赤井電機の歴史
沿革
1924年に赤井舛吉氏が東京で始めたソケットラジオ部品の製造が起源。
1951年にテープレコーダーへ参入し、商社を通さず海外代理店と直接契約する輸出網を敷いた。輸出比率約95%の音響機器メーカーだったが、2000年に民事再生手続の開始を申請し、AKAIの商標だけが残った。
創業期
1924年〜赤井電機製作所の創業とテープレコーダー輸出
- 赤井電機製作所を個人創業
- 赤井電機を設立[1]
- 自動車電装・モーター・ラジオ部品の製造を開始[1]
- 赤井電機(2代目)を創業
- 本社を移転[1]
- 汎用モーター・電蓄用小型モーターの製造を開始[1]
- 縦型テープレコーダーで輸出
- 赤井商事を設立[1]
- テープメカニズム AT-1 を発売[1]
- ステレオテープレコーダー MS-60 を発売[1]
- 第4次工場拡張で4階建組立工場を増築[1]
- 4階建プレス組立工場を新築[1]
- クロスフィールドヘッド付テープレコーダー M-7 を発売[1]
- 第5次工場拡張で本社工場7階建を新築[1]
- 東京証券取引所第2部に株式上場
売上高経常利益率
- 売上高
- 経常利益率
赤井電機1969年11月期売上高142億円売上高経常利益率20.0%
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 1947年 | 赤井三郎 | 社長 |
低迷期
1970年〜円高による収益悪化と三菱電機の第三者割当増資
- 東京証券取引所第1部に指定替え[2]
- 赤井三郎氏が社長在任中に急逝
- ビデオ参入とVHS後発合流
- 三菱銀行が経営支援
- 三菱電機との提携を全面強化[3]
- 三菱電機と資本業務提携[4]
- 三菱電機からオーディオ製品の開発・生産を移管[5]
低迷期
1989年〜1026億円の最終赤字と民事再生手続の申請
- AV機器の北米向け輸出を停止[6]
- FY1994/11決算で経常赤字23億円を計上[7]
- セミテックグループが経営支援[8]
- ジェームス・H・ティン会長氏が社長兼務、種田公二社長が退任[9]
- 主力VTRの国内生産から撤退する方針を決定[10]
- 香港グランデ・グループの子会社に[2]
- 1026億円の最終赤字を計上し債務超過に転落[2]
- 親会社アカイ・HDが香港で清算決定[2]
- セミ・テックの傘下入り[2]