日立製作所の歴史
1910年〜日立鉱山での日立製作所の創業と株式会社としての独立
- 日立鉱山からの創業[1]
- 5馬力誘導電動機を完成[2]
- 2kVA変圧器を完成[2]
- 10,000馬力水車を完成[2]
- 扇風機の製作を開始[2]
- 東京佃島機械製作所と合併[2]
- 日立工場で大火災が発生[2]
- 日立製作所として独立[5]
- 笠戸造船所を取得[5]
- 大型の国産第1号となるED15形電気機関車を完成[2]
- 扇風機が日立製品の輸出第1号に[2]
- 柱上変圧器の製作を開始[2]
- エレベーターの製作を開始[2]
- 電気冷蔵庫の第1号を完成[2]
- エスカレーター1号機を大鉄百貨店に納入[2]
- 国産工業を吸収合併・国内工場を拡充[6]
- 多賀工場を新設・日立研究所が日立工場から独立[2]
- 水戸工場を新設[2]
- 中央研究所を新設[2]
- 理研真空工業を吸収合併(茂原工場)[2]
筆者所見
小平浪平氏の国産技術主義は、技術の自立である以上に、販路の自由を確保する手段になった。外国企業と提携しなかったため、1930年代前半のインドなどで扇風機は日立の独壇場となり、地域制限を受けた他社は参入できなかった[3]。輸出は1926年の米国向け扇風機に始まり、ソ連向けの発電機にまで広がった[4]。提携による技術の近道を捨てた代償は、輸出先を選べる自由で回収されたことになる。日立鉱山からの創業での自前主義が、後発の日立に世界市場への入口を開いた。
- [3]週刊日本経済 1963年2月7日号「先覚を語る 小平浪平翁(十二)」
- [4]企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
1945年〜8500名削減の争議とGEとの技術提携
- 日之出商会(現日立ハイテク)を設立[5]
- U05パワーショベル第1号機を完成[2]
- 大阪証券取引所に上場[9]
- 東日本繊維機械(後の日立メディコ)を設立[5]
- 労働組合と対立・約8500名を削減
- 日東運輸(後の日立物流)を設立[5]
- 21,000kW2段タービンポンプを完成[2]
- GE・RCA・WEと技術提携
- 大型ストリップミル国産第1号機を完成[2]
- 日立家庭電器販売を設立[5]
- 日立金属・日立電線を設立(子会社分離を開始)[2]
- 6石トランジスタ超小型ポータブルラジオを完成[2]
- ブリュッセル万国博で電子顕微鏡がグランプリを受賞[2]
- HITAC301電子計算機を完成[2]
- Hitachi New Yorkを設立[10]
- 世界初の座席予約システム「MARS」が誕生[2]
- 全自動洗濯機を開発[2]
- 日立実験用原子炉を完成[2]
- 日立化成工業を分離独立[2]
- 東海道新幹線用電車を製作[2]
- 羽田・浜松町間用モノレールを完成[2]
筆者所見
戦後の日立が重電で東芝に並べたのは、創業以来の自前主義を撤回し、先行者と同じ技術源を獲得したからだった。GEとの提携では東芝が先行していたが、火力タービンの大容量化を見込んだGEが複数の提携先を認めた機会を捉えた[7]。GEとの技術提携から6年後の1959年には、重電部門で東芝を追い抜いたと業界で認知された[8]。後追いの提携でも、戦前から蓄えた研究陣の厚みが、導入技術の吸収を速めた。
- [7]日本経済新聞(1981年1月)駒井健一郎「私の履歴書」
- [8]マネジメント(1959年6月)「日立は果たして東芝を追い抜いたか」
1969年〜DRAM量産による情報・エレクトロニクスへの傾斜と創業以来初の赤字
- 銀行オンラインシステムを完成[2]
- オールトランジスタカラーテレビを開発・量産化[2]
- HITAC Mシリーズ200Hを完成[2]
- ソフトウェア工場を新設[2]
- システム開発を本格化
- 日立建設機械製造を分離独立[10]
- 新幹線運転管理システム(COMTRAC)を開発[2]
- 高崎工場を新設[2]
- 新型撮像管サチコンを開発[2]
- 亀戸工場を移転・名称を中条工場に変更[2]
- ニューヨーク証券取引所に上場[2]
- Hitachi Europe Ltd.を設立[10]
- 256KB・DRAMの量産を開始
- 基礎研究所を新設[2]
- Hitachi Asiaを設立(アジア統括拠点)[10]
- 家電事業を再編[2]
- 日立有限公司を設立[10]
- 日立家電を吸収合併[2]
- 単独・連結とも創業以来初の最終赤字の見通し[13]
- NECと合弁会社を設立(NEC日立メモリを合弁設立)
筆者所見
日立の半導体投資を狂わせたのは、市場の読み違いより、東芝から首位を奪還するという目標の立て方だった。1メガに的を絞った東芝が1989年3月期の営業利益で日立を上回り、4メガでの首位奪還が理屈抜きの目標になった[11]。順位を基準にした配分は、情報・エレクトロニクス部門への傾斜を強めた。事業間の相互補完という総合電機の強みも、偏った配分の下では機能しない。DRAM以外の収益源を育てなかった帰結が、1999年3月期の創業以来初の最終赤字である[12]。
- [11]日経ビジネス(1991年12月9日号)「日立製作所 効率忘れた半導体投資」
- [12]日経ビジネス(1998年11月2日号)「編集長インタビュー 金井務氏[日立製作所社長]」
2002年〜2万人の人員削減とIBMからのHDD事業取得
- 世界最小0.3ミリ角の非接触ICチップを開発[2]
