1973年〜 精密小型モータの創業とHDD市場独占の時代
- 1973年日本電産株式会社を設立
- 1975年京都府亀岡市に亀岡工場(1993年12月に閉鎖)を開設
- 1975年直流ブラシレスモータの生産開始
- 1976年米国日本電産を設立
- 1979年HDD向けスピンドルモータの製造開始
- 1985年滋賀県に第3工場を新設
- 1989年信濃特機を買収(HDD向けモータ)
ニデックの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
創業期の米国経由による信用獲得と営業戦略
1973年7月、27歳の永守重信は京都市西京区で資本金200万円の日本電産を設立した。もともと35歳での独立を計画していたが、列島改造ブームによる経済の混乱を「チャンスの多い時期」と捉え、7年前倒しで起業した。自信作の精密小型モータを国内メーカーに片っ端から売り込んだが「若すぎる、信用がない」(国内メーカー取引担当者、日経ビジネス 1997/11/17)とほぼ全ての訪問先で門前払いとなった。永守は国内営業を見切って渡米し、電話帳で3Mを探し当てて訪ねた。同社製品のモータを半分の大きさにできる、と売り込むと、3Mはサンプル品を発注し、出来上がりを見て「ワンダフル」と繰り返したうえ5億円の注文を出した。海外実績を国内信用の梃子とする営業の型が、創業直後から固まった。 [1][2][3][4]
- ニデック 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1973年7月 京都市西京区に日本電産㈱(現ニデック㈱)を設立
- [2]創業者は永守重信(設立時27歳)
- [3]本店は京都市西京区
- 日経産業新聞(2016年4月28日)
- [4]3Mへ売り込みサンプル発注後5億円注文(米国経由で信用獲得)
米国での採用実績が信用として働き、かつて門前払いにあった国内メーカーからも受注が次々と決まった。1974年にはオムロン創業者・立石一真が主宰するベンチャーキャピタルKEDから500万円の出資を得たが、永守にとっては金額そのものより「KEDが出資した」という事実自体が金融機関からの融資を引き出す梃子となった。1975年2月に京都府亀岡市に亀岡工場、1976年4月に米国セントポール市に米国日本電産(現ニデックアメリカ)、1984年2月に米国トリントン市にニデック・トリンコーポレーションを設立し、海外拠点網を早期に整えた。日経ビジネスが「日本の輸出の"軽薄短小"化は確実に進んでいる」(日経ビジネス 1982/8/23)と伝えた通り、モータの小型化・高精度化は日本製造業全体の追い風だった。創業から15年後の1988年11月に京都証券取引所と大阪証券取引所市場第二部へ上場し、資金調達基盤を固めた。 [5][6][7][8][9]
- 日経ビジネス(1997年11月17日)
- [5]1974年 オムロン創業者・立石一真が主宰するVC『KED』から500万円の出資
- ニデック 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)【沿革】
- [6]1975年2月 京都府亀岡市に亀岡工場を開設
- [7]1976年4月 米国セントポール市に米国日本電産(現ニデックアメリカ)を設立
- [8]1984年2月 米国トリントン市にニデック・トリンコーポレーションを設立
- [9]1988年11月 京都証券取引所並びに大阪証券取引所市場第二部に上場(創業から15年後)
- ニデック 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1973年7月 京都市西京区に日本電産㈱(現ニデック㈱)を設立
- [2]創業者は永守重信(設立時27歳)
- [3]本店は京都市西京区
- [6]1975年2月 京都府亀岡市に亀岡工場を開設
- [7]1976年4月 米国セントポール市に米国日本電産(現ニデックアメリカ)を設立
- [8]1984年2月 米国トリントン市にニデック・トリンコーポレーションを設立
- [9]1988年11月 京都証券取引所並びに大阪証券取引所市場第二部に上場(創業から15年後)
- 日経産業新聞(2016年4月28日)
- [4]3Mへ売り込みサンプル発注後5億円注文(米国経由で信用獲得)
- 日経ビジネス(1997年11月17日)
- [5]1974年 オムロン創業者・立石一真が主宰するVC『KED』から500万円の出資
HDD用スピンドルモータによる世界独占体制の確立
1979年に8インチ型ハードディスクドライブ向けスピンドルモータの開発に着手し、数年の集中的な開発期間を経て小型精密モータの量産に成功した。1984年10月には滋賀県愛知郡愛知川町(現愛荘町)に滋賀工場(現滋賀技術開発センター)を開設して国内生産の中核拠点を置き、米国のHDDメーカー向け供給体制を整えた。1985年には「日本電産は危ない」という根拠のない噂が業界に流れるなか、永守は大手企業からの引き合いの強さを根拠に45億円を投じて滋賀県に第3工場を新設し、増産に踏み切った。この判断が後のシェア拡大の起点となり、周囲の懐疑的な見方を裏返す結果へつながった。関西の中小メーカーから世界最大級のモータメーカーへの転換の始まりである。 [10][11]
- ニデック 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)【沿革】
- [10]1979年(10月)HDD向けスピンドルモータの開発に着手・製造開始
- [11]1984年10月 滋賀県愛知郡愛知川町(現愛荘町)に滋賀工場(現滋賀技術開発センター)を開設
1989年時点でHDD向けスピンドルモータの世界シェアは72.2%に達し、2位の信濃特機の16.5%以下を引き離す態勢を築いた。同年3月、永守は経営難に陥っていた信濃特機をティアックから買収し、合併後のシェアは約88.7%へ上昇した。日経産業新聞は「日本電産の市場シェアはほぼ9割に達し、小さな市場の"巨人企業"が誕生する」(日経産業新聞 1989/5/22)と報じ、独占禁止法の審査では「従業員の雇用を維持する」(永守重信、小型ハードディスクに関する市場調査 1990)という永守の確約が認可の決め手となった。HDD向けモータの独占体制が固まり、1990年8月にタイ日本電産、1992年2月に中国大連、10月に台湾、1993年4月にドイツ、10月に香港へと生産・販売拠点の展開が続いた。出荷量はパソコン需要の膨張とともに伸び、この収益基盤が1990年代以降のM&A戦略を支える資金源となった。 [12][13]
- ニデック 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)【沿革】
- [12]1989年3月 信濃特機を買収
- [13]1990年8月 タイ日本電産、1992年2月 中国大連、10月 台湾、1993年4月 ドイツ、10月 香港へ拠点展開
- ニデック 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)【沿革】
- [10]1979年(10月)HDD向けスピンドルモータの開発に着手・製造開始
- [11]1984年10月 滋賀県愛知郡愛知川町(現愛荘町)に滋賀工場(現滋賀技術開発センター)を開設
- [12]1989年3月 信濃特機を買収
- [13]1990年8月 タイ日本電産、1992年2月 中国大連、10月 台湾、1993年4月 ドイツ、10月 香港へ拠点展開