創業地東京都
2025/3 売上高11,234億円YoY+1.8%
2025/3 売上総利益3,179億円YoY+4.8%
2025/3 営業利益1,176億円YoY+10.9%
FY24 単体平均給与810万円前年度比+23万円
2025年3月末 時価総額9,403億円前年度比▲5,877億円
創業1923※古河電気工業(創業者)
上場1949-

1923年、古河電気工業とドイツ・シーメンスが合弁で設立した富士電機は、資本金1,000万円のうちシーメンス分300万円が機械現物と技術供与の振替だったため設立時点から現金不足を抱え、1923年度から1931年度までの9期中7期で最終赤字となった。川崎工場の新設は借入に依存し、日立・三菱電機・明電舎が先行する重電市場での後発参入は4期連続減収につながり、1931年に名取和作社長は全従業員の16%にあたる205名の人員削減を実施し自らも引責辞任した。合弁出自が生んだ構造的な資金制約は戦前期の収益力を長く縛った。それから78年後の2009年3月期、リーマン・ショックで純損失733億円・営業赤字188億円を計上し、2009年6月就任の北澤通宏社長はパワー半導体への集中を選びSiC(炭化ケイ素)モジュール開発と松本工場への増産投資を進めた。こうしてEV用インバータと再エネ向け需要を取り込み2024年3月期に営業利益1,060億円・純利益753億円の過去最高を記録、2024年11月にはデンソーと総額2,116億円のパワー半導体共同投資を決定し経済産業省から705億円の補助も得た。2025年度はSiC生産能力を2.5倍へ引き上げ、北米データセンター向けの一貫供給で「まるごと提案」を展開、合弁出自の後発企業がパワー半導体という特定分野で世界的な競争力を持つ事業会社へと姿を変えた。

富士電機:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
売上高(億円)営業利益(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
歴代社長
FY01
FY02
FY03
FY04
FY05
FY06
FY07
FY08
FY09
FY10
FY11
FY12
FY13
FY14
FY15
FY16
FY17
FY18
FY19
FY20
FY21
FY22
FY23
FY24
FY25
FY26
FY27
FY28
伊藤晴夫
代表取締..
取締役社長
北澤通宏
取..
代表取締役社長
代表取締役会長CEO
歴代社長
FY03
FY04
FY05
FY06
FY07
FY08
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FY10
FY11
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FY22
FY23
FY24
伊藤晴夫
代表取締役社長
伊藤晴夫
取締役社長
北澤通宏
取締役社長
北澤通宏
代表取締役社長
北澤通宏
代表取締役会長CEO
富士電機:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
デンソーとパワー半導体の協業投資を決定2024
富士電機株式会社に商号再変更し事業会社を統合2012
パワー半導体SiCモジュールを開発2010
純粋持株会社制へ移行し富士電機ホールディングスに商号変更2003

歴史概略

1923年〜1976シーメンスとの合弁が背負った現金不足という創業期の重荷

現物出資の合弁会社、川崎工場への借入依存

1923年8月、古河電気工業とドイツ・シーメンス社の資本・技術提携により富士電機製造株式会社が設立された。資本金1,000万円のうちシーメンスは300万円を引き受けたが、払い込みは機械器具の現物100万円と技術報償金200万円で振り替えられ、現金は入らなかった。「富士」の社名は「古河(富)」「シーメンス(士)」に由来する合弁の象徴で、日立・三菱電機・明電舎に出遅れていた古河財閥が、第一次世界大戦敗戦後のドイツ経済インフレ下で技術輸出を模索するシーメンスと条件を合わせた形となる。後発の富士電機にとって、シーメンスからの現物出資は技術供与と同時に現金不足という構造を会社に埋め込むものとなり、発足直後の資金繰りを強く縛った。

