)
それ以降、交流磁界を応用した磁気センサーを数々発表し、大体、年間1つないし2つの割合で開発してきた。
1973年4月に開発・発売した磁気応用センサ「金属二枚送り検出器」が自動車業界を中心に多数受け入れられ、会社としての基礎と方向が定まったので組織を改め、1974年5月にリード電機株式会社を設立し、今年で16年目になる。この間、1986年10月にブランドと商号の統一を図るため、社名を株式会社キーエンスに変更した。
キーエンスの上場における資本政策は、大規模な資金調達と創業者の高い持分維持を両立させた点に特徴がある。上場時と2度の公募増資で計601億円を調達しつつ、滝崎家の持分を約45%に維持した。自己資本比率90%超の財務基盤と、株価上昇の恩恵を最大化する創業者持分の設計が、後にキーエンスの時価総額拡大と創業者の資産4.2兆円という結果を生んだ。上場時の資本設計が長期的な企業価値を規定した事例である。
1987年10月、キーエンスは大阪証券取引所第2部に株式を上場した。上場時点のキーエンスはFY1986で売上高73億円、経常利益26億円という高い収益性を示しており、日本屈指の高収益企業の上場として注目を集めた。公募増資により約209億円の資金調達を実施し、上場前の自己資本比率62.6%は上場後に90.3%へと急上昇した。
上場に際しての資本政策は、創業者の滝崎武光氏の持分維持を重視したものであった。1989年3月時点で滝崎氏が個人で25.69%、資産管理会社の(株)ティ・ティが18.84%を保有しており、滝崎家として合計約45%の株式を保持していた。上場前の増資にあたって希薄化を最小限に抑える設計がなされており、創業者が上場後も高い保有比率を維持する資本構造が意図的に構築された。
キーエンスは上場後も追加の資金調達を実施した。1989年に176億円、1991年に216億円の公募増資を行い、上場時と合わせて計601億円の資金を株式市場から調達した。これらの調達により自己資本比率は90%超という極めて高い水準に達し、無借金に近い財務体質が確立された。
キーエンスのビジネスモデルはファブレスかつ直販体制であり、大規模な設備投資を必要としない。このため、調達した資金は研究開発と営業体制の強化に充当されたと推察される。大規模な借入や社債発行を必要としない収益構造と、公募増資による自己資本の積み上げが、キーエンス独自の財務基盤を形成した。
高収益体質と高い創業者持分という二つの要素が組み合わさったことで、キーエンスの株価上昇は創業者の資産を直接的に押し上げる構造が生まれた。滝崎家が約45%を保有する中で株価が上昇し続けたため、滝崎氏の個人資産は株価に連動して拡大した。2021年には滝崎氏の資産が4.2兆円に達し、ファーストリテイリングの柳井正氏やソフトバンクグループの孫正義氏を抑えて日本一の資産家となった。
この結果は、上場時の資本政策における希薄化抑制の設計が長期的に大きな意味を持ったことを示している。上場によって調達した601億円の資金は財務基盤を盤石にし、創業者の高い持分比率は株価上昇の恩恵を最大化した。高収益企業の上場における資本政策の設計が、創業者の資産形成と企業の財務体質の双方を規定した事例である。
| 名称 | 保有比率 | 備考 |
| 滝崎武光 | 25.69% | キーエンス創業者 |
| 株式会社ティ・ティ | 18.84% | 滝崎家の資産管理会社 |
| 岡本光一 | 2.93% | - |
| 三和銀行 | 2.83% | - |
| 大和銀行 | 2.51% | - |
| 太陽生命保険 | 1.89% | - |
| 滝崎美弥子 | 1.66% | 創業家 |
| 年度 | 負債の部合計 | 資本の部合計 | 自己資本比率 |
| 1987/3 | 28億円 | 47億円 | 62.6% |
| 1988/3 | 29億円 | 272億円 | 90.3% |
| 1989/3 | 49億円 | 474億円 | 90.6% |
キーエンスの上場における資本政策は、大規模な資金調達と創業者の高い持分維持を両立させた点に特徴がある。上場時と2度の公募増資で計601億円を調達しつつ、滝崎家の持分を約45%に維持した。自己資本比率90%超の財務基盤と、株価上昇の恩恵を最大化する創業者持分の設計が、後にキーエンスの時価総額拡大と創業者の資産4.2兆円という結果を生んだ。上場時の資本設計が長期的な企業価値を規定した事例である。
キーエンスの給与体系は、営業利益の一部を社員に還元するルールとして創業3年目に設計された。基本給を抑え、業績連動賞与で報酬の大部分を支払う構造は、営業利益率の高さがそのまま社員の報酬水準に反映される仕組みである。高い報酬で優秀な人材を獲得し、その人材が高付加価値を生み出すという循環構造が、キーエンスの競争力を支えている。利益と報酬を直結させた制度設計が50年にわたって機能し続けた事例である。
キーエンスの給与体系は創業者・滝崎武光氏の経営思想に基づいている。滝崎氏は「事業家の第一の条件は、総資産をうまく使って高い利益を上げることであり、社員に対して付加価値の低い仕事しか与えられないのは事業家として最悪だ」と述べている。仕事のやりがいと同等以上に、給与として数字で還元することにこだわった経営姿勢であった。
この思想を制度として具現化したのが、創業3年目から運用を開始した営業利益ベースの給与体系である。具体的には「営業利益の一部から半分を毎月の給与に加算し、残り半分を積み立てて賞与に加算するルール」を策定した。社員の基本給は相対的に低く設定される一方で、業績連動の賞与が報酬の大きな部分を占める構造であり、営業利益率の高さが直接的に社員の報酬水準に反映される仕組みであった。
