1946年
12月
パイオニアの商標登録。スピーカー量産投資へ
ラジオの民放放送の開始
ラジオ向けスピーカーに量産投資
業容拡大により東証第2部に株式上場
1946年
12月
パイオニアを商標登録
1947年
5月
音羽に第1工場を新設
1951年
12月
音羽に第2工場を新設
1952年
11月
音羽に第3工場と第4工場を新設
1954年
11月
音羽に第5工場を新設
1958年
1月
音羽に新工場(旧第1工場跡地)
1958年
12月
音羽に第6工場を新設
1961年
10月
東京証券取引所第2部に株式上場
1955年
テレビ製造に参入(のちに撤退)
テレビの普及を受けてテレビの製造に参入。だが、シャープや松下電器など競合の台頭を受けて、資金力に乏しいパイオニアはテレビからの撤退を決定した(1962年頃に撤退)。
1962年
6月
セパレートステレオに進出
スピーカーの競争激化
オーディオ完成品に進出
世界初のセパレートステレオを開発
自社販売網を整備
売上拡大
1962年
1965年にかけて営業所を全国に新設(卸排除)
1962年
6月
世界初のセパレートステレオを発表
1963年
6月
石塚庸三氏を社外から常務としてスカウト
1969年
4月
静岡工場を新設
1970年
7月
川越工場を新設
1971年
11月
石坂庸三氏が社長就任。創業者の松本望氏は会長就任
1980年
6月
家庭用LDプレーヤー「VP-1000」を発表
1978年
甲府市内に半導体研究所を新設
1980年
6月
VP-1000を発表
1981年
2月
LDディスクの量産に成功
1981年
10月
LDの発売
1985年
9月
ビデオディスク事業が黒字化
1986年
9月
ビデオディスク事業で売上高700億円弱
1991年
カラオケ用途を開拓して収益を確保
1995年
通信カラオケの普及でLDの需要低迷
1990年
6月
世界初GPSカーナビを開発
1997年
12月
プラズマディスプレイに新規参入
薄型テレビの普及(液晶vsプラズマ)
プラズマテレビの開発
プラズマテレビへの量産投資
NECのプラズマディスプレイ事業を買収
パナソニックとの競争で業績悪化へ
1997年
プラズマディスプレイ(PDP)を独自開発
1997年
4月
静岡工場でPDP量産を開始
PDP生産への投資額 358 億円
2001年
10月
静岡工場でPDP量産を開始
PDP生産への投資額 321 億円
2004年
10月
鹿児島工場でPDP量産を開始(旧NEC)
PDP生産への投資額 351 億円
2004年
2月
NECのプラズマディスプレイ事業を買収
2008年
3月
プラズマテレビなどから撤退。社員1万名の削減
液晶テレビが定着。プラズマテレビ陣営が壊滅
プラズマテレビから撤退
拠点工場の閉鎖および生産移管を決定
2008年
3月
プラズマテレビの生産終了を発表
2008年
5月
国内2工場の閉鎖発表(山梨工場・鹿児島工場)
2009年
国内1工場の閉鎖を発表(静岡工場)
2009年
2月
社員1万名の削減決定(正社員6000名を含む)
2009年
増資で倒産回避へ。カーオーディオに集中投資
2009年
3月
自己資本比率が急激に低下(FY2007:45.9%→FY2008:25.8%)
25.8 %
2011年
3月
公募増資による資金調達
323 億円
2011年
3月
社債償還期日
600 億円
2018年
12月
投資ファンドBPEAによる再生計画で合意
2018年
4月
疑義注記を記載
2018年
疑義注記を受けて金融機関が貸付を見送り
2018年
12月
投資ファンドBPEAがパイオニアの株式100%買取で合意
BPEAによる株式取得予定額 1020 億円
2019年
3月
東証1部を上場廃止
2019年
4月
希望退職者3000名を募集
2020年
1月
矢原史朗氏が社長に就任(ベインキャピタル出身)
2020年
2月
北村淳氏がCFOに就任(P&G出身)
2020年
9月
地図データの子会社インクリメント・ピーを売却
2025 (c) Yutaka Sugiura, Author