1925年4月、川崎工場が投資額578万円・敷地4.8万坪で稼働を開始した。設立時資本金の過半を超える投資だったが、シーメンスからの現金払込がないため、資金は金融機関からの借入で賄われた。工場長にはシーメンスから派遣された外国人が就き、発電機・電動機・変圧器・配電盤・扇風機・探照灯・量水計などを電力会社向けに量産する体制が組まれた。しかし日立・三菱電機・明電舎の先発企業が握る市場で、後発参入の富士電機は販売に苦戦し、1928年度の1,034万円をピークに1931年度まで3期連続の減収となる。借入金利負担と固定資産償却が利益を圧迫する構造が定着し、創業期の収益回復の道筋は見えないまま昭和恐慌期に入った。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 富士電機社史1923-56 1957
  • 新日本経済 1952/6
  • 日経産業新聞 1987/12/23
  • 日経ビジネス 1988/7/18

1931年、9期中7期赤字と人員削減205名

1931年、富士電機は全従業員の16%にあたる205名を削減し、残る社員には昇給停止と手当減額を実施した。名取和作社長は経営不振の原因について、設立時のシーメンス現金出資が実現しなかったことと、川崎工場新設の借入依存を挙げている。「最初の株金払込がわずか250万円で、そのうちシーメンスの分は現金の払込がなく、工場建設が始まってからも株金払込は思うように取れなかったので、全て銀行からの借入金で賄った。また固定資産の償却も所定通り行ったから、それとこれとあわせるとほぼ赤字に匹敵することがわかった」(名取和作、富士電機社史1923-56 1957)。名取は同年に引責辞任し、創業メンバーが自ら撤退する形で創業期が閉じる。

1933年4月には電話部を設置して通信機器に進出したが、戦時下に通信省の指定工場となった関係で1935年6月に通信機部門を分離し、富士通信機製造株式会社(現富士通)を設立した。1942年から1944年にかけて松本・吹上・豊田・三重の各工場が相次いで立ち上がり、戦時増産の拠点が揃う。このうち松本工場は後にパワー半導体の主力工場となり、三重工場は戦後の家電と自動販売機の拠点に変わった。戦時期の工場網は財閥解体と戦後復興を経ても富士電機の生産基盤として残り、半導体・自販機という新規事業の受け皿として後年まで機能した。合弁という出自で得た技術蓄積が、戦後の事業多角化の足場となる。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 富士電機社史1923-56 1957
  • 新日本経済 1952/6
  • 日経産業新聞 1987/12/23
  • 日経ビジネス 1988/7/18

1949年上場、1953年半導体参入、1969年の自販機進出

1949年5月、同社は東京証券取引所に株式を上場した。1953年10月には半導体部門に進出し、同じ年にスイスのエッシャウイス社との提携でガスタービン生産も開始する。電源開発ブームで重電各社の受注は積み上がり、同社の受注残は「30億円以上に達している」(新日本経済 1952/06)状況にあった。ただし同じ記事は「電動機メーカーとしては東芝、日立、三菱に比べると小型であるが、水車の制作部門をもち、また水車整流器メーカーとしても定評がある」(新日本経済 1952/06)と位置づけており、重電4社の中で小型のプレイヤーという認識が業界に定着していた。1961年に千葉工場、1963年に中央研究所が加わり、1968年には川崎電機製造を吸収合併して神戸・鈴鹿の2工場を獲得した。個別事業の収益性はいずれも先発企業と拮抗する水準になく、広さと深さの両立は課題として残った。

1969年9月、富士電機は自動販売機の製造を開始した。家電事業の販売不振で三重工場に生産すべき家電が不足し、将来の市場成長が見込める新規事業として自販機に着眼した経緯だった。自販機進出の社内提案者は後の社長和田恒輔で、「1966年、私は自動販売機部門に進出することを提案した。業界には10年遅れての参入だったが、思い切って自販機の製造、その設備資金のリース、ベンディング材料の取り扱いと最初から一貫体制を整えた」(日経産業新聞 1987/12/23)と振り返っている。ツガミや三菱重工といった先発企業がいたが、製造に徹せず販売まで自社で担うモデルを取り、参入から約4年で国内シェア1位を確保した。先発に勝てない領域を見切り、後発でも勝てる隣接領域に資源を移し替える判断が、以降の富士電機の事業再編パターンとなった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 富士電機社史1923-56 1957
  • 新日本経済 1952/6
  • 日経産業新聞 1987/12/23
  • 日経ビジネス 1988/7/18

