政府機関である「通信省電気試験所」に勤務していた武田郁夫(当時30歳)は、日立や三菱などの大企業が出がけない「計測分野」に着目し、研究開発型ベンチャー企業としてタケダ理研工業(現アドバンテスト)を創業した。なお、武田郁夫の祖父は明治時代に豊橋鉄道や発電会社を創業した実業家・武田賢治氏であり、実家からの金銭的な支援もあったものと推察される。
集積回路(IC)の普及に合わせ、アドバンテストは半導体のテスタ装置に着目。通産省からの補助金をえて、4年の研究を経て1972年に国産初となる集積回路向けのテストシステム「T320」を発売。電卓やカラーテレビに使用される半導体のテスタとして注目を集める。
1973年のオイルショックによって、1975年3月期にアドバンテストは創業後初となる赤字(売上高80億円・最終赤字1億円・有利子負債50億円)に転落。創業者の武田郁夫はコンピューター分野に着目して研究開発投資を行っていたが、メインバンクは財務リスクが高いことや、銀行から派遣されたアドバンテストの常務と武田郁夫のコミュニケーションがうまくいかなかったことも災いし、メインバンクは融資を拒んで創業者の退任を要求する。それでも、武田郁夫はアドバンテストを研究開発型の企業として存続させるために、富士通との提携をアレンジし、社長を退任した。
クーデターによる混乱はあったものの、1970年代から1980年代にかけて日本の半導体産業(DRAM)が急成長を遂げ、テスタを手がけるアドバンテストの業績も好転。この結果、1983年にアドバンテストは株式上場を果たす。
1990年代を通じて、DRAMを中心とした半導体生産の拠点は、日本から韓国・台湾に遷移しつつあった。そこで、アドバンテストはアジア市場を重視する「アジアへ思い切ったパワーシフトを」という方針を掲げ、アジアで販売拠点を充実させる方針を打ち出す。