日本ビクター蓄音機株式会社を設立(外資日本法人として)
アメリカのオーディオ(レコード)機器の先駆的企業であるビクター社が、日本への本格進出のために日本ビクター蓄音機を設立した。
横浜工場を新設
蓄音機およびレコードの製造競争で優位に立つため、1931年に日本ビクターは横浜に大規模工場を新設した。この工場は日本ビクターの旗艦工場となり、日本ビクターにおける重要拠点といして位置づけられた。
東芝が日本ビクターを買収。外資企業から国内企業へ
第二次世界大戦の勃発以降、日本ビクターの所有権は転々とした。戦時中に日本ビクターは敵国(アメリカ)資産の外資企業としてまずは日産財閥の傘下に入り、次に東芝が買収した。だが、第二次世界大戦の末期に空襲によって横浜工場が焼失して大打撃を受けて、東芝も日本ビクターに見切りをつけることとなる。
松下電器と資本提携を締結
1954年に松下電器(パナソニック)が日本ビクターの資本参加を決断し、日本ビクターは東芝に変わって松下電器の子会社として再出発する。なお、松下電器は大阪に本社および主力工場があるものの、首都圏における拠点が不十分であったため、この観点からも日本ビクターの救済は合理的な判断とみなされた。
東京証券取引所へ株式上場
松下電器の救済以降、日本ビクターは徹底した経費の節減を実施。この結果、コスト競争力のあるオーディオ企業として復活を果たし、1960年に東京証券取引所への株式上場を果たす。
鶴ヶ峰工場を新設(神奈川県横浜市)
オーディオ機器の量産のために国内生産拠点を拡充。以後、日本ビクターは関東圏を中心に工場を新設し、関西圏の松下電器(親会社)との棲み分けを行う
大和工場を新設(神奈川県大和市)
八王子工場を新設(東京都八王子市)
前橋工場を新設(群馬県前橋市)
水戸工場を新設(茨城県水戸市)
競争激化により減益へ
1970年代を通じてオーディオ業界では大企業のソニーに加え、ベンチャー企業のパイオニアなどの新興勢力が台頭し、市場における競争が激化した。このため、名門企業であった日本ビクターを取り巻く競争環境が悪化し、1973年に発生したオイルショックの余波もあり業績が伸び悩みに転じた。このため、日本ビクターについて当時のメディアは「凋落か再起か、剣が峰に立つ名門」(1975/5/26日経ビジネス)と報道している。
VHSを提唱。松下電器が規格採用
1970年代にビデオ市場が急速に立ち上がり、1975年にソニーがベータマックス方式を提唱。続いて1年遅れで日本ビクターがVHS規格を提唱して「ビデオ戦争」が勃発した。当初はソニーが有望視されたが、日本ビクターは親会社の松下電器がVHSを全面的に採用したことを受けて形勢を逆転させる。
欧米メーカーへのVHSのOEM提供を本格化
西ドイツのサバ社へのOEM供給を皮切りに、欧州の大手家電メーカーと連続的に提携。ゼニス(米)、トムソン(仏)、テレフンケン(独)、ソーン(英)といった大手企業と提携することで、グローバルでVHS規格を普及した
藤枝工場を新設(静岡県藤枝市)
横須賀工場を新設(神奈川県横須賀市)
売上高7000億円を突破。急成長企業として脚光
VHSの普及により1980年代前半を通じて急成長を実現。日本ビクターのVHSを育て上げた叩き上げの高野鎮雄氏(当時日本ビクター・専務)は「ミスターVHS」として世界から注目された。
ビデオ戦争で勝利
1980年代を通じて日本ビクターはVHS規格の普及で優位な立場を構築し、1988年に積年のライバルであるソニーが「VHSの併売」を決定したことで日本ビクターのビデオ戦争における勝利が確定的となった。日本ビクターはビデオ事業の収入(独自ブランドでの製造販売、及びライセンス収入)により業容を拡大し、1980年代後半には日本有数の優良企業として注目を浴びる。
最終赤字430億円を計上
1980年代後半に日本ビクターはVHSで覇権を確立したが、1985年に主要各国政府で締結された「プラザ合意」によって猛烈な勢いで円高が進行すると、韓国のサムスンなどがVHSの量産で台頭したため競争が激化。日本ビクターの生産拠点は横浜などの国内が中心であったため、円高ドル安の打撃を受ける形となった。このため、FY1992に日本ビクターは430億円の巨額赤字に転落し、前途に暗雲が漂い始めた。
シンガポールにアジア統括拠点を設立
円高が進行しきったタイミングでアジアへの生産移管を本格化。日本ビクターは出遅れる形に
「躍進21計画」をスタート
経営戦略を提唱するが目標を達成できず
従業員1150名を人員削減
全従業員の20%をリストラ。110億円の特別損失を計上
最終赤字475億円を計上
JVCケンウッドと経営統合
1990年代以降の日本ビクターはビデオ事業におる円高ドル安と、DVDというVHSの代替品との競争にさらされ業績を悪化させた。特にDVDの普及は致命的で、2000年代に液晶テレビとDVDレコーダーが同時普及したことを受けて、日本ビクターの主戦場であったVHSの凋落が決定的となった。このため、日本ビクターは企業としての単独存続が困難と判断し、2008年に同業のケンウッドとの経営統合を決断した。
旧日本ビクター川崎本社工場を売却
JVCケンウッドは日本ビクターの資産売却を開始。旧本社工場の売却を決定