1977年〜2009総合化、持株会社化、そして2009年の大赤字

自販機シェア40%と、1984年の商号変更

1984年9月、同社は商号を「富士電機株式会社」に変更した。1987年12月には子会社の富士電機冷機が自販機で国内シェア40%のトップとなり、1988年2月には同社株式を東証二部に上場、翌年9月に一部指定となる。業界紙は「富士電機が家電ブームに乗り遅れたことで、昭和40年代後半から停滞期を迎えたわけだが、その瀬戸際で、1969年に自販機を始め、家電部門は生き返ったのである」(日経ビジネス 1985/01/07)と評し、家電敗北を自販機で補った構図を指摘した。1994年から1996年にかけて中国・フィリピン・マレーシアに現地生産会社を設立し、アジア生産網を整えた。1999年4月には社内カンパニー制を導入し、電機システム・機器制御・電子・民生機器の4カンパニーに分ける縦割り運営へ移行する。カンパニー間の連携不足と重複投資という別の課題も抱えた。

2002年4月には三洋電機自販機を買収(吹上富士自販機と改称)し、自販機事業の規模を拡大した。同年10月には変電機器事業を日本AEパワーシステムズに移管し、2004年には富士物流株式の一部を豊田自動織機に譲渡して連結子会社から外す。業界誌は「翻って『総合』に固執した3社は、その良さを発揮できた時代もあったが、年々、看板が色あせている」(日経ビジネス 1997/10/27)と総合電機モデルそのものの限界を指摘しており、同社も名ばかりの総合路線から事業の絞り込みへ舵を切る流れにあった。選択と集中の動きは2000年代を通じて続き、個別事業で単独首位を狙える領域を残し、規模だけで勝負する領域は他社との合弁・譲渡で外に出すという仕分けで進めた。合弁出自の富士電機にとっては、他社との共同運営は相性の良い手段でもあった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 日経ビジネス 1985/1/7
  • 日経ビジネス 1997/10/27

2003年、富士電機ホールディングスへの純粋持株会社化

2003年10月、同社は電機システム事業・機器制御事業・電子事業・情報関連システム等の開発部門を会社分割により分社化し、商号を富士電機ホールディングス株式会社に変更して純粋持株会社へ移行した。承継先は富士電機システムズ(電機システム事業)・富士電機機器制御(機器制御事業)・富士電機デバイステクノロジー(電子事業)・富士電機アドバンストテクノロジー(開発部門)となり、総合電機の事業会社化が進んだ。2008年4月には富士電機水環境システムズが日本碍子子会社と合併してメタウォーターが発足、同年10月には富士電機機器制御の受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継する。事業単位で外部資本との統合を進めつつ、グループ本体を身軽にする組み換えだった。

2008年3月期の連結売上高は9,221億円・営業利益358億円と堅調だったが、2009年3月期はリーマン・ショックで状況が一変する。同社は売上高7,666億円・営業赤字188億円・純損失733億円を計上し、事業構造改革費用184億円(人員対策82億円・固定資産46億円・棚卸資産45億円)を特別損失に計上した。電子デバイス部門のHDD向けモータ販売低迷が中心要因で、1931年の人員削減以来の会社史上屈指の構造改革となる。多角化した事業ポートフォリオが一斉に需要消失に晒された影響は大きく、持株会社化で進めた事業別分社化が、景気変動下では個別の損益を前に可視化する形となり、赤字事業への対応が次の経営体制に残された最初の課題となった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 日経ビジネス 1985/1/7
  • 日経ビジネス 1997/10/27

