売上
パイオニア:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
2,698億円
売上高:2022/3
利益
パイオニア:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
%
利益率:2022/3
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1938
1月

福音商会電気製作所を創業

人物

創業者の松本望氏について

パイオニアの創業者である松本望氏は、父親が牧師の家庭に育った。幼少期からバイオリンやピアノに親しむとともに、事業家として独立することを考えていた。

当初は楽器会社に勤務していたが勤め先が倒産したことを受けて、ラジオに関するセールスエンジニアに転身。この頃はラジオ放送が開始された直後であり、オーディオ機器という成長産業に身を投じる形となった。

そして、セールスエンジニアを退職し、松本望氏(当時24歳)は、大阪にてラジオ卸を開業して独立を果たした。同時に結婚をしており、夫婦二人三脚で事業にあたった。しかし、事業は軌道に乗らず経済的に困窮し、数年にわたって家族を抱えて不遇の時代を過ごした。

その後、ラジオ卸の商売をやめ(廃業したと思われる)、神戸でマイクなどの音響機器を製造していた「ヴィーナス・カンパニー」にセールスマネージャーとして就職。同社でオーディオー機器の製造に関わるようになると、再び独立への意欲が湧いたという。

そして、松本望氏は「福音商会電機製作所」を創業。2度目の独立を果たした。

一貫して音にこだわった理由について、松本望氏は「私は音楽好きだし、楽器好きでもあったし、うってつけの仕事だ」(1961『これが成長株だ』)と考えて事業化を目指した。

証言
松本望氏(パイオニア創業者)

勤めていた楽器会社が潰れまして、それでやれなくなった。それから少し病気をしましてブランクがあった。その間にラジオが世の中に出てきまして、ラジオも音に関係のあることですしね。月給取りになちゃったわけです。セールス・エンジニアですか、そういう形でこの商売に入ったわけです。

途中でスピーカー・メーカーとなって、スピーカー専門に作ってきたということなんです。しかし、スピーカーをつくるようになると、どうしても商売が優先しますね。ともかく私は事業をしたかったですからね。それで芸術家というものなしに、事業をしたい、事業をするには音に関係のある事業をしたいということだったわけです。

開発

高音質を追求したダイナミックスピーカーに注力

福音電機では、ラジオ向けの普及品である「マグネチック・スピーカー」ではなく、レコードプレーヤー向けの高音質な「ダイナミック・スピーカー」の製造開発に注力した。

この理由は、松本望氏が「いまはマグネチック・スピーカーが全盛を誇っているが、いずれ近い将来、かならずダイナミック・スピーカーが、これにかわる時代がくるに違いない」(『音に挑戦する企業:パイオニア』(1963))と考えたためである。

財務

キリスト教団体から資金調達(のちに決裂へ)

個人創業にあたって、松本望氏は宗教団体「福音商会(神戸でキリスト教の伝道活動を行う団体)」から借入を行うことで創業資金とした。この経緯について松本氏は「貧乏牧師の息子だったから資金がなかったんです。宗教団体で金を貸してくれる事業団体があったんで、それから借りて仕事を始めたわけです」(1961『これが成長株だ』)と語っている。松本氏自身もクリスチャンであった。

このため、個人創業時の屋号である「福音商会電気製作所」には、キリスト教伝道団体の福音商会が出資する「電機製作所」という位置づけをあらわす名称となった。

ところが、創業から1年間にわたって利益を出すことができなかったため、福音商会は「この商売には面白味がないから、以後資金の融通は打ち切る」(『音に挑戦する企業 : パイオニア』)と通告した。このため、松本望氏は「福音商会」のもとで商売を続けることを諦めて、残債整理を開始。その後、事業拠点を大阪から東京に移し、再起を図った。

証言
「若き事業家のチャンス」(解説著書)

ダイナミック・スピーカーの狙いには、たしかに先見の明があった。しかし、大阪を中心とする関西地方では時代に先行しすぎた感が強く、事業を起こして1年目、業績が上がらぬままに出資団体は資金援助を打ち切り、企業の閉鎖を申し入れてきた。大鉄槌だった。妻と子供5人を抱えた彼(注:松本望氏)にはあまりにも大きなショックだった。

創業

東京で再起を図る

福音電気の再起にあたって、東京を選択した理由は、スピーカーの需要が多い(日本コロムビアなど、オーディオメーカーが多数存在していた)ことを見込んだためである。東京への転身にあたって、松本氏の勤務先だった「ヴィーナスカンパニー」の関係者からの支援があったという。

