1924年4月
赤井電機製作所を個人創業

赤井舛吉氏がソケットラジオ部品を製造するために東京都港区で創業

1924年
4月
赤井電機製作所を個人創業
1929年
7月
赤井電機株式会社を設立
1947年
赤井電機(2代目)を創業

戦時中に赤井電機(初代)は同業他社のとの合併により消滅した。そこで、終戦直後の1947年に赤井三郎氏(実父が赤井舛吉氏)は、赤い電機を復活させて、再び独立起業をはかった。

赤井三郎氏は1947年から1973年に急逝するまで赤井電機の経営に従事。1968年に株式上場を果たすなど、終戦直後は町工場であった赤井電機の業容拡大に貢献した。

1951
4月

テープレコーダーに参入。輸出に特化

背景
小型モータの競争激化
赤井電機はレコードプレーヤー向けの小型モーターで国内シェア90%を確保していたが、この領域に大企業(松下電器)が参入して競争が激化。部品...
開発
縦型のレコーダーを開発
従来のテープレコーダーが横型でスペースを圧迫していたことに着眼し、赤井電機では省スペースで設置できる「縦型」のテープレコーダーを開発。先...
販売
輸出に特化
テープレコーダーは高額商品であり、経済復興の過程にあった国内での需要は限られていた。そこで、赤井電機はテープレコーダーを欧米などの先進国...
採用
エンジニアを高待遇採用
テープレコーダーの開発および製造のために、1960年代を通じて高学歴なエンジニアを高待遇で採用。このため、赤井電機は給与水準が高い電機メ...
販売
セールスエンジニアの育成
赤井電機は自社でセールスエンジニアを育成して、顧客に対してテープレコーダーの修理をグローバルで迅速に行う体制を構築。当時のテープレコーダ...
結果
輸出比率95%
1969年時点で赤井電機は売上高の95%を輸出により確保。高収益な電機メーカーとして株式上場を果たした。...
詳細をよむ
1948年
2月
レコード向け小型モーターを製造
1951年
4月
テープレコーダーの製造を開始
1953年
7月
販売部門を赤井商事を設立
1955年
9月
東京大田区(東糀谷)に本社工場を新設
1957年8月
生産設備に積極投資。輸出に注力

1957年
8月
第2次工場拡張計画(本社工場に新棟)
1959年
8月
第3次工場拡張計画(本社工場に新棟)
1961年
8月
第4次工場拡張計画(本社工場に増設)
1967年
4月
第5次工場拡張計画(本社工場に新棟)
1968年11月
東京証券取引所第2部に株式上場

企業経営の透明性を高めるために株式上場を選択。財務体質は良好で、売上高純利益率12.8%(FY1968)の高収益企業として注目を集めた。

決算
赤井電機の業績
1968年11月期(単体)
売上高
107
億円
当期純利益
14
億円
1973年12月
赤井三郎氏が社長在任中に急逝

実質創業者である赤井三郎氏が年末のスキー旅行の際に急逝。後任社長をめぐる後継争いなどが発生し、赤井電機の経営は迷走。1981年に三菱銀行出身の社長が就任して銀行支援を受けに至った。

決算
赤井電機の業績
1974年11月期(単体)
売上高
247
億円
当期純利益
7.11
億円
1981年1月
三菱銀行が経営支援

円高の進行でビデオとオーディオ機器の輸出が不振。資産売却が要に

1981年
11月
三菱銀行出身の社長就任
1983年
11月
減収減益
1986年
2月
三菱電機への第三者割当増資を発表
1985年
11月
最終赤字67億円を計上
1990年
5月
人員削減
決算
赤井電機の業績
1981年11月期(単体)
売上高
905
億円
当期純利益
-5.67
億円
1995年2月
セミテックグループが経営支援

三菱電機が再建を断念。香港系企業のセミテック社が支援へ

2000年11月
民事再生法の適用申請(倒産)
1997年
本社ビル(大田区)をセガに売却
2000年
11月
民事再生法の適用申請(負債総額470億円)
2001年
2月
東京証券取引所から上場廃止
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