2010年〜2024北澤通宏社長体制下の「パワー半導体集中」という経営選択

2010年SiCモジュール開発と2012年の事業統合

2009年6月、リーマン後の赤字決算を受けて北澤通宏が取締役社長に就任した(前任は伊藤晴夫)。2010年、同社はパワー半導体SiCモジュールを開発し、電力損失改善技術の商品化に着手する。SiC(炭化ケイ素)は従来のシリコン半導体より高温・高電圧で動作でき、EV用インバータや再エネ向けに用途が広がっていた時期で、富士電機はインフィニオン・三菱電機といった競合に対して、パワー半導体とパワエレ制御の組み合わせに賭ける方向を選ぶ。総合電機として広く張るのではなく、自社が強い制御技術と組み合わせて差別化できる領域にデバイス側の投資を集中させる発想で、リーマン後の赤字決算が戦略の絞り込みを後押しした。

2012年4月、同社は持株会社体制を実質的に解消する。富士電機システムズを吸収合併して商号を「富士電機株式会社」に戻し、富士電機デバイステクノロジー・富士電機リテイルシステムズを当社に吸収合併し、日本AEパワーシステムズの変電・配電事業も承継した。2003年に純粋持株会社化したのとは逆方向で、事業別の分社化から事業一体運営への再統合という判断だった。2013年には松本工場でパワー半導体の増産投資、2016年には鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設する。デバイスからシステムまでの垂直統合で顧客に一貫提案するモデルに切り替え、リーマン後の構造改革と並行してパワー半導体への経営資源の傾斜配分が進んだ。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 日経XTECH 2024/12/2

過去最高益とEV向けパワー半導体の牽引

リーマン後の2010年3月期営業利益9億円からの回復は緩やかに進み、2014年3月期に営業利益331億円、2018年3月期に559億円まで拡大した。コロナ禍後の2022年3月期には売上高9,102億円・営業利益748億円、2023年3月期に売上高1兆94億円・営業利益888億円で初めて売上1兆円を突破する。2024年3月期は売上高1兆1,032億円・営業利益1,060億円・純利益753億円と過去最高を記録し、EV向けパワー半導体が牽引役となった。2009年の大赤字から15年で収益力を回復させた背景にあるのは、パワー半導体への集中投資と同時に進めた事業ポートフォリオの絞り込みで、総合電機的な幅広さを残しながらも稼ぎ頭を絞り込む構造へ切り替わった。

2024年6月、北澤は会長CEOに退き、近藤史夫が社長に就任する。同年11月、富士電機とデンソーはパワー半導体の共同投資を決定した。2社合計投資額は2,116億円で、このうち705億円については経済産業省が補助を決定する。富士電機は松本工場でのエピウエハーおよびパワー素子の増産に投資する方針を表明した。2025年3月期は売上高1兆1,234億円・営業利益1,176億円・純利益922億円とさらに最高益を更新し、パワー半導体が富士電機の成長エンジンとなった。シーメンスとの合弁から始まった富士電機が、101年を経てデンソーとの共同投資に踏み切った構図は、合弁・他社協業という創業期の遺伝子と特定分野への集中投資が結び付いた形と言える。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 日経XTECH 2024/12/2

直近の動向と展望

SiC生産能力2.5倍とデータセンター北米進出

2025年5月の事業戦略説明会で、富士電機はSiCの2025年度売上高を前年4Q比で4倍以上、生産能力を年度末に2.5倍へ引き上げる計画を示した。SiC比率は2026年度に電装分野の15〜20%程度まで上昇、2027年度以降はさらに高まる見通しで、第4世代のチップと小型高電力密度パッケージで性能差別化を図る方針である。一方で2026年度中期経営計画に対しては下振れ見通しで、電気自動車の伸長鈍化を理由に設備投資は需要連動型に調整する方針を同時に示した。成長領域への積極投資と需要鈍化への柔軟な対応を同じ説明会で両立させる建て付けで、パワー半導体集中戦略の継続と、市場の不確実性への身構えが並立する構図となっている。

