ニデック(日本電産)の歴史

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1975
4月

直流ブラシレスモータの生産開始

証言
永守重信(日本電産・創業者)

会社ではずっと高級デープレコーダーなどに使われる精密小型モータの設計をやりつつ、当時としては最先端技術とされるブラシレスモータの研究開発をやっていたのですが、当時はそういったマーケットは国内にはほとんどありませんでした。それでも将来はコンピュータやOA機器などが普及して大きなマーケットになると思いましたし、これを主力にすれば十分やっていけると考えたんですね。

そうしたら、創業して3ヶ月後に第一次オイルショックでしょう。省力化が盛んに叫ばれるようになり、小型で高性能、保守が不要でノイズも少ないブラシレスタイプの精密小型モータが脚光を浴びるようになった。わが社の出番がやってきたわけです。

1976
4月

米国日本電産を設立

1979
10月

HDD向けスピンドルモータの製造開始

コンピューターの記憶装置であるハードディスク向けのモーター(8インチ型HDD向けスピンドルモータ)の開発を開始した。だが、極めて高い精度が要求されたため、数年間の開発期間を経て、小型精密モーターの開発に成功する。以後、ハードディスク向けの小型モーターは、日本電産の主力製品の一つに育った。

1984
2月

米トリン社の軸流ファン部門を買収

1985

滋賀県に第3工場を新設

1985年に経済不況に陥り「日本電産は危ない」という噂が流れた。だが、永守重信は顧客である大企業からのモーターの引き合いが強いことを根拠として増産を決定。日本電産はハードディスク向けモーターを大量生産するために、45億円を投資して滋賀県に第3工場を新設した。

1988

大阪証券取引所に株式上場

1988年3月期に日本電産は売上高258億円、経常利益26億円の高業績を達成し、大阪証券取引所に株式を上場を果たす。創業者の永守重信は日本電産の株式上場によって、時価250億円の資産家になるとともに株式売却益40億円を確保。

1989

信濃特機を買収(HDD向けモータ)

HDD向けスピンドルモータで世界シェア1位を確保

1980年代を通じて日本電産はHDD向け小型モーター(スピンドル用 or ヘッド駆動用)のうち、スピンドル用のモーターで積極投資を実施。1989年の時点で日本電産は生産数量で世界シェア1位(72.2%)を確保して競合を圧倒した。

世界シェア2位の信濃特機を買収・雇用維持で独禁法問題をクリア

1989年に日本電産は信濃特機(ティアックの子会社)への資本参加および買収を決定した。

信濃特機は長野県に本社工場を置く電子部品メーカーであり、HDD向けスピンドル用のモーターで日本電産に次ぐ世界シェア2位(16.5%)の企業であった。しかし、日本電産との熾烈な競争によって、信濃特機は業績が悪化し、1988年3月末時点で債務超過に転落。親会社であるティアックは、信濃特機の売却を決定した。

日本電産としては、競合である信濃特機の救済的な買収によって、HDD向けスピンドルモーターの市場で独占体制を確立することを狙った。このため、信濃特機の買収は、救済的な側面を伴った。

雇用維持により独禁法の問題をクリア

買収にあたっての課題は、独禁法の問題であった。合併後のシェアは約90%に及ぶことから独禁法に抵触する恐れがあった。

そこで、日本電産は、公正取引委員会に対して、買収後も信濃特機の雇用を維持することを約束し、独占によって国内雇用の喪失が起きないことを表明した。これにより、公正取引員会は日本電産による信濃特機を認可し、日本電産はティアックから信濃特機の株式を取得し、買収が成立した。

世界シェアトップを確保

1989年の信濃特機買収により、日本電産はHDD向けスピンドルモーターで世界市場をほぼ独占。1990年代前半も世界シェア80%を確保し、日本電産における収益事業に育った。

1989年
信濃特機を買収
合併後世界シェア 88.7 %
スピンドル用HDD用モーター : 1989年度の世界シェア
企業名 順位 生産台数 世界シェア 主な生産拠点
日本電産 世界1位 1400万台 72.2% 第3工場 (滋賀)
信濃特機 世界2位 320万台 16.5% 本社工場 (長野)
富士電機 世界3位 120万台 6.2% 鈴鹿工場 (三重)
その他 - 100万台 5.1% -
出所:小型ハードディスクに関する市場調査 1990 | 1990/1
補足
信濃特機の概況(1988年3月期)