東京移転後の最初の事業拠点は大崎であった。懇意にしていた都南ラジオ組合の三浦氏という人物の紹介を経て、トモエ製作所というコンデンサーメーカーが、好意によって松本氏に工場の一部を貸したことで事業拠点を確保した。

東京移転後は、修理事業で利益を確保しつつ、スピーカーの製造開発を行うことで事業を安定することを目指した。販売先は東京神田の得意先(名称不明)であったという。

結果

ダイナミックスピーカーで独占

東京移転後は事業を順調に伸ばし、ダイナミックスピーカーの市場規模が小さいこともあり、東京市場においては独占していた。販売先は、東芝や日本コロムビアなどのレコード再生機の完成品メーカーであり、スピーカーを部品として納入した。

間借りしている工場が手狭になったことを受けて、1940年には文京区音羽に移転。従業員数は東京移転時の5名(1938年)から、音羽移転直前には約15名、音羽移転後は約25名(1940年)へと増加した。

1946
12月

パイオニアの商標登録。スピーカー量産投資へ

ラジオの民放放送の開始

ラジオ向けスピーカーに量産投資

業容拡大により東証第2部に株式上場

1946年
12月
パイオニアを商標登録
1947年
5月
音羽に第1工場を新設
1951年
12月
音羽に第2工場を新設
1952年
11月
音羽に第3工場と第4工場を新設
1954年
11月
音羽に第5工場を新設
1958年
1月
音羽に新工場(旧第1工場跡地)
1958年
12月
音羽に第6工場を新設
1961年
10月
東京証券取引所第2部に株式上場
1955

テレビ製造に参入(のちに撤退)

テレビの普及を受けてテレビの製造に参入。だが、シャープや松下電器など競合の台頭を受けて、資金力に乏しいパイオニアはテレビからの撤退を決定した(1962年頃に撤退)。

1962
6月

セパレートステレオに進出

スピーカーの競争激化

オーディオ完成品に進出

世界初のセパレートステレオを開発

自社販売網を整備

売上拡大

1962年
1965年にかけて営業所を全国に新設(卸排除)
1962年
6月
世界初のセパレートステレオを発表
1963年
6月
石塚庸三氏を社外から常務としてスカウト
1969年
4月
静岡工場を新設
1970年
7月
川越工場を新設
1971
石坂庸三氏が社長就任。創業者の松本望氏は会長就任
1980
6月

家庭用LDプレーヤー「VP-1000」を発表

1978年
甲府市内に半導体研究所を新設
1980年
6月
VP-1000を発表
1981年
2月
LDディスクの量産に成功
1981年
10月
LDの発売
1985年
9月
ビデオディスク事業が黒字化
1986年
9月
ビデオディスク事業で売上高700億円弱
1991年
カラオケ用途を開拓して収益を確保
1995年
通信カラオケの普及でLDの需要低迷
1990
6月

世界初GPSカーナビを開発

1997
12月

プラズマディスプレイに新規参入

薄型テレビの普及(液晶vsプラズマ)

プラズマテレビの開発

プラズマテレビへの量産投資

NECのプラズマディスプレイ事業を買収

パナソニックとの競争で業績悪化へ

1997年
プラズマディスプレイ(PDP)を独自開発
1997年
4月
静岡工場でPDP量産を開始
PDP生産への投資額 358 億円
2001年
10月
静岡工場でPDP量産を開始
PDP生産への投資額 321 億円
2004年
10月
鹿児島工場でPDP量産を開始(旧NEC)
PDP生産への投資額 351 億円
2004年
2月
NECのプラズマディスプレイ事業を買収
2008
3月

プラズマテレビなどから撤退。社員1万名の削減

液晶テレビが定着。プラズマテレビ陣営が壊滅

プラズマテレビから撤退

拠点工場の閉鎖および生産移管を決定

2008年
3月
プラズマテレビの生産終了を発表
2008年
5月
国内2工場の閉鎖発表(山梨工場・鹿児島工場)
2009年
国内1工場の閉鎖を発表(静岡工場)
2009年
2月
社員1万名の削減決定(正社員6000名を含む)
2009

増資で倒産回避へ。カーオーディオに集中投資

2009年
3月
自己資本比率が急激に低下(FY2007:45.9%→FY2008:25.8%)
25.8 %
2011年
3月
公募増資による資金調達
323 億円
2011年
3月
社債償還期日
600 億円
2018
投資ファンドBPEAによる再生計画で合意
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