1975年4月
直流ブラシレスモータの生産開始
1979年10月
HDD向けスピンドルモータの製造開始

コンピューターの記憶装置であるハードディスク向けのモーター(8インチ型HDD向けスピンドルモータ)の開発を開始した。だが、極めて高い精度が要求されたため、数年間の開発期間を経て、小型精密モーターの開発に成功する。以後、ハードディスク向けの小型モーターは、日本電産の主力製品の一つに育った。

決算
日本電産の業績
1980年3月期(単体)
売上高
16
億円
1985年
滋賀県に第3工場を新設

1985年に経済不況に陥り「日本電産は危ない」という噂が流れた。だが、永守重信は顧客である大企業からのモーターの引き合いが強いことを根拠として増産を決定。日本電産はハードディスク向けモーターを大量生産するために、45億円を投資して滋賀県に第3工場を新設した。

決算
日本電産の業績
1986年3月期(単体)
売上高
120
億円
1988年
大阪証券取引所に株式上場

1988年3月期に日本電産は売上高258億円、経常利益26億円の高業績を達成し、大阪証券取引所に株式を上場を果たす。創業者の永守重信は日本電産の株式上場によって、時価250億円の資産家になるとともに株式売却益40億円を獲得した。これにより、永守重信は、抵当に入れた家、10億円の借金(増資のたびに借金により株を購入)、というリスクを負った生活と決別する。

1989年
信濃特機に資本参加

1980年代を通じてハードディスク向けモータでは、日本電産がトップシェア60%、信濃特機がシェア30%となり、日本電産の優位が確定しつつあった。なお、両者は1980年代を通じてシェアを争っていたが、信濃精機は商社経由の販売により顧客対応が遅れた一方、日本電産は迅速な顧客対応によってシェア争いに勝利した。そこで、日本電産は国内シェアを確保するために、信濃特機の資本参加を決めた。だが、シェア90%のために独占禁止法に抵触する恐れがあったが、日本電産は信濃特機(長野県)の雇用を守るることを約束し、買収が認められたという経緯がある。

1989年
信濃特機に資本参加
1993年
HDD向けモータで世界シェアトップ
世界シェア 80 %
決算
日本電産の業績
1990年3月期(単体)
売上高
454
億円
1995年3月
最終赤字に転落。HDD向け需要が一時的に減少

1995年3月期に日本電産は25億円の最終赤字に転落。主力だったHDD向けモータについて、パソコンの需要の急成長が一時的にストップしたことで日本電産も影響を被った。ただし、1995年にマイクロソフトがWindows95を発売すると、再びパソコン向けの需要が盛り返し、HDD向けモータ需要も回復したため、日本電産は翌1996年3月期に黒字転換した。

決算
日本電産の業績
1995年3月期(単体)
売上高
731
億円
当期純利益
-25.7
億円
2003年10月
三協精機製作所に資本参加。流体動圧軸受に対応

流体動圧軸受けモーターの競合であった三協精機を買収し、海外生産拠点と国内の開発拠点を強化

決算
日本電産の業績
2004年3月期(連結)
売上高
3290
億円
当期純利益
114
億円
2009年
流体動圧軸受で世界シェア70%確保

2002年ごろから流体動圧軸受によるHDDが普及し始め、すでに加工技術を習得していた日本電産は増産で対応。この結果、ベアリングから流体動圧という技術変化にも対応することに成功し、引き続きHDD向けの小型精密モーターで世界シェア70%(2009年時点)を確保し続けた。

決算
日本電産の業績
2010年3月期(連結)
売上高
5715
億円
当期純利益
519
億円
2013年3月
デジタル家電需要の一巡で大幅減益

2009年から2013年にかけて、日本政府によるエコポイント(デジタル家電の購買促進)の補助制度によって、液晶テレビを中心に家電需要が旺盛だったが、2013年までに需要が一巡。加えて2011年のタイ洪水によって、取引先のHDDメーカーの供給が滞ったため、日本電産も影響を被った、2013年3月期の日本電産は大幅減益となった。

決算
日本電産の業績
2013年3月期(連結)
売上高
7092
億円
当期純利益
80
億円
2014年12月
GPM社を買収
2018年6月
永守重信氏が代表取締役会長に就任
2023年3月
事業承継のため副社長5名体制
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