信濃特機の業績は、1988年3月期において売上高88億円・利益▲8.3億円(税引前後は不明)。4期連続の赤字を計上。従業員数は292名であり、本社および工場は長野県上伊那郡飯島町田切1145-5に置かれて地域雇用を創出していた。販売先はNEC、ティアック、富士通、ファナック、セイコーエプソン、松下通信工業など。

公正取引 (5)(475), 1990/5
東商信用録 中部版 昭和63年版, 1988/10
1989
3月

東南アジアで現地生産を本格化

1989年
3月
シンガポール日本電産を設立
1990年
8月
タイ日本電産を設立
1995年
12月
フィリピン日本電産を設立
1990
8月

中国での現地生産を本格化

1990年
8月
日本電産(大連)有限公司を設立
1995
3月

最終赤字に転落。HDD向け需要が一時的に減少

1995年3月期に日本電産は25億円の最終赤字に転落。主力だったHDD向けモータについて、パソコンの需要の急成長が一時的にストップしたことで日本電産も影響を被った。ただし、1995年にマイクロソフトがWindows95を発売すると、再びパソコン向けの需要が盛り返し、HDD向けモータ需要も回復したため、日本電産は翌1996年3月期に黒字転換した。

2000
10月

米シーゲートよりタイ工場を取得(HDD向け小型モーター)

2002
4月

中国での現地生産を強化

2003
10月

三協精機製作所に資本参加。流体動圧軸受に対応

流体動圧軸受けモーターの競合であった三協精機を買収し、海外生産拠点と国内の開発拠点を強化

2009

流体動圧軸受で世界シェア70%確保

2002年ごろから流体動圧軸受によるHDDが普及し始め、すでに加工技術を習得していた日本電産は増産で対応。この結果、ベアリングから流体動圧という技術変化にも対応することに成功し、引き続きHDD向けの小型精密モーターで世界シェア70%(2009年時点)を確保し続けた。

2013
3月

デジタル家電需要の一巡で大幅減益

2009年から2013年にかけて、日本政府によるエコポイント(デジタル家電の購買促進)の補助制度によって、液晶テレビを中心に家電需要が旺盛だったが、2013年までに需要が一巡。加えて2011年のタイ洪水によって、取引先のHDDメーカーの供給が滞ったため、日本電産も影響を被った、2013年3月期の日本電産は大幅減益となった。

2015
2月

欧州で部品メーカーの買収を積極化

2015年
2月
ドイツ・GP社を買収
2015年
5月
イタリア・Motortecnicaを買収
2015年
9月
イタリア・E.M.Gを買収
2016年
5月
イタリア・E.C.E.S.r.l.を買収
2017年
7月
イタリア・LGBを買収
2017年
11月
ドイツ・driveXpertを買収
2016
12月

米州で部品メーカーの買収を積極化

2016年
5月
米国Canton Elevatorを買収
2017年
1月
米国Emeerson Electricのモータ・ドライブ事業および発電事業を買収
2017年
3月
米国Vamco International, Inc.を買収
2018年
4月
米国Genmark Automation, Inc.を買収
2018
6月

永守重信氏が代表取締役会長に就任

2019
7月

エンブラコ社を買収

米国の家電メーカーであるワールプール社から、コンプレッサ事業(エンブラコ社)を1224億円で買収を決定。家電向けのモーター事業を強化するために、買収を決定

2019
10月

オムロンからオートモーティブ事業を買収

2024
2月

岸田光哉氏が社長就任

後継者選定のため副社長5名体制

2023年4月に日本電産の副社長として、北尾氏(元三井住友銀行出身)、小関氏(CTO)、岸田氏(元ソニー出身)、大塚氏(日本電産サンキョー社長)、西本氏(日本電産シンポ社長)の5名が就任。創業者である永守重信氏の後継候補として抜擢され、広く募る意味で日本電産の本社に加え、外部登用人材、子会社の社長が候補にあがった。

岸田氏が社長就任

元ソニー出身の岸田光哉が日本電産(ニデック)の代表取締役社長に就任。創業者である永守重信氏は代表取締役グローバルグループ代表に就任した。この結果、ニデックでは代表取締役2名の体制となり、永森氏からの事業承継の体制をとった。

2023年
4月
事業承継のため副社長5名体制
2024年
2月
岸田光哉氏が社長就任
2024
4月

商号をニデック株式会社に変更

創立50周年を機に商号を日本電産からニデックに変更

2025 (c) Yutaka Sugiura, Author
売上
ニデック(日本電産):売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
23,471億円
売上高:2024/3
利益
ニデック(日本電産):売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
5.3%
利益率:2024/3
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