西園二郎氏(当時21歳)は鉄工所での勤務を経て、大正時代に西園鉄工所を創設。西園氏は独立前は三重県桑名に存在した富岡鉄工所に在籍しており、同社の下請け生産に従事しており、同じく桑名で創業するに至った。
西園鉄工所における転機は、取引先であった機械工具の輸入を手掛ける巴商会(丹羽昇氏)からベアリングの生産を提案されたことであった。巴商会の丹羽氏は、横浜港で沈没したスウェーデン船舶の積載品の1つである「ベアリング」に目をつけ、実際に販売したところ相応の儲けが出たという。
そこで、巴商会は、精米機械の製造を依頼していた取引先である西園鉄工所に対して、ベアリングの国産化を提案。すでに西園鉄工所では西園氏がベアリングの将来性に着眼し、研究開発に着手していたことから巴商会の要請に協力した。
なお、巴商会は西園鉄工所にベアリングの生産に必要な研磨機3台を提供するなど、設備面での支援を行なっている。このため、NTNの実質的な創業経緯は「技術面では西園鉄工所(N)、販売その他の面では巴商会(T)」が担い、異なる2社が協業することにより創設された側面がある。
1923年3月に巴商会はボールベアリング部を発足し、西園鐵工所が製造したベアリングの取り扱いを開始した。商標としてNTNを採用。Nは巴商会創業者の丹羽氏、Tは巴商会、Nは西園鉄工所の西園氏に由来する。
ただし販売を開始したものの、西園鉄工所が製造するベアリングの品質は低く、SKFなどの輸入品を凌駕するには至らなかった。加えて、日本国内では日本精工がベアリングの国産化に成功しており、NTNはベアリング業界において劣勢にあった。
ベアリングの本格展開のため「巴商会のボールベアリング部門」と「西園鉄工所のベアリング製造部門」を分離統合の上、1927年3月に資本金5万円で合資会社エヌチーエヌを設立した。1934年には株式会社に組織変更を経て現在のNTNに至っている。
ただし1927年の合資会社発足から1930年頃まで経営に苦戦。ベアリングの品質が悪かったことや、スウェーデンの競合メーカーであるSKFから特許侵害の申し入れを受けるなど、前途多難な状況であった。加えて昭和恐慌による経済不況も打撃となり、NTNは会社解散が検討される事態に陥った。
NTNの丹羽社長は販売強化のため、SKFの日本拠点で販売に従事していた森富吉氏をスカウト。この時に森氏はSKFの販売メンバーを迎え入れることを条件とし、結果としてSKFから合計6名の販売員がNTNに入社した。これにより、NTNは手薄であった国内の販売における人材面の不足を解消した。
また、1930年以降、日本政府が軍需生産のためにベアリングの国産化に協力する姿勢を打ち出し、NTNのベアリングの採用を決定。1935年に商工省から「選定優良国産品」に指定されるとともに、鉄道省指定工場に認定した。
そこで、元SKF出身者は、まずは鉄道車両向けのベアリングに注力して国鉄に納入。続いて自動車領域に着眼し、自動車部品販売会社である安全自動車、日立製作所の亀有工場など、民間企業向けの需要を開拓した。
航空機生産においてベアリングが必需品になった事を受けて、1932年10月に陸軍省がNTNのベアリングを指定品に認定した。すでに海軍は日本精工において創業時から全面的に協力しており、陸軍はベアリングの調達で遅れていた。そこで、陸軍は海軍から対抗する観点から、新興メーカーであるNTNを発注先として選定したと推察される。
フォルクスワーゲンと取引関係があるIFA社に資本参加。等速ジョイントの販売拡大を意図
自動車向け軸受の欧州展開のために、2006年3月からルノーとパートナーシップ提携の交渉を開始。これを受けて、2006年7月にNTNはルノーの100%子会社であるSNR Roulements(SNRルルモン)社への資本参加および段階的な買収を決定した。
具体的には、2006年7月にNTNはSNRに35%出資し、3年後までに段階的に80%まで株式を取得することで、将来的にNTNがSNRを買収する計画も公表した。株式取得は概ね計画通りに進み、2008年4月にNTNはSNRの株式16%を追加取得して連結子会社化(保有比率51%)し、2010年4月にはさらなる追加取得で合計80%の株式を保有する状態に至った。
SNRの買収の狙いは、ルノー向け取引の品目拡大にある。1998年からNTNはルノーと合弁会社を設立して等速ジョイントを供給しており、SNRの買収によって軸受をルノーに供給することを意図した。
なお、2006年時点でSNRはフランスで1位のベアリングメーカー(世界では7位)であり、グループ内の売上高は約780億円、従業員数は約4,000名(FY2005)。生産拠点をフランスおよびルーマニア、ブラジルなどに保有していた。