エネルギー事業ではデータセンター向けで「高圧盤、遮断機、変圧器、UPS、低圧盤を揃えられることが必要であり、当社は全て自社製品で対応できることが強み」(事業戦略説明会 FY25)と自社一貫供給体制を打ち出し、「まるごと提案」を進める。2025年度は北米規格対応製品を開発・製品化し、2026年度から北米データセンター市場への本格展開に入る予定で、2026年1月末時点で「早ければ今期末から案件を受注する予定」(決算説明会 FY25-3Q)と進捗を報告した。再エネ向けモジュールの世界シェアは20%超と同社は認識する。総合電機時代に残した重電機器の製品群が、生成AI需要で拡大するデータセンター向けで再び価値を持ち始めている。

参考文献
  • 事業戦略説明会 FY25
  • 決算説明会 FY25-3Q

過去最高益の延長線上にあるリスク

2025年度第3四半期決算で、同社は通期業績予想の上振れ余地として為替現状維持で売上高100億円強・営業利益10数億円、経費削減でさらに10数億円を示した。ただし原材料価格高騰(銅・銀)による減益影響は通期で50数億円、3Q累計で約40億円となり、価格転嫁のタイムラグが残る。エネルギー事業の営業利益率は上期11.5%から3Q14.7%に改善し通期目標14%を維持、富士電機単体の受注残は前年同月末比約30%増と強い。過去最高益を連続更新する局面でも、素材価格の変動と価格転嫁の遅れという短期要因が利益率を揺さぶる構造は残り、好調な受注残が短期で利益へ直結するわけではない点が経営上の注視点となる。

半導体事業では2025年度SiC売上高が前年比2倍弱で電装分野の約10%、2026年度は20%超の見通しだが、「来期は銅・銀などの素材価格高騰影響が見込まれる。目標値は精査中だが、今期4Qの営業利益率は継続しないだろう」(決算説明会 FY25-3Q)とされる。さらに「足元で顕在化しつつある日中関係のビジネス影響が懸念される」(同)と、中国政府の補助金政策次第で再エネ向け需要が左右される構造と日中関係リスクが並列で意識される状況にある。2025年度設備投資は約400億円弱(SiC 8インチ・6インチ向け中心)で、SiC 6インチはほぼ投資完了となった。成長投資の主軸は8インチ化と北米市場開拓に移っており、リスク管理と拡大投資の両立が次の課題となっている。

参考文献
  • 事業戦略説明会 FY25
  • 決算説明会 FY25-3Q

歴史的証言

最初の株金払込がわずか250万円で、そのうちシーメンスの分は現金の払込がなく、工場建設が始まってからも株金払込は思うように取れなかったので、全て銀行からの借入金で賄った。また固定資産の償却も所定通り行ったから、それとこれとあわせるとほぼ赤字に匹敵することがわかった

名取和作

富士電機社史1923-56 1957

30億円以上に達している/電動機メーカーとしては東芝、日立、三菱に比べると小型であるが、水車の制作部門をもち、また水車整流器メーカーとしても定評がある

新日本経済記者評

新日本経済 1952/06

1966年、私は自動販売機部門に進出することを提案した。自販機産業は中規模のマーケットだったがその伸びは大きいと見られかつ業務用民生品であるために販売網づくりに要する人材及び資金も比較的少なくてすむ。首脳は直ちにゴーサインを出した。業界には10年遅れての参入だったが、思い切って自販機の製造、その設備資金のリース、ベンディング材料の取り扱いと最初から一貫体制を整えた

和田恒輔

日経産業新聞 1987/12/23

あの地味な富士電機が、街角で良く見かける自販機では断然トップなのだ/富士電機が家電ブームに乗り遅れたことで、昭和40年代後半から停滞期を迎えたわけだが、もし家電部門がそのまま沈没したら、もっと深刻な事態になっただろう。その瀬戸際で、1969年に自販機を始め、家電部門は生き返ったのである

