直流ブラシレスモータの生産開始
会社ではずっと高級デープレコーダーなどに使われる精密小型モータの設計をやりつつ、当時としては最先端技術とされるブラシレスモータの研究開発をやっていたのですが、当時はそういったマーケットは国内にはほとんどありませんでした。それでも将来はコンピュータやOA機器などが普及して大きなマーケットになると思いましたし、これを主力にすれば十分やっていけると考えたんですね。
そうしたら、創業して3ヶ月後に第一次オイルショックでしょう。省力化が盛んに叫ばれるようになり、小型で高性能、保守が不要でノイズも少ないブラシレスタイプの精密小型モータが脚光を浴びるようになった。わが社の出番がやってきたわけです。
米国日本電産を設立
HDD向けスピンドルモータの製造開始
コンピューターの記憶装置であるハードディスク向けのモーター(8インチ型HDD向けスピンドルモータ)の開発を開始した。だが、極めて高い精度が要求されたため、数年間の開発期間を経て、小型精密モーターの開発に成功する。以後、ハードディスク向けの小型モーターは、日本電産の主力製品の一つに育った。
米トリン社の軸流ファン部門を買収
滋賀県に第3工場を新設
1985年に経済不況に陥り「日本電産は危ない」という噂が流れた。だが、永守重信は顧客である大企業からのモーターの引き合いが強いことを根拠として増産を決定。日本電産はハードディスク向けモーターを大量生産するために、45億円を投資して滋賀県に第3工場を新設した。
大阪証券取引所に株式上場
1988年3月期に日本電産は売上高258億円、経常利益26億円の高業績を達成し、大阪証券取引所に株式を上場を果たす。創業者の永守重信は日本電産の株式上場によって、時価250億円の資産家になるとともに株式売却益40億円を確保。
信濃特機を買収(HDD向けモータ)
HDD向けスピンドルモータで世界シェア1位を確保
1980年代を通じて日本電産はHDD向け小型モーター(スピンドル用 or ヘッド駆動用)のうち、スピンドル用のモーターで積極投資を実施。1989年の時点で日本電産は生産数量で世界シェア1位(72.2%)を確保して競合を圧倒した。
世界シェア2位の信濃特機を買収・雇用維持で独禁法問題をクリア
1989年に日本電産は信濃特機(ティアックの子会社)への資本参加および買収を決定した。
信濃特機は長野県に本社工場を置く電子部品メーカーであり、HDD向けスピンドル用のモーターで日本電産に次ぐ世界シェア2位(16.5%)の企業であった。しかし、日本電産との熾烈な競争によって、信濃特機は業績が悪化し、1988年3月末時点で債務超過に転落。親会社であるティアックは、信濃特機の売却を決定した。
日本電産としては、競合である信濃特機の救済的な買収によって、HDD向けスピンドルモーターの市場で独占体制を確立することを狙った。このため、信濃特機の買収は、救済的な側面を伴った。
雇用維持により独禁法の問題をクリア
買収にあたっての課題は、独禁法の問題であった。合併後のシェアは約90%に及ぶことから独禁法に抵触する恐れがあった。
そこで、日本電産は、公正取引委員会に対して、買収後も信濃特機の雇用を維持することを約束し、独占によって国内雇用の喪失が起きないことを表明した。これにより、公正取引員会は日本電産による信濃特機を認可し、日本電産はティアックから信濃特機の株式を取得し、買収が成立した。
世界シェアトップを確保
1989年の信濃特機買収により、日本電産はHDD向けスピンドルモーターで世界市場をほぼ独占。1990年代前半も世界シェア80%を確保し、日本電産における収益事業に育った。
企業名 | 順位 | 生産台数 | 世界シェア | 主な生産拠点 |
日本電産 | 世界1位 | 1400万台 | 72.2% | 第3工場 (滋賀) |
信濃特機 | 世界2位 | 320万台 | 16.5% | 本社工場 (長野) |
富士電機 | 世界3位 | 120万台 | 6.2% | 鈴鹿工場 (三重) |
その他 | - | 100万台 | 5.1% | - |
信濃特機の業績は、1988年3月期において売上高88億円・利益▲8.3億円(税引前後は不明)。4期連続の赤字を計上。従業員数は292名であり、本社および工場は長野県上伊那郡飯島町田切1145-5に置かれて地域雇用を創出していた。販売先はNEC、ティアック、富士通、ファナック、セイコーエプソン、松下通信工業など。
東南アジアで現地生産を本格化
中国での現地生産を本格化
最終赤字に転落。HDD向け需要が一時的に減少
1995年3月期に日本電産は25億円の最終赤字に転落。主力だったHDD向けモータについて、パソコンの需要の急成長が一時的にストップしたことで日本電産も影響を被った。ただし、1995年にマイクロソフトがWindows95を発売すると、再びパソコン向けの需要が盛り返し、HDD向けモータ需要も回復したため、日本電産は翌1996年3月期に黒字転換した。
米シーゲートよりタイ工場を取得(HDD向け小型モーター)
中国での現地生産を強化
三協精機製作所に資本参加。流体動圧軸受に対応
流体動圧軸受けモーターの競合であった三協精機を買収し、海外生産拠点と国内の開発拠点を強化
流体動圧軸受で世界シェア70%確保
2002年ごろから流体動圧軸受によるHDDが普及し始め、すでに加工技術を習得していた日本電産は増産で対応。この結果、ベアリングから流体動圧という技術変化にも対応することに成功し、引き続きHDD向けの小型精密モーターで世界シェア70%(2009年時点)を確保し続けた。
デジタル家電需要の一巡で大幅減益
2009年から2013年にかけて、日本政府によるエコポイント(デジタル家電の購買促進)の補助制度によって、液晶テレビを中心に家電需要が旺盛だったが、2013年までに需要が一巡。加えて2011年のタイ洪水によって、取引先のHDDメーカーの供給が滞ったため、日本電産も影響を被った、2013年3月期の日本電産は大幅減益となった。
欧州で部品メーカーの買収を積極化
米州で部品メーカーの買収を積極化
永守重信氏が代表取締役会長に就任
エンブラコ社を買収
米国の家電メーカーであるワールプール社から、コンプレッサ事業(エンブラコ社)を1224億円で買収を決定。家電向けのモーター事業を強化するために、買収を決定
オムロンからオートモーティブ事業を買収
岸田光哉氏が社長就任
後継者選定のため副社長5名体制
2023年4月に日本電産の副社長として、北尾氏(元三井住友銀行出身)、小関氏(CTO)、岸田氏(元ソニー出身)、大塚氏(日本電産サンキョー社長)、西本氏(日本電産シンポ社長)の5名が就任。創業者である永守重信氏の後継候補として抜擢され、広く募る意味で日本電産の本社に加え、外部登用人材、子会社の社長が候補にあがった。
岸田氏が社長就任
元ソニー出身の岸田光哉が日本電産(ニデック)の代表取締役社長に就任。創業者である永守重信氏は代表取締役グローバルグループ代表に就任した。この結果、ニデックでは代表取締役2名の体制となり、永森氏からの事業承継の体制をとった。
商号をニデック株式会社に変更
創立50周年を機に商号を日本電産からニデックに変更