- 産業機器グループを会社分割(日立産機システム)[2]
- 家電グループを会社分割(日立ホーム・アンド・ライフ・ソリューション)[2]
- 最終赤字に転落。2002年6月末までに国内外で約2万人の人員削減[17]
- 三菱電機と合弁会社を設立(ルネサステクノロジー)
- 小型・高速・高精度の指静脈認証技術を製品化[2]
- 委員会等設置会社に移行[2]
- 光トポグラフィによる新生児脳機能計測に成功[2]
- IBMからHDD事業を買収[5]
- マレーシアに下水処理場を建設[2]
- カシオ計算機と携帯電話のCHMCを設立[18]
- 爆発物探知装置を開発(米国運輸保安局認証取得)[2]
- 2輪走行ロボット「EMIEW」を愛・地球博で披露[2]
- ガス絶縁開閉装置の課徴金取消訴訟
筆者所見
庄山悦彦氏の構造改革の意義は、事業の数を減らしたことより、撤退の基準を指標に置き換えた点にある。2002年に資本コストを織り込んだ業績指標FIVを導入し、2年連続でマイナスの事業を閉鎖・売却・再編の対象とした[14]。一方で同じ時期にIBMのHDD事業を買収し、HDDは2008年3月期後半まで低迷した[15][16]。基準は整えたものの、最大の新規投資への適用は先送りされた。撤退基準の徹底は、2009年3月期の巨額赤字を経た次の経営陣に委ねられた。
- [14]日立製作所『Annual Report 2002』「To Our Shareholders」
- [15]日立製作所『Annual Report 2003』「To Our Shareholders」
- [16]日立製作所『Annual Report 2008』「Interview with the President」
2009年〜川村隆社長の財務再建とアンサルドSTSの子会社化
- 日立コミュニケーションテクノロジーを吸収合併[2]
- 社会イノベーション事業への集中
- カンパニー制を導入(事業グループ再編)[10]
- スマートシティ事業統括本部・電池システム社を新設[2]
- アロカが日立アロカメディカルに商号変更[21]
- 社会イノベーションプロジェクト本部を新設[2]
- Western DigitalへHDD事業を売却[10]
- 日立T&Dを吸収合併[22]
- 日立プラントテクノロジーを吸収合併[22]
- 日立マクセル株式を売り出し・持分法適用会社に[23]
- Waupaca HD社の全株式を取得[24]
- ジョンソンコントロールズと空調合弁会社を設立[2]
- 損保ジャパン日本興亜とシステム開発の合弁会社を設立[2]
- アンサルド鉄道2社の買収
- 日立メディコ・日立アロカメディカルを吸収合併[2]
- 日立物流株式を一部譲渡・持分法適用会社に[2]
- 日立キャピタル株式を一部譲渡・持分法適用会社に[2]
- 日立工機株式を譲渡・電動工具事業を売却[2]
- 米国の空気圧縮機メーカーSullair社を買収[2]
筆者所見
川村隆氏の再建は、縮小の局面であえて上場子会社を取り込み、事業の範囲を広げた点で異例だった。2009年3月期に7,873億円の最終赤字を計上した直後、上場5社の完全子会社化に2,556億円を投じ、公募増資と転換社債で資本を補った[19][20]。社会イノベーション事業への集中は、売る事業と残す事業の線引きを先に決めたからこそ、縮小と拡大を同時に実行できた。2015年のアンサルド鉄道2社の買収も、その線引きの内側で海外の成長を担う案件である。
- [19]日立製作所 有価証券報告書 第140期(2009年3月期)【対処すべき課題】及び連結財務諸表注記
- [20]日立製作所 有価証券報告書 第141期(2010年3月期)【経営上の重要な契約等】【株式の総数等】
2019年〜ホライズン計画の凍結とABBパワーグリッド事業の買収
- 三菱日立パワーシステムズ解消
- 「ホライズンプロジェクト」撤退
- 安全マネジメント推進本部を設立[28]
- 3年間の中期経営計画を発表[28]
- 日立化成株式を譲渡(関係会社から除外)[29]
- 日立ハイテクを完全子会社化[29]
- ABBパワーグリッド買収
- アルチェリクと合弁会社の設立に合意[30]
- 日立Astemoへのホンダ3社統合
- 日立Astemoを発足・ホンダ系部品メーカー3社を統合
- 米GlobalLogicの買収
- Thales社を買収(鉄道信号システム)
- 日立金属株式の譲渡[10]
- 小島啓二氏が社長兼CEOを退任[31]
- 松村祐土氏が代表執行役に就任[32]
- ブリス・コッホ氏が代表執行役を退任[31]
- 日立建機株式の売却益を特別利益に計上[31]
筆者所見
2019年以降の再編では、売却と買収が一つの資本配分の両面として扱われた。2020年4月に日立化成の株式を4,951億円で売却し、同年7月にはABBのパワーグリッド事業の買収を7,220億円で完了した[25]。グループの境界を、世界で競争できるかどうかで引き直した判断と言える。2024中期経営計画では1兆円規模の成長投資枠を用意しながら、条件に合う案件を見いだせなかった[26][27]。選別の物差しが厳しいほど、買収の機会も限られるという制約を抱える。
- [25]日立製作所 有価証券報告書 第152期(2021年3月期)注5.事業再編等
- [26]日立製作所 新経営計画「Inspire 2027」
- [27]2025年3月期 決算説明会におけるQ&A(要旨)(2025年4月28日)