日経ビジネス記者評

日経ビジネス 1985/01/07

翻って『総合』に固執した3社は、その良さを発揮できた時代もあったが、年々、看板が色あせている

日経ビジネス記者評

日経ビジネス 1997/10/27

「川崎工場が敷地がほとんど一杯になりましたので、大型機器工場の分工場という意味で、千葉に敷地を買って工場を建設する企画をもっております。その敷地は約13万坪、来年の春には埋め立てが完成して、工場を作るようになりますが、それやこれやの関係で、資金を相当必要と致します」「火力発電に進出するために、できるだけの努力をいまやっております」

金成増彦

1経済時代 1958/11

「私は、電気機械産業というものは、電力をつくる発電所、あるいは電気機関車、近代的な自動装置など産業関係のものばかりでなく、家庭で使ういろいろな電気器具、あるいは1年も2年もかかるような計算をほんの僅かな時間で計算してしまう機械設備、それから近く必ず原子力発電が進出してきますので、それらを考えますと、総括的にいって、電気の機械産業はいわゆる成長産業であると考えております。従いまして技術に自信がある、経営が真面目であるというならば、私は前途が非常に明るいと思うのであります」

金成増彦

1経済時代 1958/11

記者:ところで和田社長の頃までは富士電機も勢いが盛んでしたけど、その次の後継者の金成さんあたりから業績がダウンしてきたようですね

和田恒輔

経営コンサルタント 1973/10

和田:ダウンしたということはないですがね。金成くん(現在常任相談役)は東京大学を出てわが社に入ったんですが、彼のお父さんは上田の大地主で、多額納税の貴族議員をなさっておられて、地元への世話もよくされておったそうですね。なかなか人望のある人でしたよ。その人から初代社長の名取さんが紹介を受けて、家もいいし人間もいいようだから考えてみたらどうかということで一応形式的な試験をして、それで入社してきたんですね。会社に入ってみるといろんな事を知っているし、また考え方もしっかりしていて、いい人材なのでだんだんに仕込んでいきましてね。そうしているうちに、先代の名取社長なんかも私の後継者としてどうかというような話も出はじめましたので、私も当時身辺に随分優秀な人材もいましたが、結局金成君に後を継いでもらうように決心しました。ただ、今考えてみますとね、他の事は非常に良いのですが商売を実際に自分でやったことがない。だからその点でまだ不完全なところがありました。

和田恒輔

経営コンサルタント 1973/10

記者:商売人の資質に欠けていたわけですね。

和田恒輔

経営コンサルタント 1973/10

和田:そうですね。それでちょうどその頃から家電ブームが起こって各社とも一斉に力を入れはじめたのですが、その時、私は少し出遅れましてね。他者と比べて随分苦労をしました。金成君が社長になってからは、私の後をうけて、他社のまきかえしを狙って随分スピーディーに動きましたが、他社も同様積極的にやっておる上に、スタート時点で出遅れたということでなかなかうまくいかない。後から食い込もうとしてもなかなか店が捕まらない。いい店は、すでに他社にとられていますからね。それで仕方なく、二流の店でも捕まえられるのは捕まえて、やったんですがね・・・。

和田恒輔

経営コンサルタント 1973/10

記者:技術開発力はもておられたんでしょうけど、時代に即座に対応してゆく営業、販売姿勢というものがなかったのでしょうね。

和田恒輔

経営コンサルタント 1973/10

和田:そうですね。物を造る方は一定の技術水準さえ持っておればなんとか対応できるのでしょうが、販売の方はそう簡単にはいきませんからね。(中略)東芝さんにしても、日立さんにしても、古くからある企業だけどそのあたりの対応は早いですね。東芝さんなんかの場合だと、ランプを東京電気の頃からやっていたから、販売のネットは、もとからもっていましたけどね。