1991年時点でキーエンスの社員の平均年齢は28歳であり、30歳を超えた社員には年収約1000万円の水準を提示していた。滝崎氏は「将来は株価だけではなく、給与も日本一にしたい」と語っており、高い報酬水準を人材獲得の競争力として位置づけていた。メーカーとしてはトップクラスの給与を支払うことで、優秀な人材の採用と定着を図る構造であった。
この給与体系は、キーエンスの高収益構造と表裏一体の関係にある。営業利益率が高いからこそ高い報酬を支払えるが、高い報酬で獲得した人材が高い付加価値を生み出すことで営業利益率が維持される。利益と報酬の循環構造が、キーエンスの競争力の源泉の一つとなった。
キーエンスの年間平均給与は営業利益に連動してボラティリティが高いが、営業利益率が好調だったFY2018に平均給与2000万円を突破した。コロナ禍で一時1800万円台に下がったものの、業績回復に伴いFY2021には過去最高の2279万円を記録した。平均年齢が若い企業としてこの給与水準は際立っており、メーカーとしては突出した水準であった。
2022年頃にはキーエンスの経営手法を分析する一般書籍が複数出版されるなど、社会的な注目が高まった。営業利益率50%超と平均年収2000万円超という二つの数字が、キーエンスの経営モデルを象徴するものとして広く認知されるに至った。創業3年目に設計された営業利益連動の給与体系が、50年後に「給与日本一のメーカー」という評価を生んだ形である。
キーエンスの給与体系は、営業利益の一部を社員に還元するルールとして創業3年目に設計された。基本給を抑え、業績連動賞与で報酬の大部分を支払う構造は、営業利益率の高さがそのまま社員の報酬水準に反映される仕組みである。高い報酬で優秀な人材を獲得し、その人材が高付加価値を生み出すという循環構造が、キーエンスの競争力を支えている。利益と報酬を直結させた制度設計が50年にわたって機能し続けた事例である。
人の採用では常に苦労しています。とはいえ、会社の規模を考えれば、その時その時で最高の人が来てくれていると思いますよ。うちはメーカーではトップクラスの給与を支払っている。30歳過ぎて年収1000万円に手が届きます。と言っても、特別な給与体系を採用しているわけではない。人を集めるには、仕事のやりがいも大切ですが、やはり数字に現れる待遇が良くないといけません。将来は株価だけではなく、給与も日本一にしたいですね。
キーエンスの海外展開は1985年に始まったが、本格的な成果が出たのは2010年代に入ってからである。新興国の生産合理化ニーズがリーマンショック後に顕在化し、20年以上維持してきた海外拠点が活きる市場環境が整った。国内の直販・即納モデルをそのまま移植する展開手法により、収益性を毀損せずにグローバル化を実現した。長期にわたる海外拠点維持が、市場環境の変化とともに成果に転じた構造である。
キーエンスの海外展開は1985年の米国現地法人設立に始まる。創業者の滝崎氏は海外売上比率30〜50%を目標に掲げたが、1990年代から2000年代を通じて売上構成の大半は国内に留まった。2000年代の中国をはじめとするアジアでは大量生産が重視される時代であり、高額なセンサーを導入して自動化を図るよりも、労働集約的に人員を投入するビジネスが主流であった。
この潮流が変化したのが2008年のリーマンショック以降であった。世界的な不況と為替変動を受けて、中国などの新興国でも生産合理化に対するニーズが高まった。人件費の上昇も加わり、従来は費用対効果が見合わなかった高額センサーの導入が正当化される環境が整い始めた。キーエンスが20年以上にわたって海外拠点を維持してきた蓄積が、ようやく活きる市場環境が到来した。
2010年12月にキーエンスの社長に山本晃則氏が就任し、グローバル展開を本格化する方針を打ち出した。経営目標として「海外売上高比率を早期に50%程度に引き上げる」ことを掲げた。ただし、キーエンスは投資額や経営計画の詳細を開示しない方針を採っており、競合に戦略を悟られない形で海外投資を進めたと推察される。
海外展開の具体策は、国内で確立した直販体制をそのまま海外に移植することであった。米国・中国・ドイツなど製造業が集積する地域に営業・技術サポート拠点を広範囲に設置し、受注から出荷までのリードタイムを短縮した。2011年以降はブラジル、インド、インドネシア、ベトナム、フィリピンと新興国への進出を加速させ、当日出荷という付加価値を海外でも提供する体制を整備した。
FY2014にキーエンスは海外売上比率50%を突破し、山本社長が掲げた目標を達成した。売上面では1985年に進出した米国が安定的に貢献しつつ、中国での売上を著しく伸ばした。東南アジアなど「その他」地域の売上も拡大しており、新興国の生産合理化ニーズを幅広く取り込むことに成功したと推察される。
2010年代を通じてキーエンスは国内偏重の企業からグローバル企業に変貌した。高収益体質を維持しつつ海外売上を拡大し、売上成長と利益率の両立を実現した。国内で確立した直販・即納・高利益率というビジネスモデルを海外にそのまま展開できたことが、グローバル化を収益性の毀損なく進められた要因であったと考えられる。
キーエンスの海外展開は1985年に始まったが、本格的な成果が出たのは2010年代に入ってからである。新興国の生産合理化ニーズがリーマンショック後に顕在化し、20年以上維持してきた海外拠点が活きる市場環境が整った。国内の直販・即納モデルをそのまま移植する展開手法により、収益性を毀損せずにグローバル化を実現した。長期にわたる海外拠点維持が、市場環境の変化とともに成果に転じた構造である。
グローバルな直販営業を強化し、さらに付加価値の高い商品を開発していきたい