1945年に終戦を迎えたことで、東芝は軍需という顧客を失い経営危機に陥り、職を失うことを危惧した労働者がストライキを起こすようになった。そこで、石坂泰三氏が事態を収集するために社長に就任した。
1950年に東芝は工場閉鎖を伴うリストラを決断し、10工場を売却、1工場を閉鎖することで再起を図る。
カラーテレビの量産に積極投資。鍵を握るブラウン管製造を内製化
東芝の堀川町工場は、東京電気時代からの電球の主力生産拠点として発展してきた工場で、東芝にとっても特別な工場であった。だが、電球事業の競争力低下や、工場の老朽化に加え、川崎駅前という一等地に工場を稼働し続けることの難しさにより、2000年に東芝は堀川町工場を閉鎖した。
サムスンのDRAM攻勢の前に東芝はDRAMの撤退を決断。以降、東芝はDRAMではなく、NAND(フラッシュメモリ/SSD)への投資を舵を切り、2000年代を通じて四日市の半導体工場に集中投資することで、半導体業界で世界市場を奪還することを目指した。
2000年代を通じて原子力発電が「クリーンである」という社会的な風潮が生まれ、東芝は原子力発電のグローバル展開を決断した。
2006年に東芝はウェスチングハウス社から約6210億円で原子力発電事業を買収した。歴史的に東芝の原子力事業はBWRを中心に展開したのに対して、WHはPWRが主力であり、異なる技術を取り込む狙いもあった。買収価格が高騰した理由は、WHを巡って三菱重工業と東芝が、共に買収を目論んだためである。
しかし、2011年の東日本大震災による福島原子力発電所の事故により原子力発電への批判が高まると、東芝の原子力発電事業は巨額損失を抱える問題事業に化けてしまった。加えて、WHが請け負っていた工事案件が遅延し、WH社としても巨額損失を抱え込むこととなった。ところが、2013年ごろに東芝はWH関連の無形資産について減損損失を拒んだ。
その後、2017年度に東芝は7215億円の減損損失を計上して、同年12月末時点で債務超過に陥るなど、東芝の財務体質を既存する買収となった。
不正会計の発覚に加えて、原子力発電事業の壊滅的な赤字により東芝本社はキャッシュの流出により債務超過に陥った。そこで、東芝は優良事業の切り出しを相次いで決定し、2018年には東芝の収益源だった東芝メディカルをキヤノンに6555億円で売却した。