和田恒輔

経営コンサルタント 1973/10

私は以前から、水力発電のみならず火力発電も並行してやるべきだと考えていた。しかし、終戦直後の混乱が続く中で、水力発電機器の製造や、戦前から関係のあった会社との技術提携の復活など困難な問題を抱えて、火力への進出はのびのびにならざるをえなかった。やがて水力開発の諸条件が悪化し、急速に火力に移行する情勢となり、このままでは近い将来、当社の電力部門の受注は急減することが懸念された。

和田恒輔

(富士電機・社史)より抜粋 1974

その後、当社は朝鮮動乱以来の好況に恵まれ、2割5分、3割の配当を実施するほどの安定経営を確立しえたので、1955年初めに蒸気タービン製造に乗り出す決意をした。しかし、今になって考えてみれば、もっと早くこの分野への進出を決断すべきだったと思っている。

和田恒輔

(富士電機・社史)より抜粋 1974

高圧盤、遮断機、変圧器、UPS、低圧盤を揃えられることが必要であり、当社は全て自社製品で対応できることが強み

事業戦略説明会FY25 発言

事業戦略説明会 FY25

早ければ今期末から案件を受注する予定

決算説明会発言

決算説明会 FY25-3Q

来期は銅・銀などの素材価格高騰影響が見込まれる。目標値は精査中だが、今期4Qの営業利益率は継続しないだろう

決算説明会発言

決算説明会 FY25-3Q

足元で顕在化しつつある日中関係のビジネス影響が懸念される

決算説明会発言

決算説明会 FY25-3Q

参考文献・数字根拠

参考文献

有価証券報告書
富士電機社史1923-56 1957
新日本経済 1952/06
日経産業新聞 1987/12/23
日経ビジネス 1988/7/18
日経ビジネス 1985/01/07
日経ビジネス 1997/10/27
日経XTECH 2024/12/2
事業戦略説明会 FY25
決算説明会 FY25-3Q
富士電機社史1923-56
新日本経済
日経産業新聞
日経ビジネス
日経XTECH

数字根拠

資本金(1923年設立時)

1,000万円

有価証券報告書

シーメンス出資比率(設立時)

30%

富士電機社史1923-56 1957

川崎工場投資額(1925)

578万円

富士電機社史1923-56 1957

人員削減(1931)

205名(全体16%)

富士電機社史1923-56 1957

自販機国内シェア(1987)

40%

日経ビジネス 1988/7/18

売上高(2008年3月期)

9,221億円

有価証券報告書

営業利益(2008年3月期)

358億円

有価証券報告書

売上高(2009年3月期)

7,666億円

有価証券報告書

営業赤字(2009年3月期)

▲188億円

有価証券報告書

純損失(2009年3月期)

▲733億円

有価証券報告書

事業構造改革費用(2009年3月期)

184億円

有価証券報告書

営業利益(2010年3月期)

9億円

有価証券報告書

営業利益(2018年3月期)

559億円

有価証券報告書

売上高(2022年3月期)

9,102億円

有価証券報告書

売上高(2023年3月期)

1兆94億円

有価証券報告書

売上高(2024年3月期)

1兆1,032億円

有価証券報告書

営業利益(2024年3月期)

1,060億円

有価証券報告書

純利益(2024年3月期)

753億円

有価証券報告書

売上高(2025年3月期)

1兆1,234億円

有価証券報告書

営業利益(2025年3月期)

1,176億円

有価証券報告書

純利益(2025年3月期)

922億円

有価証券報告書

デンソーとの共同投資合計

2,116億円

日経XTECH 2024/12/2

経産省補助金額

705億円

日経XTECH 2024/12/2

SiC比率(2026年度電装分野)

15〜20%

事業戦略説明会 FY25

再エネ向けモジュール世界シェア

20%超

事業戦略説明会 FY25

原材料価格高騰の年間減益影響

約50数億円

決算説明会 FY25-3Q

2025年度設備投資

約400億円弱

決算説明会 FY25-3Q